展覧会の紹介

ART for the SPIRIT
永遠へのまなざし
道立近代美術館(札幌市中央区北1西17)
2001年10月31日(水)〜12月2日(日)

 パリ生まれのユダヤ人クリスチャン・ボルタンスキー、北広島在住の岡部昌生、茨城在住の宮島達男、米国のジェームズ・タレル、東京在住の舟越桂の、国内所蔵作品によって構成された展覧会。
 この展覧会でとりあげられている5人の美術家については、図録所収のテキストでほとんど言い尽くされているし、いまさら筆者ごときが、生と死について、あるいは「大量死の世紀」20世紀について、正面きって論じる必要もないと思われるので、ここでは、いくぶん周縁的なこと、個人的な感想などを付け加えるにとどめたい。

 まず、指摘しておかねばならないのは、この展覧会が、道立近代美術館が企画し、主催したものであるということだ。
 「何を当たり前のことを」
と言う人があるかもしれないが、公立美術館の特別展のかなりの部分が、予算などの都合で、新聞社や放送局が主催する「●●美術館名品展」(これは、学芸員の企画力がそれほど問われない場合もあるという)とか、ほかの美術館との共同企画による巡回展などで占められざるをえないことを思えば、それだけである程度の評価に値するものといってよい。
 しかも、現代美術の展覧会は、客が入らないので、美術館はともかく、入場者数を気にする行政側にはとかくいやがられるのが常である。同館では近年では、フランスの現代美術を紹介した1999年の「パッサージュ」展ぐらいしか開催されていないと思う。なかなか現代美術を紹介する機会がないので、学芸員は、親子づれを対象にした毎年冬休みの展覧会シリーズ「アミューズランド」に現代美術の作品を織り込むなどの苦労をしていた。
 したがって、道立近代美術館が、独力でまったく一から現代美術展を企画したということは、館の底力を示すものといっていいのではないだろうか。

 作家の顔ぶれを見ると、海外2人、国内(道内を除く)2人、道内1人と、バランスをとっている。
 道内の現代美術というカテゴリーでいうと、実績から言って岡部が選ばれたことに異存はないだろう。ギャラリーはもちろん、帯広、夕張、北見の公立美術館での展覧会、さらに光州(韓国)や妻有(新潟県)の国際美術展に出品してきたが、意外にも札幌の美術館でのフィーチャーはほとんどなかった。
 しかも、一般にもわりあい人気のある舟越桂を入れるなど、大衆性との兼ね合いも考慮に入れている。ほかの3人は、道内ではほとんど紹介の機会がなかったという要因も考えあわせると、かなり苦心の人選であることがうかがえる。

 かんじんの作品についても触れておく。
 ボルタンスキーの作品を見て、電球につながる配線が写真の手前にあるのがちょっと意外だった。日本人の感性なら
「美観を損ねる」
と言って、後ろ側に隠すのではないだろうか。
 もうひとつ、「死んだ174人のスイス人たち」について。
 全員が白人なのは仕方がないとして、男性の写真が、圧倒的に多いのだ。このインスタレーションに用いられている写真は、スイスの新聞から借用したものだという。新聞の死亡記事も、男性優位が続いている。写真の男女比に、はからずも(と言っていいだろう)現代の社会が反映しているのだ。 

 岡部のインスタレーションは、あるいは、初めて見る人には理解しづらいかもしれない。
 地面を紙でこすりとるという、あまりに単純な手法が、はたして美術作品になりうるのかと、いぶかしげに思った人もあるだろう。
 しかし、この美術展に足を運ぶ人であれば、会場に備え付けられた小冊子などを読んで、作者の狙いとするところを理解しようとするに違いない。
 さまざまな土地をこすりとってきた岡部にとっては、ある意味で、近年の集大成ともいえる展示になったのではないか。

 宮島の「Mega Death」は、昨年、東京のオペラシティアートギャラリーでも見た。
 突如として空間を満たす、どんな暗い夜でもありえないような深い闇。そして、再び発光ダイオードが光る瞬間の感動を、再び味わうことができたのは幸いだった。
 ただ、どうも、オペラシティのときよりも、カウンターの数字が変わる速度が遅くなっていたような気がする。
 宮島が青い発光ダイオードを用いたのは、この作品が初めてであるらしい。

 それはさておき、宮島達男で思い出すのは、埼玉県立美術館でドナルド・ジャッドを見たときのこと。たぶん98年。
 コインロッカーに預けた荷物を取りに行ったら、透明な扉ごしに光るものが入っているロッカーがある。何かと思ったら、宮島達男の作品だった。例によって「1」から「9」の数字を繰り返し表示するカウンター一つだけからなる、最小の作品なのである。
 ジャッドは、取り付く島のない感じだったので(ミニマルアートだから当たり前か?)、明滅を繰り返す赤い発光ダイオードの光に、何だかとてもほっとしたのを覚えている。

 タレルの作品は、箱型で、一人ずつしか入れないため、鑑賞できなかった。箱型でない作品も出品してほしかったと、ちょっと残念。

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