ソクラテス神の手足取るに足りない僕(ルカ17・10)

自尊心人間自身のもの何者かであろうとする自分自身に死ぬ

わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父母、子供、畑を捨てた者は(マタイ19・29)・・捨てる

自分のためには何一つ取っておかない

無となる恵み謙遜謙虚離脱

 

 

 

1.聖書

2.ヴァッスーラ

3.トマス・ア・ケンピス

4.何者かであることを求めないように

5.ルイザ・ピッカレータ

6.聖母から司祭へ

7.スウェーデンボルグ

8.アグレダのマリア

9.マリア・ワルトルタ

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ20・24−28

 

ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

 

 

 

マタイ23・11−12

 

あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

 

 

 

ルカ17・7−10

 

あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕をしてくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。

 

 

 

コリント信徒への手紙1・1・26−29

 

 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥じをかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥じをかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。

 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

 

 

 

 

2.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P44

‘87・1・30

 

あなたが何を考えているか 分かっている、質問に答えよう。

聞くように 私は我が平和と愛のメッセージを与えに あなたを訪れた、私は子どもでしかない、我が職務にふさわしくない者、名声もなく無力で小さな者、無でしかないあなたを選んだ、あなたを通して私の熱烈な愛を現し あなたを通して 私の心豊かさをまだ理解しない者たちを 教えるためです。 我が教師たちが天的なものからこれほど身を退け 私の祝福にたいして無関心を示すのを見て 苦しんでいる ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P69

‘87・2・16

 

ヴァッスーラ、無のままでいなさい そして 私にあなたの欠けている全てとならせなさい。 私が行くところどこへでもあなたはついて来るであろう、これからは決して一人だけ ということはない、もう あなたは私と一つになっているのです。 霊のうちに成長しなさい あなたの仕事とは私と御父によって与えられたすべてのメッセージを伝えることだからです。 英知が あなたを教えるであろう。

 

はい、お父さま。

 

あなたが私を父と呼ぶのは 何と麗しいことか! あなたの唇から、父、お父さんという、この言葉を聞きたいと切に願っていた!

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P221

‘87・5・29

 

あなたの能力や知恵を 十分把握している、私の前にいるのが無であることを知っている 全く無であることを ♡  さあ、誤解しないように、私にとって無である者のほうがいいか それとも何らかの意味で私と張り合う者のほうがいいか? この地上に みことば そして私の望みを送るには、勿論 迷わず無である者のほうを選ぶ ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P224

‘88・5・16

 

指をあなたの心に置かせなさい 我が祭壇が燃え立ったままであるように、全くの無に等しいながら 私 神は、あなたを愛している、あなたを遣わしたこの使命を、達成するに必要な力を与えよう、気を落さないで、忍耐を持ちなさい、間もなくあなたは我が家に帰って来る、私のもとに、私たちのところに(*)、平和を受け、教会が通るであろう刷新のために祈りなさい、私 主は、皆を愛している ♡ 「私たち」!

 

 *聖マリアもご一緒で、十歳か十一歳の頃に受けた私の幻視が思い出されました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P248

‘87・6・15

 

ヴァッスーラ あなたはどうしようもなく弱い、私は 永遠の昔からそれを知っていた、しかし無でありなさい、無であってほしい、ほかにどうやって私だけを表せるであろうか もし私たちが二人だったら? 私をいつも自由にしておきなさい そうするなら あなたのうちに行動する ♡ 私に依りかかりなさい!

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P35

 

‘87・11・8

 

ヴァッスーラ 決して何者かであることを求めないように。 無のままでいなさい 達成する全ての聖なるわざは純粋に私のものであり あなたによるのではない

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P258

‘88・7・27

 

主よ?

 

私です、ジェームズ神父と一緒の時私を識別し 喜ばせてほしい、私は現存し、耳を澄ませている、あなた方のさ中にいて ♡ 試してご覧なさい ♡ (努力しています)

 

♡ もっと努力して、私の指示に従い 心に私をしっかりと閉じ込めておきなさい

 

はい 主よ

 

行うすべては私のために 私だけのためにしなさい ♡ さあ 時にふれ私の現存を思い出させる、みじんも疑わないように、仕事として与えたものを見極めるようになさい。 私に完全に寄りかかり 謙虚さのうちに働きなさい。 私だけが見えるよう 自分をすっかり打ち消し、無であるあなたのうちに我が霊が息するのを許すように、こうして私を喜ばせなさい、与えたすべては私のもの。 私を感じ 完全に私だけのものとなるよう この世から全く自分を離脱させなさい、私主があなたの師であり みことばは知恵からのもの ♡ 「私たち」? あなたの聖家族と、ともに

 

はい 主よ、はい 聖なるお母さま。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P22

‘88・9・6

 

主よ?

