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あーとだいありー2003年4月後半

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 4月30日(水)

 橋本尚美版画展「fiume〜川のほとり」カフェ・ルネ(中央区南4西22)
 橋本尚美版画展の会場風景見に行ったのは日曜なんです。
 橋本さんは1965年生まれ、東京在住。多摩美大でデザインを学びつつ、版画制作も続け、卒業後はCDジャケットのデザインなどを担当。紫門ふみさんの本の装丁などもしています。
 作品は、とくに赤系の色があざやかなのが特徴。春らしい、軽やかなざわめきを感じさせる木版画とリトグラフが展示されています。
 5月6日まで。

 「2003年度美術館の日程」に、江別市セラミックアートセンターを追加しました。


 4月28日(月)

 きのうの訂正です。
 「粗粗かしこ」展のなかで、ブルーリボンのことを、米兵帰還がどうのこうのと書きましたが、

これは、「北朝鮮による拉致被害者の生存と救出を信じている」
という意思表示です。

 ということで、吉沢様にはごめいわくをおかけしました。
 米兵のほうもリボンなので、混同してしまいました。

 井上まさじ展=ギャラリーミヤシタ(中央区南5西20)
 今回も、色彩がほんとうに美しい絵画。
 とてもマーカーで描いたとは信じられません。
 ただ、作風的には今回、転換がありました。
 井上さんの作品には、おもにフリーハンドで直線や小さな丸を規則正しく描いたものと、ローラーをかぎりなく往復させて顔料を重ねて微妙な色合いを出したものとのふたつの系統があり、おおむね、どちらかの系列の作品だけで、交互に個展をひらいてきました。今回は、順番から行くと、フリーハンドのほうの個展なのですが、これまでになく色彩が豊富なのです。
 いままでは、ランダムに色の線をかさねるか、あるいは、おなじタイプの色(青系統など)をもっぱらひとつの作品につかっていることが多かったのですが、今回は、いろいろな色がひとつの作品の中に登場しています。緑と茶とオレンジが出てきている絵など、紅葉をとおくから眺めたかのようです。
 これらの作品は、カラーマーカーでちいさな円をたくさん描いたのち、その円の内側にさらに黒ペンでもっとちいさな円を描くというプロセスを、紙全体を覆うまで何度もくりかえしてできています。しかし、色がより“多弁”になった今回の作品は、そういう「行為の反復」よりも、色彩のあざやかさのほうにどうしても目がいってしまうようです。
 5月4日まで。


 4月27日(日)

 「変らぬもの」 朝田千佳子−染織アートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル6階)
 札幌の若手染織家、朝田さんの個展。
 前回は、夜空に満月が浮かんでいるシンプルな、しかし深みのある図柄が多かったですが、今回は、そのほか、明るい、南方的な雰囲気の作品も増えました。
 写真の右側に写っているのがその系統で、暖かい国の植物を思わせます。
 その一方で、ギャラリーの奥の壁には、高さ2.2メートル、幅60センチの布を6枚横につなげた、雲間にうかぶ満月を題材にした大作がどーんと展示されています。
「絵とおんなじで、大きいほうがじつは簡単。大きけりゃいいってもんじゃないってことが、これをつくってよくわかりました」
朝田千佳子展の会場風景と作者は謙遜していますが、存在感があります。
 朝田さんはもともと油絵をやっていたせいか、染織作品はすごくシンプル。工芸畑の人って、ときどきやたらと装飾的なものを造る人っていますけど、そういう小うるさい感じが朝田さんの作品にはいっさいありません。必要最小限の要素で大きな画面をちゃーんと作っているのです。
 さいきん、道新とか、オントナ(道新の夕刊と週イチでいっしょに配布されるフリーペーパー)に、イラク戦争のことを強調されて書かれたのは、けっこう違和感をおぼえていたようです。まあ、新聞記者って、どうしてもそういう話題になりやすくてわかりやすいところを、かぎられた行数の中で強調しちゃいがちですからねえ。
 「たとえ明日世界がほろぼうとも私はりんごの木を植える」などの題がついたタペストリーもありましたが、「時間がなくて」大半は無題です。タペストリーのほか、ストールもいろいろあります。
 関連テキスト 昨年1月の個展  昨年3月のvisual poetry展

 エシホリシスりシつる−粗粗かしこ=同
 現在は結婚して埼玉在住の吉沢由美子さんですが、もともとは朝田さんといっしょに札幌大谷短大に通った仲。毎年のように札幌で「木版生活」と題した個展を開いています。「つる」というのはあだ名だそうです。
 まいど、単純に可笑しい、いかにも木版といった風合の小品が大半。「タコ」という作品には「骨はないけどしつこさはある」などという文がついたり、花札のツルの絵を漫画風に変えてみたり、なかなかたのしい作品が並んでいます。ただ、ことしは、与謝野晶子の有名な詩「君死にたもうことなかれ」を全文木版画で刷った作品や、「北朝鮮による拉致被害者の生存と救出を信じている」という意志表示であるブルーリボンの運動に材を得たものもあって、ひそかに? 時代を反映した展示になっています。
 ご本人のサイトはこちら。

 布遊館「布の遊び」=同
 こちらは「つる」さんのお姉さんだそうで、通常のパッチワークキルト展にくらべユーモラスな作品が多いです。魚ががーっと口をあけてる立体とか。

 panorama=同(5階)
 道教大で油彩研究室に所属する4年生、渡部陽子さん、手塚未歩さん、佐野妙子さんの3人によるグループ展。3人とも、大きさやかたちのことなるキャンバスを不規則にならべて、平面インスタレーション的な展示をこころみています。
 渡部さんは、子どもの頃の思い出を振り返るような、子供たちの群像や、青いトタン屋根の絵などを、ちょっと表現主義的な大づかみな筆致で描いています。
 手塚さんはほとんど抽象で、とりわけ中央の大作は、内田あぐり(日本画だけど)や、ことしVOCA賞を得た津上みゆきといった熱さを帯びた力作です。
 佐野さんは、5点のうち、2枚のキャンバスでひとつの絵になっているのが二組。のこる1点は、巨大なシダ類やゼンマイの野を女性があるく、SF的な絵です。
 というわけで、なかなかおもしろかった。

 いずれも29日まで。


 4月26日(土)

