Yakkoのページ  2012年

この地球の上で&四季の台所

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この地球の上で(脱原発カフェ)(2012年12月)
 ○○カフェというのが流行っている。ワールド・カフェに哲学カフェ・・・、カフェのような雰囲気の中で、いろんな人と話したり、哲学を語ったり。ならば脱原発について語り合う「脱原発カフェ」があってもいいじゃないかと5月に第1回の「脱原発カフェ」を開いた。それからほぼ月一回、公民館や市民活動サポートセンターを会場に、本格的なコーヒーなど入れられないから、インスタントコーヒーやティーバックとポットのお湯とみんなで手作りのお菓子(私はオートミールクッキー、ココナッツクッキー・・ひじきクッキー・じゃがいもケーキ・かぼちゃケーキ・バナナケーキ・リンゴとヨーグルトのクラフティ・リンゴのケーキ・リンゴのポロポロケーキなど焼いた。可能な限りベクレルフリーをめざして)を用意して、脱原発についておおいに語り合う場を持っている。(経産省前テント村には、福島では原発の話をできる人が周りにいないから、ここに来るとホッとすると話してくれた女性がいた。)4、5人のテーブルに分かれて、途中で一回メンバー・チェンジをする。そのテーブルに着いた人の顔ぶれや関心ごとによって、話の内容は違ってくるからおもしろい。
 10月には福島から避難されて、今は寿小赤の古民家を拠点に避難者のネットワークを作っている「手をつなぐ311信州」の森永敦子さんをゲストに招いてお話を伺い、11月は、避難者3人の方にお話を伺った
 東京から来られたEさんは、編集の仕事などをしていたが、マスコミにバイアスがかかっていることがわかっていたので、仕事を辞め、今は松本で手網焙煎のカフェを開いている。「福島を応援しよう」の宣伝のもと政府の高い基準値の農産物に内部被曝を恐れ、東京では安全な食材を選ぶのも難しいことも避難してきた理由の一つ。手作業で丁寧にコーヒー豆の焙煎を行うEさんは焙煎教室を開いているので、丁寧にグァテマラの生産者から仕入れているカフェマヤの無農薬の生コーヒー豆を焙煎する教室をお願いしたいと思った。
 Tさんは茨城から来られた方。当初は水に確保などで忙しく、原発のことにまで気が回らなかったという。お子さんが鼻血をバァーと出されたそうだ。その後中野市に避難したり、つくば市に帰ったりなさっていたが、お子さんは喘息のように咳がひどく、体重も減ったという。今年4月に松本に来られてからは、食欲も出て体重も増えた。3・11以後経済優先ではないと考え方が変わったという。
 東京から来られたMさん(母子避難)は、小さい子どもだって世の中をしっかり見ていることを話され、明るくふるまっていていてもストレスがあると心配されていた。そして、選挙があるが、若者に手渡していく世界のことを考えているのだろうかと。「『お下がり』というものがある。これは大事にしていたものを大きい方から小さい方に手渡すこと、手渡したくない子どもに大きくなるというのはそういうことだと話せば、ちゃんと手放してくれる。政治家=大きくなった方々は、何故手放そうとしないのでしょう。」
 当事者の方々の貴重なお話だった。
 さて選挙だが、大きくなった方々のなさることはよくわからない。特に「日本を取り戻す」とおっしゃるが、放射能で汚染された大地や海や命が取り戻せるのか?原発事故がこれだけ大きな被害をもたらした今、まだ原発を動かすの?
 アメリカ・インディアンは、大事なことを決める時には7世代先のことを考えて、決めるのだそうだ。目先のことだけ考えている人が多すぎる。大事な国政への参加の一票、大切に投票したい。選挙に行こう!

