ゆういちろうのページ  2005年

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21世紀は農業の時代(2005年12月)

 11月19日、母校の高校一年生を対象とした卒業生ゼミに講師の一人として参加した。卒業30周年を記念した事業で、毎年行われているという。高校卒業後30年も経つと皆それぞれ社会の一線で活躍している面々である。昔の面影を残している人もいるがほとんどが思い出すのが難しいくらい変わっている。マスコミの論説委員や解説者、企業・官庁の中堅として活躍している人もいる。三百人あまりの生徒が12の教室に別れて聴講するのだが、残念ながら私の「21世紀は農業の時代」というテーマには最低の8人しか集まらなかった。ある程度の調整をしてこの結果であるから、実際に関心のあった生徒はもっと少なかったということだろう。まあ、題名の選定もセンスがなかったと今にしてみれば反省している。ちなみに一番人気は「一生快適におしゃれしたいあなたに」という講座で43人だった。

 65分間の授業では語りつくせない内容で無理があったとも思う。高校一年生には難しい内容でもあった。何故農業の道を選んだのかという自己紹介から始めた。私の30年前は進路については全く白紙で、何をやりたいのかさっぱりわからなかった。北大に落ちて次に琉球大を受けようとしたら、「受験を旅行と間違えている」と言われ断念したこと。東京水産大学ならばどこか遠くに船でいけるかも・・・という漠然とした思いで受けたこと。結局はなるべく遠くに行きたかったのだ。まずは家から離れて将来のことも考えたかったのだ。潜水部に入ってバイトとダイビングに明け暮れた日々。卒業間際に広瀬隆の「東京に原発を」を読み、その衝撃が地元水産市場に勤めた4年間続いた。その間に槌田敦の「石油文明の次はなにか」(農文協)を読んでようやく農業をやってみようと決心がついたのが28歳だったこと。田中康夫の応援団長をしたとき卒業生の名簿を見て農家は私一人だったことに驚く。半分近い卒業生が県外や東京に行ってしまう実態。最後に地域に役立つ人になって欲しいという希望を述べた。一番伝えたかったことは、この二つで自分の進路はあせらずじっくり決めてほしいことと、できるならば地域の役に立つ人を目指して欲しいということであった。どちらも今の教育制度の下ではかなり難しいことかも知れないが、自分に正直に生きたいと思えばそうなる他はないとも思う。

 肝心の「21世紀は農業の時代」というテーマにはうまく迫れたとは思えないが、要点だけはあげておいた。世界の穀物生産量と水資源が限界にきている反面、人口爆発が続いている。新たな油田がほとんど発見されなくなり石油文明がピークを超えつつある。戦後の偽りの自由貿易体制を支えたドル基軸制が崩壊するかもしれない。世界の2%の人口で10%の食糧を消費することができた前提が崩れつつある。食糧やエネルギーやそのほかのものも地産地消型に変えてゆく必要があるし、政治も同様に地域自治とその連帯互助を基本とした連邦共和制に変えていこう。それにはどうしても憲法の全面改正が必要。安保を破棄して非武装中立。国連中心・国際法重視の安全保障。アジア共同市場の創設も大切である。


スーパー出店と選挙(2005年11月)

 稲刈りが終わり、そばの収穫を始めた。緑肥を田んぼに撒いて起こす来年の準備も始めた。カモに除草を頼るのも限度があるので、来年は緑肥と粉末活性炭と除草機を組み合わせた方法に取り組んでみたいからである。帯状疱疹の神経痛はまだ続いているが我慢できないことはない。注射も私にはあまり利かないようなのでやめた。神経痛とはひょっとしたら一生付き合うことになるかもしれない。腰痛も少しあるので無理はできないから農作業も少しずつやるしかない。選挙の手伝いもほとんどできなかった。4年ごとに10月に選挙をやられたらたまらない。時期を変えて欲しいものである。

 ドライブイン穂高の跡地にアップルランドとユニクロ、モスバーガー、デニーズが来ることになった。区で業者を呼んでの説明会が行われた。モスバーガーとデニーズは国道沿いで24時間営業。アップルランドとユニクロは夜11時まで。我が家の前にはアップルランドができる。6mの高さの壁が50mにわたりできる。もちろんアルプスの山々は全く見えなくなり圧迫感と閉塞感はかなりなものになる。まるで刑務所の中にいるようなものである。同意書に判を押してくれと毎日のように来るが、そう簡単に同意できるものではない。まだ設計図を見せられて10日ほどしかたっていない。配置か設計の変更を要望しているが現時点では考えていないという。

