Yakkoのページ  2010年
この地球の上で&四季の台所

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この地球の上で(生物多様性の海・祝島)(2010年12月)

この秋名古屋で開かれたCOP!0(生物多様性条約第10回締約国会議―条約の3つの目的は、生物多様性の保全、生物多様性の構成要素の持続可能な利用、遺伝資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な利益の配分)の本会議の中で、上関原発への言及があった。しかし、生物多様性のホットスポットといわれる山口県上関町田の浦に原発が建設されようとしていることは、ほとんどメディアにのらないので、知らない人が多いと思う。ここには、全長2m弱の世界最小のクジラ「スナメリ」、地球上では日本にしか見られず絶滅危惧種である「カンムリウミスズメ」、脊椎動物の進化のカギを握り「人間の祖先」ともいわれている絶滅危惧種「ナメクジウオ」、貝類の始祖鳥ともいわれる「ヤシマイシン近似種」、国の天然記念物「カラスバト」、原発建設で海岸の照葉樹林がなくなると繁殖できなくなるといわれる「ハヤブサ」、西日本最大級といわれる海藻の群落「スギモク」などが生息している。埋め立て、護岸工事、海砂採取などの大規模開発で、多様な生態系をほとんど失った他の瀬戸内海の中で、まだ豊かな自然を残しているのがこの地域である。

原発は、核分裂を起こして、発生する熱で蒸気をおこしタービンを回して発電する装置。その際、発電に使われるのは発生した熱の1/3、残りの2/3は、温排水として海に放出される。当然海水温は上がることになる。その他にも、基準値以下に薄められた放射性物質、排水管に貝が付かないようにする塩素処理水も海に放たれる。海と共に生きる海藻、貝、魚、鳥、哺乳類が影響を受けずにおられようか。

この田の浦から約4k離れた人口500人の祝島では、原発建設のための10億円の漁業補償金の受け取りを拒否して、28年間この豊かな海を守ってきた。昔ながらの祭りをし、魚を取り、ヒジキを干す。持続可能な暮らしを作り上げるために、無農薬のビワを作り、豚を放し飼いで育てる(はね出しのビワを食べるしあわせな豚さんだ)祝島の人々。そして2020年までに脱原発することを国民投票で決め、石油にも依存しない社会をめざしながら、ゆるやかな経済成長を続け、質の高い福祉を実現しているスウェーデンの人々。これらを描いた、私たちが持続可能で安心できる社会をどう作っていくか考えるきっかけになる「ミツバチの羽音と地球の回転」を1月15日松本市中央公民館6Fで上映するために準備を進めている。(詳しくは店頭のチラシで。前売り券もあります。)

今、実行委員の間で次々と川柳・歌が生まれています。その中から

「瀬戸内海 瀬戸際海にする原発」  「カンムリウミスズメ海を壊されおカンムリ」

「温暖化 促進するのは温排水」  「放射能 薄めてしまえば基準値以下」

「空のめぐみ 大地のめぐみ 海のめぐみ つなぎ合ういのちが われらのエネルギー」

この地球の上で(ワーキング・プア大国で)(2010年11月)

 10月の最後の週に一足飛びに冬がやってきた。慌てふためいて冬仕度をしたから、今では、ストーブの上でヤカンが湯気を立て、新調したばかりの布団が掛ったおコタがいつでもどうぞと迎えてくれる。不要になったコタツ布団は捨てないでもう少し置いておこうと思う。

昨年の年末年始、市役所の窓口が閉まっている間、住いをなくした人が避難できる宿泊所を用意してほしいと申し入れたが用意してもらえなかった。それで生存を支える会(仮)では自分たちで民間のアパートを借りて布団やコタツを備えた。今年も松本市が対策をしてくれなかったら、このコタツ布団の出番となるかもしれない。

寮付きで派遣などで働いている人などは解雇されるとその日から住むところを失う。次の仕事の見通しが立たなければ、アパートを捜すこともできない。帰るべき実家のない人や、身を寄せている知人友人宅からお正月だということで追い出された人などが、路上に放り出される例を何件か見てきた。東京の「年越し派遣村」をTVで見た方もいるだろう。松本でもあんなにたくさんではないけれど、必要とする人がいるのだ。その年越し派遣村の村長だった湯浅誠さんを招いて話をしてもらった。

