聞き書き 知覧、八日市編−1
1.戦死
知覧で6月2日に戦死した宮本は、自分と同年兵だったから知っていた。すぐ近くで「動くなよー!」と声をかけていたが、怖いからつい動いてしまった瞬間に、ヴォートシコルスキー(F4U)にやられたんだ。
敵機も一旦頭上をやり過ごして、こちらを油断させてから反転して撃ってきた。20ミリ弾が腹を貫通したから大きな穴が開いていて、酷かった。
2.監視哨
O軍曹は気さくでおもしろい人で、知覧で当番兵に就いたとき、外出すると言ったら「俺の分まで使えよ」と、小遣いを呉れた。
操縦者は、さつま芋を食うことが禁止されていた。上空で気圧が下がると、ガスで苦しくなってどうしようもなくなるから。操縦者が白米を食べるのも同じ理由。
ところが、O軍曹が2〜3日は飛ぶ予定がないから、内緒でどうしても芋を食いたいという。そこで、飛行場大隊が耕していた芋畑へ行った。農家からくすねるのは禁じられていたし、味も不味いから。
傍に対空監視哨があって兵隊がこちらを気にして見下ろしている。するとO軍曹が、監視哨の兵隊に怒鳴った。
「任務を離れちゃいかんぞ!怠けるな!上を見ろ!」
その間に芋を失敬して逃げてきた。あの時の兵隊の悔しそうな顔といったら…。
3.ご馳走
知覧から青沼伍長機の捜索に行ったとき、国分海軍基地に寄った。そこで昼食をご馳走になったが、ガンルーム(士官室)でボーイが給仕してくれ、レストラン並の食事だったのには驚いた。陸軍は兵隊も将校も汚い部屋で、同じ粗末なものを食べていたから。
4.壮行会
知覧で菅原大将が壮行会と称して、明日出撃という特攻隊員たちを宴席に呼び、どんちゃん騒ぎをやらせた…という話も聞いた。心ないことをするものだ…と思った。
5.誘導路
知覧で直掩終わって飛行場に降りてからは、そのまま、くねくねした誘導路を自走で(操縦者が操って)秘匿掩体まで戻った。
でも朝は、自分らが飛行場へ行くと飛行機は既に綺麗にエプロンに並べられていた。だれが運んだのか不思議に思っていたのだが、自分たちがまだ寝ている時間に整備兵が一機一機押して運んでいたことを後から知って、随分苦労をかけていたんだ…と思った。
6.誘導路
知覧では毎朝5時起きして、秘匿掩体から準備線まで飛行機を押して運んだが、誘導路が悪路でぬかるみだったりして、5人ぐらいでは動かなくなってしまうことがしばしばだった。
そんなときにパイロットが来て、「任せとけ」と自走して行ってくれたこともあった。あれは嬉しかった。
7.てんぱ
知覧、八日市では整備隊も人手不足だった。出動のときも整備兵が来るのを待っていると間に合わないので、自分で転把を回してから操縦席に上がって点火スイッチを入れることも度々あった。
8.グラマン
八日市で4機で哨戒飛行していたとき、上空を同方向に飛んでいるグラマンの編隊を見つけた。こちらが死角に入っているため、敵は全く気付いていない。
しめた!と思ったが、市川大尉も佐藤准尉も気付いてくれない。しかたなく一連射したら、佐藤さんは気付いたのに市川さんがまだ気付かない。
今度は佐藤さんが前に出て派手にバリバリとやったものだから、敵にも気付かれて逃げられてしまった。
9.富屋食堂
知覧にいたとき、隊長に連れられて、みんなで特攻おばさんの食堂(注)へ遊びに行って楽しかった思い出がある。他の隊も行ったのかと思っていたが、後で聞いたらうちの隊だけだったんだ。
知覧では皆分散しての穴グラ生活だったから、他隊との行き来がなく、情報も入らなかった。
注 これは記憶違いで、内村旅館が正しいと思われる
10.富屋食堂
知覧で、将校用として戦隊の経理が指定して宿代を負担していたのは、内村旅館。だから、富屋食堂には一度しか泊まっていない。
そのとき、「女中に声をかけておくと、夜中に布団に入ってくるよ…」と勧められたけど、断った。
11.市川大尉
敗戦後の八日市。市川さんと彦根の街に飲みに行っての帰りがけ、市川さんが素っ裸になってしまった。
宿に着いて玄関で市川さんがわめいていると、なにごとかと中から出てきた他隊の准尉に咎められた。
市川さんは「大尉に対して准尉如きが何を言うか!」と、くだを巻いたが、裸だから証明するものがない。
そうこうするうち、相手が名を名乗った。すると市川さんが急におとなしくなって、「申し訳ない!」と、土下座してしまった。なんと相手は少飛の2期生。先輩だったんだ。
12.厳島神社
知覧から八日市へ移るとき、隊長が下を指さすから見たら、ちょうど宮島の上。せっかくだから…と、一人で編隊を離れて高度を落とし、空から厳島神社にお参りした。八日市に着いてから、隊長に「バカ野郎!」と怒鳴られたよ。