BOOK BOOK こんにちは  2003.3月

我々はもしかして東京でいちばん読書量の多いバンドなのでは?

このコーナーは、3人の精鋭が日々読んだ本の感想を書いていくものです。

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       アオウ        コマツ       スヤマ

★3月31日(月)更新★★★★★★★★★★

 ちびちびと本の整理を行っている。本棚は常に前後2列詰め、すき間というすき間に本がささっている状態。でも、著者ごととかジャンルごとに分かれていれば、意外と何がどこにあるかはわかるものなんだよねー。なんて、ときどきダブり買いをやらかしますが…これはミステリとマンガに多い。マンガは極力持ってない巻数を手帳にメモっている。しかし、おもむろに古本屋のマンガ棚の前で手帳を取り出すってのも、ちょっと恥ずかしいものだ。

『さすらいの孤児ラスムス』(リンドグレーン・岩波少年文庫)そういえば、映画になってるらしいね。「ロッタちゃん」もそうだったけど、なんか「ガーリー」好みなとっても可愛らしい雰囲気の作品になってそうで興味をひかない。リンドグレーンったら、イキの良さがキモでしょ!

以下のマンガはすべてW氏よりのレンタル品。いや、マンガばっかじゃなくて本も借りてるんだけどね、時間がないのよ。ああ…言っちゃった。禁句でしたね。今週、風呂では『よくわかる税金の話』を読んでました。

『クール・ガイ』全3巻(片岡吉乃・マーガレットコミックス)なんちゅうタイトル!…と思ったが、最近の少女マンガのイイ男像(クールだけど自分にはやさしい)をはるかに凌駕する、本気で冷たい男キャラがよかった。これはもしかして、ハンパなクール男市場への挑戦状か!?

『女の問題提起 SEX編』(講談社)セックスレス、ホスト依存症、セクハラ、レイプ、性風俗…などをテーマにしたマンガアンソロジー。テーマは濃いけど、おもしろくなかったのは単にマンガ家のせいか。

『オッパイをとったカレシ』(芹沢由紀子・KCデザート)女に生まれたけど、心は完全に男…という性同一性障害の主人公を描いた作品。ホルモン注射で声を太くし、オッパイをとる。下半身も手術できる…現代ではいろいろな施術が可能だが、最後に立ちはだかるのは(戸籍上での同性との)結婚問題なのだなぁ。迫力あってよかった。絵もスキ。

『セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする』(祥伝社・おかざき真理)意外や文芸な感じのマンガでした。何かに似てるなあ、と思ったら、10年前くらいまでの吉野朔実ってこんな感じだったかなと思い当たる。著者は今は亡き『ぶーけ』に描いてたらしいし、たぶん好きなのでは? 以下、すべておかざき真理。『BX』(集英社マーガレットコミックス)を読んで、「そうか、吉野は胸のおっきい主人公は絶対描かないけど、そこが一番の違いだな」と思ったりして。『やわらかい殻』(集英社りぼんマスコットコミックスクッキー)恋人に死なれた女の子が、最後に会った時のカレが「ぬがせてあげる」と言ってたワンピースを気続ける話が好き。『シャッターラブ』(集英社マーガレットコミックス)女の子たちが元気よくていい。最後の最後に、クール気取った男キャラが女たちに置き去りにされるシーンが爽快だった。

スヤマ氏の原稿を待ってる間にメシを食い、選ぶともなしに『もう一度、投げたかった 炎のストッパー津田恒美 最後の闘い』(幻冬舎文庫)を読んでいた。2000年のシーズン終了間近、優勝決定を見ずに亡くなったダイエーの藤井投手のことを思い出す。

★3月24日(月)更新★★★★★★★★★★

眠い。ここ何日か、うまく眠れないのです。ズバリ今作曲に没頭しており、夜に曲作りを始めるとあやしく興奮してきて…一人上手に盛り上がっておるのです。

さて、ここのとこ、仕事の都合上児童書をたくさん読み漁っております。

『ブルーイッシュ』(ヴァージニア・ハミルトン あすなろ書房) YAの大御所ヴァージニア・ハミルトンって去年亡くなってたのね。知らなかった。本作は白血病の女の子とクラスメートの友情物語みたいな感じですが、この手の話をくさくなく偽善的でなくユーモアもあり、に仕上げる手腕はさすがだにゃー。

『魔女が丘』(マーカス・セジウィック 理論社)オビによると「英国のスティーブン・キング」というふれこみ。モチーフはなかなかいいのだけど、せまりくる恐怖度はもうひとつ。

『時計はとまらない』(フィリップ・プルマン 偕成社)トラウマになりそうな恐ろしげな映像を思い浮かべさせてくれる! すでに絶命してる王様が、ゼンマイ仕掛けの右腕をふりふり馬に鞭を当ててそりを走らせ、城に突っ込んでくるシーンが最高!

