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あーとだいありー 2004年2月

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 2月29日(日)

 (すいません、この下、はやいとこ書きます)


 快展 北海道教育大学岩見沢校美術研究室卒業制作展

 ロシアの写真家、ブガエフ氏の個展「大海の島々」カフェギャラリー「十字館」
(豊平区西岡3の9の5の7)
 12日(木)〜20日(金)
 サハリン・極東地域で活躍するロシア人ジャーナリスト、ミハイル・ミハイロビッチ・ブガエフ氏の個展。「大海の島々」というタイトルは、ブガエフ氏が今まで撮影したサハリン・北方領土・北海道という隣接する島々の美しい風景と自然の写真から名付けられました。□公式サイトでは、氏のこれまでの経歴、ニュース、フォトギャラリーなどが公開されています

 「北の自然季(とき)の瞬(まばた)き」フォトサロン光響会員写真展富士フォトサロン札幌(中央区北2西4、札幌三井ビル別館) 地図A
 2月13日(金)〜25日(水)

 北海道浅井学園大学 生涯学習システム学部 芸術メディア学科 絵画ゼミ2004年展=北方圏学術情報センター ポルトギャラリー(中央区南1西22 地図D
 2月16日(月)〜22日(日)

 2月14日(土)−27日(金)

 とりあえず、今週末かぎりで終わる展覧会の紹介から。

 第7回 多摩美術大学版画OB展=さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階 地図
多摩美術大学版画OB展の会場風景。右端の大作は渡邊慶子さんの作品 同ギャラリーと、札幌の版画家夫妻・友野直実さんと渡邊慶子さんの協力で毎年ひらかれている展覧会。
 OBといっても若手が中心で、道外の気鋭の新作にふれることができる、うれしい機会です(道内は例年、友野さんと渡邊さんだけ)。
 ことしは初の試みとして、会場の3分の1を「小品コーナー」とし、54人(顔ぶれは一部、大作と重複)の小品を2点ずつ、シートのままびっしりとならべています。
 全体的には抽象が多く、写実的なものは皆無。技法は多彩です。
 渡邊さんの「February B-1 雲間より」は、縦140センチ、横95センチもあります。これでも、本来の作品は、左右にあと半分ずつあるというのですから(つまり、横190センチ)おどろきです。
 木版とエッチングで刷り上げたあとに、日本画の岩絵の具をまぶしているそうで
「ほとんどモノタイプみたいなもんです」
と渡邊さん。なるほど、中央附近の群青は、日本画の色ですね。まったくの抽象なのですが、北の自然のなかにひそむパワーのようなものを感じました。
 小泉健太郎さん「重すぎる乗客」(リトグラフ)は、しいて分類すればシュルレアリスムふうということになるのでしょうか。柄が2本あるキノコのようなかたちをした巨大な物体が宙にうかんでいます。根にあたる部分は2本ともふくらんでいますが、よく見ると魚が多摩美大版画OB展の会場風景。右は小泉健太郎さん「重すぎる乗客」、左は阿川理恵さん「青い柱」びっしりとあつまってできています。不気味さと不安感ただよう力作だと思います。
 阿川理恵さん「青い柱」(リトグラフ)は、黒い曲線が画面全体をはしりまわり、ふしぎな浮遊感があります。
 この展覧会では常連の佐竹邦子さん。「版画芸術」にもときおり登場する期待の若手ですからご存知の方もいらっしゃるでしょう。ことしの「Winds work-23」(ベニヤによるリトグラフ)は、90×85センチと、佐竹さんとしては小さめ。植物のふたばのようなフォルムは、爆発的なエネルギーをふりまいているようです。
 情緒的なものをそぎおとした作品が多いなかで、木村麻子さんの「午睡」など5点(エッチング、アクアチント)は、人物をモティーフとして、作者の感情がこめられているようで、この展覧会としてはめずらしいタイプといえるかもしれません。
 友野さん「止まる流れ」「虚ろな眺め」は、いつものようにひっそりとしたしずけさをたたえています。
 ほかの出品者はつぎのとおり。
 伊藤あずさ 御囲章 小川了子 川田竜輔 小飯塚裕八 三瓶光夫 高橋賢行 瀧野尚子 谷黒佐知子 波麿悠子 宮井麻奈 吉見律子

 小品コーナーでは、先日札幌で個展をひらいた早川尚子さんや、鈴木康生さんといった、知った名前も見えます。
 数千円台の作品が多く、これはお買い得だと思います。
 29日まで。

■01年
■02年
■03年


 竹田博展 原色のバラード=ギャラリーたぴお(中央区北2西2、道特会館 地図A
竹田博展の会場風景 「たぴお」のオーナーで、自らも絵筆を執る竹田さんは毎年2月に個展をひらいています。
 今回は、大小の旧作およそ90点で、会場の壁面をうめつくしました。
 本職がデザイナーということもあるのか、クリアな色彩で塗り分けられた絵がめだちます。
 「北海道」をテーマにした観光ポスターの原画なども張ってあります。
 28日まで。

■01年の竹田博展
■02年
■03年


 佐々木悠 一人写真展 札幌スタイル。ギャラリー パレ・ロワイヤル(豊平区月寒中央通9)
 佐々木さんは、専門学校の札幌ビジュアルアーツの学生さん。お名前は「はるか」と読み、女性です。
 以前にも指摘しましたが、同校の学生はモノクロの焼きがうまいです。この点では、大半の大学写真部を凌駕しています。
 今回のテーマは「札幌」ということでしょうか。「方眼世界」と題された、ビルやマンションを撮った作品や、ビルと空をおなじフレームにいれた「空との対比」といった作品がならびます。
 「札幌」という独特のテイストをもった都市へのアプローチという感じでしょうか。
 札幌は、古いものがあまり残っていない人工的な都市で、これほど「都会」を感じさせるまちもめずらしいと筆者などは思うのですが、といって東京ほどには最先端の巨大都市というところでもありません。
 いかにも路地裏というところをねらったり、あるいはロトチェンコのような直線の構図の美を写す人はいますが、そうではない「大都市の現在」みたいな性格をもった写真は意外とやる人が少ないので、そこらへんがおもしろかったです。
 ほかに、冊子型の「オンナノコ」、屏風のようにカラー写真をつらねた「拡大眼鏡」なども置いてあります。
 佐々木さんは、昨年おなじ会場でひらかれた「6girls」展にも参加しています。
 28日まで。


 道新油絵教室 第32回アルディ会展札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A
 かつて故國松登さんが指導していた伝統ある絵画教室。現在は、米谷哲夫さん(全道展会員。札幌)が指導しています。
 佐藤説庫(えつこ)さん(全道展会友)「風舞」は、これまでと同様抽象画ですが、色斑が浮遊するような、動きのある画面に変わりました。重苦しさがなくなっています。
 原田勢津子さんは卓上風景がモティーフ。ものの存在感を感じさせる作品です。
 三上範子さん「北の大地」は、道南の駒ケ岳附近でしょうか。手前に木々を配し、奥行きのある構図になっています。色の使い方も特徴があります。
 風景では、仲井みち子さん「山の見える風景」なども、独特の余韻をただよわせています。
 ほかの出品者はつぎのとおり。
 阿部征子 岩村紀代子 大久保恵美子 大原博子 川内恵美子 川原正子 北野恵子 熊谷京子 後藤隆之 小林末乃 佐藤トシ 中谷久美子 名畑昌子 奈良恵 馬場京子 福江文子 藤原淳 細川美代 堀江尚 三浦キミ子 村椿千恵子 山内淳恵 山本和雄 山本トシ子
 28日まで。

