この地球の上で・四季の台所 2020

この地球の上で(クリスマス)

2020年12月

今年もあとわずか。新年を迎える前には、クリスマスがやってくる。新型コロナウイルス対策のため全土で夜間の移動制限をとる国もあって、子どもたちはサンタさんが来てくれるか心配になっているらしい。イタリアのコンテ首相は「サンタさんは(特別な)申請書があるから世界中の子どもたちにプレゼントを配れます」と答えたそうだ。ラップランドのサンタクロースも「みんなにすばらしいニュースがある。ことしのクリスマスは中止しない」と語りかけている。子どもたち、よかったね。

このところ、24日のイブは、姪の息子リョウちゃんがプレゼントを楽しみにしているので、姪の家族と私の家族が一緒に過ごしている。姪は大人になってから、小麦アレルギーを発症し、私は小麦粉を使わないメニューを考えるのが楽しかった。持ち寄りのために作ってきたのは、米粉で作ったシフォンケーキのデコレーションケーキ、ローストチキン、パエリア、ローストビーフなどなど。今年はパン粉の代わりに米粉を入れたハンバーグだねをパイ皿で焼いた上にマッシュポテトを飾った羊飼いのパイ、ライスペーパーの生春巻きのサラダなんかを用意するつもりでいたけれど、24日は姪が仕事を休めないからと中止となった。せめてプレゼントだけ届けようかな。(内緒だけれど、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」を買ってある。娘たちもリョウちゃんへの小学生最後のプレゼントは何しようか考え中。)

私が子どもの頃はサンタさんは来なかった。それでも、父がツリーの木を、母がごちそうを用意してくれたのが嬉しかった。

中学生の時に、なかよしの女の子のグループでのクリスマス会も忘れ難い。どこの家にもオーブンなんてない時代だから、ケーキやクッキーを焼く代わりに、ある年はみんなで餃子を作り、ある年はラーメンを作ったりした。私は、そこで、生まれて初めて餃子の包み方を教わり、鶏ガラでとったスープを、チャーシューを煮たたれをかけてラーメンスープを作ることを知った。ちょっとしたプレゼント交換もしたかもしれないけれど、この手作り餃子パーティや手作りラーメンパーティほどには覚えていない。私の娘たちは、こんなに心に残るクリスマスをしたことがあるかな。

先日、国連UNHCRからカンパのお願いが届いた。
・シリア難民である67歳のシャキバさんは、もう6年も避難先のレバノンにあるテントで暮らしている。マイナス8度になることもあるレバノンで、厚さ数ミリのテントで寒さをしのぐことはできない。支援を受けられずに燃料を買えない時は、プラスチックやナイロン製の服を燃料がわりにストーブに投げ入れて寒さをしのいでいる。
・支援がなければ子どもたちにコートを買うために家族の食料を売らなくてはいけない。
・新型コロナウイルス感染予防のための衛生用品さえ購入できない。

8000円で保温性の高いフリースの毛布が9人分、10000円で2か月の生活に必要な現金給付支援1家族分、15000円でストーブと専用ガス1家族分が支援できるそうで、1000円からの寄付を募っている。私のささやかな稼ぎでは、たくさんは無理だけれど、もう一人の家族にクリスマスプレゼントをするつもりで、カンパした。こんなことでシリア難民が増えるのは止めることはできないし、大海の一滴でしかないことはわかっているけれど、悲痛な声を聞いてしまったからには無視できない。カンパしていただける方は、UNHCRを検索してみてほしい。

幸せを分けっこするクリスマスにしましょう。

この地球の上で(近代化と持続可能な社会)

2020年11月

21年たってしまった。連れ合いのケンちゃんは元気だった頃、畑でアワ、キビ、ヒエ、高キビ、アマランサスなど雑穀を作っていた。その頃うちには中古で買った籾摺り機があり、それで、田んぼのお米を玄米にしたり白米にしていた。けれども、小さい粒の雑穀は、その籾摺り機ではできなくて、どうしていいのかわからずに大きな瓶に詰めたまま保管してあり、それが気がついたら、21年たっていたというわけ。

蓋を開けて驚いたことに、虫が一切ついていない。精米(精穀?)したものは、ひと夏の間に虫がつくのだけれど、殻がついていると「種」として生き延びることができるのだと感動した。しかし、いつまでもケンちゃんの形見として瓶詰めしていても仕方ないので、どうにか食べようと思った。

昔の人は臼と杵で搗いたようだ。それに代わるものをと考え、すり鉢とすりこ木でゴロゴロすってみる。手間はかかるが、なんとかなりそうで、ゴロゴロしては外に出てフーフーと息で殻を飛ばす。殻はきれいに取れなくても、お米と洗う時に浮いて流れていく。無事アワを食べることができた。諦めて捨てなくて本当によかった。