『鏡 ゴースト・ストーリーズ』(アンソロジー 偕成社)角野栄子、スーザン・クーパー、マーガレット・マーヒーらが参加。あんまりゾクッとさせる話がなかったな。マーヒーのが良かった。これまでマーヒーってあまりピンと来てなかったんだけど、ほっぽらかしになってる長編もそろそろ読んでみようかな。

『ナタリーはひみつの作家』(アンドリュー・クレメンツ 講談社)子どもたちが正体を隠して、出版社に小説を売り込む話。小説を書いた主人公のナタリーより、とにかくエージェントをかって出る親友のキャラが痛快。電話秘書サービスを使ってエージェントを装ったり、マジでビジネス勝負してるかけひきが痛快。この著者の本は前に『合い言葉はフリンドル』を読んだけど、これも目からウロコが落ちた作品だった。ちょっとヒネた少年が、「ペンはなんでペンっていうんだろう? フリンドルって呼んでもいいじゃないか」と考え、それをいろんなへ理屈を駆使して貫き通してしまう話。

『2099 終末の日』(ジョン・ピール 偕成社)全6巻になるらしい。すべてがコンピュータに管理された近未来、ハッカーに攻撃されるとどうなるか…というストーリー。意外とひきこまれて読んだ。

『ハッピー・ボーイ』(ジェリー・スピネッリ 理論社)このタイトル、スピネッリらしくないなあと思ったら、原題は『LOSER』でした。スピネッリは変わった子、グズ、はずれ者を、妙に美化するのでない描き方がいいんだもの。「アホだけど人を憎むことを知らない」的なキャラクターは書かない人なんだもの。この邦題はちょっとないよなあ。ま、昨年か一昨年に出版された『スター・ガール』がなぜかバカ売れしたからこういうタイトルになったんだろー。スピネッリのおすすめ作は、ハト撃ち大会の盛んな町で隠れてハトを愛玩してるへにょへにょBOYが主人公の『ひねり屋』。そして男のくせにチアガール部に入ってしまうへにょへにょBOYが主人公の『ヒーローなんかぶっとばせ』

『ガールズ イン ラブ』『ガールズ アンダー プレッシャー』(ジャクリーン・ウィルソン 理論社)ローティーンの女の子3人を主人公にした物語。テンポよし。友だちに彼氏ができたのに触発されて、つい自分にも彼氏ができたと作り話しちゃうような浅はかさがリアルでいいね〜。

『アタックNo1』(浦野千賀子)文庫版の5・6・7巻(これにて完結)が出たのでさっそく購入。努くんって、原作ではこんなふうに死んでたっけか…ふむふむ。ちなみに、バレーそっちのけでしょっちゅう人間関係でもめてる『アタックNo1』ですが、意外や試合シーンは構図にかなり工夫をこらしていることに初めて気づいた。

な、なんとアキ・カウリスマキの作品解説、インタビュー、批評などを集めた本が出ていたよ! その名も『アキ・カウリスマキ』(エスクァイア マガジン ジャパン)アキ・カウリスマキは、まちがいなく5指に入る私が好きな映画監督。「ああ、『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』の人ね」と流さないでよねー。ん、しかし何が一番メジャーなんだろ?『コントラクト・キラー』?『ラヴィ・ド・ボエーム』? 当HPで以前に書いてた映画についてのコラムで『マッチ工場の少女』のことを書いたことがありますが…アキといえば、ともかくもあの沈黙!あの気まずく耐え難い沈黙をもっとくれ! この本に寄稿しているライターがプロフィールに「タマちゃんのお膝元横浜在住」などと書いてるのを見て、「ぺっぺっ、くだらねえこと書いて本を汚しやがって」と腹たった。ンな枕詞で語られた日にゃあ…私が横浜だったら泣くね! 漂着物で土地を語るなって。

 仕事の資料で一葉に関する文献をいっぱい流し読みした。新潮文学アルバムの『樋口一葉』『病の人間史』(立川昭二・文春文庫)『樋口一葉に聞く』(井上ひさし こまつ座・文春文庫)『物語女流文壇史』(巌谷大四)『栄光なき天才たち』(1巻・集英社文庫)などなど。『たけくらべ』を読み始める前に、やっぱりマイ・ファースト・たけくらべ体験の書である『ガラスの仮面』…マヤと亜弓さんがそれぞれ美登利を演じるトコを読まなくっちゃあ、と『ガラスの仮面』(白泉社文庫2・3巻)を買ってくる。おもしろいわー。

 しかし、24歳で夭折した一葉について、死後も「処女か非処女か論争」がくり広げられているのが面白い。和田芳恵が「一葉は半井桃水と肉体関係があった」と言い出したら、久保田万太郎が激怒してその場に居た編集者たちに、「もう和田芳恵にはどんな原稿も頼むな」と言ったとか(笑)。

★3月17日(月)更新★★★★★★★★★★

『血の味』(沢木耕太郎・新潮文庫)「中学3年の冬、父を殺した」という帯の文句が無視できず購入。でも、ひきこまれなかったなー。著者初の長編小説だそう。

『十二歳たちの伝説』(後藤竜二・新日本出版社)タイトルがちょっと大仰なのが気になるけど、イヤミない内容だった。続編が出てたはず。

『ゲキトツ!』(川島誠・BL出版)この著者にしてはもうひとつスピード感なかったけど…でもおもしろく読めた。男の子の一人称を書かせたら、右に出るものはいない!かも?

 今週ははりきってW氏BOXのマンガを読みました。おそろしいことに、読んでも読んでもさっぱり減らない。魔法の箱か!?