 27日終了の展覧会をあわてて見てきました。

 身につける造形20人展=美しが丘アートギャラリー(清田区美しが丘2の1)
 道内のさまざまな分野のクラフト作家が、「身に付ける」をテーマに競作した企画展。手づくりのアクセサリーが好きな人に、おすすめしたい展覧会です。
 平田まどかさん。「甘バッチ」「観バッチ」「勘バッチ」と題した、円形の缶バッチ。展示の仕方もたのしい。
 船木ゆずかさん(金属)。「Piece of Nature」。ジュエリー作家ですから、「身に付ける」作品はお手の物。ピアス、チョーカー、ネックレスなどを出品しています。船木さんといえば木の枝をモティーフに取り入れたもの、というイメージがありましたが、今回はいろんなかたちがあります。
 煙山泰子さん(木工)。木でつくった野菜のシリーズが有名な煙山さん。「COLLAR+CUFFS」は、赤と黒の2種類あって、首や手首に巻きます。ポップで、カジュアル。
 田村陽子さん。「羽が生えたよ」。チョーカーやネックレス。フェルトの素材感をいかした、あたたかそうな作品。
 中川晃さん(ガラス)「目玉とカケラ」。ゲゲゲの鬼太郎のオヤジみたいで、かわいいです。
 鴨下蓉子さん(金属)「AMU」。ティッシュペーパーの箱を上から見た形みたいですが、じつはかんたんに伸びて、首、手首、足首に巻くのだそうです。
 松原成樹さん(陶)。「模型」。ドーナツ型など。紐はついていないので、各自でご自由にということのようです。
 勝水喜一さん(木工)。「千の願い」。ありそうで意外とない、木の指輪。道産材を9だか10種類用い、白っぽいものから黒っぽいものまで多彩です。
 前田育子、西山亮、上遠野いこい、外山雄一、堂前守人、加藤千香子、高橋三太郎、倉本悦子、常野万里、藤井葉子、楠本由美、平塚智恵美の各氏も出品しています。

 陶工房 瑠璃庵 太田富江陶芸展=工芸ギャラリー愛海詩(えみし=中央区北1西28)
 青森県木造町の陶芸家。道内では初の個展。
 「瑠璃庵」というから真っ青な磁器のような作品を勝手に想像していたら、じつはけっこう渋かった。
 シンプルな、丸みを帯びたフォルムの花器は、焼き締めのように景色がおもしろいです。といって、備前ほど激しくなく、やさしい感じ。青や緑の釉薬が、うすくついています。和紙に釉薬を浸して表面につけ、三度焼成してつくるのだそうです。
 また、小さな花器をみっつつなげて、壁に這わせるタイプのものや、茶香炉、ミニ灯篭という置物など、ユニークな作品もありました。

 椎名勇仁「粘泥邸(ねんどろてい)」★スライムズ・マンション★Free Space PRAHA(中央区南15西17)
 運び込んだ粘土がなんと1トン。割れ、蛇のような模様が走り、足の付け根みたいなかたちがいくつもついて、まるで巨木の根の部分が風化して1万年くらいたったみたいな、存在感があります。
 ほかに、01年秋の「地上インスタレーション計画」ですすきのの路上にあった、黒曜石の化石を30倍のスケールに拡大した大作「巨人」(こんどは横向きにして、天井から吊り下げていた)をはじめ、ドローイング、ビデオなど。
 6時からパフォーマンスの予定でしたが、6時半になっても始まらないので帰ってきました。ごめんなさい。

 以上、27日限り。

 あぐらのくらし LIFE ∈ AGRAGallery・Cafe marble(中央区界川2の5の6)
 札幌の家具の作家が「イマ旬」になる、という事態って、なんだか想像しづらいけど、でも実際そうなんです。「あぐら」は、原ななえさんの工房。「JRタワー・ファニチャー計画」に入賞してタワー内にいすが展示され、マルサ(札幌のファッションビル)に期間限定のショップがオープンし、SOSO CAFEのインテリアに採用され−ってことで、注目をあつめています。
 marbleの展示は、2階のいすとテーブルを取っ払い、フローリングの床にすわって、壁紙、あかり、木のちいさな家具などを、珈琲でも飲みながらまったりと眺めるようになっています。敷物も作品です。色見本や、いまや原さんの代名詞?の、またがってすわるいすもさりげなく展示されています。階段にはパーカー、1階にはマスコット人形「アカイヌ」などもあり、家具にとどまらず、インテリア全体にわたって提案する内容になっています。
 5月10日まで。日曜休み。

 第3回暮らしの中の木の椅子展芸術の森工芸館(南区芸術の森2)
 全国から公募した椅子102点。
 長いものあり、ロッキングチェアあり、スツールあり、シンプルな椅子あり、座椅子みたいのもありで、理屈ぬきで楽しいです。
 しかも、わずかな例外をのぞき、すべて実際にすわり心地をたのしめます。
 6月29日まで。4月28日をのぞき無休。無料。

 ミロ展−生命を謳う版画芸術の森美術館(南区芸術の森2)
 スペインの巨匠ジョアン・ミロ(1893−1983年)の版画の展覧会。
 油絵や立体、陶芸はまったくありません。
 或る国内のコレクターの所蔵品で、本邦初公開の作品もあるそうです。
 でも、筆者は、いつもの美術館での展覧会に比べ、そうとう気軽な感じで見ました。
 イマジネーションのおもむくままに、黒い線を走らせるミロの版画は、むつかしい顔をして腕組みなんかして向き合うよりも、気のあった友人や家族といっしょに
「あれ、なんに見える?」
「この形、楽しい」
なんておしゃべりしながら見たほうがよさそう。
 色刷りの作品が多いのですが、連作「巨人たち」はアクアチントのモノクロで、これは日本の前衛書とか、白髪一夫の作品との同時代性を感じました。
 ただねー、天真爛漫に見える画家だけど、展示室のとちゅうにあった略年譜を見て、ちょっと認識をあらためたところもありましたよ。20世紀を生きた画家だから、とうぜん、スペイン市民戦争にまきこまれてフランスに行ったり、ナチスドイツの攻撃を避けてスペインに戻ったり、時代に翻弄されてもいるのですよ。で、フランコ独裁時代、いったんはそれに反対してパリにいたミロが、どんな思いでこれらの明るい版画を制作していたのかなー、などと思うと…。
 政治的な表現がきびしく取り締まられていたこの時代(1939−75年)、スペインの映画監督ビクトル・エリセが、この時代を舞台にした(といってもぜんぜん政治的じゃない映画だけど)「ミツバチのささやき」に出てくる登場人物について、「自分の中へと亡命していった人たち」と言ってました。あるいはミロもこの「内的亡命者」、つまり、独裁に反対という意思をおおっぴらには言えないけど、内面に沈潜して沈黙の抗議をするひとりであったのか−などということを、「緑の亡命者」という題の作品を見て、思ったりもしたのです。
 5月18日まで。
 7月12日−8月17日、道立旭川美術館に巡回。この2館のみで、道外の展覧会はありません。

