BOOK BOOK こんにちは  2003.9月

我々はもしかして東京でいちばん読書量の多いバンドなのでは?

このコーナーは、3人の精鋭が日々読んだ本の感想を書いていくものです。

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       アオウ        コマツ       スヤマ

★9月29日(月)更新★★★★★★★★★★

先々週〜先週と、宮沢賢治について好きなことを書き散らしたところ、いろいろと反響があって興味深かった。すべて宮沢賢治が好きな人からのものであったが、その話題の中心は「宮沢賢治の読まれ方について」が多かったな。ハタ目には同じ賢治好きでも、各人「こういう読まれ方はどうなのか」という疑問を持っているようです。私自身は現段階、正確に言うと「賢治が嫌い」というよりも、「賢治がまったくわからない」というところに立っていると思う。話の内容や意味以前に、文体の調子や嗜好するもの、美学などがいっさい自分から遠すぎてとまどう、といった感じ。これまで普通に読めたのって『セロ弾きのゴーシュ』『注文の多い料理店』『雪渡り』くらいです。ほかの作品は、読んでると目がつるつるすべって読みとばしちゃうか、心の中でツッコミ入れっぱなしになるかで、素直に作品世界に入れないのであります。それでもきのう、新資料として『兄のトランク』(宮沢清六 ちくま文庫)を購入。まだまだ食い下がります。

『穢れなき殺人者』(ブリス・ペルマン 創元推理文庫)子どもが殺人する話って大好き。しかし、サスペンスというよりユーモアを楽しむ本ですね、こりゃ。周囲の大人の振り回されっぷりが楽しかった。

『波のうえの魔術師』(石田衣良 文春文庫)石田衣良ってけっこう好き。謎の老人投資家と、老人にスカウトされたフリーター青年が、都市銀行をターゲットに罠をしかけるクライムサスペンス。まだ途中だけどおもしろい。

★9月22日(月)更新★★★★★★★★★★

 宮沢賢治の資料、および作品を読んでもさっぱり理解できないので、実家に電話する。たしか、ねーちゃんの本棚には賢治の本があったはず。開口一番「『銀河鉄道の夜』ってどこがおもしろいの? どういう話なの?」と聞く。姉絶句。だって、『銀河鉄道〜』2回読んだんだけど、意味がさっぱりわかんなかったんだもーん。「結局さあ、××が××で、××××しながら××しました、っていう話でいいんだよね(世の賢治ファンに殴られそうな身もフタもない言い方なので伏せ字)。あ、ちなみにジョバンニもカムパネルラもネコじゃなくって人間だよね」と確認。ほっ、よかった。合ってたみたい。ちなみに「賢治にハマった時期がある」と自認する姉いわく、賢治作品の魅力とは、(1)出てくる人がいい人なので、読んだ後自分もいい人になったような気がする。心が洗われる。(2)独特の言い回し、ネーミングなどがオタク心をそそる。・・・ということでした。少しわかった気がする。助かり。しかし、こんなにも趣味が違うのに仲良しな私たち姉妹ってすごいわー…っていうか、好きな作家をメチャクチャ言われて怒らない姉の心が広いんだろうね、やっぱし。

 去年八王子の古本屋で見つけた『ぼくの旅の手帖 珈琲のある風景』(森本哲郎)の好きなとこを読む。初めて読んだのは角川文庫だったけど、これは正方形に近い箱入り本。装丁が素敵。ときどき読みたくなる本。著者がいろんな国で味わった珈琲にまつわるエッセイ集なのだけど、どこが良いって、あんまりウルサイこと言わずにどんな珈琲でも喜んで飲む姿勢が好き。粉をケチってる(インスタントコーヒーの粉ね)すっごい薄いコーヒーにありつき、それでもひと心地ついたときの話とか…気持ちわかるぅ。あるいはどうしてもコーヒーを出す店がなくて、仕方なくコーラでガマンするエピソードなどが好き。ちなみに私は宿に泊まる時にはちっこいビンにインスタントコーヒーを入れたのを必ず携行します。宿で、湯のみで飲みます。

 上記の本と同じような正方形サイズのため、その下にあった『空にいちばん近い悲しみ』(安井かずみ・新書館)をパラパラ見る。詩とかエッセイとか。見てたら、にわかにgoodメロディーが浮かんできた。今度作曲に詰まったら、この本を見ることにしよう。70年代に出回った、この正方形サイズの「新書館フォアレディースシリーズ」、最近オシャレ本好き(なんだそれ!)の間で高騰してるらしいね。これは300円で買ったのだけど、高いところでは10倍くらいの値がついてる。そりゃ、やりすぎだと思うけどな。

