聞き書き 調布、浜松、その他編−5


48.山下大将
 比島の4航軍司令部の廊下で偶然山下大将と行き合い、呼び止められた。
「君は今、どんな任務に就いておるのか?」
「特攻隊の掩護であります」
「特攻…か。邪道だな」
 と呟いて、山下大将は去っていった。


49.泰山荘
 特攻隊だったから泰山荘へは何度か遊びに行った。行くと中島の親爺(中島知久平)が喜んで、あの頃では珍しい食べ物をいろいろとご馳走になったよ。

 泰山荘は中島飛行機三鷹研究所用地内にあった別荘用邸宅。中島知久平が晩年を過ごした。


50.電撃視察
 19年2月頃の早朝。吹雪の中を副官一人を連れただけの東條大将が「電撃視察」に訪れ、週番司令だった自分が応対した。
 大将は一面の銀世界となっていた飛行場の中央に出て、カバーを掛けて並んでいる飛行機の数を数え、手帳に細かくメモしていた。

 大将は私に、「いま、出動を命ぜられたらどうするか?」と問うた。この積雪で飛行すれば事故続出は必至だから、なんと答えるべきか迷ったが、「閣下のご命令とあらば出動させます」と答えた。
 大将は暫く考え込んでいたが、出動は命ぜずにその場を去っていった。あの状況で飛ばしていたら、おそらく死者も出ていたはず。東條さんも無理なことは言わなかった。


51.大井飛行場
 邀撃戦をやっているうち、残燃料警告の赤ランプがついたため、海軍の大井飛行場に不時着した。市川少尉が「燃料を入れてくれ」と、そこの司令に頼んだが拒否されてしまった。
 市川さんは「仕方ない。イチかバチか帰ろう」と、燃料を食わないように編隊も組まず単機でソロソロと飛んで、浜松に帰った。そして滑走路に降りてエプロンに向かおうとしたところで、ガス欠でエンスト。本当に危機一髪だった。


52.協同撃墜
 富士山の西でB29を攻撃。自分の射弾が、狙い通り正確に敵機の主翼付け根に吸い込まれていった。
 次の瞬間、敵機の主翼が根本からガクッと折れ、敵機は真っ逆様に落ちていった。「やった!今度こそやったぞ!」と心の中で叫んだ。

 落ちてゆく敵機から搭乗員が2名飛び降りて落下傘が開いた。鈴木伍長は、落下地点を見届けようと落下傘の周囲を旋回している。
 「そんなことしとると、燃料がなくなるぞ」と思っていたら、案の定、残燃料警告灯が点ったので、富士飛行場に着陸した。
 富士に降りて隊長に「やりました!」と報告すると、「おおそうか!よくやった!」と、隊長も喜んで子供のように抱き締めて誉めてくれた。

 浜松へ帰って戦果の発表を聞いた。すると、自分が墜としたと思い込んでいたのに、なんと3人の「協同撃墜」となっていて、ガッカリした。そのとき初めて協同戦果というものがあるのだ…と知った。
 自分が撃った敵機が実際に墜落するところを目撃したのは、後にも先にもあの一度だけ。


53.超低空飛行
 生野大尉は操縦の腕は一流だった。田中絹代の慰問のとき、お客さん目がけて超低空で突っ込んで、皆が恐怖を感じてワーッと身を伏せた瞬間に反転、皆が「あれッ」と思って後ろを振り向くと、背面飛行になっている。これは受けた。


54.夜間戦闘
 夜間は敵からは邀撃機の姿が見えず、敵機は探照灯に照らされているため、後下方から接近して確実に狙えた。だから、戦果が挙がるのはむしろ当然。体当りなんて必要ない。
 市川さんも体当りしたことになっているが、あれは機首を振ったときに意に反してぶつかってしまったもの。あとで
「俺が体当りなんかするわけねーじゃねーか」と笑っていたよ。

 夜間に来襲したB29は、焼夷弾を最大限に積載するため、防御火砲を降ろしていたといわれる。


55.P-40
 福生で3式戦の未修教育を受けたときに、鹵獲したP-40を見学した。
 ガスケットやパッキングのゴムの品質が高く、油漏れがないから機体内部がきれい。バッテリーが大容量、防弾がしっかりしている等々、無理がなく余裕を残した設計をしていて、これは敵わない…と思った。
 日本の戦闘機は背伸びをして色々な部分を切りつめていた。だから、一ヶ所がよくても他に無理がいくことになる。技術とは、総合力なのだ。


56.1日1円
 軍属として防総飛行班で軍偵の整備をしていたが、整備はやりにくかった。電纜(でんらん=点火コード)の質も悪かった。
 毎朝7時までに営門に入り、勤務は夕方5時まで。その後、夕食を食べ、風呂に入ってから家に帰った。1日1円の日給月給で、そこから食費として60銭を引かれていた。365日、一日も休みはなし。


57.少飛11期その1
 安藤伍長は、いい子だったよ。彼ら11期生は、よく本部の連絡機も飛ばしていた。調布に降りる直前にエンストしたことがあったが、全く動ぜず、同乗者に不安を抱かせなかった。
 彼らの操縦なら、安心して乗っていられた。


58.少飛11期その2
 調布の少飛11期は数も多かったし、飛行服のままで抜け出して遊びに行ったり、悪いことしていたんだ。その点、12期、13期はおとなしくて真面目だったな。


59.特攻志願その1
 特攻の志願書が配られたとき、どうしようかと皆で顔を見合わせていたら、先輩の脇さんが
「少年飛行兵は全員志願だ。いいな!」とハッパをかけに回ってきた。それで、みんな「熱望」と書いたんだ。


60.特攻志願その2
 志願書は「対空」と「対艦」の2枚が配られた。対空は自分らの本来の任務だから違和感はなかったが、対艦なん
て考えたこともなかったから、特操ではほとんどの者が希望しなかった。

 すると藤田戦隊長に集められ、訓示を受けた。
「諸君らの入隊の動機に照らしても、戦隊長はこの結果に甚だ不満である。特別攻撃隊には1式戦が使用される予定であるので、特に1式戦の履修者を望む」と。
 その後もう一度紙が回ってきて、こんどは全員が志願する結果になった。


61.特攻志願その3
 集められた特攻の志願書は、飛行隊の中で一番下っ端の自分が本部まで持って行かされた。
 暫くすると、放送が流れる。
 「ただ今から氏名を読み上げる者は、直ちに戦隊本部へ集合!」
 自分の名がないと、顔には出せないが正直ホッとする。「助かった!」という感じ。

 ところが小林龍は違った。「何故自分が選ばれないんだ」と憤慨して、戦隊長に直談判に行った。それで結局、後から振武隊に任命された。
 立派だったけれど、「どうしてそこまで…」と怪訝な感じがしたのも確か。



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