悪魔への対処法

 

 

誘惑荒し用・役立ち

勤勉勇気恐れるな

悪に勝

赦せない心

 

 

 

 

 

 

1.聖書

2.イエズスがあなたといっしょにおいでになれば、どんな敵もあなたを害することはできない

3.主の名を口にし、主のことを考える

4.祈りはサタンの幻を退ける

5.ロザリオの祈り

6.悪魔を笑う

7.天使の持つ力

8.悪魔は神のみ言葉に我慢ができない

9.従順

10.聖母にたいする愛の涙は 悪魔を猛烈に怒らせる

11.あなたはサタンにとって恐怖の的となった

12.彼らは、棄て置かれると、彼ら自身から遠ざかる

13.ただ逃げるだけでは勝つことが出来できない。忍耐と真の謙遜とによってこそ、私たちはすべての敵よりも強くされるのである

14.無視する

15.ピッカレータのベール

16.シルワン

17.悪の流入

18.以前にもまして今こそ、私を見いだす人は生命を見いだし、主から救いを得るでしょう。 私の敵はそれだけを恐れています。

19.その上わけても有益な仕事にいそしむことによって、その入ってくる口をふさぐようにしよう

20.アグレダのマリア

21.善を攻撃することは許されはしない

22.グリニョン・ド・モンフォール

23.ヨゼファ・メネンデス・・・悪魔に近づくな

24.マリア・ワルトルタ

25.悪魔は悔改めにより放逐される

 

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ4・1−11

 

さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。 そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。

すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」 イエスはお答えになった。

「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』

と書いてある。」 次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、 言った。

「神の子なら、飛び降りたらどうだ。

『神があなたのために天使たちに命じると、

あなたの足が石に打ち当たることのないように、

天使たちは手であなたを支える』

と書いてある。」
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。
 更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、
「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。
すると、イエスは言われた。「退け、サタン。

『あなたの神である主を拝み、

ただ主に仕えよ』

と書いてある。」 そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

 

 

 

申命記8・1−10

 

 今日、わたしが命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができる。

 あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたたちを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足があれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。不自由なくパンを食べることができ、何一つ欠けることのない土地であり、石は鉄を含み、山からは銅が採れる土地である。あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。

 

 

 

 

マルコ16・16―18

 

信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る

 

 

 

ヤコブ4・7−8

 

だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。神に近づきなさい。そうすれば神は近づいてくださいます。

 

 

 

 

2.イエズスがあなたといっしょにおいでになれば、どんな敵もあなたを害することはできない

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・8・2

 

イエズスがあなたといっしょにおいでになれば、どんな敵もあなたを害することはできない。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7P101

 

私のメッセージを持って前進するようにと 私は我が力を身につけさせ こうしてあなたは進んでいった、それゆえこれからもあなたの前からは 反対者を退けていこう。 誰かに害されたか? ああ! 知らないだろうが、私の光を見ただけで どれほど多くの悪魔が退散したか・・・

 

 

 

 

3.主の名を口にし、主のことを考える

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P54

 

(主がマルタに)

何も理解できないように見えるでしょうが、しかし私の名前だけでも救いです。彼女が私のことを考え、私の名前を口にするようにしなさい。ある心が、私のことを考える時サタンが逃げる。

 

 

 

ブリージ・マッケナ/「祈り―恵みの泉―」P94

 

私は、誘惑や自分の罪のことなどを心配したり、どのようにその始末をしたらいいかとか、ほかの人がどう思うかなどを心配することに、多くの時間を費やしていたと気がつきました。悔い改めや回心は、私たちがイエスに夢中になり、イエスの方に向き直るときに起るのだ、と主は私に示してくださいました。イエスに向くとき、あなたは自動的に罪に背を向けるのです。あなたはイエスに完全に注意を向けながら、同時に罪に向うことはできないのです。

 それが、教会のすべての偉大な聖人に起こったことです。つまり、彼らはイエスに向き直り、罪から離れたのです。アッシジの聖フランシスコを見てごらんなさい。彼は完全にイエスに夢中になってしまい、一生の間にしたかったことや、間違っていたことをすべて忘れてしまったのです。神がそういうことの世話をしてくださったのでした。

 

 

 

 

4.祈りはサタンの幻を退ける

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P96

 

「私を憎んでいる一つの世界があります。シモン、それをゆるさねばなりません」

「私は主だった人間のことを言っているのです。一番上で操っている人間が・・・」

「操っている人間は大勢います。しかもそれぞれが重大な役目を持っています」

「何の役目を? あなたを殺すためですか? ・・・しかし私は・・・」

「あなたも私とともに、彼らをゆるさねばならない。彼らをどうして罰してやろうかと思うから不安になるのです。シモン、罰する役は神に委ねよう。あなたは同情しゆるしなさい。このイエズスに対して罪を犯すすべての人々がゆるされるように、彼らを助ける必要がある!」

「そういう奴らにゆるしの余地はありません」

「あなたは兄弟たちに対して厳し過ぎる。シモン、いやいや彼らも悔い改めたらゆるされる。私を侮辱する人が皆ゆるされないなら大変なことになります。さあ、シモン、立とう。仲間たちは私まで、あの柵にいないと知って、心配しているでしょう。しかし彼らにもう少し心配させておいて、ここを去る前に一緒に祈ろう。平和と霊的な力と、愛と同情を取り戻せるように祈ろう。祈りはサタンの幻を退け、神が近くにいるのを感じさせる。神が近くにあれば、正義と功徳をもって、あらゆることを耐え忍べます。そうなるよう一緒に祈ろう。(後略)」

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P64

‘89・12・7

          

復活した者を前にして 死は勝利に呑み込まれよう、私はいのちです ♡ 復活 そしていのちそのものです 私の肉を食べ 聖血(ち)を飲みに来る者は誰であっても永遠のいのちを持つ ♡ 来なさい、我が聖体についてさらに啓示を書き取らせよう、私 主は こうして一致し みことばを書くために用いさせてくれるあなたを 祝福する、一心に働きなさい 我がヴァッスーラ、全ては無駄とはならない、さあ、行うすべてに対して 道案内しよう、毅然としていなさい!

 

「毅然と」しているようにと言われたのは、書き下ろしている最中、このすべてが無意識の心から出ているかもしれないと、ちょうど悪魔が再び暗示をかけに来たからです! それでイエスが「毅然と」していなさいと仰しゃったのです。サタンは本当に邪魔者ですが、ほかの悪魔たちはあまり気になりません。やはり邪魔はしますが、飛び回っている蝿程度で、自分たちにとって不本意でしょうが私を怖れさえしています。それでも、悪意に満ちていますから、用心していなくてはなりません。これらの悪魔は、霊魂が眠りに陥り弱まっていたり、ためらうすきを見た途端、力を最大に発揮します。祈りは簡単にそれらを「殺し」、遠ざけます。真理を装い、愛にはほど遠い悪を、耳もとに飛び回って「暗示する」これらの悪魔たちを、主とその慈しみにたいする信仰は滅ぼしてしまいます。このために主は私どもが自覚し、絶え間なく祈っているようにお望みなのです。絶え間ない祈りはこれらの悪魔や、サタン自身も遠ざけます。祈りは周囲に安全な防壁をつくり、サタンとすべての悪魔を遠ざけます。本当に、それは休みなく続く戦いなのです。

 

 

 

 

5.ロザリオの祈り

 

 

「ロザリオの祈り」ご参照

 

 

 

 

聖母から司祭へ/1983.10.7

 

 わたしがとくに望んでいるのは、ロザリオの祈りです。

それで、わたしは、わたしの度々の出現でいつもロザリオをとなえるようにと招きました。そして、わたしも共にとなえました。わたしは、母としての心づかいをもって、また母としての心配からも、すべての人にロザリオをとなえるように求めます。

なぜロザリオが、こんなに効果のある祈りであるかといいますと、この祈りが簡単な、謙遜な祈りであって、あなたがたを、霊的に小さなもの、柔和なもの、心の単純なものとして養成するからです。

今日サタンは、傲慢と、神への反逆の精神によって、すべてを占領しつくすのに成功しました。それで、あなたがたの天の母にしたがって、小ささと、けんそんの道を歩く人を恐れています。

えらい人、傲慢な人たちから軽蔑されるこのロザリオの祈りを、わたしの小さな人々は、深い愛をこめて大きな喜びのうちにとなえます。

小さな人々とは、貧しい人、子どもたち、けんそんな人、苦しむ人、そして、わたしの招きをうけ入れた数知れない信者たちです。

サタンの傲慢は、小さな人々のけんそんによって、これからも敗北させられるでしょう。それに赤い龍は、わたしが、太い頑丈な鎖ではなく、ひじょうにこわれやすい紐、すなわちロザリオの鎖でかれをつなぐとき、決定的なはずかしめと敗北を感じるでしょう。

