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この地球の上で(気候危機2)(2019年11月)

 何ということだろう。前回、海水温上昇によって台風の勢力が大きくなった台風15号の被害について書いたばかりなのに、台風19号に大雨によって各地で又大きな被害が出てしまった。温暖化対策と台風への備えをしっかりしておかないと、また来年以降、大きな被害が出てしまう。
 こんな中、トランプ米政権は地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」から離脱することを通告した。アメリカの二酸化炭素排出量は、中国に次いで2位の国だ。(日本は5位)「美しくきれいな石炭に対する戦争を終わらせた」というトランプ。アメリカだって、強大なハリケーンやカルフォルニアの山火事に見舞われているというのに、なんという言い草だろう。
 今回の台風で、住むところ、農地、職場を奪われた人々のことを思うと心が痛む。長野市へ災害ボランティアとして、早々にカヌーを持って駆け付け救助活動を始めたオープン・ジャパンは、全国のカヌー仲間とともに100人と数匹のワンコとニャンコを救出した後、現在は重機で泥出しやリンゴ園の片付けなどを行っている。
 オープン・ジャパン理事の吉村誠司さんは、日々フェイスブックで活動報告をしてくれているので、見続けている。ボランティアに駆け付けることはなかなかできないでいるので、せめて活動のためのカンパを送ろうと思う。オープン・ジャパンは、阪神淡路大震災の後、支援団体として活躍していた「神戸元気村」(亡夫のケンちゃんも、1か月ほどパン焼きで参加していた)のメンバーたちが中心になって立ち上げたNPOHPもあるので、「OPEN JAPAN」で検索してみてください。
 これから、ますます災害救助の必要性は高まっていくだろう。
 しかし、給料が出ないボランティアの活動は尊いけれど、続けるのは大変だ。政府は、災害救助にもっと人とお金をつぎ込んでほしい。自衛隊は、野外にいるとどこにいるかわからない迷彩色の制服を脱ぎ捨てて、オレンジ色の「災害救助隊」に変身してほしい。
 避難所も、プライバシーを確保されない体育館にみんな一緒にごろ寝状態から(段ボールの仕切りや段ボールベットの所もあったけれど)、国際赤十字のスフィア基準(正式名称は「人道憲章と人道対応に関する最低基準」)に従って家族ごとのテントを建ててほしい。
 実際に地震国イタリアでは72時間以内に家族ごとのテントを建てているのだから、日本でできないはずはない。仮設住宅も直ちに建設できるように、日ごろから準備してほしい。国土強靭政策としては、堅固な堤防への改修工事を優先して行ってほしい。
 ○○してほしいことばかり書いてしまった。とにかく、温暖化が日本では強大な台風という形で現れていくことになるのだから、この対策に国の予算を使ってほしいと思うのだ。
 さて、この予算はどうするか。高いオスプレイやイージス・アショアをアメリカの言いなりに買わなければいいし、引き下げられた法人税を元に戻せばいい。「反緊縮」政策で、乗り越えることもできる。財政赤字を理由に福祉、教育、介護のためのお金もどんどん削減されているけれど、この財政赤字というのは人々から税金を取るためのウソらしい。これについては、もっと勉強して報告します。

この地球の上で(気候危機)(2019年10月)