かつて山形県の山の中で、栃の実をたくさん拾ってきて栃餅を作ったことがある。「日本食生活全集・山形」(農文協)で調べたら、栃の実を石で割ると書いてあったので、縄文人みたいな気持ちになって石で割った。栃餅は、あく抜きが十分でなかったらしく苦いお餅になったけれど、楽しかった。前近代的と思えるような手仕事ってなんだか好きだ。

あるドキュメンタリー映画の話をしたい。

インドネシア・スマトラ島の西、小さなムンタワイ島の川上に住む人々は持続可能な暮らしをしていた。家は木とヤシの葉っぱで作り、服はふんどし1丁。食べ物はサゴヤシの木を倒し細かく砕いて水にさらす仕事を9日間すれば1家族が10か月間食べることができるという。あとは、木の実を採ったり、川魚を採り、狩りをする。

こんな夢のような暮らしをする彼らに会ったノルウェー人のオードゥンは、2年後に再びかの地を訪れる。が、そこで目にしたのは、便利な生活を求めてお金を稼ぎ、近代化しようとする人々だった。薬草と祈りで病気を治す呪医師のアマンは、手漕ぎボートではなく、モーター付きのボートを欲しがっていた。お世話になった返礼としてオードゥンはアマンにモーターを贈る。アマンは川を下り、海で漁をするようになる。絶滅危惧種のウミガメを捕らえ持ち帰って食べる。そこら辺には、お菓子のプラスチックの袋が散らばっている。町には店が増えている。除草剤ラウンドアップを、これさえ撒けば1日で除草ができると山の人に売りつける。山の人々は、モノを買うために町に働きに出る。オードゥンは、これじゃ「持続不能」じゃないかと嘆く。

2年後に再び訪れた時には、アマンは山から下りて新しい家を作っていた。オードゥンは、アマンをジャカルタに連れていく。高いビルが立ち並び、通勤に3時間かかる暮らし。ムンタワイの踊りは、観光客の見世物になっていた。アマンは、元の暮らしに戻る決意をする。ゼロから始めるという。

娘たちと、このネット配信のアジアン・ドキュメンタリーズ(1回の視聴495円)の「ニュートピア」を見た。「便利なものに囲まれている私たちが、あの人たちに近代化するなって言えない」「プラスチックが土に戻らないことも、ウミガメを人間たちが採り尽くして絶滅危惧種になっていることも知らないのだから、彼らに何もいうことはできない」「なんでも買え買えって資本主義だよね」「私たちは便利なものをたくさん作って、その害に今気がついている。アマンはこのことに、すぐ気がついて立派だ」などと、ごくまっとうな意見を述べ合う娘たちだった。

自給自足の持続可能な社会があったとしても、便利さを求める近代化の波からは逃れることができない。その持続可能な社会を、いわゆる先進国に住む私たちが理想として押し付けることはできない。生きて、考えて、自分で道を探るしかない。

アマンたちは、町の近くで、セメントのために削られ丸裸になった山を見た。あんなになってしまったら、山はもう元には戻せないと悲しそうなアマンの顔。山で暮らすと決めたアマン。近代化のために山から強制退去させられたり、アグラヤシプランテーションのために森が伐採されたり、アイヌの人々のように政府によってその文化が奪われたりしませんように。大きな力が、小さな個人や動物たちを押しつぶすことがないように、注視していくことは、ここにいてもできる。

持続可能な未来をは次の世代に渡せるように、自分の中に残る「アマン」を大切にしていきたい。

この地球の上で(STOP!石炭火力発電)

2020年9月

お彼岸近くなって、秋風が吹くようになった。あの暑~い夏も終わるかと思うとほっとする。ロサンゼルスで49.4℃だったとか、シベリアで38℃だったとか、埼玉県熊谷市では観測史上最高の41.1℃を記録したとかのニュースを読んだ。

COVID-19(コロナ)で死ぬより熱中症で死ぬかもしれないと、我が家でもついにエアコンを導入した。もう暑くてダメという時に、スイッチを入れていた。心配だった電気代が、それほど増えなくて安心した。ファンヒーター、コタツ、凍結防止ヒーターをを使う冬場の方が電気代がかかっている。

気温の上昇のほかに、地球温暖化は、スーパー台風や豪雨を起こしたり、作物の収量が減ることによる飢餓、海面上昇、生物多様性が奪われるなど、これから先も何がおこるかわからない。