■第31回
■第30回
■第29回(火曜会展)


 あひる会40周年記念展=同
 「あひる会」とは、1963年に発足した札幌市職員の絵画サークル。名前は
「よちよち歩きでも、皆で楽しんでいこうという趣旨」
でつけられたのだそうです。
 ただし、ただの職場サークル展とちがい、出品者のなかには、公募展や個展などで活躍している人がかなりいます。
 森山誠さんは自由美術の会員。今回出品されている「視察」「Newspaper」は1982年の作品。後者は、新聞を読んでいる人間も、しわくちゃの新聞紙でできているという、じつに人を食ったというか、ユニークな絵で、一度見たらわすれられません。ただし、その新聞紙には「崩れる反戦の基点」「軍拡」といった見出しを読むことができ、中曽根政権下ですすむ右傾化を案じる作者の心情を読み取ることが可能です。
 西澤宏樹さんは、いままで西澤宏生という名前で風景画などを発表してきた新道展会員ではないかと思うのですが、改名されたのでしょうか。最新作「エルム早春」は、北大に題材を得たおだやかな1点です。
 いつもはぶきみな生物のような絵を描く大林雅さんですが、今回は「花」「りんご」などストレートな写実です。
 中矢勝善さんは新道展会員。「涼風」は93年の作品です。
 白鳥洋一さんも新道展会員。「豊平川花火大会」は、横長の画面に、ピンクなど派手な色の点をちりばめたユニークな作品。
 伊藤零児さんは自由美術の会員でしたが、1997年に急逝しました。今回の出品作「おぼこの嫁入り」は83年の作品。横笛をふいているような格好をしている人物の左右で、うさぎと犬が立っておどっている(おどろいている?)という、きみょうな絵です。伊藤さんの作品らしく、絵の具をこすりつけて描いた画面は、汚さの果てに美があるとでもいえそうで、独特の暗さと憂愁、諷刺精神をたたえています。
 もうひとりの故人、菊地又男さんは、道内の抽象画の先駆者のひとりですが、サークルでは指導者役だったときいています。「土泥」は赤や薄茶、「街かど」は寒色系を用い、この人らしいシャープな画面になっています。
 ほかの出品者は次のとおり。
 松橋勉 古屋武哉 伊藤直一 吉田洋一 伊藤吉幸 松本昌樹 武内実 市川雅朗 川口みどり 田村登美子 小田芳紀 石林清 今野正通 小林敏美 田澤麗 白鳥邦子 川尾輝子 山岡和加子 奥野章子 清水アヤ子 山下淳也 久本由美子 北林八重子 加藤照次 鈴木裕子 和泉陽子 大宮健嗣 今野経子 佐藤こずえ 伊藤喜代春
 28日まで。


 本田征爾展〜なるこれぷし〜=エルエテギャラリースペース(中央区南1西24、リードビル2階 地図D
本田征爾展 1977年京都生まれで、北大水産学部を卒業、マグロ漁船に乗って調査をしている方だそうです。
 漁船、ときいて、体育会系のごっつい人物を想像していたら、四つボタンのジャケットを着たおしゃれな人でした。
 作品は水彩。札幌では初の個展となります。「迷子の宇宙飛行士はシャム双子なの?」「くるするく」「さめにんげんとゆめくじら」など、どうにもふしぎな題がついています。
 絵もふしぎで、イラスト的ともいえないし、水彩の小品なのに奥が深いという点ではクレーを思い出させるのですが、絵柄はあまり似ていません。想像の世界ではありますが、いわゆるシュルレアリスムともちがいます。説明がむつかしい。
 心をなごませる絵であるのはたしかだと思います。
 29日まで。

 長澤満・川辺肢満二人展=カフェルネ(中央区南4西22 地図D
 版画展です。シルクスクリーンがほとんどで、一部新孔版画もあります。
 長沢さんは1936年樺太生まれ。99年に孔版画をはじめ、2002年には全日本賀状コンクール版画部門で地方郵政局長賞を得ているそうです。
 今回展示されている「黄昏」「明日への思い」は、北海道の大地の夕景を、逆光をいかして作品化したもの。空を大きくとった構図と、かがやかしい色彩が荘厳です。
 川辺さんは、名前は「ひとみ」と読みますが、男性です。39年、日高管内えりも町生まれ。昨年、新孔版画協会の会員になりました。
 「南国の娘たち」は、昨年の新道展の会場でも印象にのこっています。
 「バリダンス」は、装飾的な背景の上に白い線で踊る人物を描写した、ユニークな作品です。ほかに「白い花」「駒ケ岳」など、一般的なシルクスクリーンの図柄の小品もあります。
 29日まで。

 藤山由香展 風のしるし=ギャラリーミヤシタ(中央区南5西20 地図D
 青系を主体とした抽象画10点あまり。
 ななめのストロークで描かれ、青空のように見る人の気持ちをやわらげます。
 てかてかした発色になっていないのは、丁寧な重ね塗りをしているからだと思います。絵の具の下の層には、黄色なども見え隠れしています。
 29日まで。


 2月13日(金)

 ディメンションの多様展5th=ギャラリーたぴお(中央区北2西2 道特会館 地図A
 たぴおでよくひらかれているスタイルのグループ展。久保千賀子、高坂史彦、竹田博、為岡進、名畑美由紀、林教司、渡辺英四郎の7氏が出品しています。
 為岡、渡辺の両氏は写真。ほかは絵画です。
 渡辺さんの、海と河口をうつしたカラー写真は、渡島管内松前町の実家から写したものだそうです。
 林さんは、ドーナツ型をえがいた「circle」と、「回」の文字の形に似た「square」の2点。ごくシンプルな形状ながら、マティエールには作者の手による痕跡がこめられています。
 14日まで。

 第94回 どんぐり会展=スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階 地図
 道内の美術団体でも、屈指の長い歴史と伝統をほこる北海高校美術部の展覧会。
 数年前、共学化されたのにともない、部員は大半が女子になりましたが、骨太の筆つかいで、大きなキャンバスにぐいぐい描いていく画風は健在です。
 案内状に採用されていた宮澤佑輔さん(3年)「facination」は、学生美術全道展で北海道新聞社賞。青いビル街を俯瞰する背景に、中央上から、手が何本もはえた奇怪な女性が吊り下がっているさまがグリザイユで描かれ、さらに空中に浮かぶレールを走る列車などがかきこまれています。未整理な画面が、ここではむしろ魅力と感じられます。「attractiveU」は、地球の終末を思わせる洪水のマチ。NASAが火星で撮った「人面岩」(光線の加減で、人の顔のように見える岩)みたいなのが水に浮かんでいます。
 3年生はほかに、稲實愛子さん、石毛萌子さん、飴谷彩子さん、深澤安奈さん、小野央愛さん。
 2年生では、柿崎彩美さん「過疎U」が、青いビニールシートの質感をよく出しています。
 菊地華子さん「なごみ。」は、歩道わきに止まったバイクを、真上から見た構図がざん新。奥行き感の欠如がかえってふしぎな空間をうんでいます。
 1年は、土屋慧悟さん「一滴」が、水道の蛇口から落ちる水滴を下から見た、これまた個性的な構図でした。

■01年の展覧会
■02年
■03年(9日の項)

