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みづうみPart2

■神います■

 「神います」は、「彼」が5、6年前に「傷つけた」少女と、「傷つけた」時と同じ温泉場で再会するお話です。少女は「彼」に傷つけられたことが原因でか、手足が不自由になっていました。でも「彼」は、鳥屋に愛されている少女を見て「人間は人間を不幸になぞ出来ない」ことを悟ります。「神います」って感じですねぇ。
 で、気になるのが、5、6年前に傷つけた、というくだりなんですが・・・。これはもう勝手な思い込みなんですが、この少女とのお話は、同じ『掌の小説』群の「指環」というお話と繋がっているのではないかと、思われるのです。「指環」も「神います」も同じ湯ヶ島温泉に取材したもので、「指環」の少女は多分11、12歳ころで、それから5、6年経って、鳥屋の若い妻、の年齢と符合しないことも、ないと思いませんか?で、「指環」で少女が自慢するのは「蛋白石」の指輪なんですが、「神います」の少女の「円い膝頭が指環の蛋白石のやうだつた」と、共通点がないことも、ないかにゃ、と。
 それがどうした?と言われてしまいそうですが、私としては、「指環」の終わり方が非常に意味深で、めちゃめちゃ不安を感じたのですが、「神います」で、鳥屋の奥様になって、手足が不自由ながらも幸せに暮らしていて、で、そのことで「彼」が涙を流し(少女のことを思ってって感じじゃないですけど)ある意味報いを受けることで、救われているなら、私もほっとするなぁ、と。

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