気候危機に立ち向かうために、国連は二酸化炭素を2030年に30%削減、2050年に実質ゼロが必要であり、石炭火力発電所の新規建設禁止と、石炭火力の2030年までの廃止を求めている。早期の脱石炭を表明する国が相次いでいる中、日本は石炭火力の新規建設を進め、海外への新規建設を進めている。政府のエネルギー基本計画では、2030年に電源構成に占める石炭火力を26%と見込んでおり、2050年以降も石炭火力を維持することを想定している。石炭火力発電は日本の温室効果ガス排出量の約22%も占めていて、国連が求める2030年45%削減のためには、石炭火力発電の2030年廃止が必要だ。

二酸化炭素排出量は、中国、アメリカ、インド、ロシアに次いで日本は5番目に多い。「環境NGOが温暖化対策に後ろ向きな国に与える」化石賞が、毎年のように日本に付与されているなんて、恥ずかしすぎる。

中部電力は、愛知県碧南市に5基の石炭火力発電所を持つ。それで、グレタ・トゥーンベリさんたち若者が未来のための金曜日(Fridays For Future)として世界同時行動する9月25日に、<・2030年までに、石炭火力発電を廃止すること ・2030年までに、再生可能エネルギー50%以上をめざすこと ・原子力発電の稼働および再稼働は中止すること>を求める要望書を中部電力に手渡したいと思っている。

「私たちは若者から未来を借りている。だからこそ公的資金は若い世代ににとっての幸せやメリットを念頭に置かねばならない」とは、国連気候枠組条約・前事務局長クリスティアーナ・フィゲーレスさん。(お父さんは1948年コスタリカから軍隊を廃止したホセ・フィゲーレス)

長野県がグリーンボンドという債権を出すそうだ。グリーンボンドとは、自治体や企業が、調達資金の使途を環境改善効果のある事業に限定して発行する債券で、再生可能エネルギーとしては、小水力発電のみが対象となっている。これを機に、大企業ではなく地産地消の電気を生む新しい電力会社が生まれたらいいと思う。(ちなみに、長野県は2050年までに二酸化炭素排出量を実質ゼロを目標に掲げている)

原発もダメ、石炭火力発電もダメとなったら、電気はどうしたらいいのかと心配する方もいるだろうが、社会の在り方を根本的に見直すべき時ではないだろうか。たくさん物を作って壊れたら捨てるあり方から、必要なものを作り修理して使う社会へ。利益を得るために次々とものを売るのも限度がある。地球の資源だって有限なのに。家庭の断熱効果が上がるリフォームに政府がもっと補助金を出したっていい。小水力発電の壁になっているいる水利権の法律を使いやすいように改正したらいい。

うちの娘たちの会話「こんなに地球を痛めつける人間なんて滅びたほうがいいかもしれない」「それをどうしたらいいか考える力を持っているのも人間だよ」もっと考え、もっと話し合い、もっと声を上げ行動していこう。それしか未来への希望は見いだせないもの。地球温暖化を考える白馬高校の生徒たちが、教室に断熱材を入れて燃料削減効果の実証を始めたそうだ。

この地球の上で(コロナ後の世界)

2020年8月

町会の回覧板が回ってきた。今年は、子どもたちの青山様、ぼんぼんは中止。お盆のころ開かれる町会の夏祭りも中止。9月の敬老会も中止ということだ。「松本ぼんぼん」は中止だし、筑摩の花火大会も中止だし、セイジ・オザワ松本フェスティバルも中止だ。今年は、みんなで集まる行事は諦めるしかない。そして、今まで恒例行事として行われていたものが、本当に必要だったのか、考え直す機会になればいいと思う。

中止となった中でも一昨年から池田町のりんりん広場で開いていた「いのちと平和のフェスティバル」は、Zoomとユーチューブを駆使したオンラインイベントとして開かれた。いろんな団体が参加して作り上げたものだったけれど、画面共有や動画をうまく使いこなしているグループや、会場からそのまま配信しているグループなど、内容もさることながら出来栄えに差が出ているのは興味深かった。これからは、ネットをうまく使いこなすスキルが必要だ。この頃は会議もセミナーも、Zoomでの参加だ。全国規模の東京での2日間の会議に出るとなると交通費も宿泊費もかかるけれど、その費用がかからなくて自宅から参加できるのは嬉しかった。

年に一度くらいは、家族でどこかに行きたかったけれど、Go Toキャンペーンがあろうとなかろうと、今年は健康状態が心配な猫のポンちゃんがいるので、家族そろっての泊りがけのお出かけは諦めている。出かけなくても、ネットでつながることはできるし、うちの中のこまごました仕事も果てしなくあるから、不自由だと思わないな。

