Yakkoのページ  2009年
この地球の上で&四季の台所

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四季の台所(読書と台所)(2009年12月)
  11月のうちに、チューリップの球根やパンジー、ビオラの苗を植えたり、自家採取の小松菜の種を蒔いたりの庭仕事を終えたので、後は心おきなく家の中にこもることができる。

友人から「ガンジーの危険な平和憲法案」(C・ラグラス・ラミス著 集英社新書)の読み合わせ会をしないかと誘われた。本屋の店頭で探したが見つからず、藤沢くんが始めた勉強会のテキストになるという「ベーシック・インカム入門」(山森亮著 光文社新書)を代わりに見つけて買ってきた。「ガンジーの―」は後にネットで手に入れる。非暴力でイギリスの植民地からの独立を勝ち取り、建国の父と謳われたガンジーの「危険な平和憲法案」とは?それは軍隊を持ち正当な暴力を独占する「普通の国家」にとって、ガンジーのめざす非暴力の国作りは危険なものという意味である。新憲法案を提出した数時間後にガンジーは暗殺され、その後のインドは軍隊どころか核兵器まで持つ国となる。現在ガンジーの非暴力の国作りは、まったく黙殺されたままだが、ガンジーが何を目指していたのかが、日本国憲法についての著作が多いラグラス・ラミスによって掘り起こされていく。

「ベーシック・インカム入門」−すべての個人(世帯ではなく)に対して無条件給付する基本所得(Basic Income)を初めて知った時は荒唐無稽な話に思えた。でも200年前からB・I的な考え方が提案されてきていたが、なぜかつい最近まで日本では注目されてこなかったこと、「働く」ということの意味の問い直しなど、いろいろと興味深い。たとえば賃労働などだけが収入が保証されるが、家族の世話や次世代のいのちを育てる家事労働にたずさわる人、病気の人、障害のある人、自給する人等の収入は保障されなくていいのか?現在の社会保障制度は完全雇用を前提としているが、環境を考慮した場合、完全雇用のための生産主義による経済成長というのは正しいか?

どちらの本もおもしろくて、両方いっぺんに読み合わせ会をしたいくらい。

さて、一日中本を読んでいたいが、台所も私を呼んでいるので、ある一日は台所にこもる。こんな具合に−。朝ご飯用に「ホットビスケット」を焼きながら、小豆をコトコト煮始める。前にもらった「お焼き」を思い出し、なんだか作りたくなったから。具はあんことひじきのくるみと豆腐の白和えにしよう。芽ひじきを水に漬ける。一袋全部は多すぎるから、半分は「ひじきクッキー」に。かぼちゃがあるので、かぼちゃ餡も作りたいところだけど、晩ご飯に回すことにして「かぼちゃコロッケ」用にとかぼちゃをふかし始める。そして何日か後には、余った餡と、おやおやの塩茹で黒豆で「黒豆大福」ができ上がるというふう。

ひじきクッキー 黒豆大福
戻した芽ひじき・・・1カップ
サラダ油   ・・・90g
黒砂糖    ・・・80g
卵白     ・・・1個
小麦粉    ・・・150g
ベーキングパウダー ・・・小匙1
塩      ・・・少々

@サラダ油に黒砂糖を入れて溶かす
Aそこに、卵白、ひじきを混ぜ、粉とペーキングパウダーをふるって混ぜる
B天板にスプーンで落とし平たく伸ばして170℃で15分間焼く
 ★卵、ベーキングパウダーを入れなくてもおいしい。
白玉粉   ・・・150g
砂糖    ・・・少々
水     ・・・200cc
片栗粉   ・・・少々
餡     ・・・200gくらい
塩茹で黒豆  ・・・1袋

@餡を10等分して丸めておく
A耐熱容器に白玉粉、砂糖、水を入れよく混ぜ、電子レンジ1000W3〜4分間加熱し、よく混ぜる
B水分を調整して1000W1分間加熱
C黒豆を混ぜ、片栗粉の上で餡を包む
 ★黒豆を入れないで、片栗粉の代わりにきな粉を使うと「うぐいす餅」に。

四季の台所(冬の準備)2009年11月

 切羽詰まらないと、なかなかできない。暦の霜降(10月23日・旧暦9月6日)が過ぎたので、やっとトマトを片付けることにした。まだ少しずつ赤くなっているけれど、いつ霜が降りるかわからないし、時間のある時にしかできないから。青トマトはピクルスにした。あまり好きではないけれで、あるとつい作らずにはいられない。瓶に4つできた。

