無となる恵み

 

小さい者

 

 

 

1.ヴァッスーラ

2.トマス・ア・ケンピス

3.ルイザ・ピッカレータ

4.スウェーデンボルグ

5.マーリン・キャロザース

6.ヨゼファ・メネンデス

 

 

 

1.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P65

‘89・12・13

 

愛された者よ 私をいとおしみなさい、覚えておくように ヴァッスーラ、多くの人にまさってあなたに好意を示したのです。 与えているこの恩恵は偉大な恵みです: あなたの神 私のうちに無となるという。 我が小さな種子よ、あなたに功徳はない、それでいて私のもとに引き上げ 私のうちにいるようにという熱意のあまり、あなたを大目に見て、罪さえも見過ごし 赦している、これで私の熱烈な愛が分かったであろう? 小さな者として留まり、たえず私に声をかけ、絶え間なく渇いているように、疲れたら私に依りかかっていなさい、私のうちに留まっているように そうしてほしいからです ♡ 愛があなたを愛している

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P142

‘98・4・21

 

*TLIGの責任者たちの前で読み上げるスピーチを準備している最中、神の霊に捕らえられてこう書きました:「今日父なる神は ご自分のみ心の寝所に私どもを招いておられます。そこは霊的生活で誰もが最終目標とすべきところです。― 神は皆が主の懐に飛び込んで、主のうちに自らを失うように招いておられるのです。(次の言葉が主を動かしました):「私は、個人としては、神のうちに液体のようなものとなるか 自分がすっかりなくなるほど神のうちに丸ごと溶けこんでしまいたいと時々思うのです。」

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P159

‘98・6・21

 

私は恵みによってあなたを空にし 私自身で満たした。 では幸せでいなさい、いつも幸せでいてほしい、あなたの故郷は天国。私はこの長年、ヴァッスーラ、我が声の調べであなたを満たしてきた、まず心のうちに そして思いの中に、次に今度は あなたの功徳によらない好意をもう一つ与えた:この一回の顕示で 私を眺めるという。 私はあなたの助け主 しかし御父もキリストもそうです。あなたは今や 全ての存在を包み込む者を観想している。この世は今日 私の呼びかけを聞いても聞こえず、耳を澄ましても理解しなかろうが 驚いてはならない。 悪霊に支配され、この過ぎ去る世にしがみついている限り、私は彼らにとって知られずにいよう。

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P162

‘98・6・22 (つづき)

 

あなたのうちに私は増し加わり その一方であなたを小さな者にしていくという 惜しげない好意を示そう。 あなたのうちは夜明けとなり 夜闇は消えていく。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P129

‘00・10・16

 

あなたが無に等しくみじめであったゆえ 我が被造物の花婿なる、私は、はるばるあなたのもとに身を屈めた、我が言葉にたいして 無学な(*3)子どもであったにもかかわらず。 どんな神聖な言葉にたいしても 何ら教育を受けてはおらず無頓着であったが、それでもなおこの一切の泥濘(ぬかるみ)の下に、あなたをよく調べると、我が聖なる名にたいする 高貴な火花が見えた。

 

*3主はそう望まれて、英語の代わりに「analphabet」というフランス語を使われました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P264

‘02・9・13

 

私が主の日と呼ぶ、この日が訪れたなら、目から鱗が落ちて あなたは本当の自分を見よう。 そして我が火は うろたえるあなたを 無となるまで小さくする。 だが、恐れにあえがないように、朗らかにしていなさい、ほかにどうやって あなたは私のそばにいられるであろうか? 残りのどんな悪への傾きも 不活発になるだろう。 この浄めは 霊魂をあてもなくあちこちの危険へと向わせず、あなたを 唯一の花婿なる私へと向わせるため。

 

 

 

2.トマス・ア・ケンピス

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・8・2

 

私は誤って自分を愛し、自分を失ったが、ひたすら主ばかりを求め、主ばかりを愛することによって、自分をも得、主をも得ることができた。のみならずこの主に対する愛によって 私はさらに自分を虚無のうちに深く沈めることができたのである。

 ああいとも甘美なる主よ、これは主が私の功勲(いさおし)以上に、また私のあえて望みねがう以上に私に恵みたもうからである。

 

 

 

3.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P33

 

