離脱

 

 

自己を嫌悪する

わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父母、子供、畑を捨てた者は(マタイ19・29)・・捨てる

私だけのために生きてほしい

舟と水の譬え無関心・興味を失う

 

 

 

1.ヴァッスーラ

2.ルイザ・ピッカレータ

3.マリア・ワルトルタ

4.トマス・ア・ケンピス

5.スウェーデンボルグ

6.聖母から司祭へ

7.アグレダのマリア

 

 

 

 

1.ヴァッスーラ

 

 

天使館/ヴァッスーラ/私の天使ダニエル/P6

‘86・5・12

 

あなたに平安。 祈りなさい ♡ あなたを離脱させ 神に結ばせたい。

そのうちそうなります。 私に大きな喜びを与えてくれるでしょう・・・

神を必要となさい。 イエスはあなたを清める御方、この方のもとにいらっしゃい、祈りの中でお会いするように ♡

 

 

 

天使館/ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P170

 

私を大切に思いなさい、

 

けれど主を大切に思っています。何度となくそう申し上げました。そして、主は私がそれを意味していることもご存じです。私の霊魂は主を切望しています。主は私の離脱をお望みでした。そして私は離脱しました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P172

 

イエスよ、愛しております。けれど、なぜ主は厳しくなられたのですか?(もしかしたら、私は十分尽くしていないのかもしれません)

 

さあ、私を誤解しないように! 愛が語っているのです、愛の望み、愛の炎、愛の嫉妬深い愛が、ライバルを許さないのです。 あなたの聖なる父、配偶者、友、そして神に依りかかっていなさい。 さあ、互いのうちに憩い、あなたも 娘よ 嫉妬深い愛で 私を愛するように。

 

神がおっしゃっている「完全な明け渡し」とはどういうことなのか、分かってきました。離脱していること、すべてをおいて主に従うこと。主のお言葉は象徴的です、物質的ではありません。

明け渡すこと: 私はそうしました。まず第一に、他のすべてにもまして主を愛し、主に用いていただきたいと感じることによって。

離脱すること: そうです。体から離脱するまでも。それは、私には主と一致し、主にだけ従うために体から離脱したいと願う霊魂があることに気がつくことを意味しています。

苦しむこと: そうです。主とまだ一緒でないために苦しむこと、地上にいてはまだ物質であり、ここ地上では寡婦のような感覚を持っていること。日常の、物質に頼った生活をしなければならないことが分かって苦しむこと。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P258

‘88・7・27

 

主よ?

 

私です、ジェームズ神父と一緒の時私を識別し 喜ばせてほしい、私は現存し、耳を澄ませている、あなた方のさ中にいて ♡ 試してご覧なさい ♡ (努力しています)

 

♡ もっと努力して、私の指示に従い 心に私をしっかりと閉じ込めておきなさい

 

はい 主よ

 

行うすべては私のために 私だけのためにしなさい ♡ さあ 時にふれ私の現存を思い出させる、みじんも疑わないように、仕事として与えたものを見極めるようになさい。 私に完全に寄りかかり 謙虚さのうちに働きなさい。 私だけが見えるよう 自分をすっかり打ち消し、無であるあなたのうちに我が霊が息するのを許すように、こうして私を喜ばせなさい、与えたすべては私のもの。 私を感じ 完全に私だけのものとなるよう この世から全く自分を離脱させなさい、私主があなたの師であり みことばは知恵からのもの ♡ 「私たち」? あなたの聖家族と、ともに

 

はい 主よ、はい 聖なるお母さま。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P52

‘88・10・15

 

主よ?

 

私です、あなたほどの弱さに 永遠の昔から出会ったことがない・・・(*) 子よ、あなたには私が必要だ、その弱さは 無限の力であるわたしを引き寄せる、あなたの弱さは 私を夢中にさせる。 弱さは磁石のように 絶えず私を引きつけてきた。 我が心の鼓動に耳を傾けなさい、私はイエス 我が聖心はあなたの住まい ♡ 娘よ 我が心の鼓動はどれも あなたを思う愛の歌、この世に繋がれている 鎖を 私はゆるめた、そのまま離脱していなさい それを永遠の昔から 望んでいた、この離脱を どの霊魂にも望んでいる、あなたの救い主以外誰にも これができないと気づきなさい、罪の鎖からあなたを贖ったのは私、このために悪魔たちは攻撃的であり、あなたは今週その存在を身近に感じた。 身を私に捧げなさい、あなたの献身と忠誠心は、愛と忠誠心に渇くこの心、我が聖心を喜ばせる ♡ 

 

 *疑いの大波がまた押し寄せて来たからです。点が三つあるところで私は神を無言にさせてしまいました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P61

‘88・10・25

 

わが主よ?

