恐竜の異説で科学を考えてみよう
1:異説:
このコンテンツでは恐竜学の世界においてほとんどの研究者には受け入れられていないアイデア、すなわち異説を扱うことで系統学や分岐学、科学に関する考え方を見ていきます。
異説。鳥の進化に関しては昔から根強い異説があります。例えばフリーの恐竜研究者グレゴリー・ポールは、樹の上に登ることを覚えた肉食恐竜が滑空する段階をへて鳥が進化したと考えました。さらに彼は一部の肉食恐竜は飛べない鳥であるという斬新なアイデアを提案しました(参考:「肉食恐竜事典」グレゴリー・ポール 河出書房新社 1993)。
フェドューシア教授はスタンダードな鳥の進化仮説に対する反対論者の急先鋒です。彼が主張するのは鳥は樹の上で生活する未知の爬虫類から進化したというものです。これはしばしば目新しい仮説のように受け取られていますが、実は古典的な仮説です。この古典的なアイデアは80年代以降に説得力を失ってしまったものなのですが、教授はこのアイデアの後継者です。教授にいわせると鳥は恐竜とそれほど深い関係にあるわけではなく、恐竜の一部が鳥に似ているのは単なる他人のそら似です(参考:[The Origin and Evolution df Birds] Alan Feduccia Yale University Press 1996:ちなみに最近になって和訳が出されました)。
フェドューシア教授のような意見はスタンダードな仮説に対抗する野党的な立場としてマスコミには大きく取り上げられますが、じつは学会ではごく少数派です。とはいえ、教授の意見はまがいなりにも学説です。
さて、もうひとつの異説は恐竜ファン(?)であるらしいオルシェフスキーという人のアイデアです。彼の意見はいってみればポールと教授のアイデアの折衷案です。彼は樹上生活をする爬虫類がムササビのような滑空を行い、さらに自力飛行へと進化する過程で、恐竜それぞれの地上性の種族が生まれたと考えました。
オルシェフスキーは自分のアイデアにダイノバード仮説/あるいはBcF理論という名前をつけました。彼のアイデアは論文ではないのでフェドューシア教授のような学説でもなんでもないのですが、日本の恐竜マニアの間ではしばしば話題になるのでここでも取り上げます(参考:手ごろなものとしては「学研まんが新ひみつシリーズ 恐竜世界のひみつ」監修:金子隆一 まんが:伴俊男 2003 があります。あと、なんか知らんけど時々有名なオカルト雑誌「ムー」にダイノバードに関する記事が掲載されてます)。
さて、彼らの異説の詳しい内容は以下のリンク先で読んでもらうとして、
3:オルシェフスキーのダイノバード仮説/あるいはダイノバード理論/BcF理論
これらの異説にはどうも共通の問題点/難点/つまづきが見られるようです。それは系統学や進化学、科学哲学に関する不十分な理解です。
2:過去を推定する難しさ:
恐竜の進化や鳥の進化を探る学問、これを系統学と言います。系統学は進化するものを探る学問ですから鳥や恐竜だけでなく、進化するものならなんでも研究対象にします。恐竜の系統進化に関する研究なんて系統学のごくごく一部のサブジャンルでしかありません。
ともあれ、系統学は他の科学の分野、例えば物理学などとはちょっと違う点があります。
ニュートンは希代の物理学者です。彼は、木星の衛星や土星の月、地球と月、太陽と月の運動のデーターから万有引力の法則を導きました。ようするにニュートンは目の前で観察できる事実を証拠にして、彼のアイデアを提案したわけです。
かのダーウィンが提案した進化論も、この点では万有引力と同じです。ダーウィンは品種改良や大人になれずに死んでしまう生物の割合、種や亜種の違いや類似点、それに分布といった具体的な観察から進化論を提案しました。一般的には勘違いしている人もいますが、進化論は非常に具体的かつシンプルなアイデアであり、確実な証拠に基づいた科学なのです(進化論が難解だというのは単純な誤解か、あるいは進化論が確率的な考えを導入しているので、そこでつまづいているのでしょう)。
ところが、かつて起こった生物の進化、例えば鳥がどのように飛行するようになったのか、それを探ろうとすると進化論や万有引力の法則のようにはいかなくなります。
なぜか?。それは、実際に生物がどのように進化してきたのか?、これはすでに起こった過去の出来事だからです。過去の出来事は直接観察できません。ニュートンやダーウィンがやったように”現象を直接観察する”わけにはいきません。私達はタイムマシンを持っていません。ですから鳥の進化を議論することは、太陽や月の運動を観察して何ごとかを読み取るというわけにはいかないのです。
3:過去の推定にまず必要なもの:
では鳥の進化を探るにはどうすればいいのでしょうか?。まずそれには
信頼できる系統樹を作る
ということが必要です。しかしなぜ系統樹が必要なのでしょうか?。系統樹とはこの生物とこの生物がこのような血縁関係にある、そういうことを示す図です。そしてそうした血縁関係を知ることで初めて私達は進化の様子について議論することができるのです。