目からウロコだったのが『光とともに… 〜自閉症児を抱えて』1〜3巻(戸部けいこ・秋田書店)。また、いやーなマンガ買ってんなあ、と思ったのだが、コレすごい名作かも。自閉症の子どもを持つお母さんが主人公なのだけど、苦労話&お涙頂戴な印象はみじんもなく、すごく良くできた「自閉症を理解するためのテキスト」! 言葉をしゃべらない、呼んでも返事しない、コミュニケーションできない…といった自閉症の症状は、生まれつきの脳機能の障害によることすらあまり認知されていないため、世間から「育て方が悪いせい」という目で見られることが多いという自閉症。かくいう私も、この病気についてあまりにも無知であったと反省。自閉症についてもっといろいろ知りたくなりましたよ。

『プリマでいこう!』『プリマでいこう!30’s』『プリマでいこう! マダムアラベスク』(以上・さかたのり子・双葉社JourComics)。いずれも、イイ大人がバレエにチャレンジする話。いや〜、まさに今年「大人のバレエ」を始めんと思ってる私にジャストフィットな内容でした。しかしホント、はやってるらしいな、大人のバレエ。

『指輪の約束』全4巻(こやまゆかり・講談社コミックKiss)。こやまゆかりってホントに好きだね、女友達&男友達が集まってはお互いの結婚や恋愛についてしみじみあれこれ語り合うマンガ。いつもストーリーそのものより、その様がおもしろい。この話は、結婚直前までいきながら些細なことで別れたカップルが、お互い別の人と結婚しちまいながらも、結局双方離婚してまたまた元のサヤにおさまるという離れわざを展開してくれる。現実だったら主人公カップルの連れはそう簡単に離婚しちゃあくれないだろうが、そこはマンガですもん。一応モメつつも最後には「オレじゃあ結局おまえを本当に幸せにすることはできないんだ。自分の気持ちに素直になってアイツのところへとびこんでこいよ」なんて言って背中を押してくれるわけです。あー、マンガはおもしろいなー! 同じ作者の『×一(バツイチ)物語』2巻も読んだ。

『木綿の天使たち』全4巻(佐野未央子・集英社マーガレットコミックス) この人の得意技は、社会人・学生・各2カップルの恋の同時中継? 今、コーラスに連載中の『君のいない楽園』とダブるのはココ。この手法って、大人の少女マンガ読みにはとってもヒットするな。自分に近い年齢の大人キャラの恋の進行を楽しみつつ、ひと回り若い学生カップルのういういしい恋も懐かしみつつ読めるわけなんで。佐野未央子侮りがたし!

『ラブ★コン』4巻(中原アヤ・集英社マーガレットコミックス) 仲良しコンビから抜け出せない、デカ女とチビッコ男子の恋は…?ってなこのマンガ、ちょっとマンネリ気味になってきたかなとも思ったが、「大谷は熊カレー…」「大谷は熊カレー…」と繰り返しながらリサ(主人公)がポロポロ涙をこぼすシーンにはけっこうココロ動かされた!意味わかりたい人はぜひマンガ喫茶で読んでくだちゃい!

『恋うま』1〜3巻(長江朋美・小学館プチフラワーコミックス)このタイトル、「恋をするために生まれてきたの」の略だって。ぎゃふん! まず、呆れを爽やかに越えてくれた、この大胆すぎる略しっぷりに10点差し上げたい。な〜んも知らないお嬢様が突然イメクラ店のオーナーになり、若くてやり手の店長とあれやこれや…ハンパな青年マンガよりエッチだなあ。青年マンガにおけるエッチ表現って、設定にバリエが少なすぎると思う今日このごろ。

『明日もきっと恋してる』全4巻(藤井明美・集英社マーガレットコミックス)女子高生と7つ年上リーマンの恋。すごいスピードで読み終わった。だって、何かというと女子高生は不安でべしょべしょ泣いてて、リーマンが温かく包んでやって…の繰り返しなんだもん。疲れる。藤井明美は苦手かなあ。『片恋じゃ終われない』全2巻も、彼氏がいながら新しい気になる男に恋ゴコロを抱き悩める主人公に「最初っから好きでもない男とつきあうから全ていかんのじゃい!」とツッコミっぱなし、共感度ゼロのまま読了。おっと、こんなことに腹を立ててちゃ少女マンガなんて読めないか…。

『デイジーラック』全2巻(海野つなみ・講談社コミックKiss)。30女4人の、それぞれの恋&人生を描くオムニバスストーリー。主婦(子ナシ)、パン職人見習い、エステ会社の企画、フリーのかばん職人…と設定もほどほどリアル。地味ながら、細部まで神経行き渡ってる感じでおもしろく読めた。しかしこのペンネーム、どうなんじゃろー。

『聞かせてよ 愛の言葉を』1巻(津雲むつみ・集英社クイーンズコミックス)あいかわらず濃いです、津雲先生! 第1話で主人公の夫が交通事故死。その車を運転してたダンナの同僚がいそいそ登場…。でも津雲むつみのマンガはこれでもかと障害の嵐が吹き荒れまくるんだもんねーだ。ふふ、先が楽しみ。

日曜…はもう終わってしまった。すでに月曜の午前1時。これから朝までに、必要にかられて8冊の本を読みます。押忍!

