なんだかんだ言っても、道内で活躍する美術家の半数以上を輩出してきた教育大学の卒業展です。
芸術系大学が沖縄や山形にあって札幌に存在しないことをどうのこうの言ったってしかたない。これまでおよそ半世紀、教育大はバラエティーにとんだ作家を生んできたんだから。
ことしは37人が出品。
武田くんは、ここには出さず、Free Space PRAHA(中央区南15西17)で個展を開いてます。
何人かは本人を知っているし、作品をどっかで見た記憶のある人をふくめると、ふたけたにのぼります。
つまり、それだけ在学中から、あれこれ活動してたってこと。
で、A室に入ってまずおもったこと。
丸山隆さん亡き後、彫刻はだれがおしえているのだろう?
筆者にとって丸山さんとはどういう人だったか、というと、まず
「空間とは何か」
「平面と空間はどこがちがうのか」
「外部と内部とはなんなのか」
という「そもそも論」を考える人でした。
彼の研究室から巣立っていった若手−たとえば藤本和彦さん、加藤宏子さん、竹居田圭子さん−にも、その資質は引き継がれているように、筆者にはおもえます。
そのDNAをいちばんうけついでいるみたいなのが、野上裕之さん。
「不可侵領域(頭像)」は、透明なOHPシートに線を書いたものを、何百枚と重ねて立体像にしたもの。
ここには、平面作品をかさねると立体になってしまうという事態への原初的なおどろきがあるとおもうのです。
「SCOTOPHILIA」も、球体を切り開いたようなフォルムが、丸山調なんだよなあ。
久保尚子さん「ソープ愛〓ランド」(〓はハートマーク)も、牛を石鹸でつくったところがユニーク。でも、この題名だけ見ると、誤解をまねきそう。
木工では、瀬川亜美さん「sand glass」がかわいらしかった。ころころころ、と、円錐状の塔をころがり落ちるビー玉。
油彩。
境理絵さんは、木の板に群集のイメージを焼き付けるという技法で作品をつくってきた人です(■参照)。ただ、今回の「raison d'être」は、そのイメージをぬりつぶしたところから、つまり、現実の画像を平面に定着させることの根本的な意味から問い直しているような、そんなかんじがします。横断歩道がかすかに見えるだけで、画面の半ばは黒く塗りつぶされているからです。
寺林陽子さん「ジャパニーズ テープ カット」。
題のとおり、テープカットをする4人のスーツ姿の男性を描いたもの。顔は、はっきりとわからないようなえがきかたをされています。
以前、CIAでひらかれた「under 23」のときもおもったけど、寺林さんは「日本的な儀式」にたいする皮肉、というか、疑問があって、そこから制作してるんじゃないかな。
日本画。
益山育子「冬が立つ」。アルミ箔をバックに、繊細な筆で菊のちいさな花などをえがいています。彼女は、植物をとりまく風景を具体的にはかきませんが、それとなく暗示することによって、微妙な空気までもえがこうと奮闘しているように見受けられ、そこに好感がもてるのです。
谷地元麗子「泡沫結び」。青春です。もう何回もかいてるから具体的にはしるさないけど。
映像。
あれ、ふたりだけかあ?
スクリーンがきたないのと、音声が割れて聞きづらいのがちょっとざんねん。
坂井沙織「switch over」
スマートなめがねをかけ、けっして本心を人前でさらさないような「慇懃無礼」な本田くんの素顔を追った作品。
坂井さんって、いつも
「どうしてこんな平凡極まりない題材で撮るかなあ」
って思わせるんだけど、でも、編集とかがすごくうまいので、最後まで見せてしまう。本田くんを追って、バイト先はおろか、実家の大分県まで行って家族や旧友にインタビューしてしまうのもすごい。別れた彼女? の本間恵さん、美人。書棚にずらっとならんでたフーコーの本、彼は読んだのかなあ。すごいなあ。(フーコーは20世紀フランスを代表する思想家のひとり)
佐竹真紀「瞬き」
アニメーションの技法(といってもセルアニメじゃなくて)をつかって軽妙な映像をつくる佐竹さん。さすがに卒業制作とあって、力が入りました。じぶんの幼少時の写真を織り交ぜながら、そだった川べりの風景をひたすらに追っています。過去と現在をつなぐなにかをさぐることによって、「じぶんとはなにか」という問いに必死に答えようとしているすがたは、若いです。
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