2002年7月後半
7月31日(水)
椎名澄子展=ギャラリーミヤシタ(中央区南5西20)
植物と人間が融合したような、ふしぎな彫刻です。
けっこうイイ感じでした。おしゃれ、というか。部屋に置いて、違和感が無いんじゃないかな。
ブロンズに見えますが、テラコッタに着色しています。
「実りの実」は、まるくデフォルメされた人間3人が、木の実のように枝からぶらさがっています。
「実りの人」は、なすのようなフォルムの人物です。
写真は「芽体−GATAI−」。冬がこいした植木みたいです。
ほかに「萼」「休止芽」「後熱」「小花」など。
椎名さんは札幌在住の若手彫刻家。
4日まで。
小樽商大同窓会員 丘美会絵画展2002=ギャラリー大通美術館(大通西5、大五ビル)
1935年から62年の間に卒業した23人による絵画展。ことしで復活5年目。
年配の方たちがゆうゆうと絵筆をふるっている作品を見るのは、心がなごみます。
平山幹昌さんはさすがに安定。
村上悠一さん「船溜まり(横浜子安市場)」も、中間色を生かして複雑な構図を無難にまとめています。
小樽の緑地を描いた山田守之さん「新緑のなえぼ公園」もすがすがしい作品でした。
4日まで。
ゴッホ展=道立近代美術館(北1西17)=の入場者が31日、10万人に達しました。
これは相当の記録をつくりそうな勢いです。
北海道新聞夕刊1面の「私のゴッホ」は長期連載になっていますが、31日は作家の佐々木譲さんが登場。高校生時代に
「小林秀雄の評論『ゴッホの手紙』を壁にたたきつけたことがあります。ゴッホを理解しているのは自分だけ−という調子に腹が立ったのです」
というくだり、おもしろかったです。
ま、「理解しているのは自分だけ−という調子」って、小林秀雄のいろんな文章がそんな調子ですけどね。むかしの人は、その調子にのせられて、あの非論理的な文章に幻惑されたんだと思いますが(などと書いたら、ファンから抗議されそうだな)。
たくさん書きすぎてファイルが重たくなったことをおわびします。
7月30日(火)
Passage 経過する風景V 8名の写真家によるランドスケープ=札幌市写真ライブラリー(中央区北2東4、サッポロファクトリー・レンガ館3階)
「よくある風景写真」じゃない風景写真の可能性をもとめて、札幌の浅野久男さんらが毎年開いているグループ展。
ことしは、浅野、石川ひと、稲垣公美、高山幸一、三上典久、山田聡美、ヤマグチタクヤの各氏にくわえ、東京から招待作家として岡本勧さん(フォトエスパーニャ・アワード入選だそうです)を迎え、8人が出品しています。
きょうは、石川さんと岡本さんのギャラリートークもありました(司会は浅野さん)。
岡本さんの、今回の「landscapes telegram」は自室の中から屋外を撮った作品ということでしたが、ぼあーっとしてなにがうつっているのか判然としない連作です。ブレ、ボケというと、森山大道さんの激しい作品を思い出しますが、これは「おだやかなブレ、ボケ」という感じでしょうか。69年生まれ。
対する石川さんは79年生まれ(若い!)。モノクロにこだわった、独自の感性の作品を矢継ぎ早に発表していますが、今回は新作のうち「見えないことの神秘、あるいは見えることの神秘」のシリーズが目を引きました。北海道の、わりあいあちこちにありそうなしずかな沼の写真が、どうして心を惹くのかわかりませんが。
ギャラリートークによると、彼女はおさないころから、オバケとか超常現象がすきで、目に見えないなにかを撮ろうとしているのだということです。
海外の経験が長い岡本さんは
「最近は若い女性の写真というと、展覧会を見に行かなくてもだいたいどんなかんじかわかる」
と過激な(?)発言をしていましたが、でもたしかにそのとおりで、ひとさんは例外なんだよなー。
司会の浅野さんは
「日本で今いちばんオリジナルプリントが売れているのは富良野かもしれませんね」
と、写真とツーリズムの関係に懸念を表明していましたが、筆者の考えでは、これは心配するにおよばないとおもいます。
だって、世界で油彩画が一番売れている場所って、たぶんパリのモンマルトルでしょう。でも、そこの売り絵が世界の美術の傾向になんらかの影響をあたえる可能性は、まちがいなくゼロです。富良野も、それとおなじだとおもいますよ。
この二人以外には、ヤマグチさんの「反射、透過、通過」は、ガラスや窓などがどこかにうつっている街角のスナップを、ガムテープで無造作にはってならべ、独自の世界を出していました。
8月4日まで。
なお、11月に、東京で移動展を開くそうです。
第3回 「ギャラリーたぴお」が「キャバレーたぴお」になる2週間=ギャラリーたぴお(北2西2、道特会館)
昨年より参加者が増えたみたいですが、要領よく狭い空間におさめてあります。
青木崇さんとD.HISAKOさんのコラボレーションは変わらず、でもD.HISAKOさんの猫の絵には緑色の柔らかい雨が降り注いでいます。
林教司さんは、この展覧会には石膏固めシリーズを出すというふうに決めているのかも。机、皿、そして空中に浮かぶ両手。
山岸誠二さんは錆びた鉄板。
杉田光江さんが、透明な球約40個のなかに植物の種子を入れた作品を出しています。
棚田裕美さんは、パンダを中心としたラブリー系。
高橋俊司さんは白いマットレスを置きました。
ほかの出品者はつぎのとおり。
今荘義男、今井和義、市川義一、漆山豊、大友洋子、上條千裕(仙台に転居したはず)、笹岡素子、島田晶夫(端正な家具作家)、鈴木順三郎、瀬野雅寛、田村陽子、瀧原聖司、竹田博、玉本猛、中森秀一、長谷川雅志、原田せい子、樋爪俊二、藤川弘毅、別府肇、吉住ヒロユキ、渡辺英四郎、和田裕子(植物をリアルに描写した版画)
8月3日まで。
ほかに、彩和会水彩画展を、市民会館ギャラリー(北1西1)で見ました。
8月の「札幌のギャラリースケジュール」をアップしました。
道新小樽版によると、JR北海道は9月から小樽駅舎をギャラリーとしてつかうそうです。
同社は、田辺三重松や上野山清貢の絵をかなり所蔵しており(札幌・桑園の本社にも飾ってありますが)、それらを展示するほか、貸しギャラリーとしての利用も検討しているそうです。
記事中、田辺が「道美術協会の創立に参加」とあったのには、ちょっとガッカリしましたが(「全道美術協会」の誤り。似て非なる団体)。
7月29日(月)
東川のつづき。
(きょうの更新は、大量です)
尾仲浩二さんの写真の“古さ”は、ようするにこういうことです。
ちょっと古いもので「いかにも1970年」って感じがする被写体とか写真ってありますよね。でも尾仲さんの写真は、そうじゃなくて、「1970年撮影」といわれればそんな気がするし、「85年撮影」って書いてあればそうだよなって思うし、「50年撮影」でも通用しそう。そういう意味で、尾仲さんの写真って、時空を超越してる、ぼーっと。
さて、おつぎは国内作家賞・森村泰昌さんです。
ご本人も
「びっくりしました」
と話しておられましたが、たしかに森村さんって現代美術のフィールドで大活躍しているけれど、写真の文脈ではあまり語られてきておらず、この受賞は意外な感じがあります。でも、たしかに、写真作品ばかり発表しているわけですから、いくら自分でシャッターを押していないとはいえ写真家として評価するのは当然ともいえます。
今回の展示作は、98年に東京都現代美術館や京都国立近代美術館などで開かれた個展「空装美術館/絵画になった私」とはほとんど重複しておらず、個人的には楽しめました。
やっぱり「女優シリーズ」が分かりやすいですね。有名女優になりきって、日本の風景の中に立ってみるというコンセプトですが、ビビアン・リーにせよマレーネ・ディートリッヒにせよ、ほんとによく特徴をとらえてるんだよな。こういう感心のしかたって、似顔絵書きをほめるのに似ているかもしれないけど。
