ゆういちろうのページ 2002年

発想を変えて

2002年12月

まだ田畑の片付けも終わらないのに、すっかり雪に覆われてしまった。おかげでだいぶ予定が狂っている。堆肥の散布と鋤き込みだけはせめて今年中にやりたいが、雪が消えてくれないとどうしようもない。そんな事を考えていたら、ちょうど雨が降ってほとんど雪が消えてくれた。土が凍っていなければ耕すことも可能だろう。

あと残っている仕事の中では、カモの解体、小麦の洗浄、コンバイン修理などが気になっている。できれば今年中に片付けてしまいたい。

アイガモの解体は手伝ってくれる人もいるので目途がついた。5羽、貰い手も見つかったのですべて今週中にはいなくなるだろう。冬の間のカモ鍋をする分もなくなってしまうので、ちょっとさびしい気もしている。解体さえやればアイガモ肉の需要はかなりありそうだ。松川村でやっている人も注文に応じ切れないようだが、素人の解体作業では一日3羽くらいしかできない。やはり近くに業者が欲しいものだ。

私が雛を購入している鹿児島の業者は、全国に雛を発送し、近所の農家には雛を貸し出している。夏に大きくして返して貰い、12月頃から今度は肉を全国に発送している。農家はカモに除草をして貰えるし業者はカモを大きくして貰えるのでどちらも助かる。ついでにくず米も餌として農家から貰うこともできるようだ。

充分商売として成り立つと思うが、誰かこの辺でやりたい人はいないだろうか?カモ料理の専門店もやろうと思えばできるし、何しろ地域に無農薬の田んぼが増えて環境保全に多いに貢献できる事は間違いない。その上商売としての可能性もかなり大きいと思う。無駄で住民から嫌われるような公共事業をやるよりも、こうした地域の隠れた需要を開拓することでまだまだ地域経済の活性化も可能だろう。

無駄で嫌われる公共事業と言えば、穂高近辺では広域下水道の問題がかなり深刻になってきている。我が家にもいよいよ工事が始まるという事で説明会があった。「公共マス」という接続部を敷地内に設置するだけで負担金が50万以上かかる。3年以内に接続しなければいけないが工事費が百から二百万円くらいはかかる。その後は水道料金に下水道料金も上乗せされる。「自分で処理できるから」という事で「公共マス」の設置を断った。
そもそも安曇野全域から一箇所に下水を集めるという途方もない無駄な計画である。経費の9割以上が下水管設置であり、浄化施設の排水は20ppmというあまりキレイとは言えない基準である。人口密集地帯ならまだ理解できるが、安曇野はほとんどが農村である。合併浄化槽なら5ppm以下というものも多い。汚いものは行政マカセではゴミ問題も解決はしない。原則は発生者・生産者の責任で処理すべきものである。
また処理場からは大量のメタンガスが放出されているが、これは炭酸ガスの21倍もの温室効果を持っている。埼玉の友人は自分の家の糞尿でメタンガスを作り台所の燃料にしている。残った液体は栄養たっぷりな田畑の肥料となる。発想を変えれば新しい事業もまだ一杯あると思うのだが・・・ 

ほっとしている面も・・・

2002年11月

ようやく小麦・えんどうの播種、玉ねぎの植付けが終わった。普通より一週間から10日遅れというところである。カモ田の収穫が遅れたのでずるずると他の作業も延びてしまった。作業所の整理や機械掃除・整備、畑の片付け・堆肥散布などの大きな仕事がまだ残っている。黒穂病に罹った小麦の洗浄も終わっていない。零細ではあるが一応専業農家なので、今年中にゆっくりできればいいと思っているが、なんだか今年は雪が早そうである。紅葉を眺める間もなく山は雪化粧してしまった。

カモ田の米の収量は予想外に少なく、8俵にも足りないではなかろうか。2俵も昨年より減った事になる。捕まえ損なったカモの食害かと思ったが、一緒に有機認証を受けた農家の話によると、どうも我が家だけでなく皆収量は同じくらい減っているらしい。新聞等によると中信地区の作況指数は例年並かやや良となっていたが本当だろうか?農協も農家の保有米で余分があればできる限り出荷して欲しいという要望を出している。作況の予想はあくまで予想であり、実際収穫が終わってみたらかなりの減収だったというところではないのか。