そうです。まさしくそのためにこうするのです。わたしなしでは、あなたは何者であるかということを、よくあなたに分からせるために。悲しまないで下さい。わたしはあなたのよりよい善のためにこうするのですから。あなたに施そうとわたしが確保してある新しい恵みを受けるために、あなたの心をこのようにして準備したいからなのです。今まであなたを目に見える形で助けてきました。これからは見えない形で、自分が無であるということにあなたを触れさせ、さらに深い謙遜へとあなたを分け入らせ、あなたによって実現しようとわたしが意図している高い城壁をあなたの上に築くために、もっともすぐれたわたしの恵みをあなたに注ぐでしょう。ですから悲しむ代わりにわたしに感謝し、わたしと喜びをともにするための理由としなくてはなりません。この嵐の海を早く渡らせてあげたら、それだけあなたは早く救いの港に着くことができるのです。あなたに服させる試練がきびしければきびしいほど、より多くの恵みを与えましょう。ですから勇気を出して。苦しみの中のあなたを慰めるために間もなく来てあげましょう。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P101

 

「あなたが自分を否定し、自己の存在の空しさについて知れば知るほど、私の人間性が光を放ち、私の徳をあなたに伝えるでしょう。」

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P105

 

 ところで、この内的沈黙とはなんであろうか? それは自己の熱情を黙らせること、それにブレーキをかけること、つまり欲望、心の傾き、愛着など、神を呼ぶことがないすべての事柄に沈黙を強制することである。人はどうしたらそこまで到達できるだろうか? そのためには、人は自然的な自己の在り方をなくして、創造される前には何ものでもなかったときのように、自分自身を無とするまでに減少させなければならない。人間が自分の存在を無にまで減少させたとき、彼は自分を神のうちに見いだすであろう。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P108

 

もしあなたが自分自身を滅ぼして自分を見えないものとし、まったく神性な形態を受けることができたとしたら、あなたにとってそれはなんという幸いであろうか! あなたは私に吸収され、私はあなたに吸い込まれて、たった一つの存在を造り上げるので、あなたの中に神の源泉を持つことになる。さらに私の意志は、存在する限りのあらゆる善を含有しているので、あなたは全ての善、全ての賜物と恵みを有することになり、他の場所にそれらを捜し求める必要はなく、ただあなた自身の中に、見いだせばよいのである。

 

 

 

4.スウェーデンボルグ

 

 

(無であることの意義について)

 

霊界日記2043

 

 霊たちは、私たちは自己を空しくする過程を経なくてはならない、または無とならなくてはならないと言われていることの中に意味されていることを理解しなかった、なぜなら彼らは、自分らは極めて格別に自分ら自身のものであるものを失うことにより、全く空しいものとされてしまい、そのため人間も霊も知的には自分自身の主人ではなくなって、感覚と反省を欠いた機械のようなものになってしまうであろうと考えたからである、こうした霊はしばしば私にあなたは無でなくてはならない、無とならなくてはならない、と言ったが、しかしおどけて言ったのである、彼らは無であることの中に含まれている意味を理解しなかったからである。しかし私は彼らに以下のように答えることが与えられたのである、すなわち、それこそ私が望んでいることである、すなわち、無であること、実に、絶対的に無であることが私が望んでいることである、なぜならそのとき私は初めて何か意義のあるものとなり初めるからである、と。

 

 

 

霊界日記2044

 

 彼らはその後で以下のことを教えられた、すなわち(この場合)無であることにより、人間は人間自身のものであるものを、すなわち、彼の幾多の欲念を失わなくてはならない、かくて彼の幾多の不法を失わなくてはならない、そのことにより彼は他の人物として存在するようになることが意味されており、彼らは彼らのものであるものを失わない中は決していかようなものにもなることは出来ないのであり、彼らがそうした損失を経験するに比例し、または無の状態になるに比例し、何らかのものとなり初めるのであり、そのとき彼らは、前に記した霊魂のように、何であれその望むものを、または考えるものをことごとく得るのである、なぜなら彼は、彼自身に対し無である限り、また無である広がりに応じて、主により適当なものを望むことが与えられ、またそうしたものを豊かに得て、それを歓びをもって、また絶え間もなく楽しむからである。この根底に立って彼は無限の恩恵を与えられ、それを最深の楽しさと歓びとをもって受け入れ、またそれを他の人間がその歓ばしいものを得て覚える知覚にも遥かにまさった知覚をもって楽しむのであり、そうしたものに伴っている無限の変化は言わずもがなのことである。その知覚と認知とは―彼らはそうしたものは消滅してしまうであろうと考えはしたものの―自己愛が彼らの幾多の歓喜を支配する原理でなくなるとき、無限に高められるのである。その霊たちは、このように教えられて、反省し、望み始めたのである、彼らは善良ではなかったものの、それでも或る一種の眠りの状態の中におかれ(その状態の中では彼らの幾多の悪は停止していたのである)。1748年〔60歳〕5月22日

 

 

 

