赦せ

 

 

赦す裁くな

裁くのは主憎むな主は赦し給う

主はユダをも赦された主は忘れてくださる

われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え

 

 

 

 

1.聖書より

2.赦せ

3.神は赦す

4.聖母の赦し

5.復讐しない

6.あらゆる恨みや 暴力的な思いを捨て去り

7.マーリン・キャロザース

8.主の祈り

9.人を赦さない者は人を恐れる

 

 

 

 

1.聖書より

 

 

マタイ6・14−15

 

 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。

 

 

 

マタイ7・1−2

 

 人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

 

 

 

マタイ18・21−35

 

 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』

 そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

 

 

 

マルコ11・22−25

 

そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」

 

 

 

ルカ6・27−28

 

しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。

 

 

 

ルカ6・37

 

 人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。

 

 

 

ルカ7・44−50

 

そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

 

 

 

ルカ23・34

 

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」

 

 

 

コロサイ3・13

 

互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。

 

 

 

 

2.赦せ

 

 

真の基督教409

 

主の来り給わぬ以前は、殆ど何人も内なる人と仁慈とは何であるかを知らなかった。これが主が極めてしばしば兄弟愛即ち仁慈について教えこみ給うた理由であり、これが旧約聖書と新約聖書との相違を作っている。善は仇と敵に為さねばならぬことを主はマタイ伝において教え給うた。

 

「古の人に汝の隣を愛し、なんじの仇を憎むべしと云えることあるを汝らきけり。されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを呪う者を祝し、汝らを憎む者に善を行い、汝らを害し、責むる者のために祈れ。これ天に在す汝らの父の子とならんためなり。」(マタイ5・43−45)

 

しかして、ペテロが主に「幾度わが兄弟我に向かいて罪を犯さんに我これを赦すべきや、七度までか」と尋ねた時、

 

「イエスは彼に向かい、七度迄とは我言わじ、七度の七十倍までと言うなり」と答え給うた(18・21、22)。

 

 私はまた、主は凡ゆる人間の罪を赦し給うことを天界から聞いたのである。なぜなら、彼がペテロに七度の七十倍まで赦すように語り給うた以上、彼自身何を赦したまわないであろうか。更に、彼は愛そのもの善そのものにて在す故、罪に対して決して刑罰を加え給わず、また決して、罪を彼らに帰し給わない。にも拘らず、罪は悔改めに依らない限り、拭い去られないのである。

 

 

 

マリア・ワルトルタ25・11/天使館1巻P208

 

聖母がマリア・ワルトルタに:

 

子らよ、わたしたちのために、に仲裁していただくには、希望し、祈り、赦さねばならないのです。あなたたちも、あなたたちの受難を生きなさい。あなたたちの犯した罪に値する受難を。喜びつつ、いかに受難を克服し、それを変えるかをわたしはあなたたちに教えましょう。法外に希望しなさい。信頼を失わず祈りなさい。赦されるために赦しなさい。子らよ、の赦しこそあなたたちが熱望している平和なのです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P44

 

 譲歩を知らない頑固者であるな。皆、罪びとであるから自分が他人に対して、してほしいように他人に対して同情とゆるしに満ちたものであれ! 裁くな。 おお裁くな! おまえたちが私と一緒にいるのはまだ長くないが、どんな罪もない私はどれほどたびたび不正にも裁かれ、存在しない罪のために非難されたことか。悪い裁きは侮辱である。そして侮辱をもって侮辱に答えようとしない人々こそ本当の聖人である。侮辱されたくなければ、他人を侮辱するな。こうすれば愛徳と聖なる謙遜にそむかない。謙遜と純潔こそは、ともにサタンの敵である。他人を、人をゆるせ。いつもいつもゆるしなさい。『私の限りない罪のために、あなたにゆるされますように。おお、父よ。私はゆるします』といえ。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P362

 

よく言いました。マリア。しかし悪人と争うな。そしてゆるしなさい。私に倣いたいならばゆるしなさい。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P364

 