アプローチとしては、シンディ・シャーマンを連想させるけれど、あっちが深刻なのに対して、こちらは笑いがある。
でも、ご本人は
「ギャグのセンスは、ないですよね。ぼくは非常にシリアスです。つくるときはこんなことして」
と、こめかみに指を当てて熟考するしぐさをしてましたが、関西弁でそう言われてもなあ。
「女優」で目を引いた、東大の駒場キャンパスの講堂で、机の上に台をしつらえて、その上でマリリン・モンローに扮している写真。講堂内には学生が何十人とすわっています。1枚にここまで仕掛けをほどこして撮影にこぎつける情熱には頭が下がりますが、この教室は、かつて三島由紀夫と全共闘の学生たちが熱い討論をたたかわせた場所だというのです。
「三島はこのすぐ後に死んだけれど、彼は日本のことをすごく考えて、愛して、でも日本という国に殺された面があるんじゃないか。マリリン・モンローもアメリカを愛して、アメリカに殺されたという面がありはしないか。そういう中で、自分はどうやって生き延びていったらいいのか。…ま、こういうことを考え、空想するのがすきなんですね」
もう1枚。地下鉄の駅で、オードリー・ヘップバーンに扮した森村さんがポーズを取っていて、横を通りかかったオバハンがギョッとしているケッサクな写真があります。
「このときは、たまたま昼間のスタジオでの撮影がすごくうまくいって、時間ができたんですね。で、これまでは『規定』で、これから『自由演技』だ、ということで、仕事場のすぐ近くの森島という駅に行きまして。これが撮れたのは、偶然です」
そりゃ、ギョッとするよな。
「初めは森村さんの作品がきもちわるかった」
という審査員の筑紫哲也さんが
「ぼくのテレビ番組(ニュース23)でやっている、あまり考え込まないで『イエス、ノー』だけで答えてくださいっていうの、やってみたいな」
と水を向けると、森村さんは、
「でも、芸術って、イエス、ノーっていうのではわりきれないんじゃないですか? ぼくはその番組には出られないでしょうね」
と笑ってかわしていました。さすが。
森村さんのお話でいちばん共感したのは
「関西人だからかもしれないんですが、やってて『これや!』っていうのがあるんです。ドキドキ、ザワザワしているものが自分の中にある。それが作品制作の始まりなんです」
というところでした。こういう瞬間って、論理とかことばでは説明しづらいでしょうね。
海外作家賞のエドウィン・ズワックマンさんは1969年生まれ。オランダの人です。
カラーの大きな写真で、団地とか、堤防などの風景を撮影しています。ただ、これはネタバレになるので、これから見に行く予定の人でまだ見ていない人は飛ばして読んでほしいのですが、なんとこれはぜんぶ模型だというのです。
いや、団地の床の木目がいやにでかいな、ヘンだな〜とは思ってたんだよな。
「オランダは風景も人為的である」
という含意があるようですが…。
「自分が探しているのはリアリティーじゃない」
とも話してらっしゃいました。
受賞者の顔ぶれのためか、パネリストの話は
「フィクションとノンフィクション、リアルとバーチャル(森村さんの場合は男と女?)の境界があいまいになっている時代を写している」
というあたりに落ち着いたようです。さらに「アートと写真、自己と都市の境界」も。
文化ギャラリーでは、受賞作家展のほか、アンデパンダン展も開かれています。
蒔田恵理さん「呼吸」は、アンダー気味にとらえた風景に惹かれました。
佐藤佳穂さん「わが家の昭和初期」は、当時の写真を焼きなおしたもの。紳士が釣りをしているショットなどあり、おもしろい。
8月28日まで。
会場の性質が異なるので単純な比較はできないんですが、AZUMA組野外展のほうがパワーを感じました。
山田博さん「12 FOTOS」は、シンプルな人物写真ですが、みなイイ顔をしています。
120枚を超す女性の連続写真の上部に穴をあけて、棒に突き刺して並べたものもありました。室内で着衣の女性なのですが、覗き見しているようなエロティシズムがあります。
「今、その空間は自分にとって何を意味し、どのように見え、何処に向かおうとしているのか? ニホンとアメリカ」という長い題を持つ永井潤さんの作品は、カラー写真を幅数センチに細く切ったものを延々とつなげて建物の壁に貼ったもの。全体像がわからないもどかしさが、どこか今の情況を反映しています。
原一夫さん「木々の仕事」は、透明ホルダーにブロマイドのように並べたサービス判65枚。
門間敬行さん「いろんなまなざし いのちのまなざし」は、人間や動物の写真を交ぜて並べていましたが、すごく肯定的な撮り方が印象的でした。
風間健介さん、大西みつぐさんも参加していました。
SUMIYAさんの「深夜」がおもしろかった。長時間露光でとらえた「郊外」の風景。水田と団地、工事現場などがきみょうな空虚さを感じさせます。
北大生も参加していましたが、なんだかすぐにパネルを撤去していました。
28日で終了。
余談。
トイレで小便をしていたら、となりに並んだ人を見てちょっとびっくり。
毎年のように審査などで東川を訪れ、公平な評価ぶりが信頼を得ている日本写真界の重鎮、長野重一さん(1925年〜)ではないですか。
うーん、しかし、このシチュエーションで、それほどの大ファンでもないのに
「ファンです」
とかいって握手を求めるのもヘンだし
「あの、サルの親子が温泉に入っている、生命保険会社のコマーシャル好きでした」
などと突然言い出すのももっとヘンだし(長野さんは一時期コマーシャルや映像制作にたずさわっていた)、どうしようどうしようと思って、けっきょく黙って出てきちゃいました。
こういう時はどうしたらいいんでしょう。
などと考えていたら、その次にトイレで小便していたら、となりに来たのが写真家の大西みつぐさんでした。どうしようどうしよう、いきなり、「遠い夏」良かったです、と話しかけるのもヘンだし(以下略)。
東川へは、旭川駅前から旭川電気軌道バスが出ています。
正確には、駅から見て、西武デパートの右側にある「アサヒビル」の前の5番乗り場からです。系統は60番。「学校前」下車。520円、約35分。
朝の時間帯以外は、1時間に1本、毎時0分なのでわかりやすいです。もっとも、札幌から特急列車が到着するのは毎時0分と20分ですから、接続がいいとはいえません。
それに、このダイヤを維持するため、片道は回送という運用になっているようです。もったいない、40分間隔にすれば…と思うのは筆者だけでしょうか。
ちなみに、行きは筆者を含めて乗客は5人。帰りは4人でした。
とても、1972年まで旭川−東川間に電車(旭川電気軌道)が走っていたとは思えない利用者のすくなさです。
ちなみに、東川駅があった場所にはいまもプラットフォームの跡がのこっています。
農業用の倉庫以外には、駅前という雰囲気のほとんど無いところです。
また、郷土館(AZUMA組の野外展の会場すぐ横)には、当時の電車1輌が静態保存されています。
26日には、ゴッホ展も見に行きました。
聞いていたとおりの、たいへんな混雑でした。そりゃ、雪舟にくらべりゃすいてますけど。でも、あんなに混雑している道立近代美術館(中央区北1西17)、初めて見ました。
ちょっと説明の文が長めなのも、列の滞留に拍車をかけているのかもしれません。北海道の人は音声ガイドをあまり利用しないので、これはやむをえないのかもしれません。
筆者は「縫い物をするスヘーフェニンヘンの娘」など、初期の水彩に目を瞠りました。ピカソもそうですが、写実的な絵を描かせたら、じつにうまいのです。
晩年のあの、うねるような太い線は、ポスト印象派のひとつの実験でした。ゴーギャンの影響を受けた太い輪郭線も使用しつつ、濁りのない色彩をしっかりと一定面積、画面に定着させる技法は、画面に輝きと動きをあたえています。おそらく、スーラと似た問題意識をもっていたと思います。ゴッホの絵は、純粋に造形から語ることができるはずです。