 毎年、大きな災害が起きている。
 今年は827日の佐賀県の豪雨の爪痕も癒えない99日に、台風15号によって千葉県を中心に屋根が飛ぶ、広範囲の停電、などの被害が起きた。鉄塔や鉄筋入りのコンクリートの電柱が倒れた映像をTVで見て、風の力の凄まじさを知った。こと停電に関しては、発生から1週間たっても11万戸停電、全面復旧まで2週間以上かかっている。台風一過の後、暑い日が続いたのでエアコン・扇風機・冷蔵庫なし、断水の生活は、さぞかし大変だったことだろう。エアコンがきく車の中で過ごそうにも、ガソリンの供給量は制限されていたという。体の弱い方やご高齢の方々には、辛い日々であったことだろう。東電の会見を見ていると、最初は明日にも復旧するととの発言が何日か続いた後、社長が出てきて「状況が把握できていなかった、しばらくかかる」に変わった。こういう時、わからないなら、わからないとはっきり言ってほしかった。政府も関係閣僚が現地入りしたのが12日、停電対策本部を設置したのが13日。迅速な対応とは言い難い。
 どこに行けば水などが手に入るかなどの情報も、電話や携帯電話が使えない中でこそ、防災無線の出番であったのに、防災無線が使えなかったこともショックであった。非常用電源は用意してなかったの?!Jアラートの訓練よりも、停電の場合に備えることのほうが大事では?危機管理として、「敵」の攻撃よりも怖いのは、気候変動による災害だという認識を持ってほしい。
 自衛策として、停電や断水になったら、というシュミレーションをして日ごろ何を用意しておいたらいいか考えておこう。真夏用バージョン・真冬用バージョンで、電気がなくても体を冷やす方法・温める方法や、明かりや食事をすることなどを想定してみて、できるだけの準備をしておこう。例えば
 夏…うちわ、首・胸・足の付け根などに水をスプレーする霧吹きなど用意
 冬…電気を使わない暖房器具、電気こたつに入れる湯たんぽ、ホカロンなどの用意
 通年…水、乾電池、ソーラーライト、洗濯板などの用意。電気釜ではなくガスでご飯炊くやり方、バケツ1杯のお湯と水で体を洗うやり方(私はネパールの安宿でやった)など練習してみる。
 温暖化は確実に進んでいる。海水温が上がることで、台風が発生しやすくなる。気温が1度上がることで、水蒸気は7%増えるということだ。そして、温暖化による影響は、災害リスクが増えるだけでなく、海面の高さの上昇、生態系の変化、食料生産の低下などに表れていく。
 国連気候行動サミットでのグレタ・トゥーンベリさんのスピーチを聞かれた方も多いだろう。「大絶滅を前にしているというのに、あなたたちはお金のことと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。よくもそんなことを。」エネルギーを大量に消費して経済を成長させるやり方を変えない限り、温暖化にストップはかからない。温室効果ガス排出量上位5位の中にいるアメリカと日本の首脳が、今回サミットを欠席したことに対して私たちは、もっと怒ってもいいと思う。2050年までに排出量0をめざすことを求めていこう。
 92027日、世界185カ国700万人が参加したグローバル気候マーチ。長野県では白馬の高校生の呼びかけで120人が参加した。世界970の自治体が出している「気候非常事態宣言」を出すように村長に要望も出している。この宣言は、今のところ日本では925日に長崎県壱岐市が出しているだけ。松本では、マーチの予定がなかったので、仕事を終えた50代から70代のおばさん、おじさんが「STOP! CLIMATE CRISISストップ!気候危機」のプラカードを手にスタンディングをした。(夜だったので、よく見えなかったかもしれないけど)
 世界はまだ、変えられる。あなたが参加すれば。

この地球の上で(アースキャラバン)(2019年8月)