 

私です ♡ 娘よ! 歓びなさい! あなたの理解をはるかに越える愛をもって 永遠の昔から 愛してきた! 偏愛をもって。 あなたを創造したのは あなたの愛で我が霊を悦ばせ 我が心を満たすため、あなたの涙によって我が怒りをなだめ 傷を和らげるため。 あなたを創造したのは 疲れた時の 憩い 忘れられた時の 話し相手として。 夢中であなたを愛している! 愛する者よ、 我が聖心の望みを知ってもらい、我が持てるすべてを分かち合うために あなたを選んだ。 我が光の子となりなさい。 私はあなたを最も愛する者 最も祝福する者。 私があなたに抱く嫉妬深い愛は その小さな心を燃え上がらせ 光の松明とし、ほかの心をも私を愛するように 燃え立たせるであろう。 私の愛が点る 祭壇となり、この炎を広げ 石の心をも生き生きとさせて 私の熱心な弟子にさせなさい。 肌の色や教義で区別しないように、あなた方は皆 私の似姿につくられ 私の十字架は 全てのくに民のために捧げられた。 我が聖なる名のもとに 一つとなりなさい。 被造物よ 私は 夢中で愛している! 生き返りなさい 被造物! あなた方のさ中に 私が現存すると信じて、皆を癒すことができるよう あなた方の心に入らせてほしい。

花よ、私を望みなさい、我が掟を重んじ 私を喜ばせなさい、私を第一におき 全てのものに優先させなさい。 地上的なものはすべて 嫌悪するように、この世でなされた すべての悪を埋め合わせるには 莫大な償いを必要とする、他の人びとに代って償うように、ヴァッスーラ、決して見捨てない。私の教えに導かれて あなたは我がもとに来た、私とあなた、あなたと私は、代々終わりなく結ばれている、私の平和を受けなさい ♡ 来なさい ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P22

‘89・10・25

 

世俗的なことから離脱し 生き方を変えるように、小さな者たちよ、この世は通過しているに過ぎないからです。 霊魂は永遠に生きると私は絶え間なく思い出させ 生き方を変えなさいとくり返し注意を促しています。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P178

‘90・7・4

 

私はもろく、迫害者たちはあきらめずに追って来ますが、あなたに希望を置き、あなたのためにだけ、この追放の地に生きているのです。この世で私を悦ばすものは、もう何もありません。目はすでにあなたの平和の世界を慕い求め、心も魂もあなたへの愛に恋い焦がれています。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P198

‘90・7・31 (まだネクタリオ修道院にて)

 

ヴァッスーラ、あなたを豊かに恵み、引き上げ 我が聖心のうちに置こうと待ちかまえている ♡ 私の金言に十分注意を払ってさえいたなら あなたの霊は我が霊とたえず一致していたであろう。 あなたはこぼしたり、うめいたりする、それでもこの聖心は あなたへの愛と哀れみで溢れ出す 霊魂よ! 与えたすべてを生かしなさい! 我が現存を忘れないように、努力しなさい! 私でないすべてから距離を保ちなさい、目を私に 私だけに向けていなさい。 あなたはみことばの器です、しかしそこで打ち寄せる時の流れにすぐ足をとられないように! あなたを呼び出し 契りを結び 私のものとしたのです。 たとえこうした流れを通り抜けようが、ともにいる、大嵐の中であろうが、これらはあなたを根こそぎにはしない。 たとえ毒蛇の巣の中を歩もうが、噛まれはしない。 あなたの道を歩きやすくした。 刺と茨に出会うたびに持ち上げよう。 あなたの弱さ そして唖然とするほどの無力に気がついている、それゆえあなたへの寛容も大きい。 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P58

‘92・4・17

 

―かつてのあなたは私を知らず 世の中と被造物の奴隷だった、しかしあなたの創造主、私は すべてを越え 何にも増して私を愛するようにとあなたを離脱させた。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P67

‘91・2・4

 

聖でないすべてを蔑み、私であるすべてに渇きなさい。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P98

‘92・7・8

 

私は一歩ずつあなたに教えている、教育の師。 我が心に投げ入れようと 少しずつ世間から引き離してきた。私はあなたの知識と能力をこえるものごとを 明かしていった。 信じなさい、我が甘美な教え子よ、私イエスは あなたを愛している。 私の平安を受けなさい。 ともだって働く。 私とあなたで 我がメッセージをひろめよう。 あといくつかの国々に遣わす、 そしてあなたが使命を果し終えたなら 私のもとに連れ戻そう。 私、自身が、あなたを迎えに来る。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P182

‘92・12・10

 

理解するように、霊魂よ、あなたはこの世ではなく 天にある私自身の王国を目指している、そこでこの世にあなたをとどめているすべてを断ち 天に属するものを探し求めなさい。 来なさい。 「私たち」?