 イギリスでは一般住宅でさえ、一年くらいは設計図を掲示して周辺の意見を取り入れるという制度らしい。そこまで今のこの国に期待はできないが、せめて企業立地に関してはそのくらいの配慮が欲しいものである。ましてやこの辺でアップルランドと言えば一流企業の部類に入る。先見性のある企業でないとこれからはやってゆけないよ・・・と言っても無駄だったようである。

とにかく同意書には当分判を押すことはできそうもない。5m離れていれば最終的には同意はなくてもできるらしいが手続きはかなり煩雑になるようで執拗に同意を求めてくる。父も母もこの件に関しては一致して反対である。

ところで安曇野市の初めての選挙が終わった。小林純子さんは自分のスタイルを貫いて見事当選した。名前の連呼は一切しない。できる人ができる時にできることをする。動員も一切しない。静かな選挙と熱き議会を目指すものと言えよう。自分の政策を地道に訴えていた。一方、三郷の津村君は残念ながら150票差で惜しくも敗れた。5人の枠を11人で争うという激戦区で、しかも告示ぎりぎりでの立候補であったから善戦したと言うべきだろう。有機農業がやりたくて三郷にきたが、その農地の目の前に産廃施設ができた。県の規制規模以下なので近々操業開始といわれている。新市で新たな条例を作るべきだろう。安曇野アイガモ会の重要なメンバーの一人である。もし当選していたらアイガモの解体施設や菜種油等の搾油施設など農業への貢献はかなりできたと思うが、まだ若い33歳なので今後に期待したい。


国が破綻してもやってゆける自治体を!(2005年10月)

 帯状疱疹後神経痛に悩まされている。痛み止めの注射を打ちながらの稲刈りである。一度の注射で治ってしまう人もいるようだが、私の場合はすぐには効かないようだ。それでも注射を打てば一日くらいはなんとか我慢ができる。それでもだめな時は座薬でかなり楽になる。しくしく・ちくちくとした痛みが股間や睾丸に残っている。水ぶくれの跡はほとんど消えたが、これも股間とお尻の割れ目に少し残っている。

休み休みであるが、稲刈りもだいぶ片付いた。一町五反終わって残りは八反くらいである。天気が続いているので以外と順調に進んでいる。二人の甥が手伝ってくれるのでだいぶ助かっている。

 大型機械が入らない田んぼの稲刈りを頼まれているので五反ほど刈り取り面積が増えている。稗だらけになった一反の田は父と母がバインダーで一条づつ刈りながら稗を取ってくれた。そのかわり毎日朝から晩まで苦情を聞かされているが、これくらいは我慢しなくてはならないだろう。カモを入れた二枚のコシヒカリの田の収量がかなり落ちた。反当たりの収量は五俵くらいだろう。肥料をほとんど入れていないせいだろうか。稗もかなり入ってしまった。一方アイガモ農法の酒米は全く肥料を入れていないのに、今年も少しイモチ病が出るほどいい出来である。一体この違いは何故なのか・わからない。二十年間梅林だったせいであろうが、それにしても肥料分はもうほとんどなくなっているはずである。ネットで色々調べていたら、脱有機肥料・化学肥料という農法のページがあった。有機・化学を問わず肥料分は一切やらない農法だという。自然農法とも若干違うようだ。話には聞いていたが実際やっている人もかなりいるのには驚いた。一般常識とはかけ離れている。普通肥料を毎年入れないと収奪農業になって、収量は減る一方と言われているのだ。地力のみでやる農法であるが、説明を読んでもなかなか理解できない。山の木や草をみれば肥料など全くやらないのに、毎年健康に育っているではないか・・・と言われてもすぐには納得できない。植物は自分で地力を作る能力があるから、人間が肥料をやる必要などないのだそうだ。それに化学肥料も有機肥料も今後の日本の経済状況によりどうなるかわからないから永続的とは言えないという。

