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展覧会の紹介 秋の彫刻展特集

 北の彫刻展  堀内正和の世界  流政之展  中江紀洋展

北の彫刻展 2004
  ー新しい具象ー
2004年8月27日−10月11日
札幌彫刻美術館(中央区宮の森4の12)

 
「北の彫刻展」は、1年おきに札幌彫刻美術館が道内の彫刻家を招いてひらいているグループ展。
 これまでどういった経過だったのかについては前回の紹介の冒頭にくわしく書いたのでここではくりかえさない。
 てっとりばやく言えば、ベテランをまんべんなく選んでいた方式を2000年かぎりでやめて、前回から作家数を絞る方向に転じたのだ。
 今回は、1982年に展覧会が開始して以来はじめて、全作家を入れ替え、全員が初登場の若手・中堅となった。
 たしかに、昨年とことしの道展で2年つづけて協会賞に彫刻作品がえらばれたことに象徴されるように(むろん、「象徴」でしかないのだが)、ここ数年、わかい彫刻作家の擡頭(たいとう)はめざましいものがある。
 そして、彼(女)らの多くが、ブランクーシ以来の抽象彫刻でも、いわゆるインスタレーションでもない、「具象」に分類できる傾向の作品を発表しているのが特徴だ。
 といって、彼(女)たちは、従来の裸婦像や首をつくりつづけているのでもない(そこにもし差異や新味がある彫刻がありうるのだとしたら、それはおそらく、たとえばクラシック音楽と呼ばれる業界で金管の音色がどうのテンポがどうのという身内の言葉でしか語りえないような種類の言説でしかないだろう)。
 彼(女)たちは、人体を変形させることで、人間の存在の深遠に錘を下ろそうとしているのだと思える。
 たとえば、笠原昌子の「蛹U」。
 筆者は、彼女の彫刻を見たときになぜ感銘を受けるのかを、じぶんで完全には解明できていない。
 そして、造形作品を、文学的なことばで語ってしまうことの危険性について自覚的でなくてはならないなと思いつつ、しかし、彼女の彫刻がすぐれて現代社会の状況を反映しているのは、たしかなように思われる。言い換えれば、コミュニケーションの不全とか、人間関係をとりむすぶことの困難さとか、じぶんがここにいることの不安とか、そういったうまくことばにあてはまらないなにがしかの「感情」を、モノクロの造形がなぜか表現しえているような感覚をいだいてしまうのである。

 もうひとりの「人間変形組」、同い年のホープ、川上加奈は、笠原ほどの深刻さを持ち合わせていない。
 現代社会で、アルカイックな理想的人体が存在しうる空間がもはやありえないことをうっすらと予感しつつ、しかし明るいのが持ち味だと思う。
 そのやわらかみを帯びた線は、おのずと或る物語のようなものを口ずさんでいるようだ。
 図録によると、乾漆の彫刻は5点目とのことで、4点目までは「札幌の美術」に出品されていたものだろうから、そのほとんどが最近発表されたものということになるが、その完成度の高さには驚きを禁じえない。ただ、技術的な高みを獲得した後に、いったいなにを表現するのかは、これから前途に待っている課題なのだと思う。

 だんだん筆者の文が感想文レベルに落ちてゆくのがじぶんでもわかるけれど、このままつづけたい。
 椎名澄子も、人体を基盤としつつも、植物と融合したようなふしぎな彫刻をつくる。
 ただし、今回思ったのは、彼女のよさは、あまり大きくない作品でも手工芸的なスケールにとどまらない広がりを持つところにあるのであって、大作1点を目立つところに据えるという発表のしかたは、どうも似合わないような気がした。
 今回は、筆者がいままで見たなかで、彼女の最大の作品だと思う。大きくて、しかも周囲からちょっと孤立した場所に展示されると、人物の身振りがいくらかおおげさに見えてしまうのかもしれない。
 あるいは、彼女の彫刻は、グループ展でもほかの作家にくらべると小ぶりなものが多かったから、堂々とした作品は見慣れなくて、筆者が戸惑ったのかもしれない。