この地球の上で(内部被曝)(2012年11月)
 9月23日に行った矢ヶ崎克馬さんの内部被曝についての講演会には、230名と多くの方の参加があった。9月の初め、その準備をしている最中にSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)のフェイスブックで、とんでもない動画見つけた。ラジオ福島の取材番組で伊達市の放射線アドバイザーとして高校で講演している半谷輝夫氏のその話の内容というのは、
 「おじいちゃんが釣ってきた鮎が20000ベクレル!さぁ、1sの鮎食うか?ふきのとう1s食べるか?ふきのとう1s食べるっていうにはチャレンジャーだぞ!その後はどういう状況になるかはわかんないよな。はい、そういうことで、実は食べ物に関して言えば、ハーイ!結論が出ました。何を食べても大丈夫!」
 こんな調子で、学校で子どもたちや保護者に話しているらしい。あまりのひどさに、講演会実行委員のみんなにもお知らせしたっけ。
 何故、食べものに気をつけなければいけないのか。放射線は、原子と原子を結合させている電子を弾き飛ばして、分子を切断してしまう。(電離作用という。)大量の放射線を浴びると脱毛、下痢、出血、紫斑等の急性症状があらわれ、死に至ることもある。では、食べものを通して体に入った放射性物質から出る低線量の被曝は大丈夫か。この内部被曝では外部被曝ではほとんど起こらないアルファ線やベータ線の被曝が生じる(外部被曝は体に向かってくるガンマ線だけに当たるのに対し、内部被曝だと全方向に飛んでくるすべての放射線に当たることになる)。そうしてDNAの分子が切断されると、生命の修復する力で、切断されたものが再結合するのだが、局所的に高密度な被曝になるため異常再結合がたくさん生じ、それがコピーされ増えて行くことになり、癌や様々な病気になる。そして放射性物質が体内にある限り、継続して被曝することになる。
 ICRP(国際放射線防護員会)は、内部被曝の影響を無視しているが、ECRR(ヨーロッパ放射線リスク委員会)は、内部被曝を外部被曝の数百倍危険としている。以上簡単な説明なので、詳しくは、岩波ブックレット「内部被曝」(矢ヶ崎克馬・守田敏也共著)を読んでほしい。ICRPが放射線の影響を低く見積もるのは、核戦略の一環であるという指摘も是非読んでほしいと思うのだ。
 福島で、汚染された空気、水、食べ物で既に被曝した子どもたちに「何を食べても大丈夫!」と教えることは、犯罪的ですらあると思う。現在「ふくしま集団疎開裁判」も進行中だ。福島に限らず、放射能ブレーム(放射能雲)に覆われた地域の子どもたちはできることなら、避難してほしい。
 ちなみに、福島県庁の食堂の放射性物質検出限界値は1ベクレルで、福島市の学校給食の放射性物質の検出限界値は10ベクレルだそう。一体何を考えているんだろうか。守るべきは、細胞分裂の活発な子どもたちではないか。

この地球の上で
「僕たちはそんなに騙しやすい国民でしょうか。」 
(2012年10月)
 9月の最後の日の真夜中に目が覚めた。外がやけに明るい。台風で暴風雨のはずなのにと、空を見上げると満月がこうこうと輝いていた。日付はすでに10月。
 今年も4分の3が過ぎたわけだけれど、いろんなことがあった。5月には日本中の原発がゼロになった。再稼働しなくても電気は足りている!の声を無視して7月には大飯原発が再稼働した。20万人の老若男女が「再稼働反対!」を叫び、国会の周りを埋め尽くしたのに。そしてこの夏、電気は余っていた。
 国のエネルギー政策に対するパブリック・コメントに応募した人の意見の8割が2030年までに原発ゼロというものだった。その2030年までが、いつのまにか、2030年代―つまりは最長2039年まで可能!−とされ、閣議決定さえ、されないという。
 4月には、石原都知事が唐突にワシントンのヘリテージ財団というネオコンのシンクタンクで都が尖閣諸島を買うと発言し、国が購入ということになった。これにより中国で暴力的な反日デモが起こった。(しかし、この時期に中国に修学旅行に行ったある高校の先生は、日本と中国の高校生が仲よく遊んでいると書いてきたし、暴力デモに対して「理性を持って!」というプラカードを持つ中国人もいたのだ。NHKは流さなかったけれど。)日本では、「強い国を」と叫ぶ人が自民党総裁に選ばれた。日米軍はグァムで、離島上陸訓練を行い、ウチナンチューやヤマトンチューのオスプレイ反対の声(9月9日沖縄ではオスプレイ拒否の集会に10万3000人が集まった!こちらの新聞は報道しなかったけれど。)を無視して10月1日米軍はオスプレイを沖縄に配備した。
 さて、この一連の、私たち市民の声を裏切る動きは何なんだろう。
 元米国務副長官のリチャード・アミテージ等が出している政策提言報告第2次「アミテージ・レポート」(2007年)というのがある。そこには@東シナ海、日本海近辺には未開発の石油天然ガスが眠っているので米国は何としても入手しなくてはならないAそのチャンスは軍事衝突を起こした時である。日米安保条約に基づき自衛隊を参加させる。B自衛隊と中国軍との戦争が中心になるように誘導するC米国が和平交渉に介入するD軍事的政治的主導権を米国が入手することで、米国エネルギー産業が開発の優位権を手に入れるEこの戦略の前提として自衛隊が自由に海外で軍事活動ができるようにしておく。
 世界中のあちこちで、米国の大きな力に頼りたい政府と戦争中毒の米国がしかけたシナリオで戦争が起こってきた。最近の動きを見ていると、ここ東アジアも無縁ではない。
 「2030年代に原発稼働ゼロをめざす」閣議決定の是非の判断に「原発ゼロの固定化につながる閣議決定は回避せよ」と要求してきたのも米国だ。
 日本であろうと、米国であろうと、中国であろうと、そのひとつひとつの出来事から政府が何をしようとしているのか、私たちはしっかりと見据えていかなくては。(たいへんだけれどね)大江健三郎さんのフランスのル・モンド紙のインタビュー記事のタイトルは「僕たちはそんなに騙しやすい国民でしょうか。」もちろん違う!と言いたい。