確かに一千兆円を超える借金を背負ったこの国の先行きは全く見えない。おそらく国が破綻すれば公的なサービス、年金・医療・保険・施設や道路の維持管理などは全くできなくなるだろう。地域住民が自力でやってゆくしかなくなる。安曇野市が十月にできるが、国が破綻してもやってゆける足腰の強い自治体を創ろうという首長候補者はいない。まずは食糧とエネルギーのできる限りの自給、そして地域通貨の導入によってある程度年金・医療・介護などの保険をカバーできるはずである。矢祭町のように今から準備をしなければ間に合わないが、こんなことを言っても当選しないからなのか、国がなんとかしてくれると思っているのだろうか。


帯状疱疹(2005年9月)

これから本格的にトマトの収穫が始まろうとした時に帯状疱疹に罹ってしまった。しかも場所が非常に悪い。お尻の割れ目から前面の局部まできれいに!左側だけに水ぶくれができた。激痛で夜も眠れないので、医者に行ったら帯状疱疹だと言われた。子供の頃罹った水疱瘡のウイルスが神経節に潜んでいて、疲労やストレスにより免疫機能が弱ると大人になってからも発症する。できる場所と状況によっては大変な病になるようだ。特に顔面にできた人の話だと視力と聴力がかなり落ちたそうだ。神経痛も長引くことがあり、再発の危険もある。

私の場合はまだお尻だったから良かったようなものだが、それでも股の付け根にできた巨峰大の水ぶくれは自分でみるのも気持ち悪いくらいどす黒いものだった。座ることも歩くこともできず二十日間ほとんど寝たきりになってしまった。排泄と排尿にもにぶい痛みが伴うのが辛い。肛門の周辺がただれて排便に血がまじる。痔の薬を貰ってつけている。赤い斑点は局部の先端にまで達した。ひょっとすれば男性の機能も障害を受けるのか。その使命を遂げることもなく機能を失うかもしれない・・・と哀れに萎縮した分身を眺める。

「変な病気じゃなくてよかったですね」と変ななぐさめ方をしてくれた人もいたが、幸いといおうか残念ながらというべきか、そちらのほうにはあまり縁がないので心配ないが、この痛さはなんとかならないものだろうか。飲み薬と塗り薬を続けてなんとかウイルスは抑えた。水ぶくれはかさぶたになって取れ外見はほとんど治った。しかし、患部のかゆみと鈍痛は続いている。長時間座っていることもまだできない。稲刈りまでにはなんとか直したいものだ。テレビで帯状疱疹の特集をやっていたので見たら、神経ブロックという注射をすれば痛みが取れるそうだ。そろそろ注射を打ってくれる医者にいかねばならないかもしれない。

幸いトマトの収穫は私のところで研修しているSさんに請け負ってもらったので助かった。なんと研修生を受け入れているのだが、意外なことで助けられて驚いている。まだ認定作業は終わっていないが県の新規就農者支援事業の一環である。受け入れる里親には月5万円が一年間、新規就農者には月4万円が二年間支給される。十分とはいえないがいい制度ができたものだ。里親は技術・販売方法の教授や農地・住居などの紹介をできるだけする。自然農法を目指しているので私にはほとんど教えることはない。むしろ教わることの方が多い。農地は荒れて手が回らないところがかなりあるので問題はない。やる気もあるのできっと自分で販路も切り開いてゆくだろう。

それにしても心配なのはいつまでこの痛みが続くのかということである。原因は働きすぎと飲みすぎだろうと思う。もう無理はできない年になってしまったようだ。ネットで調べたらずいぶん帯状疱疹で苦しんでいる人が多いようだ。オルゴール療法というのがあって、木箱からでる低・高周波が副交感神経を刺激して痛みをきれいにとるとあったが本当だろうか。できればスイス製のものがいいらしいが高価である。どこかにないかなあ。痛ててて・・・


単位も優もあげます(2005年8月)