暑い時にはなかなかやる気になれなかった剪定もすることにした。駐車場になっている隣(南側)の土地に、元気よく枝を伸ばしている桃の木。実が大きくならないので食べられないけれど、春にはきれいな花を咲かせてくれるすてきな桃の木だ。が、あまりにも伸びすぎている。フェンスの向こうに脚立を置いて切り出したら、隣(東側)のおじさんが手を差し伸べて切ってくれた。うちは車がないので、ラーラまで持っていけない。そこでひたすら剪定ゴミ用の袋に細かくして詰めていく。娘も一緒にやってくれて、大ゴミ袋に3つ。太い枝は束ねる。いつの日かの薪ストーブのある日々を夢見ている私は、これをゴミに出すことはしないでとっておく。全部終わった頃、隣のおじさんが娘を呼んでサツマイモを掘り出して持たせてくれた。なかなか大きくて、大学芋だと一度に1本食べきれないな、スィートポテトだと一度に作っても翌日も食べられるかなと、眺めながら考えてしまうりっぱなお芋だった。

ファンヒーターは中を隅々までお掃除済み。でも、留守番をしなくっちゃいけない子ども達が小さかった頃は安全かつ便利なファンヒーターは必需品だったけれど、もうそろそろ普通の石油ストーブでも大丈夫そうということで30年前に買ったストーブを新調した。対流式で部屋全体がほんわり暖まるところが結構気に入っている。それに、少しは電気代が減るかしらと期待もしたりして。

夏物スリッパを洗って冬物に換え、床にはラグを敷いて、大体うちの冬の準備は完了。

さて、生存を支える会(仮)のほうも越冬準備を進めている。昨年のリーマンブラザーズ破綻以来、失業者は依然として多い。8月の失業率5.5%、有効求人倍率0.44倍。雇用保険の給付が終わり貯金も使い果たした人がこの冬路上に現れるかどうかはわからない。寒い松本から炊き出しの充実した東京、名古屋などの都市に向かっているかもしれないけれど、若い友人たちは駅前や24時間営業の店の夜回りを始めている。車に毛布を積んで回り、必要とあらば差し出すので、毛布が必要だ。使っていない毛布があったら提供していただけるとありがたいです。もしたくさん集まれば、東京、名古屋の野宿者支援団体に送ります。

求む!毛布(新品でなくても、使えればいいです。)
0263-46-0624(有賀)か、おやおや内Yakkoまで
カンパは郵便口座00560-2-60996生存を支える会(仮)へ

四季の台所(秋のジャムと保存食作り)(2009年10月)

今年もお彼岸に曼珠沙華が咲いた。涼しい夏でも暑い夏でも、ヒガンバナの名のとおりお彼岸には決まって咲くから不思議だ。全国どこでもそうなのかしら。

夏が過ぎて、今うちで収穫されるのは、トマトとシソの実だけ。よく生ってくれたブラックベリーには来年の夏までゆっくりして、とねぎらいの言葉をかける。ブラックベリー・ジャムは、今年は小さな六角瓶に30本近く作ることができた。おかげでちょっとしたプレゼントや生存を支える会(仮)のカンパ集めに活躍している。ジャム作りには去年の暮れに買ったシラルガンの両手鍋(大)を使った。いい道具があると作る時の心のはずみ方が違う。普段の料理にはこのサイズは大きすぎるので、次のセールには両手鍋(小)を手に入れようと、月々鍋積み立てなんかしている。道具といえば、ゴムベラの先が柔らかくなってしまったので、今まで少し高いからと敬遠していたシリコン製のを買ってみた。料理番組でチョコキャラメルを作るのに鍋の中をかき混ぜているのを見て以来気になっていたシリコンベラは、耐熱温度が230℃とか300℃(製品によって異なる)らしい。熱にも油にも強そうだから少々高くても長持ちするかもしれない。高いシラルガンを買ったのも、傷がつきやすく欠けやすいホウロウに比べずっと堅牢そうだからだ。長く気持ち良く使うには道具はいいものを買ったほうがいい。私が産湯に使ったというしっかりした木のたらいは、私の子どもたちも使うことができたし、いつの日か孫も使えるかもしれない。捨てないで長く使えるというのはエコだなぁ。

しかしながら、原発の使用済み燃料からプルトニウムとウランを取り出してまた使うという核燃料サイクルは一見エコのようだけれど、それを燃料として使う高速増殖炉は事故のまま止まったままだし、青森県六ヶ所村再処理工場でプルトニウムとウランを取り出した後の高レベル放射能の廃液を1200℃の高温でガラスと混ぜてステンレスのキャニスターに入れて固めて地中に埋める計画は、溶鉱炉の底に白金族の金属がたまって出口をふさぎキャニスターに注入できないというトラブルで操業できる見通しは立っていないし、できたとしてもその高レベル放射能廃棄物を最終的に埋める場所だって決まってない(誰だって放射能のごみが自分の近くに埋められるなんてイヤだと思うよ)しで核燃料サイクルには無理がある。日々、半永久的に残る放射性物質を生み続ける原発はCO2こそ出さないが、全然エコじゃない。原発は建設のために周辺にばら撒かれるお金、再処理のためのお金、放射性物質の管理費を考えるととてつもなく高いものであるけれど、必ずしも高いもの=良いものとはいえない例の一つである。核燃サイクルが回らない中、使用済み燃料が各原発の敷地内にたまり続けているのが現状だ。電気エネルギーを原発に頼るのはもう止めて、いのちを大事にするエネルギーに一日も早くシフトしてほしい。

