展覧会の紹介

2002 北の彫刻展 2002年8月30日(金)〜10月14日(月)
札幌彫刻美術館(中央区宮の森4の12)

 「北の彫刻展」は札幌彫刻美術館が、開館翌年の1982年から隔年で開いているグループ展です。
 第一線で活躍する北海道出身・ゆかりの彫刻家が出品し、まさに「北海道彫刻のベスト盤」的な展覧会として10回目までつづいてきたわけですが、「継続性を重視した」と図録で述べられているとおり、おおむね顔ぶれが固定されていたことから、11回目の今回から大幅に作家を入れ替えて新たなスタートを切りことになりました。

 ここで、これまでの出品作家を、出品回数べつに振り返ってみたいとおもいます(資料は、同館館報「もにゅまん」22号)。

 10回(皆勤)…板津邦夫、神田比呂子、斎藤一明(*)、高橋昭五郎、中江紀洋、山下嘉昭、山田吉泰
 9回…阿部典英、國松明日香、坂坦道(*)、山本一也(*)
 8回…秋山沙走武(*)、小野寺紀子、岡沼淳一、田村宏、永野光一、二部黎、松隈康夫、丸山隆(*)
 7回…伊藤寿朗、伊藤隆道
 6回…岩下硯通、山谷圭司
 5回…本田明二(*)
 4回…上遠野敏、砂澤ビッキ(*)、米坂ヒデノリ、渡辺行夫
 1回…S・オストルンド、佐藤忠良、安田侃
  (*)は故人

 まずは妥当な人選なのでしょうが(もっとも「どうしてだれそれがいないんだ」ということを言い出せばいろいろ言えるでしょうけど)、出品者の平均年齢が回数を重ねるとともに上がっていくのは必然です。ベテランが抜けないまま中堅・新鋭を入れようとすれば、各自の展示スペースをせまくするしかありません。
 ここらでいったん仕切りなおしということになったのは、無理からぬところでしょう。

 今回は、これまでの出品者のうち岡沼淳一(十勝管内音更町)、小野寺紀子(札幌)のふたりをのこして、ほぼ総入れ替えという格好になりました。
 あたらしい顔ぶれは

 伊藤隆弘(空知管内長沼町)
 小川誠(函館)
 川上りえ(石狩)
 菅原尚俊(江別)
 寺田栄(旭川)
 藤井忠行(旭川)

で、計8人ということになります。
 伊藤、小川、川上、菅原の4人が1960年代生まれ、あとの4人が40年代生まれで、50年代がゼロというのもおもしろいくみあわせです。
 また、道内の出身ではないのに、90年代以降に縁あって北海道に転居してきた人が、伊藤、小川、川上、寺田と半数を占めるというのも、開放的な北海道らしさを反映しているといえましょう。
 


 個人的には、伊藤隆弘の仕事がおもしろく思いました。
 昨年の個展でも思ったことですが、シンプルでいて、どことなくモニュメンタルというか、永遠のようなものを感じさせます。円のつかいかたなどには、イサム・ノグチを思わせるものがあります。

 岡沼淳一は、十勝川水系から出土する埋もれ木を使っています。「寒流」などは、その題の通り、どこまでもつづいていく大きななにかの流れの、ほんの一部分、一瞬を切り取って見せたようです。でも、それは、反対にいえば、作品が無限のスケールを宿しているということでもありましょう。

 小川誠は、「多次元へのいざない−浄暗−」に感銘を受けました。
 それほど大きくない、金属の裸婦像です。
 ブランクーシに「新生児」という有名な彫刻がありますが、あれが金属の卵だとして、掘り進んでいったら、あるいは孵化したら、そこにあらわれるのがこの裸婦ではないか、という気がしたのです。
 それほど、丸みを帯びたフォルムは、完璧さを秘めています。
 具象・抽象という二分法はあまり意味がないかもしれませんが、桜井雅文が早世して、道内の具象彫刻は若手がすくなくなっています。人間性に基礎を置いた彼のような作家にも、踏ん張ってほしいものだとおもいます。

 もうひとりの具象作家が小野寺紀子です。
 彼女の女性像は、いつも生真面目な印象を受けます。いささか硬いのではないかとおもえるところが、彼女らしさなのかもしれません。
 出品されたレリーフは彼女にはめずらしく男性像なので、なにがしかの変化があるかもしれません。

 川上りえは、各種のグループ展や個展など、じつに活発に発表をおこなっていますが、つぎになにを出品してくるのか予想のつかない人といえます。
 それぞれの作品に共通しているのは、金属を用いたダイナミックさということくらいで、あるいはこの人ほど「自己模倣」ということから、自然体で遠い人もめずらしいのではないでしょうか。
 今回の「In a Change of Scenery」は、大小の球体と、そこから上方へと伸びてゆく直線を組み合わせた作品です。ダイナミズムは健在でした。

 菅原尚俊は、花崗岩という素材にこだわりがあるように見受けられます。
 フォルムももちろんですが、意外と多彩な表面の変化が、作品に多様性をあたえています。

 寺田栄は、シンプルな、同じようなかたちの石の抽象を3点出しています。
 むかし理科の参考書に、植物の根の尖端の拡大図が載っていましたが、あれを思い出させます。どこかに「成長点」がひそんでいるようにもおもうのです。
 95年に移住してきた旭川では、彫刻フェスタなどで活躍しているのですが、札幌での発表はこれがはじめてのようです。これまでの出品者の中で山本一也先生も故人となられました。
 (札幌彫刻美術館から「寺田先生は、第1回本郷新賞受賞作の共同制作者のお一人で、古い話ですが受賞記念展(1984年)に小品ですがご出品いただきました」というご指摘をいただきました。ご迷惑をおかけしました)

 藤井忠行が「北の彫刻展」初出場というのは、キャリアから考えて意外な感をまぬかれませんでした。
 彼の木彫は、或る意味で分かりやすいです。そこには過剰な意味付けはなく、木の持つ生命感のようなものが、作品として成立した後も損なわれることなく息づいているようにおもわれるからです。

 いささか簡単で乱暴な評言になってしまい、反省しています。
 ロザリンド・クラウスは、現代彫刻について「場所の喪失」を指摘しました。
 しかし、彫刻美術館の緑の庭に、たとえば伊藤隆弘のシンプルな石の彫刻が置かれているのを見たとき、それを「場所の喪失」と決め付けることはできないのではないか、というのが筆者の偽らざる思いです。
 たしかに、根こそぎといっていいほど日本の風景は俗悪に改変させられてしまいましたが、それでもなおしかし、北海道にすらなにも守るべきものがのこっていないときめつけるのも速断にすぎるような気がしてなりません。
 現代美術のめまぐるしいモード変化にながされることのない、一貫した取り組みとしての「北の彫刻展」を、今後も見続けていきたいとおもっています。

(10月5日)

表紙  つれづれ日録   前のページ   次のページ    「展覧会の紹介」さくいん