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻/P40

 

私はあなたのうちを照らし、目覚めるよう まばゆい光を輝かせ この世の些細な事柄をすべて置いてこさせた。(*)

 

*「(あること)からあなたを空にした」、とも理解しました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/第10巻/P49

 

平静でいるように、我が花嫁よ、そして仕事を負い過ぎないように。あなたのうちに 薔薇が一輪育って、生き生きと花咲かせた、そして沈黙のうちに黙想して坐り、私どもを観想し、あなた自身を私どもと一致させるときは、その薔薇のかおりが 最も優美な香気を放って、私どもを包む、その間私どもはあなたを見護り、あなたのうちに私どもの光を放ち、生き生きと花咲かせている。私どもの観想をやめてしまうなら、あなたの薔薇は色褪せて 美しさを失う・・・そこで神なる花婿は言っておく:

 

我が抱擁から引き離すもろもろのことに気を取られ、私を観想するのをやめないように。 まこと愛する者よ、あなたの言うことすべてに異議を唱える者たちが、自分たちの気まぐれによって指図するのを許してはならない、あなたを私のもとに連れて来るよう 我が天使の位階中の最も高貴な天使たちの一人を あなたに送ったゆえ。 この天より遣わされた君子は あなたが我が独り子と共に、天の王宮に入れるように この世からあなたを引き離した。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P213

‘02・1・18

 

― 神の甘美な源のほうを選び この世に執着させる一切から身を退いたあなたは 祝福されるように。

 

 

 

 

天使館/ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P232

‘02・6・1

 

教えてほしい、毒を飲み込んでしまったのが分かったなら いのちを危険にさらしたまま放っておき 何もしない人がいようか? この死に至る一服から癒されるには 頭を低くして自分が罪人だと認め、私に悔い改めを捧げなければならない、そのとき毒の苦みはすっかり取り除かれ 生涯にわたって臓腑に飼っていた 毒蛇も含めて追い出せよう(注1)、そして解放されたあかつきには こうした悪を 私の甘美に置きかえる・・・そう、ひとたびそのような悪が出ていったなら、あなたは回復する、そしてひとたび回復したなら 私の掟と相容れない者ではなくなる。 あなたは 喜んでこの世に背を向けよう 目前に、我が栄光と荘厳を見るがゆえ。 私の輝ける現存が あなたの内にも外にも輝き出る。

 

 

 

ヴァッスーラ/あなたは預言を無視しますか/P239

 

 私のように、突然回心した者は、動揺するものです。神を見出すのは、その時です。神はその時、ほんとに身近に姿を現わされます。なにしろ、ほほえみかけてくださるのです。次いで御臨在をはっきり感じ取ることができるようになります。それから神は、私たちを解脱の境地に導き始めます。といっても常に私たちの自由を尊重しながら、ということは認めなければなりません。世俗世界から、物質から、それにすべての下らない束縛から解き放ってくださいます。解放はつづき、最後には自分自身からも心が離れます。この段階で、天の国に住みたいと願うようになります。『神のうちの真のいのち』には、このような箇所があります―「たとえあなたがこの世の人々の中にいても、あなたの霊は天にあるだろう。そしてたとえあなたの肉体はこの世の人々の中にあっても、あなたの魂と霊は、神の国の庭を歩む天使の魂と霊のようだろう」。この解脱がとても難しいのです。神は天国にすぐに呼んでくださるわけではなく、すでに自分には関心のない浮世の雑事をしょい込みながら、この世で今までどおりに生きてゆかなければならないと分かるのですから。それで私は神に向って叫びました。こう言ったのです。「なぜこんなことをなさったのですか? すっかり解放してくださったのに、なぜこの世にとどめおかれるのですか?」。けれどもその後は、解脱したまま、生き続けられるように、助けてくださいます。この段階を経た人を、何人も知っています。私は、その人たちを大いに励まして言います。「たいしたことではないのよ。まだ何日かはつらいでしょう。でもすべて、乗り越えられるわ」。とはいえ、耐え難い段階ではありますね。

 

 

 

 

2.ルイザ・ピッカレータ

 

 

天使館/ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P104

 

私をベッドに釘づけになさった最初の日私に次のようにおっしゃったのをよく覚えております。「わたしの心が愛する者よ、わたしがあなたをこのような状態におくことを望んだのは、あなたと話し合うためにもっと自由にあなたのところに来ることができるためです。つまりまず外の世界から、そして人間と親しむ全ての機会からもあなたを自由にするためです。それからもう地上に関する愛着だけでなく、それについての考えすらあなたの中に残らないように、あなたの内部を清めました。そこにわたしは、わたしに対する溢れるばかりの愛と、まったく天的な考えと愛着心をおきました。ですから、今あなたにとって全ての事はよそ事となり、わたしとあなたはまったく親密な者同志となりました。あなたの心のみでなく、身体もわたしの望みにたいして用意が出来ていて、わたしとともに絶え間ない生けにえとなることができるようにあなたがわたしと同じようになってほしいのです。

 もしこの小さなベッドにあなたを閉じ込めなかったら、これほどたびたびわたしの訪問を受けるという幸運を得ることができなかったでしょう。そうでなければあなたは大きな犠牲を払って、まず最初に家庭の義務から解放されなくてはならず、それからあなたの心の祈祷所に退き、わたしの大急ぎの訪問を待たなくてはならなかったでしょう。今はもうそのようなことはなく、わたしたちは二人だけです。もうわたしたちの苦しみ、悲しみなどのお互いの交換や話し合いを妨げることができる人は誰もいません。わたしに似た者となって、わずかなよい人たちからのみわたしが受ける喜びや満足心、または悪者からもたらされる苦しみ、痛み、心配などにあなたも参加できるでしょう。これからは、わたしの慰めはあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。(後略)」