 スタンダールの短編『サン・フランチェスコ-ア-リパ』(岩波文庫『ヴァナナ・ヴァニニ』収録)を読み始めたが、途中で腹が減って中断。ああ、今週も何ひとつ完読せず。しょんぼりんぐ。

★9月15日(月)更新★★★★★★★★★★

今、私がすぐに読まねばならない本が計10冊以上積み上がっている。先週、図書館行ってかき集めたり、編集部の人から渡されたりした仕事の資料である。おおかたは宮沢賢治についての資料で、残りはツタンカーメンと雪男についての本である。一応、宮沢賢治の伝記みたいなのから読み始めてみたが・・・知れば知るほどうす気味の悪い人間である。私はこれまで宮沢賢治作品に心ふるわせたことがないが、先入観を追い払って、なんとか宮沢賢治という人間を自分なりに解釈しようと試みている最中である。出口どころか、まだ入口すら見えないんだよなー。次は『童貞としての宮沢賢治』(押野武志 ちくま新書)を読もう。

今週は先月末からちょっとずつ読んでる『林芙美子随筆集』(岩波文庫)をパラパラ見るくらい。「朝御飯」というエッセイのおいしそうな記述にうっとりしてたくらいで、まとまった読書をしていないです。林芙美子は、夏の暑い日には炊きたてのごはんに梅干しをのっけて冷水をかけて食べるのが好き、と書いている。トマトをパンにはさむ時は、パンの内側にピーナツバター(甘くないやつだよね)を塗ると「美味きこと天上に登る心地」。試してみたいな。トーストにウニを塗って食べるのは「ちょっとうますぎる感じ」と書いているのがおもしろい。

土曜日はライブ・ダブルヘッダー。井の頭公園でのライブを終えてから、テリーズのライブのため国立に向かった。リハから本番の間に、大学通りをうろついていて古本屋を発見。『サム・ホーソーンの事件簿2』(エドワード・D・ホック 創元推理文庫)を購入。わーい、探してたんだよねー。新刊本屋で買ってもよかったんだけど、ガマンしてた甲斐がありました。ライブやって打ち上げやって終電で帰り、汗と土ぼこりでドロドロの体を洗い流し、眠りにつく前に2編ばかり読む。「食糧雑貨店の謎」「長方形の部屋」。もう、こういうタイトルを見るだけで「ああ、ミステリーを読むんだなあ」って気がしてゾクゾクするほど楽しい。そういえばどこからかウールリッチの短編選集が出ているはずだけど、その中の『踊り子探偵』という題にものすごくひかれているんだよね。図書館にないかなあ・・・。

ある日、立ち読みですまさずに『YOUNG YOU』なんか買ってしまって、最近不作の多い槇村さとる大先生の『恋のたまご』という連載漫画を読んでいた。主人公が高校の同窓会に参加して近況報告をする。「今は都下のM市でカフェの店長をやっています。目標は年商3千万です」と言い放ち、クラスメートは男も女も「ほう・・・」とタメイキをつく、というシーンがあるのですが。ふたこと目に「年商」ですか・・・。最初にそのコマを見た時は、彼女の感じわるさに元クラスメートたちが呆れるシーンなのかと思ったが、よく見るとハートマークが宙にとんでいたので「あ、この毅然とした美しさに(?)見惚れてんのね!」と理解できたのでした。

★9月8日(月)更新★★★★★★★★★★

『タイムトラベルロマンス』(梶尾真治 平凡社)を読んでるうちに、もうとにかくやたら引用されてるジャック・フィニイが読みたくなり、短篇集『レベル3』(早川書房)『ゲイルズバーグの春を愛す』(ハヤカワ文庫)をひっぱりだしてきた。なんつって、ひっぱり出すほど奥のほうにしまわれているわけではない。私の本棚の中では「一等地」と決められてる、かなり取り出しやすいところに住んでいるのよ、フィニイの本たちは。2冊を交互に読む。いいねー。なんだか作曲心を刺激する本。今週はこの2冊を携行。さっきもファミレスで五線譜にいろいろ書きなぐり、展開に詰まるとこの2冊を適当に開いてみたりした。そういや、こないだコマツ氏にフィニイの『マリオンの壁』(角川文庫)を譲ってもらった。まだ読んでないけど。すごく欲しそうにしたら、くれた。