 810日、アースキャラバン2019を松本に迎えた。
 広島の原爆投下から1か月後に、福岡県八女市星野村の山本達夫さんが広島市内に住むおじさんを訪ね、何もない焼け野原の中、地下壕に備蓄されていた炭にくすぶる火を遺骨代わりに持ち帰り、星野村が管理するまで38年間その火を火鉢で大切に保管し続けたそうだ。その火は、現在まで灯し続けられ、いつしか「平和の火」と呼ばれるようになった。
 アースキャラバンは、戦後70年の2015年にこの火を分けてもらい、火を携えて、日本国内、ヨーロッパ、中東エルサレム、パレスチナを巡り、ピースイベント(人種宗教を超えて音楽と共に平和を祈る)や支援活動(ガザに浄水器を設置、バングラデシュでは学校を運営するなど)を行っている。そして、今年3月には、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞受賞した時にスピーチをおこなった被ばく者のサーロー節子さんや、4人のいろんな宗教の少女たちと一緒にバチカンのローマ法王に謁見し二度とヒロシマ・ナガサキが繰り返されることがないことを祈って、火を吹き消してもらったばかりだ。
 その時参加した、オーストリアのアリス・シュミソッファーさん、ミリアム・シュミソッファーさん(12歳)親子と東昌一郎さん(15歳)が86日に原爆の残り火「平和の火」を携えて京都を自転車で出発し、滋賀、近江八幡、名古屋、高山を巡って10日に最終地点の松本に到着した。松本市は、1986年に核廃絶のための平和都市宣言をしているので、菅谷市長と市民と共に迎えたいと到着式を計画して、市長・市民が共に火を吹き消した。市役所の西側(お堀側)には広島市から分けてもらった「平和の灯」が灯し続けられていることを今回初めて知り、その横で行うことができた。当日は、信濃毎日新聞、中日新聞、市民タイムスが取材に来てくれ、中でも市民タイムスは、1面のトップに大きく載せてくれたので、ご覧になっ方もいるだろう。
 その後は、松本市四賀のヴィオパーク劇場でピースイベントを行った。
 私の挨拶
「ところで、2017年に国連で採択された核禁止条約は、発効に必要な50カ国・地域に足しておらず、未だ発効に至っておりません。この6日に批准したボリビアが25番目となっています。やっと半数です。日本は皆さんご存知のとおり、というか、あろうことか、というか批准していません。また今月82日には、米国とロシアの中距離核戦力(INF)全廃条約が失効してしまいました。核廃絶への道のりは、厳しいものですが、私たちは、核のない、誰の上にも爆弾が落ちることのない世界は、必ずや実現すると信じます。諦めない一人一人の小さな想いや祈りと行動が、つながり合って大きなものとなり、世界を変えていくと信じています。今日のこの集まりを、その一つとして、核廃絶を願い集まった皆さんと、共に作り上げていきたいと思います。」
 の後、北相木村から来てくれたご夫婦のデュオAMANAの美しい、心から歌、横田ゆうわさんのインド舞踊、ノビさんの何故世界から戦争がなくならいかというお話、アリスさんのバルカン半島ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争のお話、ミリアムちゃんの歌、極楽の音楽を表現するアンビエントバンドAMINADABUの演奏、キリスト教牧師の横田幸子さんと仏教僧の宮本薬祥さんからの平和のメッセージなどが続く。ここでも、集まってくれた人たち一人一人に手渡されたろうそくの「火」を吹き消した。
 平和を祈ることが、テーマの一つであったけれど、深い祈りというのは深い思索と行動があってこそのものだと、改めて思った。
 会場探しや市の平和推進課との調整、出演者の依頼、予算のことなどなど、いろいろと大変だった。10数年前に「非戦フェスティバル」(会場は松本大学野外ステージを借りた)をやった時に、こんな大変なことはもう2度とやらないと思っていたはずなのに、なんでまたやってしまったんだろうと振り返る。でも、大切なこととして、やりたいと思ったのだから仕方がない。これが、世界を変えるささやかな力となりますように。

この地球の上で(持続可能な世界)(2019年7月)

SDGs(エスディジーズ)を、ご存知だろうか。
 持続可能な開発目標(SDGs)とは,20159月の国連サミットで、193カ国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っている。SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,その17のゴールとは、「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」「質の高い教育をみんなに」「ジェンダー平等を実現しよう」「安全な水とトイレを世界中に」「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「働きがいも経済成長も」「産業と技術革新の基盤をつくろう」「人や国の不平等をなくそう」「住み続けられるまちづくりを」「つくる責任つかう責任」「気候変動に具体的な対策を」「海の豊かさを守ろう」「陸の豊かさも守ろう」「平和と公正をすべての人に」「パートナーシップで目標を達成しよう」
 そのSDGsについて元NHKキャスターの国谷裕子さんがお話しされるというので聞きに行ってきた。そのお話の一部に補足しながら紹介したい。
 お話は、ダボス会議に参加した16歳の環境活動家グレタ・トゥンベルクさん(スウェーデン)のスピーチの紹介から始まった。気候変動に取り組むことの大切さを訴え、「私の感じている恐怖を共有してほしい」。グレタさんが始めた気候変動対策を求める学校ストライキ「未来のための金曜日」は、1020代の若者を中心にヨーロッパ、世界各地に広がっている。アジェンダ2030の前文には「我々は地球を破壊から守ることを決意する」「誰一人取り残さない」「我々は地球の破滅を守る最後の世代になるかもしれない。」と書かれているそうだ。
 例えば水問題。世界の人口の4分の1が水不足なると予想されている。将来水不足のため7億人は故郷を離れざるをえなくなる環境難民が生まれると予測されている。日本では、水問題はないように見えるが、食料自給率がカロリーベースで38%の日本の食料が海外から入っているということは、その生産のために使われる水(推計800億トン)を輸入していることになる。世界の水不足は、自分と関係のない「人ごと」ではなく「自分ごと」である。
 クライメート・ジャスティス(気候の公平性)。先進国に暮らす私たちが、石油や石炭などの化石燃料を大量消費してきたことで引き起こした温暖化への責任を果たし、すべての人々の暮らしと生態系の尊さを重視した取り組みによって、温暖化を解決しようとうコンセプトがある。先進国の大量消費のために、アフリカ、中南米の貧困層が被害を受けている。
 大量生産、大量消費、大量廃棄の経済からサーキュラーエコノミー(循環経済)へ。
 まだまだ日本では認知度の低いSDGsに、関心を持っていきたい。前回の海洋プラスチック問題にしても、今行動を起こすことは未来の世代に対しての責任だと思う。