この地球の上で(責任をただす!)(2012年9月)
 暑い夏だった。しかし、どこも停電も計画停電もしなかった。再稼働反対!という私たちの声を無視して再稼働した大飯原発3,4号機は、再稼働しなくてもこの夏最大電力需要となった8月3日でさえ周波数が同じ他の電力5社から融通してもらえば十分供給できたのだった。その供給余力は大飯原発3,4号機の237万kwを上回る670万kw!関西電力は火力発電さえ止めていたのだった。
 ようするに、再稼働したいがために「電力不足」の宣伝をしていた。NHKニュースは電気が止まったら生産が止まって困るという工場主や保育器の中の赤ちゃんはどうなるんでしょうというコメントを流して、これに加担していた。再稼働は電力不足のためというより、電力会社の経営上の問題だということにあえて触れずに。国民のいのちより企業を優先させた首相の政治判断は、「国民の生活を守る」という詭弁でごまかしていた。
 エネルギー政策をめぐる「2030年原発比率の3選択肢」のパブリック・コメントの応募者の87%の人々が0%を支持した。(選択肢が2030年しかなく「直ちに」がなかったことに不満の声多し)こんな世論を踏まえてのことかもしれない。原発の設置許可取り消しや建設運転差し止めを求める裁判で、すべての訴訟を退けてきた最高裁判所の裁判官の研究会において、安全性の審査により踏み込む必要性が論じられているという。国策として進められてきた原発であるが、行政に追随するのではなく、三権分立の原則にのっとり、司法は独立性を持つべきだった。いや今からでも遅くはない。柏崎刈羽原発差し止め裁判など審議中の裁判に対して公正に取り組んでほしい。
 さて、8月には福島原発事故の責任をただす、福島県民1324名による告訴が受理された。多大な放射能災害を引き起こし今も継続している福島原発事故の犯罪―業務上過失致死傷害罪、公害罪―を検察に調査してもらうものだ。放射能は福島県のみならず、日本中を汚染し、太平洋の汚染も拡がっていくばかり。全国市民が被害者なので、全国市民で告訴を行うことになった。一口1000円以上の会費と三文判でない判こがあれば誰でも参加できるので、今回の福島原発事故の責任をはっきりさせたい人は是非ご参加ください!
 福島原発告訴団・甲信越事務局 090-4413-9564(または、おやおや・Yakkoまで)  http://genpatsukokusodan-kohshinetsu.blogspot.jp/
 私たちは、自分たちのためだけにこの闘いに踏み出すのではありません。日本政府は、あらゆる戦争、あらゆる公害、あらゆる事故や企業犯罪で、ことごとく加害者・企業の側に立ち、最も苦しめられている被害者を切り捨てるための役割を果たしてきました。私たちの目標は、政府が弱者を守らず切り捨てていくあり方そのものを根源から問うこと、住民を守らない政府や自治体は高い代償を支払わなければならないという前例を作り出すことにあります。そのために私たちは、政府や企業の犯罪に苦しんでいるすべての人たちと連帯し、ともに闘っていきたいと思います。  この国に生きるひとりひとりが尊重され、大切にされる新しい価値観を若い人々や子どもたちに残せるように、手を取り合い、立ち向かっていきましょう。
              (福島原発事故の責任をただす!告訴宣言より)