ロザリオは、あなたがたが、わたしと共にする祈りです。あなたがたが、自分たちのために祈ってくださいと願うとき、わたしは、あなたがたの願いをききいれて、あなたがたの声に、わたしの声をあわせ、あなたがたの祈りにわたしの祈りをあわせます。

そのため、このロザリオの祈りは、いつも効果があります。あなたがたの天の母の願いには全能の力があるからです。わたしが願うとき、その願いは、いつもきき届けられるのです。

イエズスは、母の願いを決して断ることができないのです。

ロザリオの祈りは、教会と人類の声をあわせます。それは、この祈りが、個人的な理由だけでなく、みんなの名でする祈りだからです。

あなたがたは、ロザリオの奥義を黙想しながら、イエズスのご計画が理解できるようになります。そのご計画は、かれのご生涯を通じ、人となられたその瞬間から、光栄あるご復活の完成にいたる道程に現れてくるのです。こうして、あなたがたはあがないの奥義をますます深くきわめるようになります。しかも、この愛の奥義が理解できるようになるのは、あなたがたの天の母を通してで、わたしの心の道を通ってこそ、キリストのみ心の神的な、燃える愛の、つきない宝が受けられるのです。

あなたがたが、イエズスの教えてくださった“天にまします、わたしたちの父よ、み名が聖とされますように、み国が来ますように”の祈りを度々祈るとき、あなたがたは、おん父の完全な光栄のために養成されます。

また、“父と子と聖霊にみ栄え”と祈ることによって、聖三位への絶えざる礼拝のために養成されるのです。

あなたがたに、きょう、天の母は、太陽に包まれた婦人の命令をうけて偉大な戦いに従事するための、もっとも力ある武器としてロザリオを用いることを願います。

わたしの招きに答えなさい。そして、祈りと兄弟愛のあなたがたのつどい(チェナクルム)を増してゆきなさい。わたしの汚れなき心に自分を奉献して、ロザリオを、たびたびとなえなさい。そうすれば、勢力ある赤い龍も、この鎖で完全につながれ、その働く範囲は次第にちぢめられて、ついには全く無能となり、何も損害を加えられないものとなってしまうでしょう。

わたしの汚れなき心の凱旋という奇跡がすべての人にあらわれるでしょう。

 

 

 

 

6.悪魔を笑う

 

 

黙示録講解581[]

 

奈落の霊らの狡知と悪意とは主から庇護されている者たちには些かも危害を加えることはできないこともまた主の以下の言葉により意味されている―

 

弟子たちは蛇とさそりとをふみつける力を、敵の凡ゆる力を治める力を持つであろう(ルカ10・19)。

またかれらは蛇を取り上げ、何か死をもたらす物を飲む力をもつであろう、それはかれらを害いはしないであろう(マルコ16・18)。

 

「蛇をふみつける」は奈落の一味の者らの詐欺、狡知、邪悪な術策を軽べつし、軽視することを意味し、それ故「敵の凡ゆる力を治める」と附言されており、「敵」はその一味の者であり、「その力」はその狡知である。

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P239

 

(主がアンドレアに)

悪魔の言葉など気に留めてはならない。

 

 

 

 

キャロル・L・フリンダース/奇跡を見た七人の女性神秘家の肖像/天使館/P146

 

シェナのカタリナ:

 

「老いぼれのスリのことなんか怖がってはいけません」

 

 

 

 

同P157

 

降参しなければ死ぬまで苦しめると悪魔たちが言っても、カタリナはただ笑って、好きなようにすればいいと言いました。なかなか面白いとまで言いました。

 

 

 

 

同P158

 

悪魔を馬鹿にしたら、その後は二度とどんな不純な考えも彼女(シェナのカタリナ)を悩まさなかったと述べています。

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1P48

 

イエス:「最後に勇気を出すように。あなたが大胆に戦いに入っていくように望みます。なぜなら敵軍をいちばん恐れさせるのは、彼らに勇気があると気づかせることです。つまり最も苦しい攻撃にたいして、なにも恐れることなく、彼らのもっとも忌まわしい攻撃に対抗することのできる力と勇気です。悪魔にとって勇気をそなえた霊魂ほど恐ろしいものはありません。霊魂はわたしを土台とするように。そして眼前に立ちふさがる破壊者に負けることなく、わたしに身を任せて彼らの真ん中に入っていきなさい。そうすれば悪魔は恐れおののいて、あわてふためき逃げ出したくなるでしょう。しかし彼らはわたしの意志につながれているのでそれができず、彼らにとってもっとも大きな苦悩と、もっとも恥ずかしい降参に甘んじなくてはならないように強制されるのです。さあ、ですから勇気を出して。もしわたしに忠実であるならば、あなたが彼らに勝利を得られるように、常に豊かなわたしの恵みと新たな力を与えましょう。」

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国1巻P55

 

私のことを信じて下さり、それがどのようにして停止されることになったかを知りたい方に申しましょう。それは主、私のイエスが、ある聖体拝領のあと、このような地獄の霊を遠ざけるために用いる方法について教えて下さったからです。さて次のようにいたします。

彼らが蟻ほどのものにも足りないかのように注意せず、軽蔑することによって、彼らの恥辱を極限にまでもっていくこと、またそれだけでなく、むしろ私の心を人間性のうちに苦しまれたイエスに一致させて、特にイエスのもっとも聖なる御傷の中へ自分を導きいれ、祈りと観想によって神のうちに心を集中すること。

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国1巻P56

 

本当に、イエスが教えて下さったように実行しはじめるや否や、数日間のうちに恐れを和らげる力と勇気が私のうちに満ちてくるのを感じました。そこで悪魔がわめき声や騒音を起こしはじめると、私は軽蔑をもって言うのでした。

「可哀想に。おまえたちにはこれ以上にすることがないのですね。時を過ごすのにこんな馬鹿げた、愚かなことしかできないとは・・・どうぞお続け、疲れたら休んだらいいわ。下らない者たちよ、私にはもっと他にすることがあるのです。苦しみへのもっと大きな愛を得るために、イエスの聖なる御傷の中に入るために、お祈りを通してその道をたどって。」

 すると彼らは怒ってもっと大きな騒音をかきたてて近づき、無用な暴力を振るって私を引っさらおうとやって来るのでしたが、その口からはひどい悪臭と耐えきれないほどの熱気を吐き、私の全身をおそうので、内的にもある種の震えを引き起こすのでした。私はそれを圧えようとして勇気を振るって言いました。「嘘つきのおまえたちは私を連れ去る力があるかのような振りをしているけれど、もしそれが本当なら、第一日目にもうそうしていたでしょう。でもぜんぶ嘘です。偉大なる神がおまえたちにお許しになったことは全て私の善のためなので、いつか激怒のために狂い死にするまで、同じ言葉をくり返し歌いつづけるのでしょう。一方私は、おまえたちから受ける苦痛を、より多くの霊魂の改心を得るために利用します。私の意志を神のそれに一致させることによって、私の苦しみの効果をこれらの霊魂のために役立てることができるという条件のみによって、イエスからお引き受けしたのですから。」

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国1巻P57

 

このような言葉に、彼らは鎖につながれた犬が近づこうとする泥棒に飛びかかるために鎖を引きちぎろうとする時のように吠えたて、歯をむき出してうなったりしだしました。私は前よりももっと落ち着いて言いました。「なんですって? 他にすることがないのですか? 何人かの霊魂が改心して、イエスの御腕の中に戻ったためにおまえたちから取られたので、確かにおまえたちは計算を間違えましたね。嘆くのは無理もないことです。」するとシューシューというような音を出して嘆くので、私はあたかも同情する振りをして、冷やかしながら、「可哀想なおバカさんたち、具合がよくないのですね。それでは、おまえたちへの嫌がらせに本当の慰めをもたらして上げましょう」と言って、すぐに最も頑なな心の罪びとたちのために、熱意をもって祈るためにひれ伏しました。私は罪びとたちのために、憐れみのイエスに向ってたくさんの愛徳唱を唱え、その代わりもっとも堕落した霊魂を下さいと願うのでした。すると悪魔たちはそれに気づき、あらゆる方法を用いて私を祈りから引き離そうとしました。しかし私はこの苦しみを、よき神に向って絶え間なくなされる多くの侮辱の償いとして捧げ、彼らには嘲笑をもって答えました。「卑怯者たちよ、まったくの無以外の何者でもないこの私の気を散らせ、恐がらせようとしてこれほどまで低級な者に成り下がるとは、恥ずかしくないのですか? 嘲りやふざけるためにそのような者とかかわるのはおよしなさい。」すると彼らは唇をかみしめて、神への呪いの言葉を吐き、私にたいして意地悪な罵りの言葉を投げつけ、私にも神を罵り、憎ませようとこころみるのでした。