 いわゆる「彫刻」とは毛色のことなる大作をつくりつづけているのが、野又圭司である。
 今回の「ポストモダン スラム」は、巨大なビルの形。野又にはこのフォルム、あるいは立方体の連続に対する偏愛みたいのがあるのかもしれない。あるいは、砂場に対する秘めた思いがあるのかもしれない。
 しかし、それは二次的な話である。
 目に付いたのが、正面の穴。テロの車が突っ込んでできたような感じだ。
 この作品は、きらびやかな摩天楼の末路を表現している、といえば、わかりやすいのだけれど、そういうことばに回収されない黙示的な何かをはらんでいるような気がする。
 下のほうに、消費者金融のステッカーが貼ってあるのがおもしろい。巨大住宅は廃墟化しても、金貸しは栄えるということなのだろうか。
 いずれにせよ、時代とか現代というものと強くかかわっているのは、今回の出品作のなかで、これだけだと思う。

 もちろん、現代社会と無縁だからその作品がだめだと決めつけるつもりはない。
 伊藤三千代の作品は、むしろ、時代状況と無縁だからこそ、見ていてほっと心がなごむのだろうと思う。
 いうなれば、ささやかな幸せを、形象化したような感触。
 母子を思わせるふたりの人がむかいあっているようなかたちをした「小さき者のための詩」は、その中央にできるかたちがハートマークみたいだ。
 2年前に、この作品のあった位置には、夫の伊藤隆弘の、輪のかたちをした抽象彫刻があったことを思い出す。

 伴翼については、これまでややトリッキーな大理石彫刻をつくってきたが、今回屋外に置かれていた新作は、木による巨大な腕である。
 ただし、これでは、セザール・バルダッチーニを木でやりましたということだけになりかねない。
 もちろん、セザールよりも荒削りな力はあるのだけれど。
 また、野村裕之も、新作は、小品の連作である。
 無心に削る作業を続けながら、つぎの展開をまさぐっているような印象を受けた。
 両者とも今回は、評価は留保し、今後に期待したい。

 岡部亮も、次の展開に向かうまでの沈潜期にあるように思われる。
 歯と貝の造形に感服し、それを微地形とのアナロジーで見ているだけでは、ついに作品と呼べる水準のものにはならないだろう。
 微地形への関心を、社会的、歴史的なほうへと「開いて」いくこと。
 岡部の「突破口」は、そこにあるような気がするのですが、いかがでしょう。生意気な物言いで恐縮ですが。
 ■北の彫刻展2002

■伊藤三千代 彫刻小品展(02年12月 画像あり)

■岡部亮展(03年7−8月)

■笠原昌子彫刻展(04年4月 画像あり) ■道教大院生展(笠原さん出品、03年12月) ■笠原昌子個展(03年7月。インスタレーション。画像あり) ■道教大卒業展(笠原さん出品、02年3月) ■2人展(同)

■札幌の美術2004(川上さん、野又さん出品)
■03年全道展(川上さん=旧姓井上さん、野村さん出品) ■02年全道展(同) ■全道展受賞作家展(同)

■13人の小品展(04年1月。椎名さん、野村さん出品)
■椎名澄子展(03年11月 画像あり)
■北海道立体表現展(03年9月 椎名さん、野又さん、野村さん出品)
■しかおいウィンドウアート(03年夏。椎名さん、野又さん出品)
■椎名澄子展(02年7月 画像あり) ■椎名澄子展(01年8月)

■野村裕之彫刻展 なぞなぞ(03年7月 画像あり) ■野村裕之小彫刻展 ひそやか(02年4月)
■リレーション・夕張2002(野村さん、野又さん出品)

■くりさわ現代アート展(02年10月。野又さん出品)

■伴翼solo exhibition(03年12月 画像あり)
彫刻家 堀内正和の世界展 2004年8月29日−10月11日
芸術の森美術館(札幌市南区芸術の森2)

2003年11月15日−04年2月8日 神奈川県立近代美術館鎌倉  3月13日−4月18日 京都国立近代美術館  6月11日−7月19日 茨城県近代美術館
 戦後日本を代表する彫刻家の回顧展。
 この展覧会を見る楽しさは、幾何の問題を解く楽しさに似ている。