原因として言われているのは、8月初めの穂バラミ期に強風が続いたため受粉不良になったという説である。稲の花が咲いている大事な時期の事であるが、強い風が悪影響したという経験はもし本当ならば初めてである。その時期の異常低温で凶作になったという経験なら以前の米不足の年にもあった。しかし、気温も風もどちらも農家の努力ではどうしようもない自然現象である。

個人的には温暖化の影響で夜と昼の温度差が少なくなって、だらだらと暑い夏になってきたことも関係あるのではないかと思っている。信州は標高が高いため昼夜の温度差が大きく、それが平均10俵という全国有数のお米の収量と良い味を生んでいると言われてきたが、その昼夜の温度差が次第に少なくなっているように感じるのは私だけであろうか。

有機認証制度は3年間の移行期間を経て初めて認証されるが、残念ながら今年は認められず、無農薬認定のみとなった。理由は苗の床土に使った数百グラムの化学肥料のためである。これは有機認証の申請をしてみようと決めたのが春先ぎりぎりで、床土に充分な堆肥を用意できなかったためである。案の定、苗は黄色くなり穂先も枯れ始めたので液肥を何回か撒くことになった。私の所属するグループでは床土の化学肥料は容認していたが、来年からは規約変更しなければならないだろう。液肥や様々な農業資材も企業秘密で詳しい情報が公開されない事もあるので、これも有機認証の際の障害になるので、なるべく使わない方がいいようだ。

認証は得られなかったが、もともと大した面積をやっているわけでもないので収入とか売れ行きには全く影響はない。むしろ収量が減った分注文に答えられなくなっている。認証が得られれば今度は小分け販売管理記録をつけて提出しなければならないので、面倒くさがりな私とすれば少しほっとしているという面も実はあるのだ。

今年はオレンジ煮だ!

2002年10月

アイガモ2羽を大人4人がかりでようやく捕まえた。八月初めにほとんどの鴨は捕まえ田んぼから出してハウスに移したのだが、2羽だけとり逃がしてしまった。その2羽がどうしても捕まらない。10人くらい若者を頼んで追い込んだが、足元をするりと抜けて稲の中に隠れてしまう。何回やってもだめだった。9月からは水かけもしないので、そのうち水欲しさに田んぼから出てくるカモしれない・・・と網も部分的に外しておいた。しかし、時々降る雨だけで充分水が溜まってしまう。さらにカモが田んぼの真ん中にちょっとした池を掘ってあって、そこに水が溜まっているのだ。餌は無農薬のお米が充分ある。

放っておいても外敵に食べられていなくなるだろう・・・とも考えていたが、2ヶ月間無事であった。稲の中に隠れてほとんど姿は見せなかったが、時々近所の犬の散歩をしている人が「まだ元気にしてるよ」、と教えてくれた。

結局、稲刈りが終わるまで捕まえることができなかったのだ。アイガモの田んぼはバインダーで刈ってハゼ掛けをした。カモは稲刈りが進むと隠れる場所がだんだん少なくなり、ついに稲の中からも逃げ出して捕まったのである。稲はやはりかなり食べられていた。

カモは全部捕まえたので28羽ハウスにいる。昨年は茨城まで車のトランクに詰めて持っていき解体してもらった。が、あまりに遠いので予約の電話も貰ったが今年は断った。28羽ものカモを一体どうしようか?他に確かな方策があって断った訳でもないのだが・・・。

今の所、10月26日の国営公園・友の会の公開学習会「猿と公園は共存できるか?」の打ち上げで2羽料理することが決まっているだけである。昨年はタタキとロース煮の評判が良かったが、今年は要望の多い「カモのオレンジ煮と串焼き」に挑戦してみるつもりである。いよいよ高級カモ料理店のメニューに近くなってきた。