 第19回太田義久書の個展=同
 苫小牧生まれ、東京在住の書家。
 故金子鴎亭に師事し、現在は毎日展の審査会員などをつとめています。
 展覧会では、無理なくまとまった、それでいて味わいのある近代詩文書の額装や軸装、さらに陶皿など、バラエティーにとんだ作品を展示しています。
 さいきん道内の近代詩文書作家には、題材となる詩のもともとの行分けを無視したり、まったく読めなかったりする作品がありますが、太田さんの作品は、原子修さんらの作品にこめられた思いを尊重しており、好感がもてました。
 軸に記された木村敏男の俳句もおもしろいです。
石狩の風切つてけふ初燕
中央區晴れて北區は時雨けり
 額におさめられた陶皿は、空知管内長沼町の松原成樹さん制作のもの。そこに、山頭火や金子みすヾのことばを書いています。

 以上、15日まで。
 2月11日(水)

 メビウスの塔 内海真治個展=さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階 地図
 壺や器だけではなく、古い木と組み合わせたり、卵の殻のような陶片を36個貼り付けて壁掛け作品にしたり、タイルに童画ふうの絵を描いたり、型にはまらないたのしさにあふれている、砂川の内海さんの個展です。
 タイル絵は深みのある青が特徴。コバルト(古伊万里の「呉須」)の発色です。おもにこの色で描かれた魚や風景は、シルクロード以西の地域を思わせます。
「日本だとどうしても茶道とか華道とか、精神文化のほうにいっちゃいますから。それよりヨーロッパのほうが自由だと思うんですよね」
と話す内海さんですが、とりたてて人形や、コップの文様が西洋的なのではなく、ふしぎな無国籍風であります。
 15日まで。

 ■03年10月の個展


 Graduation Exhibition 2003 2003年度北海道教育大学札幌校芸術文化課程美術コース卒業制作展札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A

 学生の展覧会で、だれが良いとか、あまり書かないほうがいいのかなという気はします。この時点でいいとかわるいとかは、あくまで途中経過のようなもので、これからどんどん変わる可能性があるわけですから。そして、いくら才能やスキルがあっても「持続する志」がなければどうしようもないのです(もちろん、作家にならなきゃダメだ、というわけではありません)。
 日本画。
 駒澤千波さん「夜明けのうた」。圧倒的な筆力。光に向かって手足を伸ばしている自画像らしき人物と、暗いなかでひざをかかえている人物との対比もわかりやすい。シカなどの動物が多数登場して画面がにぎやかになっている点は、好き嫌いが分かれるかも。
 中島涼沙さん「水に集う」。こちらも動物。カバが3匹、水から上半身を出しているさまを、上からの視点で、リアルな筆致で描写しています。水面の波紋のほうは、リアルというより、色の配置を重視しているように見えます。
 富樫はるかさん「夏の終わり」。ついに卒業時まで、「複数の小品で構成」「青系を中心に使用」という方針をつらぬいた富樫さん。今回も、広野に電信柱の列がつづく絵や、湿原に設置された木道を描いたものなど、おなじ大きさの6点を横一列にならべています。伝えたい物語がかならずしも明確でないことについてはべつにかまわないと思いますが、灯台と女性が登場する中央の1枚はちょっと演歌チックかもしれません。
 渡邉雄太さん「篠路」。この人も、恐竜を登場させるなど、「いわゆる日本画的」な画題から離れた絵をよく描いていた人です。今回の絵は意外にも、送電線の鉄塔があるような郊外の風景。ただし、中央には、はしごなどが立てかけてある資材置き場らしき場所が描かれて視野をふさいでしまい「ランドスケープ」ということばじたいを裏切るような構図になっています。そこが、従来の「郊外」をとりあげた作品とことなっています。

 油彩。
 額田春加さん「アナアキ<水面下の増長>」。筆者は、すべての絵画が「絵画とは何か」という問いをふくまなくてはならないとはけっして考えてはいませんが、とりあえず現代においてその問題意識をかかえている作品についてはちゃんと評価しなくてはならないだろうと思っています。額田さんの作品は、支持体に穴をあけたというところではフォンタナのこころみに共通していますが、さらに着彩をほどこすことで、イメージの伝達をも図っているようです。
 手塚歩未さん「飛沫」。キャンバスではなく、パネルに鉛筆とパステルで描いた横長の作品。一見、雄大なパースペクティブを持つ冬の風景画のように見えながら、山の上に何があるのかなど、「肝心な個所」があえてきちんと描かれていないところがおもしろいと思いました。
 木村めぐみさん「ふくらはぎからの雨」。絵の具のドリッピングが効果をあげています。

 映像。
 図録には近藤寛史さんとか出てるけど、出品者は3人だけ。
 まあ、先日、コンチネンタルギャラリーで「視覚映像デザイン研究室」展がひらかれたばかりだからなあ。
 大村敦史さん「Dragons awake」は、あいかわらず高水準のアニメ。
 おそろしくリアルなタッチの街景と、奇怪なイメージの生きものの対比が見事なのと、子どもたちが生き物のなかに取り込まれてしまってそのまま帰ってこないところが、特徴です。ハッピーエンドが来なくて、物語が宙吊りになってしまうのです。

 彫刻。
 北原明日香さん「heap」。靴下を加工してこしらえた犬のぬいぐるみが、ギャラリーから廊下へとつづく床にどっさり置かれています。何百足ぐらいあるんだろう。よく見ると、靴下そのものも転がってます。卒業制作にこういう「カワイブキミ」なものを出す勇気にリスペクトです。
 出品はしてませんが、高土居重吉さんの図録に出ている「あたたかな」は、デメーテルの関連PROJECTですね。なつかしい。

 金属。
 齋藤友華さん「とあるもの」。マトリョーシカを思わせる、完成された形状。

 木材。
 船山奈月さん「段染め器」は、スマートに展示されていました。
 図録に出ていた遠藤雄大さんの雪像が気になります。

■03年の展覧会
■02年の展覧会
■01年の展覧会

 修了制作展 2004 平成15年度北海道教育大学大学院美術教育専修=同
 卒業生と日程を変えてひらいたり、3階全室をつかったりした年もありましたが、ことしはなんと3人だけ! F室1室のみの展示です。
 3人とも絵画です。馬がモティーフの高橋郁子さん、極彩色の器官を有する天使を描く中川治さん、凝った背景に裸婦を配する松田彩さん。

 いずれも14日まで。


 2月10日(火)

 SNOW PROJECT'04=さっぽろ雪まつり大通会場HBC広場
   

 筆者の記憶では1998年から毎年おこなわれている、映像を大雪像に投影するプロジェクト。参加者が増えた時期もありましたが、昨年、今年と、古幡靖さんと小池晋さんのふたりの作品が発表されています。
 あれ、古幡さんって、埼玉から函館に移り住んだんじゃなかったの?
 「去年の秋から宮の森にいます」
 古幡さんの作品は「a myth」。神話、という意味です。投影されている大雪像が、ことしのオリンピックにちなんでアテネのパルテノン神殿であることからヒントを得たようで、ゼウス、アテネ、ヘルメスといった12の神々の章からなっています。最後に「Poseidon」というテロップが出て、冒頭にループするようになっています。
 映像は、寂しい海の遠景、ごみ捨て場、地下街の入り口を掃除する男の後ろ姿など。
「現代のパルテノン神殿ってどこかと考えたら、ごみ捨て場かもしれないと思った。社会派? そうかもしれない」
 小池さんは、エイフェックス・ツインふうの音楽にのせて、抽象的な模様が明滅する軽快なアニメーション(CG)です。
 3月に、写真家の仙北慎次さんをくわえた3人展をひらくそうで、今回の作品はその前哨的な意味あいもあるということです。
「スクリーンも自作してインスタレーション的な作品になる予定なので、だいぶちがった印象になると思いますが」
 筆者は10日しか夜の時間がとれず、最終日に行くことになってしまいました。