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P59

 

悪魔が私を自殺へと誘惑した時、私は彼らに言いました。「おまえたちにも、私にも、自分の命を破壊する権利は与えられていません。おまえたちにはただ私にもっと利益を獲得させるために、私を苦しめることだけが許されました。でも私の存在を取り去る権能は与えられていません。また心のくさったおまえたちに比べて、私は私の神を常により愛することができるように、また私の隣人を救うためにいつも有益であるように神様のうちに生きたいのです。霊的におまえたちから苦しめられることによって与えられた益を、彼らのために役立てるのです。」遂に彼らにとって何も得られる希望がないのを理解し、むしろ多くの霊魂を失っていくことに気づいた彼らは、私が予期していない時にまた激しい戦いを開始する目的で、長い休憩の時をおくようになりはじめました。

 

 

 

 

アヴィラのテレサ自叙伝25・19(P306)

 

事実もしもこの主が、私が見、かつ知っているとおり、全能でおいでになり、悪魔たちは彼の奴隷であるなら―これは信仰上の教えですから疑いを入れる余地はないのです―私はこの主、この王の婢女である以上、彼らは私にどんな害を加えることができるでしょうか?

なぜ私は全地獄に対抗して戦う力を持たないのでしょうか? 私は手に十字架を取りました。そして神は実際に私に勇気をお与えになったように思われました。ごくわずかの間に、私は自分がすっかり変わってしまったのを認めました。そして一度にすべての悪魔と力比べをすることも恐れなかったことでしょう。この十字架をもってすれば、容易に彼らすべてに打ち勝てるように思えました。

それで私は彼らに申しました「いまこそ、みなおいで。私は神の婢女だ、私はおまえたちが私に対して何ができるか見たいのだ!」と。

 

 

 

 

アヴィラのテレサ自叙伝31・10(P386)

 

次の話は神の真の僕に役だつでしょう、そして悪魔が恐れさせようとして用いるかのすべての幻影を軽べつするため助けとなるでしょう。私たちが、これらのものを軽べつするたびごとに、彼らは力を失い、私たちの霊魂は彼らのうえにいっそう大きな支配力を持つようになるということを、よく知っておきましょう。

 

 

 

 

グリニョン・ド・モンフォール/『聖母マリアへのまことの信心』/愛心館

 

(52)

悪魔にとって、いちばん恐ろしい敵は、神の母マリアです。(中略)では、なぜ、悪魔はそれほどマリアをこわがるのでしょうか。

それは、第一、悪魔は高慢なのですから、神ごじしんと戦って負けたときよりも、このちっぽけな、このいやしい、神のはしために負かされて、罰を受けるときのほうが、もっともっと、くやしいからです。神の全能に負けるよりも、マリアのいやしさに負けるほうが、悪魔にとっては、もっと、はずかしいからです。

 

 

 

 

(109)

マリアへのまことの信心の第四の特長は、それが不動だということです。それは人を、善の中に強化し固定し、信心業をかんたんに放棄しない方向へともって行きます。まことの信心は人を、世間に対して、世間のムードとコトワザに対して、勇敢にします。肉に対しても、肉の倦怠と挑戦に対しても、勇敢にします。悪魔とその誘惑にも、勇敢にします。

そんな訳で、アリアへのまことの信心をもっている人は、人生の順境においても逆境においても、不変不動です。グチもこぼさねば、泣きもせず、恐れもしません。ときたま、信心の甘美に酔いしれて、失敗をしでかさないともかぎりません。だが、失敗しても、倒れても、御母マリアに手をさしのべて、すぐに立ちあがります。信心が無味乾燥になっても、ちっとも心配しません。マリアの忠実なしもべは、イエズスとマリアへの“信仰に生きる”(ヘブル10・38)のであって、けっしてからだの感覚にささえられて生きるのではないからです。

 

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・6・4

 

彼が悪い汚らわしい思想(おもい)を吹きこんだならば、それを彼に投げ返して言うがよい、「退け不潔な霊よ、恥じよあさましき者! 汚らわしや、このような想像を起させるとは!

 私から離れ去れ、極悪の誘惑者、お前は私となんの関係もない、かえってイエズスこそ強い闘士のように私とともにおいでになるから、お前は必ず敗れるだろう。

 私はお前に従うよりは、むしろ死ぬことを、どんな責苦でも受けることを望む。『だまれ、静まれ!』(マルコ4・39) お前がいかに私を苦しめても、私はもはやお前の言うことを聞かない。

 『主は私の光、私の救いである。私はだれを恐れようか。』(詩篇26・1)『たとい軍勢が私に向って来ても、私の心は恐れないだろう。』(詩篇26・3)『主は私の扶助者(たすけて)、私の救い主である。』(詩篇18・15)」と。

 

 

 

 

7.天使の持つ力

 

 

天界の秘義3417[3]

 

ただ一人の天使でも数万の奈落の霊よりも大きな力をもっているが、しかしそれもその者自身から持っているのではなく、主から持っているのであり、彼は彼自身からは何ら力をもってはいないことを、かくて彼は最小のものであると信じるに比例して益々主からその力を得るのであり、しかも彼はそのことを彼が謙遜になり、他の者に与えることを求める情愛の中にいるに応じて、すなわち、主に対する愛の善と隣人に対する仁慈の善の中にいるに応じ、益々信じることができるのである。

 

 

 

 

天界の秘義7299

 

主の神的な力により天使たちは彼らの(魔法使いら)魔法で作り出されたものを根絶してしまうが、これは彼らが正しい者に悪を為そうとしてそれを用いるときに行われるのであり(主から発している天使の力は凡てそうしたものを一瞬にして消滅させるほどにも強大である)、他は魔法が全く彼らから取り去られ、それで彼らはもはやそうした種類の物は何一つ示すことが出来ないということである。

 

 

 

天界の秘義4533

 

 天界の天使たちが悪い霊らを眺めると、その悪い霊らは彼らが互いに他の者に現れる姿とは全く相違した姿をとって現れるのである。天使たちは悪い者らが他の者に危害を加えようとしてその地獄から出て霊たちの世界に入ろうとしているのを認める毎に彼らを眺めるのであるが、そのことにより彼らは見破られて、再び元の所へ投げ込まれるのである。天使たちの視線の中にこのような威力がある理由は、知的な視覚と目の視覚との間に相応が在るということであり、それで彼らの視線には鋭い視力があり、その前には奈落の明るさは消滅して、悪霊らはその者らに属している形と性質の中に現れるのである。

 

 

 

 

天界の秘義9327

 

真理には凡ゆる力があるため、悪から発した誤謬は、それは善から発した真理が剥奪され、かくて力が剥奪されたものであるため、何らの力もないことが生まれている。従って地獄にいる者らは―そこの凡ての者は悪から発した誤謬の中にいるが―何らの力も持ってはいないのである。それで彼らの数千の者も、丁度空気中の埃のかけらが息で追い払われるようにも、天界のただ一人の天使によってすら追いやられ、投げ込まれ、散らされもするのである。この凡てから誤謬の悪にいる者らが善の真理のために恐怖を感じる理由を認めることが出来よう。この恐怖は「神の恐怖(神を恐れる恐怖)」と呼ばれる。

 

 

 

 

8.悪魔は神のみ言葉に我慢ができない

 

 

マリア・ワルトルタ46・14/天使館第1巻P414

 

イエズス:

 

わたしがどうサタンに対処したか、あなたは見ました。沈黙と祈り、沈黙。サタンが誘惑の技を仕掛けようと近づいて来たら、愚かな短気を起こさず、怯まず、辛抱しなければなりません。面前の彼をよそよそしくあしらい、その誘惑には祈りをもって対処することです。 サタンと論争するのは無駄なことです。彼が勝つに決まっている。というのは、彼はその弁証法に長けているからだ。それに勝てるのは神を措いて無い。だから神がわたしたちを通して、わたしたちのために、語ってくださるよう、助けを求めるのです。紙に書かれたのではなく、木に彫られたのでもなく、心に書かれ刻まれたあの、あのサタンに示すのだ。わたしの、わたしのを。サタンがあたかも自分をのごとくほのめかすときのみ、のみ言葉をもちいて彼に反駁することだ。彼はのみ言葉に我慢ができないのです。

 

 

 

 

9.従順

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P58

‘87・11・29

 

♡ 私に従い 喜ばせなさい、従順は 悪魔を無力にさせ ♡♡ 退散させる ♡

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P242

‘88・6・10

 

♡ 従順・・・。私の子どもたちが従順により どれだけの悪を克服するかを知るように ♡ 教会は生き返ります、イエスと私はいつもともに働いています 私たちの心が結ばれているからです ♡  私は愛する謙遜なゴッビ神父を道具として この天使の軍団を準備し イエスの聖心は あなたを通してこの平和と愛のメッセージを準備されました、最も弱い、小さくみじめな子どもをすべての人類の中から選ばれて、それでもなおイエスは限りなくあなたを愛しておられ、世にその無限の慈しみを現すためにあなたを選ばれたのです、あなたを通してご自分の愛を現すために。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P266

‘88・8・4

 

パパさまとの公的な謁見の翌日:イエスは周り中にいらして、四六時中にっこりと笑顔を向けて下さっているのが見えました。

 

イエス?