にもかかわらず、ゴッホの絵は、必ずと言っていいほど、その悲惨な人生とからめて語られてきました。美術家といえばわりあいおだやかな生涯をおくった人が多いなかで(もちろんミケランジェロやゴヤやパスキンなど例外はいっぱいいますが)、ひときわドラマティックな一生だったためでしょう。しかし、それだけではなく、あの太い線に、やはりパッションを感じやすいからではないでしょうか。
ストロークには感情を込めることができます。見る側も感情をそこに読み取りやすいのです。わたしたちは、彼が描いたモティーフにではなく、そのタッチのひとつひとつ、絵の具の塗り重ねひとつひとつに、画家の人生を読み取ってしまうのです。
8月25日まで。
先週末ときょう、札幌市内のギャラリーで見た展覧会を駆け足で紹介します。
まず、30日まで開催中の展覧会。
芸術団Jam.=アートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル5階)
学生時代に始めてことしで13回目になるグループ展。
加藤裕一、木村真哉、新岡由美子、福沢等、宮崎亨、八子晋嗣、山田弥延の7氏が、絵、家具、木工など、いろんなものを出品しています。
八子さんの木工は、楽器としても使えるようです。会場の人に断って、ぽくぽく鳴らしてみるのも一興かも。
友野直実 中村修一展=大同ギャラリー(北3西3、大同生命ビル3階)
友野さんは、全道展で3年連続で入賞するなど、活躍めざましい木版画家。
ことしの「お正月展」でユニークな陶芸(本人は「焼物」と称していますが)を出していた中村修一さんと組んでの、初の二人展です。
中村さんは、「札幌の山奥」で野焼きを行って造った立体を、インスタレーションふうに展示しています。
床に、台の代わりにならべているのは、浜辺で拾った板とのこと。
ちなみに、床の題が「reproduce」、壁のが「emerge」です。
友野さんは、正直なところ筆者にはこれまで
「むずかしいナー」
という印象がありましたが、題を見ていると、ふむふむなるほど、と思いました。
上の写真は、左が「時をみるところ」、右が「ひそかにすすむ」です。
ほかに
「ひそか」「(me)」「深遠(c)」「音無時」「いつものはじまり」「風のない夜に」「ちり」「青眼(晴日)」「そのあとに」「覚えa」
とくると、ひそやかでしずかな夜のイメージが、親しげに、見る人に近づいてくるようです。
でも、暗い闇も、目をこらすと、かすかにいろんなものが浮かんで見えてくる―。そんな感じでしょうか。
二人展としては、なかなか空間的に統一がとれ、違和感がありません。
同ギャラリーでは、松川良司展も開催中。
油彩、水彩の抽象画。作品の題は「コンポジション2002」という統一タイトルの後に「GB」とか「WR」「RBV」などの記号が続くというもの。
たぶん「G」はグリーン、「B」はブルー、「W」は白、「R」は赤だと思うのですが、サテ「V」はなんだろう。
以下、27、28日までで終わった展覧会。
柳田昭展=札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
関東の田園風景を水彩でリアルに、抑えた色数で描く画家。第40回の安井賞を受賞しています。
B室の奥の壁に貼られた、100号×3枚相当の「郷宴」が圧巻です。
刈り取りを終えてわらが各所で束ねられた田に、夕日が差し込むさまを、逆光気味に描いています。
見ているうちに、束ねられて地上に立つわらが、人間に見えてくるのです。それも、マントを着てさすらう難民のような姿です。ところどころに力尽きて斃れた人もいます。
リアルで穏やかな秋の景色が、壮絶な人間模様に見えてくる…。しばらく絵の前から離れられませんでした。
札幌木版画研究会展=同
全道展会員の大ベテラン、大本靖さんの指導のグループ展で、ことしで26回目。
その大本さんは「氷列」を出品。自然を大胆に省略化した作品で、目を引きます。
黄色のまぶしい中西信行さん「秋の装」、シンプルで広がりのある中西千世子さん「羊蹄山」などが目を引きました。
ほかに、第18回火よう会油彩展も開かれていました。
濱田五郎個展 〜ふるさとの光〜=スカイホール(南1西3、大丸藤井セントラル7階)
後志管内岩内町に住み、海や山の風景を描き続ける濱田さん。現場主義の人らしく、すばやい筆致が特徴です。日本海の波涛を描くには、はやいタッチが適しているのかもしれません。
第28回素心会会員展=同
北海道書道展招待作家の橋本宇外さん(札幌)が主宰する展覧会ですが、橋本さんが90代となり、ことしで最後だそうです。
その橋本さんの「観」の、空白を生かした筆の自在さは、見ていて気持ちの良いものでした。また、栗田玉芳さん「彩雲」も伸びやかさがさすがです。
鎌田毅油絵個展「ヨーロッパの風に吹かれて」=同
定年退職後に本格的に絵筆を執りはじめた人の初個展。構成画が多い。昨年の道展入賞作「石の街の天使」は、架空の町がモティーフだそうです。
第3回 プチノール展=札幌市資料館(大通西13)
久保田道子、黒田博子、鶴江和子、畑敬子の4氏のグループ展。
デッサン、油彩の静物画、水彩スケッチなどさまざま。
北創美術協会札幌支部水墨画展並びにコープさっぽろ中央教室展=同
けっこう好みの水墨画でした。野村とみさんの川の絵、桑原嘉子さん「春兆」のやわらかさ、五十嵐佳津子さん「波涛」のダイナミックさなどなど。
陶・アート六人展=同
今井京子、大澤澄子、小出千恵子、菅野好子、野澤紀子、馬場勝子の6人の陶芸グループ展。
今井さんが、壷のぐるりに窓のような穴をあけてそこにステンドグラスを埋め込んでいました。これは初めて見た。
第4回母さんの道草展=同
キツツキ、リスなどのネイチャーフォト。題、撮影者名などいっさいないのが潔い。
青洞窯陶芸教室作品展=同
豊平区西岡で陶房・青洞窯をひらく高橋容子さんの教室展。とにかくすごい量とバラエティー。
下山康麿油彩展=ギャラリー大通美術館(大通西5、大五ビル)
道内各地の風景を丁寧なタッチで写生。
第9回光画会展=同
どうやら山崎幸治さんが主宰のよう。生徒さん16人。寺西冴子さん「山ゆりの詩」、田中恵子さん「記憶の中の風景」など、人まねでない絵が多いのはポイント高い。
7月28日(日)
3日ぶりになりました。
チェックされていた方にはもうしわけありません。
大量に書きます。
って、どっから書けばいいんだろう。
26日は、北海道開拓記念館で開催中の「描かれた北海道」展にあわせておこなわれた講演会「『日本美術』の中の北海道」を聞きに、ホテル・ポールスター(中央区北4西6)に行きました。
講師は木下直之・東大助教授。
著書「世の途中から隠されていること」などでは、時にダジャレを飛ばしながら、既成の美術概念にツッコミを入れていた木下さんですが、話しぶりはけっこうマジメでした。
ただ、途中、靖国神社遊就館に所蔵されている下岡蓮杖の「函館戦争図」を語るついでに、下岡の「台湾戦争図」にまで話がおよび、「うーん、このペースでだいじょうぶかなあ」とおもっていたら、やっぱり時間配分を誤ったようで、最後は駆け足でした。
貴重な機会だなー、と思ったのは、1897年、フランス人コンスタン・ジレルが、道内で撮った映画(シネマトグラフ)を見ることができたことです。
横浜で撮った日本人の家族や宴会(ただし当時はフィルム感度が低いので屋外でやっている)、それにアイヌ民族の女性の踊り、男性の踊りが収められています。どれも数十秒という短さです。
もうひとつは、松浦武四郎という人物のふしぎさ。