今まで企業は男性正社員に、家族を扶養するための賃金を払ってきていた。妻のパートはあくまで家計の補助のための賃金で、これで生活していくわけではないので、低賃金、不安定雇用の条件下でもなんとかやってきた。しかし、この男性片働きモデルが崩れ、働く層全体に不安定雇用が、普遍化、拡大している。この10年の間、給与をもらっている人の数はほとんど変わっていないのに、年間の給与総額は25兆円減っている。年収200万円以下の人は1099万人で全体の24,5%を占めている。失業者のうち失業保険を受け取っている人は21%、貯蓄が0の人は23,8%。子育て世帯の失業率は0.4%しかないのに、貧困率は14.2%。世帯の中で二人以上が働いているのに貧困という世帯は4割を占める。働いているのに貧困、は欧米と比べると抜きんでていて日本はワーキング・プア大国だ。こんな中、他人に殺される人は年間600人であるのに、その50倍以上の3万人以上の人が自殺している。(大変な数だけれど、ニュースになる殺人と違って目に見えず耳に聞こえないから、私たちはこの現実を忘れがちだ。)

日本ではホームレスになるかどうかは、公的福祉によるかどうかではなく、家族福祉があるかどうかが大きい。つまり帰るべき家があるかどうか。40代、50代未婚で親と同居している人が193万人(うち132万人は男性)いるという。欧米では20歳までは家族福祉だが、20歳を過ぎたら独立して、今度は社会が支える。低収入の人には家賃補助など社会福祉が充実しているそうだ。

NHKで先日「無縁社会」の特集をしていた。(湯浅さんも出演していた)かつて血縁、地縁でサポートしていた貧困その他の問題は、無縁社会になりつつある今、社会の制度としてセイフティ・ネットを充実していくしかない。財源としては、富の再配分しかないと思う。雇用の創出、経済の立て直しだからと、危険な原発の推進を国策として進めることだけは止めてほしい。ましてや放射能廃棄物の行く末さえ決まらない日本が海外に原発を建設することなど止めてもらいたい。それは結局、働く人のためではなく大企業優遇のためでしかないのだから。

四季の台所(猛暑の中、台所の緊急事態)(2010年10月)

暑い夏が終わり急に気温が下がると、今度は寒い寒いと文句を言っている。この夏の異常な暑さは、偏西風の蛇行がいつもとずれたことが原因らしい。CO2による温暖化であるという解説はなりをひそめている。日本では報道されなかったが、2009年11月にイギリスの気候研究ユニットからメールや文書が流出して「気温データの捏造」が発覚した。これによってCO2温暖化説を広めてきたIPCCの理論とデータが「嘘」によって作られていたことが明らかになったという。(詳しくは「二酸化炭素温暖化説の崩壊」広瀬隆・集英社新書でどうぞ)

さて9月になっても、まだ日中は30℃を超える日々が続くある日、冷蔵庫が壊れた。夜中に「お母さん、冷蔵庫が変だよ」と娘に起された。アラーム音が鳴り響く中、取扱説明書を読むとこの状態は<冷媒もれ―換気扇を使用しないで換気する・火気や電気製品を使わない>・・・ということは引火して爆発するのだろうか?!24時間受け付けと書いてあるメーカーの相談センターに電話すると24時間受け付けは去年で終了したとのこと。どうしたらいいかわからないので、とにかく今は寝てしまおうと布団に入ったが、火が使えなかったら、朝ご飯はどうすればいい?そんなに危険なのか?と気になって寝不足で朝を迎えた。夜じゅう窓を開けておいたので、気体だったらもうどこかに行ってしまったかもしれないと、換気扇もガスも使ったけれど、爆発しなかった。朝ごはんの後ネットで調べると、昔のフロンは不燃性だけれど、今のノンフロンのもの(イソブタン)は可燃性だそう。でも、量が少ないのですぐにどこかに行ってしまうらしい。窓を開け放しておいたのは良かったかもしれない。専門知識のないユーザーが読む取扱説明書にアドレナリンが一気に放出されるような書き方はやめてほしいなぁ。

メーカー、会費制長期保証のある量販店、街の電気屋さんに電話をしまくって、一番早いところに来てもらうことにした。(町の電気屋さんはメーカーに連絡してほしいとのことだった)それでも2日かかるので、中身はどうしよう。シソの葉にクルミ味噌を巻いて揚げたものや庭のイチゴ、お弁当用に作ってあるコロッケやハンバーグ、瓶詰めのバジルソース、伊予柑のピール等々の大事な冷凍食品は、空いている冷凍庫のあるところに預ける。冷蔵庫の方は、牛乳など買って余分目にもらってきたスーパーの氷を袋詰めにしたものや凍らせてもらった保冷剤、コンビニで買ったブロック氷を一日に二度運び込んで巨大なクーラーボックスとして使った。冷蔵庫なしでずっと人間は生きてきたし、冷蔵庫無しで暮らしている人々もいる。暑いインドの人々は冷たい牛乳を飲まないで、牛乳とお茶を沸かしてチャイにしたり、ヨーグルトにしたりしている。小さい頃食べた塩サケは焼くと塩をふく位にしょっぱかった。それなりの工夫された食文化がある。ただ、冷凍冷蔵庫があるという前提のもとに食生活を組み立てている私たちなので、突然なくなると困ってしまう。