友人の娘さん(ほーほ)が、八丈島での福島の子どもたちの保養キャンプのお手伝いをしていて、その資金集めのために自分たちでデザインし、自分たちで印刷したTシャツとサコッシュ(斜め掛けするバッグ)、トートバッグをネット上で売っていた。娘は、ほーほデザインのTシャツを、私は、ほーほデザインのサコッシュを注文して先日届いたばかり。1個につき1000円の支援金が使われるということだが、保養キャンプに関われて、なんだか身に着けることが嬉しくなるような買い物だった。

オンライン連続セミナーは、「気候危機とコロナ危機 新しいシステムを求めて」全6回に参加した。

第1回は国立環境研究所の五箇公一さんの「新型コロナ災禍からわれわれが学ぶべきこと」―人間が生物多様性を破壊続けている限り、ウィルスは攻撃を続けるだろう。人間と野生動物のゾーニングを守り、グローバリゼーションから脱却して、地産地消・資源の再利用・農業林業の復興をしていこう― 

第2回スウェーデン緑の党国会議員団代表のジャーニン・アルム・エリクソンさん。

第3回大阪市立大学の斎藤幸平さん「ポスト資本主義とグリーンニューデール」お話を機に、対談集「未来への大分岐」(集英社新書)を読んだ。マイケル・ハートとの対談がおもしろかった。経済の脱炭素化を再分配やインフラ構築と結びつけたグリーンニューデールの提案は、経済成長が前提となる。が、チリのリチウム採取のように、 先進国におけるグリーン成長を可能にするために周辺では 限りある資源が、より一層激しく採掘・収奪されている。21世紀が自由・平等・連帯・持続可能の社会へと向かうために、私たち全員で共有する社会的な富<コモン>を、利潤を追求する資本主義にゆだねるのではなく惑星規模でケアする民主的な手段を見つけていこうということらしい。

第4回は生活困窮者問題に関わる藤田孝典さん「コロナ対策で露呈した雇用・生活保障の問題点」生活<保護>法は、生活<保障>法に変えればいいという言葉に「いいね」。

 第5回アムステルダム在住の岸本聡子さん「公正な税制とグリーンリカバリー」―ヨーロッパではミュニシパリストが大躍進している。ミュニシパリズムって、まだ聞きなれない言葉だが、利潤と市場の法則よりも市民を優先するために、市民が地域の政治に参加していくことらしい。水道という<コモン>が民営化されたことで、不利益を被った市民が、水道を再び公営化しているように、具体的には、社会的権利、公共財(コモンズ)の保護、フェミニズム、反汚職、格差や不平等の是正、民主主義を共通の価値として、市民の政治参加を尊重する。―トップダウンの変革ではなく、地域から変えていくことができるって希望だ。

なんとなく、私たちのめざすコロナ後の世界が見えてきた。

この地球の上で(猫の話)

2020年6月

今回も新型コロナウィルス(「コロナ」の名称で、被害を受けている個人・会社があるので、病名はCOVID-19、ウイルス名はSARS-CoV-2の正式名称を使ったほうがいいような気がする。でも言いにくいね。)関連のことを書こうと思ったけれど、飼い猫のポンちゃんの様子がおかしいので、今はこっちのほうが気になってしかたがない。

ポンちゃんがうちに来たのは、15年前のクリスマスの日。友人が子猫に赤いリボンをつけてジャスコの前で「もらってください」をやっていたら、こんなことをされては困ると追い出されて、うちに来た。前の家は古い家で、自由に出入りすることができたので、トイレも用意せず自由にさせて飼っていたけれど、引っ越してきた家は、そんな出入り口もなく飼うのをためらっていた。子どもたちに押し切られる形で、ポンちゃんはうちの子になった。ふわふわの長毛種の猫。あまりにも可愛いので「ノルウェージャン・フォレストキャット」に似ている、いや「ラグドール」ではないかと、私たちはいろいろ言い合ったけれど、動物病院に連れて行くと「これはミックスです」と一言。人が大好きで、誰にでもなつく子だ。

ある日、ポンちゃんが夜になっても帰ってこない。名前を呼ぶと返事をするのだが、どこにいるかわからない。どうやらお隣の家の2階から声が聞こえるような気がする。お隣に伺って2階に上がらせてもらうと、いました!それ以来、ポンちゃんは私がお隣の玄関に入って話をしていると、外で私が出てくるまで鳴き続けるようになった。「お母さん、そこは危険だよ、出てこれなくなるよ!」