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P107

 

 ああ、なんとたくさんのご恩を受けたことでしょうか! 私が主と似通っていないのをごらんになるごとに、昔も今もそして将来も決してあきることなくおっしゃいます。「わたしはあなたの意志が完全にわたしのそれの中でなくなってしまうほど、わたしの意志と完全に一致するようにあなたに求めます。」さらにどんなに小さくとも私の中に、主と関係がないことへの執着があるのに気がつかれるごとに、次のようにおっしゃりながら、私がそれから離れるようにと優しく願われるのでした。「わたしの娘よ、わたしのものでない全てのものからの完全な離脱を熱望します。つまり地上のもの全ては、糞便か腐敗物だとみなし、眺めるだけでもあなたにとってゾッとするようであってほしいのです。どうしても必要でない限り、地上のものは身の周りに持って眺めるだけでも心を凍らせ、天上の事柄に影をつくり、しばらく前からあなたと約束していた、わたしとの神秘的婚姻の実現を妨げるのです。わたしは、純粋に必要なもの以外にこの世のものは、なにも評価しなかったということを知っていて下さい。わたしは、裸の貧しさにも服従しました。ですからあなたも、あなたにとって必要でないもの全てにたいして軽蔑の心をもって、わたしにつき従うようにして下さい。この小さなベッドの中で、わたしの貧しさに学びながら、自分のことを一人の貧しい女以外の何者でもないと考えなさい。このようにしたときにはじめて、あなたは自分のことを本当に貧しいものと言えるでしょう。あなたの心の中には、決して何かを手に入れたいという望みが入り込まないように。なぜならあなたの中には、本当に必要でないものは何も取らない、何も望まないという、真の心の貧しさがあってほしいのです。持ち物については、まずわたしに、それからあなたにそれを与えてくれた人に感謝しなさい。けれどもこれから先は、何かをもらうことや、勿論何かを頼むことについても、注意して離脱しているように。なぜなら与えられることがなかった物を欲するということが、あなたの心のつまずきになる可能性があるからです。ですから聖なる無関心をもってあなたにとって良いか悪いかも考えず、他の人の考えに任せなさい。」

 本当を申しますと、このことは実際に最初のうち、私にとってとても大きな犠牲となりましたが、間もなくあれこれと考える必要もなく、何も願わなくても、私が本当に必要としている時にそれは与えられるということに気づきました。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P140

 

しかしイエスは、この神秘の婚姻が行なわれるために熱望の火を私のうちに灯されながらも、くり返して私におっしゃるのでした。「全て地上的なものは除かれなければなりません。あなたの心からだけでなく、身体からもです。地上的なもののほんの少しの影がどんなに害になるか、またこれがわたしの愛にとってどれほどの妨げになるか、あなたには分かることができません。」

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P146

 

 イエスは私に対してまず最初に、全ての被造物から、そして私自身からもの完全な離脱をお命じになりました。それはひたすら私の内面が常にしっかりと主についてのうるわしい想いと、主への愛の生き生きと躍動する感情をもって用意されているように、全ての事柄からのほとんど完全な脱却の中に生きなければならないということでした。このようにすることによってイエスが、私の全ての行為をお気に召して、私の心のうちにその住みかをお定めになるためです。主のほかに私はもう誰とも、友達や私自身すらとも親しく交わってはならないと申されました。主の中に被造物を見出さないということはありえないので、全ての事柄と全ての人びとについての追憶は、ただ主のうちにのみ呼び起こされなくてはならないと言われ、さらに次のようにつけ加えられました。

 私の周りで起る出来事にたいしては、いつも聖なる無関心と無頓着をもって接しなくてはならないこと、つまり被造物によってもたらされる出来事に関して、賛成か反対かなどと考えたりせず、常にできるだけ単純さをもって正しく行動することです。実際にその後、もし私がそのようにしないでいますと、イエスは厳しく私に注意なさっておっしゃるのでした。「もしあなたが事実上のみでなく、感情的にも離脱しないならば、わたしの光に全ておおわれた者となることはできないでしょう。その代わり、もしあなたが全ての地上的な愛着を脱ぎ棄てるならば、あたかも自らを通してわたしの満ちあふれる光を貫通させる非常に清らかなクリスタルのようになることができ、永遠の光であるわたしの神性は、全てあなたの中に入るでしょう。」

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P225

 

それはあなたのうちにある天的でない全ての愛着を破壊するほどの炎です。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P38

 

「魂が愛情からばかりでなく事実としてすべてのものから離れてゆくのなら、私は喜ぶ。物から離れてゆくほどに私は光をまとわせるので、魂は水晶のようになり、そうなれば、太陽光は何ものにもさえぎられることなく透過してゆき、建物や他の物質も貫いてゆく。人びとは精神的なものばかりか、肉体的な欲望についても、脱ぎ捨てるどころか、さらに厚着を重ねていく。すべてのものから離れてゆく魂を、私は特別扱いする準備があるというのに。私の意図は、すべてをベールのように包む。すると、無一物なのに一切を所有していることになる」。

 

このあと私たちは聴罪司祭を離れると、多くの修道者たちが利益目的に働いているのに出会いました。そこでイエズスは言った。

 