修理に来てくれるという日は、これで氷運びから解放されるとルンルンとお掃除をして待っていたのに、そこで下されたご神託は「冷媒もれとコンプレッサーの不良、修理に7、8万円かかる」というものだった。しかも4日後。まだ8年しか使っていない。前の冷蔵庫は霜取りをする度に中身を全部出さなければいけなかったが、20年近く働いてくれた。結局エコポイントがつくので新しいのを買ったが、8年で買い替えなんてちっともエコじゃないよ。

この地球の上で(お盆)(2010年8月)

暑い夏、まっただ中。今年のお盆もいつもにようにキュウリ、ナスに割り箸の足、トウモロコシの髭の尻尾、そうめんの鞍をつけた馬と牛を作り、樺の迎え火、送り火を焚いた。亡き夫は仏さまだけじゃなく、アイヌの神さまもアメリカ先住民のグレートスピリットも天然自然の神さまもキリストもみんな好きだった。(出会う機会さえあればアラーも好きになっていただろう。)松本の子どもたちが「青山さまだ、わっしょいこらしょ」と担ぐ神輿の青山さまは、青い山のほうから祖先の霊が帰ってくる、それを迎える神さまだ。仏さまも神さまもいろんなところで一緒にいるのだから、カムイやグレートスピリットがここに加わっても問題ないだろう。ただ私は、アイヌ式の供養の仕方など知らないから、祖母や母たちのやり方を覚えていてそれをまねしているだけだけれど、年に一回あの世から帰ってくる魂を家族そろってお迎えするのはいいものだと思う。

自分のいのちが、たくさんのいのちのつながりの中で、今あることに思いをはせる。ただし、○○家の父系の先祖のみに思いをはせはしない。自分につながっているいのちは、父系、母系の双系にあるはずなのに、家父長制の父系のみの先祖供養はおかしなことだと思う。アメリカ先住民の祈りの最後の言葉は、ミタクエオヤシン(To All My Relation)―私につながるすべてのいのちに。祈りはこの言葉によって、血縁だけに限らない友人や、好きな人々、嫌いな人々に、人間だけでなく私にいのちを与えてくれる穀物や野菜、動物たち、木々まで含むすべてのいのちに対する、深く豊かなものになる。

たんなる偶然かどうか知らないけれど、お盆のただ中の8月15日は終戦の日でもある。今年もTV各局は特集が目白押しだった。NHKは若い人向けに爆笑問題が「戦争入門」、戦時中のモノクロ映像を最新の技術でカラーに仕立てた「色つきの悪夢」、NHK民放とりまぜて何本かのドラマ、ETV特集・・・多すぎて食傷気味になり全部見切れなかった。(レンタルDVDを借りてきて、「アリス・イン・ワンダーランド」「ゴールデン・スランバー」なんかを見てた)戦後65年、戦争体験者がだんだんいなくなっていく中、若い人たちにどう伝えていくかと苦心していたのがNHKだった。遠い日の出来事に、今の平和の日々の中で考えられないという若い人に爆笑問題の太田が、今イラクで起きていることに想像力を働かせてと、熱く語っていた。日本は戦争現地ではないけれど、沖縄米軍基地からは米兵がアフガニスタン、イラクに攻撃に向かっている。無関係ではない。そして被害の記憶とともに、語ることが辛い加害の記憶こそ、継承していかなければ。死者に思いをはせるとき、亡くなった自国の兵士のみならず、この国の名において殺されていった多くのいのちに思いをはせたい。

さて、この暑い夏は、いつまで続くのだろう。

この地球の上で(映画館・映画の話)(2010年7月)

 エンギザが閉館した。これで市街地の映画館はすべてなくなった。車社会において広い駐車場のある郊外の映画館に人が流れていったことやレンタルDVDの普及でわざわざ映画館に足を運ぶ人が少なくなったことが原因だろう。ドーナッツ化現象に映画館も例にもれなかった。

 映画館との自覚的な邂逅は、高校生時代だろう。それまでは保護者同伴の規則があるから。映画が見たい、でも一人で行く勇気はない、といったある日、隣の席の男の子と後ろの席の男の子(男子が女子の3倍はいる学校だった)が放課後映画を見に行く話をしていた。私も行く!と割り込み3人で行くことになった。なぜか後ろの席の男の子は一列前に座り、いつも隣同士でバカ話をし合っている男の子と並んで座ることになった。たぶん気をきかせたつもりだったんだろうな。映画は「卒業」だった。「猿の惑星」「2001年宇宙の旅」なんかを一緒に見に行っていたSF同好会の部長が、前売り券を買ってきたよと見せてくれたのは「ロミオとジュリエット」。残念、すでに妹と見に行く約束をしてしまっていた。映画館に行くと、彼のほうも妹連れで見に来ていた。

