BOOK BOOK こんにちは  2004.2月

 

このコーナーは、3人の精鋭が日々読んだ本の感想を書いていくものです。

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       アオウ        コマツ       スヤマ

★2月23日(月)更新★★★★★★★★★

今週はほとんど本を読めなかったです。100号記念ライブの準備がいろいろありまして。

 先日そのようなことをコラムに書きましたが、読みかけの本を手にするも、3ページほど読んで寝っこけそうになり、いやいやもうちょっと読むぞと二宮金次郎ばりにガッツ入れるもむなしく新たに3行ほど読んだくらいで眠りに落ちたりしていました。…と、そこまでしなくてもっていうくらいがんばって読みかけているのが『赤い雪 統括・連合赤軍事件』(角間隆 新風舎文庫)。(※さっきから「新風舎文庫」と変換しかけるとフリーズ→再起動というのが2度も続いたので1文字ずつ慎重に変換してみました)先週も連赤ものを読んだばかりだったのでこの新刊文庫を買ってさっそく読み始めたところ。小説ふうに書いてあるのだが、事件周辺のいろいろな登場人物にていねいにスポットを当てて書いてる感じがいい。

開業したばっかの新風舎の文庫レーベル、絶版本を掘り起こしてがんばっておりますが、このほかにも「日本を震撼させた凶悪事件シリーズ」と銘打って『トリカブト事件』『ドキュメント帝銀事件』が同時刊行。私の大好きな帝銀事件! そして去年一冊この事件本を読んでたので、ほかにも類書を読みたいと思ってた「トリカブト事件」!たまらんです。

前にも書いたことがありますが草思社のPR誌「草思」にはホントに感心してしまう。昨年11月号の特集「たばこをいっぷく」には、この嫌煙運動の嵐吹きまくる中での心意気を感じたし、3月号の「図書館を考える」も非常に良かった。他の出版社のPR誌は、最近とみに遊び心が少なく思える。とっても無難なエッセイ。その回だけ読んでもわけわからない長編小説(が多いのは、PR誌としてどうなんだろ?)。作家にとっては連載まとまって本を出すというステップではあるだろうが、まるで「文芸誌の2軍」っておもむきが強い。マガジンハウスの「ウフ」は、いかにも女性向きにこじゃれたイメージ写真を配した表紙が毎度気色悪くて困るけれど、なかなかいい連載がある。青池保子が「エロイカ」製作秘話を連載してるのに驚かされた。ナイス企画。ところで確か1月号…巻頭の林真理子のエッセイで、昔の学生が教科書やなんかをしばっていたアレのことを、「ブックエンド」と何度も間違ったまま書いてあったのには驚いた。ブックベルト(もしくはブックバンド)でしょ! だれも気がつかないもんだねー、編集の人とか校正者の人とか?