家の南側は長いこと空き地だった。そこはポンちゃんのテリトリーで、よくよその猫が来ると追いまわしていた。たいていは負けて、おしりを咬まれていた。それがいつのまにか耳などを咬まれてくるようなった。弱い猫は逃げるから、後ろからおしりを咬まれる。耳をケガするようになったということは、ガチで他の猫と対面して闘ったということらしい。強くなったんだねぇ。でもケガをするたびに病院通いだ。

昨年の秋には、別の理由で病院へ。尋常ではない声で鳴いたり、座ったまま体が動かなくなったり。心臓に塊ができて貧血になったせいではないかという。腎臓も悪いらしい。

そうこうしているうちに、娘が猫を拾ってきた。がりがりに痩せて皮と骨ばかりの小さな猫。すり寄ってこられて放っておけなかったという。保護することに。プンちゃん(娘が、このまぎらわしい名前をつけた)は、一日中娘の部屋のファンヒーターの前に座っている。見にいくたびに、お肉はついたかなと触ってみるのが日課になった。少しずつ肉付きが良くなるとともに、動きが活発になり素早く物陰に隠れるようになった。しょうがない、野良ちゃんだったものね。もっと、人に馴らそうと(娘二人にはなついていたので、正確には私にもならそうと)娘の部屋から出すことにした。すると、ポンちゃんが嫌がって、ポンちゃんの外出が多くなった。相性が悪いらしい。動物病院の先生は何匹も飼っているけれど相性が悪いので、猫たちは一階、二階、三階と別れて住んでいるといっていた。

またまたそうこうするうちにポンちゃんがご飯を食べなくなった。15歳のポンちゃんとのお別れの日も遠くないと、覚悟している。子どもたちには、私の最後には延命治療などしなくていいと伝えてあるけど、子どもたち、「ポンちゃんの意思は確認できないから、私たちができることはしてあげたい、検査代治療代も自分たちが出す」というので、病院に連れていった。前に心臓が悪いといわれたけれど、こっちは大丈夫そう。腎臓は悪いし、おなかに黒い影もあった。水は何とか飲んでいるけれど、一切自分から食べようとしないので、チュール(液体状のご飯)を指に付けて、少しずつ無理矢理口に入れてあげた。その後、病院で教わったとおり家で皮下点滴をするようになったら、食欲が少し回復してきたので、今は一日でも長く一緒にいたいと思う。

犬でも猫でもカブトムシでも、どうして人間は他の生き物を飼いたがるのだろう。生き物としての共感や、命を育てる喜びがあるからからだろうか。実際に会うことのできない地球上の困っている人々への共感も、少し想像力を働かせばできると信じたいな。

この地球の上で(外出自粛の中で)

2020年5月

外出自粛が続いている。昨年のゴールデンウィークは何をしていたのだろうと思い出してみる。前半は姪の家族と一緒に能登島でキャンプをし、後半は友人や家族と自宅の庭で焼き肉をして、翌日はみんなで弘法山でヨモギ摘みをしてヨモギ餅を作ったっけ。

今年は、みんなで集まることもできず、私は一人で弘法山北側斜面で、ヨモギを摘んだ。今までひどくなかった花粉症が、この日はひどくて気持ちがめげ、作るのは翌日に持ち越したのだったけれど、娘たちは二人ともこの日は仕事で、結局作るのも一人だった。お餅は一人がちぎり、一人があんこを包むという手順がベスト。(お餅を搗いたのは機械。)たいへんだったけれど、どうやら、たいへんなのが好きみたいで、上新粉のヨモギ団子まで作ってしまった。

うちに居ても、やることはたくさんある。

まずは、マスク作り。

マスクは、かかっている人が他人に移さないためにするもの、と前回書いたけれど無症状の感染者が時間の経過とともに増えているので、多くの人がつけるようになった。マスクをする習慣のない欧米でもつける人が増え、せきなどの症状のない人に対し、「いかなる種類のマスクの利用も推奨しない」などとする手引をまとめていたWHOも4月に「一定の効果がある」と指針の内容を変更した。

ネットで見つけた型紙で作った立体マスクは、少し小さめ。MGプレスに載っていた型紙は大きめ。信毎に載っていた型紙がちょうどいい大きさだと思った。プリーツ式を娘が作っていたので、教えてもらってこれも作る。いろいろ作ってみて、間に不織布を挟むポケットタイプに落ち着き、これが最終形。