例えば人間はチンパンジーやオランウータンと非常に近い血縁関係を持っています。このことは私達がもともと樹の上で生活していた動物であることを示しています。
あるいはこう言い換えることもできます。
私達の祖先が樹の上で暮らしていたということは過去の出来事で、直接は観察できない。しかし私達が系統樹を手に入れて推論した結果、かなりの確からしさで”私達の祖先は樹の上で生活していた”と結論することができる。
事実、私達は自分達の祖先が樹上生活をしていたことをもともと知っているわけではありません。私達はまず、身体の特徴から考えて人間とチンパンジー、ゴリラなどが次ぎのような血縁関係にあること、
______ゴリラ
|____チンパンジー
|__人間
そしてこれらの動物たちが以下のような特徴をそれぞれ持つこと。
______ゴリラ(樹上生活)
|____チンパンジー(樹上生活)
|__人間(地上生活)
以上の特徴の分布から人間とゴリラ、チンパンジーの共通の祖先が樹上性であったという推論をしたわけです。
_A(樹上性)_________ゴリラ
|______________チンパンジー
|_(樹上→地上)____人間
↑以上の系統樹(正確には分岐図ですけど)におけるAはゴリラ+チンパンジー+人間の共通の祖先を示します。
このような系統樹があって初めて私たちの共通祖先Aは樹上性であっただろうと推論することができます。
私達が過去の出来事を推測するには、確からしい系統樹をまず手にいれなくてはいけません。系統樹を作る技術は近年、極めて急速に発達しました。恐竜と鳥の系統樹の確からしさは年々補強され、以前よりもはるかに信用のおけるものになっています。そして今のところ鳥は地上を走り回る祖先から進化したということがかなりの確からしさで言うことが出来ます。
4:異説のどこがいけないのか?
ここからが本題です。
すでに見たように鳥の進化を議論する場にはスタンダードでない、いわゆる異説が存在します。そしてこれらの異説には意外と根強い支持者がいます。しかしスタンダードな立場の研究者はこうした異説をほとんど相手にしていません。なぜでしょうか?。
その原因はこれらの異説が様々な問題を抱えており、科学的な魅力に乏しいことにあります。では何が問題なのでしょう?。色々問題があるんですが、まず第一はこれらの異説の系統樹がかなりもろいということです。以下にそれぞれの異説を説明したコンテンツを改めてリンクしておきました。
3:オルシェフスキーのダイノバード仮説/あるいはダイノバード理論/BcF理論
彼らのアイデアの説得力、科学な程度はそれぞれ様々ですが、いずれにしても既存のスタンダードな仮説よりも根拠や系統樹の作成において劣ります。それだけでなく、他にも色々と問題があるんですが、それはまあこちらで。
その他の問題点1:解釈できると言われても、それでは十分ではない
その他の問題点2:どのように過去を推定したのか?
その他の問題点3:見つかる順番がおかしいと言われても、化石記録ってそもそも完全なの?
その他の問題点4:ドローの法則を使うとはこれいかに?
その他の問題点5:矛盾のない説明ではないかといわれても、そんなの無限にあります
5:異説の問題点をまとめてみる:
ようするにスタンダードではない異説には次ぎのような共通の問題点があります、
1:系統樹の確からしさが既存の系統樹よりも劣る
2:証拠から結論を導き出したアルゴリズムが不明瞭か、あるいはまったく未知
3:データーが不明瞭かまったく不明
4:検証されていない(支持する証拠が見つからない)
5:化石記録が完全であると仮定している。
一方でスタンダードな仮説はこれらの点、すべてにおいてまさっています。
1:系統樹の確からしさが以上のすべての異説の系統樹よりもまさる(ポールの仮説は好意的にみればかなりいい線までいきそうだが、それでもスタンダードな仮説のほうが上回る)
2:アルゴリズムは明瞭。かつ、アルゴリズム自体の確からしさをサポートする事柄がある
3:データーが明瞭(ポールのデーターは他の2名のものよりもかなり明瞭だけれどもスタンダードな仮説の方がやはり上回る)
4:検証されている。新しい化石や資料を入れても、基本的に系統樹の形(つまり答え)は崩れない
5:化石記録が完全であるとは仮定していない
このようにスタンダードな仮説は科学としての条件や特徴をちゃんとそなえ、根拠となる確からしい系統樹を持っています。ようするにスタンダードな仮説は異説よりもすぐれているというわけです。
というわけで多くの研究者にいわせればスタンダードな仮説を捨てて異説を支持する根拠はありませんし、こういうことがスタンダードな研究者たちが異説を支持しない理由でしょう。ですからフェドューシア教授が頑固な論陣をはってもあまり影響力を持たないし、ダイノバードを支持しない人は保守的だと支持者が主張しても、それだけでは当然のことながら研究者には相手にされないわけです。じっさい、こういう人たちはライバルに文句をつける前にやることがあるでしょう。
6:分岐学と科学への反論、議論のありかた