★2月16日(月)更新★★★★★★★★★

『連合赤軍少年A』(加藤倫教 新潮社)あさま山荘事件の際、かの山荘に籠城していたのだが、当時未成年だったため名前が伏せられた倫教氏…「著者=本人」だと思ってなかったので、読み始めて驚いた。(ちなみに倫教氏は当時19歳、あと16歳の弟もいっしょであった。彼らの兄は総括を求められて死んでおります。連赤三兄弟だったわけね)。しかし、この著者のムジャキな告白を読み進めるにつけ、連赤はあのような事件を起こしたから歴史にのこって伝説化しちまってるものの、中味がいかにスカスカだったかが、いちだんとよくわかる。著者は、高校時代、学校教師である厳格な父親への反発からなんとなく「反体制気分」になってしまい、楽しく学生運動家ごっこをしていた罪のない男の子でしかなかった。それこそヘルメットの色を何色にするかが一番重大、という程度の「ごっこ」だったのに…うっかりそんな「ごっこ」に興じていたために兄貴およびその友達にマジにオルグされてしまうのだ。高校卒業後、軽くおたずね者になり軽くパクられてからはすっかり分相応にビビりあがり、一度は運動から身をひく。が、昔の仲間から呼び出されて「モタモタしてちゃいかん」とあおられると、あっさりと現場復帰を果たすのだ。まんま、組織から抜けられないヤクザの下っ端風です。で、いつも下っ端気分じゃ「ごっこ」が楽しくならないので、自分も弟をオルグしてみちゃったりするわけです。こんなレベルの兵隊が、わけもわからないまま、「ちょっと人手が足りないからこっち来て〜」と兄貴に呼ばれて、いきなり「革命戦士」デビュー。哀れというかアホというか…。多くの連赤メンバーが「総括」の名のもとに殺されていく中で、「こうした残虐な行為をも直視できなければ本当の戦士にはなれない」と自分に言い聞かせ、次は自分が槍玉に上がったらどうしようと怯え(でもボクまだ子どもだから手加減してもらえるかな〜と内心思ってたり)…。永田洋子に兄を殴れと命令されて「自分が反抗したら兄がもっとひどい目にあうかもしれないと思って仕方なく殴った」との自己弁護を披露する…そんな元戦士の告白。この人、今、ちゃーんと結婚して(もちろん妻にも結婚する時カミングアウトしてて)、子どももいるってんだから驚きです。あるイミ、どんな連赤本より連赤が理解できる本でした。三男も負けじと出してほしいな〜。

『私の絵日記』(藤原マキ 北冬書房)、『つげ義春日記』(つげ義春 講談社)

 何年か前に亡くなった藤原マキ(つげ義春の奥さんね)の絵日記と、つげ義春氏の日記は書かれている時期が重なってるところがあり、いっしょに読むとおもしろい。人に会って話すのが好き、習い事したり外出するのが好きな、一見活発で明るそうな妻…の奥底に実はある、根深い「暗さ」。人が大勢集まるのは苦手、華やかなこと、浮ついたことは嫌いで病的に心配性、いかにも“暗い人”っぽい夫…の奥底に実はある、根深い「明るさ」が対照的に読みとれて面白かった。『私の絵日記』は最近、学研M文庫になっています。

『透視も念写も事実である 福来友吉と千里眼事件』(寺沢龍 草思社)超能力実験に入れこみ、その挙げ句「信じない派」にインチキ呼ばわりされるわ、東大を追放されてしまった福来友吉博士の評伝。この本、実験の状況や結果がかなり細かに書かれているのがイイ。「千里眼事件」といわれるのは、御船千鶴子(のちに自殺)の透視能力を実証するため、透視実験を大勢の人の立ち会う中で行った際、彼女が透視実験用に用意されたものでない字札を持っていたことが露見し、大きく報道されてしまった一件である。福来友吉はしぶとくほかの能力者(?)たちとも透視、念写の実験を行い、それなりの信ぴょう性を伴う結果を出しているようには見えるが、いまひとつ決定打を欠く。念写にもトリック疑惑がついて回る。そんな中、実験の成果をまとめて出版したところ、大学から首を切られてしまうわけなのだった。職を追われようが、晩年まで一人で研究を続けた博士の執念はイカしてるぅ! しかし実際、現在超能力の科学的研究ってどのくらい進んでいるんでしょうかね? 

★2月9日(月)更新★★★★★★★★★

まずは新刊文庫から。『四日間の奇蹟』(浅倉卓弥 宝島社文庫)。「このミス」の名を冠した新人賞を受賞作。故・小泉喜美子女史も「日本の『ミステリー』の定義は狭すぎる」とおっしゃったものだが、而して、これはミステリーというよりファンタジーなのでは。「謎めいていればミステリー」?…でもいいんだけど。エンターテインメントとしておもしろく読めたが、どうにも喋りすぎる第2のヒロイン女性の長い語りには、ほとほと疲れた。生まれつきの脳の障害により、口数が極めて少ない第1のヒロイン少女のおかげで最後まで読めた。これは、好きずきね。『8年』(堂場瞬一 集英社文庫)8年のブランクを経た投手が30過ぎてメジャーリーグに挑戦…という話。うーん…ブランクに過剰に苦しまれてもうっとうしいのだろうが、ほとんどブランクを感じずにいけちゃってイイのだろうか? 「いつ大変な壁にぶち当たるのだろう?」と期待しながら読んでたら、そのまま最後までいってしまった。