 

♡ 私です、花よ、私のやり方を理解しようと求めないように、単純に私から来るもの全てを受け入れなさい、私、主はあなたを導き入れた、あなたを導いて 非常に愛する我が僕ヨハネ・パウロ二世に会わせた、最愛の霊魂たちよ、あなた方は私に従った、私を信頼し、私に寄りかかっていた、霊魂よ 歓びなさい! 私、あなたの神が 歓びを感じている! 素朴さは私を夢中にさせ、従順は私の聖心を喜びで跳ね上がらせる これこそ悪魔と戦う武器、

主よ、あなたのお手紙をパパさまの帯に差し込むのは正しいことでしたか?

 

私に従ったのだ、他の者たちにとっても従順の手本となろう、どのように状況が困難に映ろうと、信頼して従いなさい、私に従い 我が意思を行うのを見出したなら いつでも助けを与える。 これを私おために行うよう なぜあなたに頼んだかを理解しようと求めないように  ♡ 覚えておきなさい、私の名のもとに一致させるのは主なる私であると、そして私の望みがすべて達成されるのは我が力による、私の指を置かせたまま 我が子よ あなたをこうして用いさせ、あなたの上に覆いをしておくのを許してもらいたい 私の注ぐ全ての恵みに有頂天となってしまう悪から護る、私、神はあなたを愛おしむ そして最も危機的状況にあっても決して見放さない ♡ 愛があなたに霊感を与える、聞くように、僕ジェームズ神父の献身にたいし私の聖心とあなたの母の汚れなき御心がどのようにこころ動かされたかを伝えてほしい ♡ 彼は 与えられた全てのものの上にしっかりと立ち 他の者たちにも 謙遜をもって従うように教えるとよい、謙遜に従うなら 悪と戦うことになると私の子どもたちに伝えるがよい ♡ 知恵はいのちを愛する、知恵には聖という名があり 私に従うすべての者に与えられる、全ての指示は知恵から降る、私に信頼し 聖(*)という種を蒔きなさい

 *知恵という意味

あなた方の上に平和、おいでなさい、私の聖なる現存を忘れないように、微笑みかけなさい ♡

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P145

‘90・4・22

 

(聖母)

恐れずに立ち向かい 私と一緒に戦いなさい: 祈りを通して戦うのです。 あなた方の祈りはサタンに対する最も強力な武器です。 従順と謙遜は悪魔を退散させます。 神はご自身の愛という贈物を下さっています。 慈しみの呼びかけに応えて下さい。 神が語っていらっしゃいます そして時が迫っているために 神と私は地上の隅々にまで呼びかけているのです。まこと小さな子どもたち、小さく素朴なままでいなさい、小さいままでいて 地の塩となりなさい あなた方はまことに世の光だからです、 私どもの心に特に愛された霊魂です・・・そして天の国は子どもたちと非常に小さな者たちのものだからです。 神の光に心を向けるよう 私はさまざまなくに民に今日出現しています。 霊魂を回復させたいのです、皆御父のものであると思い出させたいのです 御父は聖なるお方ですので あなた方も聖い生活を送るようにと。 けれど気を落さないように 一歩ずつ教えるためにここにいます そして必ず祝福を与えると約束しましょう、一歩一歩を祝福します。 許してくれるなら、永遠の光を反射する者とならせたいのです 神と出逢う時には活動する神の力の 曇りない鏡のようになり 神の聖さと善良さの象りとなっていますように。 今日は教会の刷新、主の再臨のために 熱心に祈るようにと皆を招きます: 第二の聖霊降臨のために。 皆にこの到来を準備させようと イエスと私は方々のくに民を訪れているのです。

 

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・8巻P222

‘96・10・22

 

我が教会の娘よ、教会に従順なら、私をがっかりはさせない・・・たびたび赦しの秘跡を受け、自分を罪びとと認めなさい、そうするなら毒蛇、偽りの父は、あなたを騙せない・・・悔い改めのうちに ふさわしい果実:愛の実を常に実らせよう、こうして我が愛のうちに 成長していきなさい・・・さあ来て 私のメッセージを書くように:

 

 

 

 

10.聖母にたいする愛の涙は 悪魔を猛烈に怒らせる

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P219

‘88・5・10

 

私です、あなたや そして私の聖なるやり方、あなたに教えているこの道を、悪魔がいかに蔑んでいるか時折見るがよい、我が母にたいする愛の涙は 悪魔を猛烈に怒らせる。 私の家を住まいとし 聖なる御母を「神の母」また「天の元后」として認めることのできる者は幸い、さあ 愛する者よ、祝福を受けなさい ♡ 我がヴァッスーラ あなたを祝福する

 

 

 

 

11.あなたはサタンにとって恐怖の的となった

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P57

‘92・4・17

 

あなたはサタンにとって恐怖の的となった、そこで今その怒りを目の当たりにし 感じてもいる、あなたの実が増すほどに、サタンは火を煽り立て、偽りと虚偽の非難をつみ重ねた。 サタンはあなたに与えている天使と格闘し、欺瞞をつみ上げている、それでもなお、こうしたすべてをふまえた上で、この聖なる仕事を私とつづけてゆきたいか?

 

私は愛ゆえにあなたの奴隷となりました。偉大で、荘厳なる御方、あなたに最後まで仕えます。

 

♡ まこと愛しい者よ、では愛の手綱をもって これからも導いて行こう ♡ 来なさい

 

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P147

‘98・4・24

 

愛をもって十字架を担いなさい、特に一致の十字架を、それはサタンの一番忌み嫌う あなたに与えた最も高貴な十字架、そして逆境に苦しむのを怖がらないように。 結局は私の栄光となるのです!

 

 

 

 

12.彼らは、棄て置かれると、彼ら自身から遠ざかる

 

 

霊界日記4600小

 

時折、悪魔的な霊らが身体の幾多の観念[考え]と情愛とに密着し、時折私は色々な方法で彼らを放逐しようと努力したが、徒労に帰した。それで、経験から、私は彼らは放逐されはしないで、彼らは彼ら自身から後退して行くことを知った。彼らは頑強であり、争闘に快楽を覚えており、そのことが多少彼らの快楽を増進させるのである、それで、彼らはそうした方法では放逐されはしないのであり、彼らは、棄て置かれると、彼ら自身から遠ざかるのである。

 

 

 

 

13.ただ逃げるだけでは勝つことが出来ない。忍耐と真の謙遜とによってこそ、私たちはすべての敵よりも強くされるのである

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて

 

誘惑に抵抗すること

 

キリストに倣いて/1・13・

 

この世に生きている限り、私たちは患難(なやみ)や誘惑(いざない)を免れることはできない。

 ゆえにヨブ記にも「この世にいる人の生涯は戦闘(たたかい)である。」(ヨブ記7・1)としるしてある。

だからどの人も誘惑に注意し、悪魔にあざむく隙を与えないよう用心して祈るがよい。

 悪魔は決して眠らず、「喰い尽くすべき者をさがしつつうろついて」(ペトロ前書5・8)いるからである。

だれも時として誘惑に会わないほど、完全で聖なる人はいない。それゆえ私たちがこれを全くのがれることはとうていできないのである。

 

 

 

キリストに倣いて/1・13・2

 

