展覧会の紹介
スカンディナビア風景画展 | 2002年4月18日〜6月2日 道立近代美術館(中央区北1西17) 6月8日〜7月21日 ひろしま美術館 7月27日〜8月31日 秋田県立近代美術館 9月21日〜11月10日 東京ステーションギャラリー |
1810年代からおよそ100年間にわたる、北欧4カ国(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド)の風景画76点。
有名な画家はムンクとハマーショイくらい。そのムンクも、1981年に同じ近代美術館で見た名作の数々にくらべるといささか雑な1点。でも、個人的にはたいへん見ごたえのある、すばらしい展覧会だった。
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どうしてすばらしくおもえたのか、理由をかんがえてみた。
やっぱりいちばんに挙げなくてはいけないのは、北海道民として、スカンディナビアの風土に親近感をおぼえるからだろう。
北海道は日本の北の端。スカンディナビアは、欧州の北の端である。
筆者は行ったことがないけれど、長くて厳しい冬とか、スキーや牧畜が盛んとか、共通点もけっこうありそうである。
たとえば、アルフレド・ベリストレーム(スウェ−デン)が弱冠19歳でかいたという「冬、ストックホルムのシェップスホルメン」(1888年)という絵がある。
スカンディナビアの美術史の上でもさして重要とはいえない1枚かもしれないが、この絵の光の使い方には、心の底から共感をおぼえた。
前景を、日陰になった緩やかな斜面が占める。すっぽりと雪でおおわれ、わずかに、左手前から右奥へとつづいている踏み分け道と、丈の低くみじかい柵が隅にえがかれているだけ。ちょうど中央に、三角屋根の家が、林をバックにたっているのだが、その家のクリーム色の壁に当たる冬の弱々しい光が絶妙なのだ。雪の斜面のほんの一部が日向になっているあたりの描写も、うまい。
「ああ、冬の陽光って、こんなかんじだよね。斜めにさしてきて、色もちょっと赤みがかっていて」
とおもわずうなずきたくなる。
雪景色は、ルノワールをはじめ印象派の画家たちもいくらかかいているが、北国の人間からみると、正直なところ
「こんなの、ほんとの雪景色じゃないよな。甘いぜ」
とツッコミをいれたくなるような作品がすくなくない。
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光といえば、ハンス・フレードリク・ギューデ(ノルウェー)の「サンドヴィク・フィヨルド」(1879年)もすばらしい。
図録の表紙につかわれている絵だ。
ただ、表紙よりも、中のページのほうが、逆光のまばゆさをよくつたえているようだ。
ここで描かれているのは、題名から想像されるような、きりたった崖に挟まれた細い湾ではない。
起伏に乏しい陸地に囲まれ、ふたつのたいらな島をいだくおだやかな海だ。
太陽そのものは描かれていないが、灰色の雲をとおしてさしこむ光線のため、海面がまぶしく光っている。
海は青くはない。どちらかといえば無彩色だ。手前の陸地の木々はまばらで、緑色も地味だ。
そんな抑えた色調の中でかがやく海という道具立てが、北国にすむ人の心をとらえる。ここにある風景が、南国のあざやかな海や空の青、林の緑といったものから無縁であるからだ。
ほかにも、たとえば、デンマークのカール・フレドリク・オーゴーア「春の朝、セービューの森の九柱戯場」(1882年)。
画面の上半分で全面的に展開される木々の緑は、まさに北国らしい若葉の色だとおもう。
本州、とりわけ西日本などに行くと、緑色の種類がぜんぜんちがうのに気付く。
狩野派や土佐派の絵に出てくる濃い緑によく似た色なのだ。
あんな緑は、真夏でも北海道では見られない。もっと、黄緑にちかい色が森をおおっていることが多いようにおもう。
ざんねんながら、図録ではこの明るい緑がうまく出ていないようだが…。
エドヴァルド・ベリ(スウェーデン)「夏の風景」(1873年)も、どこかコンスタブルを思わせる牧歌的なたたずまいが好ましい。画面中央のシラカバの大木と、左を悠々と流れる川は、やはり暑さよりも、湿気の少ない北の夏のさわやかさをかんじさせるのだ。
エステル・アルムクヴィスト(スウェーデン)の「湿地帯の秋の耕作」(1911年)も、黄色みを帯びた光線や、湿地帯という要素が、北国らしさを強調しているようだ。
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光、といえば、夕暮れ時や朝ぼらけのやや薄暗い時間帯を描いた作品が多いのも特徴だ。
