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あーとだいありー 2004年7月以降
8月13−14日(その2.10月7−11日ごろ記す) 井上まさじ展=ギャラリーミヤシタ(中央区南5西20 地図D) |
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井上さんの絵画については、これまでもこのウェブサイトで何度も 「スゴイ」 と書いてきましたが、今回も、ため息を禁じえないというか、その美しさに驚かされました。 実作をごらんになったことのない方は、筆者がこんなことを書くと、大げさに感じられるかもしれません。 でも、もはや袋小路におちいりつつあると思われがちな現代絵画の最前線で、このように、フォルムを排し、絵画外部の言説や物語とはかかわりなく(この点では、井上さんの作品は、モダニスムの正当な後継といえます)、奇蹟のようにうつくしい色彩を紡ぎだす井上さんの画業は、どんなに大げさに評価しても、ほめ過ぎではないと思うのです。 以前も書きましたが、井上さんの絵には、大きく分けてふたつの系統があります。 ひとつは、マーカーなどで、小さな丸や、細い線を、フリーハンドで規則正しく書いていくもの。 もうひとつは、今回のように、深い色彩のうつろっていく作品です。 ローラーで、何百回とキャンバスを走らせていくうち、絵の具の凹凸が成長して、歯ブラシの毛のような透明な突起が画面をびっしりと覆っています。 さらに、前々回の個展あたりから、その作業の前に、粗い麻糸を数ミリ間隔で支持体の上に横に貼り付けていき、その上から絵の具を塗っては紙やすりで削る−という行為を繰り返しています。 絵に、横線のようなものが見えるのは、その糸のためです。 そしてメディウムでいったん画面をフラットにした後、これまでと同様、ローラーによる塗りを反復していきます。 今回は、突起の先端の色が、透明ではなく、緑などになっているので、見る角度によって色が変わって見えます(オプアート?)。 なお、支持体は、キャンバスではなく、ジェソを塗った板だそうです。 ギャラリーミヤシタのウェブサイトにも作品の画像が掲載されています。 もっとも、筆者としては、ぜひ本物をごらんになることをおすすめしておきます。 ■03年4月の個展 ■札幌の美術 ■02年8月の個展 ■01年11月の個展 村上陽一展=ギャラリーどらーる(中央区北4西17、HOTEL DORAL) 地図D 物静かな少女、石の舟、炎とも羽とも見えるふしぎな物体…。 村上さんの絵の世界は、独特です。 で、今回、ふと思ったこと。 「十勝つながり」ってわけでもないんですが、擬古典的なところが、森弘志さんに似てるなー、と。 おふたりとも、描写力はバリバリに高いですし。 21世紀にあって、あえて16世紀みたいな絵を描くことの意味について、いちどおうかがいしたいものだと思いました。 村上さんは帯広在住、道展と平原社の会員。 □村上さんのサイト「静祥」 RISING SUN ROCK FESTIVAL IN EZO 2004=石狩湾新港特設会場(小樽市銭函) 1999年に始まった、わが国の屋外ロックフェスティバルの先駆的存在。 ことしは、大物外タレをまねいた同種の催しが本州で複数ひらかれ、ちょっとかすんでしまったきらいがありますが、それでも、外国勢にたよらず、大物から若手まで数多くのアーティストを招いて毎年つづいてきたことの意義は、大きいものがあります。 がんばれ、WESS(主催者)! で、美術関係に話をしぼると…。 ことしは、出店がふたつになりました。 ひとつは、昨年までも出ていた「祭太郎」などのテント。 もうひとつは、ギャラリーアートマンや近未来美術研究所などの人脈によるテントです。 |