★3月10日(月)更新★★★★★★★★★★

 恒例のW氏からのマンガ&本詰め合わせの段ボールが届く。ちょうど私も彼に送ったばかりである。しかし、届いたのは掟破りの「まんだらけ」のさても丈夫な段ボール・・・コレ、普通のみかん箱なんかよりひと回りは大きいんだよねえ。どんだけ詰まっていることやら。すぐに開けたくてうずうずしたが、開けたら最後、読み始めるに決まっている。その前に仕事で読まなきゃいけない本が多かったので、とりあえずガマンした。玉手箱? パンドラの箱?

『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス 岩波少年文庫)子どものころから数えて何度目かの再読だが、何度読んでも新鮮だ。そしてラストシーンの感動も薄れることがない。美しい情景を想起させる緻密な筆力に、今回もまた感服。

『アバラット』(クライヴ・バーカー ソニーマガジンズ)実は、読みかけてしばらく寝かせてましたが、おもしろかった。意外や『不思議な国のアリス』とか『オズの魔法使い』を彷彿とさせるような、異世界観。

『影との戦い ゲド戦記1』(ル=グウィン 岩波書店)むむ、名作の呼び声はダテじゃなく大人の鑑賞に堪えるファンタジー。「魔法」の描かれ方が軽くなくてよい。魔法の危険さ、ぞくっとする恐ろしさがある。

『空色勾玉』(荻原規子 徳間書店)古代ファンタジー。形容詞や名詞などは古語調で美麗にキメ、会話体は気分でマンガっぽくなったり時代がかったり…というライトな振り幅が人気のヒミツなのだろうな。

 週中ごろから、台所に放置してあった段ボール箱を開け、立ち読みするようになる。まず、W氏文庫では定番の結婚を題材にしたアンソロジーマンガ集(なんでやねん!)を読む。前に借りたヤツとだぶってるのもあるような気もするが、この手のマンガはあまり印象に残らないのでとにかく読む。マンガといえど、これほど何も考えないで読めるものも珍しい。ぼんやりしたいけど何か読みたいという時にぴったり。おおにし真のひと昔前の絵柄のダサさ加減が妙に心地よく感じる。

そして「うんちくリズム」のうじたQ氏もお気に入りという『のだめカンタービレ』4巻(二ノ宮知子 講談社コミックKiss)

『校舎の裏で待ってます』(安斉メイ・講談社コミックKiss)。そしてW氏一押しのヤマモトミワコ『彼はあの娘のことが好き』(集英社クッキーコミックス)。このように質のいい短編〜中編マンガがあると、少女マンガもまだまだ安泰だと思えますなっと!

 そして本では一番上にあった『偽善系』(日垣 隆・文藝春秋)を読み始めた。著者は『「買ってはいけない」は嘘である』を書いた人らしい。ともかく怒ってます。少年法やら携帯電話やら郵便局などに。まだ全部読んでないのですが、この人の主張(書き方?)はとてもまっとうなんである。ちょっとまっとうすぎて困ってしまう気がするのは私がひねくれているせいなのか…それともこれを読む前の日に、対象を批判するレトリックとしてはまるで正反対な方法をとっている『アホでマヌケなアメリカ白人』(マイケル・ムーア 柏書房)を読んだせいなのか…。

★3月3日(月)更新★★★★★★★★★★

 先週書き忘れてたのが2冊ほど。『魔法があるなら』(アレックス・シアラー PHP研究所)。これにはやられました。単純にファンタジーの本を漁ってた時…それらしいタイトルだしおもしろそうだと思って買ったのだが。いや、結果的には実におもしろかったんです。逆境に強いシングルマザーが住むところを追い出され、2人の娘を連れて大型デパートに侵入、そこで仮住まいを始める話。閉店まぎわに飛びこんで警備員に見つからないように隠れる。朝は、開店時間前にトイレに隠れてて、お客が入り始めた頃合いを見計らって出ていくわけ。賞味期限切れの食べ物を見つけてきて食べたり、シャワーは従業員用のを使ったり。楽しそう。しかし、最後まで読み終わって気がついた。「あれ?ファンタジーじゃないじゃんよ!」。帯には「冒険がはじまる」的なアオリもあった…が、確かにこれも冒険と言えなくもない。ファンタジーばやり・便乗商法恐るべし!

『同居人』(新津きよみ・角川ホラー文庫)この人のって、いつも途中4分の3くらいまでは抜群におもしろいんだけど、必ず最後がなあ…尻すぼむのよねー。

さて今週は。

『リューンノールの庭』(松本祐子・小峰書店)ファンタジー。うまいトコいってます。著者は英米児童文学の専門家で、小説はこれがデビュー作らしいが、その世界にハマリこんでる人にありがちな「クラシックイギリス風」に溺れておらず、良かった。“魔女”も上手に現実と非現実の間に住まわせてあり、説得力のあるエヴリデイマジックものになっていると思う。

『セカンド・ショット』(川島誠・角川文庫)絶版になってた国土社の短編集の作品がふっか〜つ! 諦観的なムードも、これでもかという残酷さも、すべては勇気を描くために存在している。いい。

『魔女ファミリー』(エレナー・エスティス 瑞雲舎)エレナー・エスティスだもんね、さすがに期待を裏切らない! 主人公が考えた空想の世界が現存し、二つの世界が交錯するさまが見事に構築されている。ちなみに昔学研から『ガラス山の魔女たち』渡辺茂男・訳!)として出版されていた本の新訳復刊。瑞雲舎は元サンリオ社員だった人が作った出版社だそうです。と知ってしまったら、注目しないわけにはいくまいよ。