『黒い赤ちゃん』(明石昇二郎 講談社)60年代末に起こった「カネミ油症事件」をめぐるドキュメント。「カネミ」という会社が「健康に良い」とうたっているライスオイルに、PCBやらがたっぷり入ってたという事件。これを摂取した人々だけでなく、その母乳を飲んだ子どもへまで影響があったというから恐ろしい。カネミ油をとった母の胎内にいた、またはその母乳を飲んだ赤ちゃんは体が真っ黒になってしまったそうで…で、このタイトルね。しかし、事件の起こった当時、カネミ油と体への影響の因果関係が科学的にはっきりしないところも多く、被害者は裁判に勝ちはしても十分な処遇を得てはいない。毒素は30年以上経っても、体から完全に排出されていない。膿をともなう湿疹などが出るため、「感染性」と誤解されて不当に避けられる。というわけで、マスコミの取材に応じる被害者は昔も、30年以上経った今ですらも少なく、著者は取材にとても苦労しているようだ。一冊の単行本としては内容的に物足りなかったが、「今後もこの事件を追い続ける」という著者の宣言に期待して、一票。

『生きなおす ことば』(大沢敏郎 太郎二郎社エディタス)横浜寿町での「識字」教室のドキュメンタリー。子どものころ字を読む&書く勉強ができないまま大人になってしまった人々が立ち寄り、「あいうえお」から勉強できる場を設けた著者による記録、である。ここにやって来る人々の多くはドヤで生活する労働者。著者は「正確な日本語を書けるようにする指導」というよりは、詩を用意して感想を書かせたり、毎回テーマを設けて作文を書かせたりする。いやはや、長年文字を書くことを知らずに生きてきた人が書く言葉の強さに、ちょっと打たれましたね。

たいていの人は、幼いうちにしゃべることを覚えながら、並行して読み書きを覚えていくが、彼らは「しゃべる」だけで生きてきた。いい大人になって初めて自分の思いというものを文章に表す彼らの文章に、〈話したり、考えたりすることをあらためて字にすること〉には確かな意味がある、と深く感じさせられた。長年〈書く技術〉を持たずに過ごした人々を〈pure〉と持ち上げるわけではないが、少なくとも常套句(文の技法というよりは、思考の技法的な常套句)に汚染されずに綴られた文章、に打たれるのである。この本を貸してくれたのはW氏だが、さすがにイイ本を見つけてくるねー。それともハマではこの本が平積みになってたりするのだろうか?

★2月2日(月)更新★★★★★★★★★

『少子』(酒井順子 講談社文庫)このヒトの本読むのって初めて。雑誌なんかで見かけるエッセイは、〈いわゆる「トホホ系」だけど、お下品方面な話題の時もちょっとだけ固めの口調でノーブルちゅうか山の手お嬢出身っぽさは死守〉というポジションとお見受けしていましたが。オビの「なぜ産まないのかと聞かれても…」というコピーにひかれて購入(聞かれたことないけど)。「少子・その理由」として立てられた章タイトルにはちょっと心打たれます。「痛いから」「結婚したくないから」「うらやましくないから」「愛せないかもしれないから」「面倒臭いから」「シャクだから」「男が情けないから」。

うむ…けっこう思い切って書いちゃいましたね。私もこの中のいくつかにはとっても共感するものがある。痛い思いするのはやだし(もちろん最初っから欲しくないからだろうが)、育児は面倒くさそうだし。「面倒臭い」…ああ、これって確かになかなか堂々と言えることではないと思うよ。「あんただって親に育ててもらったんだろうが」と罵倒されそうだし、いい年こいても自分のことしか考えられない人間ってのがバレバレになるもんね。あと「うらやましくない」ってのも共感。すんません。←ほらほらっ、こうやって、私のような人間でもなんだか「すんません」と謝らなきゃいけないような気になるところが、「少子問題」のすごいところだよ。産んで育ててる人には「いつまでもへらへらしてて楽しててすみません」って言わなきゃならないような気になる。

