Yakkoのページ  2013年

この地球の上で&四季の台所

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この地球の上で(レイテ島でかつてあったことなど)(2013年11月)
 土日の2日間のお休みが、めずらしく何も入っていなかった。一日目、午前中まずは洗濯と掃除をして、窓拭きまでしてしまった。紅玉を縦に薄く切って糸で窓辺に吊るした。きれいになったガラス戸と合って、なかなかよい。干しリンゴになるわけなので、だんだん食べて減ってしまうかもしれないけど、そうしたら又作ればいい。12月に入ったらキラキラの星も足してクリスマス・オーナメントにしよう。午後は、おやおやのお客さんのIさんが松本芸術祭に出品した絵が入選したと教えてくれたので、美術館に行く。それから東京から松本に移転してきた出版社・木犀社のブック・フェアを丸善で開催中(11月末まで)なので、覗きに行く。
 Iさんの絵は、鬱蒼とした鎮守の森をバックに白木造りの仁科神宮がたたずむ静謐な雰囲気の絵だった。入賞おめでとう♡
 木犀社はアジアの歴史、文化、小説やジェンダー関係の本が多い。本をネットで購入することもあるけれど、実際に手にとって、活字や装丁、内容を確かめながら選べるのは本屋さんならではのこと。この日は「もうひとつのレイテ戦-日本軍に捕らえられた少女の日記」を買う。
 先の台風30号で甚大な被害にあったフィリピン・レイテ島は、第2次世界大戦末期「レイテ戦」と呼ばれる日米の激しい戦闘があった場所でもある。作者のレメディアス・フェリアスさんは、14歳の時日本軍が村に進駐して来て捕らえられ、性暴力をふるわれ「慰安婦」にさせられた。1993年「慰安婦」であったことを公的に名乗り出て、日本政府に対して公的謝罪と個人補償を求める運動に加わった。「もうひとつのレイテ戦」(日本語訳と英語訳が併記されたこの本の英語のタイトルはThe hidden Battle of Leyte隠されたレイテ戦)は、その時の体験を絵にした証言であり、レイテ島の田畑の耕作に欠かせない水牛がレイテ戦の後半減したことを知って、水牛を配る農村支援プロジェクトを立ち上げた竹見智恵子さんによって紹介された本である。
 1991年韓国のキム・ハクスン(金学順)さんが日本軍の「慰安婦」であったことを名乗り出たことから、日本が軍事的に侵攻したアジア太平洋の被害者たちが次々と名乗り始めた。フィリピンでも1992年にタクス・フォース(真相調査チーム)が結成され、被害者たちが沈黙を破って名乗り出て、尊厳回復のための闘いを始めたのだった。戦争犯罪の加害者は、自らの罪を闇に葬り去ろうとする。勇気を出して被害者が声を上げない限りは。 
 戦争がいけないのは、すべての人(敵も味方も)の人権を踏みにじるからだ。平和に生きる権利、働く権利、学ぶ権利、知る権利、表現する権利、思想・信条・宗教の自由を侵されない権利、尊厳を持って生きる権利、、、あらゆる基本的人権を。
 翌日は台所にこもって、クグロフ型のケーキやピタパンを焼いたり、間引き菜をちょうだとおねだりしたら、太い根つきで届けられた大根の葉を桜エビと炒め煮にしたり、カリンの砂糖漬を作ったり。本当は、学習会やデモや会議に行くよりも一日中台所で何か作っていたり、お針仕事をしていたい。でも、未曾有の原発事故に立ち合い、憲法を変えて戦争への道を開こうとする動きのあるこの時代に生まれた巡り合わせ。自らの運命に自ら関わって決めて行くために、また来週からは、あちこちに顔を出そう。政権がかってに秘密事項を決め(私たちには何が秘密であるか知らされない)、私たち国民のものである情報を隠すという民主主義とは相いれない「特定秘密保護法」が通されようとしていることや、福島原発4号機の燃料棒取り出し作業が事故を起こすことなく進むかどうかや、来年早々に伊方原発が再稼働されるかどうかなど、気がかりなことばかりだ。

この地球の上で(懐かしい未来)(2013年10月)
 前号で佐々木さんが紹介してくれた、30年間上関原発に反対している祝島にIターンして住む芳川太佳子さんを囲んで、島の新米とビワ茶をいただきながら話を聞く会に参加した。海の幸山の幸豊かな祝島で、その豊かさを島の人々に分けてもらいながらの暮らしを語ってくれた。太佳子さんは、エネルギーをたくさん使う今の暮らしに対して「懐かしい未来」を作ろうと提案する。
 太佳子さんの話を聞きながら、20代前半の頃を思い出していた。高度経済成長の社会の中で公害が生まれ、有吉佐和子さんが食品添加物や農薬を警告する「複合汚染」を新聞に連載していた。社会に対して批判する学生運動が起こり、体制からドロップアウトする若い人々が現れた時代だった。本当の生き方って何?と模索する時代だった。何でも自分で作れるよ!と作り方が書かれたアリシア・ベイ・ローレルの手書きの本「地球の上に生きる」が出版されたのもその頃。自分で作るってなんて楽しそうと、わくわくした。人々はお金で買う便利さと引き換えに作る楽しさを手放してしまい、売らんがための商品や生産が、いのちを脅かしていることに気づいてしまった。