「では残りましょう。あなたが苦しんだすべてのことの報いを与えたい。マルタ、そんな悲しそうな顔をしないで。マルタが私を苦しめたと考えているが、私の中に悲しみがあるのは、あなたたちのためではなく、あがなわれるのを望まない人たちのためです。彼らはますます私を憎む、彼らの心には毒がある。しかし・・・それでもゆるしましょう」

「主よ、ゆるしましょう」とラザロが、その柔和なほほえみで答える。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P375

 

まず何よりもあなたに要求することは、あなたを傷つけた人、そして私を傷つける人々に対して遺恨を持ってはならないということです。ゆるしなさい、ラザロ。ゆるしなさい、いつも。あなたは愛に燃やされた、炎の中に浸されたものです。そしてあなたは、もはや神の抱擁のほかに何も知らないために“愛”であるべきです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P96

 

「私を憎んでいる一つの世界があります。シモン、それをゆるさねばなりません」

「私は主だった人間のことを言っているのです。一番上で操っている人間が・・・」

「操っている人間は大勢います。しかもそれぞれが重大な役目を持っています」

「何の役目を? あなたを殺すためですか? ・・・しかし私は・・・」

「あなたも私とともに、彼らをゆるさねばならない。彼らをどうして罰してやろうかと思うから不安になるのです。シモン、罰する役は神に委ねよう。あなたは同情しゆるしなさい。このイエズスに対して罪を犯すすべての人々がゆるされるように、彼らを助ける必要がある!」

「そういう奴らにゆるしの余地はありません」

「あなたは兄弟たちに対して厳し過ぎる。シモン、いやいや彼らも悔い改めたらゆるされる。私を侮辱する人が皆ゆるされないなら大変なことになります。さあ、シモン、立とう。仲間たちは私まで、あの柵にいないと知って、心配しているでしょう。しかし彼らにもう少し心配させておいて、ここを去る前に一緒に祈ろう。平和と霊的な力と、愛と同情を取り戻せるように祈ろう。祈りはサタンの幻を退け、神が近くにいるのを感じさせる。神が近くにあれば、正義と功徳をもって、あらゆることを耐え忍べます。そうなるよう一緒に祈ろう。(後略)」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P331

 

どんな場合でも人を断罪するより先に、自分も人間であることを思わねばなりません。あなたの師である私も、罪を痛悔している人を一人も断罪しませんでした。このことを思い出しなさい。子供たちの罪を七度の七十倍、また七十倍の七十倍でもゆるしなさい。なぜなら再び病気になったからと言って、病人に救いの門を閉めるのは、彼を死なせると同様です。分かりましたか?

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P132

 

「(前略)マテオ、あなたに対してこれとちがうやり方だったか」

「いいえ、主よ」

「しかし、本当のことを言いなさい。あなたを納得させたのは、あなたに対しての私の忍耐であったか、それともあなたに対してのファリサイ人たちの苦々しい、とがめであったか」

「あなたの忍耐でした。そのために今、私はここにいます。ファリサイ人たちが、そのいつもの軽蔑の言葉と呪いとをもって逆に私を何もかも軽蔑する人間に変え、その軽蔑のために今までやっていた悪いこと以上の、悪いことをしようとさえ考えた。ことは今、言ったように起こります。罪を犯しているために罪びととして、とり扱われると感じる時、人はその時により固くなるものです。しかし侮辱の代りに愛撫がくる場合、まず、びっくりし、次に涙がこぼれる・・・。そして泣き出す時には罪の土台がくずれて倒れる。人は、慈悲の前に全く裸となって、その慈悲で、自分を覆うようにと心からこいねがうのです」

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・3

 

[1]まずあなたの心を平和に保て。そうすればあなたは他人(ひと)をも平和にすることができよう。

 柔和な人は大学者よりもためになる。

 癇癪持ちはあらゆる善を悪に変え、また悪を信じやすい。

 善良でおとなしい人はすべてのことを善に変える。

 心の平和な人はだれをも悪く思わない。しかし不満家で気のイライラしている人は、いろいろな疑いに悩まされ、自分でも心が安まらないし、他人の心も安らかにしない。

 そいう人はしばしば言ってならないことを言い、自分のためになることをしない。

 またそういう人は他人のなすべきことばかり気に病んで、自分のなすべきことはお留守にする。

 だからあなたはまず自分のことを熱心にせよ。そうして始めて隣人のためにあなたの熱心をおよぼしても、言いわけが立つというものである。

 