誘惑はうるさくつらいものではあるが、またしばしば人のためになる。それはこれによって謙遜にされ、清められ、教えられる所があるからである。

すべての聖人は多くの患難と誘惑を通りぬけて、いっそう徳を積んだ。

そして誘惑に耐えることのできなかった者は、悪とされて滅びてしまった。

どれほどとうとい修道会でも、どれほど世間をはなれた場所でも、誘惑や患難のないことはない。

 

 

 

キリストに倣いて/1・13・3

 

この世に生きている限り、人はまったく誘惑の心配がないというわけには行かない。なんとなれば私たちは邪欲によって生まれ、誘惑の原因(もと)をわが身にもっているからである。

一つの誘惑(いざない)、一つの患難(なやみ)が去れば、また別の誘惑や患難があとからあとからやってきて、私たちはいつも何かを辛抱しなければならぬ。これは私たちが原始(はじめ)の幸福を失ったためである。

多くの人は誘惑を避けようとして、かえっていっそう深くこれに落ちこんでしまう。

ただ逃げるだけでは勝つことができない。忍耐と真の謙遜とによってこそ、私たちはすべての敵よりも強くされるのである。

 

 

 

キリストに倣いて/1・13・4

 

ただうわべだけで誘惑をさけても、その根を抜き去らぬならば、ほとんど進歩しない。誘惑はたちまちまたもどってきて、いっそうひどくかれを悩ますだろう。

 誘惑に対しては、無理に急いでやるよりも、神のお助けを仰いで、気長に辛抱してゆるゆるやる方が、たやすく勝つことができる。

誘惑に出会ったら、努めて他人の意見を聞くがよい。そして誘惑に苦しんでいる者に情(つれ)なくしてはならぬ。自分もそうしてほしいと思う通りに、その人を慰めてやるがよい。

 

 

 

キリストに倣いて/1・13・5

 

すべての誘惑の端緒(いとぐち)は、心がグラグラしていることと、神に対する信頼が足りないことである。

ちょうど舵のない舟が波のまにまに漂うように、心が定まらず、決心を守れぬ人も、いろいろな誘惑に苦しめられるのである。

火は鉄を試み、誘惑は義人を験(ため)す。

私たちはしばしば自分の力量(ちから)を知らない。けれども誘惑は私たちの値打ちを示してくれる。

しかし誘惑は、わけてもその始めに用心しなければならぬ。なんとなればこの敵が心の門内にはいられず、まだ敷居の外で戸をたたいている時、すぐにこれを追い返せば、打ち勝ちやすいからである。

それゆえ古人も言っている、「始めに抵抗せよ。グズグズして永くたち、病勢が募ると医薬を与えてもすでにおそい。」と。

すなわち(誘惑の過程を考えてみると)始めはただ心中わずかにある思いが兆し、次に強い想像が起こり、後これを楽しみ、悪い情欲が動いて、ついに実行しようという気になるのである。

かように悪い敵(誘惑)は、最初に抵抗しなければ、だんだん私たちの霊魂に忍びこんで、全くこれを占領してしまう。

それゆえこれに久しく抵抗しないでいればいるほど、人は日に日に弱くなり、敵はかれに対しますます強くなるばかりである。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P38

 

これほど動揺することはよいことではありませんでしたね。わたしは平和の精神なのです。わたしがあなたに最初に頼んだことは、あなたの心の中で決して悲しまないようにということではありませんでしたか? どうしてできないのかという理由についてではなく、その状態に安心してとどまること以外のことを考えてはなりません。あなたが言うようにすることによって、あなた自身が注意散漫を引き起こすことになるのです。その代わり、へりくだって、自分はそのような散漫に値するものであるということを告白して、安心していなさい。ちょうど子羊が屠殺人に殺されようとしている時、その人の手をなめる時のように、あなたも自分が叩かれ、打ちのめされ、独りになった時、わたしの配慮を思って、心を安らかにし、心の底から感謝をしなくてはなりません。むしろ自分はそのような苦しみに値する者であるということを認めて、あなたの全ての苦しみ、心痛をわたしにたいしてなされる侮辱への償いのためにわたしに捧げなさい。このようにすればあなたの祈りは、ちょうどわたしの玉座に立ち上る匂いのよい香のように、わたしの心にかない、あなたのうちに新しい恵みとカリスマを引き寄せることでしょう。あなたがこれほど謙遜で、安らかで、まったく自分の無のうちにへりくだっているのを見たら、悪魔はもうあなたに近づく力もなく、残念がって唇をかむだけでしょう。さあ、これがあなたが価値がないと思っていたところに価値を獲得するために、あのような状態にあなたを導いた理由です。

苦しみを捧げる

 

 

 

 

シルワンの手記/P74

 

 謙虚な人はすでに敵に勝つ。自分は永遠の火に値すると固く思う人には悪霊も近づけないし、また心の中で一つの悪い考えも持てない。彼の魂は主において完全に憩う。聖霊を知って、聖霊によって、謙虚さを身につけた人は、神の子であり自分の師であるイエスス・キリストに似るようになる。

 

 

 

 

14.無視する

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P313

 

 ルシフェルと悪魔たちは、聖母が海に沈み、決して助からないと脅迫し続けます。しかしながら、恐ろしい脅しは的を外れた矢のようなものです。聖母はルシフェルたちを避け、聞くことも見ることも話しかけることもしません。彼らは、聖母のお顔からいと高き御方の徳が輝いているのを一瞥すらできません。この徳を打ち負かそうとすればするほど、彼らはもっと弱くなり、徳という武器により苦しめられます。

 

 

 

霊界日記4600小

 

時折、悪魔的な霊らが身体の幾多の観念[考え]と情愛とに密着し、時折私は色々な方法で彼らを放逐しようと努力したが、徒労に帰した。それで、経験から、私は彼らは放逐されはしないで、彼らは彼ら自身から後退して行くことを知った。彼らは頑強であり、争闘に快楽を覚えており、そのことが多少彼らの快楽を増進させるのである、それで、彼らはそうした方法では放逐されはしないのであり、彼らは、棄て置かれると、彼ら自身から遠ざかるのである。

 

 

 

天界の秘義7097〔4〕

 

 このようなものになった者らは宇宙の創造者である父を承認はするが、主を承認はしないのである。主についてはここのパロがエホバについて、『エホバとはたれか。私はエホバは知らない』と言うように言うのである。否、天界のスフィアはことごとく主を承認し、主を愛することで満ちているように、地獄のスフィアはことごとく主を否定し、主を憎悪することで満ち、主の御名が語られるのにも堪えることも出来ないのである。奈落の者らは勧告と威嚇により断念する底のものではない、正しい者に取り憑いてこれを悩まし、主を承認し、主を信じることから彼らを離反させることにおける彼らの生命の歓喜は非常に大きい。この彼らの生命の歓喜そのものは断念を促す勧告により更に増大するのである、なぜならそのことによって彼らは、自分たちが今取り憑いて悩ませている者たちはやがて全くお手上げになると信じるようになるからである。それでこうした者が『パロとエジプト人』により特に意味されている者らである。

 

 

 

ヴァッスーラ/私の天使ダニエル P227

‘89.4.5

聖ミカエルです。(*)

 

神の子たちよ、サタンに耳を傾け 話しかけないように、嘘をつくとは 悪魔と話しをすることです、怒りを溜めこむと、悪魔に足場を与えます、舌があなたを陥れる原因とならないように。私に祈りなさい あなたのために執り成します。 神に信頼し  ♡  その無限の慈悲を信じなさい。 あなた方皆を祝福します  ♡  ♡  ♡ 

 

*訳注:聖マリアが紹介なさっています。以下は聖ミカエルの言葉。

(後略)

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P129

‘00.10.16

 

あなたに、私に、我が神性に対して あなたの敵たちが悪意をもって 脅迫の声を上げさせるがよい。 そうさせるがよい。 誰にも あなたに勝利するのを許さない、誰にも! そしてこう話しているのは あなたの神、至高なる主。今日に至るまでも私を 超越的な光と栄光のうちに見ようとしない この時代の懐疑主義者、合理主義者、偽善者たちも、私の口に由来する知識や識別を述べなさい、私は 我が被造物をたえず新しくしているゆえ・・・しかしこれが忘れられている そして 彼らの心の中では 私は 死んだも同然。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P188

‘01・8・20

 

娘よ、あなたに対する悪霊の攻撃を 無視することで 抵抗しなさい。 あなたの全身には私の名が記されているゆえ それだけでもう悪霊はいきり立つ。 悪霊は人びとを利用するが 特にあなたを誹謗する司祭を利用するとき 悪霊は喜びを得る。 しかし悪霊は死をもたらそう。

 

