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展覧会の紹介

59回春の院展 2004年6月8日(火)−13日(日)
札幌三越10階催事場(中央区南1西3 地図

 道内で毎年見られる、全国的な日本画展は、この「春の院展」だけである。
 院展の秋の本展はもちろん、日展や創画も巡回してこない。
 日本画の最先端について知見がとぼしいまま道内の美術ファンは日本画について語らなければならない。
 「春の院展」を見る。
 あたらしい傾向がないわけではない。しかし、全体としては、ここはフォルマリズムもアンフォルメルもメディアアートもなく、また、イラク戦争も同時テロもなく、明治期以後まったく緩慢に時間が流れているかのようである。
 むちゃくちゃ大ざっぱな印象を述べれば、院展というのは、「おくれてきたロマン派」をずっとやってるんじゃないかという気がする。東京美術学校を追われて茨城の海岸に流離した物語など、ロマン派的でなくてなんであろう。
 話がややこしくなりそうなので、整理しよう。
  1. 「日本画」は、「洋画」が輸入された時点ではじめて確立された概念であり、その確立には、岡倉天心と院展の力が大きく預かっている。
  2. 「フランス画」「ポーランド画」がないことを考えれば、日本画は、成立時点から、国家(近代国家)のなりたちと密接に関連がある。
  3. 院展の日本画は、洋画とのきびしい対峙のすえに成立した。しかし、或る程度確立してしまうと、それが一種の「家元制度」化してしまい、確立当時の「伝統」が、「因習」のように引き継がれる。そして、加藤周一が指摘している通り、日本では古い芸術に新しい芸術がとってかわるのではなく、地層のように積み重なって、古いものはいつまでも保存されていく。
 

 これまた大ざっぱに言えば、院展が成立した明治20−30年代、ロマン主義は、国粋主義に対抗する軸でありえた。
 しかし、もともと「日本画」という概念が、明治になって本格的に流入してきた「洋画」に対抗してうまれたものであり、院展創立者の岡倉天心の志も、西洋のものでない独自の絵画を生みだそうというところにあったのだから、憧憬の対象が非国家的なものから国家的なものへとさしかわりさえすれば、にわかにロマン主義は国粋主義との親近性を帯びてくる。
 いわば、美意識が、国家主義の下支えをするのだ。それは、安田靭彦や横山大観の場合を見てもわかる。
 明治期に生まれた技法が、始原を忘却して、伝統の衣をまとって強固に存続する。「日本画」がもし「伝統的」に見えるのであるとすれば、じつはそういう事態を指している。「院展」が「日本画」成立にあたって大きな役割をはたしていることを思えば、院展の絵画は、偽装された始原の物語、すなわち、西洋に対抗しうる日本独自の絵画の生成というロマン主義的な物語を、反復していくことが、要請されているといえるのではないか。
 むろん、院展の出品作すべてがそうだというつもりはまったくない。ただ「おくれてきたロマン派」の絵は、会場のどこにでも見出しうる。那波多目功一、福王寺法林、福井爽人、田渕俊夫、今井珠泉。
(それにしても、今井の絵を見て、これほどあからさまな岩橋英遠のフォロワーがいることに、軽いおどろきを禁じえなかった。いま思えば、岩橋こそロマン主義の本道を行く画家であったが、彼はその道を突き進みつつ、ナショナルな範囲にとどまらない人間精神の深みに到達した画家だったといえまいか)
 




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