 合成洗剤を石けんに変え、できたばかりの日本有機農業研究会に入り、ついには家族で畑をするために、自由に使ってよいと開放された伊豆の山中での開墾を始めた。TVも電話も車もお風呂もない暮らし。(お風呂は片道30分歩いて海岸の温泉露天風呂に行った)薪ストーブでご飯を作り、木の倒し方や薪の割り方を覚え、種をまき、ニワトリやヤギも飼った。岩にへばりつくカメノテはおいしい出汁が出ることを知ったし、アシタバは家の周りに野草として生え、裏の竹林からはタケノコがとれた。自分で選びとり、自分で作る暮らしは、何をしても楽しかった。2年近くのちに、父が亡くなり母の世話をするために実家の隣に住むことになり、松本に。再び街の生活が始まる。
 二度目の結婚で一緒になった人は、自然を傷つけないという点において、私の上をいく人だった。山の中で、生後1か月の子と、kenが木とカヤだけで作ったチセ(アイヌの家)で暮らしたこともある。電気もガスもない生活でも、チセの真ん中では火が私たちを見守ってくれた。そして、その薪は倒木だけを拾ってきて燃やすのがkenのやり方。飲料水とおむつを洗う水はキャンプ場の水道を使わせてもらった。
 その後、田んぼと畑を借りて、お米は100%自給。自然農でも有り余るほどの恵みは、自ずと保存や加工の手作りへと導く。大豆は味噌以外には、海水から塩作りをしている友人を訪ねた時にもらったニガリを使ってお豆腐となった。黒豆からはグレーのお豆腐、青大豆からは、うす緑のお豆腐も作った。
 でも、こんな暮らしも彼が病気で亡くなってからはおしまい。時には火を焚き、土を耕す(自然農はあまり土を耕さないのだけれど)エネルギー消費の少ない暮らしから又離れてしまった。小3と就学前の子どもを育てるために、私は生活費を稼がなくてはいけないし、車を運転しないので、田んぼや畑には通えない。電気にしても、私が家を空けている間に子どもたちが火傷をしないように、ファンヒーターに取り替えたので、使用量が増えてしまう。
 ひとりの人生でも、こんな風にいろいろあるのだから、それぞれの事情に応じて、10人いたら50通り以上のやり方があるだろう。誰かの犠牲の上に成り立つ暮らしをやめて分かち合いの暮らしをしたいという想いを抱いていれば、それぞれが出会う一つ一つを大切にしていけば、「懐かしい未来」に辿りつけるかもしれない。街暮らしの中でも、捨てる前にリメイクしたり譲ったり、買う時には心ある生産物を買ったり(何を買うかで、どんなやり方を支持しているかを毎回投票していることになる)、ちょっと空き地があれば種を蒔いたりを、わくわくしながらやっていこう。
 <蛇足―狩猟生活をしていて、獲物を平等に分け合っているアフリカの部族の人々の社会では鬱病がないらしい。「朝起きるだけでしあわせだ」と云う暮らし。(10/20放映・NHKスペシャル)ここでもキーワードは奪い合いではなく「分かち合い」。>

この地球の上で(捨てられないもの・捨ててはいけないもの)(2013年9月)
 9月16日、台風18号は夏を引き連れて去っていった。後には、さわやかな秋の空が広がった。お彼岸には、彼岸花(曼珠沙華)が咲き、秋明菊も咲き始めた。今年も季節が正しく巡っていくことに安堵する。
 暑すぎて夏の間、手を付けられなかった片つけものを始める。まずは衣装持ちの上の娘の部屋に入りきらない服をしまう場所を作るために、物入れの片つけ。木箱に入れっぱなしの古いバスタオルやシーツを整理する。前に毛布の衿布として使っていたバスタオルが捨てられずに、何枚もたまっている。高校生のころまで、おばあちゃんが私の衿布を縫い付けている姿が、嬉しくって、ありがたかった。私も真似をして家族の衿布を縫い付けたものだったが、アクリルの毛布にしてからは洗濯機でいつでも丸洗いできるので、このところは付けてはいない。色がきれいでサイズの合う2枚の縁をかがってバスマットにした。古いバスマットは解体して、小さく切り、食器やフライパンの汚れ落とし布にした。少しは水を汚さなくてすむかもしれないので。残りのバスタオルと古シーツ・カバーは、捨てられず他の物入れに移動。
 この物入れの前の廊下には、これまた捨てられないで、貯まったビニル袋がある。レジ袋は畳んでしまえる専用の袋を作ってあるので、そこに収納するが、ここにあるのは服を買うと入れてくれる袋など。物入れの前の廊下の上に突っぱり棒の棚を作り、そこに置くことにした。大・中・小、持ち手付き、紐付き等に分類して置いてみたけれど、活用できるかは、はなはだ不明。でも捨てられないのだから、しょうがない。床の上からなくなり、物入れにトイレットペーパーやティッシュペーパーのストックを取りに行く時に、物をまたいでいかなくてよくなり、快適至極。