そろそろ、紅玉が出始めるかもしれない。またシラルガン鍋をひっぱり出して、ジャム作りをしよう。夏前半の低温で出荷が遅れたレンコンもおいしそうになって出てきたので福神漬けを作らなくっちゃ。お正月用に栗の甘露煮も作りたいし、秋は秋で台所は忙しい。

おまけ

<簡単おやつ>キャラメル味のポップコーン
@    ポップコーン50gを少量の油を注いだ深鍋に入れ蓋をして熱し、はじかせる。
A    バター30g、砂糖60g、水大さじ1を煮詰めたキャラメルにポップコーンをからめて出来上がり!
    (置いておくとしけるので、食べる分だけ作ってね)

この地球の上で(今年の夏休み)(2009年9月)

今日から9月。8月は12日まで雨が降らない日が一日もなかった。太陽が戻ったと思ったら、もうお盆。9月はどんなお天気になることやら。今年の梅雨明け宣言をみる限り、たぶん気象庁にもわからないだろう。

さて、今年の私の夏休みは9日間。どこかに遊びに行かなくても、何日か休みがあるというだけで嬉しかった。仕事のある日は、朝の限られた時間に昼食とお弁当作り、夕食の下ごしらえ+洗濯か掃除のどちらかをこなさなければいけないから気ぜわしいこと。朝のしなければいけないことという束縛が、ほどけるだけでありがたい。

子どもたちはそれぞれに友だちと海に遊びに行くようになったので、私の夏休み中のお出かけといったら、日本キリスト教団塩尻アイオナ教会での平和の集いに参加したことと市内の生活困窮者の相談に行ったくらいだった。平和の集いは、参加者からの発題に一橋大学大学院の哲学者鵜飼哲さん(教授)が応答してお話しするという形で続いていて今年で4年目。今年のテーマは「民主主義は戦争を克服できるか」。時には自分が発題者となり、時には他の人の話を聞き、鵜飼さんの丁寧な応答を聞くという年に1回の思索の時を楽しみにしている。

相談というのは、市民グループ・生存を支える会(仮)に寄せられた生存に関わるSOSに応じること。平日はなかなか生活保護申請の付き添いや生活・労働相談に参加できないでいるけれど、今回は夏休み中にあったので相談に出向くことができた。相談者は昨年暮に派遣切にあい、ハローワークを通じて紹介された県営住宅に住み、失業給付を受けながら仕事を捜していた。派遣はもうこりごりと正社員の仕事をネットで捜しているが見つからない。仕方がないので派遣でもいいからと県外の派遣の仕事(派遣は全国あちこちとばされる)に応募中だが、6月に失業保険が切れて収入がなく、現在所持金1万円のみで光熱費、家賃も払えない、ということだった。この日は、社会福祉協議会の融資を利用して派遣の採用通知を待つことにする、と本人が決めた。昨年末に派遣切りされた人々の失業保険が切れ手持ちのお金もなくなる頃だから、同様の相談が又あるかもしれない。過去最悪の失業率だそうだ。ハローワークには仕事を求める人で溢れかえっているが、仕事はない。都合のいいように雇われ都合のいいようにクビを切られる「派遣法」が、新しい政権の元で企業のためではなく人間のための法に変わるかどうかしっかりと見ていたいと思う。

他にはご近所からもらった夕顔をやっと晴天が続く中、干ぴょうを作ったり、100円レンタルのDVD(オススメは「12人の怒れる男」−アメリカでは陪審員の意見が全員一致でないと判決が出せない。父親を殺害したとして死刑を求刑されている18歳のスラムの少年の判決にのぞむ12人の男たちのうち、11人が有罪を、それに対し1人だけが疑問を投げかける。疑問を出し、検証し、話し合うことで最後に12人全員が無罪判決を出す。様々な意見や立場、偏見を持つ人々の中で、ヘンリー・フォンダ演じる男が「話し合いましょう」と呼びかけ粘り強く全員一致まで話し合うのは、北米先住民イロコイ連邦の民主主義を彷彿とさせた。そして、この一人の男がいなかったら無実の少年が死刑にされることにもなったという裁判の恐ろしさ。モノクロで場面展開もないが、ぐんぐん引きつられていく。)を見たり、15年前にバリで買った古いバテックをやっと夏用のチェニックに縫い上げたりと、それなりの夏休みだった。

娘たちのそれぞれの友人たちに焼肉会を開いてあげたりもしたけれど、つい先日も生存を支える会の被支援者の交流の場としての焼肉会も開いたので、結局この夏3回も行なった。今年の夏は終わってもいいかもしれない。

いいや、Hさんからもらった1本のトマトから、わき芽を挿して6本に増やしたものがまだ青い実をたくさんつけているので、もう少し暑い日が続きますようにと、ひそかに祈っているのだった。