 いわゆる「美術」業界の「かたち」ではない、純粋な「かたち」の追求。
 それを、この彫刻家は死ぬまでやっていたのだ。知的な遊びへの没頭。ひたすら、うらやましい。

(この稿未完)
NANMOSA 流政之展 2004年9月11日−10月24日
道立近代美術館
(中央区北1西17 地図D
東大沼流山温泉彫刻公園ストーンクレージーの森
(渡島管内七飯町東大沼794)
彫刻公園北追岬
(檜山管内奥尻町奥尻)
 とにかく膨大な作品数。
 全点さわってもかまわない、という、いい意味での大らかさ。
 居合い抜きのような豪快さと、からりと美しいかたち。
 無尽蔵なエネルギー。
 筆者のような小物が、なにを書いたところで、はね返されてしまいそうな気がする。
 それほどまでに精力的な仕事ぶりなのだ。
 とにかく、圧倒された。

 右は、ニューヨークの世界貿易センターの下に設置されたものの、01年の米国同時テロの救援活動で破壊されてしまった「雲の砦」の、リメーク版「雲の砦Jr.」。
 この方角から見た写真が多いのは、たぶんいちばん自然だからだと思うが、じつは、この作品は見る角度によってまったくちがっ新しい函館駅舎に設置されたNANMOSAた表情を見せる。
 展覧会が終わった後も、道立近代美術館の玄関前に設置されているので、ぜひじっくり見てほしいと思う。
 とりわけ、夕日の時間帯に、東側から見ると、夕日の沈む三角山のミニチュアみたいで、面白い。

 おもしろいといえば、この「雲の砦Jr.」が、幾何学的な三角形をしていないのと同様、「ナガレバチ」シリーズも、左のカーブと右のカーブが微妙にちがう。
 もしまったくおなじカーブであれば、作品はきっとマスプロダクト的で、スタティックな印象が強まったに違いない。
 しかし、左右の曲線の違いが、このシリーズに、とぎ澄まれた美しさと、即興的なにぎやかさとを同居させているのだろうと思う。

 この世界的な彫刻家は、どういうわけか北海道とはふかいつながりがあり、道内各地に作品がたっている。
 とくに道南には多いので、そのうち見てまわってやろうと思っている。
 奥尻にはなかなか行けそうにないが、流山温泉には行って、このサイトでかならず報告します。
 筆者が好きなのは、札幌のホテルニューオータニにあるナンモサストーブである。
 「官許 明治元年」などと銘があるから、おっちょこちょいは信じてしまうかもしれない。
 左の写真は、あたらしくなった函館駅の構内に8月設置された「SAKIMORI」シリーズの1点。
 この改札口を過ぎたコースには、箱館戦争をテーマにした壁画「きのうの敵はきょうの友」もある。27メートルという超大作である。

 
 
中江紀洋展 2004年9月15日(水)〜10月23日(土)
ギャラリー山の手(西区山の手7の6)
中江紀典展 
 釧路を拠点に、いまや道内を代表する彫刻家のひとりといっていい存在の中江紀洋。
 彫刻といっても、黒く塗った歯形を空間いっぱいに並べるその手法は、インスタレーションとよんでもいいだろうと思う。
 これが、たとえば顔だったら生々しすぎるわけで、歯だからこそおびただしい数の「生」というものを、あらためて見る人が感じられるのだろう。
 とにかく、圧倒的な重みが、空間を支配している。
 歯の前に、女体のトルソのような木彫を並べるスタイルの展示は、筆者の記憶が確かであれば、1998年のコンチネンタルギャラリーでの個展が最初だったと思う。
 そのときは4体だったが、今回は5体。
 素材の形状をすなおにいかしたフォルムでありながら、妙ななまめかしさをも漂わせる、ふしぎな木彫なのだ。
  

 今回は、ほかに上の写真のような作品もあった。
 屋外の作品は、わりと90年代っぽいと思う。
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