 

♡ 私です、私の目をのぞき込んで 左も右も見ないように、あなたの主 私を見なさい、私は道、真理そして永遠のいのち。 どれほど大きな愛をもって みことばを教えたかを思い出すように。 それにあなたの知識はすべて、私からのもの ♡ 我が王国全体が不思議に満ちている、私はアルファでありオメガ、私を愛しなさい・・・ あなたの持つ愛のすべての雫を捧げることで 私を王として扱いなさい、私を愛するようにと あなたを創造した、あなたにあるすべての愛が、私だけのものとなるように(*)、私なしでは いかに弱くみじめであるかを知っている、しかしあなたは単なる子ども 無に等しい者であり 与えてくれているあなたというこの空間で 我が霊は自由に 息することができるとも知っている、我が霊があなたを形造るのを許しなさい、学ぶすべては知恵に由来し 私が知恵である ♡♡♡

 

 *神を愛するようになるなら、お互いも愛し合うようになります。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P49

‘88・10・10

 

♡ さあ 娘よ、手を使わせてくれる あなたを祝福する、どんなに愛しているか! ああ 娘よ 大満足している、いつでも呼びかけ、愛をもって私を愛撫し、歓ばせなさい。 私の痛みを軽くし、愛することで 我が怒りを鎮めなさい。 花よ、無に等しいがため 我が王宮にいるのを許している、無のままでいなさい、私の平和を与える、「私たち」?

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P21

‘89・10・23

 

私です、決して疑わないように。 どれほどあなたを愛するか! 与えてくれるこの小さな信仰は あなたが毎日捧げる花束のようです ♡ 私はこうしたやり方で(*)それを受け取る、小さな者よ 私に何も拒んではならない。 あなたの神 私のように怒るに遅く、善を行う時だけ素早いように、私に忠実でありなさい。 我が霊魂に愛された者よ、自分の意志、霊魂と心を喜んで献げた者よ、怖れることはない 御父のみ手の中にいるからです そして互いに結ばれている以上に素晴らしいことがあろうか? 何も拒んではならない、私が 人からくまなく見えるように 自分を全く打ち消しなさい、あなたの隅々まで我が力が占めるように 小さいままでいなさい。 私がすべてとなるよう 日々「自我」に死んで無となりなさい。 こうしたやり方が私の誉れとなり、あなたを望む時に用いられるよう 幼児の−ような−信仰をもって私を信じなさい ♡ あなたに求めるのは愛、愛、愛だけです。 愛を込めて私の名のもとに行うすべては 我が栄光となり あなたを清める、愛ゆえに愛をもって宣教しなさい。 日々我が聖心の中に入って来なさい そしてあなたの心のうちに憩うのを許してもらいたい。 平和でいなさい 私は平和、糧を日々与えると約束しよう、私 イエスはあなたをいとおしみ その霊魂を私のもとに連れてくるまでは 一分ごとに教えている、

 

    イエスは毎日主のもとを訪れ、手を使っていただくことを仰しゃっています。

    *ここでは天国のことをイエスは言っておられます。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P65

‘89・12・13

 

愛された者よ 私をいとおしみなさい、覚えておくように ヴァッスーラ、多くの人にまさってあなたに好意を示したのです。 与えているこの恩恵は偉大な恵みです: あなたの神 私のうちに無となるという。 我が小さな種子よ、あなたに功徳はない、それでいて私のもとに引き上げ 私のうちにいるようにという熱意のあまり、あなたを大目に見て、罪さえも見過ごし 赦している、これで私の熱烈な愛が分かったであろう? 小さな者として留まり、たえず私に声をかけ、絶え間なく渇いているように、疲れたら私に依りかかっていなさい、私のうちに留まっているように そうしてほしいからです ♡ 愛があなたを愛している

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P106

‘90・1・30

 

わが主よ?