 まだある。下の娘がもう着ないと出してきた服。まだ着れるものをどうしても資源ごみに出せない。私が着れそうなものは着るとしても、大半は可愛らしすぎて無理。今年はフリマに出る元気がなかったので、どなたか引き取ってくれないかしら。(中学生から高校生もので普通サイズです)古い新聞の切り抜きや主催した講演会や上映会のチラシや資料、亡夫の集めたカセットテープ。。。。。。
 しかし世の中には、いらないからといっても捨ててはいけない、貯める必要のあるものがある。福島原発の放射能汚染水だ。放射能は、けしてこれ以上環境に出してはいけないものなのに、配管から、あちこちひび割れている建屋から、貯蔵タンクから、ひたすら漏れ続けている。IOC総会で首相の「状況はコントロールされている」という発言に、東電は「コントロールされていない」と発言した。後者の方が正しいはずだ。470億円の国費を投じ、土を凍らせて壁を作るという地下水流入を防ぐ凍土壁の設置と放射性物質を取り除く設備の設置をするというが、成功するかはまだ分からないし、完成するのも数年先なので、その間ひたすら海に流れる(捨てる)ことになる。
 この放射能汚染水に比べたら、家の中で増えていく本や服やビニル袋なんて、かわいいものに思えてくるよ。

この地球の上で(夏休みに読んだソマリランドの謎)(2013年8月)
 時折、雨が降って涼しくなることもあるけれど、暑い、暑い夏だった。昨年はお彼岸ころまで暑かったような気がするけれど、今年はどうだろうか。。。。
 今年のおやおおやの夏休みは6日間。下の子は学生なので当然夏休み。お休みの一番いところは、しなくっちゃいけないことが少なくなること。朝、お弁当を用意し、朝ご飯を作り夕飯の下ごしらえをしながら、子どもたちに「朝だよ!」と声をかける、これらから解放されるだけで、お休みってすごくいい。
 ついでに暑いのにかまけて、なるべく何もしないようにと思ったけれど、振り返るとカーテンを洗い、家の前の草取りをし、奈良漬けを漬けて、フローズンヨーグルトやスコーンやみつ豆を作り、ピザなんか焼いてしまった。どうやら人間、何もしないというわけにはいかないらしい。
 読書は、軽いものをと久しぶりに岩波少年文庫のローラ・インガルス「長い冬」「大草原の小さな町」「この楽しき日々」「はじめの4年間」を読んだ。厳しい開拓生活の中での思いやりにあふれた家族の物語は、何時読んでも心が温まってくる。図書館からはリクエストしてあった「謎の独立国家ソマリランド」(高野秀行・本の雑誌社)を借りることができた。これは期限付きなので、休み中に読むことにした。
 「謎の独立国家ソマリランド」は、内戦が続き海賊行為でも有名なソマリアで、武装解除をして「独立」(「」付きなのは、国際的には承認されていないから。しかしながら国境を持ち、独自の通貨も持つ)した地域があるということに興味を持ったからだ。どうしてそんなことができるのか?それは、こういうことだった。
 ソマリアは、旧イギリス領の北部ソマリランド、東部のブントランド、旧イタリア領の南部ソマリアから成る。旧イタリア領では、統治の力が強くて氏族社会が壊れたのに対し、ソマリランドでは残っているそうだ。氏族制度は国家が生まれる以前の社会の単位とされる。日本でも徳川幕府が生まれる前は、氏族と氏族による権力争いの戦いが繰り広げられた。ソマリアは、第2次世界大戦後の1960年、ソマリア共和国として独立するわけだが、氏族間の戦いが続く。しかし、ソマリランドでは1993年、もう戦いは止めようと氏族の代表150名の他、オブザーバーとして知識人や海外移住者など総勢2000人が参加して3ヶ月間、木陰にゴザを敷いて、ひたすら話し合い、武装解除を決めた。アイヌの人たちが争いを避けるために徹底的に話し合うことを「チャランケ」と言うが、同じようなものではないだろうか。その後、また戦いはあったものの、また話し合い、今では選出された大統領、憲法、議会(3党だけと決められ、まず、その3党を選ぶ選挙がある)、グルティ(氏族比例代表制の参議院のようなもの。議会で決まった法案をチェックし、ピース・キーパーとして紛争の調停をする)を持つ、著者いうところのハイパー民主主義国家となっている。
 同じイスラム圏のエジプトでは、独裁政権からの民主化を求めた「アラブの春」から、選挙で選ばれた政権が軍事クーデターで倒されるという「アラブの秋」になったことを目のあたりにする今、無血のソマリランドの民主化はすごいことのように思える。そして、戦争を放棄した憲法を持ちながら武力を持つ日本と同様に、氏族は武装解除したものの国としては武装解除をしていないので国家としての戦争が将来ないといえるのか、氏族社会を基調とする社会の中で個人の人権は尊重されているのかと、ますます、ソマリランドに対する謎は深まってしまった。