街中の映画館がなくなってしまって、こんなドラマはもう生まれまい。高校生たちは学校帰りに、デートに、どこで映画を見ればいいのだろう。寄り道していた本屋・鶴林堂(いつも覗いていたから新刊が並ぶとたちどころに分かるくらいだった)も文房具店・遠兵もなくなった。出かける先は大型ショッピングビル、という流れは、もう元には戻らないのだろうか。

映画の話をもう少ししよう。最近続けて見た韓国映画がおもしろかった。

「息もつけない」
 DV(ドメスティック・バイオレンス)の家庭に育った主人公は、自分もまた、なにかにつけて人を殴り、暴力によって借金の取り立てをする仕事に就いて日々を送っていた。ある日気の強い女子高校生と出会った彼は、自分の生き方を変えようとするのだが…。
 DVの問題を女性がフェミニスト的視点から描いた作品は今までもあったけれど、男性の監督が家父長制とDVを批判的に描いた作品は初めてだと岡真理氏(現代アラブ文学・第三世界フェミニズム)。

「母なる証明」
 すこしボーとしている息子に殺人に容疑がかかる。母親は息子の無実を証明するために、一人で真相の究明に乗り出すのだが…。
 この母は幼い日の息子の辛い記憶を消すために、ツボに鍼を打っていた。このため息子は大人になっても肝心なことはみんな忘れてしまい、それが事件の真相に混乱をもたらす。息子を思う母の物語だけれど、記憶をめぐる物語でもあると思う。辛い記憶、都合の悪い記憶はこのように消してしまえばいいものだろうか。消された記憶は、それを行う人がいれば、掘り起こされ、複数の証言が集められ、再び真実として立ち現れてくることができる。占領され消されたパレスチナの村の名前のように。

「トン・マッコルへようこそ」
 朝鮮戦争下、トン・マッコルの村へ米軍兵士、北の兵士、南の兵士が迷い込む。戦争をしていることさえ知らない純朴な村人たちと暮らしているうちにいつしか3人の敵意は消えて…。
 少し前に見た映画。戦時下のおとぎ話。でもこんな村があったらいいな。

四季の台所(餃子の皮を使って)(2010年6月)

 なんやかんやいっても季節は移っていく。通勤途中に楽しませてくれたあちこちの庭のバラは散り始め、土手ではフランス菊が、日の光を映したように輝いて咲くオオキンケイソウに座をゆずり始めた。それにしてもタンポポといいカルフォニア・ポピーといい、黄色い花は地上に咲く太陽のようだ。

 昨年から咲いているビオラはまだ頑張っている。もう一度、花の砂糖漬けを作ろう。以前スミレの花を夏ミカンピールのように煮て砂糖漬けにしたことがある。花びらがくっついて原型を残さず虫の砂糖漬けみたいなのができてがっかりしたけれど、生の花で作ればいいとわかった。ブランディーにさっとくぐらせてから砂糖(これだけは洗双糖ではなくグラニュー糖がきれい)をまぶし、2日ほど乾燥させてできあがり。紅茶に入れると底に沈んだ砂糖漬けが、花だけきれいに浮かび上がってくる。特においしくはないけれど、なんだか素敵だ。シリカゲルと一緒に瓶に詰めて保存すると見てもきれい。

そろそろ、梅雨に入りそうとの予報。(6月14日梅雨入りと発表)去年は梅雨明け宣言の後も雨が続いていたっけ。今年はどうなることやら。どうなるかわからない政治も続いている。私の声を届かせる一票を大切にして、選挙権を行使しよう。

さて、あまり季節とは関係ないけれど餃子の皮を使った何品かをご紹介。

豆腐の水餃子…お客さんに教わりました。
 水気をよく切った豆腐、水気を切ったトマトのみじん切り(彩りをつける位の量)、ひき肉少々(マクロの方はコクを出すために炒めた玉ねぎを入れたらどうでしょう)、刻んだシソの葉、塩こしょうして、皮に包んで茹でる。さっぱりしていておいしい。

エビの餃子皮包み揚げ…お客さんと話していて思いつきました。
 殻、背ワタをとったエビをシッポだけ出して皮で包んで揚げる。揚げたてはパリッとした皮に中からエビの香りが広がります。その方は、サンショの粉をふったらおいしかったとか。私はスイートチリソース(酢、ナンプラー、洗双糖、唐辛子の輪切りを一煮立ちさせる)を作りましたが、これも合います。