 

私です。 落胆し 弱さを感じるたびに 私に依りかかりなさい。 愛している そして愛ゆえに そのときどきの状況や出来事が起るのを許している、私がいなかったなら あなたは無であるのを示すために、あなたの霊魂が私に頼り 依りすがるように、そばにおいておき こうした出来事が起こるのを許している。 あなたに信頼してほしい。 私は地の基を支えている者です。 愛していると 私に向かって告げなさい 花よ、依りかかっていなさい、我が声を聴いて 見えない中を つき従いなさい。 あなたの神と協力して 働き始めるように、さあ、それは私を喜ばせる、私とあなた、あなたと私、分かったであろう?

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P191

 

‘90・7・19

 

忠実であり続け 私であるすべてを恋い慕い あなたであるすべてを打ち消しなさい。 私であるすべてを吸収し あなたであるすべてを無くしなさい ♡ 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P197

 

‘90・7・30

 

そう、私の言葉を伝達する道具は貧しく、ふさわしくはない そしてありふれている。 世がつまらない 軽蔑すべき者と考える人びとを 私はまさに選ぶ―何らかの場を得ている者を無力とするために(*) 無に等しい者を選ぶのです、知恵は子どもでしかない者たちに与えられ 自らを知者と呼ぶ者たちにではない。 聞きなさい、知恵は徳があり聖であると自ら誇り そう自称する者たちにとっては謎として残ろう、知者の知恵を確かに打ち砕く そして彼らの受ける判決は一層厳しいであろう。 私に向って: 「アレルヤ、アレルヤ」と言える 身分の低い卑しい民を彼らのさ中に残そうと思う。 この民は昼も夜も、夜も昼も、我が天使たちの歌声に合わせて:「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、神なる主、万軍の支配者:前にもおられ、今もおられ やがて来られるかた(**)」と歌う。 彼らを妨げる者はもういないであろう、そのさ中からあの誇る者たちをすべて取り除くからです。

 

    1コリント書1・28

    *黙示録4・8

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P66

 

‘91・2・4

 

♡ あなたに与えたこの特別な道を 霊がどれほどしぶしぶと(**) いやいやながら受け入れたかを知っている、しかしこれもあなたを選んだもう一つの理由。 知者や賢者を恥ずかしめるために、単純な弱い器、無にひとしい者を選んだ。 知識の全くない者がよかった。 あなたを選んだのは私であり あなたではない。 私 聖なる者が訪れ あなたのうちに幕屋を張った。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P252

‘91・11・13

 

娘よ、我が霊魂に愛された者よ、知らなかったか? 私の霊が 無でしかない者の上に憩うことを 知らなかったか?

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P263

‘91・11・25

 

無力な者よ そして ああ! あなたのうちに我が霊は どんなにらくな息づかいをしておられるか! 私の集会では あなたの話すべきみことばを 耳に囁きながら こだまさせている。 本当に、霊魂よ、あなたは無学で 知識と知恵のすべてにたいして全く無力な者。 あなたを通して語りかけるのが私自身からでなかったなら どうしてこのすべてをあなたの霊は 把握できたであろう? ヴァッスーラ(**)・・・あなたはまこと尊い者・・・聴きなさい 我が子よ、あなたの横には 哀れみを持ち、慰めを与え 祈ってくれている天使がいる。 待ちなさい、まだ言うことがある。 あなたの唖然とするほどの弱さに気づいている、それゆえ私は 民を一致へと引き寄せ、彼らの無知にたいして 私、主が、どう感じているかを示すために この弱い器を用いるであろう。 何を私が一番望んでいるかを示そう。 彼らが自分たちの間に築いてしまった分け隔てを どう感じているかを、弱いあなたのうちに、示そう。

 

 **イエスは殆ど囁くようなお声で私の名を呼ばれました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P126

 

‘90・10・30

 

ヴァッスーラ、小さく 取るに足らない者よ、私の心から何本刺を抜き取ってくれたか 知っているであろうか?