『ローワンと魔法の地図』(エミリー・ロッダ あすなろ書房)遠まきにしてたタイプのファンタジー本でありますが、けっこうおもしろかった。「こわがらない者は愚かであり、こわがりながらも前進していくのが勇気ある者である」とうメッセージがこめられている。それにしても最近、めぼしいファンタジーの挿絵は佐竹美保ばっかだね。

『創元推理21 2003春号』天藤真の絶筆長編『星と月』一挙掲載…はいいけど、この雑誌、次号からリニューアルだそうです。新タイトルは『ミステリーズ!』だって。どダサイ。内容は、日本人作家を扱うことには変わりないようだが、予告には「ミステリ&エンタテインメントが満載」とある。エンタテインメント。これが曲者だよなあ。エンタテインメント系無しではやっていけないってことなんだろうけどね。

『57577 Go city, go city,city』(桝野浩一・角川文庫)「『ライターになる方法をおしえて』と訊くような子はなれないでしょう」「『言葉にはできない』という言葉ならジョーカーみたいにつかいまくって」「なおせとは言わないまでもその顔は君の歌には似合っていない」「太ってもやせてもたぶん君よりは宮沢りえは百倍美人」などなど。おもしろい。

『タイムクエイク』(カート・ヴォネガット ハヤカワ文庫)タイムクエイク(時間震)が起こって、人々も物もすべて10年前に戻ってしまい、まったくおなじ10年を過ごさねばならないという設定…おもしろそうでしょ? まだ読みかけ。 

 

 

★3月31日(月)更新★★★★★★★★★★

★3月24日(月)更新★★★★★★★★★★

引っ越しのため休載

★3月17日(月)更新★★★★★★★★★★

ヘーイ!みんな元気?オレはマアマアだよ!とワザワザ書く意味のない事を書いたところで始めようと思います(無)。

とりあえず先週の書き忘れから。「週刊プロレス」と「ゴング」両方買っちゃったのだ!両誌ともその週におこなわれた同じ試合を記事にしてるワケだから、普通ならどっちかを買えばイイんだけど、先週ばかりはそういうワケにはいかなかったのだ。ちょっと感動的な写真やコメントが多かったのでねえ〜(感涙)。オレもなんだかどんどんプロレス者になりつつあるなあ・・・。怪しい新興宗教とかにハマっちゃう人とか絶対笑えないよ、いやマジで。

オレがハマりつつあるのはゼロワンという新興宗教で、教祖は「破壊王」橋本真也、そしてあの「暴走王」小川もいるところです。

もう、この団体が最高でオレはスゲー感激しているのだ。夢も希望もあるんだよ、もうビックリしちゃう!たのしくてたのしくてもう月2回くらい通っちゃいそうな勢いです。地方巡業とかついていきたいくらい。ゼロワンのリングアナになりたいな、なんて斬新なこと思いついちゃったりもしましたよー。

 

このままじゃプロレスの事ばかりを書いちゃいそうなので、本のことも少し。黒岩重吾、山田風太郎、島田雅彦、ベルグソン、永井荷風を新たに読みはじめました。島田以外はすっごく面白いのでたぶんツルツルと読んじゃうだろうな。風公はちょっとオシャレっつーか、詩人(?)っぽいとこにカチンときつつ続読中。この人は一体どういう人なの?と思いつつも略歴とか絶対読みたくはないのです。知りたくないことはホントマジで知りたくないのだ。いらないのです。

 

ゼロワンの事はもっともっと知りたいよ!「3,2,1,ゼロ、ワーン!」って掛け声があるんだけど、それって下がってんじゃんかよー(笑)。でもそーゆーとこも好き!ウフ。

★3月10日(月)更新★★★★★★★★★★

先週は眠くて眠くてテキトーにデタラメばかり書き連ねましたが、今週もやはりココロを改めず『言葉と物 人文科学の考古学』(ミシェル・フーコー・新潮社)を読んでます。ぼくちゃんは、過去一度たりとて学問の徒であった事がないので、ややムツカシそうな本を読む時は、類推と妄想のみを武器として戦うしか術がないのですねー。(関西系の漫才ネタであるでしょ、文章の漢字部分をとばしてひらがなだけ読む、ってヤツ。ちょうどそんな感じ!)でも新しく言葉をおぼえるときってそうですよねー。いっぱい文章に当たっているうちに何故か(ホントはべつに何故かじゃないけどさ)読めてくるんですよねー。そのメカニズムがオレは昔からすごく好きなんだけれども。まあ、読みとった内容は間違ってるとしても、オレの、オレだけの為には確実に役に立たせるワケだからそれで良いのです。この本はまだとばぐちに立ったばかりなので読了後、オレ的にオモロいとこがあったらご報告しまーす。あと『作家の顔』(小林秀雄・新潮文庫)も読んでる。なんかこの人、やや見えてきた気がしてんだけど、さすがにそれはまだ早いよねー(笑)。こんな事書くのはホント噴飯ものですよねー。でも読みやすいのでスイスイいきそうだなー、と思ってます。『技巧的生活』(吉行淳之介・新潮文庫)はよく出来ててオモロかったな。単純に楽しめた。銀座のクラブに勤める女の子のストーリーなんだけど、ちょっと思ったのは、キャバクラってクラブのヤング・廉価・カジュアル版なんだな、って事。メンタリティーとしてはまったく同じだね、ハハハ。そんな事当たり前か。オレも、右で書いてるスヤマ氏もキャバクラは未体験。一度は門をくぐってみようか、みまいかなんて実にカワイイ限りであります。これ見てる人でお勤めのかたがいたら、ぜひ誘ってねー。二人して行ってみたりして。しかし、それにしても淳之介は遊びと取材を兼ねててズルイな。やっぱ経費でおとしてたんだろうか?面白いからいいけどさ。

