裁くな

 

裁く裁くのは主神のみぞ知る

赦せ目的

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.マリア・ワルトルタ

4.聖母から司祭へ

5.ヴァッスーラ

6.シルワン

7.正当に審くことは正当

8.サンダー・シング

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ6・14−15

 

 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。

 

 

 

マタイ7・1−6

 

人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向って、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。

 

 

 

ルカ6・37−38

 

人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。

 

 

 

ヨハネ7・24

 

うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。

 

 

 

ヨハネ8・7

 

しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。

 

 

 

 

ヤコブの手紙4・12

 

 律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義2284[]

 

残りのものの性質と量とに従って―すなわち、人間のもとにある善と真理との性質と量に従って―人間は他生で祝福と幸福とを楽しむのである、なぜならすでに言ったように、これらの残りのものは人間の内的な人の中に貯えられていて、その人間が形体的な世的なものを背後に棄て去ったときに開かれるからである。主のみが人間の中にある残りのものの性質と範囲を知られているが、人間自身は到底それを知ることはできない、なぜなら現在では人間は内には悪以外には何ものもないのに、善いものを佯り装うことができるといった性質を持っており、また人間は悪いようには見えても、それでも内には善を持っていることもありうるからである。そうした理由からたれ一人他の者の霊的生命の性質については審くことを決してゆるされてはいないのである、なぜなら主のみが、前に言ったように、そのことを知られているからである、しかし人間各々は他の者をその道徳的な公民的な生命の性質については審いてもよろしいのである、なぜならこれは社会に関係しているからである。

 

 

 

天界の秘義2284[]

 

信仰の何らかの真理について何らかの意見を持った者らが、他の者を、あなたらは自分たちが信じているように信じない限り、救われることはできないと言って審判くことは極めて普通なことであるが、しかしこれは主が禁じたもうた審判である(マタイ7・1、2)。それでも他方でわたしは多くの経験から、いかような宗教の者でも、もしその者が仁慈の生活により善の残りのものを、また外観的な真理の残りのものを受け入れてさえいるならば救われることを学んでいるのである。このことが、もし十人が見出されるならば、かれらはその住人のために滅ばされはしないと言われていることにより意味されていることであり、そのことにより、若し残りのものがあるなら、かれらは救われるであろうということが意味されているのである。

 

 

 

天界の秘義3796[3]

 

 それで自分の中に在る目的を知ることが賢人の務めである。ときには自分の目的が自分のためのものではないのにそれでも自分のためのものであるかのように見えるのである、なぜなら凡ゆる事柄の中に自分自身を反省することが人間の性質であり、しかもそれは習慣と習癖から発しているからである。しかしもしたれでも自分の中に在る目的を知ろうと欲するなら、その者が自己が称賛され、自己に光栄を与えられてそこから自分自身の中に認める歓喜に、また自己を離れた用から認める歓喜に注意しさえすればよいのである、もし彼がこの後の歓喜を認めるなら、彼は純粋な情愛の中にいるのである。彼はまた自分がその中に置かれている種々の状態に注意しなくてはならない、なぜなら状態そのものが非常にその認識を変えるからである。人間は自分自身の中にこれらの事柄を探ることが出来るが、しかし他の者の中にはそうしたことは出来ないのである。なぜなら人間各々の情愛の目的は主のみに知られているからである。これが主が以下のように言われた理由である―

 

 審いてはならない、あなた方が審かれないためである、罪に定めてはならない、あなた方が罪に定められないためである(ルカ6・37)。

 

 なぜなら多くの者は真理と善との方面では類似した情愛の中にいるように見えるが、それでも人間各々は起原については、即ち、目的については、異なった情愛の中に在り得るからである。

 

 

 

 

3.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P44

 

 譲歩を知らない頑固者であるな。皆、罪びとであるから自分が他人に対して、してほしいように他人に対して同情とゆるしに満ちたものであれ! 裁くな。 おお裁くな! おまえたちが私と一緒にいるのはまだ長くないが、どんな罪もない私はどれほどたびたび不正にも裁かれ、存在しない罪のために非難されたことか。悪い裁きは侮辱である。そして侮辱をもって侮辱に答えようとしない人々こそ本当の聖人である。侮辱されたくなければ、他人を侮辱するな。こうすれば愛徳と聖なる謙遜にそむかない。謙遜と純潔こそは、ともにサタンの敵である。他人を、人をゆるせ。いつもいつもゆるしなさい。『私の限りない罪のために、あなたにゆるされますように。おお、父よ。私はゆるします』といえ。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P43