著者はどんなに美人だろうが仕事ができようが「30代・独身・子なし」=「負け犬」と定義している。そして夫のグレードだとか生活レベルはさておき、とにかく「既婚・子あり」は「勝ち犬」である、と。私はこれに賛同するわけではないが、こう言いたくなる気持ちは多少理解できる。しかし、この本は「分析」のような形をとってはいるものの、目からウロコが落ちるような分析をやってのけてるわけでなく(そういう例ってあるよな、と思うくらい)、また何かを提案する力強さを持っているものでもない。「独身で余ってるのは高学歴高収入の女と、低収入の男」などと言ってみたり、「勝ち犬になりたいなら『JJ』や『STORY』といったコンサバ系の雑誌を愛読せよ」とか今さらながらのことを言ってみる程度。「面倒臭いから」と言い切ったわりには及び腰。林真理子が出産記めいたものを1回しか発表せず、以後育児をメシの種にしないのを(以下引用)「私のような高齢未産女のことを、非常によく考えていらしたことがわかります。」「『子供を産んで人生が初めてわかった、やっと人生を知った、という女の人にだけはならないでください』という読者の手紙を林さんは真剣に捉え、そして本当に一切、その手のことを表に出さずにいらっしゃる。そして多くの未婚・未産女性達がその心意気にグッときているのではないか。」…ととらえていたりするし。うへえ〜。林真理子が何を思って育児について書かないかはさておき、他人にそんな手紙を書いたりそんな心意気(?)に勇気づけられる人々って気味が悪い。だって、人の人生じゃないか。  

なんだかこの「負け犬」の件に対してモヤモヤしておったので、嫌々ながら『負け犬の遠吠え』(酒井順子 講談社)を新刊で購入した。「女性エッセイ」という棚に探しに行った。ふだん、ほとんど縁のないコーナーである。「女性エッセイ」の棚は、ピンクっぽい表紙の本が多いんだなと気づく。この本もピンクである。内容は、『少子』をふくらませたようなものであった。シメが「『子供を産まないとわからないことってあるのよ』と言う人がいるように、『負け犬になってみないとわからないこと』だって、世の中には、きっとあるのだから。」じゃ弱いなあ。結局著者は誰にも嫌われたくないんだろう。「勝ち」とか「負け」という言葉を使うのは悪くない。「子育てしてる人を悪く言えない」という世の中の絶対性をくみ取り、「すみません」と言わざるを得ない女性を「負け犬」と表現したのは面白いと思うが、もう一声、何か鮮やかな主張が欲しかったという感想。

自由が丘の古本屋で、『推理小説を科学する』(畔上道雄 講談社ブルーバックス)を購入。この手の本は珍しくないけど、でも「ブルーバックス」だよ!?と驚く。先日、Nさんから「科学的な現象を使った密室トリックはありませんか?」と訊かれた時、とっさに大した返事ができなかった…ということがあったのも手伝って購入。その日のうちに読了した。今度、Nさんに貸してあげようっと。 同じ古本屋で、見たこともないほどコンディションのよい60〜70年代の『ミステリマガジン』の山に遭遇。荷物が多かったので、床にしゃがみこんでいちいち目次をあたり2冊に絞ったが、また近々チェックしに行きたくなってきた。レックス・スタウトの中篇『探偵が多すぎる』をしみじみと読むしあわせよ。