★3月3日(月)更新★★★★★★★★★★

ウーン、今週は超ハードだったので、あんまり読めなかったぞ。じ、じかんがもっと欲しい・・・。だいたいオレは一日がなにか1コマで終わるということのない男なのだが、それにしても今週はムチャクチャだったなー。バンドの練習も遅刻しちゃってラーメン食っただけだったしな。イヤ、この毎日を、見せられるものなら誰かに見せてあげたいもんだ。ヒドイよ(笑)。なので読了したのは『言語表現の秩序』(ミシェル・フーコー・河出書房新書)のみ。これはフーコーがどっかの学校かなんかに就任した時の講演録。中村雄二郎センセイが翻訳し一文をつけている。懐かしいな中村雄二郎!中学生の頃、著者近影を見たらヒゲを生やしてて、この人怪しいなー、大丈夫かなー、と思った憶えがある。イヤ全然大丈夫ですけど(当たり前!)。で、この本は面白かった!会場が学生のみならず老若男女で一杯になる盛況だったそうで、内容も自分は誰々の影響でこのように考えてきて、これからこういうことをしていくつもりである、とわかりやすい。「哲学は、哲学を成就するものにではなく、哲学に先行するもの、自己の不安に未だ目覚めてないもの、にもっと近づかねばならない」 いいよ、フーコー!ロックンロール!彼が哲学者と呼ばれるのを嫌うというのもよくわかる気がする。「言説」にたいしての説明もステキ!「言説は、われわれが事物に加えた一つの侵犯、要するにわれわれがそれらに対しておこなった一つの実践として理解せねばなりません」そうそう、そうなのよ!オレもそう思ってるのよ!・・・なんかあんまりバカみたいなのでミーハーぶるのはやめますが、彼は言説というものが、つねに新しく、それ自身でリングに立つことのできるもの、だと言っておるのではないか?違うか?ゼロワンなのか?フーコー?

他にもいくつか興味を持った箇所があった。フーコーは、「真理への意志」がヤバいと言ってる(たぶん)。これはオレもよく考えている内容(読み違えてなければ)なので、おお風公スルドイ、と思ってしまった。この辺りのことは、彼の言う「ソフィスト時代」を読めばわかるのかなー?この時代は、真の言説と虚偽の言説がはじめて分割された時代だ、とか言ってるし。口はばったいようですが、オレはまさに彼の言う実定性(真なる命題や虚偽の命題を肯定したり否定したりすることのできる対象領域)に生きている(生きようとしている)実感があるので、風公先生、色々と参考になりそうだ。オレも好きでよく使う言葉だけど「僥倖」もどういう意味で使ってるのか気になる。そのうちちゃんと読んでみよっと。みるぞー。

 

あと『週刊プロレス』をはじめて買った。橋本、三冠奪取おめでとう!バンザーイ!!!

 

★3月31日(月)更新★★★★★★★★★★

 いま、高円寺のGoody Goodyにいて、数十日前に購入したルイ・アルチュセールの『未来は長く続く』をしょぼーんと読んでいた。これから近くの「円盤」でボンゴを叩かねばならん。

 小熊英二氏の著作を2千ページ余りにわたって、この数ケ月読んできたワケだが、一人の著作者の書いたものをこれほど濃密に追いかけたのは久しぶりであった。集中力の極度に足りないわしとしては、じつに稀有な事態でござった。日本近代はご都合主義だてで動いていたなーという感が頁を繰るたびにココロに澱のように溜まっていったざあます。テキトーに利用し、不要になったら捨てる。このウルトラ合理主義が〈国体〉の名のもとに正当化されるだけの歴史。ああ遣る瀬ない不甲斐ない。それなのになぜ、わしは日本に居るのかー“メシが旨い”からである。蕎麦が食え、マグロのトロが食え、ユズの切片をあしらったシオカラで酒が呑めるからである。

 さて、大作を読みつづけた反動でなのか、薄い本も読んでおこうと思い、文庫の平積み台の前に立ってみた。しかしいざ読もうとなると、『昭和史 七つの謎』(保坂正康・文春文庫)なんてのをまた買ってしまう。いやーやっぱり、現代史は娯しいよ。「占領下で日本になぜGHQの地下活動はなかったか」なんてタイトルを目次で見るだけで読むわって気になってしまって…。

 そして『未来は長く続く アルチュセール自伝』。妻を殺めてしまう記述から、いきなり始まります。余震免訴で精神病院に強制入院させられ、一切の弁明の手だてを奪われていた著者が、世間に向けて〈私は何なのか〉を訴えるために自伝を書きはじめる。果たしてソレは狂人の独白なのか、戦後の思想を活写するものなのか。う〜んあと3週間はかかるわね。ソレを明らかにするには…。

