1790年9月から11月 神聖ローマ皇帝の戴冠式の行われるフランクフルトに行き、マインツ、マンハイム、アウグスブルグ
そしてミュンヘンなどを訪れますが、どこでも期待したほどの報酬が得られず大層不満なようでした。
1791年8月 ボヘミア王戴冠式に際してプラハを訪れ、ウィーンに帰着します、最後の旅は妻コンスタンツェ同伴でした。
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その死は突然やってきました。11月20日、両手、両足の関節が膨れ上がり、寝返りも打てない状態になったと伝えられています
1791年12月5日未明、妻コンスタンツェ、その妹、そして主治医に看取られて36年に満たない、短い生涯を閉じました。 |