 

いいえ、主よ。

 

私が休まるに十分、休まるに十分なだけ 我が子よ。 あなたを創造した目的の一つは 私が休まるためでもあった。 形造ったあなたは塵と灰に過ぎないが 私に深い憩いを与えてくれる、私を受け入れなさい、肩にのせた我が十字架を受け入れなさい、今度は私をありがたく思ってほしい。(中略)こう言っておく: 無にひとしいがゆえ 貧しいがゆえ、我が小さく取るに足らない者よ、あなたはサタンの絵柄をむなしくし、刺繍を一針一針ほどいている。 あなたが私に選ばれた者と知った時 サタンには虫けらと呼ばれた、そう、サタンの絵柄を虫けらのように喰い荒しなさい。(中略)つまらない者としてとどまり こうして我が霊魂を悦ばせ 私を歓びで満たしなさい ♡

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P162

 

‘98・6・22 (つづき)

 

あなたのうちに私は増し加わり その一方であなたを小さな者にしていくという 惜しげない好意を示そう。 あなたのうちは夜明けとなり 夜闇は消えていく。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P

 

‘99・1・20

 

ああ あなたこそ、我が心に由来するこの宝を ただ一人託した者(*3)! 今は抱擁されるまま、無にとどまってただ私を香りで満たしなさい そうするなら代わりにあなたを香りで満たし 我が天国としよう!

 

私を そして無償で与えたものをしっかりとつかんでいなさい。 倦まずに書きつづけるように。 共にいる。 Ic

 

 *3これらの言葉を 主が大声で情熱こめて仰るのを聞きました。それは溜息のようでした。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P51

 

‘99・7・30

 

私は いのちの与え主、一切を新たにする者。 天より降った マンナの源。 そう、まことに! ありのままのあなたに近づいて、驚くべき不思議な一致を成し遂げた。 あなたは ふさわしくはない者だった、そして私が要求する「私と等しい愛」からはかけ離れていたが、しかし無であり 私の声に率直に心を開くあなたは 悦ばしい者であった。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P129

‘00・10・16

 

あなたが無に等しくみじめであったゆえ 我が被造物の花婿なる、私は、はるばるあなたのもとに身を屈めた、我が言葉にたいして 無学な(*3)子どもであったにもかかわらず。 どんな神聖な言葉にたいしても 何ら教育を受けてはおらず無頓着であったが、それでもなおこの一切の泥濘(ぬかるみ)の下に、あなたをよく調べると、我が聖なる名にたいする 高貴な火花が見えた。

 

*3主はそう望まれて、英語の代わりに「analphabet」というフランス語を使われました。

 

 

 

 

3.トマス・ア・ケンピス

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・15・3

 

 あなたが心を尽くして神に自分をささげ、自分の好みに従ってこれをとったりあれを取ったりせず、自分をまったく主にお任せするやいなや、たちまちあなたは神と合一し平和を得るだろう、それは神のみ意(こころ)をお喜ばせすることほど、あなたを楽しませ満足させることはほかにないからである。

 だから、だれでも純真な心で、その志を高く神に向け、被造物をむやみに愛したり憎んだりする念から離脱する者は、最も恩恵をこうむるに適し、敬虔の賜物を受けるに足るだろう。

 なんとなれば主は、容物(いれもの)が空虚(から)であるのをごらんになる時そのおん祝福をお与え下さるからである。

 そして人がこの下界の物事を、完全に捨て去れば捨て去るほど、また自分を軽んじて自我に死すれば死するほど、恩恵はますますすみやかにくだり、ますます豊かにはいり、ますます高くその自由な心を引きあげるだろう。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて3・8・1

 

 「私は塵と灰とに過ぎない者ですが、あえて主に申し上げましょう。」(創世記18・27)

もし私が自分をそれ(塵灰)以上のものと考えるなら、見よ、主は私に反対され、私の罪はそれを実際に証拠立て、私はそれに対し、弁解することができないだろう。

 しかし自分を軽んじて虚無にひとしい者と思い、すべての自尊心を去って、自分がほんらい塵に過ぎぬことを考えるならば、主の恩恵は私にくだり、主の光明(ひかり)は私の心に近づき、すべての自尊の念は、たとえそれがいかに小さなものであろうとも、ことごとく私の無の深淵(ふち)に沈んで、永遠に消え失せてしまうだろう。