「ああ、災いだ。金のために働く者に災いを。お前たちはすでにこの世で報われてしまっているから。」

 

 

 

 

3.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ『私に啓示された福音』3巻下P26/206・10

 

大金持ちでありながらわたしの友であり、神の友であるラザロのこの地で、わたしが言うことはすべて奇妙に思われるかもしれません。しかしラザロは富める者たちの中の例外です。ラザロは、地上で見つけることが極めて難しく、また、他の者に教えるためにそれを実践することはさらに難しいこの徳、すなわち富からの自由という徳に到達した人です。

 

 

 

あかし書房/フェデリコ・バルバロ訳編/マリア・ワルトルタ/受難の前日/P110

 

 「金持ちが天国に入るのは、何と難しいことか! その門は狭く、その道は険しい。富の大荷物を背負っている人はそこに歩み入ることはできない。そこに入るには、物質的なものではない徳の宝を持つことが必要であり、あるいは、この世の空しいものから離脱することを知らねばならない」

(中略)

 

「人間にできないことでも、神にはおできになる。神は全能なのだから。人間の方としては、善意をもって“主を助ける”それだけでよい。受けた助言を聞き入れ、この世の富から自由になるように努力する。これが善意の努力です。“神に従うために、全く自由になること”です。

 

 人間の真の自由とは何かと言えば、次のように言えます。『神が人の心にささやかれるその声と命令に従い、自分自身と、世俗または人間の思惑の奴隷、つまりサタンの奴隷にならないように努力することです。神が人間に与えてくださった最上の賜物、すなわち選択の自由意志を用いて、自由にただ善だけを望めば、光にあふれる自由な、幸せな、永遠の生命に到達できます』

 自分の生命に対してすら奴隷であってはなりません。この世の生命を保つために、神に背かねばならないようなことがあれば、これについては、すでに皆に語った通りです。

『私への愛にために、神に仕えるために自分の生命を捨てる者は、永遠のためにその生命を救うのである』と」

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P145

 

26 わたしの教会が勝利する日(イザヤ書2・2−4)

‘43年11月11日。

 

イエズスは言われる。

 

サタンと俗世間と肉の偶像崇拝者たちから離れなさい。軽蔑はせずに、彼らから離れなさい。軽蔑はなんの役にもたたない。役に立たぬどころか破壊する。無益である。ただし、彼らに汚染されないように、彼らから離れなさい。贖い主の愛で彼らを愛し、彼らとあなたたちの間にキリストへのあなたたちの信仰を城壁として据えなさい。あなたたちは彼らの間に混じって危険なしに生きることが出来るほど強くはない。何世紀にもわたる精神的な退廃が、あなたたちをますます弱くしているからだ。初代教会のキリスト者たちに倣いなさい。俗世間のなかで生きるすべは学ぶべきだが、へのあなたたちの愛の力によって、俗世間から身を引き離して生きるように心がけなさい。

 

 

 

 

4.トマス・ア・ケンピス

 

 

光明社/トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・1・4

 

 それゆえ滅ぶべき財宝(たから)を求めて、これを頼みにするのはむなしいことである。

 名誉にあこがれて高い地位にのぼるのはむなしいことである。

 肉欲にふけって、いつかきびしい罰を受けなければならぬ悪事を求めるのはむなしいことである。

 長生きすることばかり望んで、善良な生活を送るよう心がけないのはむなしいことである。

 この世のことばかり考えて、後の世の用意をしないのはむなしいことである。

 たちまちに過ぎ去るものを愛して、終わりのない歓楽(よろこび)の所に向って急がないのはむなしいことである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・1・5

 

 しばしば次の賢人の言葉を思い出すがよい、「目は見るに飽くことなく、耳は聞くに満つることがない」(伝道書1・8)と。だから目に見える物を愛する念を去り、見えない物に心を向けるがよい。なんとなれば、五感の欲に従う者はその良心を汚し神の恩恵を失うからである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・23・6

 

さあ、愛する者よ、あなたがもし今、つねに神を畏れて死を目の前に描くならばどれほど大きな危険をまぬがれ、どれほど大きな恐れを除き去ることができるだろう!

 

死ぬ時になって恐れるよりも喜ぶことができるような生活を、今しようと努めよ。

その時からキリストと共に生きることができるように、いま世間に対して死ぬことを学べ。

その時自由にキリストのみもとに行くことができるように、いますべての物を軽んずることを学べ。

その時固い自信がもてるように、いま苦行によってあなたの肉体を懲らせ。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/

2・11・4

 

すべての物を捨ててまるはだかになる霊的な人はめったに見られない。

すなわちほんとうに心が貧しくて、あらゆる被造物に愛着する念を脱ぎ捨てた人は、だれが見出すことができようか? こういう人は「天のはて地のきわみ」(格言の書31・10)から来たようにとうとい値打ちがある。