『母と神童 五嶋節物語』(小学館文庫)五嶋みどり、五嶋龍という2人の神童を育てた“驚異の母”の人生を追ったノンフィクション。いやー、2人も続けて「神童」が生まれるって無茶ですよね(みどりと龍って異父きょうだいだしな)。節の教育者としての才能に驚きます。印象に残ったのはみどりの師・ディレイ。“コンクール重視ではないデビューのさせ方”にこだわるところが新鮮だった。またソリストになるだけが全てじゃないという考えを持ち、確実に生徒の適性を見極めてアドバイスするという…本当の意味で音楽界に貢献している人だと思った。「音楽家として社会に何ができるか自覚せよ」「世に出るためには出ていく社会の状況を理解せよ」とディレイは言うのであった。

 ところで神童といえば…ノンフィクション『神童』(山本茂 文春文庫)の主人公たる幻の神童バイオリニスト・渡辺茂男の2枚組CDを購入しました。ぶったまげました。すごい音です。そりゃテクニックもすごいけど…音がすごいのです! 呆然としました。この人の音を指して「天上の音」とはよく言ったもんだ。私はショックで総白髪になったかと思った。この人の生涯について知りたい方は、ぜひ上記の本をご一読ください。渡米中、16歳の時睡眠薬を飲み過ぎ(自殺未遂?と言われていますが、状況はよくわからないまま)命はとりとめたものの、以降植物状態に。師でもある戸籍上の父(血縁上は叔父)に世話をされつつけっこう長生きしましたが、生涯バイオリンを持つまでに回復することはなかったといいます。んがー。

今週は『日常茶飯事』(山本夏彦・新潮文庫)と、Nさんから借りてる『日常を愛する』(平凡社ライブラリー)を交互にパラパラと。どちらもジジイ系エッセイ集。タイトルのせいだけでなく、どこか共通するものを感じる2冊。

児童書コーナーをぐるぐる徘徊していて、すごく驚いたこと。一発目。『ちいさいモモちゃん』(松谷みよ子)の、人形を使って撮影した初期バージョン表紙が復活してるやんけ!…と思ったらなんと、モモちゃんのフィギュアをカップリングで梱包してあるではないの! 欲しいなあ、ずるいなあ。ちゃんとプーもいるしなあ…。二発目。『ぼくは王さま』(神宮輝夫)の、これまた初期バージョンの装丁(イラストが和田誠なんです)が復活しているじゃないの! 大賛成。私は、あの目がほら穴のように黒々してる王様より、この初期型のほうが好きなんです。

ちょっと前まで本屋では最近、頻繁にあぶらとり紙をくれるなあと思ってたものだが(女性誌の販促グッズね)、こないだ初めて爪やすりをもらった。新しい! 

★9月1日(月)更新★★★★★★★★★★

『日航ジャンボ機、御巣鷹山墜落とグリコ・森永事件との関連 天命の陳情』(村岡伸治 東京図書出版会)W氏より借りている本。タイトルを見た瞬間「?」の嵐。パイロットであった著者が事故報道を読むうちわいてきた疑問を、事故調査委員会やらボーイングやらに送りまくった文書集。この著者の主な主張は(1)この事故は、偶然の故障ではなく、爆破によって起こった。(2)グリコ・森永事件に関わったヤクザの「公然の自殺」に利用された。の2点である。(2)のほうは、ちょっと説得力なかったけど、(1)のほうはそうバカにしたもんでもないよ。著者は機内で爆発音の記録される20秒も前に、「スイッチを押している方がいらっしゃいますがよろしいんでしょうか」という客室乗務員の発言が残っているのにこだわっている。この「なんかのスイッチ」が、「リモコンの爆発物の操作スイッチ」をだったんじゃないかという推測が生まれるわけである。残念なのは、著者は直接いろんなトコに取材をしに出向いてるわけではなく、既出の報道や本だけを手がかりにしているので、推理がそれ以上は進まないところかな。でも、ミステリではありがちな「安楽椅子探偵」が実在するなら、こんなもんか?

 かねてよりW氏に強力に勧められていた『東電OL殺人事件』(佐野眞一 新潮文庫)が文庫化したので買って読み始めております。確かにおもしろい。あと、『タイムトラベルロマンス』(梶尾真治 平凡社)をパラパラと。私の場合、〈SF〉っていうのはモノによりけりで。やたら長い名前の武器とか乗り物とか宇宙船とかアイテムを駆使して戦っちゃうよーな〈SF〉は全然ダメですが、幻想的なタッチのは好きです。おっ、この説明、「ファンタジー」にもあてはまるな。『タイムトラベル〜』は、思った通り私好みな本が多く紹介されている。読書欲わく〜。