そうこうしているうちに、市中にはマスクが出回り始めた。最近、ネオパーク1Fの低価格の衣類を扱うお店で置いているのを見た。ガーゼやゴム紐など材料もあった。政府のマスクが届く前に、独自に仕入れたマスクの寄付があちこちで行われている。こうなると、ちっとも送られてこない政府のマスクは、もう必要ない。すでに届いたところでは、汚れや異物が入っていたという話だし、マスク配布の予算がスカイツリー建設費400億円より多い466億円!これだけのお金があったら、医療関係者のマスクや防護服に回してもらいたかった。(その後、予算は90億円に収まると発表)

部屋を片付けていると、後でやろうと置いたままにしている事々も発見して、退屈はしない。作りかけのパッチワークのバッグ、エコバッグを作るつもりでほどいたままの傘の布、繕わなくっちゃいけないダウンコート、エプロン、バンダナ、靴下、モンペ。ネットで見られる映画や朗読劇もたくさんあるし、本を読む暇もない。ふだんから台所にこもるのが好きだし、私は引きこもりが好きかもしれない。SNS、電話、手紙を使えば孤立することはないし、お店でぱったり合った友人との出会いがいとおしく思える。

私の家族は今まで通りの仕事と休みであったけれど、休業や休校で影響を受けた方々のことが気にかかる。「自粛と補償はセット」がしっかり実行されますように。

ポスト・コロナーコロナ後の世界も考える。世界の枠組みは変わらざるをえないだろう。企業は、利潤追求のためサプライチェーンを海外に依存していた。これからは、国内生産を増やす方向に進まざるを得ないではないだろうか。自立した地域分散型の、人々の暮らしに必要なものを生産してお金が回っていく仕組みへと経済が変わっていってほしい。経済活動のために森林伐採が進み、森に住むコウモリが人間の生活環境に入って来たことが、感染症を拡大しているという説もある。

食料生産も、グローバル企業の思いのままにさせるのでなく、自給率を高めていってほしい。なのに、政府は今、種苗法を改定して農民が自らが種子を採取する権利を著しく制限しようとしている。高額な品種登録料を払うことができる特定の民間企業だけが、種子の未来を握りしめていくことになりかねないこの改定は、在来種を奪い、多様性が失われ、農家や消費者の選択肢も制限するもの。気候変動による食糧不足も心配され、コロナ対策に力を入れるべき時に、政府は何をやっているのだろう。

引きこもっていても、することや考えることは、たくさんある。

この地球の上で(新型コロナウィルスの終息を願って2)

2020年3月

前回、新型コロナウィルスの終息を願って書いたのだけれど、終息どころか、今はEU、イラン、アメリカなどに広がり、感染者のいない国などないのではないだろうか。

WHOテドロス事務局長は「検査、検査、検査」といっているが、日本の検査数は極端に少ない。みんなが病院に行くと医療崩壊するという意見もあるので、何が本当にいいのだろうかと考えてしまう。もっと医療体制を整え、仕事を安心して休める体制を作り、検査をする、というのがベストだと思うけど、現実には難しそう。あっ、ちょっと待って。日本の10倍の検査を実施している韓国では医療崩壊が起きていない。今月2日からの軽症者を病院以外の施設で隔離する「生活治療センター」の大規模な運用で、重症者を治療する病床を確保しているため医療崩壊を防ぎ、致死率1.2%と日本より低くなっている。入所者には衛生キット、下着、マスク、洗面道具なの生活必要物資が提供され、食事も無料とのこと。大手のサムスンなどが社員用の施設を提供しているとのこと。これだと、家族に感染させなくて済む。

ウィルスって、不思議だ。生物ではない。脂質膜に囲まれた遺伝子(DNAかRNA)の水平移動のための粒子。単独では増殖できないので、他の 生物の細胞の中に侵入して増殖する。ウィルスについてもっと知りたいねと娘と話していて彼女が見つけた朝長啓造さん(京都大学ウィルス学)の講演録「ウィルス化石が語る生命の進化」がおもしろかった。

ウィルスといえば「悪者」のイメージがあるのだけれど、共生したり、生命進化に関係しているウィルスがいるとのことだ。細菌に感染するバクテリアファージは、有害な細菌を殺すことで、宿主の免疫の一部のような働きをしているらしいし、妊娠を維持するために母体側と胎児側の胎盤がしっかり結合する必要があるのだが、そこに必要なシンシチというたんぱく質が2500万年前の感染で獲得されたレトロウィルスによるものだとか。わたしたちのゲノムの中には過去感染したウィルスの記憶がたくさん眠っているといると聞くと、私たちにとっての「悪者」もいるだろうが、なんだか親近感がわいてしまう。(講演録はネット上で公開されています)

いつまで続くかわかない状況の中でも、ほっこりする話があった。

★何かできることはないかと考えた中学1年生の女の子が、一度も使わないで貯めたお年玉8万円で材料を買って、マスク600枚を手作りして、お年寄りや子どもためにに使ってくださいと山梨県庁に届けたという。