それにしても28羽のカモは一冬かかっても食べ切れるかどうかわからない。解体すれば買ってくれる人はいるが、そこまでやっても収入が増えるという訳でもない。アジアや南米など、ほとんど世界中の人達は自分でカモくらいは解体できるらしい。日本人も昔はだいたい自分達でやっていた。生きたまま買ってくれる人か一緒に解体を手伝ってくれる人に優先的に分けたいと思っている。

親のアイガモを使って除草をしている人もいるので、来春は数羽残しておき試してみたいとも考えている。稲の条間はだいたい30~33センチであるが、株間は10から15センチでやっている人が多い。これは田植え機がそういう設定になっているせいでもある。これを株間も30センチくらいに調整すると、親カモでもらくらく通れるので稲を倒さなくなるらしい。問題は植える稲が成苗といわれる大きいものであることと、幾分秋の収量が減る事。苗箱は通常の半分でいいので、育苗の手間も減るのは大歓迎である。こんな風に飼い主は色々悩んでいるが、カモ達はハウスでのんびりしている。今の内だけであるが・・・

まともな政治家・まともな選挙

2002年9月

暑かった夏がようやく終わろうとしている。ただ気温が高いだけでなく、長野県の場合はもちろん出直し知事選の熱気がさらに暑く感じさせた。少し休みたい思いもあるが、今年は稲の生育も早いようでそろそろ稲刈りの準備を始めなければならない。さらに身近な選挙も始まろうとしている。

今回も「長野かいかく安曇野応援団長」を任せられた。さらには、高校の同窓生有志の会会長まで受けてしまった。どちらも名前だけの長で事務局がしっかりやってくれたおかげで、私は一人でコツコツとビラ配りに専念することができた。事務や連絡などの仕事より、やはり体を動かしている方が性に合っているようだ。

同窓会の方は他に適任者はたくさんいたはずであるが、皆それぞれ社会や地域の中堅での役割を持っていて、なかなか名前を出しづらいのだろうか、私に役割が回ってきた。募金も前回を上回り、同級生も各地で地道な応援を広げてくれたようだ。

「脱ダム」も「財政問題」も「政治手法」も結局ははっきりした選挙の争点にはならなかった。「不信任」に対する「不信任」であった事だけははっきりしたようだが、まだ「不信任は正しかった」と言い張っている議員もいる。

争点のない選挙ほど空しく感じるものはないが、少なくとも私達の間にはかなり明確な意識が共有されていた。それは「公」(おおやけ)とは何かという問題である。田中県政の一年八ヶ月を振り返ってみると見事にこの「公」の論理で貫かれている。特定の人や団体に偏ることのない「公平性」、すべての人に開かれた「公開性」、密室や裏取引と決別した「公然性」。その象徴があのガラス張りの知事室であった。こうした明確な「おおやけ」の意識がないところに民主主義が育つ訳がない。「脱ダム」にしろ、選挙公約で「公共事業の見直し」「現場主義」を掲げ、各地のダム予定地を視察・車座集会を開き、その結果として「脱ダム宣言」という方針・理念を発表し、議会の検討委員会設置の条例を受け一年あまりの検討の結果を受けダム計画の中止を宣言した。その手順もすべて「公」の論理に沿っていた。
その外見の印象とは違い、全く「まともな」政治手法を持っている日本では稀な政治家である。だから議会も「まともな」反論は全くできなかった。「民主主義の目覚まし時計」は今回も全国に鳴り響いたようだ。

その余波も大きく各地の選挙で次々と立候補者が出たり、県会議員の責任を追及する動きもある。

しかし、知事も県会もどちらも同じ県民が選んだということも否定しようがない事実である。何故このような「ねじれ」が起こるのであろう。これは議員を責めるだけでは解決しない問題がある事を示してはいないだろうか。

これは身近な選挙ほど明らかだが、「隣近所のお付き合い投票」が日本の政治風土として定着しているからであろう。「こうやく」も選挙中に手を振りすぎて凝った肩に張っておき、当選すればすぐ剥がしてしまうもののようだ。「お付き合い選挙からまともな政策・公約選挙へと脱皮できるのか」、という問いが全国に発せられたのだ。

疑わしきは罰せず?

