1986年 活動再開
1986年9月4日 ヤンタ鹿鳴館(西九条) ライブハウスレビュー
大阪インディーズ・シーンに衝撃・・・・走らず。当時、150人を動員ー

 

 


1986年9月4日 ヤンタ鹿鳴館(西九条)でのライヴ 宝島に掲載されました。


 

1987年9月23日
ライヴ前日にクレイジーSKBから
「明日、ウン○撒いていいですか?」
と電話かかって来て「それはヤメテネ♥️」とやんわり止めた思い出が。
恐悪狂神団」、「アマリリス」

 

1987年10~12月頃の活動
12月のライブ紹介が日刊アルバイトニュースに掲載されました。
ボアダムズのデビューライブに共演(アマリリスも出演)

 

1987年12月18日
黒旗とともにヤンタ鹿鳴館のライブ

 

1988年頃
なんばGATE3のライブ
※「ベルマーク活動参加GIG」と銘打ちベルマーク50点以上持参の方、入場料半額にしたら
  観客全員持参でした。ビックリ






「ういろうパーティー」、「かぶとむしバラマキ・ギグ」、「浣腸がんばっとるか全国大会」
など、なんばベアーズ・十三ファンダンゴ・京都どん底ハウス、伝説の花園町エッグプラント、
関西ライブハウス・シーン中心に活動。
「第2次性徴期のうた」「チンコマンコ音頭」はデビュー時からやっていた重要なオリジナル・ソング。
礒部のハードコアと、福井のオリジナルパンクに、 鮫肌の春歌がのるホリョシューのスタイルは
この頃の シビアーなライブの日々に確立される。

よくあるケンカが原因で、ドラムの中川、脱退。
「吉村うみぼうず」から、ギター、ベースをはじめなんでもこなすマルチ野郎、野田達治を
ヘッドハンティング。ここに50歳になっても活動ができるメンバーがそろう

なお、中川のドラムとホリョシューの唯一のアナログ
音源が、大阪のマイナーレーベルから発売されたレコードで聴ける。
(店頭に並ばず。バンドの手売りのみ。激レア!)

「ロードサイド・ロッカーズ」VA。「アイ・ビリューブ・イン・サケ」収録