 ■01年■02年■03年

 2月9日(月)

 北海道新聞によると、書家で北海道書道展会員の金津墨岱さんが亡くなられたそうです。77歳でした。

 悠々会展=アートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル 地図
 早坂隆さん、原田富弥さん、石川さんの3人展。
 早坂さんは、さらりとしたタッチの、にじみの美しい水彩画。野付半島で漁船を描いた絵など、旅愁を漂わせています。石川さんは女性像の油彩。原田さんは油彩や淡彩スケッチ。
 原田さんの「茨戸静水」などの油彩はふるい作品。定山渓の「ふる川」で3月いっぱいまで個展を開催中なので、新作は出払ってしまったそうです。「狩勝峠にて」は、山岳作家・坂本直行さん(「六花亭」の包装紙で有名)が描いた山並みのスケッチに水彩で色をつけたもの。「あとで色をつけといてくれ、と言われて20年はたっちゃいましたね」と原田さん。

 北海学園大U部写真展=同
 通称「にぶしゃ」。
 モノクロが大半ですが、一部カラーもあります。
 内容も技術も、多彩というか玉石混淆です。
 いちばんたくさん壁面を埋めていたのが、五十嵐亮太さん。男性の顔を、複数のプリントをつかって焼いた大作など、迫力があります。
 岩城光泰さんは、空や川など、ものさびしい風景が中心。作者の感情が、微妙な光と影の交錯のなかにとらえられているようです。原舞子さんも、道路の路肩標識や舗道の「車いす」の記号をうつした写真などに、さめたユーモアのようなものを感じさせます。
 加藤美奈さん(先日、道教大の写真部展に出していた人とは同名別人)「彼女と私」は、健康的な笑顔のナースと、表情に陰のある女性とがモティーフ。対照的に撮ろうという意図はわかりやすく、また、表情も良いと思いますが、逆光を焼きでカバーするのには限界もあるかなと思います(なんて、えらそうですいませんが)。

 いずれも10日まで。

 北の陶工 窯出し展=丸井今井(中央区南1西2)大通館9階特設会場
 早い話が「やきもの市」です。長テーブル1つくらいのスペースに、各陶芸家がカップや皿などを出品しています。大きな壺や花器などはありません。全体的に安いです。気のせいかもしれませんが、個展のときよりも安いような印象がありますが、どうでしょう。
 あのとき、個展で買い忘れたーというような人はぜひ。
 吾妻一直、石川進一、岩井孝道、恵波ひでお、尾形香三夫、加藤博泰、菊地勝太郎、木村初江、桐生明子、香西信行、黒川好子、坂口篤志、佐藤勝芳、下仲喜美代、鈴木勝、鈴木義隆、高際美映子、高橋武志、田村健、辻久代、徳橋博、徳橋眞知子、中村照子、中村裕、楢部淑、馬場兼治、濱田啓塑、藤田和弘、福盛田眞知子、西村和、前田育子、前野右子、松下真弓、毛利史長、八谷弘美、吉田明の各氏
 10日まで。

 2月7日(土)

 第8回道都大学美術学部デザイン学科卒業制作展札幌市民ギャラリー(中央区南2東6 地図G
 シルクスクリーン、染色はあいかわらずシャープな作品ぞろい。
 ただ、個人的には、これまで見た作品が多かったです。
 初見では、渡辺政光さん「2003芝」の都会的センスにひかれました。
 彫刻では、酒匂裕紀さん「Merry-go-Land」が圧巻。キノコを中心にオブジェが点在する構成は、どこか青島千穂を思い出させ、90年代美術のメーンテーマであった「おぞましいもの」の残響をそこかしこに漂わせているものの、みずからのテイストを貫徹させようと全力を振るっているのが好ましいです。
 油彩では、山本雄尋さん「月光蝶」が、スキルという点ではまだ伸びる余地がありますが、幻想的な風景を描きたいという意思が感じられました。山田のぞみさん「コイ」も、池のほとりにすわったふりそでの女が足を水に浸しているふしぎな情景を描いています。
 時間がなくてインタラクティブ作品は試せませんでした。すみません。
 8日まで。

 個展−文字から画へ(第2回) 嶋昌子ギャラリー パレ・ロワイヤル(豊平区月寒中央通9)
 漢字をモティーフにしたコラージュ作品。
 「豊」「無」「魚」といった文字を、絵のようにかき、周囲にコラージュでさまざまな色彩を配しています。
 布や蜜蝋のほか、江戸時代の大福帳のようなものまで貼ってあり、厚みのある世界を構築しています。
 また、支持体も、和紙だけでなく、木の太い枝を縦に切った表面に描いているものもあり、ユニークです。
 14日まで。


 2月6日(金)

