勤勉

 

 

用・役立ち

 

 

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

2.トマス・ア・ケンピス

3.十字架のヨハネ

4.アグレダのマリア

 

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

 

 

結婚愛16

 

そして愛と知恵は用の中に存在し、存続していますため、私たちを感動させるものは用であり、用は自分の職業の業を忠実に、誠実に、勤勉に遂行することです。用を愛することとその愛から用において熱心に活動することによって、心はそれ自身を消耗したり、凡ゆる欲念を吸引したりしないようになります。欲念は感覚を通し、身体から、また世からその誘惑とともに流れ入ってきて、そのため宗教の真理と道徳の真理とはその善とともに四方に吹き散らされてしまいます。しかし用における心の熱心(アーネスト)な活動によってそれらのものはともに維持され、結合され、心はこれらの真理から知恵を受容する形に排列され、かくてその活動によって、誤ったものと空しいものとの迷いと、まがいものとが棄て去られます。

 

 

 

霊界日記6066

 

勤勉な者たちは首の領域を構成していることはヘイガルト博士から明らかにされた、彼は色々な事を書き写すことで忙しかったのである、さらに、勤勉により身体と頭との交流が起こっているのである。

 

 

 

 

2.トマス・ア・ケンピス

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・25・11

 

 つねに終りを忘れず、過ぎ去った時間のふたたび帰らぬことを記憶せよ。熱心と勤勉とがなければ、決して徳を積むことはできないのである。

 冷淡になりかけると、たちまち悪いことが始まる。しかしもえるような熱心があれば、大きい安心を得、また神の恩恵と善徳とを愛することにより労苦のいっそう軽くなるのを感ずるだろう。

 熱心で勤勉な人は、どんなことにも用意ができている。

 罪悪や情欲に抵抗することは、肉体(からだ)の労働(はたらき)に汗を流すよりも骨が折れる。

 小さい過失を避けない人はだんだん大きいのにおちいるようになる。

 一日を有益に過ごしたならば、夕方はいつも楽しいだろう。

 みずから用心し、みずから励まし、みずから戒めよ。そして他人(ひと)がどうであろうとも、自分のことをおるすにするな。

 あなたが自分を強く抑えるだけそれだけ、あなたは進歩するのである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・12・5

 

 だからあなたは、もしほんとうの楽しみを味わい、いっそう豊かな慰めをわたしから受けたいと思うならば、いっさい世間の物事を軽んじ、あらゆる卑しい楽しみを捨てるがよい、そうすればあなたは祝福をこうむり、豊かな慰めを与えられるだろう。

 そしてあらゆる物質的慰めから離れれば、離れるほど、あなたはわたしの慰めのますます甘美で力強いことを知るだろう。

 けれども、その境地に達するには、まず多少悲しみをなめ、骨を折って戦わなければならない。

 抜き難い習慣は、あなたに抵抗するだろう。しかしそれにはいっそうよい習慣をもって打ち勝とう。

 からだも恨み歎くだろう。けれども精神の熱烈な力をもってこれを抑えよう。

 あの老獪な蛇はあなたを誘い悩ますだろう。しかし祈りをもってこれを追払おう。その上わけても有益な仕事にいそしむことによって、その入ってくる口をふさぐようにしよう。

 

 

 

 

3.十字架のヨハネ

 

ドン・ボスコ社/十字架のヨハネ小品集P199

 

すべての霊魂の、その身分、その階級における最高の完徳は、自分の才能と能力に応じて神の模倣に進歩し成長することである。そして、最も驚くべき、最も神的な事とは、人々を改心させ、征服するために神の協力者となることである。なぜならば、神のみ栄えはこれにおいて輝くのであり、神にならうことは最大の光栄であるから。そのために、われらの主キリストは、それらを、おん父の事業、おん父のこととよばれた。霊魂が愛によって神に堅く一致すればするほど、隣人に対する同情が大きくなるのは明白な事実である。なぜならば、愛すれば愛するほど、われわれは、この神がすべての人から愛され崇められることを望み、そして、それを望めば望むほど、念祷および、その他、すべて可能で必要なあらゆる手段によってそのために働くから。

 そして、このように神に占有された霊魂のうちにおいては、愛徳の熱烈さと力はきわめて強いので、かれらは自分ひとりの利益だけに満足し、それだけに制限されていることはできない。むしろ、自分一人で天国に行くのはあまりにも小さなことと思われて、自分といっしょに、たくさんの霊魂を天国に連れて行こうと焦慮しながら、天的な愛と、この上もない勤勉をもって努めるのである。これはかれらが神に対していだいている大きな愛から生じるのであり、念祷と完全な観想の実、かつ、その効果である。

 

 

 

 

4.アグレダのマリア

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P232

 

元后の御言葉

 御受難と御死去の秘密とは、唯一、真の人の道は十字架であることも、招かれた者全員が選ばれていないことを、あなたは納得したことと思います。主に従いたい者は多いが、主を真似る者は少ない。十字架の苦しみを感じるやいなや、十字架を棄てます。永遠の真理を忘れ、肉欲を求め、肉の喜びに耽る者は多いのです。人々は名誉を熱心に求め、不名誉から遠ざかります。富を求め、貧困を批難します。このような人たちは主の十字架の敵です(フィリッピ3・18)。

 もう一つのごまかしが世に広まっています。それは大勢の人たちが主に従っていると想像していますが、苦しまないし、労働もしていないことです。罪を犯さないことで満足します。自己犠牲や苦行を避けるという賢慮または自己愛を完徳と考えます。もしも、御子が救い主だけではなく、先生でもあることを考えるなら、この人たちは間違いに気づくでしょう。主は愛を誰よりも良く理解しておられ、誰よりも完璧に愛を実行されました。肉体にとって易しい生活ではなく、労働と苦痛の生活を選ばれました。主は、悪魔、肉欲と我欲をどのように克服するかを教えて下さいました。つまり、十字架、労働、償い、苦行と侮辱の甘受により勝利を得るのです。