 稗が大発生したカモ田は、信大の学生が何回も来てくれたのでほとんど退治することができてほっとしている。稗と稲の見分け方も覚えてくれて、かなりきれいに取ってくれた。私が信大の教授ならば即、稗取り単位と優という評価をさしあげたいものである。「昔ながらの田んぼの会」会員の主に一年生が参加してくれた。これからも是非、稗取りを田んぼの会の必修科目にしてもらいたい。ついでにカモの解体も覚えて卒業してもらえば言うことはない。何でもできる時に覚えておけば後々けっして無駄にはならないものである。農学部の女の子に聞いたら、畜産を選ぶと2年生でニワトリとヤギの解体実習があるそうだ。その前に是非カモで経験してほしい。カモやニワトリができれば基本はだいたいみんな一緒だからだ。

 信大の経済学部を卒業して、現在私のところで自然農法をやっているSさんは、「何でも買える人ではなく、何でもできる人になりたい」と、言っているが至言である。自然農法で自給程度ならば、ほとんど機械は必要ないので非農家には最適な農法である。野菜・米・雑穀なども種取りから自分でやっているから大したものである。巨大で複雑な現代社会では、ある程度の分業は仕方ないが趣味でもいいから誰でもが農に触れることができる制度は重要である。例えば、ソ連は崩壊したがそれほど大きな社会の混乱はない。これはダーチャという誰でもが週末田舎で農業ができる制度のおかげだと聞いたことがある。日本もこれからどんなことが起こるかわからないし、荒廃した農地は田舎にはたくさんある。5年以上放置された田畑は行政に利用権を移して非農家に開放すると言った制度を今から実行するべきであろう。ただ問題なのは荒廃農地が多い山間地域はサル・熊・鹿・猪などの害も多く作物がほとんど取れない危険性もある。山林再生と猟師の育成も必要であるがなかなか難しい課題であることだけは確かである。カモの解体も役に立つことだけは間違いない。

 一番遅くカモを入れた田んぼも雑草は全くという程なくなったが、稲の生育が悪い。これも原因不明である。五六年有機農法を続けた田にはよくあることらしい。燐酸の欠乏だと聞いたので、発酵鶏糞の追肥をしたがまだ回復していない。それに加え、カモが八羽キツネにやられてしまった。電気柵を小屋の周りだけに張るという手抜きをしたためである。夜11時ごろ見回りに行ったらキツネがいた。一時間ほど追い回し、翌日電気柵を張り案山子を立てた。以後被害はないが八羽の損害は大きい。

 酒米の田んぼはカモも稲も順調であるが、あと一枚の雑草だらけの田は半分諦めている。すでに稗が伸びて穂を出している。11月までカモを飼う場所を作り終えたら鎌を持って入ろうと思っているが、トマトの収穫もあるので、できるかどうかはわからない。あとは信大の学生が頼りであるが、期末試験の真っ最中である。単位も優も・・・じゃなかった、鴨もお酒も一杯あげるから来てくれないかなあ。


ヒエ取り健康法(2005年7月)

 どうしたことだろう。鴨を代かきから5日目に入れるという早業をやってのけたのに、稗だらけになってしまった。稲と稗の見分けがつかない。アイガモ農法を始めてからこんなことはなかった。もっと遅く入れたときでさえ、けっこう草を抑えてくれた。今年は三枚の田をアイガモ農法でやっているが、その一枚目のコシヒカリの田である。確かに昨年はかなりヒエの種を残してしまったことは認める。しかし、昨年より雛の数は30羽と多くしたし、田植後直ちに網や電気柵を張った。こんなに早く鴨を入れたことはないくらいである。自然界では人間の浅知恵では計り知れないことが起こるものだが、これも全く訳がわかない。無農薬でやっている友人に聞いてみるとヒエはどこでもかなり出ているらしい。天候の異変とも関係があるのかもしれない。