彼は道内を探検する前に日本中をあるきまわっていたそうです。また、幕末から明治にかけては東京に落ち着き、上野東照宮などに鏡を奉納していたんですね。さらに、川上冬崖、島霞谷、河鍋暁斎ら画人との交流もあったようです(暁斎の絵日記に、武四郎がしばしば登場するらしい)。
きょう28日は、上川管内東川町の第18回国際写真フェスティバル・受賞作家フォーラムを聴いてきました。
すでにご存知の方も多いとおもいますが、ことしの東川賞は
海外作家賞 エドウィン・ズワックマン(オランダ)
国内作家賞 森村泰昌
新人作家賞 尾仲浩二
特別賞(道内関係者) 風間健介
の各氏に決まり、27日に授賞式が行われました。
受賞作家フォーラムというのは、受賞者や審査員、評論家などを交えてパネルディスカッションを4時間にわたってくりひろげるというもので、筆者は隔年くらいのペースで、この催しを聞くためだけに、東川に来ています。
風間さんは、毎年会場の横にテントを張って「野外展」をひらき、応援団的に東川のフェスティバルを盛り上げてきました。ことしも、受賞者でありながら、やっぱりテントを張っていました。
会場には、1991年ごろ撮った「清水沢発電所」のシリーズと、星の光跡と炭鉱遺跡を写しこんだ「星啼の街」シリーズを展示。
前者は、古い発電所内の設備を、即物的ともいえるストレートな視線で写したもので、近年の作品とはだいぶちがいます。
司会の平木収さん、写真家の佐藤時啓さんや中里和人さんは、近年の「廃墟ブーム」はどうも気に入らない、と言いつつ、風間さんの写真の光の美しさを取り上げていました。
尾仲さんの写真はおもしろかったです。
小さめの、同一のサイズで焼かれたモノクロやカラーの街の写真が、淡々と並んでいます。
木造の家。鶏。街路の猫。空き地。川と小さな遊覧船。
美容院の玄関の古いショーウィンドウにぽつんと置かれた造花。
祭りの夜店の古いパチンコ台。
薄暗い窓際の卓上に置かれた緑のクリームソーダ…。
それぞれの写真の下には「1990年 北海道芦別」などとキャプションがついていますが、その街の有名な個所はまったくはいっていません。
なによりすごいと思うのは、どれも90年代以降の写真とは信じられないほど、なんとなく古くさいということ。長野重一さんは「町外れを狙っている」と評したけれど、写されている対象や風景に、ほとんど時代性も地域性もないのです。といって、廃墟をねらえばこれは当然古くさくなるけれど、そういう写真ではない。もちろん、西洋の古い街並みや日本の寺社を撮れば時代を超えた写真になるだろうけれど、そういうものでもない。
「ちょっと古い」「時代を感じさせない」風景を見つけてくる嗅覚はすごい(まあ、筆者の「つれづれ日録」の写真も、ちょっと似たようなところはありますが、筆者のほうがモロ古いものを狙いがちで、こっちのほうが簡単なんだよね)。うまく言えないな。編集者の太田通貴さんは
「ほんっとに何もない写真」
と形容していました。
でも、そういう流れを裏切って「Tokyo candy pop」のような、東京の最先端をあっさり切り取るような仕事もするあたりも、おもしろいなー。
ご本人は
「スタイルをほかから決められたくない。Tokyo candy popは「旅写真」というレッテルを返上したかった」
などと話していました。
続き
(眠くてたまらないので、あしたこそ大量更新します。ごめんなさい)
7月25日(木)
木田金次郎美術館に追加。
学芸員の岡部さんに聞いたのですが、28日まで道立文学館で開催中の「中沢茂展」にも、茂木幹の絵が何点か展示されているそうです。
この展覧会の時期が重なっているのは、偶然だということでした。
渋谷俊彦展を、コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11、コンチネンタルビル地下1階)で見ました。
めちゃくちゃ眠いので、あしたにまわしますが、いい個展でした。
(追記。「展覧会の紹介」を8月下旬にアップしました)
今週はもうひとつ、札幌時計台ギャラリー(北1西3)の柳田昭展をまだ見ていません。うーむ、急がなくては。
7月24日(水)
訃報です。
道内の金工作家の草分けで、光風会と道展の会員の畠山三代喜(はたけやま・みよき)さんが亡くなりました。75歳でした。
畠山さんは、東京芸大の関連学校で金属工芸を学び、その後道教大教授、道都大教授として、飛鷹岸男さんら多くの作家を育てました。
道展では、1952年に会員になりました。当時は、創立間もない全道展と競い合っていた時代で、亀山良雄さん、坂坦道さん(いずれも故人)とならんで「道展三羽がらす」と呼ばれていました。
畠山さんが制作していたのはレリーフで、ミズバショウなどをモティーフにした、北国の甘い叙情性をたたえた具象作品が多かったと思います。昨年の道展の出品作「翔」は、飛ぶ猛禽だけを打ち出したシンプルな作品でした。
取材でうかがった際に、しみじみと
「戦争中は、銅などは貴重品で、供出させられたんです。金属工芸ができるということは、平和だという証拠なんですよ」
と話していらしたのが、わすれられません。
ご冥福をお祈りいたします。
きのうのつづき。
共和の西村計雄記念美術館では、常設展の「ゑかきの眼」と、ユニークな「こちら『描かれた場所』探偵団」が開かれています。
前者は、画業をたどるもの展覧です。じつは、漠然と西村さんを抽象画家と思っていたのですが、大きなまちがいですね。戦後になっても渡仏前はおだやかなタッチで家族の肖像をえがいていたのでした。
アンフォルメル旋風の時代以降は、抽象に近い作風に転じますが、それでもモティーフの影ははっきりのこっています。
いっぽう、「こちら…」がユニークなのは、共和町でわかいころに画家が描いた風景画が、どこを描いているのかを、町民に探ってもらおうという企画なのです。
町民からは、さまざまな情報が寄せられています。が、画家はすでに故人なので、正解は永遠にわからないでしょう(ご健在でも、もう60−70年前の絵ですから、忘れてるでしょうが)。
それでも、一般の人に、美術館に親しんでもらおうという狙いの企画としては、出色のおもしろさだと思います。
調査対象の8作のうち、5作に「小澤村」という題がついていますが、いずれも、写生的な画面の中に、明るい色の風のようなものが描きこまれており、戦後の作風を予感させるのも興味深いところです。
「ゑかきの眼」は9月10日まで。
「こちら…」は9月18日まで。
倶知安の小川原修記念美術館では、「私のなかの原風景 T」と題した常設展が開かれています。
初期作品がわりと多く展示され、もっぱら道立近代美術館のコレクションによって形成された筆者の“小川原脩像”にすこし修正を強いるものでした。
たとえば、習作期をのぞけば、戦前の小川原脩・イコール・シュルレアリスムという、漠然としたイメージがあったのですが、今回の展覧会で見るかぎり、いわゆるシュルレアリスムの画風だったのは、1937、8年のみじかい時期で、それ以前にも、「若がき」としてかたづけるには惜しいいい絵を描いているのです。
たとえば、ちらしに印刷されている「納屋」は162×130センチの大作ですが、大根などの入ったかごを持つたくましい男性を力強く描いており、単純な構図と、茶系を主にした少ない色数が、初期のゴッホを連想させます。男性の二の腕が短縮画法で処理されていますが、まったく不自然さを感じさせません。また、労働というものに対する肯定的な視線は、あるいは当時のインテリ若者層に支配的であった左翼的な風潮の影響があるのかもしれません。
また、戦後も、59年の「シャーマニズムの祭典」「フゴッペ変奏曲」といったあたりは、古代文字からインスパイアされた、ほとんど抽象の実験的作品で、小川原さんの画歴ではめずらしいものだと思いました。
9月1日まで。なお、毎週火曜日が休館ですので、お間違えのないように。
この美術館のひそかな特長は、絵はがきの1枚20円という安さ!
