展覧会の紹介

北方圏アートプロジェクト
<美術展2002年>
2002年9月21日−10月6日
ポルトギャラリーA室・B室
(中央区南1西22)
 阿部典英、佐々木けいし、野崎嘉男、永野光一、林亨、丸山隆の6人によるグループ展。
 いずれも、道内美術界の第一線で活躍中の作家たちである。
 新作が多く−残念ながら筆者の記憶力の悪さのためどれが新作だと断言はできないのだが−片手間のグループ展ではないことがうかがえる。
 そもそも、力のない作品や小品では、このあたらしくひろい会場に負けてしまう。

 まず、丸山隆から。
 とりわけ昨年から驚異的な勢いで大作を発表し続けてきたが、がんのため8月、47歳で亡くなった。
 今回の作品も、これまでと同様、「不可視コード」と名付けられた金属製の立体である。
 正方形のテーブルに似た形をしている。
 ただし、天板にあたる部分は中央が高くなっており、ピラミッドよりは低い正四角すいである。
 しかし、そのうち四分の一の部分が、他の部分からわずかに切り離されている。
 おそらく、この作品の要諦は、この切断部分にあるだろう。
 四分の一と四分の三部分のあいだに生じた空間が、作品の中心なのだ。裂け目が、作品になっているのだ。
 彼は、おなじ題の彫刻や、インスタレーションなどで、立体と平面、表と裏、空隙と充実といった問題について、原理的な考究を持続させてきた。
 二次元と三次元の世界から、四次元の世界へと旅立ってしまったのはざんねんでならない。
 なお、2001年に札幌・CAIで開いたインスタレーションの個展の画像が、CAIのHPに掲載されているので、興味のある方はごらんください。

 丸山隆と同様、彫刻家集団CINQ(サンク)のメンバーとして、公園の企画・実地整備などにも携わってきたのが、永野光一である。
 彼は、近年はもっぱら、抽象彫刻でよく使われる素材である石の塊と、金属の棒の束を組み合わせ、力強さとシャープさが同居したような独特の彫刻をつくっていた。筆者は見るたびに、岩山から雷鳴や電流が走り抜けるさまを連想していた。
 だが、今回は「廻」と題した2点を出品している。
 いずれも、大理石とおぼしき素材による、弾丸をおもわせるかたちの立体1個と、鉄錆び色をした石の塊2個からなる。
 3つの物体が床の上に一直線に置かれたさまは、一見「もの派」の作品のようだが、3つに1つが作りこまれた彫刻という点で、あきらかに異なっている。
 ただし、それぞれのフォルムなどよりもむしろ、物体を空間の中に配置すること自体によって、空間を変容させているという作用のほうが大きいようにも感じられる。その点では「もの派」とも通底するものがありそうだ。
 いずれにせよ、彼の彫刻が、複数のパーツに分かれたのを見たのは初めてなので、それだけでも注目した。

 阿部典英は、ベテラン彫刻家として活躍するいっぽう、ギャラリーを主管する北海道浅井学園大学の理事を務めている。
 これまで数多くのグループ展や、国際交流の展覧会に参画し、昨秋は、道立近代美術館で大規模なグループ展「北海道立体表現展」を組織。また、10月4日までギャラリー門馬のこけら落としとして開かれていた Northern Elements展ではポップな小品を発表するなど、多忙さは変わっていないようだ。
 ことし春の個展では、どこかエロティシズムをただよわせたインスタレーションが注目されたが、今回は、9月に開かれたグループ展「WAVE NOW」でも出品されていた「ネェダンナサン あるいは再生(1)」と、「ネェダンナサン あるいは再生U」を出品。それ以前の、北方の風土性が濃い作風のようである。さらに、おそらく新作である「ネェダンナサン あるいは天女と踊る人」を出品。これは、10のパーツからなるインスタレーションで、深閑とした森のようでもあるし、そこでおこなわれているにぎやかな祭りのようでもある。
 精神的なる何者かへの畏怖。みずからの原風景に寄せる郷愁と或る種の敬意のような感情。そして、饒舌と静謐さ。
 彼の作品は、鑿跡をなまなましく刻印しながら、多義性へとひらかれているようだ。

 イカン。文章がむずかしくなってきた。
 佐々木けいしは、金属工芸の作家であるが、その枠にとらわれない立体やインスタレーションをつくっている。
 今回も、一気に「撚(ねん)」「枉(おう)」「戮(りく)」「遡(そ)」と、4点を発表した。
 タイトルの読みがなは、はじめからつけられていたものだ。
 このうち「遡(そ)」だけは、電燈を組み合わせた作品で、いわゆる工芸にちかいものといえるだろう。
 ほかは、三角形を折り曲げたようなかたちを3つならべて床に伏せた「枉(おう)」など、パワフルな作品(メモのまちがいで「撚(ねん)」のほうだったらすいません)。

 のこる二人は平面の作家。
 いずれも、これまでとは作風は変わっていない。
 35年以上にわたって毎年、札幌時計台ギャラリーで開かれている北海道学芸大(現道教大)の同窓生展「グルッペ・ゼーエン」(ことしの模様はこちら)のメンバーでもある野崎嘉男が、現在の「記」シリーズの系譜の作品をはじめたのは、1997年くらいだったとおもう。
 数センチ角のおなじ大きさの正方形を、3つほどの列に規則正しくならべて描く。そして、その中に、渦巻きやぎざぎざの線などをひっかいて表現する。100号クラスの大作だと、正方形の数は何十個にもなるが、それらの線はひとつとしておなじものはない。
 いわば、ミニマルアートにつうずる反覆性と、線の即興性とが同居している絵である。あるいは、近代的・合理的な要素のなかに、プリミティブな要素が顔を出している絵ともいえるかもしれない。
 今回は5点を出品している。

 林亨については、ことし6月の個展のさい、展覧会の紹介で詳細に論じたので、ここではくりかえさない。
 今回は「眼を閉じて」を2組出品。
 いずれも、4つのパーツからなりたっている。
 このうち、1階のA室に陳列されていたほうは、円筒を縦に切ったように、支持体がまるく彎曲(わんきょく)している。
 あくまで「絵画」の未来にこだわりつつも、あたらしい可能性をもとめる作者らしいとおもう。
 なお、この6人のうち、4人は道展の会員。阿部と林は公募展には所属していない。

 最後に、この展覧会の位置付けであるが、筆者の劣悪な頭脳ではなかなか理解がむずかしい。
 案内状を読むと、ようするにこういうことらしい。
 北海道浅井学園大学は、文部科学省の指定を受けて、「北方圏住民におけるQuality of Lifeの向上に関する総合研究」を進めている。
 それは、12のプロジェクトからなる共同研究である。そのひとつが、「北方圏で活動する現代美術作家の表現形態の比較研究および交流発表」をテーマとするプロジェクト。
 今回の展覧会は、そのプロジェクトの実質的なスタートとなるものである。今後は、中国、韓国、カナダ、スウェーデンなど北方圏の現代美術作家の国際交流展を開いたり、国際シンポジウム、ワークショップなども計画している。
 そして、今回の6人は、プロジェクトの作品発表研究員である。
 もっとも、道浅井学園大学の教員が多いのは納得できるにしても、丸山隆さんは道教大の教授だし、発表研究員という役職の位置付けはよくわからない。
 会場のパネルには、奥岡茂雄・道浅井学園大教授(前道立近代美術館副館長)、佐藤友哉・道立近代美術館学芸課長らの名前もクレジットされているが、学芸員サイドがどういうことをするのかもよくわからない。
 国際交流展が開かれるというのは、たのしみにしたいと思います。

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