 出版情報。なんと、『エリアーデ幻想小説全集』(作品社 全3巻)が出ます! と、いうことは長らく絶版だった『ダヤン』も遂に我が手に…。『ダヤン』はもともとコマツ氏に勧められて図書館で借りてきて読んだのだが、んもう、頭を殴られたかのようなショックを受けたね。以来、ずーっと古本屋で探しているのに見つからない。超絶古本ハンターのコマツ氏でさえ持ってないっていうんだから、よっぽどないんだよねー。ところが。かつて、本好きの人々が作ってるミニコミ誌の忘年会で知り合ったK氏にこれをおすすめしたら、その後あっさり「入手した」との報をもらって驚いた(=くやしがった)ものです。しかし、この初対面の時にK氏が教えてくれたのが、今や私が夢中になってるパヴェーゼであったな。恩人です。今もときどき、おすすめの本を教えてくださいます。彼のおすすめは100%信用しちゃっておる私です。

 私事ですが長らく制作に専心していた「ダブルダッチ プレイブック」がよーやくできました。8月26日発売。なに?ダブルダッチを知らないとな? ま、長ナワトビの2本のロープをいっぺんに回すヤツと思ってください。で、ソレを飛びながらもストリートダンス的な技を入れたりアクロバット入れたり、あなた、もーこりゃ大変なコトになっちゃうんですよ。海外では大きな大会も催されており、世界的大ブレイクの予感…とか言ってみたりして。ともかく日本初のダブルダッチガイドブックってことでひとつよろしく! 本屋で見かけたら、人目につくようにしといてください。http://kids.gakken.co.jp/campus/ddpb/

 

 

 

 

★9月29日(月)更新★★★★★★★★★★

 

★9月22日(月)更新★★★★★★★★★★

えーん。仕事が忙しすぎて、本気でなんも読んでない!やべー!1週間が「あ」という間に過ぎ去ってしまいましたぞ。おかしいなーまいったなーふしぎだなーって感じ。オレにとっての本を読む楽しさってのは、ドアをバシン!と開けていきなり違う部屋にはいっちゃうようなトコなんだけど、そういうの全然なかったって事ですね。ずーっと現実の世界にいたワケだ。つまらんね。くだらんねー。一瞬だけど違う世界を見せてくれたのは「WHERE IS SILAS?」。いわゆるアート本なんだけど、SILASのアーティストにデカイ影響を与えたサイラス・ホームズについてのコンセプトBOOK。面白かった。作家もみんな繊細ないい人ばかりで素敵だった。特にLIZZY。チョー可愛い!ジェームス・ジャービスの作品はモノクロなんだけど、アオウが色を塗りたがるのでオーケーした。塗り絵?

★9月15日(月)更新★★★★★★★★★★

ほいほい。読んだのは「へらへらぼっちゃん」町田康。面白かった。真面目な人だ、という印象。あと、仕事場にあった中谷彰宏の本を読んだ。なんかフェロモンの出し方、みたいなタイトルだった。2時間くらい喋って、ハイできあがり!みたいな本。ほかにも何か読んでるはずなのだが、思い出せない。

★9月8日(月)更新★★★★★★★★★★

『雪の死神』まだ読んでるが、実に楽しい。どうやらこの前に『森の死神』というのがあるようだ。想像するにこの女主人公は『森の』事件で全身麻痺になっちまうような酷い目にあったと思われる。さかのぼって読まねばの。オベールは『マーチ博士の四人の息子』『ジャクソンヴィルの闇』『鉄の薔薇』あたりは読んだはず。おぼろげにしか内容をおぼえていない(いつも!)のだが、作品毎に趣向が違うような気がする。えへへへへ。

同時に『誰かが泣いている』というサイコスリラー(たぶん)を読み始めた。冒頭のシーンが秀逸で、ちょっと感心してしまった。いいタッチ、オレの好きなタッチだ。これもただのサイコスリラーもどきでない事を祈りたい。主人公(50男ニュースキャスター)も今んとこはいい。たぶん、この男の行動の動機がちゃんと描かれ、もう少し話に色気が出てくれば最後まで読めるだろう。