道内では、三岸好太郎美術館がたしか60円で、かなり安いほうですが、20円はすごいですよね。
左の写真は、美術館の前にいくつも立っているコンクリート柱のひとつ。いずれも高さが2メートル以上あります。
これは、近年の年ごとの積雪量をあらわしているのです。さすが、道内屈指の豪雪地帯です。
岩内の木田金次郎美術館で開かれている「木田金次郎と茂木幹」展については、後日「展覧会の紹介」でくわしく書きます。
佐々木敏光 油絵展=北海道画廊(中央区南3西2、HBC三条ビル2階)
小品の油彩とアクリルガッシュ計二十数点による個展。
きつい色調を抑え、自然のありのままをとらえた画風です。
花や野草、何の変哲もないのになぜかなつかしい風景が、おもなモティーフです。
絵を見ていたら、画商さんが画家に
「そういえば、ヤナイさん、来ないねえ」
などと話しかけているので、おもわず
「わたしです」
と名乗ってしまいました。
佐々木さんとお話するのはこれが初めてなのですが、もっぱらタルコフスキー(旧ソ連の映画監督)の話でもりあがってしまいました。
斉藤嗣火個展=札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
さいとう・つぐほさんは、毎夏欠かさず、同ギャラリーで個展を開いている札幌の画家です。
ここ数年、モティーフが変わり、裸婦(あるいはトルソ)と時計を描き、長い時の流れと人間の関係というむずかしいテーマにいどんでいるようです。
ことし全道展に出品した「域」もならんでいます。キャンバスの上に、凹凸のあるアルミ板を置いて絵の具を流し、表面に模様をつける、なんてこともやっています。
左は最新作の「刻」です。テーマが熟成しつつあるようです。
小品はコラージュふうのものが多かったです。
全道展会員。独立美術会友。
清水康雄個展=同
留萌管内増毛町出身で、パリ滞在が長かった洋画家。数年前に日本にもどり、現在は埼玉にアトリエを構えています。
作品はすべて小品。右の写真で、黄の背景があざやかな作品は「ナルシス(ドンキホーテ)」のシリーズです。ほかに、弦楽器などをかなでる人たちを描く「三重奏」など。
いずれも、水面に反射するように、画面の下半分で人物像が天地反対になって繰り返されています。どこか、人間のネガとポジの関係をえぐっているように、筆者には思えてなりません。
以上3つは、いずれも27日まで。
きょうの更新はここまでとします。
7月23日(火)
道内の後志(しりべし)地方には美術館がたくさんあって、「しりべしミュージアムロード」を名乗って、まちおこしをはかるため協力しています。
そのうち、岩内の木田金次郎美術館、共和の西村計雄記念美術館、倶知安の小川原修記念美術館が「三館共同デッサン展 海と山と田園と」を開いているので、自家用車でぐるっとまわってきました。
ふだん、各館は、自分のところの収蔵品を中心に展示しています。ところが、この期間中は、それぞれの美術館に、3人のデッサンが陳列されているのです。しかも、港町にある木田金次郎美術館では「海」を、内陸の農村地帯にある西村計雄記念美術館では「田園」を、そして羊蹄山を望む小川原脩記念美術館では「山」をテーマにしたデッサンを集めているのです。
なかなかユニークな試みだと思います。
デッサンについて。
西村は、どの絵も楽しそうでした。
とりわけ、「ノルマンデー」と題されたものや、欧州へ行く船の寄港地で、色鉛筆で書いたデッサンは、線がのびやかで、まるで鼻歌を歌いながら鉛筆を走らせているさまが浮かんでくるようです。
木田は、デッサンでも、あのスピーディーな線です。せっかちな人だったのかもしれません。随所に、色について言葉で補足してあるのがおもしろい。アトリエに戻って油絵にするとき、参考にしたのでしょう。
小川原は、1970年代初頭のデッサンに特徴があります。太さの変わらない線で風景の輪郭を書き、陰影は最小限しかつけていないのです(「トドワラ」「羅臼岳」など)。それでいて下手なマンガにならないのはさすがです。
根室方面や幌延で書いた作品がありながら、後志の海で書いたのが1点もないというのが意外です。油彩にはほとんど描かなかった羊蹄山を、やはり70年代前半に取り上げているのが目を引きます。もっとも、木田も、岩内附近の山はたくさん取り上げていますが、羊蹄山は描いていません。
言わずもがなかもしれませんが、ここで3人がどういう画家であったかをおさらいしておきます。
木田金次郎(1893−1962年)は、中学時代をのぞいて終生岩内の地にあって、自然や花を荒々しいタッチで描き続けました。札幌農学校で教壇に立っていた有島武郎を訪れたことが元になって、小説「生れ出(いづ)る悩み」のモデルになったことで知られています。晩年は、大火で所蔵絵画をすべて失いましたが、それにもめげず現場で絵筆をふるい続けました。
西村計雄(1909−2000年)は、東京美術学校(現東京芸大)卒。戦後、パリに渡り、ピカソの画商として名高いカーンワイラーの知遇を得て、フランス画壇で活躍します。晩年は帰国し、沖縄平和祈念堂に300号で20点の連作「戦争と平和」を献納しました。
小川原脩(1911年−)も、東京美術学校の出身。戦前は美術文化協会の結成に参加するなど、シュルレアリスムの若き旗手として期待されますが、戦後は中央画壇から離れ、全道展の創立に参加します。晩年は、中国やチベットを題材にしたあたたかみある絵を描きました。
あしたにつづきます。
7月22日(月)
ちょっと前の話になるけれど、某ギャラリーの人から聞いた話。
或る日、北海道新聞の文化部の記者を名乗る男がやってきて、取材とか雑談をしていった由。
道新文化部の記者が来るのは、筆者以来数年ぶりのことだったらしい。ギャラリーの人は、だまって聞いていた。
そこで筆者の話が出て、ヤナイのときとちがっていまはひとりで複数の分野を受け持っているから、なかなか美術ばかり取材できない、といいわけしていたという。
この話は、二重の誤りをおかしている。
まず、文化部ぜんたいが担当している分野がかわらないのであれば、ほかの記者も美術を担当するのだろうから、総量としては取材量も記事量も減らないはずである(しかし、じっさいの紙面ではそうなっていない)。
そして、筆者が美術だけを担当していたというのは、事実誤認である。
たしかにそういう時期もあったが、音楽などの分野も兼任していたときのほうが長い。本、文学、魚眼図も兼ねていたころもあって、さすがにこのときはしんどかった。
だいたい、筆者は、美術に関するシンポジウムなどの催しや、展覧会のオープニングパーティーなどで、新聞記者に会ったことがない(タイムスの五十嵐さんは別。あの人は熱心です)。
人を引き合いに出して自分たちの怠慢の言い訳をするのはやめてほしいなあ。
スケジュール表、ここ3日ほどめだった変更がありませんでしたが、きょう大量に更新しました。
7月21日(日)
北海道開拓記念館から森林公園駅まであるいた。20分あまり。くたびれた…(って、さいきんこんなのばっかりですね)。
野幌森林公園にある道開拓記念館に入るのはじつに28年ぶり。
筆者にも、恐竜の化石や蝶の標本に目を輝かせた少年時代があったのです(^.^)
きょうは、その種の常設展を見るのが目的ではなく、第54回特別展「描かれた北海道 18・19世紀の絵画が伝えた北のイメージ」が目当て。
個人的には、おもしろかったです。
でも、美術館での絵画展じゃないですから、これを読んだみなさんがおもしろいと感じるかどうかは、自信がありません。ここに展示されている絵や写真は、あくまで往時の北海道のイメージをよく伝えているという基準でえらばれているのであって、とりたてて美術品としてすぐれているというわけではないからです。
だけど、「美術」品って、制度だからね。
つまり、或る物を見るときの、わたしたちの認識の枠組み。
だってさ、たとえば、仏像って、ほんとうは美術館で見てフォルムがどーだとかって鑑賞するものじゃないでしょ。「ありがたい」って、拝むものじゃない?