 あまりにも簡単すぎる本の紹介なので、興味を持たれた方は読んでみてください。これからは、読書の秋が控えていることですしね。

この地球の上で(参議院選)(2013年7月)
 暑い夏が半分終わった。
 参議院選、選挙運動を始めてやった。オーガニックな暮らし、放射能を生み出す原発が0の社会、遺伝子組み換え食品が表示義務もなく食卓に上ることを許す社会や地球の資源を喰いつくし、ひたすら経済成長をめざす社会のありようからの方向転換、誰もが差別されずに置き去りにされない社会、武力によらない他の国々との付きあい方、世界中の緑の人々との連携―これらにすべてマッチングするのは「緑の党グリーンズ・ジャパン」。
 暑い中チラシのポスティングをした。うちの近くの住宅地は、一戸建てか2階建てのアパートがほとんど。ひたすら歩いてのポスティングは暑くて疲れて、後半は階段を登るのも嫌になって2階はパスしてしまう。外に立てるポスター貼り。ポスターの裏に両面テープを貼って、剥がして、ベニヤに貼る。簡単そうだけれど、全県分1,000枚ともなると、平均3人がかりで丸3日もかかり、貼って剥がして貼るのがこんなにたいへんだとは思わなかった。(この看板を前後に取り付けて500本の杭を打ち込んだ男の人たちもたいへんだったと思う)立候補者の街頭演説に合わせてのちらし配り。こんなことがあった。年配の女性が話しかけてきたが、どうやらお怒りのようす。「政治家なんて選挙の時だけぺこぺこ頭を下げるだけじゃないか。復興だってちっとも進んでいないし。」私「緑の党にはまだ政治家はいません。市民が立ち上げました。原発事故の被災者もいるし、今話している彼女は、ご自身が、お父さんが自死した遺族で自死遺族の相談にのっている人なの。」女性「這い上がってきたんだね。えらい。私は48歳の時に先立たれて、障がいのある娘を育ててきた」私「私も48歳の時に先立たれて母子家庭なの」女性「決意さえあれば何だってできるよ、頑張って」と最後には励まされてしまった。無表情に通り過ぎて行く人が多い中、怒りでも、共感でも、自分を表してくれる人とはコミュニケーションが取りやすい。
 選挙ハガキは150枚書いた。おっと、今回はネットでの選挙運動が解禁となり、パソコンに向かう時間も多くなった。メールはダメだけれど、フェイスブックやツイッターはOK。登録した知り合いの間でしか情報が回らないような気がするが、しないよりはいい。しかし今回の選挙、新聞やTVのマスメディアにしか接しない人々と自分たちのツールとしてネットを活用している人々の間に大きな情報の差ができてしまったように思う。私のネット上の周りでは、あっという間に緑の党・三宅洋平に共感が広がっていった。短パンとオーガニックTシャツで政治を自分のものとして自分の言葉で話す姿勢と芯の通った考えと熱意がネット動画として配信され、20代から60代の幅広い人々に、支持が広がっていった。結果17万6,970票。でも、緑の党の得票数が少なくて、当選した社民党の又市さんやみんなの党の川田さんや渡辺さんよりも多かったにも関わらず、彼は当選できなかったんだ。マスメディアは比例区については既成政党しか取り上げず、各党政策一覧表に「緑の党」を最後まで載せることはなかった。報道として、人々の「知る権利」を守らなくてもいいの?!とにかく、ネットをやらない人々には緑の党がどんな党かが伝わらなかっただろう。似たような名前の「みどりの風」もあったことだし。
 企業献金は一切なく、すべてなけなしの市民のお金で集めた5700万円の供託金が無駄になったことは悲しいし、改憲を進め原発を再稼働しTPPに参加しようとしている与党が過半数を得たこと(とはいえ有権者2人に1人の投票での過半数、全有権者の約1/4でしないことを肝に銘じてほしい)は悔しいけれど、緑の種は蒔かれた。あきめずに育て続けていこう。

この地球の上で(近づく参議院選)(2013年6月)
 参議院選が近づいている。
 国民の多数派の意思によって行われている政治でも、多数派が間違ったり、暴走することがある。そのため憲法ではたとえ多数派でも「やってはいけないこと」を規定し、簡単に憲法が改正できないようにハードルを高くしている。が、今そのためのハードル憲法96条をまず変えて憲法を変えやすくしようとしているのが現政権。改正に反対する人が増えているため今回の公約には入れないようだが、96条の改正を諦めたわけではないはずだ。