 

[2]自分を責めて、兄弟を弁護してやるのこそ正しい道であろう。

 他人(ひと)に許してもらいたいならば、他人をも許すがよい。

 見よ、あなたはほんとうの愛と謙遜とから、どんなに遠く離れていることだろう! なんとなればこの徳は、自分以外にはだれにも腹を立てたり不機嫌になったりすることがないはずだからである。

善良でおとなしい人といっしょにくらすのは、少しもむずかしいことではない。それはだれでも自然に楽しく思うところで、人はみな平和を喜び、自分と同じ考えの者をいっそう愛するからである。

しかし人触りが悪いなみはずれた者や、だらしのない者や、自分に逆らう者などと、平和にくらすのはこれこそ大きな恩恵であって、称賛すべき雄々しいことである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・18・1

 

 わたしの子よ、わたしはあなたを救うために、天から降った。わたしがあなたの苦しみをわが身に引き受けたのは、必要やむを得なかったからではない、むしろあなたを愛したためで、あなたが忍耐を学んで、この世の苦しみを、怨み憤ることなく忍ぶことができるようにと思ってである。

 

 なんとなれば、わたしは降誕の時から、十字架の死去にいたるまで、苦しみのないことは片時もなかったからである。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P174

‘90・6・30

 

我が赦しはすでに彼らに与えられてある、そう、悪を行わずには寝ない まさにこの者たちに、ですから彼らを赦すあなたの声も 聞かせなさい・・・

 

彼らを赦します、主よ、していることが分かっていないのです。

 

あなたに目を注いで見守っている。 私は力強く護り 真に支える者です、それゆえに たとえ迫害、脅迫そして攻撃さえ受けても、あなたと私の間には はだかるものが何もない。 迫害、脅迫や攻撃を受けなかった預言者がいたであろうか? 教会の位では、使徒に次いで、二位についていながら、いつでも不当に扱われ 虐待されてきた なぜならその口から真理が発せられるのを彼らは聞くが 真理は不安にさせるからです ♡

 

これからどうすればよいでしょう?(とても悲しい気持ちでイエスに尋ねました)

 

  我が民を信仰に従順とならせなさい(*)・・・

 

私のメッセージを放送しなさい。 さあ 我がメッセージをひろめる手段を与えよう ♡ 時にかなってすべての必要を満たす。 花よ 我が薫りを海外にひろめなさい ♡

    イエスは厳かに、少しの躊躇もなくこう答えられました。

 

み旨が行われますように。私を自由に用いて下さい。あなたの愛と平和の道具として下さい。

 

 

 

 

3.神は赦す

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P187

 

「あなたは心の中で神はゆるしてくれまいと考えています。売春婦であることをゆるしてくれない世間と比較して、天もそうであろうと考えています。しかし神は世間ではない。神は慈悲です。神はゆるしです。神は愛です。あなたが私の所へ来たのは、私を滅ぼすために金をもらったからだが、実に創造主は悪いことを善に変えて人を救うことができます。もし、あなたがそう望めば、ここに来たことは善に変わるでしょう。救い主に自分の心を赤裸々に見せることを恥じてはならない。あなたがそれを隠そうとしても、神はそれを見て泣いておられます。神は泣かれ、愛されます。後悔することを恥じてはいけません。罪を犯したとき大胆であったように、悔い改めるときも大胆でありなさい。あなたは私の足元で泣く最初の売春婦ではありません。私は彼女らを正道へ戻しました。私はどんな罪深い者であっても、追い返さず、引き上げ、救い上げるようにしました。これは私の使命です。私はどんな悲惨な心の状態にある者でも、嫌悪を起こすことはしません。」(中略)

 