この地球の上で(記憶にであう)(2009年7月)
   開け放った窓からの心地よい風を受けながら、あまり厚くない1冊の本を手に取る。パラパラッとページをめくると、老人たちの顔、顔、顔が飛び込んでくる。どこかで見たことがあるようなおじいちゃん、おばあちゃんたちだけれど、長い顎ひげや、縮緬のような皺や、深い深い皺は今の日本ではあまり見かけなくなった。これらは中国黄土高原、山西省臨県の老人たちの写真だ。

 知っている人にはもうわかるかもしれない。ここはかつて日本軍が三光作戦を行なった村。著者の大野のり子さんが2003年、観光の途中にたまたま立ち寄った紅い棗(なつめ)が美しく実る村で、「どこから来たの?」と問われ、「日本から来ました」と答えたとたん日焼けした顔が一瞬にして憤怒の色に染まり激しい言葉を放つ老婦人に出会う。強い方言のため、やっと「かつて日本人がたくさん来た」こと、「多くの村人が日本人に殺された」こと、大野さんが「それ以来初めてやって来た日本人である」ことを聞き取って、その時初めてその村が三光作戦の村であることを知る。

 翌年2004年に再び訪れた村で、84歳の陳(チェン)老人は、日本人に母親を生きたまま焼かれた過去を、遠い昔の記憶をたぐり寄せながら静かに語ってくれるのだった。【過酷な自然環境と社会条件の下に、今も常に貧困と向き合わねばならぬ村人たち。政治の言葉で語られる謝罪や保障とはまったく無縁に過去の記憶をひっそりと抱いたまま残り少ない人生を送る老人たち。私は、彼らが60数年もの長い間、“私たち”がやって来るのを待っていたのだと思いました。そして同時にこれ以上待てないこと、つまり体験者がどんどん亡くなっていくという現実を目の前にして、私は待たれていたことの責任を自分なりに果たしたいと考えました。そして、「この村であったことを、日本に帰ったらみんなに伝えてほしい」という陳老人のたったひとつの要求に応えたいと思ったのです。】(「記憶にであう 紅棗がみのる村から」‐はじめに‐より 未来社)

 そして大野さんは2005年からは、それまで住んでいた北京を引き払って紅棗のみのる村に移り住み、聞き取り調査を始めるのだった。4年間に90を超える村を訪ねて270人から話を聞く。方言が強いため、録音したテープを正確を期すためにそれぞれ2人ずつの中国人にまず中国語の標準語にしてもらい、それを大野さんが日本語に翻訳するという作業をしたものの中から、この本には40人の老人たちの記憶と顔写真が載っている。

 自分が体験していないことは記憶することができない。でも体験した人の話を聞くことで「記憶にであう」ことはできる。その当事者が誰にも語ることなく亡くなってしまったら、その記憶は誰にも手渡されず消えてしまう。そして、そんなことは無かったことしてしまいたい大きな力によって誰にも受け継がれなかった記憶は、いとも簡単に消されてしまうに違いないのだ。

 聞き取った全員の話を載せた報告書が来年には作られるそうだ。今手元にあるこの本は、つらい記憶の記述の合間に、今の村の様子−ヤオトンという黄土層の崖に横穴を掘って内部を固めた建築様式のこと、馬に乗って花嫁を迎えに行く山の結婚式のこと、炕(カン)というオンドル式ベットのこと、風邪をひいたら近所のおばさんや子どもたちがどっと押しかけ、下がった熱がまた上がりそうになったこと、などなどが綴られていて、襟を正して読み進まなくてもいいので、家事が一段落したらほっと息をついて、紅棗がみのる村に思いを走らせている。

(大野のり子さんは、松本市にある信濃むつみ高校の中国在住の現地職員で、修学旅行や留学生の受け入れ準備や案内などをしている。)

四季の台所(夏に向かう、おうち仕事) (2009年6月)

 6月14日今年初めてのラズベリーを収穫した。まずはパクンと口に放り込むが、そのまま食べるより、やっぱりジャムやシロップの方が好き。

気がついたらいつのまにか、フサスグリの実がうっすら赤みを帯びていた。前号で、フサスグリのクラフティを作ると書いたけれど、信濃毎日新聞に「信州産でフランス菓子」を連載している新久代さんによると、クラフティはフランス・リムーザン地方の郷土料理で、クラフティと呼ぶことができるのは、リムーザン地方のさくらんぼを入れたものだけだそう。と、なると私が作ろうとしているものは、「フサスグリのクラフティ風」ということにしよう。ヨーロッパは食に関して厳密だ。シャンパンは、フランス・シャンパーニュ地方で作られたものだけ、パルメザン・チーズ(パルミジャーノ)はイタリア・パルマ地方で決められた方法で作られたものだけ、とか。フランス・ノルマンディーのカマンベールは、その土地の原料乳を使い37度以上に熱することは許されないし、しゃもじで型に入れる作業は最低4回間隔をおいて繰り返すなどと細かく決められているそう。それに比べ、外国産そば粉を使って信州そば、同じく外国産大豆を使って信州味噌と自称するこの国の食文化は一体どうなっているのだろうか。