この地球の上で(海洋プラスチック問題)(2019年5月)

 519日の新聞に「海なし県から考えよう 海洋プラスチック問題」という、長野県環境部資源循環推進課の全面広告が載った。これは、6月1516日に軽井沢で開かれる「G20持続可能な成長のためのエネルギー転換と地球環境に関する関係閣僚会議」に向けて県としての方針を表明したものと思われる。
 そのサブタイトルとして「ごみのポイ捨て等により、河川から流れ込む海洋プラスチックごみ・世界で廃棄されるプラスチック量は年々増えてます。」
 国連環境計画の試算によると、2050年には海に漂うプラスチックごみの重量が、世界中の海の魚を全部合わせた重量を超える!ということだ。毎年約800万トンのプラスチックごみが海に流入しており、今や1億5000万トンのプラスチックごみがたまっている(2017年)
 もう一つのサブタイトルは「海洋プラスチックごみは生態系や沿岸環境に影響を及ぼしています。」
 海鳥のお腹の中にプラスチックがたまっていたり、ウミガメや魚、海鳥がプラスチックに絡まった写真を見た方も多いと思う。しかし、目に見えぬ形での汚染も考えたい。海水中には、今では多くの国が使用を禁止しているPCBなどの毒性の強い化学物質が、分解せずに溶けている。海水中の濃度は低くても、プラスチックごみが、化学物質を吸着して周りの海水の100万倍に濃縮することがあるという。
 レジ袋は、ポリエチレンだが、ポリエチレンは、一番化学物質の吸着能力が高く、薄いので簡単にボロボロになってマイクロプラスチック(5ミリ以下の微細なプラスチック)になりやすい。レジ袋有料化の動きも広まっている。友人が、県にまだ有料化していないスーパーについて問い合わせたところ、それらのスーパーもレジ袋削減には前向きだということだった。(おやおやのお客さんのエコバック持参率は90%を超えていると思うので、さすがです。)しかし、世界ではルワンダ、モロッコではレジ袋の製造、輸入、使用を禁止のほか、韓国、ニュージーランド、EU、カルフォルニア州など67に上る国・地域が使用禁止や課税をするというのに、国としての規制がない日本はプラスチックごみの後進国ではないだろうか。東京湾のカタクチイワシを調べたところ、8割の内臓からマイクロプラスチックが検出されている。
 レジ袋だけではなく、ポリエステルやフリース素材の服を選択すると洗濯くずとして排水されたり、角質をとるためにスクラブ剤として洗顔料やボディソープの中に配合されている「マイクロビーズ」も、微細なプラスチックごみとして下水道処理をすり抜けて海へと流れていく。イギリス、アメリカなどでは全面禁止されたが、日本ではまだ自主規制の段階だ。
 プラスチック自体の毒性もある。硬いプラスチックを柔らかくするため、熱がかかっても燃えないようにするためなど、様々な添加物が使われている。ペットボルの蓋などに含まれているノニルフェノールは、環境ホルモンで、体の中に入っていくと女性ホルモンのようにふるまってしまう物質だ。
 海に入ってしまったプラスチックごみは、けっして取り除くことができない。私たちは「脱プラスチック」の時代に入ってきている。海に流れ込まなければそれでいいのかというと、私たちが分別して出した廃プラスチックの60%近くが、燃やされ化石燃料としてCO2を排出している。原材料としてプラスチック製品に再生されるのが23%。最大の廃プラの輸入国だった中国は、2018年から輸入を禁止した。東南アジア諸国でも、規制が強化されそうだ。行き場を失ったプラごみが不正投棄されることが心配されている。
 日本では、年間900万トンのプラスチックごみが生まれ、1人当たりの発生量は、アメリカに次いで世界で2番目に多いそうだ。
 では、どうすれば?レジ袋を拒否する、水筒を持ち歩く、ポイ捨てをしないなどの個人の行動だけでは追いつかなくなっているので、法による規制が必要では?「G20持続可能な成長のためのエネルギー転換と地球環境に関する関係閣僚会議」で、実りある話し合いが行われることを望むばかり。