サイコスリラーブームの起きる前に『レッド・ドラゴン』は読んでいた。よく書けてると感心したおぼえがある。今読むとどうなんだろう?次作『羊たちの沈黙』が映画で大ヒットしたおかげでレクター3部作になっちゃったが、最後のヤツはあまり感心しなかった。思うにレクターは脇役だからよく効いたのではないか?あんまビッシリ書き込んでほしくなかったな。ビンボー臭くて、ほんとイヤ!『羊たちの沈黙』は映画も見た。オレの嫌いな女優が主演だったが、これは意外と良かった。で、話は流れるが、映画と原作の関係は微妙であるとオレは思う。『カッコーの巣の上で』を映画でみたときに初めてそれに気がついた。ぜんぜん面白くなかったのである。たしかアカデミーとかとってるはずなのに、である。それはケン・キージーの原作(戯曲)に先に接していたためだ。映画版はまるっきりダイジェストにしか思えなかったのである。この体験と全く反対の気持ちになったことがある。原作を読まずに『ボーン・コレクター』という映画を見た時だ。ぜんっぜん面白くなかった。これはただのダイジェストだ、とすぐに判った。しかし逆に考えると、この映画の原作は実はけっこう面白かったりするんではないか?と思った。映画化した人間が、作品上でイチバンのキモである何かをスッポリ取りこぼしているのではないか?と想像出来るのである。その部分が知りたい。これはオレのミステリの読み方の普段に近い。いや、ミステリのみならず、である。

けっこう皆嫌うが『セブン』という映画があった。あれは確か原作はなく(ノベライズはある)シナリオから作られた映画だと思うが、オレはけっこう好きだった。アレに原作があったらな、と思う。すごく読んでみたい。それを想像することはとても興味深い。

 

あと、人にもらった「ROCKIN'ON JAPAN」の最新号を読んだ。もともとインタビュー好きなので、純インタビュー誌として愛読していた時期もある。人が自分自身や作品について語るなんてめったにないことで画期的だ、と思ったのだ。ひさびさに読んでみて、なぜ最近読まなくなったのか、が解った。バンドの名前が面白くなくてオレの気を惹かないのだ。はは、そんな当たり前のことだったか。

★9月1日(月)更新★★★★★★★★★★

『さようならホテルカリフォルニア』(水上はる子・シンコーミュージック)パンクの頃のインタビュー集である。ジョー・ストラマー、ポール・シムノン(クラッシュ)、ジョン・ライドン(PIL)、ジャン・ジャック・バーネル(ストラングラーズ)、シド&ナンシー等。人となりがよく判る好インタビューだった。当時、片っ端からオモロそうなのは何でも聴いてたけど、ストラングラーズ好きだったナー。日本公演の際、客席にナチ・ファッションをしたヤツがいて、それをみつけたジャン・ジャックがいきなり客席に降りてってボコボコにしちゃったというエピソードをきいてシビレたものでした(笑)。先日、友人と話してて、「パンクの定義は?」と尋かれ(スゲー会話だね!)「考える前に手が出るかんじ」と答えたのは、多分この辺に由来する。かなりアホだね、いま2003年。そしてオレは1cmも変わってないし、成長もしてないネー。

当時、日本にもいっぱい面白いバンドが出てきていて、いろいろなGIG(笑)に行ってたけど、その頃、突然段ボールもはじめて見た。最初期メンバーの頃で、栄一さんはドラムらしきものを叩いていた記憶がある。親しく交流するようになったのは、それから更に10年くらいたってから。たしか「好きだよ」というアルバムが出た前後だったと思うが、ライブを見てオレはぶったまげたのである。新しかった!のだ!オレには懐かしのバンドを愛好する趣味はなく、どんどん自らを更新していく段ボールのファンになってしまった。そして企画ライブに誘ったりして、おつきあいが始まっていったのだ。

先週はそんな栄一さんに会いに2日間、埼玉の深谷に行った。いちおうしばらくのお別れになるからだ。通夜はがんがん段ボールの曲がかかっててまるでライブだった。死んでるのにライブだよ(笑)!葬儀場でものせてしまう段ボールってスゲー!なと改めて思った。「死んでるのに死んでネー」って感じ。葬儀場のおねーさんが暗ーく進行(当たり前!)を進めてる間じゅう、栄一さんのツッコむ声が副音声みたくずーっと聞こえてて(オレの頭ん中よ!)不謹慎だけどオモロかった。よく、人は死んでもその精神は、って言うけど栄一さんはホントそんな感じの人だ、と思ったな。たぶんこれからもオレは栄一さんの副音声を聞きながら暮らしていくだろうし、あの時集まってた人たちもきっとそうだろうと思う。これまた不謹慎な話だけど、ぜんぜん悲しくならかったのもスゴイ。オレは栄一さん大好きだけど、不思議とそんな気持ちにはならなかったのだ。やっぱ「死んだけど死んでネー」のだ。たぶんこれからの突段は、栄一さんの不在という事によってさらに更新、進化するだろうな。なんともスゲー事だ。

