解釈できること=説得力ではない

 

 さて、例えばポールは以下のような主張をしています。

 鳥類は腕を動かして飛行する。そのため大量の筋肉を胸に集めている、だから鳥の胸の骨は極めて大きい。ところで、ディノニクスやその仲間のドロマエオサウルス科の胸の骨は非常に大きく、幅広くなっている。そのことからするとディノニクスは飛ぶことをやめた鳥なのである、かつて空を飛んでいたから胸の骨は大きく幅広いのだ。

 (「肉食恐竜事典」 pp296~297を参考)。

とはいうものの、残念ながらひとつの証拠は様々に解釈することができます。例えばディノニクスは大きな腕で獲物を押さえ込むために胸の筋肉を必要として、そのために胸の骨を大きく発達させただけかもしれません。あるいはもっと別の役割があったのかもしれません。例えば匍匐前進するためかもしれませんし、平泳ぎをするためだったと考えることもできるでしょう。

 このように解釈できる、だけではたいした説得力はありません。同じように、これは自説を支持する証拠である、と解釈を列挙してもそれだけでは意味はありません。

 そもそも解釈とは証拠をあるアルゴリズムで処理し、なんらかの結論を示すことです。証拠があっても、アルゴリズムがなければ結論は出せません。

 ですからどのようなアルゴリズムでその結論を導き、そのアルゴリズムが有効であり、さらにどうすれば結論を検証したり確かめることができるのか?。むしろそれが大事なことになるでしょう。 

 ポールの場合、(好意的に受け取ると)彼は彼なりの系統樹が念頭にあって以上のような解釈をしたように思えます。例えばディノニクスの他にも、彼はオルニトミムスという恐竜が持つ鳥に非常に良く似た特徴に注目し、鳥と異なる特徴は二次的に変化したものだ、そう考えています(「肉食恐竜事典」を参考のこと)。

 これはおそらく、ある特徴に基づいて、別の特徴を収斂、あるいは逆転とみなすという、分岐学(あるいは最節約法)に比較的近いアルゴリズムに基づいているようです。

 ディノニクスの胸骨の解釈も彼の念頭にある系統樹に基づいているようです。

 ただ、厳密に最節約なアルゴリズムで考えると彼の系統樹は支持されませんし、以上の解釈も成り立たなくなります(ポールの仮説を参考のこと)。

 フェデューシア教授のアルゴリズムはどうでしょうか?。こちらは先にいったようにかなりユニークなもので、それにまたアルゴリズム自体が妥当なのかどうなのか分かりません(教授の仮説を参考のこと)。ようするに正しいのかどうか分からない未知なアルゴリズムを用いているわけです。

 ちなみに彼のアルゴリズムに従うとタコと人間はレンズ眼という複雑な器官を持っているので、同じ共通の祖先を持っていることになりそうです。

 もちろんそうであってもかまわないのですが、このアイデアを支持する証拠はありません。つまりアルゴリズムがだした結論がその結論を生み出したアルゴリズム自体の危うさを示しているようです。

 

 オルシェフスキーではどうでしょうか?。こちらはなんらかの未知なアルゴリズムを用いているとしか言い様がありません。アルゴリズムが明言されていないからです(オルシェフスキーの仮説を参考のこと)。彼自身はドローの法則ということを言いましたから、これが彼のアルゴリズムであると考えることもできますが、ドローの法則とは(仮にこれが正しいとしても)特徴の進化の方向性を決定する役割しか果たしません。

 ようするに無数にある系統樹からひとつの系統樹をチョイスする役割はドローの法則に果たせません。

 仮に、一見するとそれが可能に見える状況が存在したとしましょう。例えば指の本数以外は身体の特徴がすべてまったく一緒な動物A、B、C、がいる場合です。すると、

 系統樹1:

______A(5本指)

 |____B(4本指)

   |__C(3本指)

 このような系統樹が描けそうです。ところがこのような系統樹もまた描けます。

 

 系統樹2:

________A(5本指)

 |  |___未知種1(4本指)

 |    |_C(3本指)

 |

 |______B(4本指)

 

 ↑ドローの法則がたとえ正しいとしても、同じデーターからこのような系統樹2を得ることができるでしょう。ようするに指の本数は減少するしかないと仮定しても、5本指の祖先から4本指のB種と、未知種の4本指から3本指のC種が進化するということがありえるわけです。このように、ドローの法則では系統樹を選ぶことは無理です。

 ところで・・・

 これはへ理屈ではないか?、そう感じた人いませんか?。どうみても系統樹1の方が普通ではないか?と思った人はいませんか?。たしかに系統樹1のほうが自然に見えますが、じつは系統樹1と2の違いは余計な仮定がひとつ多いかどうかという違いしかありません。

 ようするに系統樹1は系統樹2よりもより最節約であるという違いしかないわけです。

 系統樹1だけを導き出すには、ドローの法則だけではだめで、最節約(ようするに分岐学的な解析)が必要です。系統樹2を見て違和感を感じた人は、多分、最節約なものの考え方をしています。自覚しているかどうかに関わらず。

 

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