★2月23日(月)更新★★★★★★★★★

ムングユー。こないだ道玄坂にあるカレーうどん専門店でピンチに陥ったヨ。カレーうどんにたっぷりチーズとガーリックチップがトッピングされたモノを食ったらムショーに暑くて暑くて参ってしまったのテス。美味かったけどもう汗ダラダラだった。この店のメニューには必ず白飯もついていて、カレーうどんをおかずにメシを食う、というトゥー・マッチな下品さ。お、そうだ、油そばに似てる世界テスね。あー油そば食いてー!! ソバ飯ってのも下品だよねー。ただの残飯ってカンジ。あと、関西人はお好み焼きをオカズにご飯食うってホント?! 一家に一台タコ焼き器がある、てマジ? オレはたこ焼きはたこ焼き屋が焼くもんだと思いますヨ。そして今週読んだ本は『石ころだって役に立つ』(関川夏央 集英社)『凡宰伝』(佐野眞一 文春文庫)『ハロプロ大百科(みたいなタイトル)』とエロ小説一冊でした。エロ小説以外は面白かったヨン。特に『凡宰伝』。ナゾの政治家、小渕恵三のヒミツに迫るルポルタージュです。いいね。

★2月16日(月)更新★★★★★★★★★

ボヨーン!いやー、みんな元気?バレンタインデーはどうだった?チョコくれてやったり、もらったりしたの?そりゃー、よかったね!! 今週読んだのは『ママのペット』(氷室洸 マドンナミストレス)『古くさいぞ私は』(坪内祐三 晶文社)『傷だらけの王座 川田利明自伝』(小学館)『男のうしろ姿』(諸井薫 講談社文庫)の4冊。『古くさい〜』と『傷だらけ〜』がヨシ! 特に『傷だらけ〜』は爆笑モンだ。ただし、これはプロレス本。もちろんプロレスファンにしか判りませんので、あしからず。諸井薫の本は、いわゆる有名人の人物評みたいなモノだったが、昭和末年の雰囲気が出ててよかった。暴走族を撃ち殺した暴力団員四十五歳を表し、「溜飲の下がる近来の快事というべきだろう」には、キミイケテルね、と思った。昭和1lケタにはこれからもこの調子で頑張ってほしい!(ってもう死んでたらゴメンね!)ではねー!!

★2月9日(月)更新★★★★★★★★★

んギャー!! 福田和也2冊、『近代の拘束、日本の宿命』(文春文庫)『人でなし稼業』(新潮文庫)を読みはじめた。立原正秋2冊も。『他人の自由』『男の美学』(角川文庫)

前前回くらいから読みかけの本も捨てずに続けて読んでマス。どんどん混沌としてきたんだけど、どれもオモロイのでしばらくこんな感じでいくに違いない、フフフ…。いいのよ、これで。

★2月2日(月)更新★★★★★★★★★

ウニャポリー。どんどん読んでいるのである。

「幸荘物語」(花村萬月・角川文庫)青春小説は何故どれも似たり寄ったりなのだろう?狙って類型的にしているのかも知れない。が、おそらくは青春そのものが類型的なのだ。実はこの本、冒頭のあざとさに嫌気がさして一度は投げかけたのである。しかし舞台がオレも青春期を過ごした吉祥寺(笑)、しかも主人公が恋人とはじめて対面するのが「くぐつ草」(喫茶店ね)だったりして、こりゃ読まねばなるまい、とガンバってしまった。ハア。「わたしの鎖骨」(花村萬月・文春文庫)初期短編集。これはどれも良かった。とくに「ハコの中身」という一編。ラストの電車の中での会話がいい。

「秘宝耳」(ナンシー関・朝日文庫)最後のエッセイ集。いとうせいこうの解説が泣かせる。

「田中小実昌エッセイコレクション氓ミと」(ちくま文庫)この人は中学生頃から愛読してる。おもにミステリ翻訳者として。もちろんエッセイや小説も(「自動巻時計の一日」は衝撃だった。プレ村上春樹って感じがした。当時はね)だ。なんか文章がよくて、訳してるヤツを探して買ったりしてたけど、今じゃ古書店とかで高いんだってさ。シラケるね。