2002年8月

有機認証の現地検査が終わった。認証されるかどうかは認定委員会の審査待ちというところだ。本当はジュース用トマトの認証の方を先にやるべきなのだが、周辺に畑作の認証を受けている人を知らないこともあって、今年は試しにアイガモ米の認定を受けてみることにした。こちらは長年取り組んでいる先輩がいるので色々アドバイスも受けられるし、仲間がいると何かと取り組みやすい。

しかし、今までやってみて思うのはやはりあまりにも書類が多すぎ煩雑だという事である。草だらけになった田畑を尻目にひたすら書類書きに没頭する日もある。毎日几帳面に農作業日誌でも書いていればいいのだが、めんどうくさがりなので無理である。収穫が終わった後の販売記録もかなりきびしい。どこの田んぼのお米を何キロ誰に何時売ったのかも記録しておかなくてはならない。これはもし抜き打ち検査などで農薬が検出された場合、どこに原因があったのかその経路をたどる必要があるからのようだ。最近の牛肉の問題と同じである。

JASのシールの数も出荷数と同じでないとまずい。有機でないものにこのシールを貼った場合は50万円以下の罰金である。もう簡単には有機という言葉は使えないのだ。

罰金と言えば、今年はよく警察に捕まる年である。2月に信号無視で捕まり、3月にはシートベルト、今月は一時停止しなかったためである。信号無視とは言っても、前の車が出たのでその後をついて行ったためであるが、前の車の人達は「信号は赤の点滅だった」と主張して譲らなかった。私もそう思ったから付いて行った。信号機の下で数人が機械を見ていたのできっと検査でもしているのだろうと思った。もちろん左右の確認もした。私は急いでいたので早々と降参したが、先の車の人は執拗に抗議していた。シートベルトは腹が痛いと言ってなんとか切り抜けた。一時停止も止まっていないと言われると自分の記憶も定かでない事がよくわかった。見通しのいい三叉路だったので見落としたのかもしれない。あまり車も多くない道なのでもちろん証人もいない。まあ、大きな事故になるより私には大きい金額だが罰金の方がましだと思う事にした。が、何か納得できない事もない訳ではない。車が走る凶器であるという認識はすべてのドライバーは持つべきだと思うが、これだけ車でなければどこへも行けないような道路行政をやってきてそれを見直す事はしていない。それに現行犯とは言え警察官だけの証言でいいのだろうか?

今はビデオもあるのだし、本人も納得のいく確たる証拠も欲しいものである。日本は冤罪がもっとも多い国の一つでもあるが、こうした所にもその片鱗が窺えないだろうか?

話は替わってこの忙しい時期に突然の選挙が行われるが、足の引っ張り合いでなくしっかりと政策論争をしてもらいたいものだ。まあ、公言できる理念や政策があれば議会で議論できるはずで選挙をする必要は元々ないのだ。ところで余って困ったキュウリやナスを人に配って歩くのも贈収賄罪で選挙違反になるのかな?

カカンカンチョウ

2002年7月

アイガモの雛15羽が放したその夜に何かに襲われて死んだ。5羽だけ死骸が残っていた。10羽くわえて持っていったから、たぶんキツネかハクビシンだろう。犬や猫ならば食い殺すだけであまり食べない。近くの農家でもニワトリや七面鳥まで金網を食い破って襲われたそうだ。

今年は電気柵だけでやってみたが、間隔が広すぎたのか、電気ショックが弱いせいなのか?さっそく網を内側に張った。おかげで一週間予定が遅れて草がかなり出てきてしまった。こういう事もあろうかと、少しずつアイガモを放したので残りの29羽はなんとか元気に除草していてくれる。

やられたのは昨年購入した電気柵で、今年武石村から仕入れたペットボトルを利用したものは電圧が強いせいか、今の所順調である。

ハウスに長い間雛を入れておいたせいで、かなり足が弱ってしまい食欲も落ちた。捕まえる時に逃げ回って3羽足を痛めてしまったので、小屋に戻して様子を見ることにした。ようやく立てるようになったので、今は小さな方の田んぼに放してやった。先に入れた5羽の後を懸命に追いかけるが一羽だけどうしても遅れてしまう。足の怪我がまだ治っていないのだろう。無事に育って欲しいものだ。