世の中には「画像」があふれていて、それは情報を伝達するものだったり、記録性を重視するものだったりするわけ。「画像」のすべてを、美術品として見るのがふさわしいわけでは、けっしてないのです。
となると、この特別展を、このホームページで紹介するのが、はたしてふさわしいのかどうかわからなくなってくるのですが…。
まあ、後日くわしく書きます。
なお、かなりの作品が4期に分けて、展示替えを行います。
24日まで/25日−8月7日/8月8−20日/21−27日
です。
道開拓記念館は、地下鉄東西線の新札幌駅バスターミナルから、11、12、13レーンのバスに乗り「開拓の村入口」で下車、徒歩15分。なお、正午すぎまでは「開拓の村」行きバスがあり、「開拓記念館」で下車、徒歩6分。
大同ギャラリー(中央区北3西3、大同生命ビル3階)は、くしくも、アカデミズムを思わせる画風の個展がふたつならびました。
3階は洞内麻希個展。
毎年個展を開いている、若手ではもっとも熱心な画家のひとり。今回も100号クラスを含む新作がならんでいます。
洞内さんの絵の特徴は、アクリルでありながら、テンペラ画を思わせるマチエール。リアルなタッチは、ルネサンス盛期のようです。
モティーフをみると、きみょうな帽子をかぶった二人の人物が、街の郊外でいわくありげにたたずんでいる図が多いです。
どんな絵がすきか、聞いてみると
「イコン画とか、すきですねえ」。
「欠けているもの」なんかは、ピエロ・デロ・フランチェスカを思い出させるけど、って水を向けたら、
「あ、好きです」。
右の絵は「オータ」。
人物がひとりだけ、というのは、洞内さんの絵ではめずらしいです。
百合の花などが描かれているのも、泰西名画的な色彩をますますつよくしています。
変わった題は、檜山管内大成町にある太田、という集落からきています。
昨年亡くなった祖父の古里なのだそうです。
日本海にへばりついているような小さな村。「どうしてこんなところに人が住んでるんだろう」と思ったほど。祖父は古里を懐かしがっていたそうです。そんな想いを込めて描いた、ということでした。
背景の黄色は、補正してみたのですが、なかなかうまく出ません。
いっぽう、小品は、人物が出てこないかわり、にょきにょきと生えてくる都市など、ユニークな絵が多いです。
道展会友。札幌在住。
上のフロアは、黒坂陽一個展。
大作2点を含む19点は、落ち着いた美しい色調と、破調のない構図、リアルな筆致などで、やはり古い西洋絵画を思わせます。
「女神たち」などは、いわゆる静物画に分類されるのでしょうが、背景に広大な風景を描いています。静物は、マルメロに似た果実、ガラス器、木馬のおもちゃなど。中央に、薄い色調で女神が描かれた(映写機で投影されたようにも見えます)布が張り渡されており、これは、もうひとつの大作「ガリシアの丘」とも共通しています。
また、小品の人物画は、まるで色鉛筆を使ったかのように、細い線を何本もひくことによって淡い色調をかもし出しています。
このように、絵にさまざまな仕掛けが施されており、見ていて飽きません。
日展会友、日洋展委員。札幌在住。
いずれも23日まで。
「北方冬景色」 佐藤憲悦写真展=富士フォトサロン札幌(北2西4、札幌三井ビル別館)
佐藤さんというと、四季おりおりの森の写真、というイメージが強いのですが、今回は冬に的をしぼっています。
「朝焼けの樹海」は、あざやかなオレンジに染めあげられた林の一瞬。
「凍てつく尾岱沼」は、氷の質感がみごとに表現されています。
ほかに小沼、釧路湿原、支笏湖など、水のある場所が多いのが特徴といえるかもしれません。
24日まで。
7月20日(土)
眠ってしまった夕べのつづき。
“The Reassurance Found in Everyday Life”/「安堵感」=CAI(北1西28)
出品しているのは、札幌在住の端聡、坂東史樹、上遠野敏、高幹雄、楢原武正の5人。CAIらしい顔ぶれといえるでしょう。
端さんの巨大な写真は、21日まで石狩・Art Warmで開催されている「水脈の肖像2002 日本と韓国二つの肖像」展にも展示されているものです。筆者は、最初に見たときには、うかつにもわからなかったのですが、この写真は、端さんの知り合いの在日韓国人です。もちろん、左右ともおなじ人物です。ふたつの大きな顔の間の空白が、日本と韓国の「あいだ」を象徴しているように見えます。日本名を漢字かなまじり文で、韓国名をハングルで表記した作品タイトルも、在日韓国人のおかれた立場というものをストレートに強くうったえてきます。
写真の表面は、よく見ると、こすれた跡が前面についています。このようなストロークをつけたのは、端さんの作品でははじめてのこと。
ご本人は
「腕が痛くなった」
と苦笑しながらも、擦過傷をつけた理由については、どうしてかなあと言っていました。
「水脈の肖像」展で写真のまえにおかれていた、音声を出す装置は、22日以降石狩からもどってくる予定です。この装置からは、日本語と韓国語が聞こえていたそうです。
ことばではきっちりと割り切れない日本と韓国の微妙な距離と未来への希望を、端さんの作品は、紋切り型のスローガンや言説よりも、はるかによく語っているように感じられました。
コミュニケーションをかくれたテーマにしている点では、96年のインスタレーション「楽観的でありながらつねに目覚めている」を想起させます。ただし、それは、端さんの作品すべてにつうじる主題なのかもしれません。
ギャラリーの庭に展示されていたのが、楢原さんの「大地開墾 2002−7」です。
まくら木のような古くて厚い板を地面に敷き詰め、中央に、錆びた釘を固めて作った、大人の背丈くらいの高さの塔のようなものがそびえています。
楢原さんのインスタレーションは、なにせ巨大なので、物量で勝負しているような印象を受ける人もあるかもしれませんが、じつは以前から、造形性へのつよい志向をもっています。それも、シンプルなかたちで、作品にモニュメント性を付与するのです。
今回の“塔”は、板の表面から約70センチふかくまで地面を掘り下げて基礎をつくっているそうで、ちょっとやそっとでは倒れないでしょう。
筆者が見たときは、初日だというのに、敏捷な蜘蛛が一匹“塔”のてっぺんまで駆け上がっていました。夏のことですから、それほどの日にちがたたないうちに、蜘蛛の巣が張られ、雑草が板と板の間から伸びてくることでしょう。しかし、むしろ楢原さんの作品には、そうやって自然と一体になる姿のほうが、ふさわしいように思えます。
上遠野さんの新作「日月祝々祭図(にちげつしゅくしゅくさいず)」は、巨大化したのし袋などからなる平面。キュレーターのトラスト・C・ハワードさんによると、中にはやはり巨大なお金が入っているそうな。そりゃ、実物大じゃ、赤瀬川原平さんみたいにタイホされちゃうからなあ。
高さんの絵画は「つばき」シリーズと題されたもの。
坂東さんの壁掛け立体は札幌美術展に出品されたものです。
8月16日まで。
そら舎 佐藤綾子展「アンモナイトのぬいぐるみ、略してアンモぐるみ」=ShiRdi(南3西28)
その名の通りでした。カラフルなアンモナイト約20個が天井からぶら下がったり床に置かれていたり…。
シーラカンスも一匹いて、アンモナイトをもしゃもしゃ食っていました(T_T) 生物の世界はキビシイ
22日まで。会場の地図はこちら。
「そら舎」のHPはこちら。
富士田夏子水彩画展=ギャラリー大通美術館(中央区大通西5、大五ビル)
道内の水彩画家のはしり繁野三郎さんが師匠というだけあって、穏やかなタッチの風景画や人物画がならびます。
とりわけ「花菖蒲」「水芭蕉」といった、花の群落の風景を描いた作品が多いです。「サロベツ原野」で画面を覆っているのは、カンゾウやスカシユリでしょうか。
いっぽう、道展に出品したものでは「こわれたテレビ」「ガラスと風船」といった、いっぷう変わったモティーフのものもありました。
札幌在住。日本水彩画会会友。
21日まで。
同ギャラリーでは、2002年夏季碓井正人作品展(油彩)、西村卓真・森田るり子二人展(油彩、手芸)も開催中です。
さて、函館編。
青彩グループ水彩画展=いしい画廊(本町32)
高橋剛、戸崎薫、小坂節子、水上順子、斎藤幸雄の5氏が出品。いずれも、明るい色彩の写実的な風景や静物です。
5人ともなかなか達者です。斎藤さんがいちばん筆が細かいかな。高橋さんは全体のトーンを抑えることで、花の色などを目立たせるという高度なわざを使っていました。
23日まで。
市立函館美術館(青柳町17の1)にも行ってきました。
市電を青柳町で下り、函館公園のなかをあるいていると、見えてきます。
行われていたのは「はこだて博物史−街と歩んだ函館博物館の120年−」。なんでも博物館のルーツは、明治12年の「開拓使函館仮博物場」にさかのぼるのだそうです。展示は、博物館の歴史を追うかたちで、明治初期につくられたエイやコバンザメの剥製から、貝の化石、古い電化製品など、なんでもござれでした。