 「道内美術館の日程」に、西村計雄美術館を追加しました。


 4月25日(金)

 北村展=さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階)
 北村さんではなく、北野直子さんと村上幸織さんの絵画展なので「北村展」のようです。
 これはほめ言葉ですが、どうもヘンな絵です。とくに村上さん。
 「木のうろ」は10枚組みの作品。ふきだしのないマンガのような、続き物です。森の中、(たぶん)姉と弟が木のうろの中に入ったら、そこは、巨大なきのこが生え、お化けが団体で空を飛んでいる異次元空間。ふたりはお化けたちに連れられて空をとび、べつの台の上のようなところに着くと、そこはさっきの木のうろの中だった…
 最初と最後の、現実世界を描いた絵がカラーで縦長。真ん中の3枚が横長で、ふたりをのぞいてはペンによるモノクロームの画であるというあたり、SF映画的な仕掛けではありますが、なかなか効果的です。お化けの団体も、作者のイマジネーションが爆発しています。
 このほか、「想雨」という絵は、ビル街の背後に怪獣がいるのですが、人々はそれにかまわず傘をさしてあるいているという図柄。「御精霊雨(おしょろあめ)」は、傘をさすセーラー服の少女の背景に、蕗の下にうずくまる人物や、ブランコの子どもなどが描かれた、これまたふしぎな絵です。
 北野さんは「溶ける温度2」「奇妙な風景」など。これまた、異次元の風景を描いたような、ユニークな抽象画です。

 第3回チャリティ藤原守個展 「ヨーロッパスケッチの旅」=同
 プラハやパリの町並みなどを細いペンや淡彩で描いた絵。特殊な風合を持つ和紙に描いた絵のほか、孔版画もかなりあります。
 それにしても、フリーアナウンサーの佐藤のりゆきさんとか詩人の笠井嗣夫さんとか、花束がやたら多いのはなぜでしょう。

 色彩の画家 村元俊郎・遺作展=北海道画廊(中央区南3西2、HBC三条ビル2階)
 1923年、檜山管内江差町生まれ、95年歿の画家。いかにも「色彩の画家」らしいのは、原色で風景や人物を描いた晩年だけで、それ以前はキュビスムふうだったりフォーブだったりいろいろな画風の絵がありました。

 いずれも27日まで。


 4月24日(木)

 第26回 金子辰哉展 シリーズ「顔」ギャラリーART−MAN(中央区南4東4)
 現代美術のグループ展「存在派」を毎年組織している金子さんは、「存在派」展にはワイルドな木彫を出すことが多いのですが、今回は、これまたワイルドな絵画をならべています。
 ニューペインティングというか、「3コードの絵」です。
 個人的には、オーネット・コールマンの絵がよかったですが、これってすでに筆者が、ジャズ黄金時代を懐かしむおじさんになってしまっているせいかも。コールマンってよかったよなってか。音もいいけど、アルバムタイトルがすごい。
 なんたって「ジャズ 来たるべきもの」だもん。
 26日まで。

 第3回 北の群展=コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11、コンチネンタルビル地下1階)
 抽象画が多いグループ展ですが、メンバーは変動があります。
 見逃せないのは斉藤兄弟の作品。ただし、イラクで戦争があったばかりなので、もうちょいタイムリーな作品があるかと思ったら、そうでもなかったのが意外といえば意外でした。
 勝行さんは、長年のテーマ、原爆を追った大作「被爆者」など。「ゲルニカ」を意識したのかモノクロームの絵画で、パワフルな直線が画面を支配しています。
 「札幌の中の日本」はなにを意図するのかはっきりとはわかりませんが、色とりどりの飛沫を見ていると、この、一見開放的で外国のような町にもナショナリズムの芽みたいなものはあるのだなあ、という思いに「北の群展」の会場風景駆られます。
 一方、邦彦さんの「凍土」は、これまた直線が力強く画面を走り回る絵。ところどころに配置された、有彩色の斑点が画面を引き締めています。気合の入った作品です。
 先日、はーぜんろっほで個展をひらいた三浦逸雄さんの絵が5点ありました。「午睡の夢」はおそらく新作で、裸の人が空から落っこちてくる絵です。
 なにか、他人の夢の痕跡を覗き込んだような、ふしぎな気分にさせられます。
 ニムエヒロミさんは、本職は占い師さんだそうです。今回発表した4点はいずれも、タロットカードに着想を得た、ユニークな絵です。
 木本アツ子、岡田玲子、桑村幸子、小崎順、斉藤千鶴子の各氏も出品しています。
 26日まで。
 昨年の「北の群展」はこちら

 「展覧会の紹介」に「北海道抽象派作家協会」展の前半部分だけをアップしました。
 また「5月のギャラリースケジュール」をアップしました。じつはきのうからアップしていたのですが、札幌市資料館の部分にかなりの誤記があり、訂正してあります。もしプリントアウト、ダウンロードしていた人がいたらごめんなさい。


 4月23日(水)

 下澤敏也・多田昌代二人展−食・楽・彩・器・2003−=器のギャラリー中森(中央区北4西27)
 近年は関西方面での、造形の発表が多い札幌の陶芸家、下澤さん。
 「やはり京都のほうは、作家も学生も多く、あたらしいことをやると反応が違います」
 札幌では年1回、うつわをメーンにした展覧会をひらいています。
 会場の隅にあった、造形的な作品。立方体を数個ならべ、それに小舟をさかさにしたようなかたちをたてかけています。下澤さんによると、これは「生物的というか、動物的なかたち」なんだそうです。
 立方体のほうは、鉄や真鍮など、さまざまな金属を表面に掛けて熔かしています。近づくと、でこぼこしていたり、それぞれの表情−景色、というのとはちょっとちがう感じ−がちがうのです。
 「やきものの世界ではやっちゃいけないことなんだけど、それにとらわれてちゃ前に進めないから。それでも、熱くしすぎて窯をダメにしたり、むつかしいです。金属によって融点が異なるし」
 うつわは、銀彩をかけた酒器が目を引きます。ずいぶんと光沢があります。
 多田さんは白いうつわが中心。一見磁器のようでいて、土の色による陶器のせいか、あたたかみがあります。
 29日まで。

