自分のためには何一つ取っておかない
1.マリア・ワルトルタ
2.トマス・ア・ケンピス
1.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P132
専制君主の誰一人肉と悪魔以上の専制君主はいない。また、肉と悪魔に勝つことを知り、肉を霊にし、悪魔を敗者にする人々は『勝利者たち』である。
だがそうであるためには自己を全面的に愛に委ねなければならない。全面的に、即ち全力を尽くして愛する人は、自分自身のためには何ひとつ取っておかず、自分自身のために何一つ取っておかないことによって肉のためにも悪魔のためにも何ひとつ取っておかない。彼はすべてを彼の神に与え、神は神を愛する人にすべてを与える。
2.トマス・ア・ケンピス
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・15・3
あなたが心を尽くして神に自分をささげ、自分の好みに従ってこれをとったりあれを取ったりせず、自分をまったく主にお任せするやいなや、たちまちあなたは神と合一し平和を得るだろう、それは神のみ意(こころ)をお喜ばせすることほど、あなたを楽しませ満足させることはほかにないからである。
だから、だれでも純真な心で、その志を高く神に向け、被造物をむやみに愛したり憎んだりする念から離脱する者は、最も恩恵をこうむるに適し、敬虔の賜物を受けるに足るだろう。
なんとなれば主は、容物(いれもの)が空虚(から)であるのをごらんになる時そのおん祝福をお与え下さるからである。
そして人がこの下界の物事を、完全に捨て去れば捨て去るほど、また自分を軽んじて自我に死すれば死するほど、恩恵はますますすみやかにくだり、ますます豊かにはいり、ますます高くその自由な心を引きあげるだろう。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・17・2
そして私はたといこれらの敬虔な感情をすべては抱くに足らない者でありましても、それでもなお、ちょうど私だけ、み意(こころ)に適う熱烈なこれらの望みをことごとく有しているかのように、私の心の愛情を全部主におささげいたします。
そうです、およそ敬虔な心の人が考え望み得るところは、なんでも私はこれをことごとく、この上ない崇敬と心からの愛情をもって、主に呈し、主に献げるのであります。
私は自分のために何一つ残しておこうとは思いません。かえって喜び勇み、自ら進んで、自分をも、自分のすべてのものを、主に犠牲(にえ)としておささげいたします。