「母以外、あなたのように話してくれた人は、一人もありません。あなたは母よりも、もっと優しく話してくださった。母は終りのころになると、私の乱れた生活を厭い、厳しく叱りましたので、私はエルサレムへ逃げました。しかし、あなたは・・・それでも、あなたの優しさは、私を責め苛む火に降りかかる雪のようでした。私を責めていた火は今、もっと静かな少し違う火になりました。今までは光も暖かさもないのに燃える火でした。私は氷のように冷えたまま闇の中にいました。ああ、好んで営んできた今までの生活なのに、どれほど苦しんだり呪ったりしたことでしょう。」(中略)

 

「あなたに会いに出て来たときから、ゆるしていました。立って、もう罪を犯してはならない」

 

 

 

ピオ神父/魂の酸素81

 

 あなたはこれまで長い間、主を愛してきたのでしょう? 今でも、愛しているのでしょう? そしてこれからも永遠に、愛して行きたいと願っているのでしょう? それなら、おそれてはなりません! たとえあなたがこの世にある罪をことごとく犯したと知っても、イエスはこう言われるでしょう。

 

「あなたの多くの罪はゆるされた。あなたは多く愛したからである!」

 

 

 

 

4.聖母の赦し

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P79

 

「・・・母マリアは、ゆるしだけを望んでおられます。ご自分は何一つゆるしが必要ではないのに・・・。そうでしょう、母マリア・・・」

と、スザンナがそう言い加える。

「私が望んでいるのは、許しだけです。そう、それだけです。悪人であることは、それ自体恐ろしい苦しみでしょう・・・」

 母マリアはそう言いながら、溜息をつく。

「あなたは本当に、どんな人もゆるしたいのですか?でも、それでよいのでしょうか?ゆるしを弱さと履き違えて、からかったり馬鹿にしたりする頭の固い人たちも多いのですよ」と、マルタが言う。

「私としては、ゆるしたいだけです・・・愚かだからではなく、そんな人も多少善いところを持っている小さな子供のように考えているからです。もし母親なら、自分の子供に対して、そのように扱うのではないでしょうか。母親なら、いつもゆるしを考えています。歪んだ道に入り込んだ我が子がいたら、きっと母は、その子を正しい道に引き戻そうとするでしょう。しかし、それができない場合もあります。また、どんな助けも受けつけない心もあります。・・・でも、ゆるしましょう、罪のある人たちをゆるしましょう。彼らの負い目を軽くするために、私たちのする絶対的なゆるしを、神様がお与えくださるように願っています・・・」

 

 

 

 

5.復讐しない

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P206

 

主:「私は友人をつくるために奇跡を行なうのではない。人間へのあわれみと、神なる御父に光栄を帰するためだけです。人の不幸をあわれんで、その人の上に身をかがめる時、計算ずくでしていると思うのですか。また、私は自分を迫害する者に対して決して仇討ちはしません」

 

 

 

 

6.あらゆる恨みや 暴力的な思いを捨て去り

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P244

‘02・9・8

 

書きなさい、聖書では こう述べている:

 

 「人が人に対して 怒りを抱くならば、

  どうして、癒されることを主に求めることができようか。

  人間同士、憐れみを示さないで、

  どうして、自分の罪のために祈ることができようか。」(*)

 

*シラ書28・3−4

 

我が愛の掟を思い出し それを真心込めて守っていくように・・・。 あらゆる恨みや 暴力的な思いを捨て去り 私のほうを向きなさい・・・ヴァッスーラ、この世代のあまりに多くがこの罪を犯している。 怒りと恨みという罪を。 自分の情念の奴隷となって 悪を行うとなるや勇み立つ・・・(*)

 

誰も正しい者はいない、それでも、私、イエス・キリストは、いたわりと溢れるばかりの愛を 人類に示した そして私は あなた自身で果したかも知れない善意や正義については関心もなく 追求もしていない。 我が慈悲に駆られて憐れみ救うほどに あなたへの思いやりは大きく、新しく生まれるための浄めの水と 聖霊による刷新によって それを行った。

 

*主は 深刻な罪の中にいる人たちに話しかけられておられます。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P246