 TPP参加交渉が7月から始まるという。国家全体の利益あるいは国内の産業やそこで働く人を保護するために、法的な措置で外国の参入を規制している「非関税障壁」を撤廃するTPPは、農業や製造業だけではなく、医療制度、投資金融などのあらゆる分野への外国企業の参入を自由にし、ISD条項によって外国企業の利益が国内法の上に立つことにもなる。TPP参加によって国内の失業率が上がり、経済格差が広がっていくことが予測されている。交渉参加が決まっても、まだ国会で批准手続きをふまなければいけないので、まだまだ反対の余地はある。
 福島原発事故は、未だ責任の追及は進まず、住んでいたところから移住せざるを得なかった人たちへの補償も済んでいない。危険な4号機の燃料プールからの1300本以上の使用済み核燃料棒の取り出し作業はこれからだし、メルトダウンした核燃料の状態さえわからず、これから先次々と現れてくる放射能による健康被害にも取り組まなくてはならない。そんな収束とは程遠い状態にある原発事故を起こした日本の首相が、経済界のトップを引き連れて、海外へ原発セールスに出かけている。いいのか!?
 そして、アベノミクス。株価は昨年11月からドル高(円安)に同調して上昇が始まっており、安倍政権とは何の関係がないことが明らかになっている。日銀の発行するお金は、市中には出回らず、一部投資家のところに集まるのみ。
 7月の参議院選は、これら私たちの生活に関わるこれらの国政を託す人を選ぶ大切な選挙だ。こんな中、比例区では野党による統一比例名簿の呼びかけがなされたり、長野県区では、共同候補擁立が模索されたが、実現されなかった。これが、今の現状と受け止めるしかない。しかし、自分たちで憲法を読み合わせて学んでいく「憲法メダカの学校」や憲法・TPP・原発・アベノミクスをテーマに、市民がおおいに意見を交そうという「白熱!快議」が開かれたり、たいせつな私の一票を投じるために、主権者として立候補予定者と、直接話を聞き意見を伝える「たいせつな私の一票の会」を開くという小さな試みが始まっている。与えられた情報を受け取るだけでなく、自分で考え、他者の話に耳を傾け、議論をし、そして又考える。あちこちで、自分たちで作るこんな試みをしていくことが「おまかせ民主主義」を打ち破って、政治を自分たちに取り戻していくことだと思っている。

この地球の上で(知らなかったこと、わけがわからないこと)(2013年5月)
 あー知らなかった。
 国政選挙に初めて候補者を出す緑の党・全国キャラバンが松本に来たので、出席してみた。デビューにあたっては立候補者を10人立てなければいけない。そのうちの一人が来松したのだけれど、彼女は自死遺族NPOの代表ということだった。自死遺族のNPOって、何?
 日本は1998年以来、年間3万人以上が自死を選ぶ国だ。自らから命を絶つに至った原因で増えているのが、過労や介護疲れによるうつ病、失業や事業の不振などによる経済的な悩み。自ら命を立つことしか選択できなかった人が、交通事故死の6倍にも上るのだから、なんという国だろう。なんて社会的に貧しい国だろう。責めるべきは、こんな社会を作っている私たち。
 しかし、彼女から聞いた話では、遺族が責められるということだった。彼女自身が中学生の時に父親が自殺。喪が明けて登校したら、担任からまず言われたことは「これからもよろしくお願いしますと頭を下げろ」。謝罪を要求される。自死遺族は、こんな風に生きて行かなければならないことを初めて知った。地域や社会の中でこんな風に扱われることを初めて知った。自死は、40代から60代の男性が多い。遺族は母子家庭という経済的、精神的ハンディを抱えたまま、社会の差別偏見とも向き合わなければならない。最近ではいじめによる自殺、職活自殺という若い人の自死も増えている。遺族の気持ちに寄り添い、それを生み出す社会に目を向けるのではなく、「迷惑をかけた」とする社会。
 こんなことが前にもあったけ。イラク戦争中にストリートチルドレンの支援をしていた高遠菜穂子さんが人質になった時に、吹き荒れた「自己責任」の嵐。高遠さんの家族に「迷惑をかけている」と抗議が集中し、家族は「迷惑をおかけしました」と謝罪をせざるをえなかった。そして、不当なイラク戦争を始めたアメリカ政府、それに追従した日本政府は、多くの人の命を奪いながら謝罪などしていない。真に責められるべきものを責めず、その被害者を責める社会って変だ。そういえば最近でも、福島原発事故について東京電力と国はまだ責任を問われていないし、被災した人がその移住先で、優遇されすぎていると言う市会議員がいたりする。
 <あーを、もう一つ>
 あーわけがわからない。