ニラ棒餃子…料理の新聞記事より
 餃子の皮を2枚横に少し重ねて水でくっつけて、棒型に具を包みます。いつもの餃子と目先が変わっていいです。

餃子皮のピザ…ガス会社の実演販売で食べました
 オリーブ油を塗って3枚くらい重ねるといいでしょう。グリルやオーブントースターで気軽に作れるのがいいところ。

 他にもバナナを包んで揚げたり、サモサ風に残ったカレーを包んで揚げたり。中途半端に残った皮も、素揚げにして砕いてサラダのトッピングにしたり、適当に切ってスープに入れたりします。なかなか働き者の餃子の皮です。

この地球の上で(田舎暮らしの友人を訪ねる)(2010年5月)
 今年の5月の連休は北杜市の友人の家に遊びに行った。ずっと前から田舎暮らしをする!と決めて土地探しをしていたクマさん、チエちゃん、ホーホの家族。不動産屋指定の設計士ではなく自分たちが好きな設計士に頼みたい、ホーホの高校受験が迫ってきてこのまま東京にいるか、こちらの地元の高校に通うか、仕事はどうするか、限られた予算の中でどこまで妥協するか、そのつどいろんな問題をクリアして、休みの日に通い続けてもうかれこれ5年目に突入。たまに覗くブログや年に一度送られてくる家族のニュースレターで、まったくの森状態から木を切り倒して空が見えた時の喜びや、積み上げられていく薪、チエちゃんの仕事場で出会った子どもたちを引き連れてのキャンプの様子、そしてついに家の全貌が現れたことなどを知って、自分のことのように楽しくなるのだった。是非一度見に行かなくっちゃと思い続けていた。

さて、今回は2階の壁塗りをするというので、作業ヤッケやエプロンなどをディパックに詰めて出かけたのだけれど・・・着いたその日は、お隣さんの焼き肉パーティー、翌日は他の家の訪問や山の新住民たちの顔合わせパーティーがあったりで、何も仕事にならなかった。その代わり丸2日間いただけなのに、この開拓地の住民の顔や家族構成など覚えてしまったりして。

この時期の山の幸は、タラの芽、ウコギの芽。ウコギを採りに出かけようとしたら、お隣のおじさん(仕事は植木屋さん。孫のために森の中にツリーハウスを作った)がついてきて、皮手袋でウコギをしごいて採ってくれた。皮手袋はこんな使い方ができるのかと感心する。そして、この朝の大人5人子ども5人のウコギ飯となった。おまけにこの日訪ねた田舎暮らしベテランの渡辺さんちでも、今ウコギが食べ頃だからと裏から大ぶりの枝ごと切ってきてくれるではないか。晩ご飯もウコギ飯。茹でて刻んで塩をまぶしたものをクマさんちの冷凍庫にしまう分まであった。八重桜も咲き始めていて、うちの娘とホーホは桜の花摘み。開ききらないものを選んで塩漬けにしていた。桜の花クッキーや桜ご飯になるといいね。

チエちゃんがもう1年勤めあげて定年退職したら、ここに引っ越してきて天然酵母のパン工房も完成させて、本格的な暮らしが始まるのだろう。実は、クマさんは本業がカメラマンながらパン作りの腕を上げていてついにパン屋になろうとしているのだ。家の中にチェコ生まれのイエルカ・ワイン設計のオーブンを備えた薪ストーブ、外には亡夫ケンちゃんが上げた大鍋のオーブンもあり、次は本格的な石窯を作ろうとしている。そうそう、渡辺さんちの庭には石と耐熱煉瓦を積んだ小さなパン窯(タンドリーチキンも焼けるそう)があった。自分で起した天然酵母と薪の力で焼いたパンは絶対においしい。

自分の好きな暮らしを、楽しみながら実現する人たちがいる。いいなぁ。でも理想通りにいかなくても、自分の暮らしを愛おしく積み重ねることって大事だ。でも、その暮らしを軍事基地と隣り合わせにさせられることは、沖縄であろうとここであろうともうやめてほしいと思う。

四季の台所(春のかたつけもの)(2010年4月)

 暖かかったり寒かったりしながらも、街や野にも花が咲きあふれ、木々は芽ぶき始めた。「ジャガイモを植え付けました」のメールも届いてくる。猫は冬毛が生え換わるのでブラッシングがかかせない。