この地球の上で(内部被曝リテラシー)(2012年8月)
 季節の移ろいは早すぎて、急にきた夏にとまどっているうちに、あっという間に夏のただ中。ゴーヤチャンプルー、ラタトウユ、タイカレーなんかを食べながら、この暑さを楽しめるようになったら、しめたもの。
 毎週金曜日の脱原発・再稼働反対の声を上げる首相官邸前デモは回を追うごとに参加者が増え続け、さよなら原発10万人集会には17万人が集まり、先日のデモと国会包囲キャンドルチェーンには20万人と、脱原発も熱く盛り上がっている。NHKの「クローズアップ現代」でも「デモは社会を変えるか」と、子どもから年配者までありとあらゆる年代層が直接声を上げ始めた脱原発デモを取り上げるまでになった。暑い夏、松本でも熱い企画が予定されている。
 8月には、4日「内部被曝を生き抜く」上映会、11日「脱原発・再稼働反対松本デモ」23日「脱原発カフェ」9月23日には「矢ヶ崎克馬講演会“信州は大丈夫?−放射能と内部被曝の話”」を開くために準備が進められている。
 鎌仲ひとみ監督「内部被曝を生き抜く」は、広島で27歳の時原爆に遭って以来66年間、内部被曝の実相を追い求める肥田舜太郎医師、チェルノブイリやイラクの白血病や癌の子どもたちの支援を続ける鎌田實医師、週末の土日には福島の除染に通い続ける東大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦医師、チェルノブイリ原発事故の影響を受けた子どもたちの医療に当たるスモルニコア・バレンチナ医師と、子ども4人を育てながら二本松市に生き続けることを決めた佐々木さん一家が描かれている。
 矢ヶ崎克馬さんは松本出身の琉球大学名誉教授で、2003年からの原爆症認定集団訴訟に関わってこられ、現在は「ふくしま集団疎開裁判」に関わっている。核戦略の一環として内部被曝を無視する体系を作ったICRP(国際放射線防護委員会)を批判し、市民の安全に生きる権利のために、放射線被曝に関する正しい知識を持った主権者としての市民の力を確立しなければならないと昨年の12月に「市民と科学者の内部被曝問題研究会」を立ち上げている。
 福島第一原発事故によって放出された大量の放射性物質と、これからもずっと付き合っていかなければならない私たちは、被曝リテラシー(被曝を理解し、活用する能力)を持って、巷にあふれる情報に対して自分で正しい判断をしていくことが求められている。そのために、是非これらの上映会や講演会に、ご参加ください。
 先日、松本市のある市会議員が新聞に折り込みで配った議員日誌を読まれた方はいるだろうか。避難して移住してきた人たちに松本市が税金を使って優遇しているという内容が表裏にびっしり書かれているものだった。事故後、風によって運ばれた放射能で被曝した人たちには、できることなら1日も早く避難してほしいと思う。しかし、一家で避難しても、仕事がすぐに見つかる保証はないし、母子だけ避難するとしても二重生活で経済的にたいへんだ。避難を促すためには支援が必要となる。私たちは、このために税金を使うことはOK!といおう。(ただし、国が認めた地域からの移住者に限られるそうだ。)もしかしたら、この議員さんは、被曝に対する知識が不足しているか、被曝の影響を少なく評価するICRPの見解をとる政府のいうことを鵜呑みにしているのではないかと思った。是非こんな方にも参加していただきたい。
 この夏全国のあちこちで、避難できないで住み続ける子どもたちの保養プログラム(子どもキャンプ)が開かれている。これは、外で思いっきり遊ぶというリフレッシュ効果と共に、一時的にでも外部被曝、内部被曝の加算を避けることで、体を休め免疫力を高めるという大事な働きがある。企画された方々、支援されている方々ありがとう!

この地球の上で(再稼働はしたけれど)(2012年7月)
 5月5日から原発ゼロでも、どこも停電せずに暮らしてきたのに、7月1日、関西電力大飯原発3号機の運転スイッチが入れられてしまった。
 これに先立っての6月29日の夕方には、首相官邸前で再稼働反対の声を上げようと、ツイッター、フェイスブック、メーリングリストでの呼びかけに応じて20万人の人々が集まった。一人ひとりが、このまま原発なしで暮らしたい、再稼働は絶対やめて!の意思を持って集まった。私も昼からおやおやを休ませてもらって参加してきた。松本からは20人くらい行ったかもしれない。
 おなかの大きいお母さん、赤ちゃんを抱え子どもの手をひいたお父さん・お母さん、勤め帰りのサラリーマン、お姉さん、おばさん、おじさん、おばあさん、おじいさん、ありとあらゆる年代層からの参加者。デモは初めてという人も多かった。日本のデモ史上、動員なしの全くの個人参加でこれだけの人が集まったのは初めてだそうだ。相変わらず旧態依然の権力闘争に明け暮れている永田町の政治家たちなど置き去りにして、私たち市民は変わろうとしている。デモスクラチア―デモクラシー(民主主義)の語源であるこの言葉が実現されようとしている、デモス(民衆)にクラチア(支配力)がある状態が生まれようとしている、といっているのは、岩波ブックレット「内部被曝」で矢が崎克馬さん(9月23日に松本で講演してくれる。詳しくは次号にでも)と共著者である守田敏也さん。選挙で選出された私たちの代表を務めるべき政治家がマニフェストを反故にし、私たちの声に耳を傾けず(6/29野田首相が私たちの声を『声』ではなく、『大きな音』といったのは象徴的)、お金と力のある大企業や大国の声しか聞かないのであれば、私たちが直接おかしいことはおかしいと声を上げ行動するしかない。こと、地震活動期の日本列島で原発を稼働させることは私たちの命に関わる大ごとなのだから。
 免震棟もない、ベントに放射能を取り除くフィルターもない、防潮堤のかさ上げもまだ、活断層は3本走っているという大飯原発。敷地内の軟弱な活断層=破砕帯が、他の活断層と連動して動く危険性も指摘されているのに、関電や保安院は調査をしていない。これらの危険を押し切ってまで稼働させるのは何故か?は、一人ひとりで考えていただくことにしたい。原発への依存度が高い関西電力に限って電力が足りないというのであれば、5月号に書いたように真夏の電力消費のピーク時の何時間かを操業をずらすとか、他の電力会社から送ってもらうとか、いろいろ対策が立てられるはずなのに。
 6月30日・7月1日には「徹底した非暴力不服従で、原発のない未来をめざし、正当な抵抗権を行使」して抗議する人々が大飯原発前に集まった。私を含め、現地に行くことができない何十万の人々は、ネットのライブ配信や、現地から送られてくる写真に見入っていた。座り込みを排除しようとする警官に、ハングアップ(私は何もしないと両手を上げること)しながら「暴力反対」とコールする人々。立ち並ぶ警官に傘をさしかける女性。自作のプラカードを持つ子どもたち。雨の中、カッパを着せた子どもを抱きかかえたお母さんが、子どもたちの命を守るためにここにいることを示すように真っすぐな目で原発を守る警察官を見つめていた。原発の利権を守ろうとする人々は、目をそらさずにこのお母さんの目を見つめ返すことができるだろうか?
 大飯原発4号機は、今月17日に起動予定だという。でも、「原発は安全」が「ずっとウソだった」(♪斉藤和義)と気づき、デモスクラチアに目覚めた人々は、諦めないからね(*^_^*)