悪霊が徘徊し 狂犬のように口から泡をふいて怒るとき、あなたは、我がヴァッスーラ、その逆を行うがよい、善を実践し、平和を求め、愛を追求し、悪徳あるところには正義と美徳を植えなさい。 我がアロマの香りとなるように。 あなたが誰に由来するかを忘れてはならない。 我が導きに従うなら、あらゆる光輝の星座に飾られた我が天国となるように 私に選ばれた者と判明しよう。 出て行き 我が王国を打ち立てられるよう 他の天体も引き寄せなさい。

 

 

 

 

15.ピッカレータのベール

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P143

 

 多くの装身具がそのうちに秘めている意味に関しては、それぞれが別々にそれを有していましたが、あれから長い時が過ぎたためによく覚えておりませんので、黙することをお許し下さい。ただイエスが私の頭から足までおおって下さったベールは、悪魔にとっての恐怖でありました。彼らはといえば、イエスが私になさっていることを注意深く見守っていましたが、私があの被いで包まれるのを見るやいなや、非常に恐れおののき、あえて私に近づかないだけでなく、すっかり大胆さも無鉄砲さも失って、もう私を悩ませるどころか、すっかり驚いて逃げ去ってしまいました。

 

 

 

 

16.シルワン

 

 

シルワンの手記/P80

 

 私は長い間、何が自分の身に起こっているかを理解できず、こう考えていた。「私はだれをも裁かない。悪い考えを受け入れず、忠実に任務を果たし、断食し、常に祈る。なぜ悪魔たちは私に襲いかかってくるのか。私は間違っているのだろうか。その理由がよく分からない。祈れば、悪魔たちは一時退くが、いつもまた戻ってくる。長い間、私はこのような戦いをしている。」それで私はあるスタレツにそれを打ち明けた。彼は黙って聞いてはくれたが、私は相変わらずその迷いの中に留まった。ある夜、私は自分の独房の中で腰かけていた。突然多くの悪魔に囲まれてしまった。熱烈に祈りをすると、悪魔たちは一時追い出されるが、また戻ってきた。イコンの前で屈拝するために立ち上がると、悪魔は私の礼拝を自分に向けさせるために、私の前を立ちふさぐ。私はまた腰かけて祈った。「主よ、ごらんください。私は清い心で祈りたいのですが、悪魔たちはそれを許しません。どうしたらこれから解放されるか教えてください。」すると神は私の心に答えてくださった。「高慢な人はいつも悪魔のために苦しむ。」私はまた尋ねた。「いつくしみ深い主よ、謙虚になるために、どうすればよいのですか。」主は答えてくださった。「地獄の中に意識的に留まりなさい。絶望してはなりません。」

 

 おお、神のいつくしみよ、私は神と人の前に醜いものです。しかし、主は私を愛し、励まし、いやし、謙虚さと愛、忍耐を教えてくださる。主は私の上におんいつくしみを注いでくださった。その時以来、私は意識的に地獄にいて、その暗い片すみで焼き尽くされていると感じる。しかし神を望み、泣きながら捜し求めて言う。「近いうちに私は死に、地獄の暗い獄舎にはいり、そこで独りで焼かれ、主に叫んで泣くに違いありません。私の心をご存知の神よ、どこにおいでになるのですか。」このような考えは大いに私の助けとなり、精神を浄め、心に真のやすらぎをもたらした。神のわざは何とすばらしいことよ。主よ私が希望を失わず、しかも地獄に意識的に留まるように命令される。主はそこにもこんなに近くおられる。

 

「私は世の終わりまで皆さんとともに毎日いる」(マタイ28・20)「悩みの日々、私に叫びなさい。私はあなたを救う。そして、あなたは私を賛美するだろう。」

 

 

 

シルワンの手記/P84

 

 悪霊に襲われたとき、主があなたを守ってくださることを忘れてはならない。サタンそのものを見ても、彼があなたを炎の中に投げ込もうとしても、あなたの霊をとりこにしようとしても、あなたは恐れてはならない。神に強く希望を置き、「私はだれよりも悪い人間だ」と言いなさい。そうすれば、悪魔はあなたを放っておく。悪霊があなたに働きかけることを感じるからということで、落胆する必要はない。誠実に罪を告白し、謙虚さを主に願いなさい。主は必ずそれを与えてくださる。そして、あなたの謙虚さの度合いに応じて、恵みを感じるが、もし完全に謙虚なものになったら、あなたは完全な平安を受けるだろう。

 

 

 

 

17.悪の流入

 

 

天界の秘義6206

 

 さらに悪は凡て地獄から流れ入り、善は凡て主から天界を通して流れ入っていることを知られたい。しかし悪が人間のものとされる理由は彼は彼自身からその悪を考え、為していると彼は考えもし、また彼自身に説きつけもし、そのようにしてそれを彼自身のものとしているということである。もし彼が事実のあるがままに信じるなら、そのときは悪は彼のものとされはしないで、主から発している善が彼のものとされるのである。なぜなら悪が流れ入るや否や、彼はそれが自分のもとにいる霊共から来ていることを反省するであろうし、そしてかれがそのことを考えるや否や、天使たちはそれを外らせて、斥けてしまうからである。なぜなら天使たちの流入は人間が知り、また信じもしているものに入ってくるが、人間が知りもしないし、信じもしないものには入らないからである。なぜなら彼らの流入はその人間のものである何かが存在している所を除いては何処にも固定はしないからである。

 

 

 

天界の秘義6206[2]

 

 人間がこのようにして悪をかれ自身のものとすると、かれはその悪のスフィアを自らのために得、そのスフィアに、地獄から来ていて、それと同じような悪のスフィアの中にいる霊どもがその者ら自身を接合させるのである。なぜなら似たものは似たものに連結するからである。人間または霊のもとに在る霊的なスフィアはその者の愛の生命から流れ出て発散しているものであり、そこから彼の性質は遠方でも知られるのである。他生の凡ての者はスフィアに順応して共に連結しており、社会もまた相互にそのように連結しているが、またそのスフィアに従ってそれらは分離しているのである、なぜなら対立したスフィアは衝突し、互に他に反撥し合うからである。それで悪の愛のスフィアは凡て地獄に存在し、善の愛のスフィアは凡て天界に存在している。すなわち、そのスフィアの中にいる者たちがそこにいるのである。

 

 

 

 

18.以前にもまして今こそ、私を見いだす人は生命を見いだし、主から救いを得るでしょう。 私の敵はそれだけを恐れています。

 

 

聖母から司祭へ1973.11.1

 

 以前にもまして今こそ、私を見いだす人は生命を見いだし、主から救いを得るでしょう。

 私の敵はそれだけを恐れています。それで悪魔は、信者の心をもっと私から遠ざけ、教会の中で私をもっとぼんやりと不明瞭なものにしようとあらゆる努力をするでしょう。悪魔は私との激しい戦い、どちらかが決定的に打ち負かされる天下分け目の戦いに取り組んでいます。

 現在、多くのことから見ると、私の敵である悪魔が勝利者のように見えますが、私へのこの上なく大いなるたちかえりと私の圧倒的な勝利の時が近づいて来ました。

 私の子である司祭たちが、決定的な闘争において、私と共にいることを私は望んでいます。彼らは私に導かれ、私の命令に素直で、私の望みに従順、私の要求に敏感であってくれるでしょう。

 私自身をかれらにおいて現し、彼らによって敵の心臓部を打ち、わが踵でその頭を踏み砕くでしょう。

 

 

 

 

19.その上わけても有益な仕事にいそしむことによって、その入ってくる口をふさぐようにしよう

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・12・5

 

 だからあなたは、もしほんとうの楽しみを味わい、いっそう豊かな慰めをわたしから受けたいと思うならば、いっさい世間の物事を軽んじ、あらゆる卑しい楽しみを捨てるがよい、そうすればあなたは祝福をこうむり、豊かな慰めを与えられるだろう。

 そしてあらゆる物質的慰めから離れれば、離れるほど、あなたはわたしの慰めのますます甘美で力強いことを知るだろう。

 けれども、その境地に達するには、まず多少悲しみをなめ、骨を折って戦わなければならない。

 抜き難い習慣は、あなたに抵抗するだろう。しかしそれにはいっそうよい習慣をもって打ち勝とう。

 からだも恨み歎くだろう。けれども精神の熱烈な力をもってこれを抑えよう。

 あの老獪な蛇はあなたを誘い悩ますだろう。しかし祈りをもってこれを追払おう。その上わけても有益な仕事にいそしむことによって、その入ってくる口をふさぐようにしよう。

 

 

 