この地球の上で(春、4月)(2019年4月)

 4月に入ったある日、溜まりにたまった紙類を片付けようと決心した。
 出窓の下、机の前、台所と居間の境にある私のハンドメイドの棚(せっかく作ったのに猫の爪とぎ場になっている)の前に新聞の切り抜きやら、開封もされていないニュースレター、ちらしなどが上から上へ次々と重ねられ、地層(?紙層)を形成している。そこで、例えば、松枯れや稲など使われているネオニコ(農薬の一種)の資料パンフを探そうとしても、発掘する意欲がわかない。取ってあっても、必要なものが必要な時に見つからないという不便さに限界が来た。この負のスパイラルを断ち切らねば。
 一つ一つ目を通す。数々のニュースレター…「サラバ原発」「さよなら原発」「パレスチナ子どものキャンペーン」「ストップリニア訴訟」「違憲訴訟」「名前のない新聞」「平和の種」「緑の党」「生存を支える会」のバックナンバーを、順番に号数を揃えていく。様々な学習会、講演会の資料…小出裕章さん、鵜飼哲さん、「イスラーム世界勉強会」「ネオニコチノイド」「種子法廃止」etc、友人から手渡される沖縄や電磁波の新聞雑誌のコピー、私が作成したイベントのちらしなどをジャンル別に封筒に入れ、上の方にマジックでタイトルを書いた。ホームセンターで木の箱を3つ買ってきて立てて並べ、出窓の下に置いたら、床が広くなった。これで、お客さんが来ても上がってもらえる。この間、自転車で何回か、リサイクルステーションに運んだ紙類は55kg。
 「桜の花が咲く前に片付けて、お花見をする」ことを目標とした。だいたい片付けが終わって、県議選の投票に行ったら、保育園の庭の桜のつぼみが膨らんでピンク色が顔を出していた。やった!
 こんなことをフェイスブックに書いたら、アメリカに住む友人が「I’m proud of you」と書いてほめてくれた。「きっと復活祭前って、あちこちでそういうエネルギーが沸き上がるんですね」とも。この友人というのは、彼女が松本で新聞記者をしていた時に知り合った。新聞社をやめてアメリカに留学し、かの地で結婚、出産した後離婚。シングルマザーで育てた子どもが大きくなったという矢先に、癌になり治療中。アメリカは私にとって、あまりにも遠すぎて、なんの力にもなってやれない。「復活祭って、春の命が芽生えるお祭りだよね。Rちゃんにも、エネルギーがわいてくるよ!」と、応答することしかできない。というか、いつも彼女がユーモラスなコメントを書いてくれるで、私の方が元気づけられているかもしれないな。
 さて、お花見しようと、お天気のいい13日の土曜日に、千鹿頭池から弘法山へお散歩したけれど、ずっと寒さが続いていたせいで、ソメイヨシノは一分咲きだった。これが発行される木曜日ころには、咲きそろっているだろうか。Rちゃんは「行きたいー!来週木曜?もう歩けるようになってるかなー、なってたら、連れてってくれー。くすん。お花見したい。泣く。たぶん、来週木曜には間に合いません。できればまた写真、お願いします」
 木曜日は、午前中に行って、きれいな北アルプスと桜の写真を撮ってこよう。ヨモギも大きくなっているかもしれない。
 ちなみに、今年の復活祭(イ―スター)は4月21日。キリストの復活を祝う日だけれど、昔からある春の女神を祝う風習とキリスト教が結びついたということだ。木々や草の芽が伸び、花咲き誇る春を、お祝いしよう。