この地球の上で(6月の初めの庭で) (2012年6月)

 突然スコールのように降りだした雨のあまりの降りっぷりが小気味よく、しばし眺めてしまった。朝のうちにスナップえんどうに支柱を立ててやってよかった。
 去年は3.11の後、気持ちが畑(何度も書いているけれど小さい庭のほんの一部)に向かう余裕がなくて、ベリーの実が成ったらジャムに、ラベンダーの花が咲いたら摘みとったりとはしたけれど、積極的に何かを作ることができなかった。今年は種を買ってきてポットでスナップえんどうの苗を作った。今はバジルの苗がポットで生育中。「原発のない未来をめざす会」のM谷さんからは、四角豆の苗をもらうことになっているので、狭い庭に何とかスペースを空けておかなくっちゃ。去年もらった時に、「四角豆」と「うりずん」が同じものだと判明した。四角豆という名前から四角いインゲンみたいなのを想像していたのだけれど、それがずっと会いたいと思っていた沖縄の「うりずん」だった。「うりずん」とは、沖縄の初夏、澄んだ光と新緑がきれいな過ごしやすい時節のことをいうのだそうだ。その名のとおり、さわやかな新緑の色をしている。さやの四方についたひらひらが、とてもキュートだ。味はあまり特徴がなく、インゲンと同じように茹でてサラダにしたり、炒めたり、揚げたりして食べる。南国の野菜なので、東南アジアの市場で目にしたはずなのに記憶がない。思い出すのは、インドにも大根があるとか、食べられる甘酸っぱいホウズキとか、バリのココナツの殻で固めたお椀形のヤシ砂糖とか、タイでは・・・?そうか、そもそもタイでは市場には行かなかったかもしれない。とにかく、今年はうちの庭で、スナップえんどうと、うりずんが成るはずだ。
 「おやおや」の芽の出たジャガイモもあちこちに埋めたら芽を出し、もう花が咲いているのがある。早く花が咲くのは過酷な環境で早く子孫を残そうとしているのだとか。庭木の間のあまり日が当たらない場所でジャガイモさんは少々焦っているのかも。
 畑仕事で収入を得ている農家の方から見たら、私のしていることはお遊び程度かもしれない。でも育てる楽しさを味わせてもらって大地に感謝。雨にも感謝。それにしても、福島第一原発事故で大地を奪われ、生活を奪われた人々のことを考えずにはいられないから、心の底から幸せとは思えないのが、今の私たちだ。
 地震の活動期に現在、大飯原発の近くに3つの活断層があることがわかっている。活断層の3連動で760ガルという評価を関電は国に報告しているのにも関わらず、最近こっそり700ガル以内に収まるという評価に変えたという。大飯原発3・4号機は制御棒が基準値(2.2秒)以内に挿入されなければ運転できない。700ガルの場合制御棒挿入時間は2.16秒。760ガルの場合は2.2秒を超えるため、運転できない。国は3連動=760ガルについての安全性評価は行っていない。その上、保安院は「安全性評価は、再稼働の前提ではない」といっている。何がなんでも再稼働したいのだ。
 再稼働しようとする人々の幸せってなんだろうと考える。他者の痛みの上に成り立つ幸せは幸せという名で呼ぶことができるのかと。3.11以後、原発事故が、遠いチェルノブイリ原発事故より具体性を持って、私たちの前に立ち現れた。私たちの生き方は、3・11以前と同じであろうはずがない。しかし、原発の抱える問題と、「うりずん」の沖縄がずっと抱えてきた基地の問題は、誰かの犠牲の上に成り立つという点で同じだから、何をいまさらという感じがしないではない。
 雨はシトシトと、まだ降り続いている。