他の農作業はだいたい順調だが、小麦に今年も黒穂病が出てしまった。穂が黒くなって小麦を指で潰すと黒い粉になってボロボロになる病気で、これが入ると小麦粉が黒くなってしまう。手で穂を抜くか、洗って浮いた穂を捨てるしか選別方法はないが、どちらも手間がかなりかかり頭が痛い。

アブラムシも異常に多い。手や箒で払うと落ちて死んでしまうものもあるそうだが、忙しくてやっていられない。放っておいても自然にいなくなる事が多いが、作物によってはかなりの被害が出そうである。聞くところによるとボカシを使うとアブラムシが多く発生するらしい。私もだいたいの作物に使うので、そのせいか?根元を避け、待ち肥といって少し離れた所にやるというのが基本らしい。

アブラムシと言えば、千葉から毎月のように安曇野にアブラムシの研究・調査に来ている松本さんと言う人がいる。県営烏川緑地の調査では83種類のアブラムシを見つけた。安曇野全体ではおそらくその3倍はいるという。国営公園では昆虫館を作るという話がいつものように突然沸いてきた。世界中のチョウチョの標本を飾るという噂である。何故、昆虫というとチョウチョやトンボなのか?何故この安曇野に何百種類といるアブラムシの事を知ってもらう施設ではいけないのか。昆虫も一種類が単独で生きているわけではない。様々な昆虫・植物・動物との関わりの中で生きている。アブラムシもその中の貴重で重要な昆虫なのだ。アブラムシ館(室)も作るべきなのだ。

他にもてんとう虫やゾウムシ・カメムシなど挙げればきりがない。ゴキブリや蚊だって色々な種類がいるはずだ。研究している人がほとんどいないだけの話である。是非、皆さんも何か一種類の専門家になって、一人一館運動を展開しましょう。さしずめ私は春から蚊に悩まされたので蚊館館長。

ペットボトル下さい

2002年6月

アイガモの雛が届いた。今年は昨年に続き鹿児島から20羽、新たに千葉の業者から25羽購入した。品種が若干違う。今の所、足が据わらない鹿児島の一羽を除いて皆元気にしている。田植えもほぼ終わったので、電気柵の設置や雛の小屋作りを始めた。今年はアイガモ農法の田を2枚に増やし、電気柵のみで網は張らずにやってみることにした。かなり労力を減らすこともできる。網はアイガモの逃亡を防ぐことはできるが、犬や猫の侵入は完全には防げない。2~3年は無事なこともあるが、いずれは網を破ったり越えたりして雛をやられるという。その点、電気柵は電線が3本くらい田んぼの周りに張ってあるだけなので不安なのだが、それだけでも充分だと言う人もいるくらい被害は少ないそうだ。アイガモの逃亡を防ぐには畦波シートを張ればよく、その上に何本かの電線を張る。

しかし、電気柵は7000ボルトの静電気を送る機械や導線、絶縁のためのガイシ、バッテリーなど設備投資にかなりかかる。昨年もそれらで10万円近くかかってしまった。何年かは使えるが、やはり費用の負担が大きい。そこで今年は武石村で開発された獣害予防のための電気柵のセットを試してみることにした。機械部分は余計なものはいっさいなく、心臓部だけである。廃品利用の銅線、ガイシはペットボトルである。3万円以下でだいたい揃ってしまう。

武石村も高齢化問題が深刻で、しかも近年は鹿やイノシシや猿などの獣害により作物がほとんどやられてしまうらしい。作付けを諦める農家も増え始めた。そこで考え出したのがこの廃品利用の電気柵である。費用が安いのがなんと言っても取り組みやすい。あまり高価なものでは、農産物の収入が激減している状況ではやっても意味がない。中山間地では微々たるものだが所得補填がつく。反当り2万円くらいらしいが、それを電気柵の購入にあてることもできる。西欧では200万円くらい貰えるというから雲泥の違いであるが・・・。この国の政治の貧困は今に始まったことではないが、こうした地域の崩壊を他所事のように、原発のある地震大国でお粗末な内容の有事法案が提出されている。呆れるばかりである。

とにかく、人間は本当に困るとなんとか考えるものである。武石村の電気柵はその良い例であろう。逆に、そこまで困らないとわからないというのも人間の愚かさなのだろうか?