あちこちの家庭菜園の野菜たちがすくすく育っている。私は今年は種から育てたというHさんの大切なトマトの苗をもらったので、大事に育てている。1本だけだけれど、芽かきをしたらその芽を土に差してみようと思う。根付く率はわりと高いので、試してみてください。

ちゃんと根付くまで水やりをしっかりするのがコツ。うまい具合に雨が降るとラッキーです。

梅仕事も始まっているし、いよいよ夏本番に向かっている感じがいい。

うちの台所・居間の網戸はネコが家の中に入ろうとしてあけた穴が開いているし、すぐにはずれるし、で網戸の意味がないと閉めない私に、虫が入ると娘が小うるさく文句をいう。網戸に関してはあんたと同じくらいわからないんだからといつまでも言っているのも大人げないので、ホームセンターに張り替え用の網を買いに行った。どうやら押さえゴムのサイズがあるらしいとわかって、もう一度出直し。うちに帰って網戸を観察するとメーカーによっていろんな形状の押さえゴムがあることがわかる。錐とマイナスドライバーでやっとゴム(うちのは正確には硬質プラスチックだった)を取り外し、サイズを確認してもう一度売り場へ。網、ゴム、ゴム用ローラー、専用カッター、大きいグリップなど2000円弱で購入して娘といざ張り替え!@窓枠にあわせて、網戸全体の高さを調節する(これでもうはずれない!)A戸に網を広げてグリップでとめるBローラーで押さえ込みゴムを溝にはめこむ(ローラーは必需)Cはみ出た網を専用カッターで切る(スイスイ切れる専用カッターはとても便利)Dオプションとして取っ手もつけたら使い勝手のいいこと。案ずるより生むが易しの網戸の張替えだった。前に「試してガッテン」だか「伊藤家の食卓」だかで網戸を黒くすると外がよく見えるというのをやっていたので、黒の網を買ってきたら本当にそのとおり。網戸が嫌いな理由に、外の景色が霞んで見えるというのがあったけれど、黒の網は本当に外がすっきり見える。時間があったら全部張り替えたくなるほど。

こんなことなんかをいろいろして夏に向かう、という感じがやっぱりいいなぁ。

四季の台所(大地の恵み) (2009年5月)

 5月18日今年一番のブラックベリーの花が咲いた。(昨年は5月20日だった)ラズベリーは小さな白い花びらであまり目立たない花だけれど、ブラックベリーは、薄いピンクの花びらがそれなりの大きさでかわいらしい。毛虫は毎朝の見回りで、ほとんど取りつくした(そう思いたい)。子どもたちの小さい頃はパンの厚さより厚いのではないかというくらい塗りたくっていたジャムも、お年頃のこのごろは消費量がめっきり減ってしまったので、ラズベリージャムもブラックベリージャムも、お土産用、プレゼント用として活躍している。

 苗をもらって3年目になるフサスグリが、初めて実をつけた。まだ小さな緑のまん丸がぶら下がっているだけだけれど。ジャムにするほどは生らないだろうから、ヨーグルトクラフティの飾りにでもしようかな。フサスグリもブラックベリーもYさんからのいただきもの。Oさんからもらったホトトギスだとか、YO子ちゃんからもらったニリンソウ、何とかヒヨドリ、サンショだとか、お隣さんからもらったシラーや花いちごとかが、自分で買ってきたものたちと一緒に庭を豊かにしてくれている。植えたのにいつの間にか消えるものもあるけれど、勝手に増えていくレモンバーム、三つ葉、シソ、スープセロリなんかもあって、庭は年々違う顔を見せてくれる。

 この冬初めて花が咲いて、わくわく期待していたビワはどうやら今年は食べれそうもないみたいだ。鉢に種を蒔いたものの何度も枯らしそうになり、地面に根を下ろしてから少しずつ大きくなっているビワ。ビワの葉には火傷の時、何度も助けられているので元気で育ってほしい。

木々も草も少しずつ初夏に向かっている。傍を通るといい香りのする朴の花はそろそろおしまいだ。去年「朴葉餅」を作ったら、葉っぱが若すぎて蒸している間に、お餅にくっついてしまった。今年は時期をよく見極めることにしよう。木曽では売り出すのは5月20日からだというし。

塩漬け桜葉に包んだり、笹の葉に包んだり、柏の葉に包んだり、若芽をお餅に混ぜ込んだり、和菓子は季節を映し出していておもしろい。そうそう先日、草餅を作った時のあんこが残っていたので、さつま芋の輪切りにあんこをのせ小麦粉を水で練っただけ皮で包む「いきなり団子」を作った。蒸し器に平らに並べると一度に少ししか蒸せない。立てると、たくさん作れるけれど、皮同士くっついてしまうので、クッキングシートで包んでみた。こんな時。サルトリイバラやクマザサがあればと思うけれど、街暮らしではクッキングシートでがまんしよう。(もう少しすれば、ミョウガの葉っぱが使える)。「いきなり団子」はさつま芋だけで作るのが本当かもしれないけど、あんことさつま芋がよく合っておいしかった。