この地球の上で(原発がすべて止まったけれど) (2012年5月)

 あんなに待っていた春は来た、と思ったらどんどん進みチューリップもユキヤナギもモモもモクレンも花々はあっという間に散ってしまい、今は若葉の季節に様変わり。
 連休ははっきりしないお天気だった。3日の予報は雨だったので、楽しみにしていたフリマ出店を前日に断念したら、お天気に。娘たちが着なくなった服を一掃しようと張り切っていたので残念で気落ちした。4日は気を取り直して弘法山にヨモギ摘みにいく。例年だと八重桜に、まだ五分咲き七分咲きのものがあって桜の花の塩漬けを作るのだけれど、今年は見事に満開!キンポウゲも咲きそろっていた。ヨモギは多少伸びていても、新芽の部分だけ摘めばいいから大丈夫。定番のヨモギ餅とヨモギケーキが今年も作れたことに感謝。
 5日こどもの日は、北海道電力泊3号機が止まって、動いている原発がゼロになる日。このまま再稼働しないで、原発なしで暮らしたい、何十年何万年も現在と未来の子どもたちにこれ以上放射能を残さないでと「脱原発♪こどものために大行進☆」というデモに参加した。コイノボリを手に持って町を歩こうと呼びかけたら、さまざまな意匠を凝らしたコイノボリを持って参加してくれた。昔子どもたちのために揚げたという少しばかり色の褪せたコイノボリに字を書いたもの(一番大きいのは先頭の横断幕にした)、グリナーズ・ビレッジ(緑の人の村、という意味)の店の家族は青いコイノボリを塗り直した緑のコイノボリ、和紙と千代紙のコイノボリには、馬のシッポで書いたというメッセージ、ビニル袋を張り合わせたコイノボリ、リユーズ(再利用)にこだわって新聞紙と広告紙で作ったコイノボリなど。私はきつくなってはけなくなったスカートの裏地でコイノボリを作り、アイロンでつくフェルトで「さよなら原発」「NO NUKES」のメッセージをつけた。暑い空の下、みんなの熱い思いがコイノボリと一緒に、はためいた。
 42年ぶりに原発の電気がない日を迎えたわけだけれど、政府、電力会社、一部経済界は、再稼働を望んでいるので喜んでばかりはいられない。原発に頼らない社会の提言をしている田中優さんは、「この夏、偽装停電をくいとめよう」と呼びかけている。電気の需要は、真夏の暑い昼間にピークを持つ。関西電力が16%(この数字はころころ変わる。これは4/29信毎)足りないというのは、このピ―ク時の時間帯に限る。
 田中優さんは自分が電力会社だったらこんなシナリオを立てるという。
1)余っている深夜電力で上のダムに水を汲み上げておき、昼間のピーク時に電気を起こすのが「揚水発電」であるが、深夜電力に余裕がなかったから揚水発電ができなかったと言っておく。
2)東の中部電力、西の中国電力、北の北陸電力と送電線がつながっていて余剰電力を受けやすい位置にあるが、他の電力会社も電力がひっ迫して、電気を融通してもらえなかったことにする。
3)大口企業の電気料金を割安にする代わりに電力需要がひっ迫した際、電気利用の削減義務を負う「需要調整契約」を結ぶ。この契約数を増やしても東京電力のように実施しないでおく。
4)大企業が持っている自家発電を買い取らないで頼れないものとする。「電圧が不安定になる」とでも言って。
 こんな風にして偽装停電したら、バックアップを持たない中小零細企業は「反対するものがいるから被害が出た、原発なしには雇用も守れない」と怒りだし、原発は当分不滅のものとなるというシナリオになる。しかし、関西電力の電力不足は2011年度の実績を使うと、12日間58時間(4/12信毎)、平均4.8時間/日のピーク時にこのシナリオと反対のことをすれば乗り切れるということだ。
 私たちの多くは、ずっと原発は絶対に事故を起こさないという「安全神話」にだまされてきた。再稼働させたいための「偽装停電」にだまされないようにしょう。さわやかな5月の風にこれ以上放射能が紛れ込まないように。