 橘内光則 -It's my life-=TEMPORARY SPACE(中央区北4西27)
 道教大札幌校を卒業したばかりの若手の初個展。
 うわー、最初は写真かと思った。身の回りの人物をリアルに描いた大小の油彩30点が壁にばらばらにならんでいます。
 いや、「リアル」ということばはこの際、用心してつかったほうがいいな。この「リアル」は、いかにも写真っぽい「リアル」なのです。たとえば、人物の背景がボケているとか。
 筆者は最初、絵のモデルがけんちゃん(谷口顕一郎氏)とか武田くん(武田浩志氏)とかなので、こりゃまたヒロミックスや長島有里枝のパロディーをやっているのかと思いましたが、橘内さんは、リヒターを意識しているのだそうです。筆者はまだ不勉強なのですが、リヒターは「写真登場以後の絵画」ということを、ものすごく意識して絵に取り組んでいるドイツの画家です。
 あたかも写真をそのまま模写したかのような橘内さんの絵ですが、じつは絵にするにあたっていろいろ手を入れています。
 その点からいうと、これらの絵をふたたび写真に撮ってサービス判にプリントし、ミニ額におさめた作品(カフェ・テンポラリーに飾ってある)は、「画像とは何か?」「物の本当の姿とは」を考えさせるものだと思いました。わたしたちは、写真を、あるがままに世界を捉えたものだと思いがちですが、それでは、じっさいの写真を修整して描いた絵をうつした写真というのは、いったいどういう位置付けをしたら良いのでしょう?
 27日まで。

 平向功一展ギャラリーどらーる(中央区北4西17、HOTEL DORAL)
 1964年生まれ、道内の日本画の若手を代表する平向さん(札幌。道展会員)の企画展。
 この数年、平向さんは「バベルの塔」と題した作品を制作しています。
 といってもブリューゲルのように、人が大勢いて巨大な塔をこしらえているのではなく、だれもいなくなった塔屋の周囲を、起重機でつりさげられた石や木が上がっている図なのです。
 無人の塔は「創世記」の一節を思い出させます。
 つまり、神が人々の言葉をばらばらにしてしまい、人は意思疎通ができなくなって、塔の建設は放棄されてしまったという物語です。
 しかし、と、筆者は考えました。斜めから見た構図も手伝って、これらの絵は、あたかも、だれもいなくなった塔で工事だけが進んでいるように見えるが、じつは、吊り下げられた石などは中空で停止しているのかもしれない、と。
 さて、めずらしいなーと思ったのは「宙」(F100)。
 「バベルの塔」にくらべると簡易な構造をした、途中で折れている塔と、羽を閉じて横を向いているクジャクとの組み合わせです。
 平向さんは創画展にも出品していますが、なんだかこの絵は、ベテランの花鳥画と、若手の洋画志向の二重構造になっている創画展みたいな絵です(って、これはうがちすぎな見方ですね)。
 異質なものの組み合わせといえば、「天体観測」(同)も、同様のまるい塔が、星座絵を背景に描かれています。
 また、小品では「BUTTERFLY」(F6、F4、F3の3点)が、ピンに留められた蝶を描き、三岸好太郎へのリスペクトを感じさせます。
 そのほかの出品作は次の通り。
 「バベルの塔」(F150、S100、S50、S50、F50、F10)
 「ジャックの遠い記憶」(F70)
 「大聖堂のある街」(F50)
 「ツルサレタマチ」(F6、F0)
 「ワカバノモリ」(F6)
 「ウゴクマチ」(F6)
 「マルイダイチ」(F6)
 「BIRD」(F3)
 「サーカスタウン」(F3)
 30日まで。

 デュボア康子展札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
 隔年で個展をひらいている札幌の画家デュボアさん。今回も「微風」「なにを想う」「spleen」など、100号クラスが7点と、精力的な制作ぶりをみせています。
 もともと色彩や形の追求が主で、人物はいわばダシにすぎなかったデュボアさんの絵ですが、今回はとくにその傾向がつよまっています。背景の色が人物にオーヴァーラップして、人物が以前より痩せてきているのもその表れではないでしょうか。
 「ジャコメッティじゃないけど、だんだん人物がほそくなってきて…。人物を描きたくないのね、きっと」
 周囲には、たばこの煙の輪のような図形が浮かんでいます。これは、風をあらわしているのだそうです。画面全体に、一種の浮遊感をあたえています。
 今でこそフォーブ的な絵ですが、このままいくと抽象に移行してしまいそうな、そんな感じすら受けました。
 札幌在住、全道展会員。
 26日まで。

 南雲久美子個展=同
 油彩。裸婦を中心に、部屋を描いた諸作品のセンスはわるくないと思います。とくに、白の使い方は洒脱だなーと思いました。
 小品も、色を丁寧に重ねてあって、同じ色の面が画面の大半を占めながらも生っぽいところが少ないのには、感心しました。
 26日まで。

 多面的空間展vol.5=ギャラリーたぴお(中央区北2西2 道特会館)
 昨春まで札幌在住でいまは仙台を経て東京に住んでいる上條千裕さんの平面4点が目を引きました。蜜蝋を素材とする平面は、茶、青、赤、水色など、ほとんどあらゆる色を宿しながらもふしぎと統一感があり、しかも色と色が交錯することによって平面とは思えないほどの奥行き感を実現しています。
 藤川弘毅さんの写真は、キャベツを持った裸婦のモノクロが36枚ならんでいます。顔は見えません。裸の胸をキャベツで隠しているのが多いですが、ぜんぜん隠しきれていないショットもかなりあります。しかもそれらが木の台車に張られているのが、なんともふしぎです。
 ほかに漆山豊、川村雅之、中森秀一、林教司の各氏が出品。
 5月3日まで。

 伊藤正展=白樺画廊(中央区北4西20、アラカワビル3階)
 日展や道展で活躍した具象画家の回顧展。
 スケッチ93点と、「ロワール沿いの街」など油彩10点を展示しています。
 スケッチは、1962年に訪欧した際にちいさなスケッチブックにしたためたものが半数以上を占めています。
 筆者は、伊藤さんと欧州、というと、1962年に描いたノートルダム寺院の絵を思い出します。あの絵は、高村光太郎や森有正などと同様に、西欧精神の権化みたいな存在と向き合って自らを叱咤しつつも感動している、そういう精神の在り処を奔出させているような印象深い作品でしたが、今回そのわけをすこし納得しました。
 伊藤さんは船で渡欧していたのですね! 62年なら、まだ航空機は一般的ではなかったのでしょう。
 サイゴンやジブチなどのスケッチもありました。大学生が飛行機でさっと行ってしまう昨今とことなり、長期間あこがれていた欧州へ、時間をかけて出かけることの重みを、あらためて感じたのでした。