★急な休校で給食がなくなった子どもたちに、お昼のお弁当を無料で配ってくれる飲食店が現れる。

★オーストラリアではスーパーで物の奪い合いという事態に、開店前の時間を高齢者専用にしてゆっくり買い物をしてもらったという。

★イタリアでは、外出禁止の中、それぞれが同じ時間にベランダに出て同じ歌を歌ってつながり合っている。

★ロンドンのカーン市長は、「われわれは、すべての人、特に毎晩首都の路上で野宿をしている市民の健康を守るために、できる限りのことをしなければならない」と述べ、路上生活者らは、インターコンチネンタル・ホテル・グループ系列のホテル2か所に収容され、ボランティアを申し出た黒塗りタクシーの運転手らによって、宿泊先に移送されるという。
 
かと思えば、病院の待合室でぜんそくの咳をしたら「離れろ!検査をしろ」と、どなられたという投稿が新聞に載っていた。かと思えば、花粉症の娘がバイト先の飲食店でマスクをしていたら、「何でマスクをしているの?マスクは具合の悪い人がするもんだよ」と言われたそうだ。「花粉症です」のバッチが売られているそうなので、同じく花粉症の私「それを付けようかな」娘たち「そんなことをしなくっちゃいけない社会なんてイヤだ!」ごもっとも。

そして、感染させないためのマスク、感染しないための石けんでの手洗いではあるけれど、世界の人口の40%に当たる30億人の人々が自宅で手洗いできない環境にあることを、覚えておこう。もし、本気で地球規模でウィルスの感染を防止しようとするのであれば、これらの人々が、きれいな水を自宅で使えるように国際社会は力を出しあうべきではないかと思う。自国のことだけ守っていても自国を守ることはできない。

スターウォーズ最終回で、「フォース」とは、共に生きる力であると、明かされた。共に生きん!

この地球の上で(新型コロナウィルスの終息を願って)

2020年2月

2月に入ったばかりのある日、猫のご飯を買いに近くの量販店に行った。興味本位でマスクコーナーを覗いてみたら、見事に棚は空っぽ。やはり、こうきたか。

前にも書いたが、2011年の地震の直後、石巻に支援に行く友人たちのために、水と乾電池を買いに行った時もこうだった。(被災地にボランティアに行く人は、自前で食料、水、乾電池、テント、寝袋などを用意していく)アレルギー性鼻炎や、風邪やインフルエンザにかかっている人など、今マスクを本当に必要としている人が困ると思った。市価の10倍の値段でネット上で転売している人がいることを知って、モラルのなさに開いた口がふさがらなかった。必要なものが必要とする人の手に渡るように、日頃から電池・保存のきく食料・水・マスク・ホカロン・カセットボンベの類は備蓄しておこう。

マスクは、ウィルスの場合、予防というより、咳・しゃみが出る人がつけて飛沫を飛さないようにするため、周りの人に移さないようにするためと考えたほうがいいみたいだ。なにより大事なことは、人混みから帰ってきた時の丁寧な手洗い。指の間、親指の付け根、手首、爪先を洗うやり方はTVで繰り返し見たので覚えた。それからマスクをしていない時に咳が出たら、ティッシュやハンカチで口を覆うこと。手で覆うののは×。咳が出るときに意識してやっていると、習慣になる。そして、免疫力を高めておくこと。体温が1℃下がると免疫力が30%下がるという。体を温めるものを食べ、飲む。歩くときは大股歩きを心掛ける。小腸が免疫細胞を教育していると最近分かったらしいので(NHKスペシャル「人体」)お腹を温める。おへその下の「丹田」は昔から大切なツボ。

マスクがなくても、できることはたくさんある。これらは、風邪やインフルエンザにも有用なので、ケガの功名といったところかも。
 なるべく出歩かないようにしているので、家の中での手仕事が多くなった。ダーニングマッシュルームを手に入れた。靴下の繕い物に昔は電球を使っていたという。これは、繕い物用に作られた木製のきのこ。かかとの穴をせっせと赤・青・緑といったカラフルな糸(刺し子用の糸を使っている)でダーニングして、何やら楽し気な靴下に生まれ変わらせている。

環境や平和のためのイベントで所属するグループの会員が作ったリンゴジュースを販売する際に脱プラとしてジュート麻を結んで作った網状の袋を一緒に販売したいと作り始めた。1個作るのに2時間以上かかっているので最低賃金で計算すると1個が1700円になってしまう。200円くらいで売りたいので、これはもう手間賃は度外視で。