鹿児島では竹の皮で餅米を包んで、灰汁で茹でる「あくまき」というのがある。でき上がったべっこう色の餅を切って黒蜜ときなこで食べる。以前、竹林の横で薪ストーブ暮らしをしていた時に作ったが美味。(鹿児島の5月のお節句の食べ物)。北信では笹の葉に散らし寿司をのっけたもの、奈良などでは柿の葉で包んだお寿司。全国にはこの他にも、葉っぱで包んだお菓子や料理がまだまだあるに違いない。

新型インフルエンザが流行しだしたり、プルサーマルで使うため猛毒プルトニウムとウランの混合燃料MOXがフランスから到着したりで気持ちが暗くなりそうだが、新緑の中、大地の恵みに思いをはせると心が軽くなって力が満ちてきそう。

四季の台所(いちご大福)(2009年.4月)

 花粉症が辛いといっても、やはり春はいい。

 満開の桜の下にいると、やさしいさくら色と同じようなやさしい気持ちになれそうだし、きれいにうねりながら咲くまっ白い雪柳を見ていると心が洗われそう。一面に広がる黄色いたんぽぽは、元気を分けてくれる。木いちごの若芽も日ごとに大きくなっていく。これからは毛虫がいないか毎朝の見回りが欠かせなくなる。うっかりすると、オビカレハの幼虫はその数にものを言わせてあっという間に、葉っぱを食べてしまうのだから。

ほったらかしの苺も花を咲かせた。この苺がなる頃には、ハウスが主流の店頭の苺はなくなりかけるだろうし、うちの苺はあまり当てにはできないので、今のうちに、いちご大福を作ることにする。去年はいちご大福の試作品を作りすぎて子どもたちにすこぶる評判が悪かった。切り餅で作るやり方、白玉粉を蒸すやり方、電子レンジで作るやり方と、いろいろ試してみた結果「えっ、またいちご大福〜!?」まぁ、今年は初めてだから許してね。

うちにもないし、皆さんのところにも、もう切り餅はないでしょうから、白玉粉を使った一番お手軽な電子レンジを使ったやり方で。

材料
(いちご大福10個分)
作り方
細長くない苺・・・10粒
こしあん(つぶあん、白あんでも)
白玉粉   ・・・150g
洗双糖   ・・・50g
水     ・・・200cc
打ち粉用に片栗粉
  1. こしあんを作っておく(前にも書いたので省略)
  2. 苺の下半分にあんこを丸めてつける。
  3. パイレックスのボールやどんぶりに白玉粉、洗双糖、水を入れて、ダマがなくなるまでよく混ぜる。
  4. 電子レンジ1000Wで3分加熱。
  5. いったん出してよく混ぜる。固そうだったら、水をほんの少し加える。再び1000Wで1分加熱。
  6. 片栗粉を広げたバットの中で10等分する。
  7. Aの苺とあんこを包む。苺の赤がほんのり透けて可愛いいちご大福のできあがり!

かつて世の中に「いちご大福」なるものが存在すると知った時はそんなものは絶対食べない!と思ったけれど、今はこよなく愛しているから不思議。いちご大福をいまだキモイと思っている方は、同じ作り方で苺を入れずにあんこだけ包み、きなこをまぶすと<うぐいす餅>になるので、お試しあれ。

うちのなさけないいちご畑(と呼べるかどうか?)を見ていて、映画「西の魔女が死んだ」(何についても言えるのだけれど原作の本のほうがずっといい)のシーンが甦る。一面のワイルドストロベリー畑から摘んできた小さいバケツ何杯もの苺を、庭のかまどに大鍋をかけての苺ジャム作り。いいなぁ、とため息。木いちごジャムも好きだけれど、私も子どもたちも一番好きなのはふつうの苺ジャム。

 京都山科に住んでいたことのある健ちゃんが、裏山から採ってきたフユイチゴでジャムを作ったことがあると話していた。ワイルドストロベリーみたいなのと想像していたけど、調べたら暖かい所で冬になる低木の木いちごだとわかった。勝手にふつうの苺みたいなのと思い込んで憧れていたので、ちょっとがっかりしてしまった。

今年は、小さないちご畑のお世話をちゃんとしてあげよう。                 

四季の台所(雑穀)(2009年.3月)

あまり冬らしくなかった季節も次の季節に移ろうとしている。3月8日クリスマスローズが開花。水仙がつぼみをふくらませている。地物だけ食べていれば、これからは野菜の端境期となる季節でもある。こんな時、雑穀を食べてみようと思う。

雑穀といえば連れ合いのケンちゃんを思い出す。五穀パンを作るために、自分で、あわ、きび、ひえ、高きび、小豆、黒豆、大豆、小麦、ライ麦、米を作っていた。ゴマなんかも入れると五穀じゃなくて十穀にもなるパンは、雑穀をもっと食べてほしいというケンちゃんのこだわりのパンだった。なかなか忙しくてパンは焼けずにいるけど、ご飯に炊き込んでいる。でも、ビタミンやミネラルを豊富に持つ雑穀をおかずとして料理するのも楽しそう。ちょっと特徴を書き出すと、