それにしてもペットボトルの利用には本当に感心する。ペットボトルの絶縁効果は抜群だと言う。1Lか500mlの透明な容器を主に使う。それに切り込みを入れて支柱に通し、口の部分に銅線を巻いて張っていく。機械部分もペットボトルに入っているし、バッテリーを置くのにも使う。昨年購入したガイシは一個200円で300個買ったので大変な出費であったが、ペットボトルならばただで集めることができる。今は100個くらい集まったので後もう100個ほど集めなければならない。色つきのものや柔らかいものは使えない。油や醤油の入っていたものも絶縁効果が低く使えない。全くよく研究したものだ。手元にある方は是非くださいね。

法とは何か?

2002年4月

パソコンが壊れてメールが開けなくなってしまい、おまけに悪性の風邪に罹って一週間近く寝込んでしまった。2~3日はほとんど動けずハウスの苗さえ見に行けなかったので、だいぶ徒長して軟弱な苗になってしまった。この異常な暖かさではちょっと油断すると苗の温度管理に失敗してしまう。あらゆる花が同時に咲き乱れる異常な暑さだが、虫も異常発生しているらしく、我が家近辺は3月初めから蚊が大量に発生している。一日に60匹潰したという家もあるし、我が家では平均20匹くらい毎日潰している。今から毎晩蚊取り線香を焚いているのだから信じられない。何かが根本的におかしくなっているとしか考えられない。現在の自然界の異常は主に人間の社会活動が原因とされているが、人間の社会も何かが根本的に狂っているのかもしれない。

これは、すでにリオデジャネイロにおける地球環境サミットにおいて宣言された住民の権利であり、日本もこの宣言に批准している。

という事は、国土交通省の役人はこの法律を公然と破っているのだ。国家公務員が公然と法を破る社会を法治国家と呼べるのだろうか?

以前にも書いたが、法治国家とか三権分立と簡単に言うが、そこには明確な序列があり、司法の下に立法があり、その下に行政がある。これが日本では全く逆さまで行政の下に立法があり、さらにその下に取って付けたような司法がある。

人間は過ちの多い生き物であり、その社会も完全なものなどありえないと言える。しかし、だからこそ、司法でその過ちと原因を明らかにし、立法によって解決策を提示して行政が試行するという仕組みが作られたのだろう。

行政が支配する日本では法もほとんどが官僚によって作られるので、自分達の都合の悪いものが作られるはずがない。ゆえにこの国においてはすべてが、現状の肯定とその強化になってしまう牢獄のような社会なのだ。日本社会の閉塞感も、司法と立法が無力で、問題の原因究明・解決策の提示という事ができない所にあるのだろう。

これは最近の官僚バッシングのような皮相な問題ではなくもっと深刻である。日本人は西欧文明のいいとこ取りだけしてきてその精神を学んでこなかったのだ。

「法とは何か。一言でわかりやすく言えば?」、と、ある法律関係者に聞いた所、「自分がやったり・させられたりしていやな事は他人にやるな・させるな」だと言う。今、日本人に一番必要なのは、この「法とは何か」という問いを徹底的に考えることであろう。まず市民レベルで憲法改正の議論を始める時期にきている。

望郷

2002年3月

リンゴダイエットはほとんど効かなかったようだ。2月の初めに三日間挑戦した時は、確かに体重は5キロ近く減ったが体脂肪率は増えていたので、結局脂肪は減らなかったようだ。三日間リンゴしか食べないというものだが、冬はあまり体を動かさないのでなかなか脂肪を減らす事はできない。