蜜ろうラップも作った。木綿の布に蜜ろうを染み込ませたものは、何度でも繰り返し使える脱プラのラップ。アイロンとクッキングシートがあれば誰でもできる。(たくさん蜜ろうを買いすぎたので、希望する方に実費100g370円でお分けします。大きさにもよりますが20枚くらいはできると思う。マダガスカル島原産・未漂白・未脱臭・粒タイプ)

次は、ネットで見つけた作り方を参考にマスクを手作りしてみたい。

どうか、一日も早くこの事態が終息しますように。一番たいへんな目に合っている中国・武漢の人々などに、早く日常生活が戻ってきますように。

それから、今回の新型コロナウィルスに便乗して、緊急事態条項を憲法に新設する声があることに反対したい。政府が、国会での審議なしに、法律と同じ効力を持つ政令を制定して国民の権利を制限できるというのが緊急事態条項。ナチスのような全体主義に道を開くことも可能だ。個別の現行法か、改正で十分対処できる。

人は未知のものを恐れるが、正しい情報を得て正しく恐れたい。ただしこれには、当局が正しい情報を出すことや、私たちがメディアリテラシ―を持つことが前提だ。

この地球の上で(考えて 地球のためにできること)

2020年1月

新しい年を迎えた。

元旦の朝は、娘たちがゆっくり寝ているので、いつも通りに目の覚める私は手持無沙汰。なので例年、恒例となった新聞のクロスワードを解いて時間を潰す。今年の答えは「カンガエテチキュウノタメニデキルコト」(考えて地球のためにできること)。でも、毎年応募しても全然当たらないので、今年はもう応募するのはやめた。

夜のNHKの番組では、気候危機、SGDs、遺伝子組み換え、AIを考える特集を放映。今年1年取り組むべき課題を元日早々にやってくれたことに、少し驚いた。気候危機については、昨年何度か書いた。多くの人にとっても、実際に大型台風による堤防決壊などの被害が出ているので、身近な問題になっているかもしれない。ただ実際は、日本はCO2を排出する石炭火力発電所の建設が相次いでいる上に(石炭火力発電所新設ウォッチ、というサイトがあるのでご参照ください)、途上国に輸出までしている。

先進国がたくさんエネルギーを使うことで、海水面が上がり住むところを奪われる人々がうまれる。

アマゾンでもオーストラリアでも大規模火災が発生している。この場合、被害を受けるのは人間ばかりでない。オーストラリアの年末からの火事では、科学者の声明でコアラをはじめとする4億8千万の動物が死亡したという。北極で、太陽光を反射していた氷が溶けると、海水温が上がる。ツンドラの永久凍土が溶けると、CO2より温室効果の高いメタンガスが放出されてしまう。

すぐにでも温暖化を止めないと、負のスパイラルで、温暖化が加速されていく。雨の多く降る所ができると同時に、雨が少ない所も生まれる。中村哲さんがアフガニスタンで、医師でありながら水路を作った地域は、かつては緑豊かであった場所。それが雨が少なくなって、カラカラの土地になってしまった。これも気候変動によるものだ。

地球のためにできることを考えてみる。

放射能を生む原発も、温室効果ガスを出す石炭発電もだめ。再生可能エネルギー(自然エネルギー)に移行するしかないけれど、メガソーラーや大型風力発電所は環境破壊になるからだめ。

では、どうするか?元旦の新聞に「排出ゼロ社会イメージ」が図として載っていた。うちでは、予算がないから無理だが、断熱材やペアグラス・二重サッシの家にするとか、昼間ソーラーで発電した電気は蓄電池で蓄えるとかを予算を取れる方にはお願いしたい。

川の多い長野県では、小水力発電をもっと増やせないものだろうか、と検索したら、さすが「気候非常事態宣言」を出した長野県、県のHPには、地域密着型小水力発電事業の進め方とか、農業用水を利用した小水力発電とか、一村一自然エネルギープロジェクトなどなどが見つかった。

さぁ、もう一声。社会全体で、エネルギー消費を減らせばいい。使い捨て経済から循環する経済へ。壊れたものは、修理して使えるように(特に電化製品を20年30年使えるようにしてほしい)、使い捨てプラスチックはやめて繰り返し使える製品へなどと企業に要求するとともに、私たちのライフスタイルも変わる時だ。

最近、繕い方でダーニングという手法を知った。穴の開いた衣類に糸を織物のようにかけて繕うのだけれど、あえてカラフルな糸を使い、とってもおしゃれ。こんな手仕事をする時間を持つのが、今年の一つの目標でもあるし、地球のためにできること。

Author

Yakko