展覧会の紹介

風を聴く 道立近代美術館(中央区北1西17)
2001年10月27日(土)〜02年1月27日(日)

 これは「風を聴く」展の全面的な紹介・批評ではなく、出品作を見て筆者がふと思ったことを書き連ねたにすぎない。

 瀬戸英樹「たば風が吹く浜」
 この大作は何度か見ていて、以前は
「瀬戸さん、これ全部面相筆(極細の筆)でかいたのか。いやー、たいへんだなー」
などとのんきなこと?を思ったのだが、うかつにも、今回初めて気が付いたことがあった。
 左端から見ていく。左には海がある。家並みが徐々にせり出してきて、右端に行くにしたがってまた少しずつ後退していく。そしてまた海が見える。家並みはちょうど広角レンズで撮影されたようにかかれているのだ。
 左右に海があるということは、この集落は岬の突端の手前にあって、私たちは付け根から家並みを見ているということになり、その向こう側には当然海が広がっていることになる。じっさい、家々の背後には、空しか見えない。山や木などは描かれていない。
 しかし、画面の手前はずっと砂浜である。波打ち際こそかかれていないが、1艘の小舟があり、舟を引き揚げるための胴巻きもいくつか見える。そもそも、家々を覆い隠している木の板の壁は、海から吹き付ける強い西風を避けるためのものではなかったか。
 となると、この絵に描かれている風景がもし現実のものであるとするならば、この家並みはぐるりをすっかり海に取り囲まれていることになるのだ。そんな場所は道内にはないだろうから、これは作家によって再構成された風景であるということになろう。
 だが、違和感は全然ない。
 別の話。
 左から3つめの建物の屋根と、右から3つめ、4つめの屋根が、瓦屋根である。
 北海道の人間にとっては、瓦屋根の方がエキゾチックな感じがする。ただ、以前函館に行ったとき、旧銭亀沢村に入ったとたん瓦屋根ばかりになったので驚いたことをおぼえている。まだまだ北海道でも知らないところはいっぱいあります。

 次に岩橋英遠「風雪の名瀑(風)」「風雪の名瀑(雪)」の2作である。
 大自然の厳しさを描いた名作である。とりわけ前者は、滝が強い風のために途切れた瞬間をとらえており、見る者に感銘を与える。
 仔細に観察すると、この絵には具体的なものがほとんど描かれていないことに気付く。水流は、ほの白いもやに過ぎず、岩肌は色面と直線の組み合わせだけで表現されている。「雪」のほうが、まだしも前景に、樹氷に覆われた木々などを配していることからみても、ほとんど抽象画といっていいくらいである(この絵もたしか、昨春、道立釧路芸術館で見てるよなー。俺の目ってほんと節穴だなあ)。さらに、水の出口にあたる部分にはわずかに金箔まではってある。
 さて、岩橋英遠というと、北方のロマンである。
 これほどまでに北の風土を愛し、あこがれ、それでいて通俗的な表現に流れず、厳しい視線とわざで北の自然に対峙してきた日本画家はほかにいないだろう(彫刻であれば、この会場にも代表作「四つの風」が並ぶ砂澤ビッキ、洋画なら小谷博貞であろうか)。
 しかし、この「北方のロマン」ということばを持ち出して、なにかわかったような気になってしまうのも、どうも思考停止に陥っているように思えるのだ(ここで誤解のないように申し添えておきますが「北方のロマン」を持ち出しているからと言ってその表現を使った評者がみな思考停止に陥っているというわけでは決してありません。世の中にはそれ以上論を展開する時間や紙幅の余裕のないことはよくあることなのだ)。
 そもそもロマン主義ってなんだろう。
 小樽の女性(ひと)を歌い上げることか(それは東京ロマンチカ)。
 ロマン主義の揺籃の地はドイツである。
 ここで筆者のごとき無知の者が指摘しうるのは、ドイツのロマン主義というのははなはだやっかいな一面をもっているということである。
 それは、ナショナリズムとの結びつきである。
 ドイツとナショナリズムの関係というのは、みなさんちょっと考えればわかると思いますが、ほかの国よりもはなはだ困った問題なのである。
 ロマン主義にナショナリズムが結びつくのは、必然的なことなのか。それとも、ドイツの特殊事情なのか。
 そんなことを考えるのは、岩橋英遠の絵にはナショナリスティックな雰囲気がまるで感じられないからだ。
 「風雪の名瀑(風)」は、那智の滝を描いたものであるらしい。神道信仰、本地垂迹のメッカみたいなところである。ふつうならもうちょっと、日本の伝統ここにあり! みたいな絵にならんだろうか。それを、まるで銀河の滝みたいにかいちゃって…。
 大自然の崇高さを描く、という点で、たしかに岩橋には、ドイツ・ロマン主義の画家フリードリヒなんかと相通じる部分はあると思うのだが…。
 自然の様相がこれだけ異なると、ロマンが北方的である限り、ナショナリズムとは結びつかないように思うのだが…

(話が煮詰まってきたので、この項未完)

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