きび
ビタミンB1・B6、亜鉛、ナイアシンが豊富。黄色い色素はポリフェノール。不足しがちな必須アミノ酸メチオニンを豊富に含み、肝臓内の毒素や老廃物を排除して代謝を促進したり、血中コレステロール値をコントロールしたり、抗酸化作用もある。
あわ
ポリフェノール、ビタミンE,ビタミンB1・B6、ナイアシン、パンテトン酸、カリウム、リン、鉄、亜鉛が豊富。肌荒れや日焼けに効果があるといわれるパントテン酸の含有量は雑穀の中で一番。
ひえ
ビタミンB6、ナイアシン、パントテン酸、カリウム、リン、亜鉛が豊富。寒いところでもできるひえはアイヌの人たちにとって大切な穀物だった。お酒もひえで作る。
高きび
カリウム、リン、ビタミンB1・B6が豊富。赤褐色にポリフェノールを含む。
はと麦
たんぱく質が豊富でアミノ酸含有量は穀物中トップだが、リジンは不足しているので大豆や他の食品と組み合わせて食べるといい。カルシウム、ビタミンB群も豊富。はと麦特有のコイクセノリドは肌の角質層の新陳代謝を活発にし、ガンを抑制する効果も期待されている。

雑穀とピーマンのきんぴら はと麦のチーズグラタン
【材料】
 ・あわ・きび・ひえ、どれでも  1/4カップ
 ・ピーマン    4個
 ・油        少々
 ・洗双糖     大さじ1
 ・酒        大さじ3
 ・薄口しょうゆ  大さじ1
【作り方】
@ 雑穀は沸騰したお湯で少し硬めに3〜5分茹でる。
Aピーマンは千切りにする。
Bピーマンを炒め、雑穀を炒め、調味料を加える。

★ごぼう等のきんぴらに雑穀を入れてもいい。
【材料】
 ・牛乳      1カップ
 ・生クリーム  1/4カップ
 ・はと麦     1/2カップ
 ・塩       小さじ1
 ・こしょう    少々
 ・シュレッドチーズ適量
【作り方】
@牛乳と生クリームを沸かしてはと麦を入れ中火で15分位煮る。
A塩こしょうする。
B耐熱容器に@を入れチーズをのせる。
C220℃のオーブンで10分位焼く。

★こってりしているので、小分けして4〜5人分の付け合せにいいかもしれない。

(参考:「雑穀だいすき!」日本雑穀協会監修 柴田書店)

この地球の上で(野宿生活者)(2009年2月)

 今年の冬は寒中に雪が降らずに雨が降った。例年1回くらいは凍る家の中の水道もまだ大丈夫。しかし、いくら暖かい冬とはいえ、この松本で、屋外で寝るのは何かくれるといわれたって、まっぴらご免こうむりたい。

 年末年始の大きなニュースはイスラエルのガザ攻撃と共に、派遣切りによって住む所を失った人のための年越し派遣村ができたというものだった。寮付の仕事のクビを切られたらその日から住むところがなくなる。日比谷公園にはテントが立ち、全国からカンパで寄せられた食材が運び込まれ、まるで災害直後のようだったけれど、大きく違うのは、天災ではなく人の営みが引き起こした人災であることだ。

 松本ではテント村こそ立たなかったけれど、困った時にはここに連絡をと行政の相談窓口や会の連絡先を書いたチラシをハローワーク前、24時間営業のファーストフード店、ネットカフェ等に配る人々がいた。新聞やTVで相談窓口があると報道されても、本当に困った人が必ずしも見るとは思えない。行政は公民館などで広報したけれど、講座や学習会に参加しなければめったに足を運ぶ場所ではないし。それで、家のない人たちが行きそうな場所に作ったチラシを持って行ったり、寒空の下、野宿している人はいないかと夜回りも実施している。2年前に路上の車の中で生活していた親子の支援から始まった「生存を支える会(仮)」だ。(仮)がついているのは、力もお金もない市民がこんな活動をしなくてもいい社会に早くなるように、仮の活動でありたいという思いからだ。

 実際に夜回りをすると、松本でも塩尻でも野宿生活者と出会う。集めた毛布やホカロンやカンパで寄せられたお金を少額渡すとともに、生活保護申請を勧めている。

 生活保護法とは、憲法25条にあるすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障し、国がこの増進のために努めるよう作られた法律だ。これによって、健康で文化的な最低限度の生活に満たないものは、保護される。