いやー失礼なことばかり書いたけど、マリコさん(奥さんね。ジャンヌ・ダルクと女学生をミックスしたようなカワイコちゃん!)の言ってた「私のみならず人類にとっても大きな損失」には諸手を挙げて賛成だ。それがワカンネーやつは本物のアホだね。栄一さんは、パンクでアートで同時に思想だ。冥福は祈るけど、これで終わったとは思ってねーよ。

帰りの車中で広げた本は「林芙美子傑作集」、隣でアオウが広げた本は「林芙美子随筆選」だった。偶然のリンク。

 

他に読んだのは『壊色』(町田康・ハルキ文庫)先週よんだのはつまんなかったが、これはスゴク良かった。特に「唱歌注解」は爆笑もん。いっぺん読んでみ。『バカの壁』(養老孟司・新潮新書)

はベストセラー。でも内容はいつもと大差なし。まあ軽く読めた。ただし、犯罪者の脳のデータをとってもよいという合意を社会的に形成すべきではないか、という発言は見逃せない。ホー、そうですか。

こりゃまたぜんぶひっくり返しちゃうようなバカなこと言ったもんだねー。人間とか社会とか、もうちっとマジメに考えた方がいいんでねーかな、学者さん。「宮崎勤と同じような脳を持った人間を、あえていえば、見張ることもできる」らしいよ。スゲーねー。終わってるよ、こいつ。『雪の死神』(ブリジット・オベール・ハヤカワ文庫)アオウにやった本だけど取り返して読み始めた。チョー面白い。テロにまきこまれて全身麻痺になった女主人公が、猟奇殺人犯に狙われる、という話だよー。オベールはいいね。サービスがよいだけのエンタテインメントに堕さぬ、奇想天外な結末を期待するね。

★9月29日(月)更新★★★★★★★★★★

『モーリス・ブランショ』を読む。訳者は内田樹であり著者はエマニュエル・レヴィナスである。この三者が一冊の本で出会うというのはゴージャスであるねと思うでしょ? 西荻の古本屋で購入したのだった。それは今年の夏にしては暑い日だった。…今年の夏はブランショについての本を読むにはうってつけの夏だった。“あらかじめ喪われた夏”。そう、ブランショの世界の中ではあらゆるモノが喪われている。なかでも特に喪失を感じさせるのは、ヨロコビ&カナシミである。しかしソレだけでいいのか? 学生の頃、酒を呑んで熱く文学を語るフリをして女のココロを捉え、池袋西側のホテル街に三千円(当時のレート)でしけこむことを全生活のヨロコビの焦点として生きていた者たちが居た。もう一方で、書物の空間=白黒まだらのインクの染みに視線をさまよわすことで文学を理解したフリをし、他人と語らうことなど初手から放棄している人間も居た。この人間たちはヨロコビもカナシミもこの世に存在していないことにして、名曲喫茶の片隅に座りつづけるのだった…思えば前者たちはブランショなど読んでいなかった。

 レヴィナスにとってブランショとはどのような著述家だったのか?…いうまでもなく後者の視点だけで読むことはかなわないであろう。後者は往々にしてブランショを物神化することに終始してしまう。(要するにオタクである。)先述したように、“あらかじめ喪われていること”を逆手にとって著述しつづけ、“顔をもたない作家”という立場をつらぬく以上、物神化こそ最も避けねばならん事態だ。ハイデガーも“実存主義”も、いきつく先は“真正なるもの”の物神化でござった。レヴィナスもブランショも、両者ともにハイデガーこそ「敵」であった。レヴィナスはユダヤ人である。しかしブランショは“このうえなくフランス的知性の体現者として知られた人”である。この二人が志を同じくする者として著述する以上、“喪われて”おり、“物神化”をまぬがれており、“真正なるもの”をも徹底して回避することが、ある〈共通項〉として浮かび上がるであろう。…そして内田樹氏。以前とりあげた『期間限定の思想』の著者にしてこの『モーリス・ブランショ』の訳者。彼もまた、この三点を共有する人間と思われる。内田氏の著作の、洒脱にして辛口にして軽妙にして、しかし凡百の“日常生活から出発する哲学”でお茶を濁す優しいフリをするのだけが取り柄のおじさんとは一線を画す〈喪われた者〉の視座。ブランショ=レヴィナス=ウチダ。一九九二年刊のこの訳書に籠められた、「本当に大切なものなど無い・でもある・しかし“コレだけはどうしてもゆずれない!”などと強弁できる対象があるかのようにもっともらしく振る舞うのは最大の愚行だ」…そうした認識。