 高文連石狩支部美術部顧問展札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A
 「高文連」とは、北海道高等学校文化連盟のこと。公立私立問わず、高校の文科系部活がこぞって参加しています。
 筆者も、はるかとおい昔、「新聞」の高文連大会に参加してました。
 今回の展覧会は、毎年恒例のものではありません。
 実力ある作家たちが中くらいのサイズの作品を出していますので、見ごたえがあります。
 筆者は、学校の先生の存在は、とくに地方にあっては重要だと思います。なぜなら、地方では、プロ(それだけでメシを食っていける、というくらいの意味)の画家、美術家が少ない。
 作品を売らなくても食べていける教師は、むしろプロよりも思い切って制作に没頭することができるのではないでしょうか。
 さて、全体的には、道展、全道展、新道展の会員クラスがたくさんいます。
 ただ、やはり見たことのない作品を出している人のほうがどうしても目を引きます。
 奥山哲三さん「天文台」。青をバックに、帽子をかぶった丸顔の男が、白い天文台の建物(模型?)を両手にさしだすように持っているという絵です。空に浮かぶ満月に、アンモナイトの模様が描かれているのが楽しいです。
 多田和史さん「ドウシタノ?」。金属に一部着彩した人体の彫刻です。
 高谷有紀子さん「刹那」。白く塗られた浅い箱の内側に、黒い重りや、砂時計などが置かれています。阿智信美智さんとおなじ職場のせいか、共通するテイストを感じます。
 若手の彫刻がおもしろいです。川上勉さん「森に夢みる」は、卵型の顔立ちの女性ですが、首というより、胸像のサイズ。曲線がつくるリズムが美しいです。作品のうしろに緑色の葉がおちていましたが、これも作品なのでしょうか。
 富原加奈子さん「風のすみか」は、家のような五角形をしたテラコッタの箱。よく見ると、表面にもわずか1センチほどの小さな家がはりついていたり、塔や階段がついています。となると、この五角形は「星の王子さま」に登場する小惑星よりも大きなことになり、そこに非現実的でふしぎな光景が現出します。
 現代美術的なアプローチなのは、柿崎煕さん「林縁から」と谷口明志さん「思考断片」。谷口さんの平面作品は、一見、テントを描いた絵のようですが、フォルムにあわせて支持体を切り抜いています。絵画におけるイリュージョンというものを考えさせます。 齋藤周さん「あしたの住人」も、大きさのことなる4枚の支持体をつなげた風変わりな絵画です。
 ほかに、本庄隆志さん「工場への道」は、建物がシラカバと緑にかこまれた一種の田園風景。背後の山に紫が用いられているのが美しいです。
 道展では動物の絵などを描いているという印象のある武石英孝さんの「まなざし」は、剣道の格好をした少女がモティーフで、すがすがしいです。
 ほかの出品作はつぎのとおり。
阿智信美智「fragmetation」
鵜沼均「出番を待つ」
木滑邦夫「緑の小船」
北口さつき「アジアのひと」
北山寛一「カノン」
小林光人「坂道の風」
齋藤美佳「夏のたより」
澤田範明「冬の中札内」
茶谷雄司「新しい日」
仲尾啓子「境界」
中野邦昭「シャボン玉」
成田俊哉「孤独」
場埼恵「冬の釣り人」「流木」
波田浩司「羽の舞う日」
鉢呂彰敏「律」
坂東宏哉「群青の月」「赤い海」
平向功一「バベルの塔」
廣澤正敏「遥かな夢」「春を待つ」
宮田敦生「林檎」
八重樫善照「まるまる」
 第33回現展北海道支部展=同
 「現展」の正式名称は「現代美術家協会」ですが、現代美術の公募展ではありません。絵画が中心ですが、工芸などもあります。
 本州からの招待作5点をふくむ33点を展示しています。
 絵画では、近藤弘毅さん(胆振管内今金町)「北の詩」の変貌が目を引きます。
 これまで近藤さんは、風景の前の裸婦をモティーフとして、シャープな曲線で区切った図形の中に、さまざまな濃さの青を塗るという画法でした。
 ところが今回は、風景を大胆に簡略化して曲線と曲線の間をフラットな色彩でうめるという方法こそおなじですが、裸婦が消え、色調も緑がほとんどを占めています。
 裸婦がなくなったことで一種の通俗性がなくなり、絵画らしいひろがりが出てきたと思います。下地に赤系の色を塗ることで、全体に厚みも感じられます。この変化は歓迎したいと思います。
 ほかに、鉄屑を画面いっぱいに描く工藤英雄さん(小樽)が、人物とテーブルをくみあわせた「新しい家族」という、あたらしいモティーフに挑戦しています。人物がほとんど輪郭だけなので、まだ制作途上なのかもしれません。新味を出すのがむつかしい構図ではありますが、意欲はたいしたものです。
 工芸では、亀島ヒサ子さん(江別)「"赤い大地"より」が、なんといってもパワフル。革の平面2点と、円筒形に巻いた大小5点をくみあわせたインスタレーションですが、ずっしりした存在感があります。
 ことしは阿部国良さん(旭川)の出品がありません。

 ■第31回展
 ■第32回展

 いずれも7日まで。


 あとは簡潔に。

 第26回北の会展=パークギャラリー(中央区南10西3、パークホテル 地図F
 毎年「さっぽろ雪まつり」の時期に鎌倉の画廊がひらいている日本画展。売り絵とはいえ、そうそうたるメンバーの絵が見られる、道内では貴重な展覧会です。
 個人的に気に入ったのは、石川響さん(日展)「奥比叡の朝」。オレンジの日輪が、青々とした山並みからのぼってくるさまを描いたもので、山並みが緑や黒っぽい色などたくみに描き分けられています。
 関出さん(創画)「北の雲」は、鳥の飛ぶ大地をキュビスム的な造形で描いた作品。
 片岡球子さん(院展)「夏富士」は、もくもくとわきあがる雲の造形がたのしいです。
 ほかに、浅野均、三谷青子、石井公男、福井時子、中村徹、那波田目功一、入江酉一郎、菊川三織子、後藤順一、中島千波、福井爽人、中島虎威、村居正之、吉澤照子、後藤純男、大矢十四彦、吉川優、斉藤博康、庄司福、吉田善彦、岩橋英遠。
 9日まで。

 隆香窯 上田隆之 2004、自然な器たち展=器と喫茶ふうせんかずら(北区北15西2)
 鉄分の多そうな土味が特徴。注器、皿などがあります。
 7日まで。

 アートのように書を楽しむ=パスタ&カフェ クルトゥーラ(北区北12西4)
 ことしから、クルトゥーラの奥のスペースにも、飲食用のテーブルといすが置かれ、展示は平面のみとなりました。展示専用のコーナーがなくなってしまったわけで、お客さんがいるときは見づらくなりそうです。
 現在は、札幌の前衛書家、竹下青蘭さんのリトグラフ8点を展示しています。
 29日まで。

 渡辺一夫木彫展=ギャラリー大通美術館(中央区大通西5、大五ビル 地図A
 釧路の彫刻家。
 レリーフと人物像を中心に50点ちかくあります。それほど大きな作品はありません。
 ぜんたいに、60年代ごろの童画を、立体化したような印象を受けました。表面の加工はなめらかです。
 8日まで。

 なお、「Foolish Flat Dolls」と題し、Yang Lee Gholさんのコンピュータグラフィクスの個展もひらかれています。


 2月5日(木)

 第27回鉄道ファン/Canon 2003フォトコンテスト入賞・佳作作品展キヤノンサロン(北区北7西1、SE山京ビル 地図A
 すいません、いきなり趣味的です。
 「自動車写真」とか「船舶写真」というのは趣味としている人が多いとはあまり思えないのですが、「鉄道写真」を写している人はたくさんいます。
 列車の車体だけを撮っている人はあまりいません。必然的に周囲の風景や人もうつります。
 たぶん、そこがいいんでしょうね。
 鉄道を切り口に、いろんなアプローチが可能なのです。
 しかも、列車は、路線によってはあまり本数がなかったり、あるいは「絵になる」撮影地が限られていたりするので、作品にするにあたってそれなりの制約がある。
 しかし、或る程度の制約のあるほうが、趣味としてはたのしいのだと思います。
 ことしは、39点が展示されています。
 特徴は、海外取材作がいつになく多かったこと。中国、ロシア、タイなど。6人が選に入っています。
 日本ではうしなわれつつある鉄道旅行の郷愁が、海外にはまだのこされているということでしょうか。
 日本でも、筆者の心を打ったのは、やはりふるい車輛をモティーフにしているものが多かったです。
 車体に夕景を反射させながら長い鉄橋をわたる名鉄のモ150系電車。
 力走する旧国鉄のクモハ42系電車(こんなリベットだらけの茶色の電車、どこ走ってるんでしょう。筆者は20年ほど前に鶴見線で乗りましたが)。
 日没後の雪景色の中を走るのは、富山地方鉄道でしょうか。
 もちろん、東京・汐留の超高層ビルの前を走る「ゆりかもめ」といった、あたらしい都会の美というものもあるのですが。
 鉄道は、近代化の旗手として登場しました。それが、モータリゼーションの進展に伴いむしろ郷愁を感じさせるモノになっているというのは、興味ぶかいところですが、近代化の旗手だからこそ
「ここではないどこかへ行きたい」
という、近代の夜明けとともに芽生えた感情(それはロマン主義的、といっていいでしょう)を、もっともよく反映するものになっているのではないでしょうか。
 あー、いかん、筆者もどっか行きたくなってきた。
 6日まで。

