聞き書き 調布、浜松、その他編−6
61.ムーランルージュ
新宿のムーランルージュは、何度も戦隊を慰問に来た。自分たちもそれがきっかけで遊びに行くようになった。馴染みになっていたので、客席ではなく特別に照明室から見せてもらうこともあった。
62.調布飛行場建設事務所
東京府の調布飛行場建設事務所は、天文台道路沿い、今の調布中学校の西側辺りにあった。小学校の時の同級生の親父がここの所長で、日中は職員が皆現場へ出てしまうので、自分の子供を電話番に置いていた。これを箱番と呼んでいた。
63.小原中尉
自分は小原中尉の僚機で飛んでいたが、小原さんは実に優秀なパイロットだった。
とにかく寡黙で真面目。遊ぶことなんかなかった。それで部下の自分が十二社へ連れていった。そうしたら芸者に惚れられちゃって、彼女はしょっちゅう小原さんに面会に来るようになった。
ところが、小原さんは彼女を嫌って居留守を使ったりしていたが、しつこいから、一計を案じて「セーラー服の女学生姿でなければ会わない」と、言い渡した。
やれやれこれで大丈夫と思っていたら、なんと彼女がホントに女学生スタイルで面会に現れた。飛行隊一同、これにはたまげた。
64.尾崎軍曹
9期の尾崎はいい男でなぁ、許嫁もいたんだ。転属のとき、「形見だ」と言って愛用のギターをくれた。そのギターも後から先輩に、「お前、いいの持ってるな」って、取り上げられてしまったけど。
65.特攻隊
特攻隊は、みんな神様みたいだった。でも飛行機の関係で、全部が揃って一緒に行けないことが多かった。
そうして一旦バラバラになってしまうと団結が崩れ、精神的に脆くなって、出撃してもまた戻ってきてしまうようになった。
66.浜田中尉
夜間訓練で、みかづきの浜田中尉が天文台の鉄塔に接触して墜落したときには、救援隊として現場へ駆けつけたが、火の手が強くてどうしようもなかった。落下傘の絹が焼けた、くさい臭いは今も思い出す。
注 東京天文台構内には、フランスボルドー天文台から発せられる報時電波を受けるための長波空中線鉄塔(60m高)が4本立っていた。天文台は段丘崖上にあるため、鉄塔は滑走路面からは約80m高となり、夜間、悪天候下の飛行には障害となっていたが、この事故の後、赤色の障害灯が設置された。
67.仮泊所
脚の怪我で入室していたら、よくなってきたものだから仮泊所に移された。だから十二社のお姉さんたちが、特攻隊の慰安に仮泊所に泊まりに来ていたのも知っているわけ。
仮泊所は営門を入らず、その手前を右にそれて真っ直ぐ行くと、右側にあった。左手の水路の橋を渡ると飛行場。
仮泊所にも面会の受付があったが、十二社のお姉さんたちが来たときは人目につくとまずいので、受付とは反対側の裏口(天文台側)から、こっそり入れた。
68.飛行時間
飛行時間は終戦時で1500時間、自衛隊を入れると4000時間。
飛行機(3式戦/5式戦)に問題があったという記憶はない。うちの飛行隊も12〜3機持っていて、常時10機ぐらいは飛べていた。
69.飛行第3戦隊ハ離陸セシヤ
はじめは樺太の飛行第3戦隊で双軽に乗っていた。「飛行第3戦隊ハ離陸セシヤ」という有名な話があるが、3戦隊は比島で全滅してしまったから、ここに残っていたら自分も死んでいた。
その後も何度も落下傘で降りたり、敵機に撃たれて負傷したり、今こうして生きているのが不思議なくらい。
70.ふるしま隊
小林が着任したとき、自分としては先任の古嶋大尉を整備隊長に推薦した。だが、古嶋さんは予備役だったので、小林は同期の自分を指名してしまい、古嶋さんはがっかりしていた。
戦後になって、調布に残った留守整備隊を、彼が「ふるしま隊」と呼ばせていたことを知った。やはり隊長になりたかったんだな。
古嶋さんは「何々でごわす」とか方言で喋っていたから、鹿児島の人だったのかもしれない。
71.深大寺
深大寺が爆撃されたことがあった。ここの崖に横穴を掘って、燃料を隠していたんだ。「敵もよく知っているなー」と思ったよ。
72.少飛10期生
少飛10期で、仙台の第101教育飛行連隊から昭和17年12月、244戦隊に分遣された。一緒に調布に来た同期は23名。
戦隊長村岡信一少佐(43期)、第2中隊長岩倉具邦大尉(少候15期)、教官高田義郎中尉(53期)、助手川村春雄少尉(55期)、内務班長宮崎軍曹(少飛6期技術)、班付越田弘伍長(少飛8期操)。
18年春、野崎大尉の夜間殉職事故のすぐあと、単機戦闘中に助教の7期高石軍曹機と10期東方兵長機が接触した。
高石機は右補助翼をもぎ取られながらも調布飛行場に着陸できたが、東方兵長は上石神井に墜落して殉職した。
調布の同期23名のうち終戦まで生き残ったのは、自分ともう一人だけだった。
73.横手少尉
戦隊本部にいた57期の横手少尉はひょうきんな人で、映画の姿三四郎の真似をして皆を笑わせたりしていた。仮泊所にいたときには、戦利品のアメリカさんの飛行服を着て、しゃれ込んでいた。
自分が僚機に付いたとき、彼のお父さんが手紙をくれた。ところが、毛筆であまりに達筆だから読めない。そこで、戦隊長なら読めるだろうと、持っていった。
「なんと書いてあるのか教えて下さい」
戦隊長はチラッと見ただけで返してよこして
「オレはな、いま忙しいんだ。これくらい自分で読め」
「せめて意味だけでも…、お願いします」
「うーん。これはな、立派な僚機を持って息子は幸せだ…というような意味だ。まぁ、いいから、いいから」
戦隊長も読めなかったんだ。