酒米の5反の田はもともと草の種が少なかったこともあるが、ほとんど草は出ていない。60羽入れたがほとんど無事で元気に泳ぎ回っている。もう一枚のコシヒカリはだいぶ雛を入れるのが遅くなってしまいコナギが大発生した。動力除草機を借りたが株間はコナギがびっしり残った。しかし、もうかなり大きくなった雛を入れたので、その除草効果はすごい。コナギを端から浮かしてしまった。多少遅くなっても大きな雛を入れたほうが除草にはいいことがわかった。また一つ浅知恵がついたが、ヒエ取りという重労働がその代償ということか。実はもう一枚草だらけの田がある。これはもう10年近く畑だったところなので、水田雑草の種はそんなにないはずだから、コヌカを撒いとけばいいだろう・・・と、甘く見たのが間違いだった。草の種は10年以上生き続けるようだ。ヒエだらけのカモ田は信大の学生に、カモ5羽とアイガモ酒2本で請け負ってもらうことにした。先日5人来て2時間ほど取ってもらったが、かなりきれいになった。やはり最後は人力である。畑だったところは一反なのでなんとか自分でやってみようと思っている。かなり草が大きいし、畑の後なので土がしまって堅いので手での除草はきつい。そこで、水を一杯張って、先端がぎざぎざになった三角鍬で草を削り取って浮かし、それをゴミ掻きで集めてソリに乗せて畦に出している。間違えて稲もよく取ってしまうが、そんなことなど気にしていられない。

作付け面積が大幅に増えたので手が回らないところが5反ほどあるが、幸い自然農法をやりたいという若者が来たので貸してある。5畝ほど不耕起で稲を植えている。蓮華の草の中へ手で稲を植え付けたが、今では草はほとんで枯れて立派な稲になった。近所の年配の農家まで驚くほどいい稲である。起こさないので土の中の雑草の種も発芽しない。余計なことをして仕事を増やしているのが人間なのか。来年は不耕起の稲作りに挑戦してみたいものである。先のことはともかく、今はなんと言ってもヒエ取りである。体の冷えも健康によくないが田んぼのヒエも大変である。運動不足と感じている人は是非ともヒエ取りにご参加して、ヒエとり健康法をやってみよう。


鴨も稲も酔っています(2005年6月)

 安曇野鴨米酒・鴨ん福の売れ行きはなかなか好調である。評判も結構いい。毎晩飲んでいるがいつ飲んでも違う味がする不思議な酒である。常温で飲むと少し甘く感じるが口当たりはとてもいい。冷やして飲むと辛口になるが、冷やす温度によって微妙に味が変る。その時の気分にも影響されるのだろうが、飲む度に違う味がするという酒は初めて飲んだ。おかげでその都度「今日はどんな味なのか」と何倍も楽しめる。

 ラベルは自分でパソコンを使って作った。イラストレーターにも頼んであるが時間がかなりかかりそうである。「安曇野アイガモ会会員専用・数量限定・非売品」という文面も入れた。この文面を入れておかないと逆に自由に販売できないのだ。お酒は販売許可を取るのが難しく税法上もかなり厳しいので、私達が通常扱うことはできない。会員制・非売品にしておかなければ扱えない。これを勘違いして遠慮する人もいるが、もったいない話である。「非売品にしておかないと売れないんですよ」と説明するしかないがなかなかわかってもらえない。

 腰抜け試飲会も開いた。みんなでぐでんぐでんになるまで飲もう、普段からぐでんぐでんの人は腰が抜けるまで飲もう・・・という企画である。一人一品のおつまみ持参である。町田さんのところで28人が集まり25本の鴨ん福を空けた。一人一升近く飲んだことになる。冷凍しておいた鴨の肉をスライスしてたたきで出したがこちらも結構評判が良かった。「お酒とつまみが同時にできる田んぼ」の面目を保つことが出来たわけである。今年は初年度なので各地で試飲会をして宣伝したいと思っているので、是非小さな試飲会でもいいから開いて下さいね。

 ところで田植の方は今まだ真っ盛りである。コシヒカリを植え終わり、次はいよいよ酒米である。コシヒカリの田一枚にはすでにアイガモの雛を30羽放してある。こちらは「お米とおかずが同時にできる田んぼ」である。昨年は囲った網のすぐ近くに小屋を立てたので畦から屋根の上に野良猫が飛び乗って雛をかなりやられた。そこで今年は網から少し離して小屋を建てた。また、松川村の宮田さんから教わった、電気柵に犬の餌を巻きつける方法も真似した。市販されている犬の餌用の鳥肉燻製を銅線に何箇所か巻きつけておく。するとキツネが雛を狙って来ても、まず目の前にある餌に食いつく。すると9000ボルトの電流が口へ流れ込むという訳である。人間が少し触っただけでも大変なショックを受けるのだから、それが口から直接きたらたまったものではないだろう。以後電線の近くには来なくなるという。今の所30羽全部無事である。コシヒカリではもう一枚アイガモでやる予定なので、こちらは電気柵だけでやってみようと思っている。キツネと人間の知恵比べである。酒かすも大量に貰ったが、こちらは雛の餌に最適だという。雛が酔っ払ってしまいはしないかと若干心配である。毎年父からは「酔ったような稲を作るな」と言われ続けているが、今年は間違いなく酔った稲になりそうである。