 山上學 冬のうつわと穴窯展=石の蔵ぎゃらりぃ はやし(北区北8西1 地図A
 昨年、「獺祭展」に出品した益子の作家。
 道内の個展は初めてです。
 下の階は土鍋が中心。黒と金で塗られた鍋はいまの季節にぴったり。
 2階は穴窯で焼いた片口、ピッチャー、徳利、お猪口など。益子の基本ともいえる柿色(茶色)の釉薬を中心に、さまざまな窯変が見られ、見ていて飽きません(焼き締めもありますが)。灰のかぶった猪口には、野趣も感じられます。
 ギャラリーの方の話では、山上さんは近く沖縄に拠点を移すそうです。
 15日まで。


 2月4日(水)

 See The Light 〜クスモト スケヒロ ガラス展=さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階 地図
 ギャラリー空間をきわめてぜいたくにつかった展覧会。
 工芸系の作家の個展では、めだつところに「売り物」ではない大作をならべても、隅っこのほうでうつわを売っていることが多いのですが(そしてそれはちっともわるいことではないのですが)、今回は、あかりがならんでいるだけの、じつにすっきりした構成。キャプションすらありません。
 入り口附近に、天井からばらばらの高さでつりさげられた22のあかり。鬼の棒の尖端を思わせる突起がついています。半数以上が透明ですが、オレンジや青などの色がついたものもあります。これらは、昨年11月末から北広島市芸術文化ホールでひらかれた「融けあうものたち展」で発表されたものとおなじだと思います。
 角をまがると、こんどは床におかれた4つのあかり。白い、瓦型にカーブしたかたちの下に、電球がすえつけられ、やわらかい光を放っています。
 3つめは、天井からつりさがった6つのあかりで、最後が、さきほどとよく似たかたちの、半透明の瓦型のあかりが6つ、一列にならんでいます。
 筆者は、これがいちばん見ていてあきませんでした。ガラスの表面は、目を凝らすと、短い線がランダムに走っていたり、凹凸があったりして、氷のような多様なマティエールがあるのです。その表情を見つめていると、ガラスの展覧会って、夏というイメージがあるけれど、冬もいいもんだなあとしみじみ思ったのでした。
 8日まで。

 高 鳳秀 個展 Koh Bong Soo=コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11、コンチネンタルビル地下1階 地図C
 韓国・済洲島の作家。
 済洲島と北海道の美術家は以前から相互に個展をひらくなど地道な交流をつづけています。これもその一環。
 せいぜい一辺20センチ程度の立体7点のみという、これまたぜいたくな展示空間。
 作品はいずれも金属製。表面が鏡のようになっている時計皿のかたちをした1点が「meditation-Floating」と名付けられているほかは、「sphere(黙想球)」という題のシリーズ。
 いずれも、球を元に、ちょっとずらしをくわえています。「sphere(黙想球)-Matrix」は、ゆで卵を4分の1だけ中心までくりぬいたようなかたち。「sphere(黙想球)-reverse」は、同題3点ありますが、球をまんなかで切断してちょっとずらしたようなフォルムのものなどがあります。
 シンプルかつ重厚なかたちは、小さいながらも、空間全体に緊張感をおよぼしているようでした。
 8日まで。

 『原稿用紙 ほっつき歩く』 薩川益明 小川智彦TEMPORARY SPACE(中央区北4西27 地図D
 薩川さんは渡島管内長万部町に住む70代の詩人。
 小川さんは札幌在住の30代の美術家です。彫刻から出発しましたが、近年はコンセプチュアルな色彩の強い作品を発表しています。

 今回の展覧会は、薩川さんの詩が書かれた原稿用紙を、小川さんが、詩に関係したイメージが透けて見える支持体に張り付けたもの6篇からなっています。
 詩は
「早春微醺」
「微光星」
「蜆今昔」
「空き袋と狼」
「光塵 The mortal moon」
「器」
の6篇。「微光星」は、ふるい星図の絵、「光塵」は満月の写真といったぐあいですが、どれもうすい印刷なので、手書きの詩行を読むさまたげにはなりません。
 よく見ると、原稿用紙は行ごとに縦で切れているので、ダダやシュルレアリストの詩人みたいに、詩の各行をばらばらにしてつなげなおしたようにも見えますが、詩は薩川さんが書いたとおりだそうです。
 この縦に細長いかたちが、小川さんは好きなのかもしれません。01年におなじ会場で発表した、写真をつかった作品も、似たようなかたちに切った写真の断片をつなぎあわせたものでした。さらにいえば、原稿用紙がつくる市松模様は、昨年の「札幌の美術」の、植物図鑑をつかった作品に似ています(あくまで、表面的な類似ですが)。
 カフェのほうにも、詩行を書いた紙をほそくまるめて透明な筒の中に入れた「Spirits」シリーズ6点と、詩を透明な樹脂に印刷して、複数の行がかさなって読める本型の作品「詩を透かして空を見る」「詩を透かして山を見る」があります。これまた「視覚の変容」にこだわっている小川さんらしいといえるかもしれません。

 文学と美術のコラボレーション(合作)は、戦後まもない時期にはよくおこなわれていたようですが、近年は道内でも全国的にもあまり例がないようです。以前は、美術評論家を兼任していた詩人もすくなくありませんでしたが、いまは人脈的にも縁遠いのが現状のようです。
 いささか無責任な意見かもしれませんが、どんな表現分野でもシャッフルすればおもしろくなるというのが筆者の持論ですので、このような試みは価値があると思うのです。
 8日最終日にクロージングパーティー。

■昨年7月の小川さんの個展
■札幌の美術
■01年5月の小川さんの個展


 屋中秋谷「木の中の小宇宙」=布アネックス(中央区南1西26、ニュー参道ビル 地図D
 前回と同様、ボタンの個展。
 直径20ミリから40ミリのなかに、10種を超す木片をはめこみ、小さな宇宙を展開しています。
 木にもいろんな色があり、種類があるんだなー、とあらためて感心させられます。
 おなじ手法でつくった髪留めなども。手前に展示してある四角形の板は、ボタンを取るまえの原版です。
 30ミリ以上のボタンには金具がついていませんが、買うとその場ですぐに、ボタン、ブローチ、ネックレスなどにつかえるようにしてくれます。
 ほかに、会場には、02年9月の個展で発表した木彫に塗装した作品などもさりげなくおかれています。
 8日まで。

■03年2月の個展
■02年9月の個展


 かじさやか切り絵展=メルパルク札幌2階ギャラリー(中央区南1西27 地図D
 少年漫画誌に前代未聞の「切り絵マンガ」を連載するなど、独自の世界をきりひらいてきた札幌の切り絵作家、かじさん。
 今回は、「龍」「リシリヒナゲシ」といった大作や、1992年に北海道新聞日曜版に連載された「北海道民話・伝説の舞台」の原画など、22点を展示しています。シャープな線に、職人のわざを感じます。
 会期が長いので、作品は入れ替えるそうです。
 コープさっぽろ中央文化教室の生徒さんの作品も同時展示しています。
 29日まで。

 絵画作品展「北の三日坊主達」札幌市資料館(中央区大通西13 地図C
 佐藤絵美、三条真知子、三戸部加奈、星こず枝の4氏によるグループ展。
 確信はないのですが、わかい人たちだと思います。
 星さんは、かさねた段ボールを支持体にして黒一色で表現。色やフォルムより、段ボールのマティエールで勝負しているような作品群です。
 佐藤さんは日本画のようです。「迷い月」は、大胆に銀箔をもちいた大作です。
 三戸部さんは小品の切り絵。「苺」「桜」など、左右対称のデザインです。絵画の中に工芸性をもちこむとどうなるかという実験のようにも思えますが…。
 三条さん「咲く」は、花を描いた静物画です。重く平坦な筆つかいが現代的だと思います。
 8日まで。