 それから先は、「倫理」の問題、「友愛」の問題だ。助け合わねば・扶け合わねば=しかし、それは終わりのないスレ違いのなかで…

 しかし、ソレはこの本の語る範囲の外なので、またきっと別の機会に。

★9月22日(月)更新★★★★★★★★★★

『パジャマを着た神様』(ルイ・カストロ 国安真奈訳、音楽の友社)。これは、『ボサノヴァの歴史』の続編でごわす。ブラジルの音楽家たちの栄枯盛衰が脈々と語られておるのです。果たして、現在のブラジルでボサノヴァにまつわる音楽がどのような世評のもとにあるのか、おそらく日本に較べてその比重はかなり低いのではないか。で、著者はその再評価を訴えかけているように思える。前著はじつに綿密かつ実証的にボサノヴァの誕生から栄華の時を経てムーヴメントとして鎮静化していくまでをこれでもかと辿りつくしていたが、この続編ではさらに一歩を踏み込み、悲愴なほどにその歴史的意味づけを問うている。

 トム・ジョビンに始まりジョアン・ジルベルトに終わる構成だが、その二大巨頭のエピソードの狭間に展開するボサ・ピープルの生涯は、じっさい相当な悲哀にみちている。あるイミでこの本は、ブラジルのポップミュージックの基層に横たわる忘れられた種々相に捧げられたレクイエムではないかと、わしとしては苦渋に溢れた読後感を禁じ得なかった。唯一の救いは、やはり“伊達男”ジョアン・ジルベルトの奇人ぶり=絶対音感魔人にして、根性や闘志とは完全に無縁な唯我独尊ぶりの描写でござんした。タイトルの『パジャマを着た神様』とは言うまでもなく、色男ジョアンその人のことである。それにしても、よくぞ、パジャマを脱ぎ、ホテルの部屋を出て極東までやって来てくれたものだ。

 語られ尽くされ、いまさら陳腐かもしれないが、ブラジリアン・ミュージックの2つのカギ、“トリステーザ(哀しみ)”と“サウダージ(喪われたものへの郷愁)”が投げかける陰影のサマが、このように本書の中ではあらわれているのやも知れんのう…と、いま風呂につかりながらフト思いましたぞな。なにしろボサ女シンガーはほとんど三十代・四十代で死んじゃうんだもん。

★9月15日(月)更新★★★★★★★★★★

『〈パリ写真)の世紀』(今橋映子 白水社)を読んでいて、ベンヤミンの『パサージュ論』が岩波文庫で刊行されているのを見てどうしても買っておかねばならぬ気になり、3冊同時に購入した。(いつ読むんだろうか)後先考えないで本を買う快感に浸りたかったばかりではなくて、『パリ写真』で重要な役割を果たす女性写真家とベンヤミンがとっても仲良くて、パリのパサージュ撮影をベンちゃんがその女に依頼していた、という記述を読んだためなのでもある。その女は凄くて、十代で2度中絶したうえレズビアンで、ソ連で銃殺されかけてパリにやってきたという流れ者なのだった。1920年代のパリには女性写真家がすでにたくさん生息していたそうな。ショーバイとしてのフォトグラファーにオンナが多かった、というのは、未開拓の領域だった当時、男も女もなかったんでしょうね。カメラさえあれば、女でも参入は容易だったと。しかも、前述のベンちゃんの友達は街路に出て、ホームレスや路上生活者を撮るに至る。女が一人街をうろついてカメラのシャッターを切っているという図は今でこそありきたりだが、さすがに20年代パリでは珍奇なふるまいだったろう。

で、『パサージュ論』なんだけど、やっぱり大都市の裏路地彷徨って、都市生活のダイゴ味がいちばん端的に露呈するいとなみだと思えて、でもそうしたときに彷徨する場がパリなのってどうかな?だってあのパリでしょ花の。おフランスでフラヌールっつってもランボー&ヴェルレーヌの所詮ダメダメ芸術家気取りがオチじゃないの?…と思ってたんだけど、こんど『『〈パリ写真)の世紀』を読んで、パリは花とロマンチストの夢うつつではなくて、ひょっとしたら江戸川や荒川のあたりを尾羽うちからして歩きまわる人々の風景と相通じるカナシミのヨロコビを共有するシーンもあったのかもしれんです。よし、ベンちゃんもろともこの秋はパリへの仮想旅行を敢行にゃっ。