 NHKニュースを見ていたら、高いビールをお代わりする人や高いステーキを注文する人が増え、トヨタの高級車もよく売れているという。アベノミクスが成功して景気がよくなっていると宣伝したいらしい。一部、投資家や大企業の正社員には景気がよくなっている人もいるだろう。しかし、ほとんどの人の実感とかけ離れすぎているのでは?友人の年金生活者はビールを発泡酒にかえたままだし、非正規雇用の私の娘は新車などいつまでたっても買えそうにない。
 景気がよくなっている、消費が伸びていると喧伝されるその先に待っているのは消費税増税。実質が伴わずに消費税を上げれば、消費が落ち込み、給与は上がらず、景気がなどよくならないという負のスパイラルに落ち込む。政府はこれでいいと思っているのだろうか。さっぱり、わけがわからないことばかりが横行している。

この地球の上で(日本国憲法2)(2013年4月)
 あー辛い。私の花粉症は、桜の咲くころからひどくなって初夏のころまで続く。長年花粉症をやっているから、こんなもんだと悟りの境地に達しそうなものだけれど、辛いものはつらい。気分が鬱っぽくなり、やる気がなくなるのが困りもの。それでも日々の家事や仕事は休めないし、7月の参議院選のことを考えると家で静かにしているわけにいかず、重い腰を上げて学習会やミーティングに出かけて行くのだ。
 前回紹介した誰が生徒か先生かのメダカの学校式の現行憲法と自民党改正草案の読み合わせ会が続いている。自由に意見を述べ合っているので、話があっちにいったりこっちにいったり。やっと103条ある条文の20条まで来たところ。この調子で行くと読み終わるのはいつになることやら。普段の日常生活の中で考えることのない「基本的人権」や「個人」と「人」の違いなどを自分で考え、他の人の意見に耳を傾ける。知らないことを知っていくのはおもしろい。毎回10人ほど集まってくる参加者もきっとそうだろう。
 私たちの「基本的人権」のために、国家が守るべきことが書いてあるのが憲法だ。「基本的人権」は人が生まれながらに持っているもの。「自由権」「平等権」は、18世紀に政治が王政から市民の手に渡った時の(かなめ)だった。20世紀に入ると、国家に干渉されずに放っとかれるばかりでは、真の自由ではない、「生存する権利」、「教育を受ける権利」(義務教育とは国家が教育を受けさせる義務のことをいう。子どもは受ける権利を持つ)、「労働する権利」という「社会権」が保障される必要があると憲法に反映された(ドイツのワイマール憲法)。政治に参加する「参政権(選挙権、被選挙権、公務就任権)」、「請求権」も基本的人権だ。
 国が守らなければいけないのが「憲法」。国民が守らなくてはいけないのが「法律」。まるっきり違うので、憲法はけして法律の親分ではないことを覚えていてほしい。私たちが平和のうちに自由で平等に生きる権利を、国家が戦争などして不当に脅かすことがないように現行憲法99条によって、天皇以下公務員は憲法を守る義務を負わされている。しかし、自民党草案では国民にも義務を102条他で負わせようとしている。これは近代立憲主義を否定し、憲法の目的を正反対にしようとしていることに注視してほしい。
 自由の意思をもつ個人が尊重される社会から、「公益および公の秩序に反してはならない」と制限される社会への変容。自民党草案が通った場合、想定される最悪のケースは、集団的自衛権によって米国の戦争に国防軍として参加(徴兵制になるかもしれないし、米国並みに経済的格差が広がった社会で貧困層による志願制かもしれない)、それに対して「戦争反対!」と声を上げることは「公益及び公の秩序に反する」からと禁止される・・・これってまるで戦前の社会のよう。でも、自民党草案の全体は、プライバシー権や環境権を入れてあたかも新しいもののように見せながらも、戦前への回帰、明治の復古をめざしているようだ。
 7月参議院選で、改憲派が過半数を占め、改憲しやすいように96条を変えそうな勢いの中、本当に自民党改正草案のような憲法に変えることを望んでいるのか、選挙権を持つ私たち一人一人が考えていこう。
 多くの人がNO!と言わずに容認していた原発は、事故を起こして放射能をまき散らした。こんなことが憲法でも起こりませんように。そうなったら、花粉症どころの辛さではない。

この地球の上で(日本国憲法)(2013年3月)
 あー、ひどすぎる。
 今、週に一回、幼稚園や学校に子どもを送りだしたお母さんたちや仕事をリタイアした人、この時間授業を持たない高校や予備校の先生たちと、自民党の日本国憲法改正草案の読み合わせ会を開いている。まず現行の憲法を読み上げ、それをどう変えようとしてるのかを読み上げてから、自由に意見を述べ合って学び合いをしている。知れば知るほど、ひどい憲法に「改変」‐改めるのではなく壊しているからと「壊変」と呼ぶ人もいる‐しようとしているというのが感想だ。