人がその財産をことごとく差し出しても、まだまだ物の数でもない。

きびしい苦行を積んでも、まだ言うに足りない。

あらゆる知識を得ても、遠くおよばない。

その徳が高く信仰に熱心であっても、まだ大いに不足するところがある。ぜひなくてならぬ大切な一つが足りないのである。

それは何だろうか? すべてを投げうち、おのれを捨て、まったく自分というものから抜け出して少しも自愛心を残さぬこと、これである。

そして義務であると知ったことをことごとくなしとげた場合も、自分は何もしなかったと思わなければならぬ。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス著/『キリストに倣いて』/3・27・3

 

だから外部において何かを得たり、それをふやしたりすることは、あなたにとってなんの益にもならない、益になるのはむしろそういう物を軽んじて、根こそぎ心から引き抜いてしまうことである。

 これはただ金銭財宝についての話ばかりではない。名誉を欲しがったり、つまらない称賛を望んだりすることや、世とともに過ぎ去るいっさいの物事についても言えるのである。

 もし信仰の熱烈な精神というものがないならば、あなたはどこにいてもほとんど安全ではあるまい。また心の状態に、ほんとうの土台というものがないならば、あなたが外部(そと)に求める平和も長続きしないだろう。すなわち、わたしに頼らぬかぎり、あなたはいくら居所を変えてもよくなることは決してないのである。

 なんとなれば、機会のあり次第、あなたはせっかく前に逃げて避けたもの、いや、それ以上のものにさえ出会うだろうから。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・15・3

 

 あなたが心を尽くして神に自分をささげ、自分の好みに従ってこれをとったりあれを取ったりせず、自分をまったく主にお任せするやいなや、たちまちあなたは神と合一し平和を得るだろう、それは神のみ意(こころ)をお喜ばせすることほど、あなたを楽しませ満足させることはほかにないからである。

 だから、だれでも純真な心で、その志を高く神に向け、被造物をむやみに愛したり憎んだりする念から離脱する者は、最も恩恵をこうむるに適し、敬虔の賜物を受けるに足るだろう。

 なんとなれば主は、容物(いれもの)が空虚(から)であるのをごらんになる時そのおん祝福をお与え下さるからである。

 そして人がこの下界の物事を、完全に捨て去れば捨て去るほど、また自分を軽んじて自我に死すれば死するほど、恩恵はますますすみやかにくだり、ますます豊かにはいり、ますます高くその自由な心を引きあげるだろう。

 

 

 

 

5.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義945

 

 王妃高貴な家族の者、また富んだ両親を持った者のような、生活の快楽と享楽の中へ生まれながらにして入れられ、小児時代からそのようなものの中に教育された者たちは異なっている。これらの者は奢侈、華麗、優雅の中に生活しているものの、同時に主に対する信仰と隣人に対する仁慈の中に生きさえしているならば、他生で幸福な者の中にいるのである。なぜなら自己から生活の楽しさ、権力、富を剥奪し、かくして惨めさにより天界に価すると考えることは誤った道であるからである。しかし快楽、権力、冨を主に比較するなら無意味なものとみなし、世の生活を天界の生活に比較するなら無意味なものとして見なすこと、それが聖言にそれらの物を斥けることにより意味されていることである。

 

 

 

天界の秘義54

 

「彼らを男と女とに創造られた。」『男と女』の文字の意義は最古代教会には良く知られていたが、しかし聖言の内なる意義が彼らの子孫の間に失われてしまった時、このアルカナもまた滅んでしまったのである。彼らの結婚は幸福と歓喜の主要な源泉であり、結婚に比較することの出来る物をことごとく彼らはそれに譬えたが、それはそのことにより、その浄福を認めるためであった。彼らはまた内なる人であったため、内なる物のみを喜んだのである。外なる物は単に眼で眺めたに過ぎないで、そこに表象されているものを考えたのである。かくて多少なりと彼らにその思いを内なる物に向けさせ、内なる物から天的な物に向けさせ、かくして彼らの凡てである主に向けさせ、従って天界の結婚に向けさせる手段となり得る物を除いては外的な物は彼らには無価値なものであったのである―彼らは自分たちの結婚の幸福は天界の結婚から発していると認めたのである。

 

 

 

天界の秘義3492

 

「イサクは老いるようになった」。これはその状態が切迫した時を意味していることは『老いること[年をとること]』の意義から明白であって、それは新しい状態が現れる[現存する]ことである、なぜなら聖言では『老年』は前の状態を脱ぎ去ることのみでなく、新しい状態を着けることを意味しており、しかもそれは以下の理由によっているのである、すなわち、老年は形体的な物が脱ぎ去られ始め、それとともにその前の時代の幾多の愛も脱ぎ去られ始め、かくて内部が明るくされ始めるところの年齢の最後である、なぜなら形体的な物が遠ざけられると、内部は明るくされるからである、それはまた天使たちは、聖言に在る事柄を霊的に認識しているため、老年のことはもはや全く考えなくなって、代って新しい生命を考えるのであり、かくてここでは、その状態が切迫したことを考えるためである、すなわち、イサクにより表象されている神的な合理的なものがそれ自身に相応した自然的なものを欲したことを、すなわち、同じくまた神的なものである自然的なものを欲したことを考えるためである。

 

 

 

天界の秘義4981

 