 そしてそこにおいて主は、私がどういう者であるか、どういう者であったか、またどこまで迷い下落(くだ)ったかをお示しになるだろう。なんとなれば、私は無にひとしい者であるのに、それを知らないからである。

 もし独りほうっておかれるならば、私は無にひとしい、まったく弱い者に過ぎない。

 けれども主が突然私を顧みたもうやいなや、私はたちまち強い者となって、新たな喜びに満たされるのである。自分の重みでいつも下へ下へと沈みつつある私が、かくも速やかに引き上げられて、主の慈悲のふところに抱かれるとは、まったくふしぎのきわみである。

 

 

光明社/トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて3・8・2(P207

 

 私は誤って自分を愛し、自分を失ったが、ひたすら主ばかりを求め、主ばかりを愛することによって、自分をも得、主をも得ることができた。のみならずこの主に対する愛によって、私はさらに自分を虚無のうちに深く沈めることができたのである。

 

 

光明社/トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・13・1−3(P225

 

「わたしの子よ、服従を拒もうとする者は、恩恵を拒む者である。

また私の利益を得ようとする者は、公の利益を失う者である。

人が目上に対し、進んで快く従わないのは、その肉体がまだまったくその人に

従わず、たびたび逆らい不平を鳴らすことがあるという徴候である。

だから自分の肉体を従わせたいと思うならば、

自分の目上に対し、すぐに従うことを学ぶがよい。

 

内なる人(精神)が荒らされていないならば、

外なる敵(肉体)に打ち勝つことはたやすいからである。

精神とよく一致しないならば、霊魂にとってあなた自身よりも

害のあるやっかいな敵はほかにはあるまい。

あなたは肉と血とに勝ちたいと思うならば、

自分というものをまったく軽んじなければならない。

 

あなたはまだ自分をむやみに愛しているので、

それで他人の意思にまったく従うことを恐れるのである。

しかし、無から万物を造り出した全能にしてこの上なくとうとい

わたしですら、あなたのためにへりくだって人間に服従したのに、

塵であり虚無であるあなたが、神のため人に服従したとて、

それがどうして大したことだろう。

わたしはすべての人のうちで、もっとも卑しいもっとも低い者となったが、

それはわたしの謙遜によってあなたが自分の高慢に打ち勝つためである。

塵であるあなたよ、従うことを学べ、土芥(つち)であるあなたよ、

へりくだって、すべての人の足元に屈服することを習え。

あなたの意思をくじき、何事につけても人に服従することを学ぶがよい。

 

自我を抑える熱心に燃え立ち、

心の中に高ぶる思いを少しでも持っていてはならぬ。

かえって卑しい者、小さい者たる実を示して、すべての人に自分の上を

踏み歩かれ、街路の上の糞土のごとくふみにじられるようにすべきである。

 

むなしい者よ、あなたになんの不平を鳴らすことがあるのか?

あさましい罪びとよ、あなたはかようにしばしば神に背き、

いくたび地獄におとされても文句の言えない身でありながら、

あなたを責める人々に対して、どう言いわけすることができるのか?

 

けれども、それをわたしが大目に見ていたのは、あなたの霊魂がわたしの

前に貴重なものであったからで、またあなたがわたしの愛を認め、

わたしの恵みを絶えず感謝し、いつも真の服従と謙遜とに甘んじ、

自分が軽蔑されるのを、忍耐するようになるためである。」

 

 

4.何者かであることを求めないように

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P35

 

‘87・11・8

 

ヴァッスーラ 決して何者かであることを求めないように。 無のままでいなさい 達成する全ての聖なるわざは純粋に私のものであり あなたによるのではない

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P110

 

我が娘よ、人間の中で、どこから悪が始まるか知りたいか? その始まりは、人が自分自身を知るとき、つまり道理を分り始めるやいなや自分自身に「ぼくは、人物である」と言うときである。彼は自分が何者かであると信じて、私から離れて私を信頼しなくなる。それが原因となって、色々な善い原則の目標を見失うということが起こる。

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P232

 

 我が娘よ、私の前や人々の前で、自分が何者かであると信じている人は、何の価値にも値しない。自分が無であると信じる人は、すべてに値する。私の前で一番になる人とは、何かをすることが出来、その力と能力をもっていても、それをしていないと信じる人である。この人は神から恵み、助け、そして照らしを受けるから行うことができるのだ。つまりこの人は、神の権能のおかげで働くことができるのだと言える。神の権能を自分自身とともに有している人は、すべてに値するのである。