‘02・9・8

 

私は復活 そして私を通してあなた方皆を 復活の息子 娘たちとした。 あなたが罪にとどまり、隣人を許さず、心を恨みで満たして硬直したままなら、至高なる神をその目で見るのを拒まれる。 罪の負債があるなら 全き聖である霊はご自分を現わさない、悔い改めの行為を そして愛の行為を、意識的に拒んだゆえに・・・

 

この罪にとどまっているなら 私にこう言ったと同じ、「師よ、私は自分の墓にいるほうがいい。 死んだまま 死人の間で生きるほうを選びます。」肉がすでに腐り始め、朽ちかけていながら、まだいのちを拒むのか? あなたが自分の罪を否定するのは いのちを否定するのと同じ。 それよりも私のそばに来なさい そして聖人たちや 地上でも完徳に達そうとしている人たちのそばに 近よりなさい、私を観想している間 心が済みきっているこの者たちを、私は 神聖なる富と天上の神秘のうちに浸している。

 

 同質にして聖なる 三位一体の神よ、

 この時代の 神にたいする背きと否定は

 キリストの教会の一部を 崩壊させました。

 私たちの あまりに貧しい状態では、

 どうやって自らのうちに キリストの御からだを認められましょう?

  

 いのちない物体のように 私たちは散らされています、 主よ、

 自我と 傲慢の霊によって引き裂かれて。

 私たちのうちに 愛というはっきりした信仰のしるしが

 どこに見いだせるでしょう?

 

 そこにあるのは常に対立への傾き、

 過去の恨みさえ いまだ生きています、(*)

 多くの心のうちには 執念深い霊が住みついているのです。

 

*ここで私の思いは 正教徒の聖職者たちの中には、少なくとも、分離以来カトリックの兄弟たちに恨みを抱きつづけている方たちもいるという 過去の経緯へと引き寄せられました。

 

ああ、寛大さという 全き−祝福された行為、愛徳の行為よ、あなたを迎え入れた者たちは 幸い!あなた方には もはや染みがなく 贖い主より 額に口づけを受けよう。 自らの罪を捨て去る者は 幸い、宝なる、私と見(まみ)えて、聖性の小道に分け入ろう。 我が十字架を 喜んで熱烈に抱擁する者は 幸い、至福のヴィジョンのうちに分け入って、霊魂は 至上の歓びを知るだろう!

 

世代よ、今日私は、不思議と我が声の響きによってあなた方を圧倒している。 負っている負債と 罪の泥沼から引き出そうと 私は天国の歌をうたい 我が心の寝所の秘密を見せた、あらゆる悪より放免しようと私は絶え間なくあなたの前にいる。 もしあなたの花婿がその目で見えないとすれば、それは罪の瘡蓋(かさぶた)が目を封じているため・・・

 

すでに言ったように、すべての暴力的な思いを捨て去り 誰かに対する怨念を握りしめて サタンに付け入られることのないように、さもないなら天の御父は あなたを厳しく扱われよう。 自分に負債のある仲間の僕を 無慈悲にも牢に投げ込んだ悪い僕のようであってはならない。

いのちを失ったままではいないように、むしろあなたに抱く 我が言葉に絶する慈悲を思いなさい、世代よ。 そこで 私が述べた一切を実践し 恵みの聖霊を受けなさい。 一つでいるように ♡

 

 

 

天界の秘義6561

 

人は各々その兄弟または隣人を赦さなくてはならないことは教会の命令によっていることはマタイ伝の主の御言葉から明白である―

 

 ペテロはイエスに言った、主よ、いく度わたしの兄弟がわたしに罪を犯して、わたしは赦すのでしょうか。七度までですか。イエスは彼に言われる、わたしは七度までとは言わない、七度を七十倍するまで、と言います(18・21、22)。

 