「『エホバの祝福』。これは増大したものを意味していることは『エホバの祝福』の意義から明白である。『エホバの祝福』はその純粋な意義では主に対する愛と隣人に対する仁慈を意味している、なぜならこれらのものを与えられる者たちは、その時天界と永遠の救いを与えられて、『エホバに祝福された者』と呼ばれるからである。ここから『エホバの祝福』は、外なる意義では、または世における人間の状態に関連した意義では、神の中に満足することであり、そこから人間がおかれている名誉と富の状態に―それが尊ばれて富んでいる者たちの間にあろうと、またはそれほど尊ばれない、貧しい者の間にあろうと、それに―満足することである。なぜなら神の中に満足している者は名誉と富とを用を果たす手段と認めており、彼らはそれらを「名誉と富を」考えると同時に永遠の生命を考える時、名誉と富とを何ら重要なものとしては認めないで、永遠の生命を本質的なものとして認めるからである。

「エホバの祝福」または主の祝福は、その純粋な意義ではこれらのものを含んでいるため、「祝福」もまたその中に無数のものを含んでおり、引いてはそこから生まれてくる種々のものを意味しており、例えば霊的な善と天的な善を豊かに与えられることを(981、1731)、真理の情愛から実を結ぶものとされることを(2846)、天界の秩序に配列されることを(3017)、愛の善を与えられ、かくて主と連結することを(3406、3504、3514、3530、3584)、また楽しさを(3216)意味している。それゆえ「祝福」が特定的に意味しているものは連続した前後の事柄から認めることが出来よう。」

 

 

 

霊界日記5790イ

 

こうした者(自己愛により他を支配しようとする者)でない者たちはその者たち自身の家で静かに暮らしている。彼らは彼ら自身の持っている物で満足し、彼らに課せられた義務を遂行している。これらの者は天界の喜びを享受している。なぜならそれが彼ら自身の中に在って、彼らの外側には存在しないからである。

 

 

 

 

6.聖母から司祭へ

 

 

司祭のマリア運動刊/聖母から司祭へ/1973.12.19

 

 私の運動の司祭たち皆が、この偉大な仕事に準備されるため、どのような心遣いをこめて前以って私に選ばれ、教育され、形づくられたかを知ったならば・・・!

 最も取るに足りぬものであっても、彼らの人生におけるすべてのものには、的確な深い意味があります。そのため、めいめい、その存在の、茫然とするほどすばらしい本を、私と共に読む習慣をつければよいと思います。

 彼らに心の上智の賜を与えましょう。そうすれば自分に関するすべてのことに、どのような意味があるかを私と共に理解するでしょう。

 不可解だったたくさんのことの理由、苦しみの意味、見捨てられたことのわけ、倒れてしまったことの意味がみなわかるでしょう。ああ、私が特別に愛しているこの子供たちは、その人生において、どれほどの暗黒と煩悶の時を経験しなければならなかったことでしょう。

 でも、それは彼らにとって必要で実り豊かな時期でした。それは、私が彼らをいっそうわがものとするためであり、あらゆるもの、すなわち自分のものの見方、感じ方、いろいろのもの、良い結果、良い活動、成功などに、たやすく執着することから離脱させるためでもあり、また、私だけのものとなり、私のためにのみ生き、ただ私の望みだけを行うことを学ばせるためでもありました。

 自分は何もよいことはできない、たいした者ではないという印象を受けさせたかったのです。それで心の謙遜と幼子の精神という大きな贈物を彼らに与えました。私以外には何の支えも信頼できるものもなく、ただ私だけのものであるということを感じさせたかったからです。

 嘲笑され、踏みつけられた、私のこの可哀想な子供たちによって、私は大きな計画を実現するでしょう。

 

 

 

聖母から司祭へ1976.5.3

 

 いうまでもなく、この世に留まり、この世に生活するなというのではありません。わが子の希望によってこの世にいても、この世のものでないように生きることです。

 わが子イエズスのものとしてだけに生きねばなりません。

 この世を彼のもとに返し、霊魂を救うためだけにわが子イエズスのものとして生きねばなりません。これがあなたがたのこの世に対して持つべき思いやりです。これだけが、わが子があなたがたに望み、今日、教会があなたがたに提起する課題です。

(中略)

 わが子イエズスがこの世を救ったのは、おん父のみ旨に忠実であったため、十字架にかけられて地上にあげられ、すべてのものから切り離された時です。それ故、あなたがたも彼と同じように、心に於いて、すべての地上のものから離れるように習慣づけるべきです。

 こうして心の真の純潔を獲得してください。

それで最高の試練まで本当に愛することができるでしょう。

 どこへどのようにして導くかを知っているあなたがたの母に常に従いなさい。それはまた、あなたがた一人一人がおん父のみ旨とご計画を実現するためです。

 

 

 

聖母から司祭へ1976.7.31

 

 特に愛されている私の子らよ、大きな信頼をもって私にしたがってください。そしてあなたがたの生活に於いて出逢う困難にこだわらず心配しないでください。

 この困難は私の母の心であなたがたのために準備されたものです。この困難は、あなたがたの私の汚れなき心への完全な奉献の生活を育てています。この困難はあなたがたの見方、感じかた、嗜好、愛着からはなれさせ、少しずつわが子イエズスのみ心に従って見たり感じたりするように導きます。

 私はあなたがたが困難を堪えしのんだその心の中に、イエズスのいのちが育てられたのを見ます。そしてこれは私の母の心をどんなに強めてくれるでしょう。

 子らよ、あなたがたの生活が私の個人的な影響によって、本当に変わりつつあることに気がつきませんか?