 きょうの朝日新聞夕刊の道内面に、阿部典英さんの素描集「海底」の記事が出ていました。
 典英さん、すいません。筆者のところにもとどいています。どうもありがとうございます。ちゃんと紹介しなくてはと思っているうちに遅くなってしまいました。
 ところで、これはどこかの本屋さんで販売しているのかしらん。

 展覧会の紹介に、3月まで道立函館美術館(函館市五稜郭町)でひらかれていた「青春の洋画 戦前までの道南美術」を追加しました。


 4月22日(火)

 北京故宮博物院展丸井今井札幌本店(中央区南1西2)
 最終日の21日、閉館ぎりぎりになって見てきました。
 100点を優に超える収蔵品が展示されていて、百貨店の催事としてはかなり力の入ったもの。会場もかなりの混雑でした。
 唐代の三彩によるらくだの像、殷(商)の時代の鼎(かなえ)など、いろんなものがありましたが、それほどじっくり見ていないので、感想をすこしだけ。

 1.くどい。
 「空間恐怖」とまでは言いませんが、ほとんどの器や絵画は、あらゆる空白を装飾によって埋め尽くさずにはおれない、といった感じです。
 左の絵は、清の三大名君のひとり、雍正帝の肖像画「読書像幅」ですが、朝服には龍の絵がびっしりと雍正帝読書像幅刺繍され、床にもいろいろな模様が描きこまれています。これでも、この絵は、のこる名君・康熙帝や乾隆帝の場合にくらべ、背景が白っぽいので、まだ全体がすっきりしているほうです。
 例外は、北宋・南宋時代の青磁器。模様のないすっきりしたフォルムと、深みのある淡い青がよかったですが、これは全体からみたらごく少数。
 ひとくちに「東洋的」というけれど、日本と中国の美意識はそうとうちがうんじゃないか、というのがおおざっぱな感想です。

 2.平面的
 しかし、日本と中国でそっくりなところもあります。
 陶芸の意匠の伝承、影響関係については筆者は暗いので、ここでは述べません。絵画について、ちょっとだけ。
 さすがに上の絵になると、西洋から絵のたしなみのある宣教師が来ている時代なので、透視図法(遠近法)をとりいれて遠くが小さくえがかれています。
 しかし、もうひとつの西洋画の特徴である陰翳は、まったく考慮されていません。
 すべての部分がおなじ明るさで描かれています。
 この絵は「絹本着色」です。つまり、日本画とおなじです。
 日本画という概念は明治時代に成立したもので、要するに墨と岩絵の具による絵ですから、もともとは中国の絵と差はないと思います。
 全体を明るく描くのは、モティーフの固有の色を重視するためです。視点をひとつに固定して陰翳を描く西洋画とどちらがほんとに「リアル」なのかは、決めるわけにはいかないのです。

 3.無名性
 みごとなものが陳列されていますが、全体のなかで、作者名が表記されているのは、西太后がみずから筆を執ったとされる絵画と、カスティリオーネ(宣教師)が描いたらしい絵だけです。
 「作者」が固有の才能を持った存在として登場してくるのも実は近代の現象であって、それ以前は、だれが作ったかなんて、みんな気にしてなかったんですね。おおざっぱに言うと、アーティストじゃなくてアルチザンの時代だったということ。

 ※後記 のちほど読者の方から、中国では古くから画論や画家の伝記が盛んであったはず−という指摘がありました。言われてみればもっともです。

 「おばあちゃんの旅日記」大橋薫写真展富士フォトサロン札幌(中央区北2西4、札幌三井ビル別館)
 アラスカ、イタリア、ネパールなど、世界各地の自然や、子どもたちの表情などをとらえたおびただしいカラー写真。
 国名以外のキャプションが皆無。これはすっきりして、いいと思います。旅行をくどくど説明するのではなく、さまざまなイメージが乱反射する感じの会場構成になりました。
 そして特筆すべきはプリントの美しさ。担当された女性は、富士の札幌のラボでも有名な方のようです。
 23日まで。


 4月21日(月)

 22日までの展覧会を、ヤット見てきました。
 いずれも、おもしろかったです。

 Group Ten 七宝展=大同ギャラリー(中央区北3西3、大同生命ビル3階)
group ten 七宝展の会場風景 七宝作家としては道内屈指の実力の持ち主だと筆者が思っている堤恭子さんの教室展。札幌と仙台の14人(堤さんふくむ)が出品していますが、いわゆる初心者があつまった「教室展」ではなく、水準は高いです。
 渡辺美紀子さんの「花のシンフォニー」(写真手前)は、花弁が人のかたちにも見えるふしぎな作品。おなじ作者の「キャニオン」は、深いオレンジが心にしみる小品でした。
 加藤みゆきさんの作品は、寄せては返す波のような、青の満ち干が印象的です。
 村上弘美さん「孤」は、夕空にひとり飛ぶ鳥をモティーフにしています。

 毛内康二展=同
 毛内(もうない)さんは、江別の画家。かつて新道展や自由美術、北海道抽象派作家協会に所属したことがありましたが、現在は団体からはなれて活動しています。
毛内康二「湯婆婆」 以前から、凹凸をつけた自作の立体キャンバスを支持体にしていましたが、近年はそれが加速して、キャンバスのかけらを、奥行きをたがえて何層にも貼ったりしています。
 左の写真の、高さ1.7メートルはあろうかという作品は「湯婆婆」です。題名からは、「千と千尋の神隠し」を思い出しますが、直接あのキャラクターに結びつくものはありません。
「あのぐわーっとくる感じですよ」
 いろいろな面が組み合わされ、それぞれの面に着彩が施されています。画鋲が刺さったり、ペットボトルのふたがならんで貼られたりして、模様の強度を増しています。1980年代以降のステラがそうであったように、絵画と彫刻の境界線にある作品ということができそうです。
 毛内さんは
「イメージじゃなくて、動きを見てほしい」
とも繰り返していました。
 会場に「作品意図 私の「ポップ空間」」と題した文書がありましたので、ここで全文引いておきます。 