 今の憲法は、個人の尊厳を守るため、つまり一人ひとりが人間としてそれぞれの価値観を持って生きていく自由を守るために、政府はそれにのっとって政治を行わなければいけないという「立憲主義」に基づいている。戦前の大日本帝国憲法のもとでは、個人よりお国のためという全体に価値がおかれ、いざ戦争ともなれば、たくさんの命がお国のために失われていった。何より重要なのは、現行憲法は私たちを縛りつけるものではなく、公の権力=政府を縛りつけるものだということをしっかり覚えておこう。
 まず、前文がひどい。「日本国民は<略>政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」→削除、「主権が国民に存することを宣言」→削除、民主主義の原理が書かれた「国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」→削除、「われらは全世界の国民が‐自国民ではなく全世界の国民と書かれていることに心が暖かくなるのは私だけだろうか‐ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」→削除。現行前文は難しい言葉づかいではあるけれど、普遍的な平和主義、国民主権、基本的人権の尊重をうたい上げている。これらを削除して、どんな国にしたいのだろうか。草案の前文ならびに1条を読むと、天皇を象徴から元首にして、天皇をいただく国家であると書かれているからすごい。明治維新で、天皇をいただく国家を創り上げ、国民を統合し、兵役の義務を課し、幾度(いくたび)かの戦争をしてきた歴史を再び蘇らせようとしてるかのようだ。第二章のタイトルを「戦争放棄」から「安全保障」に変え、国防軍を設け、9条の改変をしたいのだから、この前文は当然と言えば当然かもしれない。
 かつて、私たちの祖先は南の島々や大陸からやってきて、この東の果ての列島に住みついた。渡来の文字や薬、稲作、技術、学問を使って創り上げた今ある文化を、「固有の文化」とわざわざ草案・前文に書き記す時に、文化が、大陸との交流の中で築き上げられてきた歴史を忘れてはいないだろうか。その大陸と半島に「日本固有の文化」を武力で押しつけようとした歴史を忘れてはいないだろうか。そこには、今、横行している排外主義に陥る危険性が孕まれていないだろうか。
 まだまだ、書きたいことはあるけれど、後は、それぞれがご自分で読み込んでほしい。(ネット上で読めます。「日本国憲法改正草案」で検索すると現行憲法対照付きが見つかります。ネット環境のない方には、印刷したものを差し上げますね。)私たちが平和のうちに生きる権利を保障してくれる今の憲法をポケットに入れて持ち歩くくらいにしたい。もっと憲法のことをお喋りする場を作って、自分のものにしていこう。そうでないと、7月の参議院選の結果いかんでは、まず96条を改正し、衆参議院で2/3以上の賛成で改正を発議する現行憲法を、1/2以上の賛成で発議できるようにハードルを低くされてしまう可能性があるのだから。

この地球の上で(女子会のことなど)(2013年2月)
 あー楽しかった。久しぶりの女子会だった。40代から70代の女子たちに、72歳曰く「つぼみの50代、花の60代、とんでる70代、こえてる80代、おや、90代は何だろう?」私「いけてる90代!」若めの女子「40代の私たちは?」72歳「まだ(はな)たれよ!」この72歳は、秋にロシアに留学に行くという。さすが、とんでる70代!集まったのは、ベラルーシや福島の支援をしている「チェルノブイリ連帯基金」のスタッフ、3月9日に「子どもたちを放射能から守る信州ネットワーク」を立ち上げようとしている人、「原発のない未来をめざす会」の女たち、社会福祉士になろうと何回も試験に挑戦している人、「平和の種をまく会」のメンバーと、日頃社会活動に頑張っている女たちだ。と同時に主婦でもある女子の集まりだから、テーブルの上には持ち寄ったごちそうがずらり。かぼちゃのサラダ、大根と納豆のサラダ、ポテトサラダ、タラモサラダ、自家製スモークチキン、タンドリーチキン、パエリア、リンゴのケーキ、干し柿のクリームチーズ包み、ぜんざい、フルーツのヨーグルト和え、オレンジのムースゼリー・・・などなど。いっぱい飲んで食べて、お喋りして笑い転げた。会議ばかりではなく、たまには、こんなことって必要だ。そして翌日は、「平和の種をまく会」の呼びかけの参議院選で反原発、憲法改悪反対等の政策を柱にした統一候補が立てられないかという話し合いに行く人、福島原発告訴団事務局会議に行く人、と心を元気にして活動開始。
 私は、福島原発告訴団の告訴人集めをしてきたので、東京の会議に出席した。あれだけの事故をひき起こした福島第一原発事故で、日本中が放射能に汚染され被曝させられたのに、誰ひとり刑事責任を追及されていないことに対して厳正な捜査と起訴を求めたい。この事故の原因をしっかり究明し責任をただすことは、いのちを守り、公正な社会を築きあげることにつながるはずだから。