 内的な困難はあなたがたをいっそう苦しめます。あなたがたは、私のものですが、まだ世に引かれています。私の清さを着ていますが、まだ肉の誘惑の苦しみを感じています。あなたがたの中のある人々は、歎きながらそれから解放されたいと望んでいます。

 更に、あなたがたが経験するこの内的な困難は、あなたがた自身からも離脱するために、どんなに助けになるでしょう。

特に愛された子らよ、自分を決して見つめないでください。あなたがた自身が美しくないと思うほど、私とわが子イエズスには、あなたがたはいっそう美しい者に見えるでしょう。

 あなたがたを覆うのは私のマントです。私の清さそのものが、あなたがたを照らすのです。それから外的な困難があります。それはあなたがたが住む環境によるもので、誤解や非難です、時には軽蔑や讒言さえあります。

 私の敵は、あなたがたを打ち倒し落胆させるために有力な武器としてそれを使います。

 あなたがたはどのように答えたら良いでしょうか?

 イエズスのように沈黙と祈り、おん父との完全な一致の中に生きることです。

 おん父の光の中では、本当でないこと、良くないこと、偽り、讒言など、すべてが霧が太陽の下に消えると同じように消えさってしまいます。

 それで、私の汚れなき心にいるあなたがたには、何ものも触れることができません。

 誰かが、故意にあなたがたに悪を望んでもそれは実現しないでしょう。また誰かが善意をもって何かするなら、悪があなたがたに起こる前にその人は光に照らされるでしょう。

 ですから現在の嵐の中にあっても、あなたがたは平和の内に歩むでしょう。

 

 

 

聖母から司祭へ1977年7月8日

 

 悪魔は、あなたがたを知らず知らずのうちに、人間に執着させようとして待伏せています。

 彼の行動は、常に卑劣です。しばしば、被造物を良いもの、あるいは、徳や特別の恵みとして、与えられたものであるかのように見せかけますが、その被造物があなたがたのわが子イエズスへの愛の妨げとなります。私があなたがたの愛を、もっと純粋なものに、そして清く完全にしてあげたい。

 いかなる被造物に対する僅かな執着も、私の汚れなき心が望んでいるような愛ではありません。そういうわけで、被造物への執着は、愛の冠を作り上げるのに妨げとなり、しかも、私が与えたい全ての光を理解し、受け入れることにも妨げとなって、霊魂を暗闇としてしまいます。

 

 

 

聖母から司祭へ1984.3.19

 

ヨゼフのものだった童貞としての純潔が、あなたがたにもありますように。そのために、わたしは、あなたがたが、自分自身からも、また、被造物からも、人間的なことからも、もっと離脱するようにと望んでいます。これは、主がお願いになることを何であっても、忍耐づよい忠実さで愛し、これを果たすために、内的に自由になるためです。

 最愛の花婿ヨゼフのけんそんな信頼に満ちた祈り、その苦労の多い労働、忍耐づよさと、特別に寛大なその心にならいなさい。

 

 

 

 

7.アグレダのマリア

 

 

昇る旭日の聖母会監修・発行/甲斐睦興訳/アグレダのマリア/神の都市/P17

 

主に対し、たくさん約束をし、この世の全てから自分自身を解放し、主の愛のためにのみ自分の自由意志を使うことを申し上げました。自分の意志のどのように小さな部分も、どのような被造物に対しても関わりを持たせないと主に申し上げました。見えるものや五官に感じられるもの全てを棄てました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P343

元后の御言葉

 

 私の娘よ、私が御子の人間としての死を見習い、自然死を遂げたことを御子なる主は御喜びになり、一つの恩恵を教会の子供たちに与えて下さいました。私に信心する者たちが死に際して私を呼び、私の幸せな死と主を模倣したいという希望を思い出し、私の弁護を望むならば、私の特別な保護を受け、悪霊たちに対して私によって守られ、主の慈悲の法廷に共に出廷し、私の取り成しを受けることになります。従って主は、私に新しい権力と任務を御与えになり、私の貴い死の神秘を崇め、私の助けを願う全ての人たちに良き死と、より純粋な生活のために恩寵を下さることを約束して下さいました。それゆえ、私はあなたが今日よりこの神秘を心の奥底で信心し、愛すること、私と三人の罪人の奇跡をなさった全能者を祝い、讃え、崇めることを希望します。

 死は命の延長であり、命の状態と一致しますから、良き死の最も確かな保証は、良き生活です。つまり、この世の愛から心を離して重い鎖から解き放たれて生きることです。原罪の影響から自由になり、生きることです。情欲の重荷や足枷を棄てて生きることです。