絵画的平面に対する視覚的懐疑が私の制作の基本姿勢です。つまり展示された作品はその存在はそれ自体にあるのではなく、あくまで大衆に「見られる事」によって成立する。所で私の絵画における空間的見解は、平面は視線が静止した状態、立体は視線が動く状態と考えます。しかし「視」の静止と動きは実際は分離したものでないのであり、たとえ静止的に対象を見る時も視点は平面上を流動し、作品を立体的に把握している。
 私は絵画的平面を分解し、「視」の再構成を誘発させる事で鑑賞者を巻き込み、現実空間の中で物的リアリティーを追求したいのです。
物的リアリティーをは、作品が現実空間で生きている実感、日常の情報にコントロールされた常識を固定化されない新しい意義へ転換させる役割。これが私の目指すポップ絵画なのであります。

 たしかに毛内さんの近作には、ドラえもんや仮面ライダーなどが、スーパーフラット=アニメふうではなく、油彩的に描かれています。このことが「大衆」と毛内さんの作品を接近させる要素になるのかどうかはわかりません。60年代ポップアートがテレビのキャラクターなどをモティーフにしたのは、抽象表現主義が非対象絵画であったのと表裏一体ではなかったかと筆者は考えます。つまり、ポップアートも、現実界にたいしてはノンフィギュラティブではないか、と。

 このへんの議論はいずれまたするとして、毛内さんの個展の出品作品。
 「龍」「ハイビスカス」「行進」「ひまわり」「ライダー」「ライダーマシン」「トトロ」「ドラえもん」「ジャングル」「胎動」「卵巣」「モノノケの行進」「森」「豹」「魚」「街の灯」「深海」「カシラ」「湯婆婆」「銭婆」「油屋」「ガンダム」「メカニック・パレード」「蘭」「ドラえもん」「イルカ」「桃源郷」「枯れ葉」「ラカン(A)」「ラカン(B)」など33点。

 第5回 生まれ出ずる土塊展アートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル5階)
 道内の陶芸家17人によるグループ展。うつわを出品している人あり、ふだんは見ないオブジェを出している人ありで、バラエティーに富んだ展覧会になっています。
 恵波ひでおさん(胆振管内虻田町)の「イモットビ」は、サツマイモを思わせるかたちのオブジェが、針金の尖端に突き刺さったもの。15個あります。そっとさわると、ゆらゆらとゆれるのがおもしろい!
 鈴木勝さん(札幌)は、木の戸から陶土が剥落する過程を作品としたもののようです。
 南正剛さん(上川管内美瑛町)「GAZE」は、仮面のようなかたちが陶土の表面にたてにみっつ並ぶ壁掛け作品。ちょっとコワイです。題名に反して、仮面がいずれも目を閉じているのもふしぎ。目を閉じれば見えてくるものがあるのかもしれませんが。
 きくち好恵さん(空知管内栗沢町)は、土偶を思わせるグラマーでふくよかな女性像。地母神のイメージでしょうか。
 朝野顕子さん(札幌)は「宙」シリーズ。半球型にふたつの眼があいて、かわいい。宇宙人みたいです。
 毛利史長さん(室蘭)は「祭−異国の土の音色シリーズ」と題したうつわの連作。アンモナイトのようでいてちがう形などは独創的。略歴で「鯉江良治に師事」とあり、「うーん、やっぱりそうかな」と思わせる作品も結構あったりしますが。
 岩寺かおりさん(札幌)は「FLOWER」と題した陶板4枚。この繊細な感覚はだいじにしてほしいと思います。
 オブジェが多いなか、錦織宏さん(同)は、白磁のぐい飲みだけで勝負していました。
 ほかに、林雅治(後志管内倶知安町)、菊地敏治(空知管内栗沢町)、木村初江、桐生明子、小寺沢恵子、箕嶋一成(以上札幌)、澤すずこ(恵庭=あれ、作品が記憶にないぞ)、元木弘子(空知管内南幌町)、森敏仁(江別)の各氏が出品していました。

 ぽけっと会展=同
 油彩、水彩、スケッチのグループ展。
 花田麗子さん「清流(精進川)」は、低くとった視線の位置が良い。
 虎谷勝行さん「旧釧路川河畔」は、とても現代の絵とは思えぬふるい町並みです。
 村元惇さん「ばら」。村元さんって、個人的には、まばゆい色彩が静物画にこそ合ってるような気がします。

 小田切訓油絵展 ヨーロッパ風景を描く=丸井今井札幌本店一条館8階美術工芸ギャラリー(中央区南1西2)
 恒例の個展。くっきりした色彩で、運河のある町並みを描きます。
 そのところどころに、小樽や函館の風景がまじり、おやっと思わせます。
 小田切さんは1943年、網走管内雄武町の生まれです。

 以上、22日まで。
 以下あす以降に。

 4月19日(土)

 '03 北海道抽象派作家協会30周年記念展札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
 いずれくわしく書きますが、ことしは記念展らしく力作、大作がそろいました。見ごたえアリです。
 25日まで(月曜休み)。
 スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)では、記念の版画展も20日まで開催中。

 まず19日で終わる、札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)から。

 雪だるま 長谷川忠男展
 長谷川さんの絵は、大きな画面にすくない要素がある、大まかな構図です。タッチはけっこう激しいです。
 全道展には、田辺三重松、三箇三郎さん(もう退会されましたが)、外山ムツ子さん−という、大まか派の系譜があるのかしらん。
 札幌在住、全道展会員。

 第23回金の眼展
 絵画のグループ展。
 佐藤幸子さん「やすらぎU」「うつりゆく」がうまい。女性の風貌を、情感ゆたかに描きます。背後の鴎や気球が、夢のような不思議な感じを強めています。