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こちらのテントは、あまり昨年と変わりありません。 メーンは、メークだったので筆者はあんまりおぼえてません。 ほかに、恒例の「祭太郎」の太鼓。 うさぎの帽子をかぶった吉川貫一さんが帰省のついでにことしも出演。声をからして、太鼓をたたくパフォーマンスをくりひろげていました。 若手画家の高幹雄さんのライブペインティングも、ことしも繰り広げられました。 また、ジャマニさんの手になると思われるキノコ型のあかりが、夜になるとうつくしく広がっていました。 ■03年(画像あり) ■02年(画像多数) ただ、ひいき目なしに見ると、もうひとつの初登場のテントのほうが、げんきいっぱいだったという感じは否めません。 こちらは、テント内に、EXTraCt from WOrLdsのスズキさんらや野口耕太郎さんの平面作品が展示されていたほか、近未来美術研究所(略してキンビ。笑)がパフォーマンスをしていました。 また、だれでも参加できるライブペインティングのコーナーもあり、作品は、ずらっとならべて展示されていました。 |
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キンビの活動やライジングサンのお話はこちらのサイトに詳しく出ています。 8月12−14日(その1.10月2日記す) こまったな。 ぜんぜん覚えてない。 札幌で、いくつかの展覧会を見たんだけど。 5th グループ・プラスワン=道新ぎゃらりー(中央区北1西2、時計台ビル地下 地図A) 4人によるグループ展。 かんたんな歴史は、つぎのとおりです。 1989年に千代明・田畑卓也・谷口明志 の3名でスタートしました。同年7月に札幌時計台ギャラリーにて第1回展を開催。1993年11月に第2回展、2000年7月に第3回展を開催しました。2003年12月には坂東宏哉を新メンバーに加えNew York CAELUM GALLRYで第4回展を開催しました。このうち、田畑さんは初めて見ました。公募展には出してらっしゃいません。ほかの3人は道展会員です。 もっとも、道展でも、かなりユニークな絵を制作している人たちです。 千代(せんだい)さん以外の3人は、いわゆるタブローではなく、支持体が四角形ではありません。 田畑さんの「白」シリーズは、いわばワイヤの曲線による絵画といえます。 背後の壁の色しだいで、まったく別の作品に見えてきます。 谷口さんの作品も、図のかたちと、支持体の形態が一致しており、「地」の部分はありません。 坂東さんの作品は、マティエールというか、表面のスクラッチが作品の主要な要素といえると思います。 千代さんの「光」は、精神的ななにかを感じさせる抽象画です。 金色の額縁は自作のようです。 川本ヤスヒロ展=北海道浅井学園大学北方圏学術情報センター ポルトギャラリー(中央区南1西22 地図D) 筆者の印象では、川本さんはむちゃくちゃパワフルな画家です。 今回も、広い会場に、旧作20点と新作34点を展示しています。 しゃれこうべが登場するのは変わりませんが、2000年前後の「石狩晩夏」シリーズあたりに比べると、近作はますます、死の影というか、凄みを感じさせます。 インスタレーションもありました。 なぜか、川本さんは鳥インフルエンザに関心があったらしく、切り抜いた新聞紙はどれも、鳥インフルエンザ関連の見出しが躍っています。 塔のいただきにあるのは鳥の頭です。 |
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川本さんは全道展の会員。 ■03年2月の個展 ■グループ櫂(03年7月) |