 「知られざる大雪山の画家 村田丹下」を読みました。
 まったく知らなかった画家だけに、貴重な本だと思います。
 それにしても…。
 丹下の生涯について、この本の著者はべつだん疑問に思っていなくても、山岳業界じゃなくて美術業界の筆者としては、ふしぎなことがいっぱいあるのです。
 まず、丹下がなぜ画家を志したのか。
 旭川時代、丹下と大雪山の心理的なむすびつきがあったことはくわしく書いていながら、どうして絵かきになろうと思ったのか、まったくふれられていません。
 画家になるために上京したのか、上京してから画家になろうと思ったのかすら、わからないのです。
 だいたい1914年(大正3年)に、画家になろうとする息子に
「それはいい」
と許可する父親というのは、ほとんど想像できません。画家というものが河原乞食と同類と思っていた人もあった時代です。
 また、この時代は、絵といえば水墨画とか日本画です。
 地方都市ではそもそも油絵を見る機会がありません。
 数回しか油絵を見たことがないまま東京に出た画家も大勢いました。この時代に洋画を志したというのは、そうとう変わっていると思うべきです。

 この本では、上京後、黒田清隆、和田英作、満谷国四郎らに師事した−とあります。
 これはすこぶる怪しい。
 黒田は洋画壇の最高峰であり、紹介状も持たずにどこの馬の骨とも知れぬ若造がのこのこ出かけていって会うことができる相手だとは、とうてい思えません。まして師事というのはにわかに信じがたい話です。
 そもそも黒田も和田も東京美術学校で教鞭をとっていたのではなかったか。だとしたら、生徒でもない若者を弟子にとったのだろうか。
 いま、学校の話が出てきましたが、丹下が美術学校に通った形跡はまったくありません。
 独学というのもまったくありえない話とはいえないのですが。
 それよりも、もっとありえないのは、丹下が、日展などの公募展に出品したというくだりが、この本に皆無だということです。
 戦後こそ公募展に所属しない美術家はおおぜいいますが、戦前は、そもそも発表の場がかぎられていたこともあって、美術史に残っている画家、彫刻家はほとんどひとりのこらず公募展に出品していたといって過言ではないと思います。
 つまり、公募展に出さないことには、有名画家になるチャンスは皆無だったといえるでしょう。
 ところが、丹下は、同郷の士や実業家などと近づきになることに熱心で、公募展でじぶんの腕を試してみようという発想がないのです。これは、大正から昭和初期の画家としてははなはだ奇異としか言いようがありません。
 作品の発表の場としては、個展と、「北斗会美術展」がほとんどだったようです。北斗会は岩手県出身者のあつまりで、萬鉄五郎、森口多理、深沢紅子らと丹下が創設したようです。となれば、萬あたりに二科への出品をさそわれそうですが、そういった経緯には、この本はなんらふれてないのです。

 戦中、従軍したり、東条英機の肖像を描いたりした丹下は、戦争が終わると岩手の田舎にひっこみ、畑を耕しながら制作に励みます。そして死ぬまで故郷のそばにとどまり、旭川にも東京にも行きません。
 この生き方は、やはり戦争賛成の詩を書いて戦後は山小屋に引っ込んだ高村光太郎を思わせますが、そこらの思いには、やはりこの本はあまりつっこんでいません。
 なにより首をひねるのは、この本には、画家としての思いを感じさせる引用が、まったくないのです。丹下が、ゴッホに心酔していたのか、セザンヌをどう思っていたのか、前田寛治や岸田劉生はどうなのか、そのあたりが皆目わかりません。

 なお、現存する作品のうち「層雲峡」は、坂野守コレクションから芸術の森美術館に寄贈された絵と非常に似ています。
 著者がしらべた当時は坂野さんの「個人蔵」で、その後寄贈されたか、あるいはおなじテーマで複数枚描いたのか、そのへんはさすがに不明です。
 また、丹下が全国誌に寄稿したのは「太陽」(博文館)が唯一ではないかと述べていますが、「新青年」に挿し絵を寄せていることは、インターネットでしらべればすぐにわかることです。

 ともあれ、よく調べ上げた労作であることはみとめますが、一読これほど多くの疑問がのこる本というのもめずらしいと思います。
 なんらかの機会に、追加調査分が発表されることを望みます。


 2月3日(火)

 堂垣内尚弘・北海道元知事が89歳で亡くなられました。
 本業の行政のほかは、スポーツマンとして語られることの多い人でしたが、工藤欣也さんの著書「夜明けの美術館」によると、道立三岸好太郎美術館を新築する際、知事公館の敷地の北半分を割譲して美術館の用地にあてるという大胆な案を快諾したのが堂垣内さんだったということです。
 あの近辺は、道立近代美術館もあって、美術ゾーンになっていますが、その生みの親が堂垣内さんだったといえるかもしれません。近代美術館と駐車場のあたりは、むかしは道職員住宅がたっていました。

 「展覧会の紹介」のSスクール写真展・大川紅世の心展を、一部修正しました。

 
 2月2日(月)

 「北の律動」CAVフォト写真教室展富士フォトサロン札幌(中央区北2西4、札幌三井ビル別館) 地図A
 中央区北1西4にあるしにせカメラ店「光映堂」の教室展。
 山本純一さんと矢部志郎さん(十勝管内音更町)が先生のようです。
 すべてカラーで、いわゆるネイチャーフォトばかりです。
 秋山みちこさん「秋のコスチューム」は、木の幹にはりついた大きなキノコを、仰角でとらえた1枚。角度がおもしろいと思いました。
 石井道規さん「躍翔」は、明け方か夕方の海岸で飛び立つ猛禽(もうきん)類を撮影。手前にうずたかく積もった流木類がすごい。颱風(たいふう)の影響でしょうか。
 岡昇さん「雲の遊(あそび)」は、だんだらに日光を反射している海面の織りなす光と影のおもしろさに着目しています。
 田りつ子さん「春への序曲」は、海岸に取り残された流氷でしょうか。薄汚れた感じは、春の雪解けにもつうじるものがあり、北国の人間にとってはよろこばしい汚らしさですね。
 矢部修治さん「河に生きる」は、江別市内の石狩川でのヤツメウナギ漁がモティーフだと思います。シンプルで、東洋的な1枚です。
 4日まで。

 荻須高徳展=丸井今井札幌本店一条館9階美術工芸ギャラリー(中央区南1西2 地図
 おぎす・たかのり(1901−86)は、東京美術学校(現東京藝大)を卒業後パリに渡り、第二次世界大戦中の8年間をのぞいては、死ぬまでパリに住んでその街角を描き続けた画家です。フランス政府からレジオン・ドヌール勲章も受けています。
 たしか1997年にも三越札幌店で個展がひらかれたように記憶しています。また、2001年には三岸好太郎美術館で「個人美術館散歩 7人の洋画家」が開催され、愛知県の稲沢市荻須記念美術館の所蔵品10点が展示されました。
 今回は油彩が「道」などわずか3点。ほか、水彩が1点あるほかは、約50点の大半がリトグラフです。しかも、多色刷りはどれもほとんど85万円というのがふしぎ。
 パリの街角というと、ユトリロなどを思い出しますが、筆者はユトリロより荻須のほうがはるかにいいと思っています。いろいろな建物や街路をモティーフにしていますが、ふつうの日本人が知っていそうな有名どころはまったく出てきません。また、遠景に小さく人が描かれている絵もありますが、ほとんど無人の街角です。日本人がパリにたいしていだく憧れを、いつまでももちつづけた画家だったのではないかと思いました。
 4日まで。