 

「密偵だ・・・密偵に違いない・・・」

「シモン、人を裁いてはいけない。何時か後で、その裁きについて後悔することがあるでしょう・・・」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P89

 

 そう、だから私も他人に対する批評を聞きたくありません。

 

 

 

 

4.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1977.4.8

 

 今日、とりわけ沈黙を守るように学んでください。その神的な言葉を聞くために、自分の内で、沈黙を守ってください。あなたがたの周囲の人々に、沈黙を守ってください。

 あなたがたを受け入れない人の非難とざん言に答えないでください。

 あなたがたを迫害する人の嘲りと、侮辱に答えないでください。だれも裁かないでください。

 おそってくる時期に、いっそう、沈黙を守るように呼ばれています。生き方によって話すように。

そして、十字架につけられたあなたがたの生活から、全ての人への愛とおん父のみ旨に、全く委ねる言葉が生まれるでしょう。

 

 

 

 

聖母から司祭へ1987.3.4

 

 すべての人に、愛と謙遜な奉仕の精神をもって善を広めるためだけ話すように舌をおさえ、こうして、あなたたちのうちにも、まわりにも、沈黙を守りなさい。

 批判や不平や悪口、ざん言をさけなさい。

 人をさばき、有罪にしやすいいざないに負けてはなりません。

 

 

 

聖母から司祭へ1992.1.1

 

世間と自分自身を軽蔑する道、けんそんと、自分がいやしい者にすぎないとへりくだる道、愛と潔白の道を歩みなさい。こうするなら、あなたたちは、こん日、これほど苦しんでいる教会にとって、よきサマリア人となるでしょう。

いつも愛し、誰もさばかないでください。

あなたたちの司祭的なやさしさをもって、すべての人を助けなさい。

 

 

 

聖母から司祭へ1995.11.15

 

誰をも裁いてはいけません。わたしの汚れなき心の鼓動に合わせて皆を愛しなさい。

 

 

 

 

5.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P172

‘90・6・27

 

あなたに平和。 娘よ、祈りなさい、そしてあなたを死者の地から引き上げ 我が平和と愛の世界に入って暮らすのを許し いにしえの人びとの知識を優しく指南しながら 教えてきたのを ほめ讃えなさい ♡ そこでいまだに右手と左手の区別がつかない者たちを 誰も責めないように。 私が思いやりあるように思いやりを持ちなさい。 裁いてはならない あなた自身も裁かれないように ♡ 責めてはならない、そうするならあなた自身も責めを受けない。 悪に抵抗し 善をもって克服しなさい ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P198

‘90・7・30 ロードス島、聖ネクタリオの修道院で

 

謙遜を追い求めなさい、貧しさを追い求めなさい。私の律法に従い 他の人にもそう教えている者たちよ、自らもへりくだりなさい。裁かないように そうしたらあなた自身も裁かれないであろう ♡ 人を非と定めないように そうしたら私もあなたを非とは定めない。悔い改めなさい、そうするなら あなたが私の霊を押さえつけるのに費やした歳月を 補おう。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P205

‘90・8・5−29 ― 十誡 ― ロードス島にて

 

♡ 私に依りかかって、私の愛を思いなさい。 私は十字架の道行を独りで歩んだ、我が民の男たちのうち 一人としてともにいなかった。 理由なく憎まれ、暴力と法のもとに捕らえられた。 私の勝ち取った報いとは苦しみと屈辱。 あなたの過ちを身に受け 私の創造したその手が私を打ち 醜い姿に損なうのを許した、しかしこれらの傷を通して あなた方は癒されたのです・・・ですから迫害する者たちを祝福しなさい、彼らを裁かないように、むしろ祝福し 祈ってあげなさい ♡ 今日は目に涙を溜めてこう告げる: 私と我が十字架に対して 敵として振舞う者たちは多い。 福音を説教する全ての者たちの中で、実際に私と我が王国のために働く人びとは殆どいない ♡ 我が掟全体は唯一の命令のうちに要約される