 植物や動物ばかりでなく、野に住まわない街暮らしの私のようなものでも何だかそわそわと動き始める。冬の間さぼっていた片つけものをし、コート、フリース、セーターを洗濯する。年度の変わり目でもあるので、高校に進学した娘の中学時代の教材を束ね、もう絶対着ないと思われる給食着、体操着、制服、白ソックス、ワイシャツを資源ごみ(衣類はウエスか燃料にするしかないらしい)に出すにはもったいないなぁと思いながらビニル袋に入れる。子どもの着なくなったTシャツを親がパジャマにしているお母さんもいるけれど、松本ぼんぼん用にクラスで作った真っ赤いTシャツやらサイトウキネンパレードで支給された姉妹分4枚ものポロシャツやらが既にたまっているので、私はもういらないし。でも、制服は中学校のPTAでリユースに取り組んでくれるかもしれないので、問い合わせてから片つけることにしよう。

 冬を越した大鹿村のジャガイモや明科の大根、葱、野沢菜漬けも届いたので、こちらも片つけなくっちゃいけない。大根5本はうち2本は切干大根に、1本は塩漬けにした後甘酒で漬けてべったら漬けに、後は煮物やタイカレー、おみおつけの具にする。ジャガイモはとりあえず芽を欠いて、ジャガイモのクリームグラタン、肉じゃが、ポテトサラダ、ジャガイモ入りのオムレツなどを楽しむ。古漬け野沢菜はいわずと知れたおやきに。葱をしょってきたOさんはタコとホタテ、天かすとタコ焼き器もしょってきたので、葱たっぷりのタコ焼きパーティが始まった。大阪出身の彼女は「ほんまもんのタコ焼き」をご指南してくれる。決め手は生地のゆるさにあり。トロリというよりは、シャボシャボ位でちょうどいい。今日のはいいね、とお墨付きをもらったのは、<卵1個+だし汁300cc+小麦粉1C>という割合。どうぞお試しあれ。金串を持ってひっくり返すのは技を体得した娘の役目。型からあふれる程に注いだ生地に半分くらい火が通ったら、金串で型に押し込んでいくのがコツ。それを串先でちょんちょんと少しずつ返していくときれいな丸型になる。甘めのお好み焼きソース、青のり、おかかをかけて外はカリッ、中はトロリの焼き立てをアッチチと食べるのは幸せ。ホタテ入り、タラコ入り、チーズ入りもおいしい。

 庭の桃やチューリップも咲き始めた。すぐにはかなく散りゆく桜とちがって桃は、そのかわいらしい姿にもかかわらずなかなか散らないとこがえらい。桃の花見をしながら何を食べようかと考えていたら窓ガラスが目に入った。いけない。その前に窓ふき。窓ふき。

この地球の上で (遠い国)(2010年3月)

昨夜の晩ご飯はおでん、今日のお昼は中華あんをかけた焼きそば、晩ご飯はサワラの酒蒸し、明日のお昼はミートボールのトマトソース煮込みのスパゲティ、晩はキムチ鍋、次の夜はキーマカレーとチャパティ、和食と世界中の料理が入り混じっている食卓だ。でも、まだアラブの料理は入っていない。何を食べているか知ることでその国々の暮らし方や人々を身近に感じることができるとすれば、私たちには中近東はヨーロッパより遠い国だ。

 先日、パレスチナ・イスラエルを20数年以上取材を続けている土井敏邦さんのドキュメンタリー映画「沈黙を破る」を松本で上映するにあたって、アラブ料理講習会を企画した。講師はイラクから信州大学付属病院で研修を受けに来ている小児癌が専門で、イラクで急増している小児癌とアメリカ軍が使用した劣化ウラン弾との関連も調べている女医さんのお母さん・フダさん。この日は「ドルマ」を作った。あまり聞きなれないこの料理の作り方は

  1. なす・きゅうり・ズッキーニなどは半分に切って、ピーマン・トマトはそのままで、リンゴの芯抜きみたいな道具で中身をくりぬく。玉ねぎは丸ごと全体をヘラで叩いて剥がしやすくしてから一枚ずつ剥がす。本当はブドウの若葉をを使うのだけれど、今の時期にはないので代わりに小松菜、白菜、キャベツの葉に熱湯をかけてしんなりさせる。ブドウの葉を食べる?でも、私たちだって桜の若葉を桜餅にして食べますものね。
  2. くりぬいた野菜の中身、小松菜の茎、にんにくをみじん切りにして、ひき肉、米、塩、ガラムマサラのような香辛料、レモン汁、レモンデズ(塩のようだけれど舐めるとすっぱい!)をよく混ぜ、野菜に詰めたり、葉っぱで包む。@ではピーマンなどは中身がこぼれないように蓋になる部分を残すように気をつける。
  3. 油をしいた鍋にきっちり詰め込む。トマトジュースをひたひたに注ぎ、沸騰したら30分ほど煮込む。出来上がったら、大皿に鍋をひっくり返して盛り付ける。