「マリ&フィフィの虐殺ソングブック」(中原昌也・河出文庫)はじめてちゃんと読んだかもしれない。面白かった。センスという言葉はバカバカしいが、中原さんはセンスあるんだよなあ。

「平凡」(二葉亭四迷・新潮文庫)はたしかサードにしてラストアルバム。ユルクておもろいよ。今、ポチが殺られたとこ。「マリ&フィフィ」に続いてすぐ読みはじめたのだがほぼ違和感ない感じ(笑)。「沙耶のいる透視図」(伊達一行・集英社文庫)カビっぽい湿っぽさがステキ。昭和の香りがする。そんなに時間経ってないのにもう昭和はほぼ壊滅したわねー。上記2冊と前回に書いた「アメリカ口語辞典」「実録・天皇記」は電車移動用としてチビチビ読んでる。中で特にヨイのは断トツで「天皇記」。ホント乗り越すよ。

「のほほん人間革命」(大槻ケンヂ・角川文庫)遠藤誠弁護士との対談がよかった。「突破者の本音-天皇・転向・歴史・組織-」(宮崎学/鈴木邦男・徳間文庫)、「斬人斬書」(佐高信・徳間文庫)右翼、元左翼、左翼のそれぞれを。上記3冊は仕事の合間にチョコチョコと。

あ、もう一冊。「意識と本質」(井筒俊彦・岩波書店)これが一番オモロい。すごくわかりやすくて著者の賢いことがよくわかるね。ただし佛教の概念はムツカシク、時には佛教辞典までひいて読んでるのだが「縁起」というのが今一つピンと来ない。かつてもキリスト教における「三位一体」がよくつかめなかった事があるが、誰かオレにわかりやすく教えてくれんかのー。それともオレがド阿呆なのかのー。

最近ちゃんと最後まで読む癖がついててイカンと思う。今回もハッキリ言えば「幸荘」「秘宝」「のほほん」「突破」は最後まで読む必要はなかったかもナ。時間もないし、もっとどんどん行ったほうがイイね。

★2月23日(月)更新★★★★★★★★★

今週はお休みさせていただきます。

★2月16日(月)更新★★★★★★★★★

わしは西荻窪に住んでおり、地域経済活性化に貢献するため、なるべく高い本は地元で買うようにしている・・・といえば聞こえはいいが、ま、高い本=重い本なので、 神保町の職場近くで買ったりすると、運ぶのが億劫だから、というのも理由に含まれる。今週は、「この本が欲しい!」をテーマに致そうと思う。

まず、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて(上)(下)』、あと、『定本 柄谷行人集』も刊行が始まった ので買おう。お、両方とも岩波の本だわ。柄谷氏のは、「英語になって、デリダやジジェクなども読んだ私の本を選んで、選集にいたした」ということらしい。職場に 「週間 読書人」があり、柄谷氏へのロング・インタビューが載っているので、帰りの電車で読もうと思ってガメた。 (しかし、今週はフライングVも買っちゃったし、アンプも買っちゃったし、ちょっと金使いすぎだな。まあ、酒は安い焼酎しか呑まないからいいか…)

けっきょく上記2書は渋谷で購入いたした。だって売ってないんだもの3軒回ったのに。来週から直ちに読もうと思うが、そのまえに今、『戦争と知識人』(北河賢三 山川出版社)を読んで『敗北を抱きしめて』に立ち向かう前史を概観しようとしておる。あと、あおうこずえ氏も愛読したというチェーザレ・パヴェーゼ『故郷』を、Einaudi社 から出ておるイタリア語原書と読み較べてもおる。なぜか?この本が、大変日本語にしずらい、という訳者あとがき(「この一行が訳しきれずに、私は学生時代から、訳文を発表した三十代の初めまで、確実に10年を苦慮しつづけた」)を見て、ホホウ、それでは原典も参照しよう、と思ったからである。…たしかに…このイタ語は省略多し、一語に込められたイミの重層性高しで、日本語にひらくにはなかなかの難物であると見受けられた…。(つづく)