二つの出来事(2005年4月)

 この一ヶ月で我が家にとっては大きな出来事が二つあった。一つは3月15日にドライブイン穂高が閉鎖されたことである。大変な面積の空き地と巨大な建物の廃墟が残った。そして異様に静かで暗い夜が戻ってきた。昔は毎日そうだったが、あまりの変化に慣れるには時間がかかりそうである。なにしろ毎晩12時までラーメン屋が開店していたし、何十もの自動販売機が建ち並んで煌々と光り輝いていた。ドライブインの中を突き抜けて国道へ出ることができなくなり、それが一番不便である。土地も建物もそっくり売りに出しているらしいが、買い手はまだ決まっていない。スーパーが来るという話もあるが、周りには大型食品店がいくつもある。共倒れになりはしないか。パチンコ屋が来るという話もある。これもすぐ近くに一軒あるし、ガラが悪くなりそうなので辞めて欲しいものである。オリンピック道路が豊科から高瀬川堤防へと繋がった時から、ドライブインや国道沿いの店は軒並み売上が半減した。以来赤字がずっと続いていたという。すし屋とラーメン屋は結構人が入っていたが一緒に閉店してしまった。本社自体は堅実な経営らしいが、儲からなくなれば止めてしまうのはやはり企業である。大半の兼業農家などは儲からなくても農業を辞めて何処かへ移るわけにもいかない。従業員も大半が解雇になったのだろう。

都会ではフリーターが増えているそうだが、この辺では失業者の方が多いのかもしれない。戦後や高度成長期にはどんな会社にいても懸命に働くことがすなわち国の発展でもあったから皆よく努めた。しかし、現代ではただ会社のためだけに働くというのは無理である。地域社会に貢献するとか環境負荷を減らすとか・・・何かプラスアルファがなければ人は生きがいを持つことはできないだろう。「人はパンのみに生きるにあらず」とは、そういう意味なのかもしれない。

 もう一つは、犬の覚悟郎が死んだことである。平成元年生まれだから17歳だった。長生きした方なのだろう。ドライブインが出来て無用心ということもあって飼い始めたが、殺人事件やタイヤの穴あけ事件などはあったが覚悟郎のおかげか、我が家だけは被害には合わなかった。晩年はろくに散歩にも連れて行かなかったのでかわいそうであった。まるで自分の役目が終わったのを見届けるように死んでいったが、この2ヶ月くらいは目と耳と鼻がほとんど利かなくなっていた。食欲だけは最近までかなりあったのだが。畑のぶどうの木の下に埋葬した。小屋は農作業が忙しいのでまだそのままにしてある。

 田んぼや畑の仕事は恐ろしいほど忙しくなってきた。今週中には稲の種蒔きと苗代を控えている。鴨米酒の試飲会も今度の日曜日にある。その後は味噌焚きが三日つづき、その合間に時代塾という市民改憲を進める会のオフ会が町田さんのところである。トマトの仮植すぐにも待っている。我が家にとって大きな出来事もこの忙しさで少しは忘れていられる。


本当の情報はなかなか伝わらない(2005年3月)

 お酒の造りが少し遅れている。昨年は夏の高温で米の芯が硬かったので、お酒はその芯を主に使うために時間がかかっているという話を聞いた。詳しくはわからないが毎年お米も気候などに左右されて品質も違うから、お酒の味や出来も違って当り前だ。味はすっきりとしたかなりおいしいものができていると聞いているから楽しみである。安曇野アイガモ会で会員に配るためのラベル製造も遅れているのでちょうどいい。名前は投票結果を参考にして「鴨ん福」と決まった。鴨とカモンをかけ、福源の福を採ったものである。まずは縁起のいい名前というところである。4月にはなんとか会員に味を見てもらえると思う。本格的に飲めるのは、おそらくお酒の消費量からいって次の冬・11月以降になるのではなかろうか。なんとも気の長い話であるが、生き物が相手なのでこんなものだろう。むしろ、世の中がせっかちすぎることの方が問題である。