この地球の上で(原発がすべて止まる日) (2012年3月)
 この1年、原発のことばかり書いてきた。深刻な話ばかりで、うんざりという方もいるかもしれない。日々の暮らしの中の楽しいことなんかを書きたいと思ったりするけれど、3・11以降は、日々の暮らしは、その背後に存在する原発を抜きには語れなくなってしまった。チェルノブイリ原発事故後もう原発とは暮らせないと声を上げていたのに、いつのまにか声をひそめてしまった中での2011年の福島第一原発事故だったのだから。
 さて、3月26日東京電力柏崎刈羽原発6号機が定期検査で止まって、今、国内で動いているのは、一基のみとなったが、どこも停電などしていない。昨年3月末に松本市に「現在運転中の浜岡原発4号機5号機の一時停止と定期点検中の3号機の始動をさせないように中部電力に申し入れてほしい」という手紙を出したら、市の温暖化対策課から、「総発電量の約3分の1を原子力発電に依存している現状です。」という電力会社の宣伝そのままの返事をもらったことがある。そもそも中部電力の稼働中の電源のうち原発は10数%にすぎなかったのだし、その10数%の原発を稼働させるために他の水力、火力を休ませているという事実を全然ご存じないだろうなと、市の当該部署の職員の勉強不足にがっかりしたことがあった。
 武本和幸さん(新潟県刈羽村在住)と学ぶ脱原発学習会3月のテーマはずばり、「原発を止めても電気は足りている」。<東京電力・最大電力・年間電力量推移>というグラフによると、2001年あたりから、住宅メーカーと電力会社がオール電化を進め電力の需要を増やす努力をしているにも関わらず、右肩下がりになっている。これから先は人口の減少と省エネ家電の普及でエネルギー需要はますます減っていくだろう。<電源別発電・電力量の実績および見通し>のグラフを見てみる。5年先の需要を予測して発電所を作るというのだが、実質の需要は減ってきているのに見通しを増やしていることがわかる。オール電化の普及や、発電量の多い太陽光発電の設置には契約アンペアを上げなければいけないしくみなどで電力会社が需要を作り出して見通しを多くしているにも関わらず、実績は伸びていない。このグラフから、火力発電は価格の安い石炭が主流で、1割にも満たない石油が中東情勢の不安で値上がりしているからといって、電気料金を値上げするのはおかしいこともわかる。
 次々と止まる原発をこのまま動かさないでほしいと願う人々の思いと裏腹に、野田首相はこともあろうに3月11日に「再稼働に向けて先頭に立つ」と発言。原発立地の自治体は利権のしがらみから再稼働に反対できないところが多いが、前回書いたように30q圏内の自治体では再稼働を認めないところが増えてきている。新潟県湯沢村議会も3月21日柏崎刈羽原発の再稼働を認めない決議をしたそうだ。再稼働があやぶまれる関西電力・大飯原発と四国電力・伊方原発30km圏内の23の自治体に再稼働を認めないでほしいというハガキを出そうと思っている。
 5月5日の子どもの日に、最後の北海道電力・泊原発3号炉が止まるらしい。生きとし生けるものすべて、地球の子ども。地球の子どもは、「さよなら原発、もう2度と動かないで!」と、止まった後も問題だらけの原発であるにしろ、とりあえずは、お祝いしたいな。

この地球の上で (3・11を前にして(2012年2月) 

 次々に原発が定期検査(運転してから13カ月以内に定期検査が義務づけられている)に入り、2月28日現在動いているのは、東京電力・柏崎刈羽原発6号炉と北海道電力泊原発3号炉のみとなった。4月末か5月上旬にはすべての原発が止まることになる。

再稼働して原発を動かしたい人たちは、ストレステスト(原発の安全性をシミュレーションによって確認する再評価の仕組み)をクリアして運転に持っていきたいようだが、ストレステストはコンピューター上のシミュレーションでしかなく、入力するデータによって、答えは違ってこよう。あまり信用できるとは思えない。

福島第一原発事故で、ふるさとを去ることを余儀なくされ、いいかげんな避難指示で被曝し、放射能で汚染された大地や海で畑も牛飼いも漁もできなくなった現実を前に、全国の原発立地周辺の自治体では、再稼働を拒否するところが増えている。例えば、中部電力浜岡原発に対して、静岡県内の議会で「浜岡原発の永久停止・廃炉を求める決議」や「再稼働を認めない決議」を出したところは、牧之原市、袋井市、藤枝市、焼津市、伊豆の国市、富士市、松崎町、南伊豆町、伊豆市、三島市、清水町、東伊豆町・・・まだ増えるかもしれない。

それに加えて、3月11以後も原発の運転差し止めや運転終了を求める裁判が新たに始まっている。新しいところでは、東京電力・柏崎刈羽原発の差し止め訴訟で原告団への参加が募られている。裁判を支える一口1000円のカンパも受付け中。