 春雷 長谷川雅志個展=ギャラリーたぴお(中央区北2西2 道特会館 地図A
 長谷川さんは染色家ですが、今回の個展では、展示されている「種」のシリーズ全作が、布に墨で絵を描いた作品です。4重ほどの同心円(というかドーナッツ型)をランダムに描いた後、中央の楕円と、楕円と楕円のすきまを切り抜いて、向こう側が透けて見えるようにしています。
 唯一「春雷」という作品は、木の皮を加工したもので、ごつごつとした素材感がきわだっています。
 7日まで。

 ■「波〜合同展」(03年11月。長谷川さんの作品写真あり)


 先週書くのをわすれていましたが、新聞各紙によると、彫刻家の小田襄(おだ・じょう)さんが亡くなりました。
 小田さんは1936年生まれ。東京藝大卒。在学中から新制作展に出品し、64年にははやくも会員になっています。
 金属を用いたシャープな抽象彫刻で知られ、63年には、第1回宇部野外彫刻コンクール展で宇部市野外彫刻美術館賞をうけているほか、北海道がらみでは、77年に中原悌二郎称優秀賞を受賞しています。
 北海道新聞によると、胆振管内洞爺村の彫刻ビエンナーレの審査員もつとめていたそうです。
 札幌芸術の森野外美術館には「方円の啓示」、洞爺湖ぐるっと彫刻公園には「風景の王国」があるそうです。


 2月1日(日)

 g.彩展 04=アートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル 地図
 札幌の町田睦子さん、野呂知子さん、柿崎勇さん、丸山繁策さんによる油彩展。
 ひとり5ないし8点を出品しています。
 柿崎さんは「中島公園」や、駒ケ岳を描いた作品など、風景画が中心。おおまかな対象のとらえかたが、ちょうどいいあんばいだと思います。
 丸山さんは「炭鉱の母子」「月形公園」など、たくみな構図が目を引きました。

 未完 3人展=同
 道教育大写真部の白石珠美、大野涼、加藤美奈の3氏の写真展。
 教育大はこれまであまり学外で展示をしてこなかったので、まずはこのうごきを歓迎したいと思います。
 この春卒業する白石さんも
「後輩がつづいてくれれば」
と話していました。
 3人は、おなじ「未完」という題で作品を出しているほか、それぞれのテーマで発表しています。すべてモノクロです。
 白石さんの「未完」は、友人4人のセミヌードで、端正に撮れています。若者の今を、切り取っています。
 ふだんはカラーが多いという加藤さんは、母子をテーマに「Look into the Future」の連作を撮っています。「未完」は、三越からパルコにいたる空間を連続写真で撮っていて、これもおもしろい。
 大野さん「泳ぎ方を忘れてしまった」は、パーフォレーションを一緒に焼くなど、意欲的なつくりですが、ガラスマウントのほこりがうつるなどして、ずいぶん損をしています。まず、引き延ばし機のそうじをしたほうがいいと思いました。

 もうひとつ、藤女子大のOGによる写真展もひらかれています。

 以上、3日まで。

 安住公美子展=ギャラリーミヤシタ(中央区南5西20 地図D) 
 ギャラリーに置いてある、来訪者が自由に感想を書くノートに安住久美子の作品
「たたかっているみたい」
というのがあって、思わずナットク。
 たしかに、そんな感じがします。
 絵の具の飛沫が飛ぶようなタッチではないんですが、画面に熱さを感じます。
 彩度の高い色と色とが、せめぎあっているのです。
 安住さんは前回まで、半立体のような作品が多かったですが、今回の個展はすべて、正方形のキャンバスに、アクリル絵の具で描いています。
 「原点にかえろうと思って。長方形にすると、また変形させたりしそうで…。あらためて、じぶんのくせのようなものがわかりました」
 以前よりも、色を修正したりすることがいやではなくなったそうです。勢いとともに、完成度のある抽象画です。
 8日まで。

■2002年11月の個展


 高橋大隆作品展=STV北2条ビル 1階(中央区北2西2 地図A
 昨年「通路」展をひらくなど、脱領域的ともいえる活動を展開している画家の碓井良平さんがプロデュースしている絵画展。
 案内状に「あいのさとアクティビティ・サポートセンター」と印刷されているから、おそらく、近年「エイブルアート」と称されている、知的障碍者によるアートと思われますが、あえてそれを前面に出していません。
 碓井さんの戦略は、はっきりしてきています。
 健常者と障碍者という区別を撤廃すること。
 ギャラリーでない空間に作品を進出させて、周囲の空間と融けあうのをめざすこと。
 高橋さんの絵は、広告の裏などにまばゆい原色がぬりたくられているもので、行儀良い絵画とは一線を劃します。ちんまりとまとまって洗練されるのではない、みずからの生理に忠実な息遣いの感じられるストロークだと思います。
 碓井さんの文章をプリントしたものがあったので、すこし長いですが引用します。
暮らしに追われる、いわゆる日常の営みの中に浸る「人間」は古代社会では奴隷と称され軽蔑されていた。
一切の活動−私達のいう文化、芸術、政治、社会活動−の力を発揮する余裕もなく、去勢され、ただただ自己の営みと、少しの趣味的娯楽で一生を終わる人々であり、旧いものの安心と新しいもの(経験則に無いもの)への嫌悪の本来的体質を有し、公と私の区別の識別に無能力であるからである。
ハンナ・アレントはこういう人々を「社会的動物」と呼んでいる。
群れをつくり、工夫し、物理的な種を保存しようと欲望する動物としての知力にとどまる姿である。
彼女のいう「社会性」とは自己の営みから全く離れた完全な公共性を意味している。

社会的動物の群れにけっして埋もれることのない高い欲望の持ち主で、充分すぎるほど『人間の条件』を豊かに備えた高橋大隆。
彼は美を限りなく創造してゆく。週に一度の限られた時間を軽々と粉砕し、あらゆる紙を爆発させていく。
紙をこすり、なぐり、うがつといった筆捌きは一般の微温的な基準に安全を求める私たちを挑発するかのようである。
制作に集中するあまり、私たちのあいまいなストップ(差しはさみ)を嘲い、怒り、洗練の姑そくを許さない、巨大なモンスターである。

私たちは偉大な先人、岡本太郎を有した筈であるが、今や『現代芸術の革命性』は零に等しく、相互に閉塞から自壊へと向かう状況の中にいる。
上野千鶴子や「当事者主権」(岩波新書)の中で、今後もっとも活力を発揮していくのは、ちまちました自我の中で右往左往する「社会的動物」ではなく、より人間的に生きようとする「当事者」であり、彼らと向かい合った「当事者」とともに人間性を全うできる社会に変換していく他に道はないと言い切る。
美は創る「当事者」、観る「当事者」の間に起こる事件であり、非職業性、非労働性、非生産性の中に無限に埋蔵されている。
過剰なる美が、STV北2条ビルの空間に出現する事件を楽しんでいただけると自信もってお薦めする。
 アレントを、こういう文脈でつかうのってありかなと、思ったりもしますが、ここでは深入りしません。
(追記・アレントのカント解釈が20世紀美学のひとつの転換点になったという見方もあるようです。もっと勉強します)