ざんねんながら、美術品はあまり多くなく、軸装の日本画が8点ありました。なかでは、蠣崎波響「巖上鴛鴦図」「西王母」が、さすがに高い完成度でした。ほかはすべて、函館生まれの挿絵画家・彫刻家、梁川剛一の絵や彫刻。「リンカーン」「トム・ソウヤーの冒険」などを見ていると、子どものころの絵本を思い出します。
それにしても、函館公園は明治初期にできた、道内でも指折りの歴史ある公園とあって、なかなか楽しいものがあります。
右は、公園内の「こどものくに」にあった観覧車です。ボックスわずか8つ。木より低いです。
展覧会の紹介に、鈴木秀明展を追加しました。
7月19日(金)
東西線の西11丁目駅から円山まで歩いた。くたびれた・・・
山田勇男個展「少女繪」=ザリガニヤ(中央区大通西12、西ビル2階)、同「夜のヴェール」=札幌市資料館(大通西13)
山田さんは札幌出身、東京在住の映像作家です。
1980年代初頭、札幌で自主制作映画の波が盛り上がったあたりから、独自の感性による詩的な映像をつくりつづけています。
「少女…」は、10数センチ角の正方形のキャンバス20数枚に少女の顔をアップで描いたものがずらり。ほかに、落葉などによるボックスアートが数点。少女はみんな、目が大きくて、おかっぱです。
そういえば、映画「銀河鉄道の夜」などに出てきた石丸裕子さんも、こんなかんじだったっけかなー。
「夜の…」のほうは、黒く塗られた小さなキャンバスをたくさんならべています。
じっと見つめていると、黒い中からもぼーっといろんな模様がうかびあがってきます。
ただ、これは、自然光で展示してほしかったなー。
やっぱり山田さんには、映像が似合います。
第19回アングル’81写真展=市資料館
人物、風景など、なんの統一感もないのが魅力のグループ展。9人が出品。
畠山茂さん「稲の花」は、貴重な瞬間をとらえた作品。
森藤利弘さんは「旬の人」と題し、レンズに色の付いためがねをかけた濃いオヤジを正面から撮ったカラーを2枚展示。どういう意図の題名なのかわからないけど、漫画家の根本敬さんがよろこびそうです。
第31回フジノン友の会写真展=同
それにくらべると、ややまとまった印象のあるグループ展。
小野嘉春さんが魚眼レンズをうまく使っています。カモメの舞う姿を写した「群翔」は迫力いっぱい。
ほかに、市資料館では、第8回グループ木曜会展(油彩)、第25回じんく会画展(油彩)、陶芸倶楽部陶遊4人展が開かれています。
いずれも21日まで。
ザリガニヤは31日まで。
18日オープンしたばかりのポルトギャラリー(南1西22)。
北海道浅井学園大学(江別市)が新築した「北方圏学術情報センター」の1階と3階にあるスペースです。
総ガラス張りの、とてもモダンなビルで、建物に入ると、新築らしい香りがします。
ギャラリー開設記念展の出品者は、おもに同大学で教壇に立っている6人、ですよね(ちょっと自信ない)。
阿部典英さんは、A室(1階)に木彫のインスタレーション「ネェ ダンナサン あるいはイモの花」を出品。いつもながら鑿跡が小気味よいリズムを表面に生んでいます。
おもしろいのがB室(3階)に13個ならんで壁に架けられていた「木面」シリーズ。仮面ほどリアルじゃなく、でも人間らしさも感じられる、あたたかな作品です。
小林繁美さんは、B室が旧作、A室があたらしい作品だと思います。A室の「精霊たち」3作には、小林さんが以前から持っていた土俗的、原初的なパワーにくわえ、ユーモアが漂っているのが見逃せません。
B室の「陵」は、太古の岩の隙間で淡い光を発しながら長い眠りをむさぼる化石のような、詩的な雰囲気と、きびしい造形性を両立させた佳作だと思います。
永野光一さんの連作「眼の時」は、量塊性と、線の持つ軽さやスピード感、光の感じを両立させようとしているようです。
ほかに、抽象画の野崎嘉男さんと林亨さん、日本画の伴百合野さんが出品しています。
林さんについてはこちらを参照。
23日まで。
渡会純价版画展「旅の小路」=エルエテギャラリースペース(中央区南1西24の1の11リードビル2階)
この春、スイスに行ったときの印象を26枚にまとめました。かばんに銅板数枚をしのばせて行ったそうです。
今回は、めずらしく彩色は手で。そのせいか、いつになくやわらかい仕上がりです。
個人的には、今回のシリーズがいちばんすきだなあ。とくに、ジュネーブでのひとときを題材にした「至福のとき」。レマン湖のほとりに立つホテルの一室。左にはワイングラスを手にした男の一部。中央にはもう一つのワイングラスと、主のないいす。湖水に向かって開け放たれた窓からは遠くモンブランも望める。相方は、バルコニーにでも出てしまったのだろうか。まるで、映画の一シーンのような情景。見ていると、旅に出たくなってきた!
7月18日(木)
函館に行ってきました。
道立函館美術館で16日始まった「極東ロシアのモダニズム 1918−1928 ロシア・アヴァンギャルドと出会った日本」は、予想にたがわぬ興味深い展覧会でした。
それぞれの作品が高水準だという意味合いよりは、思わぬところに文化の伝播というものは起こるのだなあ、というのが一番の感動です。
だって、革命の混乱期のウラジオストクやハバロフスクで、モスクワ顔負けの前衛文化運動が繰り広げられていて、しかもそれが同時代の日本の美術に深い影響を与えていたっていうんですから。
マヤコフスキー編集の伝説の雑誌「レフ」の表紙なんかもずらりとならんでいて、このへんは、絵をかく人よりむしろデザイン畑の人にみてほしいなあ。
なお、作品が小さいので、かなり時間がかかります。ゆっくり見るには1時間半はあったほうがいいでしょう。それにしても、その間会ったお客さんはたった2人! 平日の昼間とはいえ…
出品された資料の中に、1923年に村山知義らが開いた「マヴォ第一回展覧会」のチラシがありました。その中の臆面もない宣伝を引用しましょう。
この驚くべき展覧会を見ないといふ事はどれほどその人の恥だか!!
よーするに、この函館の展覧会もおんなじだってことです。
くわしくは後日書きます。
もうひとつ。
丸井今井函館店で行われている鈴木秀明展。→
画業30年を振り返る個展で、見ごたえがありました。これも後日(明朝は早いのでごかんべんを)。
7月17日(水)
「アートな本棚」に、秋山祐徳太子著「泡沫桀人列伝 知られざる超前衛」を追加しました。
筆者(梁井)はずっと、芸術の森美術館でのルネサンス素描展に備えたお勉強のため、ブルクハルトの古典的な歴史書「イタリアルネサンスの文化」を読んでいるのですが、これがさすが名著で、たいくつで、ぜんぜん進まないために、ついべつのたのしそうな本に走ってしまうのです。
7月16日(火)
細木博子個展=札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
展示されている絵画は、すべて「時の流れの中で」と題され、真横を向いた木馬がモティーフになっています。
真横を向いて止まっているので、みな二本足です。
馬の絵といえば、ジェリコー、坂本繁二郎、そして宮西詔路さんなどを思い出しますが、やはり運動性と密接に関係しているようです。だから、静止している馬、というのも、かえって新鮮で、神秘的な雰囲気をただよわせています。
しかも、馬は、中心となるモティーフでありながら、さほど大きく描かれず、まるで周囲の暗い空間に溶けてゆくようです。
角を生やしていたり、胴体が壊れて中の骨格が見えているものもあります。
画面の下半分には、作品によって異なりますが、剥がれて砕かれた敷石や、小さな観覧車などが点景として描かれており、幻想性を強めています。
札幌在住、新道展会員。
村田由紀子版画展=同
銅版画のモノタイプ。すべてモノクロ。
女性の坐像らしいですが、暴力的なまでに鋭く強い線が画面全体を走っています。
乳房の先から母乳をほとばしらせているようにも見えます。そうとらえると、荒々しい生命の讃歌、ということになるでしょうか。
作品の多くには、年月日が入っているのですが、半数以上の月日は「8−15」となっており、おそらく戦争に対する意思表示なのかと思います。でも、こういう話は、はっきりことばにしないほうが、かえっていいこともあるかも。
札幌在住。昨年、道展の会友になりました。
長谷川雅志(染) 為岡進(写真)二人展=ギャラリーたぴお(北2西2、道特会館)
「江差姥神大神宮に捧ぐ」と副題がついています。
長谷川さんは道南が好きで、毎年、江差のお祭でおみこしをかついでいるのだそうです。
その様子もふくめた、祭のようすを、道開拓記念館に勤めて資料写真などを撮っている為岡さんが、毎年フィルムにおさめています。
会場には、長谷川さんの染織作品もつりさがって、なにやらめずらしいコラボレーションとなっています。
以上、いずれも20日まで。
第30回 創人 夏墨展=スカイホール(南1西3、大丸藤井セントラル7階)
漢字を中心に、近代詩文や墨象の創作によるグループ展。