この地球の上で(あの日から8年を迎えて)(2019年3月)

 明日には、福島第一原発事故から8年を迎えるという日に、松本市で田中三彦さんと小出裕章さんのお話を聞く会に参加した。
 田中三彦さんは、日立で、福島第一原発の原子炉格納容器の設計に関わられていた方で、事故後、国会事故調査委員会の委員をされていた。公的な事故調査委員会は「政府事故調」と「国会事故調」の二つだが、政府事故調が原因を津波に限定したのに対し、国会事故調は、調査中に浮上した地震による損傷の可能性を否定できないとした。国会事故調は20127月に解散している。
 東電が計画している新潟県・柏崎刈谷原発67号機の再稼働(大きな事故があれば、長野県も被害を受ける!)に対し、新潟県は、福島原発事故の徹底究明が再稼働の基本的前提としている。田中さんは、現在、「新潟県原発安全管理に関する技術委員」として、東電とディスカッションを行いながら、事故の直接原因を検証している。
 東電によると、地震直後に外部電力設備がこわれて、非常用発電機が自動起動したが、津波によって被水し全交流電源喪失の事態になった、という。
 一方、国会事故調では、東電の約50枚のデジタル画像を分析し、1号機の全交流電源喪失は、津波におそわれる12分前にすでに起きていた可能性がきわめて高いことを示した。
 原子炉圧力容器内の圧力が高まると、SR弁(主蒸気逃し安全弁)が自動的に開閉して、蒸気を逃すしくみになっている。東電は、これが働いていたと主張するが、これを示す客観的データは存在していない。そして、SR弁が開く度に発生する、少なくても100回は繰り返されるであろう地鳴りのような大きな唸り音を、運転員も作業員も全く聞いていないことが、聞き取り調査で明らかになった。つまり、1号機のSR弁は、全く作動していなかったのではないか?激しい地震の揺れで、配管に亀裂が生じ、炉内の圧力が上がらず、SR弁が作動しなかったのでは?福島原発事故で地震による配管・機器の重大な損傷はなかったという前提で作られた「新規制基準」を見直すべきではないか?津波対策だけでは、不十分ではないか?
 地震はいつ、どこで起きるかわからない。このままいけば、第2のフクシマは、あり得る。けして他人事ではなく「わたしのこと」として、今年の脱原発集会宣言を以下のように書いた。

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福島第一原発事故から明日で8年目を迎えようとしています。
この8年間は奪われ続けた8年間です。
生業(なりわい)を奪われ、故郷(ふるさと)を奪われ、海を奪われ、山を奪われ、田畑を奪われ、牧場を奪われ、生活を人生を奪われた8年間でした。完備されたオリンピック選手村とはかけ離れた設備の仮設住宅に住む8年間でした。見知らぬ土地での生活の8年間でした。避難できない子どもたちのための保養キャンプを開く8年間でした。
そして、原発事故は継続中であるにも関わらず、住民の「知る権利」をないがしろにしてモニタリングポスト撤去の決定をし、国による住宅支援は173月で打ち切りられ、この3月末には福島県も住宅補助を打ち切るといっています。原発事故は終息し復興に向かっているとの演出のもとに、被害者は打ち捨てられようとしています。
こんな中、昨年は5基の原発が再稼働し、現在5原発9基が稼働しています。が、安倍首相のトップセールスによる原発の海外への売り込みは、トルコ、イギリスなど、ことごとく挫折しています。世界のどこにも輸出できない原発を国内で動かして良いはずがありません。
青森県の再処理工場は、原子力規制委員会の審査合格が確実となりました。しかし、再処理で発生する高レベル廃棄物の最終処分地も決まらないまま、稼働することなど私たちは許せません。4つのプレートがぶつかり合うこの日本列島で、安全に地層処分する場所など、どこにもないはずですから。これ以上、核のゴミを増やさないためには、原発を即時停止するしかありません。
この312日には、東電旧経営陣3名に禁錮5年の求刑を求める福島第一原発事故の刑事責任を問う裁判の最終弁論が行われ、結審しようとしています。20082月には津波対策をとることが決められていたにも関わらず、なんの対策も取らずに重大な被害を及ぼした事故の責任を問う裁判です。厳正かつ公正な判決を望みます。
私たちは、被害者の切り捨てを許しません。
私たちは、加害者の責任を求めます。
私たちは、原発の再稼働を許しません。
私たちは、一日も早い原発の即時停止を求めます。

