展覧会の紹介

鈴木秀明展 2002年7月18日(木)−23日(火)
丸井今井函館店5階ギャラリー(本町32の15)
 1972年に新道展で入賞をはたして以来の、画業30年の自選展。
 幻想的な光景を描いたら道内でも屈指の存在だ。
 30年のあいだ、画業がどのように変遷してきたかは、画家みずからがちらしの裏面に書いているので、引用しよう。
 これまで初期の70年代では、細胞、プランクトンを主題としてきた。そして、80年代に入ると幻想的リアリズムの手法により命あるものの死滅と文明の崩壊を予感する光景に惹かれた。 […]
 近年の90年代では、一転して古代ギリシャ彫刻に関心を寄せることとなる。[…]「三美神」は石像が時間と共に、風化し崩れている有様を描いたものである。
 そう、確かに、今まで、自分の主題を見つけて描いてきた。それなりに、感激もあったし誠実に現代と重ね合わせて、現代に生きる証人として発言してきた。
 80年代の絵は、かなり不気味だ。
 へたなホラー映画より怖い。
 「予感」は、双頭の裸婦が水色の扉の前に坐りこんでいる図。
 背後の壁にのびた影は、ふたつに分裂している。そして、手前の床の上には、顔の破片が散乱している。
 あるいは「存在」。
 天井のかもいの間から、顔の破片がばらばらと落下してくる。
 壊れた人間像。その問題意識は、たとえば実存主義哲学などにもつうじるものがあるのではないか。
 
 90年代の、古代彫刻をモティーフとした作品群になると、技術的にもますます冴え渡る。
 そして、人間が世界の主役として認識されはじめたルネサンスにおいて、規範とされた古代ギリシャの彫刻が、朽ちてゆくさまをリアルに描くことで、間接的に近代のゆきづまりを描出しているのではないかと思う。
 上の引用で画家本人がふれている「三美神」は、変形200号で、今回の個展でもクライマックスといえる大作だ。
 トリプティク(三連祭壇画)に似せて、左右に縦長のキャンバスを、中央に大きなキャンバスを配し、左翼にはトルソを、右には木の骨組みが見えている彫像を描く。トルソの背後には崩れかかったアーチが見え、右の彫像の後ろ側には、破れたテントが視界をさえぎる。
 中央のキャンバスで主要なモティーフとなっている彫刻は、矩形の石から掘り出されている最中のように見える。背景には、鉄柵や石段からなる廃園のような風景がひろがる。世紀末、あるいは世界の週末という言葉がふさわしい、すさんだ光景だ。
 注目したいのは色彩である。
 彫刻がモティーフなのだから、基調はグリザイユのような灰色なのだが、じつにおびただしい色が用いられている。灰色の絵の具の下からは、あざやかな黄緑や赤、黄色、青などが顔をのぞかせているのだ。
 この豪奢な色遣いが、画面にダイナミズムをあたえているといっていい。
 「古代追想」などは、背景に、日本画でつかうような金箔が張られている。
 彫像を覆う赤が斬新な「パンドラ」といい、じつは鈴木はカラリストといってもいいのかもしれない。
 会場に貼ってあった以前の個展のリーフレットで、美術評論家の柴橋伴夫(札幌)は、マニエリスムという語をキーワードにして、鈴木の絵を論じていた。
 洗練された技巧、幻想的な表現、不安感といった要素は、たしかにマニエリスムと共通している。
 はげしく揺れる時代という背景も、当時の欧州と共通している。
 もうひとつ、これは瑣末なことかもしれないが、画家の勤勉さにあらためて舌を巻いた。
 新道展、美術文化協会のほか、函館地方の公募展「赤光社」、70年代には北海道教職員美術展に出品しているし、98年以降は「北の現代具象展」(ことしから「具象の新世紀展」に衣替え)にも参加している。
 ただし、略歴を見ると、函館では何度か個展を開いているものの、札幌では95年の一度だけなので、今回のように過去の作品をまとめて見ることができたのは、個人的には良い機会だった。(98年に、道立函館美術館で開かれた「道南の美術・具象画の現在」も見たが)。
出品作品は次のとおり。
「予感」
「存在」
「三美神」
「卓上の静物」
「永遠に」
「エロス」
「解剖(CONTROL)」
「春を呼ぶ女」
「天使の墓場」
「残照」
「追想」
「パンドラ」
「古代追想」
「祈り」
「追想」
「地A」
「地」

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