工藤渓泉さんの漢字は、伸びやかで気持ちいいです。小野澄子さんの茶色っぽい墨色もおもしろい。
小林義晃油絵展=同
豊田満さんに絵を習った札幌の小林さん。写実的なタッチと、穏やかな色調は師匠ゆずりでしょうか。
道展では毎年、人物画を発表しています。
「人物はむずかしいよ、と言われて、『それならやってやろう』と思い、ずっと人物を描いています。ただ、モデルさがしがむずかしくて、さいきんは風景画にも取り組んでいます」
と話すとおり、会場の小品は、積丹や、石狩川のミズバショウなど、道内各地の風景を、濁りのない配色で描いているものが多いです。
写真は「旅立ち」。娘さんがモデルだそうです。
道展会員、札幌在住。
いずれも21日まで。
久米幸久個展=NHKギャラリー(大通西1)
「大通公園を描く」の副題の通り、ギャラリーの目の前に広がる大通公園を題材にした油彩、水彩計およそ20点がならびます。
茶系の絵の具を、ぱっぱっと小気味よい筆遣いで配して、枯れ木と雪景色を表した「冬の大通公園」や、朝日を浴びてやわらかなピンク色にかがやく「朝の大通公園」などが印象に残りました。
それにしても、マチのど真ん中に、こういう緑地帯を残してくれた先人には、感謝したいです。
もうひとつ。実は、大通公園は、春はライラックまつりや花フェスタ、夏はビアガーデン、冬は雪まつりと、商業利用がはなはだしいのですが、なーんにもやってないときの大通公園のよさというものを、絵を見て再認識しました。
18日まで。
訃報を三つ。
道新によると、書家の藤根星洲さんが亡くなりました。
藤根さんは、江別在住。北海道書道展の招待作家で、やわらかい筆致の漢字に持ち味があったと思います。
朝日、読売などによると、美術評論家の日向あき子さんが亡くなりました。72歳でした。
女性美術評論家のはしりで、ポップアートの紹介などに務めました。著書に「アンディ・ウォーホル」など。
個人的には、むかし読んだビートルズ論などが印象にのこっています。
道新によると、彫刻家の鈴木実さんが自殺しました。72歳でした。
1978年に平櫛田中賞、85年に中原悌二郎賞を受賞しています。
7月15日(月)
國松登と國松明日香展−絵画と彫刻の視点=市立小樽美術館(色内1)
北海道を代表する洋画家だった國松登(1907−94)と、彫刻家として活躍中の長男・明日香(1947−)の父子展。
二人とも、小樽生まれであります。
あ、そうだ、明日香さんは長男ですからね。女性ではありません。
たいへん温厚な方でして、
「あんた、バカァ」
などとは、けっして言いません(すいません、つまらんことを書いて)。
現代美術グループ展「HIGH TIDE」のまとめ役でもあります。
生前の登さんは存じませんが、全道展の創立会員であり、有名人でした。
筆者が思い出すのは、JR札幌駅地下の大きなステンドグラスと、大通西2のごまそば屋「鶴来」の店内に架けてある「氷人」の小品です。
さて、登さんのほうは、ほぼ生涯にわたって絵画が展示されています。
初期の習作ふうの風景画から、戦後の代表的なシリーズ「眼のない魚」や「氷上のひと」、さらに最晩年の、象を描いた「星月夜」まで30点です。寒色の使い方が、北国らしい叙情性をかもし出しています。
一方、明日香さんのほうは、近作が大半です。
筆者からすると、昔の作品も見たいのですが、ご本人が首を縦に振らないのでしょうか。
量感と空間性という、ともすると相反する要素をいかに両立させるか、という、いかにも彫刻家的な問題意識から始まった作品ではないか―と筆者はニラんでいるのですが、出来た作品は、風や木の葉を感じさせる叙情性をしずかにたたえています。
21日まで。
さて、おとなりの市立小樽文学館では、小樽・札幌喫茶店物語が開かれています。
入り口に仮設されているのが「J.J's Cafe」。JJ、とは、60−70年代に、ジャズや映画やアメリカ小説を語って若者文化をリードした植草甚一さんのこと。彼の蔵書や直筆原稿などが、かつて盆栽アートで名をはせた沼田元氣さんの感性でアレンジされています。
なんと、コーヒー無料。カウンターの向こうでコーヒーをいれてくれたのは、学芸員の玉川薫さん(男性)ですが、玉川さん、はまり過ぎ。完璧にマスターになっちゃってる。学芸員だとは思わない人、多いかも。
その次の部屋に再現されている、戦前の「光」という喫茶店は、一時期、國松登さんが経営していたというから、この展覧会、あながち美術と無関係ではないのです。
もし、ホンモノの「光」に行ったことのない読者がいらしたら、絶対に、都通に行ってください。一見の価値はあります。
あと、図録がおしゃれ。歴代の文学館のカタログのなかでも、大ヒットの部類ではないでしょうか。イエイ。
永井美智子個展=札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
軽やかな画風が持ち味の抽象を描く永井さん。
といっても、ただ色の塊を散らしているだけではなく、薄塗りを重ねたり、白を上から薄くかけたり、最近では新聞のコラージュなど、さまざまなくふうをかさねています。
右の写真は「七夕の宵」。青を中心とした色彩が、さわやかです。
20日まで。
時計台ギャラリーは、きょうはここまで。
北海道版画協会第43回展=大同ギャラリー(北3西3、大同生命ビル3階)
おもに、道展と全道展に所属する道内の版画家が毎夏開いている展覧会。暮れには、これとは別に小品展があります。そういえば、どちらにも所属していない人は、お目にかかれないなー(府川晃さんとか、ホシバリョウミツさんとか)。
一原有徳さんの欠席もざんねんであります。
もっとも、大井戸百合子さんや手島圭一郎さんらは健在です。
尾崎志郎さん「藤棚のある家」は、いつも歴史的建造物のような堂々たる建物を取り上げる尾崎さんにしては、ささやかな作品。
また、大本靖さん「creak」は、暗い画面に、氷山のような白い三角錐が重なり合う図柄で、70代でなお新しい作風にチャレンジする大本さんには、頭が下がります。
佐野敏夫さんも、ちょっと画風が変わったかも。「ロマンモティエの祝宴」は、聖書の一節のような不思議な光景です。
浅野ナさんは「誕生以前(夢古里)」「誕生以前(風・空)」の2点出品。いずれも、ネパールの新聞を支持体に使っています。ネパールに行った際に知り合いになった人に、航空便で送ってもらったのがまだ大量にあり
「まだまだ使わなきゃ」
と話していました。
やや若い世代では、やはり金沢一彦さん「羽衣」が、夢の世界を、安定した技量で展開しており、うっとりさせます。
佐藤克教さん「冥い海(2)」は、「うごめく」ということばがぴったりのぶきみな世界で、一度見たらわすれられません。
さて、若手で気になったのは、兼平浩一郎さん「見上げる想い」(たぶんシルクスクリーン)。
ハイヒール姿の女性が地面に尻を着けてすわり、両手を後ろについて、空を見上げている図の上に、風を思わせる水色の帯がたくさんよぎるという図。これまでの元気なタッチから、変化が見て取れます。
尾崎淳子さん「春暁」のシンプルさにも惹かれました。
ほかの出品作は、次の通り。
浅野武彦「St.Maria del Fiese」
石井千晶「原生」
石川亨信「月と轍が薪に云えたら」「氣憂層韻カラ」
岩崎弘道「トムラウシ遠望B」
大井戸百合子「秋のいちば」「雪のいちば」
大野重夫「冠雪羅臼岳」
木戸しづ子「手紙」
木村多伎子「華」
近藤貞子「梟の棲む木」
更科e「バーニングマーク438」「バーニングマーク378」
渋谷政巳「ネパール紀行−ヒマラヤ襞とチルテン bP」「ネパール紀行−ヒマラヤ襞とチルテン bQ」
白山久美子「追憶−JULY(U)」
清野知子「パピルス」
鈴木なを子「猫村ウォーキング大会(給水所編)」
瀬戸節子「RA・RA・RA(14−2)」
竹田道代「それぞれの思惑U」
田崎敦子「Tremolo Moon」
種村美穂「Autumn pass away」
手島圭三郎「月の湖(1)」
内藤克人「飛ぶかたち〜架構’00-1」「飛ぶかたち〜架構’00-2」
ナカムラアリ「PANDORA BOX “真実”」
中谷有逸「碑(月夜に吹く風)」
鳴海伸一「都市彷徨〜PLANET〜」
西村一夫「内なる風景2002−H2」「内なる風景2002−H3」
萩原常良「黎明山麓」
早川尚「Flowers in Memory」
平塚昭夫「花も虫も 2002」
福岡幸一「桂の古木」
細見浩「盛夏 ひまわり」
三島英嗣「時のはざま(T)」
山内敦子「海辺の家」
吉田敏子「指標」
吉村博之「soul」
渡邊慶子「JUly w-1」
16日まで。
つぎの3会場に巡回します。
いずれも、大同ギャラリーより広いので、展示作品数は増えるそうです。
7月21日−8月4日(22、29、31日休み) 東神楽町メモリアルホール
8月9−20日 芽室町中央公民館
8月24日−9月2日 南幌町ふるさと物産館ビューロー
「展覧会の紹介」に「北の個人美術館散歩」を追加しました。
14日で終わってしまいましたが。