野宿生活者は家(部屋)を借りるお金もなく困窮しているのだから、当然生活を保護されてしかるべきだと、ふつう思う。が、その担当の福祉事務所の運用に関しては、ふつうがまかり通らない。まず、窓口に申請に行くと申請用紙をくれない。申請というのは住民登録などと同じで申請されたものは受けとらなければならないので、なんやかんやといって用紙をくれない。もしすんなりと申請できたとしても、次の難関が待っている。資産もなく、助けてくれる親類縁者がいなくてもすんなりと保護決定を出してくれない。部屋を探して入居するためには普通は契約時に家賃の何か月分かを払うのがあたりまえだが、生活保護法によって入居用初期費用として出ることになっている。お金がなくて野宿生活している人は、そのお金が出たところで契約となるはずだ。ところが、福祉事務所は入居していないと保護開始決定が出ないという。これを聞いた時には??マークが頭の中をかけ巡った。入居できるお金があれば、好きこのんで寒空の下ではなく部屋の中にいるはずでしょ?貸主にしても保護開始決定がでたところで、安心して契約が交わせるというもの。もし、好意的な家主さんに出会うことができれば契約前に仮入居して、それから保護決定という道筋がとられる。もし、家主がいやだといえば最初からやり直しだ。昼は駅の待合室で、夜は寒くて寝れない時は一晩中歩き回る、もしくは少しお金を出して24時間営業の店に逃げ込む、という生活を何ヶ月もしている人は体力的に限界が来ているので、一日も早く保護決定がほしいのに。

まだまだ失業者がでそうだ。雇用保険も切れて仕事も見つからない人のために、最後のセイフティネットの砦として生活保護をちゃんと運用してほしい。最低限度の生活どころか、生存がかかっている。

 会のメンバーにしても、仕事が終わってから夜回りをしたり、平日の役所との交渉に行くために自分の仕事をせずに頑張っているので、いつか限界がくるのではと心配だ。

この地球の上で(パレスチナ・ガザ)(2009年1月)

新しい年が明けた。

昨年末、干支を使った年賀状のいいアイディアが浮かばず、お正月休みになったらゆっくり書こうと思っていた。その矢先の12月27日イスラエルのパレスチナへの空爆が始まった。日を追うごとに増えていく死者の数を目の前に、もうとても「明けましておめでとう」の言葉を書くことなどできなくなってしまった。(1/13現在、死者は900人を越えた)

パレスチナ・ガザ地区。1967年よりイスラエルが軍事占領を続けている狭い地域で東京23区の6割の広さの土地に150万人が住んでいる。14歳以下の子どもの割合が45%。(住人の2人に1人は子どもだということ)そのうちの100万人は難民で8つの難民キャンプに住んでいる。2005年9月、イスラエルは撤退したが、周囲は完全に管理されていて人も物資もイスラエルの許可なしには出入りができなかった。2006年6月からは完全に封鎖。ガザの人々は国連からの援助でたまに入ってくるわずかな物資で命をつないでいた。食料がない、医薬品がない、ガソリン・プロパンガスがない、燃料がないので唯一の発電所も操業を断続的に休止、水もない、収入がない。出稼ぎにも行けない。こんなガザのまたの名を「天井のない牢獄」という。このようなイスラエルによる封鎖政策は「集団懲罰」として、国際法で違法行為とされるものではあるけれど、私たち国際社会はこの違法行為を止めることができなかった。

そんな中でのガザ地区への攻撃であった。とても同じ土俵に上がれるとは思えない、圧倒的な軍事的優位に立つイスラエルが無人偵察機も戦闘機も戦車も持たないパレスチナに対して「自衛のため」と攻撃する。どこかの大国が「自衛のため」とアフガニスタンやイラクを攻撃したのと同じことが繰り返されている。

大きな力で、食べるものも水も燃料もないところに封じ込め、孤立させて、そこに蒔いた絶望の種を育て、少しでもNO!と反撃しようものなら徹底的に打ちのめす。これが今、パレスチナ・ガザにおこなわれていること。

賀状の代わりにメールでこんなことを知人友人に送った。

「パレスチナ・私たちにできること」

  1. ガザ地区即時停戦を世界の指導者に呼びかける国際署名
  2. カンパする(両NGOとも長年の支援の実績があります)
    • JVC(国際ボランティアセンター)〜郵便振替00190−9−27495「JVC東京事務局」<パレスチナ>と書く。パレスチナ医療救援協会を通して救急セットの配布・ボランティアへの救急法トレーニング・救急法講習のための道具に購入のための支援をする。イスラエルによる厳しい封鎖に伴う余分な経費が発生しているという。
    • パレスチナ子どものキャンペーン〜郵便振替00160-7-177367「パレスチナ子どものキャンペーン」<ガザ緊急>と書く。現地や海外NGOと協力しての支援を模索中
  3. 攻撃を止めてとイスラエルやホワイトハウスにFAX,メールする。
  4. パレスチナ問題を扱った映画を見る。

少しでも、いい方に向かいますようにと祈りを込めて、私も行なった。

東京では年越し派遣村ができたが、自分たちの足元では30代の友人たちが年末年始、駅前やネットカフェなどを夜回りしたり、毛布を集めたりしていた。私も一度だけ路上生活者の生活保護申請に付き添ったりした。たいへんな年明けだ。でもこの話は別の機会に。

どんなひどい状況でも、怒り、悲しみはしても、けして絶望だけはすまいと思う。

どうか良い年になりますように。


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