           愛しなさい ♡

私の掟につき従い 日々の行為を糾明したなら 我が十戒にそっては生きていないのを発見したであろうに。 そしてたとえ彼らが:「あなたの十戒に従っていないと仰しゃるのですか? ではどうやって従えばよいのか? もしわたしたちが十戒に従っていないと仰しゃるなら どうやって十戒が教えられましょう?」と私に言うとしても やはりそれに従ってはいない あなた方のうちに愛が欠けている: 我が十字架の冠は愛です。 愛するとは我が十戒に従って生きることです。 私にたいして愛がなく 霊的な妬みだけで弟を殺したカインのようであってはならない・・・

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P171

‘92・11・10

 

我が足跡をたどり 名誉も名声も求めないように。 世にペテン師と見なされても 自分は本物だと知りなさい、まずはじめに世は私をペテン師と見なした。 愛しなさい! そして許しなさい! 聖霊にたいして驚くべき企てをたくらむ者たちのために祈りなさい そして裁いてはならない 彼らにとって死に連なるものが、あなたにとっても致命的とならないように。 私が彼らを正すにまかせなさい。 あなたのなすすべては 愛に根づいたものであるように。 私があなたを養い 慰めで満たす。 最後には 私のからだの刺すべてが取り除かれよう。 愛が 勝利する。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P192

‘01・11・13

 

だが、まことに言っておく、私を進んで受け入れた者は誰であろうと、私が話している今も、祝福されている、あまりに不思議な仕方で、知識と知恵を私より受けているゆえ、それはまるで聖書を全部読んでしまったかのよう! その人自身 恵みを通して得られる聖なる霊感を自らのうちに携え 声高に話す書物となる。 こうして、我が娘よ、その人は聖書を読むとき、その字づらだけではなく、むしろ、ヴァッスーラ、あなたも経験したように、霊的な目で 内容の深い意味が見えてくる ♡

 

そこで、預言的任務を持ち、声高に話す書物のような我が使者たちには 反対しないように、私がこの者たちを遣わした。 聖書に含まれる以上のものは啓示しないが、あなた方にとっては 道案内。 私のうちなる真のいのちを生きるよう 新しい生き方を手引きする ♡ 人生をよりよくし 希望と慰めを与えて。私は誰であっても 悲惨な存在からカテドラルへと変えられる。

 

裁いてはならない そうするなら私が訪れて 我が言葉を実現しよう。 聖書は、あなたの神なる、私の肖り、だから見くびってはならない そして私を知るに遠く及ばないあなたが 聖書を知っているとは言わないように。私のヴィジョンが見えるように掟を守り、そこに述べたことを果しなさい。 我が言葉を行う霊魂は 私を知るようになろう。 そのとき、そしてそのとき初めて、あなたは決まりによってではなく 私に与って神となる。

 

 

 

 

6.シルワン

 

 

シルワンの手記/P65

 

 兄弟に暴力をもって当たらないこと。兄弟を絶対に裁かないこと。優しさと愛をもって説得すること。高慢とかたくなさは平安を奪う。愛してくれない人を愛し、その人のために祈れ。そうすれば、あなたの平安は乱されることがない。

 

 

 

 

7.正当に審くことは正当

 

 

聖書51[5]

 

主は言われている。

審くな、審かれないためである、あなたらの審く審きであなたらも審かれるであろう(マタイ7・1、2、ルカ6・37)。

教義がないなら、これは悪いことについてそれは悪いと言ってはならない、それで悪い人間も悪い者として審いてはならないという考えを確認するために引用することが出来るが、それでも教義によると、審くことは、しかし正当に審くことは正当なのである、なぜなら主は、

正しい審きで審きなさい(ヨハネ7・24)

と言われるからである。

 

 

 

 

8.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P178

 

われわれが絶えず人を裁き非難していれば、人をも自分をも大きく害していることになる。しかし、自画自賛を捨て自己批判をするようになれば、自分を変え、人への共感と愛を覚える人間になる。こうして自分をも人をも助け、真の愛の王国という約束の地を受け継ぐことになる。