 人間は、この神の権能のおかげで行動することによって、それはまったく異なった働きとなる。このような行動は、神の権能が有している光を伝承することだけをする。ゆえにもっとも邪悪な者も、気づかないうちにこの光の力を感じて、その意志に自分を従わせる。人々の前においても同じことが言え、他の人たちもすべてに値するようになる。

 反対に、自分が何かに値すると信じている人は、何にも値しないだけでなく、私の存在の前ではいまわしい者ともなり、何者かであると信じているこのような人たちが取る、見かけ倒しで欠点だらけのやり方は、他の人たちを馬鹿にすることにもなる。だから人々は、このような者を、嘲笑と迫害の目標として指さすようになるだろう。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P262

 

ヴァッスーラ、私のために、我が教会を一致させてくれるか?

私はあなたの前にいる そして指図を与えているのは私、ただついてきなさい ♡ 私は全教会に一致してほしい ♡ 司祭たちには私の今までになし遂げたわざと 使徒たちの持っていた素朴さとを思い出してほしい。 初代教会のキリスト教徒の身につけていた謙遜と忠実の心を ♡ 来なさい、心の最も内奥の望みを打ち明ける、あなたのうちにそれを刻印させてほしい 小さな者よ ♡

 

このとき、本当に絶望的な感じがしました。主は、望んでおられる非常に多くの重要な事柄を語られ、書き下ろさせておいでですが、私は麻痺したまま、その上にあぐらをかいています。主のお望みを果たしていないように感じています。何も変わっていないのですから。しかし、どう変わり得るでしょう。本当にこういったことを誰も、殆ど何も知らないのですから。私は主に逆らい、最も望まれていることをしないで、主の機嫌を損ねているように感じます。これをジェームズ神父にはお見せしましたが、神父さまもそれを読んで助言すること以外、何ができるでしょう。イエス? (百人以上の人がこれらの啓示のコピーを持っています。けれど、それは十分ではありません!)

 

♡ 私です、平和に生きなさい ♡ 私が我が教会を復興する、私の言葉を ヴァッスーラ あなたの上に記すことだけをさせてほしい、愛している、私も愛して 我が誉れとなりなさい、教会を一致させるのは私の仕事です、あなたは私を運ぶ者となるだけです、違いが分かるか? 私の教会を刷新しなさいとか、一致させなさいと言う時でさえ、ヴァッスーラ、それはあなたに直接向けられたものではまったくない ♡ 今に分かってこよう、私とともにする仕事が一部だけでも分かってきたであろうか?

 

はい、主よ、分かってきました。

 

今に分かろう ♡

 

 

5.ルイザ・ピッカレータ

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P20

 

それから次のようにおっしゃって、私自身の否定についての新しい光を与えて下さいました。「あなたは自分自身について、またたく間に過ぎ去ってしまう、ひとつの影以上のものと考えてはなりません。それは捕まえようとすると、逃げてしまうでしょう。ですから、もしあなたがわたしのうちでなにか偉大な者となりたいならば、自分を常に無であると考えなさい。わたしはあなたの真のへりくだりを喜んで、あなたの中にわたしの全てを注ぎましょう。」そうおっしゃりながら、イエスは私の頭と心の中に、私自身の完全な否定の心を刻まれましたので、私は人から最も見つかりにくい深い淵の中にでも隠れたくなりました。しかしそれが不可能なのを見て、私自身について恥ずかしさで真っ赤になるのを感じました。

このような私自身への評価の崩壊状態におりますと、主は「もっとわたしの近くに寄りなさい。むしろわたしの腕に寄りかかりなさい。あなたを支え、あなたが常に、そして全てをわたしのために行えるように力を与えましょう。」とおっしゃるのでした。

 

 

 

天使館/ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P33

 