★2月9日(月)更新★★★★★★★★★

姜尚中&宮台真司『挑発する知』(双風社)を読んでいるぞ。たいへん面白いぞ。み んな読みなさい。たいへんためになるぞ。1800円だ。安い。人気バツグンの二人が都内の三つの本屋さんで行ったシンポジウムの記録を集めたものなんざんすが、まあかなり加筆したんだろうけど、よく喋るね。アタマのいい人は やはりよく喋るよ。うらやましいさ。わしなんか会社の会議でほっとんど喋らないからな(ねてます)。 この本で、中心となっているテーマは「国家」をどうするか、である。「このまま 「国家」は「国家」のままでいいのか?」それと、「アメリカ」である。「アメリカをどう扱ったらいいのか。これからドンドン暴れん坊になっていくアメリカに、どう対処すればいいのか」ということ。そのために「ナショナリズムは・あるいは「アジア主義」はいま、果たして有効か?」という問いである。そして、「近代」である。「日本はほんとうに「近代」を経験したのか?」 という疑念である。 なぜ、このような論議がなされねばならんのか? と考えると、「ああ、この世はドンドン変わっていくなあ」という感慨に今更ながらとらわれる。わしが20代の頃も世界への視座はアイマイだったが、それにしても、問題の軸になる「正義」が、ますま すもってアイマイになってきている気がする。わしらの頃は、「冷戦」があり(東西のどっちかに組してればよかった)、「核廃絶へのヴィジョン」が求められ、「ナ ショナリズム」なんて赤尾敏がいる有楽町にしかないもんだと思ってりゃよかった。いまの若い人たちは大変だと思う。だって、上記のような難問に次々と対処しなけれ ばならんのだからね。ユーチョーにバンドなんかやってるバアイかよ、ボケ!(ウソウソ)まだぜんぶ読んでないので、まとまったコトは言えないのだが、姜・宮台のふたりの 意見に賛同するかどうかは別として、ここには、わしらがいま考えねばならない論点 の80%くらいが提議されていると思う。そして、おそらく「脱・国家」を指向しながらも、一足飛びに「脱!」できないことのもどかしさを淡々と語る姜氏、そしてそのもどかしさを反転させて「後続世代の繁栄を考えることこそが国益=ナショナリズムの顕揚だ」と語る宮台氏(わしはこの意見には組しない)、両者のアツい語り口 は、まさに「挑発」であり「積極的模索」の思考運動である、といえる。読みなさい !

★2月2日(月)更新★★★★★★★★★

いま、もっともキチンと熟読しているのは『挑発する知』(宮台真司&姜尚中 双風舎)であるが、コレは難物なので次回に先送りだ。言ってることがとっても判るのだが、とっても反論したい面もあるので、そこのところ♪うまく伝えて〜(ペドロ&カプリシャス)と思う算段もあって、もうすこしちゃんとアタマの整理いたしやす。

ああ、いつの頃から読み始めたのだったか、ベンヤミン『パサージュ論』。今は第3巻を読んでおりやす。記憶の霧けぶる、失われゆく19世紀パリの街の残像。それはどこにあるのか?…を辿るためにベンヤミンは図書館に籠もり、文書をあさりつくすのだが、なにやら、この巻まで読みすすんできて感じとれるのは:起源をさぐりあてられるものなんて、何ほどのものでもない。歩きまわり、みつけだし、絶えざる改変の営みに据えおくことによってしか、探索の方途はないのだ…という積極的諦念でございます。ナチスはベンヤミンを追いつめつつある。そのナチスは、「われわれの起源とは何か。そこからハズレていく者は誰か」を追い求めた果てに、迫害のクモの巣を放っていった。そのクモの巣を払いのけながら、ベンヤミンは書く。

「因果的な歴史記述や「顕彰」と対決するためには、感情移入…への反論を土台とするべきである」…とすると、彼にとって「ボードレール」も「パサージュ」も“懐旧”に起因する記述の対象ではなかったのだわね…。(つづく)