 2月7日朝日の報道で、東京電力は国会事故調査委員会に、原子炉が入る建物内の灯がつくのに、「真っ暗」とウソの説明をし、事故調査委員会が調査を断念していたことが明らかになった。こんなウソやごまかしを(あば)くためにも、事情聴取を重ねるだけでなく強制捜査に踏み切ってもらいたい。福島地検と東京地検に「福島原発事故に関し、厳正な捜査・起訴を求める署名」への協力を是非!(2月22日に提出予定)
 会議に出席された福島の人が今の福島を語ってくれた。「笑って暮していれば放射能なんか大丈夫だと、事故なんかなかったように暮らしているけれど、みんな鉛色の空の下で暮らしているような気がする。人口33万人のいわき市は避難者や原発労働者で35万人以上にふくれあがった。市役所の壁に『被災者は帰れ!』とスプレーで落書きがされた。補償の額の差が人々の意識を分断している」「0ベクレルの大根を切干大根にして屋外で干すと4000ベクレルになるところがある。」
 あの日から、もうすぐ2年が経とうとしている。でも、福島第一原発事故は、けして収束などしていない。未だ放射能を出し続ける原発、被曝しながら除染をする人々、事故現場で働く原発労働者、漁に出られない漁師、いつまで続くかわからない避難生活、どこにも持って行きようのない汚染水や除去された土や瓦礫、これから先の健康被害を心配する人々、次の大きな地震があれば被害が大きすぎると言われる4号機・・・
 花の60代も、とんでる70代も(こえてる80代があるかどうかわからないので書かない方がいいかも)、ずっと付き合っていくしかないと覚悟している。

この地球の上で(どんな世界に生きたいか) (2013年1月)   
 新しい年が巡ってきた。昨年暮れの選挙結果を受けて、とても「おめでとう」と書く気にはなれないと「祈念平穏―世界中の人々が、飢えや恐怖から免れ、平和で穏やかな暮らしができる年でありますように」と書いてきた友人がいた。ともあれ、新しく年が明けたからには、新しい気持ちで始めてみよう。年頭に、私はどんな社会・世界に生きたいか、書いてみたい。
 この世に生を受けたすべての人々が、自分の生を全うできる世界であってほしい。日本国憲法の前文にも書いてある「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」世界。どんな人も貧しさや戦火や化学物質や放射能で殺されてはならない。誰かの犠牲の上に誰かの富が築かれてはならない。限りある資源を浪費して経済成長するのではなく太古から続く大地や海と共に生きる営みが大切にされる社会に、武力で敵を制圧する強い国より非武装で外交努力によって解決の道を探る国に住みたい。奪い合うのではなく、分かち合う社会。知性を殺し合うためではなく、共に生きるために使う社会・・・と書き始めたけれど、昨年7月に立党した緑の党の宣言文が私の気持ちにぴったりくるので、全文引用してみよう。
3.11後の 今ここに 新たな道を歩み出す
森を奪う都市文明から 森に寄り添う文明 数多(あまた)へ 答えを生きる時がきた
果てない世界市場化と 経済成長呪縛から 世界各地が共に奏でる 色どる経済成熟へ 答えを生きる時がきた
いのち汚す原発と 奪い合いの地下資源より 太陽による 永遠の平和へ 答えを生きる時がきた
はやさ 大きさ 効率主義から スロー スモール シンプルで 適正規模と多様性へ 答えを生きる時がきた
過剰なほどに カネ追わず 過剰なほどに モノ造らず 過剰なほどに 働かず 仕事と時間を分かち合い 豊かなこころを 蘇らせる 答えを生きる時がきた
買うしか術がない暮らしより 手 足 知恵で 創るを楽しみ 与え 支え いのちを謳歌し 自立し合う 安心へ 地域でつながる循環へ 答えを生きる時がきた
色んな人と 色んな行き方 互いに凸凹△ 認め合い 組み合わさって 補い合い 使命を宿し おのおの輝く 答えを生きる時がきた
テレビの向こうに 決断任せず 自ら責任 引き寄せて 足元からの 微力をつらね 笑顔の未来を えらびとる 答えを生きる時がきた
今日から土に 種を蒔き こころに 緑を育てよう 
いのちにぎわう 豊かな地球を いのちみんなで 分かち楽しみ 100年先を 見渡して 答えを生きる 一歩をここに 歩み出したい 一歩をここに
 これらを夢物語ということなかれ。夢(ビジョン)を持つことから、行動が始まるのだから。どんな社会に生きたいかを明確にすることから、自分の生き方がはっきりするのだから。
そして、子どもたちにどんな世界を手渡したいか、思い描いてみよう。

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