ちょっと考えてみたい仮説の主旨
子どもさんと、子どもを持つお母さんへ。
世の中ではさまざまな事が起こっています。太陽は東から登り、西に沈みます。しかし、太陽はそれと同時に1年をかけて天空を移動しています。これは太陽が12星座の中を移動していくさまを見れば分かります。太陽が沈んだ直前の星座を見て下さい。太陽が今、天空の星座のどのあたりにいるのかだいたい分かるでしょう。
この現象を説明するために様々な仮説が提案されてきました。それらの中で有名なのは太陽が地球を回る天動説、もうひとつは地球が太陽を回る地動説です。
天動説というのは地球が宇宙の中心にあって、太陽や月、惑星や星が地球のまわりを回っているという説、つまり仮説です。これは直感的にはとても分かりやすい仮説です。だって太陽や月は東の空から上がって、西に移動していますから。
これに対して地動説は太陽のまわりを地球や惑星がまわっているという説です。地動説では星や地球が空を1日で一周するのは、太陽が地球を回っているからではなくて、地球が回転しているからそう見えるだけだと考えます。
また、太陽は1年をかけて星座の中を一周します。これは地球が太陽の周りを回っているからそう見えるのである。地動説ではそう考えます。
中世の天体観測の精度では、天動説と地動説はどちらも同じ程度に天体の動きを説明していました。とはいえ、天動説は地動説よりも複雑な仮説であったようです。
地動説も天動説も十分天体の動きを説明していました。しかし、観測の精度があがると天動説では無理があることが次第にはっきりしてきました。とはいえ、地動説もすんなりと天体の動きを説明できたわけではありません。地動説も提案された当初の形から修整されて今日に至ったのです。
このようにサイエンスの世界では仮説と仮説がぶつかりあっています。そして仮説の確からしさは様々な方法で示されなくてはいけません。どうやって?。例えば観測や実験などで確かめることができます。実験や観測で支持されなかった仮説は弱い仮説、あるいは採用される必要がない仮説になります。
これが私達が普通に知っている科学の、例えば物理学や化学、天文学のイメージですね。
しかし自然科学のすべての分野で物理学や化学のような実験ができるわけではありません。実際、生物の進化で何が起こったのか、これは過去の出来事です。ですから化学実験室でやるような再現実験ができるわけではありません。事実。過去を2度くり返すことはできませんよね?。
進化の歴史を調べる学問は系統学と呼びます。恐竜研究でよく使われる分岐学もまた系統学の一部であると言えます。
分岐学は
[現在の証拠から生物の過去の歴史を科学的に復元するための学問]
です。
私達はいつも手持ちの証拠から過去を再現したり、あるいは推定したりしています。例えば、ここに置いたはずのものが無いなあ???、と途方にくれることは誰にでもあることですね?。そういう時、あなたはどうしますか?。
思い出そうとする?。しかし人間の記憶は時間がたつにつれて失われるのです。情報は時間とともに失われていきます。私達は自分や他人の記憶、置いた場所に残ったなんらかの痕跡、記録など現在残っている情報を手がかりにして過去の出来事を推定しているのです。
人によっては過去の推論など科学ではない、そういいます。いはやは、そういうことを言う人は自分がなにやら未知のパワー(ハンドパワーか、あるいはダウジング?^^;)で探し物をするのだと言っているか、さもなければ自分達の推論に基づいた行動が何の根拠もないと言っているのでしょう。まあ、本人がそれでもいいと言うのなら別にそれでもいいんですけどね。
実は、過去を探る分岐学でも検証や実験は可能です。例えば「生物系統学」 三中信宏 1997 東京大学出版会 pp234 などを参考にしてください(北村の著作、「恐竜と遊ぼう」でも明言はしていませんが、生物の推定された系統を”検証”する方法(pp37~)を書いてあります)。
しかし、分岐学や系統学で行われる検証とは化学や物理学とは少しイメージが違います。そして私たちは系統学や分岐学で仮説をどのようにして検証するのかほとんど理解してはいません。ですから私達は大きな誤解をしてしまいます。
しかしながら、分岐学は恐竜を知るために不可欠なツールです。それでいながら私達は分岐学をよく理解していません。ですから研究者と一般の恐竜ファンの間のギャップは近年大きくなるばかりです。
そればかりではありません、理屈がおかしいか、あるいは検証できない、あるいはまるでヤワで検証に耐えられない仮説が恐竜ファンの間を大手をふって歩いているのが現状です。これはもう科学ではありません、単なるホビーの世界の話です。
ですから、ここでは恐竜の進化に関して、一般には受け入れられていない幾つかの仮説を取り上げて、それらの仮説の何が問題であるのか?、それを分岐学の立場に立ってみて考えていきます。
とはいえ、北村の目的はこれらの仮説を破壊したり抹殺したりすることではありません。北村の目的は、
以下の仮説の問題点と思われる点を取り上げ、
これをどう考えるべきなのか?
なにがいけないのか?
この根拠は確かなのか?
そういうことを考え、指摘し、そして皆さんに考えてもらうことにあります。
そしてまた、これから述べる意見は北村の見解であって分岐学そのものの見解ではありません。事実、北村は”分岐学”ではありませんしね^^)、ただ、分岐学をある程度知った上で見ると、このような問題点が指摘できるということです。
みなさんはどう考えますか?。賛成する、あるいは反対する、いずれにしても自分の意見の根拠の妥当性はしっかり確かめておきましょう。