展覧会の紹介

阿部典英個展 [Propagation] 2002年5月10日(金)〜31日(金)
CAI(中央区北1西28)

 「ネエダンナサンあるいは原風景」と題したインスタレーションが1点。
 あるいは、個展の副題となっているPropagation。これは、繁殖という意味である。
 昨秋、道立近代美術館で開いた「北海道立体表現展」の組織や、東京でのグループ展など、活発な活動を見せているベテラン作家だけに、意外に思ってしまうけど、個展はじつに4年ぶり。その時、大丸藤井スカイホールの全室で展開したインスタレーションの題も、やはり「ネエダンナサンあるいは原風景」だった。
 おなじタイトルだけに、前回の個展と基本的には似ているところが多い。
 鑿跡もあざやかな、高さ数十センチの卵形の立体がびっしりと並ぶ。まるで、きのこの森のようである。
 その間に、それよりもやや高い、アンテナとも、五重塔の尖端とも見えるふしぎな形が、立っている。
 いずれも、木炭を塗りこめて表面をこすった、黒光りする木である。
 木によっては、自然のままにぱっくりと割れ目が生じている。
 前回と異なるのは、その割れ目に、ところどころなまめかしい朱がさしてあることだろう。
 いや、なによりも前回から隔たっているのは、その森の上方の壁に五つ掛けられた真っ赤なハート型のレリーフである。
 これは、「北海道立体表現展」のときに発表された「ネエダンナサンあるいは壇」の部材を再利用したもののようだ。あのときは、今回のアンテナみたいな木の棒の上に乗っかっていたが。あるいは、同じ形態のものをあらためて制作したのかもしれないが。
 いまハート型と書いたけれども、銀行のマークのようなスマートなハートではない。どちらかというと、舌とか、女陰を思い出させる、じつになまめかしい形態をしている。色もアクリルの赤で、わざとなまなましくしているようにすらかんじられる。
 もっぱらこのハート型のおかげで、作品はこれまでとはいささかちがう印象を抱かせる。
 前回が、北方の森を思わせるロマン性を漂わせていたのにくらべると、今回のほうが生命感にあふれているのだ。
 崇高さとか宗教性がいくぶん後退して、デュオニッソス的なエネルギーがみちてきていると言ってもよい。
 これは、ハート型のせいもあるけれど、全体の部材の並べ方にも原因があろう。これまでしばしば阿部の作品は、祭壇を思わせるような配列になっていたが、今回はまったく中心をうしなっている。求心力のかわりに、どこから草や芽がはえてくるかわからない若々しい春の森のようなのだ。
 いま世界は、率直に肯定することがむつかしい、さまざまな問題にみちている。しかし、眉間にしわを寄せて否定的な身振りをとることだけが、明るい未来をかたちづくる場合のやりかたではないだろう。肯定することがむずかしいからこそ、世界のさまざまなあり方をあえて肯定する。−筆者は、そういう作者の力強さを、卵と卵の立つ間の空間に、見たような気がする。(カッコよすぎだなあ)

 なお、参考までに、前回98年の個展のさいに筆者が北海道新聞に書いた「展覧会評」を載せておきます。
 紙幅のつごうで書ききれませんでしたが、あとで阿部さんから
「黒い森には、環境問題への視線も入っているんだ」
と言われました。それほど多義的なインスタレーションであったということです(その点は、今回も同様だとおもいます)。

(5月29日)

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  五月から七月まで道立近代美術館で開かれた「加山又造展」を見て強く感じたのは、帰れる場所というか、伝統がある人はいいなあ―ということだった。加山は西陣織の衣装図案を描く父を持つ。若いころは西洋絵画に学びながらも琳派的な世界にすんなり戻っていったあたりがいかにも京都生まれらしい。
 翻って北海道の風土というものを考えてみる。欧米人の指導下に開拓が始まったこともあって、日本にも西洋にもなりきれない中途半端さがどうしてもつきまとう。この土地と風土に根ざした創作活動を続けるのは案外大変なことかもしれない。
 阿部は一貫して自分の原風景を彫刻やコラージュの中に反映させてきた。疎開や開拓の体験が作品に込められているのだ。今年六月に個展を開いた際に作者が記した一文から引用する。
 「私の原風景は電気の無かった田舎にある。熊笹(クマザサ)の張り根を引っこ抜き、根株を抜き、石ころを拾う。先人の開墾した畑を更(さら)に広げわずかなイモを収穫する為(ため)に」
 今回の個展は「ネエダンナサンあるいは原風景」=写真=一点だけ。最大で高さ二・五メートルの柱四十九本、数十Bの卵形の立体七十一個、床面に寝かせた柱三本を規則的に並べた巨大なインスタレーションである。いずれも、刃物の跡が鮮やかな木材の表面に、黒鉛を塗り、たわしでこすったものだ。背の高い柱は原始の森に、卵形の立体は畑のようにも見える。
 黒い森は、人間の理知や力が及ばない深奥さを秘める恐ろしい場所であり、多様な生命をはぐくむ懐かしい所でもある。そしてこの森は、個人的な体験を超えて、作者の中で醸成されて普遍的な存在になっており、北国らしい情緒を表面的に反映させたものに陥っていない。
 ドイツのある哲学者が「私たちはみな故郷へ帰っていく存在である」という意のことを言っている。私たち北海道人の帰る場所。それは開墾の厳しさと大自然のやさしさ、そして「ネエダンナサン」という呼びかけのようなおおらかさを持った場所なのではないだろうか。
 阿部は一九三九年札幌生まれ。札幌在住。
      ◇
 10月4日まで、札幌市中央区南一西三、大丸藤井セントラル七階、スカイホール

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