 最近、アメリカがイラク攻撃した本当の理由というのがメールで流れてきた。中東の産油国は今までずっとドルで石油を売ってきたが、EUがユーロで統一したため、石油の決済通貨をユーロに変えたのだそうだ。これに脅威を感じたアメリカがイラクを支配して、イラクの石油をまずドル決済に戻した。そして次はイランを標的にしているということらしい。高度成長を続ける中国も莫大なドルを保有しているが、最近はやはりユーロに切り替えつつある。それもアメリカは警戒して台湾問題などで中国を牽制している。    

ドルを世界の決済通貨としたのは、第二次世界大戦中のブレトンウッズ会議である。イギリス代表のケインズ案とアメリカ代表のホワイト案が対立したが、当時世界最大の金保有国であったアメリカに押し切られる形でドルが世界通貨と決まった。イギリスのケインズ案は今でも通用する各国対等な立場のものであった。当初のアメリカもそれなりに世界に対する責任感を持っていたが、世界経済を円滑に発展させるためにはドルを大量にばら撒かざるえなかったので、莫大な負債を抱えることになった。そこでニクソンがドルと金を切り離して変動相場制に移行した。この時点でドルはなんの根拠もない紙切れとなったが、他に採用する世界通貨の提案がなかったためドルが相変わらず使われてきた。アメリカは貿易赤字も財政赤字も気にする必要がなくなり、ただドルを増し刷りすればいい。しかし、中東の産油国などは下がる一方のドルの価値に不満を持っていた。莫大なオイルダラーも最後はアメリカの証券市場や国債に回るためアメリカには好都合であったが産油国の利益にはならない。そこで各国でドルからユーロへの切り替えが進んでいる。ところが日本だけは相変わらずアメリカべったりである。護憲派ではないが、憲法より安保条約が優先するらしい。そろそろ日米安保を破棄しないと軍事・経済両面でアメリカと一緒に泥沼にはまり込むのではなかろうか。この国では本当の情報はなかなか伝わらない。


インド人になりそう(2005年2月)

 中里介山の「大菩薩峠」はようやく10巻を読み終えようとしている。血に飢えた辻斬り侍・机竜之介やそれを敵討ちと狙う宇津木兵馬、江戸の町医者道庵とお供の米友はちょうど信濃路にある。松本の浅間温泉や穂高神社、中房温泉も出てくるし、物臭太郎や八面大王の話まで出てくるので親しみやすいというものである。白骨温泉は盲目になった机竜之介が一冬湯治にきているところである。

 もう後10巻あるので、当分は楽しめるだろう。全20巻でそれでも未完だというから大変な大作である。大正から昭和にかけて29年間も新聞等に連載し続けたというから驚きである。幕末を舞台とする小説だが、中里自身は明治生まれで松本出身の民権家木下尚江とも親しかったようだから信州の様子にも詳しかったのかもしれない。だからか、小説の中にも身分の違いや差別に悩み迷う人がかなり出てきて大正期の人権意識を少し伺い知ることもできる。幕末の薩長と幕府との争いも新撰組まで出てきて興味深い。古くは源平から始まる西国武士と東国武士の権力闘争、関が原の戦いの報復という性格が明治維新の真相だと、この小説を読んでいて思う。少なくとも介山はそう思ってこの長編小説を書いている。という事は明治維新なるものも実際は武士階級の権力争奪戦に過ぎなかったことになる。いわば不満軍人のクーデターみたいなものだったと言うことか。