★9月8日(月)更新★★★★★★★★★★

4月に買った『帝国』(A.ネグリ,M.ハート 以文社)をやっと読み終えた。「えっまだ読んでたのアホー」そうなんです。入浴タイムが夏になると短くなるでしょ? でもってね、このテの分厚い本(500ページくらいの)は外出時に携えていけないから風呂で読んでるものだから、一日2ページなんてことが続いてしまって…まあ、この本についてわしが抱いた感想について知りたい向きは、このコーナーのバックナンバー(6〜7月くらいかしらね)を見てみて頂戴。次なるバスタイムブックは『〈パリ写真)の世紀』(今橋映子 白水社)この人の本はいつもデカイ。今度のコレもデカイ。約600ページ。まだ読み始めなので、おいおい紹介していきますね。〈パリ写真〉という概念の提起。そしてその実証への踏査というべき一冊のモヨウ。期待できそう。

『レイアウトの法則 アートとアフォーダンス』(佐々木正人 春秋社)。視覚を鍛えようと思って読んだんだけど、あまり鍛わらなかったにゃー。結局“アフォーダンス”というコンセプトは認識論なのかな。テツガクなのよね。ベルクソンの思想のスタンスに最も近いソレね。“すべてが単一の視点からではなく、複数のポイントから同時に眺めうるしかもソレがある時間の経過/継起のうちに…あたかも超低速の露光記録映像のように”レイアウトの勉強には全然ならなかった。佐々木というアフォーダンス理論の紹介者が(アメリカ生まれのセオリーね)写真・舞踏・建築・絵画・書籍版面構成の各分野にそれぞれ自分の研究分野をあてはめていった、というだけの八方美人図鑑におわってしまったな、という印象でした。あっ、そうそう、相撲や障害者リハビリにまでアフォーダンスしちゃってたっけ。いろいろ新味に感じるトコロもあったけど、でも、解釈の手さばき博覧会に終始してたな。まあ、教条的な鑑賞批評に陥らないで視覚の捉え処をコトバにする、という作業には有効なリロンかも知れないわね。

★9月1日(月)更新★★★★★★★★★★

 自転車での日本山岳紀行? まずわしは読まんな。『サイクリング咄』(須山敏夫、未知谷)。これを著者から手渡された4月だったか5月だったか、わしは勤務中であったので、会社近くのドトールコーヒーまで来てもらった。「オレ、さいきん、スヤマさんの文章面白いから本にしようって云われてさあ」。例によってはにかみながら、ちょっと口元をゆがませて。要するに《人から若く見られがちなこんなオレ》というのが真意なのだ。バッカじゃねーの。わしはいつものように、苦笑いを浮かべながらも、その《若さぶり》を装った態度に薄ら軽蔑の念を覚えながらも「印税とか出んの」「ああ、ちょっとだけな」「あっそ」部数は1500とかいうことで、まあいただいておきながら全然読まなかったんだけど、そのうち「週刊読書人」に書評が出たりしたんで未知谷社長のサシガネでちったあ売れたりすんのかなと思ってたりしたところへ、わしの勤め先へTELが。

「須山敏夫さんが自転車で走行中に道で転倒されて。どなたかお知り合いの方に来ていただかないと」そうすか仕事忙しいんスけどねえ。飯田橋のケーサツ病院まで行ってみると奴は狂っていた。「看ゴ婦さん39才?ねえそうでしょ?」とかいってナースの手を握っている。バカかこいつは。「あたしそんな歳じゃないですよーキャー」ナースも大変だ。しかしオヤジはわしのことなどもう認識できず、なぜか眉のあたりが隆起していて殆ど鬼のようなブキミなギョーソーになっている。こりぁヤバイな。聞けば頭の骨折れてて即刻入院。あちゃー。入院の手続きして戻ると今度は「すみませんコーソク衣をつけていいですか」「ああいいですよ」その数分後、医師が走ってきて「すぐ手術です命にかかわる状況です」…でこの須山敏夫は一冊の著書を世に残していながら自転車事故で死んでしまうことになるのだが、果たして何部くらい売れたんだろうか。『サイクリング咄』。まあ著者の霊を弔うためにも、読んでみてもいいかも知れない。…そう、年齢と抗うことが自分の生きるイミと同義だった須山敏夫のアホさ加減をすこしぐらいは判ってやるためだけにも。というわけで今回は“読んでない本の著者に関するレポート”にすぎないのでした。

教訓:酒で女房泣かすか

   女で泣かすか

   スポーツで泣かすか(コレ最もアホ)

 死んでしまえば似たようなもんよ。本を書こうが書くまいが。合掌。そして、年相応ってやっぱりあるのかなって思うよ、思わないバカのままでいるならソレでもいいけど責任とれよなコンチクショー。

 享年69歳、2003年8月28日午前12時22分没。