そうです。まさしくそのためにこうするのです。わたしなしでは、あなたは何者であるかということを、よくあなたに分からせるために。悲しまないで下さい。わたしはあなたのよりよい善のためにこうするのですから。あなたに施そうとわたしが確保してある新しい恵みを受けるために、あなたの心をこのようにして準備したいからなのです。今まであなたを目に見える形で助けてきました。これからは見えない形で、自分が無であるということにあなたを触れさせ、さらに深い謙遜へとあなたを分け入らせ、あなたによって実現しようとわたしが意図している高い城壁をあなたの上に築くために、もっともすぐれたわたしの恵みをあなたに注ぐでしょう。ですから悲しむ代わりにわたしに感謝し、わたしと喜びをともにするための理由としなくてはなりません。この嵐の海を早く渡らせてあげたら、それだけあなたは早く救いの港に着くことができるのです。あなたに服させる試練がきびしければきびしいほど、より多くの恵みを与えましょう。でうから勇気を出して。苦しみの中のあなたを慰めるために間もなく来てあげましょう。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P38

 

これほど動揺することはよいことではありませんでしたね。わたしは平和の精神なのです。わたしがあなたに最初に頼んだことは、あなたの心の中で決して悲しまないようにということではありませんでしたか? どうしてできないのかという理由についてではなく、その状態に安心してとどまること以外のことを考えてはなりません。あなたが言うようにすることによって、あなた自身が注意散漫を引き起こすことになるのです。その代わり、へりくだって、自分はそのような散漫に値するものであるということを告白して、安心していなさい。ちょうど子羊が屠殺人に殺されようとしている時、その人の手をなめる時のように、あなたも自分が叩かれ、打ちのめされ、独りになった時、わたしの配慮を思って、心を安らかにし、心の底から感謝をしなくてはなりません。むしろ自分はそのような苦しみに値する者であるということを認めて、あなたの全ての苦しみ、心痛をわたしにたいしてなされる侮辱への償いのためにわたしに捧げなさい。このようにすればあなたの祈りは、ちょうどわたしの玉座に立ち上る匂いのよい香のように、わたしの心にかない、あなたのうちに新しい恵みとカリスマを引き寄せることでしょう。あなたがこれほど謙遜で、安らかで、まったく自分の無のうちにへりくだっているのを見たら、悪魔はもうあなたに近づく力もなく、残念がって唇をかむだけでしょう。さあ、これがあなたが価値がないと思っていたところに価値を獲得するために、あのような状態にあなたを導いた理由です。

 

6.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ1974.12.24

 

 あなたがわが子イエズスから特に愛され、私の汚れなき心の特別に愛する司祭であるという贈物を与えられたのは、わが子がただあなたの貧しさだけに人間力を感じたからなのです。このことを理解できるよう、あの前夜の幾時間かを私と共にもう一度お生きなさい。

 あなたの貧しさは、あなたをただ、そしていつも、子どもそのもののようにします。あなたの全き貧しさ、財産、愛着、考え、愛情の貧しさ。貧しいとは、まさにこの無しか持たないこと。この無は神のご好意をひきつけ、またこの無だけがそれ(神のご好意)を歓迎する能力を持っているのです。

 

 

7.スウェーデンボルグ

 

(無であることは何であるか、について)

霊界日記4341

 

 或る一人の正しい霊が私と話して、自分は無である、と言った。私は彼に、あなたは無であることについていかような考えを抱いておられるか、と尋ねたが、彼がおびただしい霊と全宇宙に較べられた場合の無を考えていることを認めた。しかし彼に以下のように言うことを与えられた、それは一種の考えではあるが、他に多くの考えが在り、例えば、あなたはあなた自身では何の力も持ってはいない、あなたはあなた自身では何の思考〔考え〕も持たない、あなたはあなた自身では何の生命も持ってはいない、事実、あなた自身において考察されるなら、単に一種の、全く悪であるところの、生命のない、汚れたものにすぎないのであり、かくて善は凡て主から発しているという考えである。それが無であることについての本来の考えである、と。1749年〔60歳〕8月5日。

 

 

 

天界の秘義3318[4]

 

これが人間が試練により、またはそれと同一のことではあるが、霊的争闘により再生する、すなわち、新しくされる理由である、その後かれは他の性質を与えられて、柔和に、謙遜に、単純に、砕けた心になるのである。

 

 

 

 

8.アグレダのマリア

 

アグレダのマリア/神の都市/P98

 

