聞き書き244戦隊
はじめに
私は以前から、人間の見えない大所高所の話や無味乾燥な飛行機のハードウェア、データなどには価値を認めず、飛行場の地を這う蟻になって、将兵たちのありのままの日常を覗き、会話を盗み聞きしてみたいと思っていました。
ですから、元隊員の皆さんたちから思い出話を聞く機会を得たのはまさに本望で、実に楽しい経験でした。
しかし、それによって自分の頭の中に醸成された戦隊あるいは陸軍航空のイメージと、あまたの航空戦記出版物から受け取れるそれとの間には、大きな乖離があったのです。
簡単に言えば、それらは「表面的なきれいごとでしかなく、実相とはほど遠い」ということです。
これらの出版物も読んでおられたある将校操縦者がつぶやいた、
「歴史とは、声の大きい者が作っていくんだなー」との嘆きの一言が、実に象徴的でした。
それを踏まえて、自分の本では聞き書きした生の実感を尊重し、できる限り実相に迫ろうと試みました。
その結果、「あんた、どこかで見ていたんじゃないの」などと、多くの隊員および陸軍航空関係者からお褒めの言葉をいただきました。が、一方、そのために一部からは不興も買うことになりました。
実は、本当はもっとストレートに書きたかったのですが、やはり配慮せねばならない部分もあり、思い通りにはいかなかったというのが、実感です。
そこで今回、過去十数年間の聞き書きノートを再度見直し、そこから拾い出した隊員たちの忌憚のない生の声を、順不同の箇条書きで掲載することにしました。このようなことは、ネットでなければ到底不可能だと思いますので。
■ 聞き書きの中に頻繁に出てくる言葉について補足しておきます
(1) 内務班とは兵の寝室(居室)の単位で、1個班は通常30〜40名。夜は内務班で就寝し、昼はそれぞれの所属部署で任務に就いた。
部隊の編制と内務班の区分とは一致しないので、異なる部署や特業(専門分野)の者たちが同じ内務班で生活する場合もある。244戦隊の場合には、全部で10個班あった。
(2) 当番兵勤務は、兵の中から1週間の雑用・世話係を出す制度。
整備兵の場合、例えば3週間機付勤務に就くと1週間、当番兵に出され、整備隊に戻るとたいてい別の飛行機の機付になるという繰り返しだった。機付長(たいがいの場合、兵長クラス)は比較的固定されているが、3名の機付兵は当番兵勤務との関係で、常にメンバーは変動していた。