この地球の上で(核のゴミの行方)(2019年2月)

 寒い日が続いている。
 寒くて何が困るかって、水道が凍結するのが一番いやだ。何度シャワーの蛇口を凍らせたことか。でも、今のところ大丈夫!友人から教わって、北向きのお風呂場と洗面所の窓を外のアルミの枠の上から全体を覆うように、発泡スチロールの板を両面テープで貼ってみた。(発砲スチロールは切るのがたいへん。細かい屑が出て、それがフワフワと部屋の中を舞う。買う時に店で切ってもらえないかと聞いてみたけれど断られた。カッターナイフを熱くして切ると屑が出ないらしいと後で知ったけれど、チャッカマンか何かでカッターを温めながら切るのかな。)今のところ、室内の最低気温は、零度で止まっている。朝の予想気温マイナス5℃くらいでは大丈夫、マイナス7℃の予報の時は心配で、蛇口の水を出してはいるけど。台所は、窓が開けられなくなるのが嫌なので、プチプチを貼ってカーテンを取り付けてある。
 断熱のしっかりした新しい家や二重窓だと、こんな苦労はしなくていいのだろう。エネルギー消費を減らすためにも、断熱のしっかりした家は、これからの必需品。
 エネルギーといえば、原発なしでも十分生活できていたのに、このところ、次々と再稼働をしている。原発は二酸化炭素を出さないが、放射能の核のゴミを生まずにはいられない。それが福島第一原発のように事故を起こせば、私たちの住む環境を広範囲に汚してしまう。では、事故を起こさなければそれでいいかというと、とんでもない。核燃料を燃やした後には、使用済み核燃料が残る。熱を出し続けるために冷却する必要がある。福島原発事故では、4号炉の使用済み核燃料プールの冷却用の水がなくなっていたら、もっと大惨事になるところだった。
 さて、この使用済み燃料を溶かして、残っているウランとプルトニウムをまた燃やすために(核を燃やすとは、核分裂を起こしてエネルギーを使うこと)取り出すのが再処理工場(青森県)であり、それを燃やすとプルトニウムが増えていくというのが高速増殖炉もんじゅ(福井県)。でも再処理工場はトラブル続きでほとんど稼働していないし、もんじゅもトラブル続きで廃炉が決まっている。
 先月、NUMO(ニューモ)の地層処分の説明会が、松本で開かれたので参加してきた。NUMOはホームページや新聞広告で参加者を募っていたが、ほとんどの人は高レベル放射性廃棄物を地層処分する計画があることなど知らないだろう。ここに参加してきた人々は、原発問題に関心を寄せる知人友人たちばかりだった。
 2000年「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」の成立後、NUMOが設立された。ウラン・プルトニウムを取り出した後には、高レベル放射性廃棄物液が残ることになる。それをガラス固化したものを地層に埋めるという計画があり、その候補地探しのための説明会である。ビデオやパンフが用意され、こんなに安全ですよ、という説明がなされた。しかし、いくら安全だと説明されても、地中深く埋めたものは人間の管理から外れてしまうし、まだ発見されていない活断層だってあるのだ。日本列島はユーラシアプレート、北米プレート、フィリピン海プレート、太平洋プレートの4つのプレートの境界の上に形成されている。脆弱な地盤の上の日本列島、どこにも安全なところがあるはずがない。地層処分は無理だろう。安全だと思えないから、うちへどうぞと名乗りを上げて誘致している自治体など未だどこもないではないか。
 では、たまりにたまった使用済み核燃料(核のゴミ)は、どうすればいいのか。冷却プールで冷やした後、地上で乾式貯蔵(自然循環する空気で冷やすやり方)のが一番いいと思う。小出裕章さんもそういっている。これにも貯蔵のための広大な土地は必要になるけれど、管理できない地中に埋めるよりはよっぽどいい。
そして、何より大事なのは、これ以上処分できない核のゴミを増やさないために原発を即時停止することだ。私たちは、未来の世代に核のゴミを残すのかどうか、問われている時代に生きている。ちなみに高レベル核廃棄物が無害なレベルになるのには10万年かかると言われている。