霊界日記2250

 

生命のみが―それは主に属しているが、それのみが―人間を柔らかなものとし、霊的なまた天的な生命が人間の一切のものの中に、その構造の内外に、それを構成しているものの周囲にひろがるにつれて、益々それは、たとえ内に現れてはいるものの、外にも存在するのである。それで人間は固くならないにつれて、すなわち、自分自身のものを持たないにつれて、また普通言われているように、柔らかくなるにつれて、または流動的なものとなるにつれて、それだけ益々完全なものになるのであり、そのことは繊維からも明らかとなるのである。すなわち、それは幼児の中では非常に柔らかではあるが、老人の中では固くなりつつあるのであり、さらに最も内なる繊維の中では流動体以外には何ものもないのである、なぜならそれは霊的な原理であって、構成体〔合成体〕の中では固いものとして現れているからである。1748年〔60歳〕6月8日

 

 

 

 

霊界日記2060

 

霊たちに以下のことが言われた、すなわち、僅かなことしか知らない者は、謂わば、自分自身からは何一つ知りはしない者は、そのとき賢明なものになり始めるのであり、そのことは以下のように言うことと等しいのである、即ち、無である者は何らかのものであり、または自らが無である限り、その者は無以上のものである、なぜならそのとき初めて主はその者のもとにおられ、そのとき初めて彼は賢くなり始めるからである、なぜならこの知恵は彼自身のものではなくて、主のものであり、他の事柄においても同様である。その霊たちは私がなぜこうした事柄を彼らに言うのであるかと怪しんだが、今は口をつぐんでその事柄に思いをひそめてはいるものの、それでもそれは真理であり、以下のように言うことと同じことになるのである、即ち、たれでもその者自身の固有性から得るものが少なくなるに応じて、彼は主から益々多くのものを得るのである。1748年〔60歳〕5月23日

 

 

 

(無であることは何であるか、について)

霊界日記4341

 

 或る一人の正しい霊が私と話して、自分は無である、と言った。私は彼に、あなたは無であることについていかような考えを抱いておられるか、と尋ねたが、彼がおびただしい霊と全宇宙に較べられた場合の無を考えていることを認めた。しかし彼に以下のように言うことを与えられた、それは一種の考えではあるが、他に多くの考えが在り、例えば、あなたはあなた自身では何の力も持ってはいない、あなたはあなた自身では何の思考〔考え〕も持たない、あなたはあなた自身では何の生命も持ってはいない、事実、あなた自身において考察されるなら、単に一種の、全く悪であるところの、生命のない、汚れたものにすぎないのであり、かくて善は凡て主から発しているという考えである。それが無であることについての本来の考えである、と。1749年〔60歳〕8月5日。

 

 

 

天界の秘義3318[4]

 

これが人間が試練により、またはそれと同一のことではあるが、霊的争闘により再生する、すなわち、新しくされる理由である、その後かれは他の性質を与えられて、柔和に、謙遜に、単純に、砕けた心になるのである。

 

 

 

5.マーリン・キャロザース

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P86

 

 服従の目的は、私たちの古い自我を弱めるとともに、キリストが私たちの生活の中で増し加わることができるように、つまり、私たちがより小さく、キリストがより大きくなるようになるためです。

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P86

 

この若者の喜びの源は、自分自身の価値のなさと神の偉大さを確信していることにありました。「神はとても多くの方法をとおして、私がいかに価値の無い人間であるか教えてくださいました。神がいかに偉大であるかわかるようになってきましたので、私は神を賛美するのです。神が私を愛しておられると知ることは、この世で最高の気分です。私は自分がとても小さく、それにあまり賢明ではないと感じますが、私と私の全ての問題は、神の御手の中にあります。私はもはや何の心配もしていません。神は全てを掌握しておられます。主に賛美!」

 

 

 

 

6.ヨゼファ・メネンデス

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P310

 

“まずわたしが選んだ人々と、わたしに奉献された人々に語ろう。その人々はわたしの聖心の憐れみとやさしさを、託された霊魂に教えるためによく知る必要がある。人々に、わたしが限りなく正義の神であると同時に、慈悲深い父であることを、わたしの選んだ者たち、浄配、修道者、聖職者たちは憐れな霊魂に、わたしの聖心がどれほど愛に満ちているかを教えるのだ。このことをおまえに徐々に教えよう。おまえの惨めさ、小ささ、無価値がわたしの光栄となるために。わたしがおまえを愛するのは、おまえが何物かであるためではなく、何でもないもの、すなわち、惨めさとつまらなさであるから、わたしの偉大さ、親切をいれる場所があるからなのだ。”