 そんな事まで考えさせられて、それでも面白おかしく読ませるから大した小説家であることは確かなようだ。

 それはさておき、小説を読む合間なのか、農作業をする合間なのかわからないが、ボカシ作りの方も順調にやっている。今年は籾殻を主な原料にして、それにコヌカと油粕を若干加えて作っている。籾殻は手に入りやすくただなので助かる。腐りにくいから肥料としての効果はどのくらいなのかは実際使ってみないことにはわからないのだが・・・。あと管理機のエンジンがだめになったので、中古のエンジンに乗せ換えたり、やはり中古の畦塗機を購入してトラクターにつけて貰った。これで畦シートを張る手間がはぶけるので助かる。去年はスパイダーモアーという畦草専用の自走式草刈り機を購入した。急傾斜の畦の草を刈るのは大変な仕事である。毎年何人かは作業中の事故で死んでいる。この機械ならば2mくらいの段差のある畦も平気である。特に豊科に借りた5反の田んぼの畦は高く、しかも下には深い排水溝があり怖くて草刈ができなかったので、思い切ってこの機械を導入したという訳である。地域の農家も高齢化のため私を頼ってくる。今年はさらに面積が増える予定なので機械に頼らざる得ない。面積が増えても収入はそれほど増えないので機械だけが増えてゆくのは困ったものではあるが・・・。

 冬の間は鴨肉カレーをよく作る。一度作れば3日は持つから楽だし、三食食べても好きだから飽きない。まるでインド人になったようだ。インド人はだいたい痩せているから、私も少しは痩せるかもしれないし。


テレビに出ます(2005年1月)

 大晦日の大雪のおかげで、ゆっくり寝正月をすることができた。雪かきだけは余計だが、それもその後の雨ですぐ消えてしまった。毎年正月はあまりやることもなく退屈な期間である。テレビもすぐ飽きてしまう。そこで、今年は中里介山著「大菩薩峠」の文庫本20巻を取り寄せて正月の暇つぶしに読むことにした。本当は年末の部屋の片付けやら掃除も終わっていないので、やることはたくさんあるのだが、新年早々仕事に追われるのは忙しい年を予感させられていやである。年初はなるべくゆったりと過ごしたい。そこで「大菩薩峠」を読み始めたという訳である。これがなかなか面白い。大正から昭和初期に書かれた小説なので若干読みづらい文字もあるが、展開が速くてスリルもある大作である。読み出したらなかなか止まらない。すでに5巻読み終えた。当分は楽しめそうである。幕末の大変動期を描いた小説なので歴史の勉強にもなりそうである。

 鴨米酒の名前も12月20日に締め切ったが、おかげさまで100近く集まった。なかには10歳の小学生までかわいい名前を考えて送ってくれた。すぐに福源のホームページで投票してもらう予定であったが、IT担当者が忙しく更新できなくなったため、急遽安曇野アイガモ会の自前のホームページを作ることになった。今月の半ばごろには開設、投票できる見込みである。お酒ができるのは2月半ば過ぎになる予定なので、それまでになるべく会員を募って予約をたくさん取りたい。何しろ、お酒が売れなければお米の代金が入らないので私の収入も鴨米酒の売れ行き次第なのである。この冬はお酒の行商人・御用聞き・宣伝マンになりきらねばならない。幸い今日もテレビ信州の夕方ゲットという番組で鴨料理を紹介してくれるという取材があった。安曇野アイガモ会会長の西条君と私、それとリポーターの女の子の三人が鍋を囲んで鴨しゃぶやタタキを食べるという設定である。テレビや写真が大の苦手の私ではあるが、鴨米酒の宣伝のためならば多少見苦しい映像でも恥を忍んで取って貰わなくてはならない。さて、どんな番組ができるやら。2時間くらいの取材で3分に編集するという。あくまで鶏年にちなんだ鶏料理番組なので、あまりお酒やアイガモ農法の宣伝にはならないかもしれないが、視聴率はかなりありそうだし、鴨肉のおいしささえ伝われば十分である。シャブシャブもタタキも私が料理して、その場面も撮影した。といってもどちらもいたって簡単な料理である。素材の味がいいのでそんなに凝った味付けもいらない。塩コショウとしょうが・にんにくをおろしたものに鴨肉を漬けておき、それを強火で軽く炒めてから冷凍しておく。それを出してきて薄く切るだけである。タタキは玉ねぎのスライスしたものの上に綺麗に並べて、ポン酢で食べる。シャブシャブはただスライスしたものをお湯にくぐらせるだけである。ゴマダレかポン酢でいただく。どちらもお酒が進む絶品のつまみである。カメラも写真も写りが悪いことで有名な私であるが、どんな映像になるか楽しみだ。


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