霊界日記6072

 

怠惰は悪魔の枕である。なぜなら怠惰な者は、純粋なものであれ、不純なものであれ、世の凡ゆる事柄について、話し、それで、考え、そこから凡ゆる不純な事柄の悪魔を受け入れるからには―人間はこうしたものに心が傾き、そうしたものを退けてしまうものは何一つないためであるが―怠惰は凡ゆる種類の汚水を自らに吸収するスポンヂのようなものであるからである。用を求める愛のみがそうしたものを斥けるのである、なぜならその愛がその心をその歓喜の中に留め、かくて他の凡ての事柄をそれ自身の外側に在るものとしてみなすからである。

 

 

 

 

20.アグレダのマリア

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P84

 

 悪魔なる龍は、聖マリアの勇気と誠実を知り、神の御助けを感じながらも、私たちの至上の隠れた知恵や賢慮について何も知りませんでした。それにも関わらず、誇り高い龍は神の国を攻撃しました。それはダイヤモンドの城壁を蜂の針が突くようなものでした。私たちの王女はあの強い女でした(箴言31・11)。彼女の飾りは堅忍でした(箴言32・25)。置き物は純潔と愛徳でした。汚い高慢な蛇はこの御方に対し、怒り狂い、殺そうとして大軍を率いて死力を尽くして攻めましたが、失敗しました。

 地獄の攻撃は、他のどんな人間に対するよりも酷いものでした。神は地獄の力やずるさを減らしました。ルシフェルの傲慢さは実力以上です(イザヤ16・6)。

 ずるい蛇は、聖マリアの同僚たちの心の中に嫉妬と対抗意識を密やかに燃やしました。聖マリアの時間厳守の徳が抜き出ているため、同僚たちは先生から注目されないこと、自分たちの怠慢ぶりがもっと目立つこと、聖マリアがえこひいきされ、自分たちが叱られることを思わせたのです。同僚たちは霊的なことに無頓着でしたので、悪魔の言うままになりました。至純なマリアを毛嫌いし、憎みました。同僚の少女たちは、悪魔に唆されているなど露知らず、悪巧みを立てました。この世の知られざる王女を迫害し、神殿から追い出そうという考えです。彼女たちは聖マリアを取り囲み、ののしりました。聖マリアを偽善者と決めつけ、祭司たちや先生に取り入り、他の少女たちの悪口を告げ口し、一番役立たずだと言って責め立てました。聖マリアは言いました、「私の友だちと女主人であるあなた方のおっしゃる通りです。私は皆さんの中で最低で、一番駄目な人間です。私の姉妹である皆さん、私の欠点を許し、色々と教えて下さい。私がもう少し、ましになるように指導して下さい。あなたたちの助けが必要です。私はあまりにも駄目な人間ですが、良くなりたい一心です。何事に於ても従います。どうぞ言いつけて下さい。」

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P85

 

 聖マリアの謙遜で甘美な言葉は、同僚たちの頑固な心を和らげるどころか、少女たちをもっともっと怒らせました。迫害は長いこと続きました。天の貴婦人は謙遜、忍耐、寛容を続けました。悪魔たちは勇気を奮い起こし、少女たちに向こう見ずな考えを起こさせ、この最も謙遜な小羊に暴力を振るい、殺すようにけしかけました。しかし、主はこの涜聖を許しませんでした。少女たちがののしることはお許しになりました。この騒ぎは祭司たちや先生には聞こえませんでしたので、聖マリアは神と人間に対して比べることのできない諸徳を積みました。聖マリアは、悪に対し善を与え、ののしりに対し祝福を返し、涜聖に対し祈り、愛徳と謙遜の英雄的行為をしました(一コリント4・13)。神の律法の最もすぐれたことを遂行したのです。聖マリアは迫害する少女たちのために祈りました。自分がこのような待遇を受けるべき極悪人の立場にまで遜ったことは、天使たちを感嘆させました。全てに於て、人間の考えやセラフィムの最高の功績を聖マリアは越えたのです。

 悪魔の唆しに動かされた少女たちは、聖マリアを離れ部屋に連れ込みました。そこでは気兼ねなくいじめることができました。ものすごい侮辱を浴びせ、聖マリアを弱らせ、怒らせ、乱暴しようとしましたが、一時も聖マリアは悪に負けず、不動のまま、偉大な親切と甘美で少女たちに答えました。思い通り行かず、我慢し切れなくなった少女たちは、目茶苦茶に騒ぎ立てたので、神殿中に響き渡りました。祭司たちや先生が駆けつけ、何事か問い質すと、聖マリアは無言でした。少女たちは腹立たしげに言いました、「ナザレトのマリアが騒ぎを起こし、嫌らしい振る舞いで私たちに喧嘩を売ったのです。祭司方のおられない時、私たちをイライラさせ、怒らせたので、彼女がこの神殿にいる限り、おちおち生活できません。優しくすればつけあがるし、注意すれば私たちの足下に平伏して見せかけの謙遜を示して私たちをからかうのです。そして喧嘩を仕掛け、皆をめちゃめちゃにするのです。」

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P86

 

 祭司方と先生は、地上の女主人を他の部屋に連れて行き、厳しく叱りつけました。他の少女たちの訴えを本気にし、神殿に住む者として行ないを改めるよう勧め、もし改めないなら神殿から追い出すと脅しました。この脅迫は一番手厳しい罰です。何の責任もないのですから、もっとひどいです。

 私たちの女王は、最も甘美なる無邪気と謙遜の気持ちで従いました。先生と祭司たちから放免されるやいなや、聖マリアは少女たちの所に戻り、平伏し、許しを願いました。聖マリアが涙を流すのを見て、祭司たちや先生に叱られたのだと考え、少女たちは親切にしてあげました。この騒ぎを企んだ龍は、不注意な少女たちをもっと思い上がらせたのです。少女たちは祭司たちを丸めこんだので、至純なる乙女の御名を貶めようともっと頑張りました。新しい告訴や嘘を少女たちにでっち上げさせました。いと高き御方は、御独り子の至聖なる御母に対して大変失礼になることを許可しませんでしたから、少女たちはとても小さな欠点を空想し、誇張し、告げ口しました。しかも、ねちねちやりました。このようなことで、私たちの最も謙遜な貴婦人マリアは徳を積みました。この息を止めるような火煙の迫害の中で、聖マリアは謙遜の灰の中から何度も自身を更新しました。悪魔の罠にはまった少女たちの盲目的嫉妬が止みそうになった時、主は眠っている祭司に話しました、「私の婢、聖マリアは私の眼に叶う、完全な選ばれた者である。告訴された全てに於て全く無罪である。」同じ啓示がアンナ先生にも与えられました。翌朝、祭司と先生はお互いが受けた啓示について相談し合い、確信し、騙されたことを後悔し、王女マリアを呼び、間違った報告を信用したことへの許しを乞い、迫害と苦痛から聖マリアを護るため、改善をはかると申し出ました。聖マリアは答えました、「先生方、私は叱責に値します。叱責は私にとり一番必要ですから、取り止めないようお願いします。少女たちとの関わりあいは、私にとり一番高い賞品です。感謝のため、私はあの人たちにもっと忠実に仕えたいと思います。しかし、あなたの意志に従います。」祭司と先生は喜び、聖マリアの遜った願いを聞き入れ、新しい敬畏と愛情をもって聖マリアを注目するようになりました。習慣により祭司と先生の手に接吻したあと、引き下がる許しを頂きました。祭司と先生がよく見張るようになると、聖マリアは少女たちからいじめられなくなり、困難という宝を失うことになると心配でした。しかし、違う困難がありました。主は聖マリアから約十年間隠れました。この間、ニ、三回、主が御顔を見せましたが、また以前のような恩恵は少なくなりました。聖マリアがいと高き御方の威厳に値するまで修業しなければなりませんでした。この本の第十四章に述べるように、聖マリアが主の幻視をいつも見せて頂いたならば、人間としての苦労はなくなったでしょう。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P225

 

このヘロデは、主の御降誕後、大勢の赤ちゃんを殺したヘロデの息子です。殺人者へロデはユダヤ人の女性と結婚し、ユダヤ教に転宗しました。息子の現国王ヘロデもモーゼの律法を守り、過ぎ越しのためエルサレムに来ていたのです。父が殺した洗者聖ヨハネの親友である主が説教したことを前から聞いていたので、主に対する好奇心がありました。主が入ってこられると、ヘロデは大声で笑いこけました。魔法使いや祈祷師として取扱い、何か奇跡を見せてもらおうとしました。ユダヤの高官たちや祭司らが前と同じ告訴をしゃべり続ける間、主は沈黙を続けました。ヘロデはすっかり面白くなくなり、主を嘲笑させた後、兵隊全員と共にピラトの所へ送り帰されました。ピラトは再び無実の主と体面し、何とかしてユダヤ人たちを宥めすかそうとします。まず、祭司長らの役人たちと面談し、悪人バラバの代わりに主を放免するよう説得に努めます。ヘロデの所に送る前にも同じ説得を試みたので、これで二度目になります。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P232