さて、系統樹を導き出した方法論。それが分岐学(一般的には分岐分類学)です。これは最節約法とも呼ばれます。分岐学ではデータを明らかにし、最節約法で解析を行い、その系統樹や結論がどの程度確からしいのかを検討します。さらにその仮説の妥当性は
1:明らかにされたデーターを検討する
2:仮説自体をテストする(例えば新しいデータを解析に付け加える)
によって検証することができます。これらはいずれも科学としての基本的な特徴ですね。科学の大きな特徴のひとつは”検証する”ということです。ようするに確かめてみるということなのですが、現在スタンダードな研究者に受け入れられている系統樹はかなり確からしいようです。なぜなら新しいデータを加えてもこれまでの系統樹の基本的な形が崩れないからです(こちらを参考のこと)。
すくなくとも間違っていると考える根拠はないわけですね。
こういう問題を理解するには末尾の参考文献と、北村の著作「恐竜と遊ぼう」pp37~を参考にしてください。
ちなみに、ここまでの話で北村が述べていることは、以上の異説が分岐学ではないからダメなのだ、ということではありません。ここでいっていることは、
以上の異説が程度の差こそあれ確からしくないか、あるいはまったく科学ではないのでよろしくない
ということです。ようするに分岐学でないウンヌン以前に、確からしくない、あるいは科学でないからダメだってわけです。
サイエンスの世界において、妥当な根拠が示されていないヤワな仮説を採用する必要はありません。皆さんはどう考えますか?。賛成、反対、いずれにしてもその根拠はちゃんと把握しておきましょう。説明できる、とか、そう考えるとスッキりするとか、そんな理由では話になりませんよ。
ちなみにこういう話をすると、分岐学は間違っているに違いない、とか、古いパラダイムであるとか、保守主義だとかいう批判をする人がいます(実際、北村の知り合いでも何人かいたんですけどね)このように自分達の意見を認めない/あるいは自分達の意見に不都合な結論を下す方法論に疑問を持つのは自然なことです。
でもこういう言い方は単に価値観や信念の告白にしかなっていません。ようするにこれでは信仰告白と一緒。信仰告白は科学ではありません。
自分の言葉に説得力を持たせたい場合、データとアルゴリズムを示さないと科学の世界では意味がありません。科学の世界では、未知のアルゴリズムで未知のデーターを解析し以下の結果を得た、なんて結論は評価されません。僕はこう信じているから、とか、あいつらは保守主義だから間違っているに違いないというのは信念や価値観でしかなく、科学でもなんでもない。
地球が平らであるという信念を持っていても、それで現実をかえることができないように、異説が正しいに違いないという価値観を表明しても、分岐学が間違っているに違いないという信念をあらわにしてもそれだけでは無意味です。研究者にそんなことをいっても”君は価値と論理を混同しているんだね?”と言われるのがオチです。
そんなことをするよりも先にもっとやらねばいけないことがあるでしょう。
参考文献:
もしあなたが分岐学に興味を持ったら以下の文献を参考にしてください。
系統分類学入門 分岐分類の基礎と応用 文一総合出版
系統分類学 分岐分類の理論と実際 文一総合出版
生物系統学 東京大学出版会
種の起源 (上)(下) 岩波文庫
バイオディバーシティーシリーズ 生物の種多様性 裳華房
「恐竜と遊ぼう」誠文堂新光社 ←子供向けですが北村の著作・・・^^;)
分岐学を批判する場合にも以上の本は読むべきです。読んでおけば、
[進化は最節約に進んだわけではない]
[コンピューターでデーターを解析しているだけではないか!?]
[分岐学が絶えず正しいわけではない]
[この形質が系統を反映しているのは明らかなのになぜ認めないのか?]
などといった素朴ですが不毛な質問をする必要がなくなります。もしあなたがこの質問を思い付いたのなら、この質問が一体なにを言っているのか?、それを少し考え直して見て下さい。実際、これらの質問、疑問は問いかけ自体が間違っているか無意味です(こういう質問をすると研究者によっては馬鹿笑いするか、ふーんと言うかのいずれかなので御注意を)。
あとダーウィンの著作、[種の起源]は150年あまり前の本にもかかわらず、ほとんど分岐学の基礎となるものを示していると思います。個人的にはダーウィンからヘニング(ヘンニッヒ)まで、どうして1世紀あまりも時間が必要だったのか理解に苦しみますね。
また、以下の本も有効です。
無脊椎動物の進化 蒼樹書房
脊椎動物の起源 培風館
前書は非常に興味深く、参考になる内容を持ち、また分岐学に関する記述はほとんどありませんが、分岐学に批判的です。個人的には著者の論法はおかしいと思いましたが、ある分野から見た見解として興味深いと感じました。系統の離れたものどうしを比較しているからでしょうか?、無脊椎動物の形質の分布はめちゃくちゃですね・・・・・・。
後の著作も直接、分岐学を解説しているわけではありませんが、脊椎動物の起源論争という、あるひとつのテーマの周辺で起こった様々な議論を、著者が適切な批判、批評で紹介していて非常に参考になります。