 ほかに、竹生洋子個展、第2回陽の会油彩展(砂田陽子さん=全道展会員=の教室)、ブランの会展(川畑和子さん=道展会員の教室)と、全室が絵画です。

 つづいて20日までの展覧会。

 第30回記念美工展札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
 工芸だけの公募展。とはいえ、とにかくジャンルは、多岐にわたっています。
 30周年らしく、約40人の会員が、共同作品「四季」を制作しています。
 皮革。高木晶子さん(札幌。会員)「橋の無い川」。細長い四角形を組み合わせた抽象の大作。力強さがつたわってきます。
 人形。橋本紀比古さん(同)「DOGU T」は、抽象的な、着彩のない土偶ふうの作品で、異彩を放っています。
 木工。土屋秀樹さん(同)「須弥への道」。インドの伝説にもとづく、象徴的な山々を造形。加藤一義さん(日高管内静内町。会友)「花のように」は、ことしも1本の木をくりぬいた大きなうつわで、まず木の存在感に圧倒されます。若手・金子佳宏さん(札幌。会友)はシャープなデザインの「Slit」で奨励賞を受けるとともに早くも会員昇格です。
 木彫。岩間隆さん(札幌。会員)「Dream of wood」。高さ1.5メートルはあろうかという大作の置物。木そのものの持つ自然な形と、サイコロ形などの組み合わせが、洗練された印象をあたえます。
 塗は、会友の山崎友典さん(輪島)「タマテ」一人だけ。らでんや金粉を効果的に配し、豪奢な感じを受けます。奨励賞で、会員に推挙。
 刺繍。吾妻紀子さん(札幌。会員)「鮭のヒレと皮による“残雪日高連峰”」。その名の通り、鮭の皮やヒレで、山並みや、熊などの動物、草原などを表現した大作です。たしかにみごとなのですが、芸術、というよりは、祭りの出し物のようなたのしさがあります。
 籐工芸は力作ぞろいです。織田幸子さん(札幌。会友)「小枝のシンフォニーU」は、五線譜のように仕立てたつるが枝と枝の間を舞う、風変わりな壁掛け型作品。草月流あたりにあるかもしれないタイプ。
 組み紐も、色彩の変化に富む作品があつまり、伝統工芸展などで見るよりもバラエティーを感じました。田中京子さん(札幌)「祈」が会友に。中村玲子さん(帯広)「なごり雪」は灰青にオレンジがわずかに混じる配色の妙。渡辺敦子さん(札幌)「早春」は新人賞。
 染・織はいちばん出品数が多い部門。ひとくちにいっても、藍染のほかに、友禅や型染め、ろうけつなどさまざまです。栗井裕子さん(同)「ぬくもり」は、題のとおり色調にあたたかみを感じさせます。畠山祐子さん(同)「エネルギー」は新人賞。東川恵美さん(同)と小竹由紀さん(北広島)は、道都大・中島ゼミの出身者でしょうか? モダンなパターンのくりかえしです。
 陶芸も出品者が多いです。会員は壺が多いのですが、井上妙子さん(札幌)「これから」の群青、山谷智子さん(同)「情景」の茶、和久井達雄さん(同)「はばたく」の黒など、色でたのしませる作品がならびます。八木田弥子さん(札幌。会友)「迷(まよい)」は、網のバッグのような風変わりな花器? です。
 ほかに、押し花、ガラス、金工、クレーアート、七宝、布工芸、ボビンレース、和紙の作品もあります。

 えすかりゑ展=さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階)
 独立美術、全道展会員のベテラン画家、竹岡羊子さん(札幌)の教室展。
 瀬戸節子さん(全道展会員)の木版画「回想」、人体に着想を得た小松義子さん(全道展会友)の絵画「聴」など。柳原玲子さん(同)「居」は、なんだか枯れた感じです。
 竹岡さんは新作「歓喜の頌歌」。真っ赤なグランドピアノが祝祭的なムードを盛り上げています。

 成田一男水彩画展=スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)
 道展会員のベテラン画家です。
 作品は57点。一部に静物や、フランス、小樽の風景もありますが、大半は札幌の風景を描いています。
 小品はそうでもないのですが、大作(F60)は、水をたっぷりつけて色彩を薄くした作品が多く、この画家の特質になっています。
 「早春(北大第二農場)」は、白っぽい空にうすい黄色やピンクが混じります。
 「雪の時計台」は、題の通り新雪が建物や街路樹に積もり、画面全体が白っぽくなっています。

 第10回もくの会油絵展札幌市資料館(中央区大通西13)
 道新文化センターの土屋千鶴子さん(全道展会員)の絵画教室展です。33人が1点ずつ出品していますが、土屋さんの絵はありません。
 写実から半抽象までバラエティーに富んでいます。川合弘子さん「YOKOMUKU HITO」は朱と緑を効果的に用いた肖像画。柴田朝子さん「樹」は表面をこするなど、いろいろなくふうをしています。須貝さんら、男性陣も健闘しています。

 油絵とキルトの作品展=同
 三浦しのぶさん(絵)と金沢優子さんが8点ずつ出品。
 三浦さんの絵はなかなかリアルで、目を引きます。公募展に出せばまず入選はまちがいない水準なのに、筆者は見たことがありません。「砦の中」は、廃墟のなかを描いた作品で、剥げ落ちた壁の描写などがうまい。でも、これが内的世界の描写だとしたら、心の闇の深さを思わせます。

 油絵と織2人展=同
 宮嶋佳代さん(絵)が9点、森美穂さんが10点。
 こちらは、織の森さんのほうが大胆。現代的なファイバーワークが壁にならびます。

 第7回一虹会展=同
 もともと拓銀の職場絵画サークル展。飯田常男さん「初秋の海辺」は、奥行きのあるまとまった構図。中央部分の緑の発色が生っぽくなってしまったのがほんとうに惜しいです。伊藤冲さんは「ニセコアンヌプリ」などで重量感ある山容に迫ります。

 以上、20日まで。

 シャガールとパリの画家たち展大丸札幌店1階イベントホール(中央区JRタワー)
 3月にオープンした大丸は、最上階の催事場のほか、1階にもイベント会場があります。百貨店の顔であり、ふつうは化粧品のブランドがならんでいるフロア(しかも大丸は駅通路があるため1階は他の百貨店より狭い)で絵を展示即売するということは、大丸の「アート重視」という路線がけっしてキャッチフレーズだけではなく、本気だということを物語っていると思います。
 もともと、美術品を買う習慣があまりない上、不景気がつづき、しかも主要な購買層である富裕層の薄さゆえ、この路線がいつまでもつか、楽観を許さないところはありますが、今回に限って言えば、やはり1階とあって客は多く、「売約済み」の札の多さにもおどろきました。しかも、価格はけっして安くありません。30万円以下のものはほとんどないのです。
 シャガールは50点もあります。ほとんどリトグラフで、一部銅版画など。肉筆はありません。エディションが1000部以上のポスターに100万円以上の値がついているのはいかがなものでしょうか(売買する人の勝手ですけど)。見た目にはやはり、数点が陳列されている「ダフニスとクロエ」シリーズが、色彩の豪華さで楽しい作品です(これは、道立近代美術館も所蔵しているので、ご覧になった方もいるでしょう)。
 ミロが31点あります。こちらはエディションも常識的で、まだ買いでがあるように思います。
 ほかにピカソ、ユトリロ、よく知らない最近の画家の水彩やリトグラフなど。
 21日まで。


