1777年9月 モーツァルトと母マリア・アンナは、西方への旅に出発しました。モーツァルトはザルツブルクに見切りをつけ、 新天地に活躍の場を求めたのですが、結果的にはどこの宮廷にも相手にされず、また、パリでは母を亡くすことになる悲劇への旅立ちでした。アウグスブルグ、マンハイムなどを経て1778年3月パリに到着しましたが神童時代とは違って街は冷たく、苦境のモーツァルトに追い打ちをかけたのは7月母マリア・アンナの突然の死でした。9月パリを発ったモーツァルトがナンシー、ストラスブール、ミュンヘンを経てザルツブルグに帰着したのは1779年1月でした。
1780年11月から1781年3月 依頼オペラ初演のためミュンヘンに滞在。
1781年6月 大司教と喧嘩してザルツブルグに決別したモーツァルトの帝国の首都での新しい音楽人生が始まります。
1783年7月から11月 モーツァルトの帰郷は最後のザルツブルグ滞在になりました。
1787年1月から2月 モーツァルト夫妻はボヘミアの首都プラハに行く。
1788年10月 第2回目のプラハ訪問。
1789年4月 北方を目指し、ウィーンを出発しました。プラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、ポツダムなどでも期待したほど持てはやされず、ベルリンでも得るものが少なかった旅はプラハを経由し1789年6月ウィーンに戻りました。 |