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6月19日−7月 (9月21日記す) 古いできごとはわすれかけているので、みなさんには申しわけないのですが、写真を中心につづっていくことにしたいと思います。 まず、6月19日。 無謀なことに、筆者は日帰りで東京へ行っていました。 八雲に転勤になったら、好きな美術展を見に東京へ行くことはまず不可能になると考え、突発的に行動したのでした。 見た展覧会は4つ。 いずれも9月の時点では終了しています。 まず、東京都美術館で「栄光のオランダ・フランドル絵画展」。 しかし、これはつまらんかった。 フェルメール「画家のアトリエ」は呼び物だけあってさすがにすばらしいけれど、ほかの絵が十把ひとからげのアカデミズム。 まあ、レンブラントやルーベンスといった有名どころがないでもないですが、以前に釧路芸術館で見た「聖母子と子供たち」やヴェネツィア絵画展なんかのほうがはるかに充実していました。 つぎに、東京藝大美術館と東京都現代美術館の2会場開催となった「再考:近代日本の絵画」。 あわせて2時間半ぐらいで見るつもりでしたが、なんと5時間かかってしまいました。 それぐらい見ごたえがあったということです。 展示替えもあるので、見た点数ははっきりとはわからないのですが、500点はあったと思います。 近代日本絵画史に残る画家はほとんど網羅されているのではないかと思われるほどでした。 高橋由一「美人(花魁)」 原田直次郎「靴屋の親爺」 和田英作「渡頭の夕暮」 和田三造「南風」 菱田春草「寡婦と孤児」 青木繁「黄泉比良坂」 浅井忠「収穫」 岸田劉生「切通之写生」… この調子だときりがないので、鶴岡政男「重い手」、山下菊二「あけぼの村物語」、河原温「浴室」シリーズ、辰野登恵子や森村泰昌まで、としておきましょう。 ただし、教科書的に名作を網羅したのとは違う視点があるのは確かです。 たとえば、これまで「無条件に偉い洋画家」とされてきた梅原龍三郎の作品は、裸婦デッサンが2点あるにすぎません。 また、戦後の日本画に対して冷淡なのもひとつの特徴で、その結果、片岡球子や加山又造、横山操、高山辰雄といった顔ぶれがそろって「落選」しています。 15のテーマに沿って絵画史を構成した結果、これはやむをえないことなのだと思われます。 もっとも、戦後に関しては、あまりに美術出版社的で、もう少し独自の視点があってもおもしろいだろうなと感じましたが(無責任な意見だとは承知していますが)。 個人的に印象が深かったのは、河原温「浴室」シリーズと浜田知明「初年兵哀歌」でした。 そこには、個人という存在を蹂躙する現代の極限状況の表現があるからだろうと思いました。 図録に載っている論文も力作ぞろいです。 ただねえ、巻末の年表。 長野とヘルシンキの五輪が載っていても札幌はなく、タイタニック号の沈没やキャサリン台風はあっても洞爺丸事件はなし。 つくづく、東京にとって北海道とは「アウト・オブ・眼中」な存在なのだと思い知らされます。 ま、九州派も三池闘争も載ってないぐらいだから、ほんと、東京中心なんだよな。 美術史も、そのように記述されているのです。 □展覧会の公式サイト ところで、東京都現代美術館というのは、とかくアクセスが不便だというのが評判の悪い点です。 筆者は、上野から京浜東北線に乗って東京で下り、丸の内北側から「東20」の都バスに乗りました。 日中なら1時間に3本運行され、だいたい30分で美術館のすぐ前に着きます。 地下鉄半蔵門線が延伸されて清澄白河駅ができましたが、それでも美術館まで徒歩10分近くかかりますからね。東京駅前からのバス、ぜひお試しを。 続いてみたのが、同美術館で開かれていた「YES オノ・ヨーコ」展。 ちょっと前までは「ジョン・レノンのへんてこな奥さん」ぐらいの認識しかされてなかった彼女だけど、じつはきわめてまっとうなコンセプチュアル・アーティストであったということがよくわかった展覧会。 たとえば、部屋状になっているスペースがあって、その窓みたいな部分に 「ここは天井です」 って書いてあるんですよ。 そのテキストがもたらす、想像力の飛翔って、すごいじゃないかと思います。 東京都現代美術館の、あの、いつもは無意味とも思える長ーいアプローチ部分に、顔の部分から木の苗が伸びている棺がずっとならんで置いてあって、それも彼女の「Ex It,」というインスタレーションなのでありました。 どこからともなく聞こえる鳥の声。 棺には、子供用のものもあります。 人生は、それぞれが膨大な物語。 しかし、死んでしまえば、せいぜいこの程度の棺に収まってしまうほどの存在でしかない。 