聞き書き 知覧、八日市編−2


13.広島の灯
 制号作戦で戦隊が移動してからも知覧に残留していて、20年7月末に八日市まで5式戦を空輸した。着いた途端に、またトンボ帰りで知覧に2機残っている5式戦を取りに行けと命令。翌日、列車で知覧に向かった。

 途中で暇乞いのために実家へ一泊。九州に入るまではよかったが、熊本で空襲に遭い、鉄道は不通に。足止めをくって結局、知覧に着いたのは1週間後だった。

 8月7日、知覧を飛び立ったが、知覧には備蓄燃料がないため、途中の防府までの分しか入れてくれなかった。
 そして防府まで来たら、なんと飛行場は敵機空襲の真っ最中。これは降りられないので、しかたなく八日市に直行したが、残燃料が少ないからヒヤヒヤしながら、どうにか辿り着いた。

 途中、広島上空を飛んだのだが、原爆で何もなくなっているのに驚いた。1週間前の夜、車窓から眺めた広島の街の灯は実に美しく、印象的だったのだが…。


14.スパイ
 知覧にはスパイがいるという噂だった。特攻が出る日には、まるで分かっていたように空襲があった。前の夜、山の上から光で合図している…という目撃情報で捜索にも行ったのだが、結局分からなかった。


15.コンパス修正
 知覧で直掩に飛んでいたとき、戦隊長機の進路がおかしい。東シナ海の方向にずれている。
 はたと思い付いたのは、2〜3日前に戦隊長機が壊れて
(、戦隊長は新しい飛行機に乗り換えたばかり。たぶん、コンパス修正をしていない飛行機を持ってきたのだろうと思った。

 すると、やはり異変に気付いた生野大尉が後ろから出てきて、バリバリッと一連射して戦隊長に合図。そして、今度は僚機の自分が前に出て編隊長になり、進路を修正して無事、知覧に帰り着いた。
 降りてから佐藤准尉が、「今日はみんなお前に助けられたな。命の恩人だよ」と言ってくれた。

 戦隊長機が掩体へ戻る途中の誘導路から路肩へ落ちて破損し、戦隊長も軽傷を負った事故のこと


16.大刀洗
 5式戦で調布から知覧へ行く途中、大阪で給油してから瀬戸内海上空を飛んだ。
 その時、あまりに景色が美しいのに見とれて、燃料コックを切り替えるのを忘れた。そのために大刀洗に着いた頃にはガス欠寸前で、最短距離をと、皆とは逆方向から進入した。
 皆はもう先に降りていて滑走路の横を滑走しているところへこちらは突っ込む形になって、しかも機関砲をぶっ放してしまった。

 降りてから隊長に「俺たちを殺す気か!」と、怒鳴りつけられた。殴られはしなかったけど。
 砲を発射したといわれて、自分ではその認識は全くなかったが、後で滑走路に探しに行ったら確かに空薬莢が落ちていた。


17.不時着水
 生野大尉が知覧で試験飛行中に胴体砲の弾がプロペラに当たって吹っ飛ばし、枕崎沖の海上に不時着水した。カポック(救命胴衣)を着けていたので身体は沈みはしなかったが、漁船に救助されたときには意識を失った状態だったと、あとから本人が言っていた。


18.命令違反
 八日市で出撃命令が出たので、飛行機のところで待機していた。すると、市川大尉がやって来て、「お前は飛ばなくていいから」と言われた。白井隊長の意向だったと思う。

 八日市では、師団から戦闘が禁じられていたにも拘わらず戦隊長が出撃しようとしたので、下の者たちには命令違反の処罰が及ばないよう、白井隊長が配慮してくれたのだろう。

 7月25日朝、対グラマン戦闘の際のこと。「30機以上が出撃」などと書いた本もあるが、実際は15機程度だった


19.帰郷
 8月30日、戦隊長に挨拶してから山形の郷里へ帰った。支給された汽車賃は2円50銭だった。途中の駅で、「こいつらのせいで日本は負けたんだ!」と罵声を浴びせられることもあった。


20.血風隊
 知覧から出撃した「血風隊」と名乗る特攻隊には、最後の外出で遊んだときに性病をうつされて、膿を出したまま出撃していった少年飛行兵もいた。



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