第一日目の最後に聖マリアも地球の土から造られ、土に戻る人たちと同じ性質があることを教えましたが、聖マリアが土に戻るとは言いませんでした。この深遠な知識を与えられ、無の深い底にまで聖マリアは自分を低め、あらゆる惨めさを背負うアダムの子孫たちよりももっと自分を低めました。聖マリアの心の中に深い溝ができ、この溝が建物の基礎になるのです。この建物は神性が人性に降臨する所になります。神の母の威厳が限りないので、聖マリアの謙遜も相応して限りないことになります。徳の頂上に達しながらも、聖マリアは自分をそれほど遜らせたので、主はお喜びになり、おっしゃいました、「我が浄配なる鳩よ、人類を罪より救うという我が希望は強い。我が救済の降臨の時は待ち遠しい。この希望の成就のため、絶えず我に祈れ。平伏し、汝の熱願を中止するな。御父の御独り子の御受肉を我に願え。」

 

 

 

 

9.マリア・ワルトルタ

 

 

天使館/マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/17・13/1卷P141

聖母がマリア・ワルトルタに:

「サタンを知る以前の、女たちの中の最初の女のようにわたしを清らかにした処女性を愛したわたしに、はご自分の花嫁になるように求められました。わたしは従いました。わたしは、最初の二人を創造されたとき、の思惟の中にあった純潔のあの段階にまで結婚を戻し、従いました。この結婚における孤独とわたしの聖なる不妊に対して隣人から受ける侮蔑を覚悟したわたしに、は今やご自分の母になってくれと要求なさいました。わたしは従いました。

 

わたしはそれは可能であり、その言葉はが語っておられるのだ、と信じました。その言葉を耳にしたとき、わたしのうちに平安が波紋のように広がったからです。『わたしはそれに値する者だ』とは思いませんでした。『今、世はわたしに感嘆するだろう。の肉を創造するわたしは、に似ているのだから』と、自分に言い聞かせたりはしませんでした。いいえ、わたしは謙遜に、自分を無にしたのです。」

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ70・8/天使館第1巻P627

 

イエズスは言われる。

 

「わたしのヨハネともう一人の弟子の間には、もう一つの対比があります。この対比はわたしの愛弟子の人柄をますます澄明にします。

 彼は『弟子』であるために、その考え方、判断の仕方までも捨てるような人です。我意がなく―自分自身を二の次にして―余すところなく自己贈与する人です。ユダは自分自身を捨てない人です。だから彼のは実在しない贈与です。そこには彼の自我、傲慢と官能と貪欲という病が巣くっています。彼は自分の考え方に拘(こだわ)ります。そういうわけで、贈与と恩寵の効果を相殺します。

 ユダは、不成功に終わったすべての使徒の元祖です。その数は厖大です! ヨハネは、わたしへの愛のために、自らをホスチアにする人の元祖です。あなたの元祖です。

 

わたしは、至高のホスチアです。そこに到達するのは難しいというよりも不可能です。わたしたちの生贄は、完全に苛烈を極めたものでしたから。しかしわたしのヨハネは! 彼なら、わたしの熱愛者たち、すなわち処女たち、童貞たち、殉教者たち、証聖者たち、福音宣教者たち、活動する、あるいは観想するのしもべとのしもべたちも模倣できるホスチアであり、皆のための一つの模範です。愛する人です。

 

 異なる物の考え方に注目してください。ユダは探り、詮索し、屁理屈をこね、人の揚げ足を取り、自分を責め、たとえ譲歩はしても、実際は自分の考えに拘ります。ヨハネは自分を無だと見なし、すべてを受け、理由を尋ねず、わたしを喜ばせて満足しています。これこそ鑑です。

 

 彼の単純さと情愛の深さを見て、あなたは大いなる安らぎを感じませんでしたか? おお! わたしのヨハネ! それからわたしの小さなヨハネよ。あなたがわたしの愛弟子にますます似てほしいと思います。この使徒のように、いつも『先生あなたのなさることはすべてよく、うまくいきます』と言って、すべてを受け入れてほしい。『あなたはわたしの愛のやすらぎだ』と、いつもわたしに言われる人になるために。マリアよ、わたしだって慰みを必要とするのです。それをわたしにください。あなたの休息のためにはわたしのを」。