アラブの人々はあぐらをかいてこの大皿を囲み、ホブス(アラブのパン)と一緒に手で食べるそう。できあがったものを鍋ごと持ってピクニックに行くこともあるとか。大家族で暮らしているからさぞかし賑やかで楽しいことだろう。「ドルマ」は、お米を使っているから、私たちにもなじみやすいと思う。アラブ式おいなりさんと命名した人もいたけれど、ひき肉をキャベツで包むロールキャベツはドルマから派生したようだ。パレスチナでは「マハシー」と呼ばれ、おなじような料理がある。暑い国ではタマリンドなど酸っぱい食材が多く、この「ドルマ」もかなり酸味が効いているので、もう少し酸味をおさえたものを夏野菜が出回るようになったら、作ってみようと思う。

 フダさんはイラクの北部の出身で、キリスト教徒。最近イラクのキリスト教徒が虐殺されていることに心を痛めておられた。イラク戦争前の、イスラム教徒が町にあふれるクリスマスのオーナメントをきれいだからと買い求めている映像が思い出される。アメリカがイラク攻撃をしてイラクを混乱に陥らせる前は、イスラム教徒もキリスト教徒もなかよく暮らしていたはずだ。イラク戦争において日本はアメリカを支持し沖縄から米軍機がイラクに向かった事実に、私たちはフダさんの涙の前で言葉を失う。イスラエルが建国される前も、パレスチナの地ではイスラム教、ユダヤ教、キリスト教が共存していた。今中東で起きている紛争は、政治的意図が招いたもので宗教間の対立が招いたものではけしてない。ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害の歴史が、パレスチナの地に強引なイスラエル建国に大きく付与していることを見逃してはならない。

そして映画「沈黙を破る」では若い元イスラエル将兵たちが占領地パレスチナで何をしたかを沈黙を破って証言してくれる。なぜ、あのような非人間的行いができたのかという自分自身の内面を語ってくれる。「考えるのをやめた時、僕は怪物になった」と。そこで気づくのだ。これは侵略の歴史をもつ日本にとって、けして遠い国の話ではないことを。

<3月27日・1回目の上映後ロビーで監督を囲んで「ドルマ」を食べるので、ご参加ください。

 詳しくはお店に置いてあるチラシをご覧ください。>

この地球の上で(サクラソウ)(2010年2月)

 例年のごとくであるけれど、暦の立春は過ぎても、まだまだ冬のただ中だ。でも、うちの中は年明け早々に咲きだしたサクラソウがいっぱいで、もう春みたい。

友人が昨年「コケが生えていると思ったら、サクラソウの種がこぼれて芽を出したみたい。」と鉢を持ってきた。なるほど、一見するとゼニゴケのようだけれどよーく見ると葉っぱだった。もう少し大きく育つのを待ってから、一株ごと鉢に植え替えた。どんな花が咲くか楽しみにしていると、暮れにつぼみをつけ、年が明けると共に、ピンクの花を咲かせてくれた。

 サクラソウと一言でいっても、片仮名のとても覚える気が起こらない、いや正確にいうと、覚えられない、たくさんの品種がある。何百種類もあるそうだ。日本のサクラソウ、プリムラ・オブコニカの仲間、プリムラ・マラコイデスの仲間、プリムラ・ポリアンサの仲間。プリムラ・ジュリアンの仲間・・・要するにみんなサクラソウ。友人からもらったサクラソウは、茎や葉に毛の多いの少ないの、ピンク色が濃いの薄いのという違いはあるが、小さな花がたくさんつくプリムラ・マラコイデスの仲間みたいだ。そのほかにも、見切り品として198円で売られていたけれど今は元気な大きなサクラソウはプリムラ・オブコニカらしい。一度咲き終わって二回目の花を咲かせているのは、プリムラ・ポリアンサかな。

 やさしいピンク色のサクラソウがうちにやってきて本当によかった。今年は特にそう思う。

受験を控えた娘はたいへんそうで、親の私も「明けない夜はない」「止まない雨はない」「冬来たれば春遠からず」なんていうフレーズが浮かんでばかりいる日々だ。

巣立ちの準備をしているのが思春期であるけれど、社会の中で生きていくにはまだまだ自分に自信はなく、ことあるごとに不安におそわれる。心が下向きになっている時には、親からかけられる言葉に「うざい」と反発はするけれど、心の底では親を頼りたい気持ちもあるというやっかいな時期だ。