 しかしユダヤ民族には、自分たちは決して赦してはならない、何らかの点で自分たちを傷つけた者は敵として考えなくてはならないということが刻みつけられていたため、それで彼らは、彼を憎み、その欲するままに彼を扱い、殺しさえすることも許されていると考えたのである。その理由はこの民族は内なるものを持たないで、ただ外なるものの中にのみおり、かくして内なる教会に何ら支配されなかったということであった。このことがヨセフの兄弟たちがヨセフは自分たちを憎んで、自分たちに悪を報いるだろうと非常に恐れた理由であった。

 

 

 

 

7.マーリン・キャロザース

 

 

マーリン・キャロザース

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P14

 

 キリスト者の愛を実行するそんな機会をあなたは望まないかもしれませんが、ちょっと考えてみてください。誰かがあなたを傷つけない限り、あなたが赦す喜びを知ることは決してないのです。

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P14

 

神は、これまで私たちを傷つけたすべての人々を私たちが赦すことを望んでおられます。彼らが自分のしたことを知っていようと知っていまいと。私たちの赦しを望んでいようと望んでいまいと。(中略)神は、彼らを罪悪感の束縛から解放し、ご自分に引き寄せることを始められるのに、私たちの赦しを彼らの人生において用いられます。

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P19

 

 私たちが自分の家族の一人一人を絶えず赦すことから始めることができたら、どれほどの違いをもたらすことでしょう。互に不平を言ったり、イライラしたり怒ったりする代わりに、「主よ、父が私とお約束をまたもや破ったことを感謝いたします。父を赦しますから、主よ、あなたも父を赦してください」とか、「主よ、私の子供がまたもやベッドメーキングを忘れました。感謝いたします。私は子供を赦します」と言うのです。そのようにし始めてごらんなさい。訪れて来る人々が、あなたの家庭と食卓の雰囲気の良さの秘密を知りたいと思うようになるでしょう。そのときこそ私たちは彼らをイエスに紹介することができるのです。

 

 

 

 

8.主の祈り

 

 

主の祈り/マリア・ヴァルトルタの「手記」より/天使館

1943年7月7日

 

われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え

 

 創造された人間の中で、私の母以外の誰も、多かれ少なかれ重大な罪を、御父から赦してもらわずに済んだ者は一人もいない。ただし、神の子としての器によって、赦される程度は異なっているが・・・。だから、負い目のある者たちの帳簿から、あなたの名前を消してもらうよう、御父に願いなさい。もし、あなたが謙遜、誠実、痛悔の心をもって願うなら、永遠の御父は、あなたにとって良いように計らってくださるであろう。

 しかし、神から赦しを受けるための絶対的条件は、まず人を赦すことである。もし、あなたたちが、神に憐れみだけを求めて、隣人に対して憐れみを拒むなら、あなたたちは神の赦しを受けることはないであろう。神は偽善者や冷酷な者を嫌われる。また兄弟を赦さない者に対しても、御父はその人を赦すことはない。

 

 更に、あなたたちが隣人からどのように傷つけられようとも、あなたたちが神に負わせた傷は、それよりもはるかに深いことを良く考えなさい。このことを思いめぐらすことで、私が完徳によって赦したように、また、赦すことを教えたように、すべてを赦すようにしなさい。

 

 

 

 

9.人を赦さない者は人を恐れる

 

 

天界の秘義6561

 

人は各々その兄弟または隣人を赦さなくてはならないことは教会の命令によっていることはマタイ伝の主の御言葉から明白である―

 

 ペテロはイエスに言った、主よ、幾度私の兄弟が私に罪を犯して、私は赦すのでしょうか。七度までですか。イエスは彼に言われる、わたしは七度までとは言わない、七度を七十倍するまで、と言います(18・21、22)。

 

 しかしユダヤ民族には、自分たちは決して赦してはならない、何らかの点で自分たちを傷つけた者は敵として考えなくてはならないということが刻みつけられていたため、それで彼らは、彼を憎み、その欲するままに彼を扱い、殺しさえすることも許されていると考えたのである。その理由はこの民族は内なるものを持たないで、ただ外なるものの中にのみおり、かくして内なる教会に何ら支配されなかったということであった。このことがヨセフの兄弟たちがヨセフは自分たちを憎んで、自分たちに悪を報いるだろうと非常に恐れた理由であった。