逆に、終わった後、猛烈に食欲が出てくるリバウンドが激しく、今では以前より体重が少し増えてしまった。話しには聞いていたがダイエットとは難しいものである。

ひょっとしたらアイガモさんを食べ過ぎたせいカモしれない。かなり解体も手際よくなったし、料理も本を見ながらだが慣れてきた。先日も2羽潰して大宴会を開いたが評判は上々であった。蔵元直送のおいしい大吟醸もあってグルメな夜であった。「水掻き」の塩茹も豚足に似た蛋白な味でつまみには最高である。アイガモ宴会はこれから冬の定番になりそうである。

残った2羽をどうしようか…考えていたら、ちょうど買い手が見つかった。奥さんが中国の人で料理を担当するらしい。中国はカモ料理の本場である。どんな料理をするのか一度見てみたいものだ。とにかく、なんとか冬の内にアイガモを処理できてほっとしている。卵も幾つか食べれたし…。

雛を孵化させようと思ったが、どうも我が家のアイガモは卵を抱く気配が全くないので、こちらは早々とあきらめた。

これではいくらダイエットをしても無駄かも知れない。まあ、春になっていよいよ忙しくなってきたから、その内体重も減るだろう…と、こちらも半分あきらめているというか達観している。

忙しくなると言えば、5月には「岡林信康コンサート」を安曇野で初めて開く事になった。町田さんが実行委員長で、事務局が玉村さんなのでまるで「国営アルプスあづみの公園・友の会」とほとんど同じだが、実行委員には新しいメンバーも多い。個人的には岡林より「山崎ハコ」のコンサートを聞きたいのだが、どっちにしろ年代が知れるという所か。この原稿も締め切り当日の真夜中に、山崎ハコを聞きながら書いているのだが、夜中に聞くとますます暗い歌で、筆も軽快に進むという訳にはいかない。

学生の頃初めて山崎ハコを聞いた時、あまりに暗い歌に、この人はきっといつか自殺するに違いないと勝手に思っていたが、うわさに聞く所によると、喫茶店をやったり演劇に入れ込んだりして、けっこう好きな事をして生きているようだ。「今ではいいおばちゃんになっているよ。」という人もいる。人生わからないものである。

そういえば、昔の彼女はガリガリに痩せていたが、今はどうなのだろう。

有機認証制度

2002年2月

2月9・10日と、栃木県宇都宮市へ有機認証の学習会へ参加するために行った。

有機認証とは、農水省のJAS法改正に伴う有機農産物の生産や管理・加工・流通を法で定めるものである。「有機」という言葉の氾濫を防ぎ、定義を明らかにするためであろう。

ジュース用のトマトを加工している会社から、できれば有機認証を取ってもらいたいとの要請があったため今回の学習会に出てみる気になった。それに、アイガモの導入によって米作りも無農薬・無化学肥料でできる見通しがついたこともある。

すでに認証を受けている豊科と松川の米農家と3人で出かけた。朝4時に出発したが、今回は茨城に行った時と違いしっかりした運転手もいるし何しろナビゲーター付きのクラウンである。乗り心地は雲泥の差だ。

栃木の「民間稲作研究所」が認定機関の資格を取って主催したので、主に米作り農家と米屋さんの集まりである。午前10時から午後5時までみっちりと講義があるが、満杯となった会場からは質問が次々と出る。

老若男女みな熱心な人ばかりであった。

一日目は技術講習会で「誰でもできる無農薬・有機栽培の米作り」というテーマである。有機農法の技術もかなり確立されてきている。最大の難関はやはり抑草・除草だ。アイガモ・紙マルチ・コヌカ、屑大豆の散布等様々な方法が紹介された。

基本は丈夫な苗(成苗)作りと深水管理だと言う。実験田でも最初に取り組んだ課題であるが、結局、機械の都合や田んぼの条件を改善する資力がなく、達成できなかった。

現在は成苗を作るための播種機も開発されているし、深水にするためのアゼ塗り機や田を均平にする機械もある。資金さえあれば、まさしく誰でもできるのだろう。むしろ問題はやる気のある農家にどう資金を回すのか…という事だと実感した。20代と思われる若者の姿も見かけたが、次世代にどう引き継ぐのかという問題に私達は直面している。