プリンス・エウシェーン(スウェーデン)の「テュレーセーの夏の夜」(1895年)や、エウシェーン・ヨハンソン(同)の「ストックホルムのセーデルのメーラレン湖」(1896年)などが挙げられる。ニルス・キュレーゲル(同)の「冬の聖マリア教会の庭」(1898年)もすてがたい。
これについては、図録で、道立近代美術館主任学芸員の中村聖司さんがすぐれた論考を書いているので、ここではくりかえさない。
中村さんは、終わりに近い部分で、リカルド・ベリ(スウェーデン)の
「この扱いにくい自然を絵筆を通して解釈するためには、人は目を開けるだけではなく、時として目を閉じることが大切であると理解しなくてはならない」
ということばを引用している。
中村さんは、おもにワーグナーとの関連で、この「目を閉じる」行為の重要性が19世紀末にクローズアップされてきたことをのべているのだが、じつは、この論文の前にある浅川泰さん(道立帯広美術館副館長)のムンク論で引用されている「風景画家フリードリヒ」の帯の文句が
「肉体の目を閉じよ」
なのである。
ここで、フリードリヒの名前がでてきた。
筆者は大好きなのだが、フリードリヒは、18世紀後半から19世紀前半にかけてのドイツ・ロマン派を代表する画家である。
そして、おもしろいのは、19世紀前半のスカンディナビアの画家たちが、美術教育の機会などにとぼしい自国を脱して勉強などにでかけたのは、パリではなくて、ドイツのデュッセルドルフだったのだ。この展覧会に「ノルウェーの山岳風景」などが陳列されていたヨハン・クリスティアン・ダールはフリードリヒと交遊をむすんでいる。
わたしたちは、つい、19世紀の美術の都というとパリだろうと決めてかかってしまうけれど、そうではないのだと、みょうに感心してしまった。
ここでは筆者の能力不足からあまり突っ込んで展開できないが、ドイツ・ロマン派から学んだことによってそれ以後のスカンディナビア絵画が影響を受けたところは大きいにちがいない。たぶん、パリに学んでいたら、発展はちがったものになっていたのではないだろうか。
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図録を見ているとわかりづらいが、会場ではっきり気が付いたのが、ある地点で、それまでのアカデミズム的な描法が影をひそめ、外光派的なあかるい絵が主流を占めるようになることだ。
日本でも、「脂派」から「紫派」への転換というような、そういうターニングポイントは、美術史の上にあるのだろうけれど、今回の展覧会ほどそれがあざやかに見えたことはなかった。
その転換点に掛けられていたのは、スウェーデンのカール・ラーションの「冬、ストックホルムのオーセガタン145番地にて制作する外光派の画家」であった。
縦119センチ、横209センチという大作だ。
イーゼルに立てたキャンバスに寒さをこらえて筆を走らせる画家ら主要な登場人物を右側に寄せ、中央部分を雪原で覆うという大胆な構図。
彼あたりから、留学先がデュッセルドルフからパリにかわるのも、変貌の原因だろうとおもう。
この絵からは、屋外で写生するという現場主義の理想を、雪国でつらぬくことのむずかしさと偉大さを掲げると同時に、それまでのアカデミズム的な暗い色調や理想化されたモティーフの処理などを排して、労働者や都市風景などの現実そのものを導入するという、重要な転換を読み取ることができるのである。
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それにしても…。
もう長くなったので、ここらで打ち切ろうとおもうけれど、何気ない風景に筆者が心をうばわれるのはどうしてなんだろう。
ハマーショイ(デンマーク)の「レイアの風景」(1905年)は、緩やかな丘陵の上に雲の列がうかんでいる。おだやかな筆致は、厚田村の画家、越智さんをおもいだす。
あるいは、ヤーヌス・ラ・クール(同)の「道」(1896年)。ほんとうにありふれた、疎林の中の寂れた道がモティーフだ。
オーロフ・アルボレーリウス(スウェーデン)の「ヴェストマンランドのエンゲルスベリの湖」(1893年)も、どこにでもありそうな林間の湖水を描いている。
いずれも無人の凡庸な風景だが、どうして心を惹かれるのか、じぶんでも、その理由がわからないのだ…。
(6月10日)
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