この地球の上で(今年のお正月休み)(2019年1月)

 新しい年が始まった。
 私と娘二人、まとまって休みが取れるお正月休みは貴重な時間。今年は、和歌山に住む亡くなった連れ合い・ケンちゃんの妹夫婦を訪ねた。向こうからは、ケンちゃんの看病や、お葬式、借りていた畑を返すための片付け、お別れ会、3回忌などに足繁く来てくれていたのに、こちらから行ったのは初めて。車で休憩を入れて9時間かかった。よく何回も来てくれたと改めて感謝する。3泊4日の旅でも移動に2日取られるので、ゆっくりできたのは2日だけだった。
 家は、集落から杉林を延々と上って行った一軒家。廃屋になりかかった斜面に立つ家を買って、33年目だそう。手直ししても隙間だらけの家。でも薪ストーブを焚けば暖かい。15年ぶりの再会と新年を祝して乾杯!
 初めは田んぼも借りていたけれど、猪が稲を両手で抱えて倒しバクバクと食べ、糞をしてこねくり回して帰るので諦めたそう。水を引くにも苦労が多そうだ。鹿もたくさんいるので、畑スペースは四方天井をしっかり網で囲ってあった。夜、娘が持っていった鹿笛を吹くと、鹿の目が光っているのが見えたとか。日本全国、どこでも獣たちとの付き合い方が難しくなっている。
 本宮町という地名が、熊野本宮大社からきていることも知らなかった私は、元日の朝にNHKで熊野古道の番組をやっているのを見て、にわかに勉強できてよかった。
 近くの名所を案内してもらった。水吞王子、発心門王子、拝伏王子(王子とは、熊野詣のための道をつなぐために設けられた神社。神様の子どもの王子が、道に迷わないように道案内をしてくれるイメージ。)を訪ね、本宮大社へ。長い列の参拝客におそれをなし、誰も並んでいないすぐ横の小さな社をお参りした。そこは結びの神様と聞いたので、「ほころびてバラバラになった世界を結びなおしてください」とお祈りをする。世界遺産になった熊野神社は、古道を歩く外国人が数多くいた。今回は車でササっと回ったので、いつか、ゆっくり時間をかけて歩きたい。その後、ガマガエル形の大岩のある神倉神社へ。階段を見上げて、私には無理!と下で待っていると、地元のおじさんが「これは何の木か知ってますか?」と話しかけてきて、ナギの木だと教えてくれた。葉っぱは引張ても切れないので、縁を切らないという。葉脈が笹のように縦に走っている。「お財布に入れておくとお金と縁が切れないよ。」と言われるので、お財布に1枚入れさせてもらってきた。
 温泉も多い所だ。湯の峰温泉には90℃の湯筒があって、誰でも茹で卵を作ることができる。お風呂上がりのゆで卵はおいしかった!お芋を茹でてもおいしいらしい。翌日は川湯温泉にも行った。
 そうそう、本宮町のパン屋さんで、松本から来たと言ったら「私の妹の娘が松本にいますよ。」聞けば、おやおやに一時期ニンジンを出してくれたむすび農園さんとのこと。不思議というか、世間は狭いというか。
 だんだん会えるうちに会っておかないと、と思う年になってしまったので、今回訪ねることができて本当によかった。
 どうか、今年が世界や人々にとって幸多き年になりますように!

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