木の上に立って子どもを見ているのが「親」だと話してくれた人がいたっけ。ちゃんと見ていても、困った時に的確な助言を差し出すのは、難しい。受験日当日の朝、あるとばかり思っていた上履きがどこにもなくてパニック状態になった時に学校の下駄箱に捜しに行くくらいの、不安の原因を取り除く手助けはできるけど、最後には自分の不安は自分で乗り越えるしかない。

ゼニゴケみたいな葉が育って、ふくらんで可憐な花を咲かせた。育っていく力を見守りながら、毎日水を注いであげよう。「うち」の中で守られていた子ども時代から社会につながる「そと」に向かう思春期の子どもたち、ここをなんとか乗り越えてきれいな花を咲かそう。

羽衣ジャスミンも咲き始めた。春は確実に近づいているはずだ。

この地球の上で(新しい年に)(2010年1月)

新しい年になった。2009年から2010年へ。1の位が10の位にあがって、なんだか21世紀のただ中に向かっている気がして嬉しいような、とまどうような気持ちになる。

 昨年12月の市役所と生存を支える会(仮)との話し合いの中で、年末年始の市役所が閉まっている間、1月4日に窓口が開くまで、住居がない人が泊れる宿泊所を用意してくれないかと提案した。が、採用されなかったので、私たちは独自に知り合いのアパートを12月29日から1月3日の間、日割り計算で貸してもらい、布団や毛布、こたつを運び込んだ。失業者などから相談を受けて困るのは、所持金がほとんどない、今夜泊るところがないというものだ。東京はオリンピック青少年総合センター、佐久市は勤労青少年ホームなど公的な場所を開放したのに、松本市はどうしてやってくれないのだろう。

生存を支える会の財源はカンパのみ。12月に信濃三十三観音霊場にインド舞踊を奉納しているグループが、事前に「貧困」の勉強会を持って、塩尻アイオナ教会でクリスマス・チャリティコンサート(仏教、ヒンズー教、キリスト教のコラボレーション!)を開いてたくさんのカンパを寄せてくれた。おかげで、宿泊所を借りて相談者に泊ってもらうことができたので、ありがたかった。年の瀬の忘年会にも、お米や白菜などたくさんくださる方々がいて、生活困窮者に持っていってもらうことができて、これもありがたかった。

2010年、みんなが幸せな年になりますように。

私は、久しぶりに買った宝くじ1000円分のうち、当たりが400円。今年もそこそこの幸せかな。でも「そこそこ」こそ望むところ。世界一、二の強い国にならなくても。世界一、二の豊かな国ならなくても、みんながそこそこに幸せに暮らせる国になったらいい。

その400円の使い道は、リサイクル書店で買った1冊105円の文庫4冊代に。リチャード・アダムス「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」上下、アイザック・アシモフ「アイ・ロボット」、大島弓子「グーグーだって猫である」の4冊ですごく幸せになった。なぜか(上)しかうちになかった「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」を上下揃えて読むことができたし、久しぶりのSF「アイ・ロボット」は人工頭脳を持つロボットの物語にわくわくしたし(ホンダのロボット、アシモ君の名はロボットSF第一人者のアイザック・アシモフに由来しているはずだ)、「グーグーだって猫である」は、映画より漫画のほうが猫好きにはたまらない作品だ。

猫といえば別の書店でヒデヨシのカレンダーを見つけ、ここで会ったが百年目で、買ってしまった。おやおやで扱っているルナカレンダー、歳時記カレンダー、旧暦カレンダーがこんなところでも売っている、と上の棚に目を移すと、懐かしのヒデヨシが目に入ったのだから。“こいつは春から縁起がいいや”かも。―マニアックかもしれないので、解説するとヒデヨシとは、宮沢賢治の漫画やイラストも描いているますむらひろしの、アタゴールというファンタジー漫画に住む猫正宗と酢ダコの好きなずうずうしいけど憎めない猫の名前です−

本当はこの書店には、普天間基地移設問題を特集している岩波書店の雑誌「世界」を買いに来たのだけれど。年明け早々に、ネットで、これまで過重な負担を押し付けられた沖縄にこれ以上負担を増やすべきではないこと、新政権は改めて再検討すべきこと、50年以上前の米ソの冷戦構造を前提に作られた日米安保条約体制を見直すこと、敵のいない東アジア地域を作り上げていくべきであること、という内容の<普天間基地移設についての日米両政府、および日本国民に向けた声明>に賛同求むが「世界」の編集長から回ってきた。もちろん賛同した。

世界では、1977年東南アジア条約機構の解消など軍事同盟が次々と廃止され、平和共同体への流れが起きている。新政権に移行した今こそ、日米軍事同盟を見直すチャンスだと思う。そして、さらには戦争のない消極的平和から、人権・生存が守られる積極的平和の世界に向かうことのできる21世紀になりますようにと年の初めに願っている。


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