★3月24日(月)更新★★★★★★★★★★

 いよいよ『〈民主〉と〈愛国〉』は本論を終え、〈総論〉の章をむかえた。吉本隆明&江藤淳のあとは鶴見俊輔と小田実だ。このペアー同士のタッグマッチは云うまでもなく戦後日本の言論界の勢力分布を端的にあらわして余りある。で、小熊氏は前者を〈変な人たち〉、後者を〈変だけど大丈夫〉に分別していませんでしょうか。たぶんソレで妥当なのでしょう。でも、〈変な人〉の2人…ヨシモトさんとエトウさんの章が面白くて引き込まれるのですよ。やっぱり。

 ツルミ氏/オダ氏のように、ある意味マットウな市民活動の帰結イコール憲法9条を、“国家”解体へのよりどころとする姿勢は「正しい」。それでいいと思う。ただ読んで刺激的なのはどうしても矛盾と自己撞着に充ちたヨシモト/エトウ系列のディスクールなのよね。ツルミ/オダ組のスタイルはたぶん〈民主〉と〈愛国〉というパースペクティヴにおいては正論だし、その2項をも越えていく可能性(寛容さ、アイロニー、余裕)ももちえていると思う。

 ただ、わしの中には未だ、〈国家〉・〈民族〉・〈固有性〉をのり越えられないワダカマリがどうしても残る。分かってる。オダ/ツルミ系列が安易なインターナショナリズムではないことは。でも、2003年の現在に至ってもなお、イスラムとアメリカン・パックス・ロマーナの帝国路線はいぜん結着をみていないのだ。わしらはどうすればいいのか。もちろん、とりあえず酒を呑み本を読み風呂に入るしかない。もうすこし待ってくれ、そして永遠に待ちつづけてくれ。

 次回は小熊氏の“日本近代三部作”のわしなりのガイカンを示そうと思います。

★3月17日(月)更新★★★★★★★★★★

藤圭子の「私は京都へ帰ります」を聴きながら風呂に入り、湯船に浸って『〈民主〉と〈愛国〉』を読む土曜日のわし。午後2時。すでに六〇年安保闘争はその風雲のあとかたもなく、戦後日本は大衆文化社会とプチブル市民層の増大のさ中にて御座候。そして吉本隆明氏が時代のヒーローとして大活躍。闘争中は「オレは戦争で死ねなかった。死を賭けて行動してこそ思想は自立できる。オレは国会に突入して死ぬぜぃ」と雄躍、樺美智子の死直後の国会構内に突入し弁舌をふるうものの、警官の棍棒に頭を割られることなく生還してしまう。「やっぱりオレは死ねないんだ。仕方ねえオレは家族といっしょにシブトく生きていくぜ」ということになり候。「知識人とかベ平連とか共産党とかチャンチャラおかしーぜ。オレには愛するチャンカーとムスメが居る。ソレでオレは国家と組織に抵抗する。〈対幻想〉こそ男のロマンよ。よーし『共同幻想論』書いちゃうぜえ」ヨシモトさんの政治的スタンスで気になるのは、大トーア戦争における日本の対アジア戦争責任についての議論をうっちゃってしまうところである。「論点をすりかえるんじゃねぇよ。戦争責任を感ずるくらいならわが死者を想え」などと仰言る。いやー両方とも想うべきなんじゃないのーと、わしなんかは考えるのだけれども。

ところで、わしの祖父はシベリヤ抑留中に何人もの死を見送ったんだろうけど歯が全部抜けて復員してからも三味線の皮張りをやって頑固に生きておった。ヨシモトさんなら賞賛するであろうその祖父の戦後生活 …彼はどんな思いでデモに参加していく2人の娘を見ておったのだろうか。自宅を開放してデモ隊の炊き出し場に供しておったそうだから、反安保の立場ではあったんだろうねえ。

 目下690ページを読進中。全共闘世代へのコメントをはさんで、今度は少し遡行して江藤淳にとっての戦後を考察しております。この人の青年期は愛の欠如と結核と家庭崩壊のみで塗り込められていたのね。「漱石は日本と西洋近代の隔絶の矛盾に悩んでなんかいたのではない。ただ己の抱えこんでいる〈何かぷよぷよとした不安〉に対座していただけだ。それをのり越え、平凡な一般の生活人に通用する、日常生活の倫理を描いたのだ。“伝統的”な私小説家などは、この〈不安〉に屈して、“自然”への回帰を口実としただけのナマケモノじゃ」と喝破した22歳の江藤淳。ああ、『道草』をもういちど読まねばいかんなあ。エトウさんも最低の青年期をのり越えるべく、大江健三郎と安保を共闘した時代があったのだ。