 4月18日(金)
 noise of Matter 啄む春の・・・=ギャラリーたぴお(中央区北2西2 道特会館)
 みょうな題名のグループ展ですが、これは、出品者の青木崇さんの詩行からとったものです。
 青木さんが詩を、今井和義さんが短歌を、それぞれ紙に書いて貼っているほか、M.ババッチさんが廃品アートを、鈴木順三郎さんが立体を、山岸誠二さんが平面のインスタレーションを、D.HISAKOさんが猫の絵を、それぞれ出品しています。文学と美術の出会い−とも言うべきことができるかもしれない、その意味ではけっこうめずらしい展覧会です。
 青木さんは病気なのかしらん、なかなか胸にしみる詩です。今井さんは原稿用紙に一首ずつ書きなぐっています。
 鈴木さんは「3.19.2003」と題した立体。三日月形が一部欠けています。
 いつも小品のD.HISAKOさんにしては、今回はかなり大きな作品が2点。猫のうしろ姿が断ち切りになっていて、余情を感じさせます。
 19日まで。

 つづきはあした。

 4月17日(木)

 きのうのつづき。

 魚の視線が気になって! Genkijirusi写真展−浦瀬紀美子-=クリエイトフォトギャラリー(中央区南1西9 札幌トラストビル)
 浦瀬さんは根室出身。看護師をしながら水中写真を撮っています。
 今回はモルジブなどで撮った約40点近くが出品されています。熱帯魚が群れをなして泳ぐさまはやっぱり水中写真です(あたりまえか)。
 ちょっとおもしろいのは、ごく水深の浅いところから水面を見上げたショットが何枚かあること。「ふーん、船の底って、下からだとこんなふうに見えるんだ」「浮かんでる花はこういうふうなんだ」と感心させられます。太陽を見上げた写真は、群青の中に白い円がかがやいていて、抽象画のようでした。
 19日まで。

 通路 −或いは素材の測深−ギャラリー大通美術館(中央区大通西5、大五ビル)
 「通路」展の会場風景札幌の画家で、昨年の鎌倉滞在から帰札後、グループ「Paint Box」名義で喫茶店を会場に活溌な発表活動をつづけてきた碓井良平さんが、大規模なグループ展に取り組みました。
 帰札後、ギャラリーを会場にするのははじめて。以前も、企画ギャラリーでの個展が多かったので、貸しギャラリーでのグループ展というのはめずらしいことです。しかし、なによりもめずらしく、劃期的(かっきてき)なのは、碓井さんがワークショップなどをおこなっている福祉施設で絵を描く人たちと、いわゆる「健常者」の画家、彫刻家、建築家などが、おなじ会場で、同等に作品を発表していることです。こうして見ると、たしかにどの作品が障碍者のもので、どれが健常者のものか、わからなくなってきます。
 「障碍者と健常者とか、素材とか、分野とかの違いを、つなぐ通路っていうのかな」
と碓井さん。
 全体的には、山岸誠二さんが9点も陳列し、大健闘です。
 妙な言い方になりますが、山岸さんの制作スタイル−とくに印画紙や、大きな紙の作品−には、障碍者のそれと共通するものがあります。
 ひたすら、世知辛い理知の制約を超える手の運動によってドローイングやコラージュを続行させてゆく福祉施設の人たち。一方、山岸さんが印画紙にいろいろな模様を描きつけていく時、それは理性の力というよりは、ほとんど無意識ではないかと思うのです。
 また、屋中秋谷さんの木彫は、屋中さんがかたちを決めて彫ったというよりは、木にさからわずに彫っていったら、こういうかたちが出てきた−というところがあります。
 さらに、ババッチさんの廃品アートは、素材となる廃品が完成形を大きく制約しています。ここでも、完成が、作者の意図を超えたところにしかありえないという点で、ほかの作家に似ています。
 こうしてみていくと、モダンの絵画を、そして近代的理性を超えていきたいという碓井さんの問題意識は、うまくことばにはできないのですが(いずれしたいとは思っていますが)、痛いほどつたわってきます。
 しかし、なにより
「一本とられた!」
と思ったのは、木村功さんの「朝陽」です。ギャラリーの奥にあるドアをあけて、床にできるスリットの明るい部分を作品にするなんて!
 20日まで。


 4月16日(水)

 世界のフォールディングチェアー展=コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11、コンチネンタルビル地下1階)
 旭川にある北海道東海大は、スウェーデンのイエテボリ大学ステネビー校と昨年4月、共同授業プロジェクト「折りたたみ式家具のデザイン開発」を始めました。その授業で制作され、東京・新宿のギャラリーで発表されて高く評価されたという作品群と、織田憲嗣教授がコレクションした名作いすを、あわせて展示するものです。
 学生たちのいすは、折りたたんだり、くるっと丸めることができたり、簡便で持ち運び可能なものばかりでした。同様のテーブルも数点ありました。

 いすの展覧会というのは、どうも妙な感じがします。
 たぶん、すわるための物体なのに、すわることが許されていないからだと思います。
 もうひとつは、日本には元来いすというものがないからではないでしょうか。
 これは、小説家の中村真一郎が或るエッセーで日本文化の七不思議に挙げていましたが、幕末までの日本にはそもそもいすが存在しないのです。日本人は、すわる場合には、畳の上にすわるのです。
 脇息なるものをつくりだし、縁側に腰掛けると楽なことを知っていたにもかかわらず、いすをつくらなかったのは、たしかにふしぎです。
 日本の家具や家屋は、障子、ふすま、座布団、屏風、ちゃぶ台…と挙げてゆくと、とにかく或る一定の場所を固定的な役割に供することをひたすら拒否しているようです。西洋の邸宅は、部屋ごとに寝室だったり客間だったりしますが、日本の家は各部屋の役割を固定的にしていません。ふすまをすべて取っ払うと結婚式場にさえなるのです。そういう家屋で、いすというのは邪魔な存在なのかもしれません。
 また、畳の上にすわるのが一般的な生活様式になってしまえば、そこにいすが持ち込まれると視線の高低さが生じてしまいます。畳の上にすわっている人から見ると、いすというのは視線をさえぎるじゃまものです。

 さらに、これは個人的な話なのかもしれませんが、おなじいすでも、筆者にはどうも、スツールやチェアーよりソファのほうが、幼いころからなじみがあるんだよなあ。
 みなさんの家ではどうですか。リビングにあるのは、ソファではないでしょうか。
 これはこじつけかもしれませんが、一人ですわるチェアやスツールというもの自体、個人主義の社会の産物のようにおもえてしかたありません。

 展覧会の紹介というより雑談になってしまいましたが、20日まで。
 19日午後4時から、織田教授のギャラリートーク。

 とりあえずきょうはここまで。
 「通路」については、あすじゅうにアップします。