 

元后の御言葉

 御受難と御死去の秘密とは、唯一、真の人の道は十字架であることも、招かれた者全員が選ばれていないことを、あなたは納得したことと思います。主に従いたい者は多いが、主を真似る者は少ない。十字架の苦しみを感じるやいなや、十字架を棄てます。永遠の真理を忘れ、肉欲を求め、肉の喜びに耽る者は多いのです。人々は名誉を熱心に求め、不名誉から遠ざかります。富を求め、貧困を批難します。このような人たちは主の十字架の敵です(フィリッピ3・18)。

 もう一つのごまかしが世に広まっています。それは大勢の人たちが主に従っていると想像していますが、苦しまないし、労働もしていないことです。罪を犯さないことで満足します。自己犠牲や苦行を避けるという賢慮または自己愛を完徳と考えます。もしも、御子が救い主だけではなく、先生でもあることを考えるなら、この人たちは間違いに気づくでしょう。主は愛を誰よりも良く理解しておられ、誰よりも完璧に愛を実行されました。肉体にとって易しい生活ではなく、労働と苦痛の生活を選ばれました。主は、悪魔、肉欲と我欲をどのように克服するかを教えて下さいました。つまり、十字架、労働、償い、苦行と侮辱の甘受により勝利を得るのです。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P313

 

 ルシフェルと悪魔たちは、聖母が海に沈み、決して助からないと脅迫し続けます。しかしながら、恐ろしい脅しは的を外れた矢のようなものです。聖母はルシフェルたちを避け、聞くことも見ることも話しかけることもしません。彼らは、聖母のお顔からいと高き御方の徳が輝いているのを一瞥すらできません。この徳を打ち負かそうとすればするほど、彼らはもっと弱くなり、徳という武器により苦しめられます。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P318

元后の御言葉

 

 私の娘よ、悪霊たちは私の胸の中にこもっておられる御聖体を感知して、大変な恐怖に襲われたことをあなたは書き記しました。あらゆる秘蹟は、悪霊たちを怖がらせるための最強の手段です。特に御聖体の秘蹟がそうです。信心と敬虔をもって秘蹟に度々あずかる者は悪霊たちを支配します。秘蹟の中の神の火は純粋な霊魂の中で霊魂と同化します。私の中で神の火は、単なる被造物としての可能性の極限までとても活発です。

 

 

 

 

21.善を攻撃することは許されはしない

 

 

天界の秘義6677

 

「もしそれが娘であるなら、彼女を生かしておかなくてはならない」(出エジプト記1・16)。これは、彼らはもしそれが善であるなら、そのようなことをしてはならないことを意味していることは以下から明白である、即ち、『娘』の意義は善であり(489−491、2362番)、『生きること』の意義は破壊されないことである。エジプトの王が息子は殺さなくてはならないが、娘は殺してはならないと言った理由は、内意から明らかであり、その内意は、彼らは真理を破壊しようと企てはするが、しかし善を破壊しようと企てはしないということである、なぜなら奈落の者は取り憑いて悩ます時は、真理を攻撃することは許されるが、善を攻撃することは許されはしないからである。その理由は真理は攻撃されることの出来るものではあるが、善は攻撃されることの出来ないものであり、善は主により守られており、奈落の者が善を攻撃しようと企てると、地獄に深く投げ込まれるということである、なぜなら善の一切には主が現存されているため、彼らは善の現存に耐えることは出来ないからである。そこから天使たちは善の中にいるため、一人の天使でも数千の奈落の霊どもを支配することが出来る程の権能を彼らに対しては持っているのである。善の中には生命が在ることを知られたい、なぜなら善は愛のものであり、愛は人間の生命であるからである。自己と世を求める愛のものであって、そうした愛の中にいる者らには善として現れている悪が、天界の愛のものである善を攻撃するなら、その一方の生命が他方の生命と戦うことになり、そして天界の愛の善から発している生命は神的なものから発しているため、自己と世を求める愛から発している生命が前の生命と衝突するなら、それは消滅し始めるのである、なぜならそれは窒息してしまうからである。かくて彼らは死の苦悶にある者のように苦しみ、そのため真逆様に自らを地獄に投げ込み、そこに着くと再び生命を回復するのである(3938、4225、4226、5057、5058番)。このことがまた善は魔鬼と悪霊によって攻撃されることが出来ず、かくて彼らは敢えて善を破壊しようとはしない理由となっている。真理にあってはそうではない、なぜなら真理はそれ自身の中に生命を持たないで、善から、即ち、主から善を通して生命を持っているからである。

 

 

 

 

22.グリニョン・ド・モンフォール

 

 

グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/

 

166.マリアがいらっしゃる処―そこには絶対、悪霊がいません。ある人が、熱心にマリアに信心し、しばしばマリアのことを考え、しばしばマリアについて話していれば、それは、この人が、聖霊にみちびかれているとの、いちばんたしかなしるしなのです。聖ジェルマノが言っているとおり、からだが死んでいないとのたしかなしるしが、呼吸であるように、霊魂が罪によって死んでいないとのたしかなしるしは、マリアのことをしばしば考え、愛情こめてマリアのみ名を呼ばわることなのです。

 

 

 

 

23.ヨゼファ・メネンデス・・・悪魔に近づくな

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P153

 

(聖母)

“私の娘よ、あなたに非常に大切なことを一つ教えたいと思います。悪魔はまるで怒り狂った犬なのです。でもそれはつながれています。これは、悪魔がある限られた自由しか持たないということを意味しています。だから悪魔に近づきさえしなければ、捕らえられたり、食い破られたりする心配はありません。そして、悪魔は獲物を捕えようとして常に奸策を廻らせて、羊に化けるのです。そのことに注意しない霊魂は次第に悪魔に近寄って行きます。そしてその奸計に気づいた時はあとの祭、既に捕えられているのです。ですからあなたは、悪魔がまだ遠くの方にいるのだと思える時でも、警戒を怠ってはなりません。悪魔は人の知らぬ間にこっそりやって来るのです。”

 

 

 

 

24.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ワルトルタ20・7/天使館1巻P162

 

聖母がマリア・ワルトルタに:

 

祈りという鎧を決して脱いではなりません。サタンの武器、世の悪意、肉の欲、知性の驕りには、祈りによって勝利するのです。この武器を決して放棄してはなりません。これによって天は開き、恩寵と祝福は降り注ぐのです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々1.P307

 

そうです。サタンはあなたたちをより分けるために、罠をしかけるに違いない。私も、あなたたちを救うために、ふるいにかけます。争うものは二人です。サタンと私。その真ん中に、あなたたち。愛と憎しみ、知恵と無知、善と悪との間の決闘が、あなたたちの目前で行われます。あなたたちに対しての邪悪な打撃をかわすためには、私だけで足ります。あなたたちを愛しているから、私が代りに傷つけられるのを引き受け、サタンの武器の前に立ちはだかります。

 

そうはいっても、あなたたちの中の打撃は、あなたたちの自由意志で私の方へ走り寄り、真理と命である私の道によって、自分でかわすべきです。天を望まない人は天国を得られません。キリストの弟子となるにふさわしくない人は、世間の風が吹き飛ばしていく軽い塵みたいなものです。

 

 

 

 

25.悪魔は悔改めにより放逐される

 

 

仁慈の教義10

 

 この凡てから、悔改め以前には、その善が主から発している仁慈は存在しないで、(その善が)人間から発している仁慈が存在していることが明らかであるが、しかし悔改めの後では、それは、その善がその人間から発しないで、主から発している仁慈となるのである。

なぜなら主は、悪魔が、すなわち悪が人間から放逐されない中は、その人間のもとへ入られ、その者を通して御自身からいかような善も為されることは出来ないのであり、その悪魔が放逐された後で、そのことを行われることが出来るからである。

悪魔は悔改めにより放逐されるのであり、彼が放逐されると、主は入られ、そこにその人間を通して善を行われるが、しかし常にその人間が自分は自分自身から善を行っているとしか認めないといった方法でそのことを行われるのである。それでもその人間はそれが主から発していることを知っているのである。