赦せない心
1.聖書
2.マーリン・キャロザース
1.聖書
マタイ6・14−15
もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。
マタイ7・1−2
人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。
マタイ18・21−22
そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
ルカ6・27−28
しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
2.マーリン・キャロザース
マーリン・キャロザース/この世に天国を/P5
本当の賛美とは、赦された者の心から自ずとあふれ出てくるものなのです。赦しは、賛美をする上でなくてはならない土台になります。それは、私たちと神との関係全体を握るかぎでもあります。
マーリン・キャロザース/この世に天国を/P11
赦さない心は賛美をする心になり得ません。赦しは、私たちと神との関係だけでなく、他者との関係を開くカギともなります。
マーリン・キャロザース/この世に天国を/P11
神に罪を告白すると、神は直ちに私たちを赦してくださいます。それは神のご性質です。しかし、私たちが赦そうとしないなら、私たちは苦しむことになります。赦そうとしない心は、私たちから平安、喜び、そして健康を奪い取ります。神はそういう者として私たちをお造りになったのです。それは神から与えられた人間の性質であり、私たちにはそれを変えることはできません。
マーリン・キャロザース/この世に天国を/P13
私たちは神にたずねる必要があります。「主よ、私にはまだ赦していないことがあるでしょうか。私を病ませたり、暗くしたり、私の家族を傷つけたりするようなものはないでしょうか」と。
マーリン・キャロザース/この世に天国を/P13
他人を赦そうとしない理由というのは案外多く考えつくことができるものです。「私を苦しめている人々は、赦してあげられるような人間ではないのにどうして赦すことができるというのですか」。確かにそうかもしれません。彼らは赦しに価しません。しかし、私たちも赦しに価するわけではないのです。それでも神は私たちを赦してくださるではありませんか。
「だれに対しても悪に悪を返さず、・・・。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ12・17、21)とパウロは書いています。いつまでも赦さないでおくことは、いわば悪に悪を返すことであり、私たちの態度は悪に負けた状態です。悪に勝つ唯一の方法は赦すことです。神はそれをとおして私たちの中の悪に勝たれます。赦しなさい。そうすれば神は、私たちを赦すことによって私たちの中の悪に勝つことがおできになります。私たちを苦しめる人々を私たちが赦し、愛するとき、悪は私たちに対する力を失ってしまうのです。
彼らがあなたを殴ったり、肉体的な苦痛を与えたりしたら、肉体は傷つくでしょう(イエスさまは、私たちが決して肉体的に苦しまないとは約束されませんでした。)しかしそれは心の平安と喜びまでめちゃめちゃにすることはできません。実際のところ、悪に本当の赦しと愛をもって対するならば、非常な喜びを体験することを私は保証します。
マーリン・キャロザース/この世に天国を/P14
キリスト者の愛を実行するそんな機会をあなたは望まないかもしれませんが、ちょっと考えてみてください。誰かがあなたを傷つけない限り、あなたが赦す喜びを知ることは決してないのです。
マーリン・キャロザース/この世に天国を/P15
他人を赦すという責任は、私たちに当然のごとく負わされています。私たちが赦さなければ、神の愛をさえぎることになり、自分自身と、許しを拒む相手を束縛の中に閉じ込め続けることになるのです。
マーリン・キャロザース/この世に天国を/P15
赦しは、他者に対する憎しみと悪感情の牢獄から私たちを解放します。私たちが皆、私たちを傷つけるためになされたすべてのことについて、すべての人を赦したなら、何が起こるか想像できますか。
マーリン・キャロザース/この世に天国を/P17
赦そうとしない人々に共通する特徴は、自分自身の過ちを見たがらないことです(もしかしたら、それができないという事かもしれませんが)。私たちの教会員の一人の婦人が次のような話をしてくれました。彼女の結婚生活は何年間もローラーコースターのように上がったり下がったりを繰り返していました。彼女とご主人は一度離婚を体験しており、別居生活も何度かしてきました。彼女はクリスチャンになり、私たちの教会にやって来ました。それというのも夫のために神に賛美する方法を学び、神に夫を変えていただきたいと思ったからでした。彼女は、夫の利己的で自分本位の態度が二人の間のすべての問題のもとになっていると考えました。
しかし彼女が賛美しても目に見える効果は全くありませんでした。離婚することを再び考えた、3日間の別居生活の間、彼女は最後にもう一度だけ努力してみることを神のみ前で決心しました。「私は、自分自身と神に対して全く正直になり、自分をごまかすのは一切やめることにしたのです」と彼女は私に言いました。
彼女と夫は翌朝、教会にやって来ました。説教の間に、彼女は、自分自身が神の赦しを必要としているという強烈な思いに捕われました。祭壇にひざまずいて彼女は泣きに泣きました。そして自分の席に戻ると夫にも赦しを願いました。「突然、私の心は夫への感謝の気持ちで一杯になりました」と彼女はその時の気持ちを伝えています。
「おかしなことに、私はずっと、夫が悪いのだと思っていました。夫が私に赦しを請わないし、何事に対してもすまないと非を認めたこともないので私は怒っていました。でもとうとう、私の方がすべてをひっかき回していたことがわかりました。私の方こそ、赦されなければならない、利己的で自分本位の人間だったのです。」
そして、愛と平安に満ちた彼女の心からは賛美がほとばしるようになりました。かつての憤りは完全に消え去っていました。
マーリン・キャロザース/この世に天国を/P18
赦さないことは死をもたらす毒です。それは毎日、家族を分裂させています。私たちの憤りはとても些細なことから増幅していきますし、それをほっておくと、赦そうとしない危険な態度を私たちがとっても、そのことに私たちは気がつかなくなってしまいます。
マーリン・キャロザース/この世に天国を/P22
あなたは不公平に扱われていますか。悪くもないのに苦しんでいますか。神はそれをあなたの益にしてくださろうとしていることを信じられますか。ヨセフは実の兄弟にエジプトに奴隷として売られました。そのあと、身に覚えのない罪のため2年間を牢獄で過ごしました。自由を取り戻し、国中でファラオに次ぐ高い地位を与えられたあと、彼から穀物を買うために兄弟たちがやって来ました。彼がヨセフと分かると、兄弟たちはヨセフが復讐するに違いないと恐れました。しかしヨセフは言いました。「・・・あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、・・」(創世記50・20)。
あなたを傷つけた人々が最初から悪をたくらんでいてもいなくても違いはありません。神はあなたの益になるため以外に、あなたを傷つけることが起こることをお許しにならないのですから。それを信じることができるなら、そのことのために神を賛美することができますか。彼らがしたことを本当に喜べるほどに赦すことができますか。あなたがそれほどまで喜び、赦すなら、神はあなたを祝福してくださいます。神は聖霊によってあなたの心を喜びで満たしてくださり、あなたをそれほど長く傷つけ、そして癌のように広がり、あなたから喜びと健康を奪ったあの赦せないという、醜い小さな固まりを取り除いてくださることでしょう。
神は私たちをとても良く知っておられます。なぜなら神は私たちをお造りになった方だからです。神は、私の心に巣くう赦せないという小さな思いさえ、私たちを肉体的、精神的、霊的に非常に損なうことをご存じです。私たちがそおように苦しむとき、神は私たちに隠さずに言ってくださいます。「あなたの痛みは赦せない心から生じています。赦さないなら、私もあなたを赦すことが出来ません。でもあなたが他の人々を赦すなら、私はあなたを赦し、いやし、そして完全に自由にします! 」