だけれども、ひとりひとりの死から、またあたらしい生命が芽吹く。 木の苗がひとつひとつ違うように、ひとりひとりの人生は違うものであり、ひとつとしてムダで無意味な存在はない、ということを、しずかに語っているようでした。 なんと、希望そのものであるアートだろう…。 涙が出そうになるぐらい、感動しました。 で、ちょっと高いなと思ったけど、4000円出して、Tシャツ買いました。 「WAR IS OVER If you want it」 って胸に大きく書いてあるやつ。 展示室内に、デメーテルのときもあった、オノ・ヨーコからのホットラインが置いてあったけど、もちろんベルは鳴りませんでした。 もし電話が鳴ったら、イラクの戦争のことを聞いてみたかったな。 最後は、森美術館の「モダンってなに?」。 この日は、とにかく交通機関についてカンが冴えまくっていて、電車を下りようとするとかならず目の前に乗降階段があったり、バス停に着くとバスが来たり、といった具合だったのですが、六本木ヒルズには勝てませんでした。迷いまくり。 で、展覧会は、さすがMOMA(ニューヨーク近代美術館)の名品をかき集めてきただけに、見ごたえのあるものでした。 セクション分けがおしつけがましいという人もいたようですが、筆者はぜんぜん気にならなかったです。 ピカソやモンドリアン、ゴーキーにウォーホル…とにかく豪華メンバーでした。 興味深かったのは、工業デザインと、意外とドイツ表現主義の作品が多かったこと。 20世紀美術を語るにあたって、コルヴィッツやノルデをわすれちゃならん、ってことですね。 で、時間がなくて、夜景を見る暇もなく、そのへんは残念でした。 まだ森美術館へ行ったことのない人に注意。 出口が複雑です。かならずミュージアムショップを通るようになっているし(商売が巧い)。 出る時間として10分はみておいたほうがいいんじゃないかと思います。マジで。 左の写真は、一躍有名になった回転扉です。 筆者は、タクシーに乗って浜松町まで行き、出発直前のモノレールに飛び乗って、羽田へ。空港の中を全力疾走してようやく搭乗手続きをしました。エア・ドゥの人にはご心配おかけしました。 危なかった…。 7月は、着任早々でしたが、「絵画の場合」展のアーティストトークには、なんとか行くことができました。 こちらのページはまだ工事中ですが、画像と、出品作家の略歴はアップしています。 パネルディスカッションは、ちらしに名前まで出ていながら行けませんでした。 あらためておわびいたします。 もうひとつ、7月で書いておかなくてはならないのは、函館の丸井今井で開かれた鈴木秀明展です。 鈴木さんは、美術文化協会と新道展の会員であり、廃墟や崩壊する人形など、バロックとシュルレアリスムを融合したような独自の画風で、道内の画壇でも異彩を放っている画家です。 ただし、今回の個展は、大作はこれまでのような、世紀末的な雰囲気の漂う混沌とした世界を描いているのですが、小品は、風景や花など、肩の力が抜けたような、わりと気楽に見られる絵が多くなっているように感じました。 もちろん、風景とはいっても、ハリストス正教会を洋画っぽく描いているわけでは、もちろんないのですが。 ■具象の新世紀(03年) ■美術文化支部展(03年) ■具象の新世紀(02年) ■02年の鈴木秀明展 ■01年の美術文化支部展 8月に札幌に帰ったときの話は、いずれ書きます。 ただ、手元にメモがまったくないんだよなー。 参ったな。 |
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7月11日(日) すいません。 日付だけ書いて、更新はあとまわしです。 ただ、このページはもう筆者(ヤナイ)だけではたぶん維持不可能なので、みなさんからのメールなどをお待ちしております。自薦も歓迎。 他人の作品の写真も歓迎しますが、著作権にはくれぐれも配慮してください(だまって撮影しないよう)。 |
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