二日目は認証に必要な書類や経費と言った事務問題である。事務は私のもっとも苦手とする分野でる。前日飲みすぎた事もあり、ついうとうとと眠ってしまう。学生時代に戻った感じである。経費もかなりかかる。売れるという確信があればやる気もでてくるが、私の現状からはまだ確信は持てない。

最も印象に残った事は、韓国の認証制度との比較である。韓国では農業基本法の改正で、農業の環境保護・維持という役割を最重視したという。農業は国民の食糧を確保するという側面も大切であるが、これからはむしろ安全な環境を作り守っていくという面を重視していこう…と明確にしたようだ。認証制度はこの基本法の目的を達成するためのもの…という位置づけなのだ。

だから認証に関する経費には補助がつく。

ところが、日本の場合は基本法の改正はあったが、あくまで一つの産業としてしか扱っていない。ゆえに認証に関わる経費もすべて個人持ちである。次世代にどう引き継ぐのかという問題もあやふやなのだ。

アイガモ通信その5

2002年1月

レバ刺しと胸ロースのタタキは絶品である。にわかにアイガモ料理人になった私のお薦めメニューである。

30羽近くいた我が家のアイガモ君達は、現在5羽になってしまった。15羽は年末、茨城県まで麻袋に一羽づつ詰めて持っていって解体してもらった。夜の10時頃南部さんと穂高を出発し、交代で運転して中央高速から環八・外環を経由して常磐道に出た。乗用車のトランクという狭い空間によくも15羽も入ったものである。途中サービスエリアで仮眠したが、アイガモのガーガー騒ぐ声で、とうとう一睡もできなかった。幸い車の中にはけっこう響くが、外にはほとんど聞こえなかったようで、外を歩く人でアイガモの声に気づく人はいなかった。若干不信な顔をして通る人はいたが。

朝の8時半前には解体工場に着いたが、茨城もけっこう寒いところである。希望していた解体作業の見学は忙しいという事であっさりと断られ、結局、精肉は宅急便で送って貰う事にして、取って返すように帰路に着いた。帰りは上信越道を通って佐久から松本へ。年に一度ぐらいしか使わない高速道なので神経が疲れる。特に、首都圏の何車線もの道で、車間距離もなく、車線変更も度々ある道路は、生きた心地がしない。もう二度とごめんだ…というのが本音である。

翌日には一羽づつ真空パックされた15羽のアイガモが発砲スチロールの箱一つで届いた。高速料金・解体料・送料などを計算すると、かなり高い肉になってしまったが、それでもアイガモだけの収支では赤字である。予約を取っておいたので、すぐに売り切れてしまった。

3羽は自分で潰して、集会や新年会で使い残りは5羽になった。ニワトリは何回も解体した事があるが、もう何年も前のことである。本を片手にやるので一日一羽が精いっぱいだ。何回やっても屠殺する時はいやなものである。目を合わさないようにはしているのだが、どうしても見てしまう。かわいい雛から育てたので愛着がある。ニワトリに比べても歩く姿もよちよちで憎めない。なかなか家畜という感覚は持てない。ニワトリはもう家畜と割り切れるようになったが、それでも屠殺はあまりやりたくはないものである。毛をむしるのには二時間近くかかってしまうし、なかなかきれいにはならない。丸裸になるとやっと罪悪感も薄れて食欲をそそるが、また解体作業が慣れないので難しい。骨に沿って筋を切っていくと、きれいに分かれるようだ。

それにしても、アイガモ肉のおいしさは格別である。特に新鮮な内でないと食べられない、レバーや心臓・砂肝・ささみの刺し身は舌鼓ものである。胸ロースのタタキは、薄くスライスして皿に盛りつけると絶賛される事がわかった。ネギと玉ねぎをまぶして、ポン酢で食べると最高である。アイガモは脂肪分が多いが、不飽和脂肪酸なので肥満とは無縁で健康にいいと本に書いてあったので、減量に悩む私でも安心である。草と虫を食べて無農薬のおいしいお米を作ってくれ、しかも肉は最高にうまい。

まさに、アイガモは米農家のために創造主から送られたの「カモ」しれない。

Author

ふじさわ ゆういちろう
50代でめでたく結婚。、これからも田畑と町を耕していきます。