そしてベトナム戦争は、多くの日本人に「十数年前の恐怖」をマザマザと思い出させながらドロ沼化していくのだ。しかし「戦争を知らない子供たち」がやがて台頭し、「戦後民主主義なんて唯のあま〜いキレイゴトさ。ボクちゃんたちにはボクちゃんたちの、カウンターカルチャーがあるんだもんにー」彼らの世代はいかんせん人口が多すぎた。だから大学へ入ってもマスプロ講義ばっかりでヤル気失せちゃった。就職しても競争率高くて学士サマでも大したシゴトにつけない。“あーもーやってらんねーぜー”で学校占領して大暴れ。全くどっちが甘いんでしょうねえ。ようするに全共闘運動は「あぶれたエリート坊っちゃんのダダこね」ということでソーカツできてOKみたいなのだった。この世代が、今、50代になってリストラされて酔っ払って駅員を殴ったりしている。みなさん注意して街を歩きましょうね。

3月10日(月)更新★★★★★★★★★★

西荻窪の蕎麦屋“つる家”にて

 校了はいい。校了して、こんど出る本は『20世紀フランス思想を読む』という本だ。三年くらいかかった(いやもっと)。そうしたら印刷所から…いや、やめておこう。ちいせえことは気にしない。大丈夫全然。だって左ページのノンブルが1.5mmだけズレてるんですよどうしましょ…って、そんな事たいした問題じゃないじゃないですか。ああ。少なくとも、わしは気にしません。良い本ですよ。文字が多くて目がチカチカしちゃうくらい。15人のフランスの思想家が扱われて(分析されて)るんだけど、最后まで原稿があがらず、“もうこの企画はダメなんじゃないか”とあせった〈モーリス・ブランショ〉と〈ジョルジュ・バタイユ〉の項が、フシギにいちばん面白いんだよね。「書けないんだよスヤマさん、どうしよう」とTELで悲しげに叫んでいた著者のWさんの声はそれほど痛切ではなかった。わしはじっと待った。待った甲斐があった。言うコトなし。

 さて『〈民主〉と〈愛国〉』はどうなったか?すでに60年代安保において「全学連が発した失敗」宣言の辛酸とともに反対運動は終息した。でもハッキリ言って凄かったんだねー。街中どこへ行ってもデモばかりしてたってんだから。わしもデモしたいなードンチャカドンチャカ。ああーもうタイムリミットだー。これから無善寺でライヴだよー。もっといろいろ書きたいんだけど。次回にまわします。

 付言しよう。さっきのWさんのことだけど、「愛してない対象(不得手な分野)」についてのほうが、もしかして面白いものが書けるのかも。書くのに難渋するんだろうけれど。愛がないとうまくいくのね。

★3月3日(月)更新★★★★★★★★★★

 今週は来る日も来る日も、ゲラばかりに目を通しておって、本を読むことが殆んど ムリに近かった。そのような時がつづくと逆に本をココロが求める。本を購うことによって、読めぬもどかしさを補償しようとするのでもあろうか…というわけでルイ・アルチュセール『未来は長く続く』(河出書房新社)を買う。ついでに『バガボンド』16巻も買う。

アルチュセールのほうは、わしの担当してる雑誌で、とある方に書評をお願いしたこともあり、依頼元が当の本を全く読んでないのもイカンかなと肝が痛んだので4300円もしたのだけれど敢えて入手したような次第である。この一冊をもってしてアルチュセールの思想理解の一助としてはならぬ…この書は飽くまでも自伝であり、その焦点となるのは“いかに私は妻を殺害するに至ったか”を自ら検証するために書かれた…彼の思想…哲学とイデオロギーと政治(実践)の三位一体からなる一種の「非一哲学」…その原語体系と彼の自伝とをひとつながりのものとして読むことは禁ぜられなければならない…というのが、この『未来は長く続く』を繙くまえに留意しておかねばならぬことのようだ。

だが別の評者によると、この書は戦後フランスの思想家に共通する傾向を端的に分析した“症例報告”としても読める、フーコーもバルトも、さらに遡ればサルトル、メルロ=ポンティなどにも共通する幾つかの〈原型(アーキタイプ)〉…それは「自滅への意志」であり、「母への愛情」であるというのだ。さあ大変だ。コレは読んでおかねばならんではないか。こちらの“三位一体”の確認も決しておざなりにするべきでないと思える。明日はいよいよ校了日だ。ライヴも無事済んだし、お酒も控えて本を読もう。

もちろん、お風呂場での読書は欠かしてませんよ。『〈民主〉と〈愛国〉』は現在430ページ、「竹内好」の章を疾走中。「戦後教育と「民族」の章を読んでいて、「なぜ日本は軍事的に解体された後も、学校では軍隊教練みたいな授業(とくに体育!そして“朝礼”!)がつづけられていたのか、が分かりましたよ。戦前・戦中に代表的な教育学者として“国民精神”の教育/“大東亜新秩序建設”の土台たるべき教育を提唱していた方々は、戦後にそのまま生き残って「民族の(アメリカに対する)自尊心」を教育の主眼としておったのです。ちょっと引用します:「教育者は生徒の模範であらねばならないという意識も、彼らを当時の規範に従わせる要因となった。そのため教育学者は、歴史学や哲学といった他の学問分野にくらべ、戦争協力に巻きこまれる度合いが高かったようである」(p.384)

成程。「キヲツケ〜マエヘナラエ〜ゼンタイススメ〜」っていう号令。あれはまさに、ナショナリズムそのものだったのよね。(…まだいまだにやってんのかしら…?!)政治家が戦前の顔ぶれと変わらなかった以上に、キョウイク界も変わらなかったということでした。