この柏崎刈羽原発建設に反対して36年前に25歳で村会議員になるという経歴を持ち、現在は原子力資料情報室理事、「はんげんぱつ新聞」編集委員として活躍する刈羽村在住の武本和幸さんに来松してもらって「武本和幸さんと学ぶ脱原発学習会」を2月から始めた。第1回のテーマは「地震と原発」、第2回の3月25日は「原発が止まっても電気は足りてる」。ずっと“原発の電気は3割を占めるから原発が止まったら電力不足になる”と喧伝されてきた。が、“日本の原発は絶対事故を起こさない安全なものです”と同様に、原発を推進する人々によって流されたウソの言説にすぎない。台所もお風呂も暖房も電気なしではやっていけない私たちの生活は、原発が止まっても本当に大丈夫なのかどうか、ぜひ武本さんのお話を聞きに来てほしいと思う。

地球が誕生して45億年。生まれたばかりの地球は放射能に満ちていたことだろう。天然に存在するウラン238の半減期は45億年。地球が生まれた時には今の倍も存在していたことになる。気の遠くなるような時間をかけて、放射線を出しながら放射性物質は最終的に安定した物質(ウランは鉛になる)に変わり、今のような豊かな生命あふれる星になった。それをわざわざ地中からウランを掘り出し人工的に核分裂をおこし、新たな放射性物質(核分裂生成物)で再びこの星を満たしてしまった。100万kwの原発1基を1年間運転すると、ヒロシマの原爆1000個分の死の灰(核分裂生成物)が産み出されるという。これらの放射性物質が放射線を出さなくなるまで再び気の遠くなるような未来の時間が必要になる。放射線は遺伝子やDNAを分断していのちを損なう。今私たちが、いのちと未来に責任を持つとしたら、原発からの撤退しかないのではないか。

3月11日から1年の日に、『NO!原発・サラバ原発・脱原発デモ』が企画されている。黙っていることは容認すること。原発なしで暮らしたいと意思表示をしながら、一緒に歩きませんか。

この地球の上で(原発が止まっても電気は足りる)2012年1月

今年は早々に、計画的避難区域の浪江町の砕石場の石を使ったコンクリートを基礎部に使った二本松市の新築マンションで、高い放射線量が検出されるという事件があった。県の借り上げ住宅としてのマンションに住んでいる南相馬市と浪江町の避難住民は、よけいな被曝をした上に、また引っ越さなくてはならない。出荷された汚染稲わらと同様に、放射性物質が拡散されてしまった。国に基準値を設定するように求めていたというが、基準値があろうとなかろうと、出荷した者の判断は問われないのだろうか。屋根しかついていない置き場の石が汚染されているとは考えなかったのだろうか。頭に一瞬よぎったとしても、売ることの方が大事だったのだろうか。コンクリート内に封じ込められた放射性物質はもう除染などできはしない。一番の責任は、東京電力と原発を国策として進めてきた国にあることはいうまでもないが、今、原発事故を起こしたこの国で、放射能と共に生きることを余儀なくされているこの世界の中で、ひとりひとりが、「いのちと未来に責任を持つことを考える」ことをやらなくてはいけないと思うのだ。

たった今(2月1日現在)動いている原発は全国54基のうち3機だけ。それでも、どこも停電などしていない。昨年、節電節電と騒がれた夏、すべての原発が停止したとしても6%の余裕があるという試算が出されていたのに公表されなかったという。やっぱり「原発が止まると電気が足りなくなる」とおどかしたかったんだね。

原発を全部止めても停電しないというのは、こういうことだ。例えば100万kwの原発を作るときには、一緒にバックアップの100万kwの火力発電所を作る。最初に火力発電が発電する。そして原発が徐々に出力を上げていくと、徐々に火力が出力を落としていく。逆に原発を13ヶ月目の定期検査で止める時には、休ませていた火力が働くというわけで、原発が止まっても絶対に電気が足りない事態にならないよう作られている。2003年、東電の原発7基がすべて止まったのに東電管内で停電は起こらなかった。

だから、今すぐ、すべての原発が停止しても電気は足りる。(そして再稼働しなければ、4月下旬にはすべての原発が止まるはず。)自然エネルギーの普及や開発を待つ必要はない。1年前におやおや伝言板で、自然エネルギーの近未来図を描いてみたが、今はちょっと考えが違う。太陽光発電、風力発電のエネルギー源の太陽・風などは自然のものでも、発電装置自体がエネルギーを必要としたり、レアアースを必要としたり、いずれは土に帰らないゴミとなったり、建設することで自然を破壊したりするというデメリットを持つことも同時によく考えていかねばならないと思うようになった。自然エネルギーを作ってたくさん電気を使う暮し方ではなく、エネルギー消費を減らしながら地球の上に住む人々と限りある資源を分かち合う道を捜していこう。

そういう意味で、原発3基分の電気を消費して、南アルプスに穴を開け、東京―大阪を1時間で移動するリニア新幹線って本当に必要なのだろうか?も考えていこう。


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