ゆういちろうのページ 2004年

日本一長い名前のお酒

2004年12月

収穫作業は後大豆を残すのみとなった。機械と作業所の片付け、大根や野沢菜・キムチ漬けなどを終えると今年の農作業はだいたい終わる。それからは来年の準備が始まる。ハウスをもう一棟作る。ボカシ肥料を作る。田んぼの均平作業。コンバインの修理などを考えている。
安曇野アイガモ会の事務局の仕事も、アイガモ米を使ったお酒作りが始まるので忙しくなりそうである。お酒の名前は12月20日まで公募して、その後福源酒造のホームページで投票してもらって決めることになった。もう50を超える名前が集まっている。来年アイガモ農法でやってくれる人を増やすための講習会も開きたい。

お酒は免許がないと売ることができないので、安曇野アイガモ会の会員を募って会費一口について一本のお酒を試飲用に差し上げるという形が一番いいようだ。形態は一升と四合の二つになる予定。会費収入の一部はアイガモ農法普及のために使うことができる。雛の地域自給もやりたいし、解体・精肉施設も欲しい。九州福岡の古野さんや鹿児島のアイガモ業者の視察にも行きたい。

アイガモ農法酒の名前の銘銘者には豪華な景品がつく。2升のアイガモ農法酒にアイガモの燻製である。アイガモ肉も大々的に売り出したいところであるが、こちらも色々な許可や施設が必要で表立って販売することができない。しかも、今年は三郷の林檎園に預けたのだがオオタカにやられて30羽になってしまったので販売するほどない。オオタカは網の中に入って出られなくなったところを捕まえて北信の方で放したという。管理をしていた津村君が手をオオタカに摑まれずいぶん腫れた。色々と苦労したようだ。「いっそのこと鷹匠になって他所のアイガモをとってこさせたら?」と言ったら、にやっと笑っていた。その気が少しはありそうである。

お酒の名前がたくさん集まったのはいいが、面白いもの・味のあるもの・色っぽいものとそれぞれ棄てがたい。一つに決めるのはもったいないという思いが強まっている。いっそのこと、マイラベルもできます・・・ということにしたいと今は思っている。正式な格調高いものは一つ決めたいと思っているが、その他に自分のお酒に自分のラベルをつけられるようにしたいと考えている。会費分の試飲酒に自由にラベルを付けて知り合いに送れば喜ばれること間違いない!

棄てがたい名前として「冬のソノタ」がある。信大の森田君に紹介したら、「そういう訳のわからない名前を考えるのはどうせ藤沢さんでしょう。」と、見透かされてしまった。そういう森田君も「世界の中心で愛ガモが叫ぶ」という全く訳のわからない名前を考えている。先日信大の学生と飲んだ時は、冬のアナタ・冬のドナタ?なども出て大変盛り上がった。もっと訳のわかる名前にするには(世界にはばたく安曇野の田んぼの中心で愛ガモが「助けて」とカモ語で叫ぶ)というのがいいと思う。それにしてもこれは日本一長い名前のお酒である。

種子島でも歌ってきました

2004年11月

夜中の3時に家を出発して、種子島に着いたのは午後2時だった。名古屋空港までバス、鹿児島空港まで1時間近いフライト、バスで若干市内観光した後高速船で着いた。屋久島も種子島も晴天で一滴の雨もなかった。用意していた雨具も上着も全くいらない。汗がでるほど暑かった。一ヶ月の内35日雨が降るという屋久島がこんなに晴れるのはめずらしい。と、ガイドも驚くほどの天気であった。

種子島と屋久島は隣の島だが、全く地形が違う。種子島は平坦な島で細長い。反対に屋久島は標高差が激しい。何しろ海抜0から2000m近い山まである。冬には雪も降るという。それで、観光シーズンは春から秋の雪のない時期なのだ。冬は雪で度々道が閉ざされ屋久杉も見ることはできないそうだ。なるほど、それでこの農繁期に屋久島旅行なのか・・・とやっと納得いった。けっこう執念深い性格なのだ。

平日にもかかわらず高速船はほぼ満員だったところを見ると、屋久島も種子島も人気の高い観光地のようだ。種子島では泊ったホテルが良かった。綺麗な貝殻がたくさん打寄せるな砂浜が前にあり、夕日と朝日が赤く映えていた。夏にはさぞ若者達でにぎわうのだろう。屋久島はやはり世界遺産の針葉樹の原生林だ。高い山もいくつかあり、登山服の人が多かった。信州の山や渓谷と似た景観もかなりあり、なつかしい感じがする。とても南の島へ来たという雰囲気ではなかったが、種子島の後で来たので余計不思議な気がした。縄文杉を見るには徒歩で往復10時間かかるという。どちらもとても一日で見て回ることはできない島であった。機会があればゆっくり行ってみたいものである。

おいしい魚を期待していたが以外とめずらしいものはなかった。亀の手の茹でたものがでてきたくらいである。トビウオとサバが特産らしい。地酒は芋焼酎である。今全国的に人気が高く一人一本しか買えない。ロックで飲むと口当たりがよくどんどん入ってゆくが、記憶がぷつりと切れる。種子島にもフィリッピンパブがあり、そこで綺麗なフィリピーナを横にしてカラオケを歌ったところまでは覚えている。旅の恥は掻き捨てとばかりに羽目を外してしまったようだ。3日間付き添ってくれた添乗員のお姉さんもとてもかわいかったので酔った勢いで言い寄ったらしく、翌日からはとても冷たかった。相変わらず酒と女性にはめっぽう弱いわたしである。

穂高に着いたのは夜の11時気温9度。乗り物は違うがほとんど座席に座りっぱなしの旅行はさすがに疲れる。年を感じたが40代の私がそうなのだから、60~70代の他の人達はさぞかしお疲れのことだろう。朝から晩までほとんど飲みっ放しなのも原因の一つなのだろう。

帰ってからは台風・地震と大荒れの列島に戻ってしまった。あの三日間の平穏さは一体なんだったのか、今にして思えば夢のような時間である。災害の多い年だが、乱開発やほったらかしの林業といった人災の面も多分にある。原発も心配である。

屋久島で歌ってきます

2004年10月

雨が続いていて、稲刈りがなかなか進まない。台風もいくつか来たので稲が倒れてきた。ますます、稲刈りがやりにくくなっている。湿り気の多い稲がコンバインに絡まって機械が度々故障するのも困ったものである。早稲品種の酒米はなんとか出荷が終わった。稲熱病のため若干収量が落ち9俵半の出来だったが、一年目としてはまずまずと言っていいだろう。コシヒカリはこれから収穫するのでまだわからない。カモは8月上旬に田からあげて三郷村の果樹園に預けてある。網とテグスと電気柵を張ったが、その隙間から鷹が入ってきて十羽近く食べられてしまった。目撃証言から縞模様のある小型の鷹だと言う。専門家に聞くとおそらくオオタカだろうという事だった。結局現在は30羽に減ってしまった。山麓線沿いの果樹園なので鷹などの猛禽類が多いのだろう。かなり密に張った糸の間を抜けて飛ぶとは大したものだ・・・などと感心してもいられない。30羽では仲間内のカモ鍋飲み会で消費してしまう羽数である。商売にするにはまだまだ課題が多いようだ。
何羽生き残ってくれるのかにもよるが、酒米を注文してくれた人にカモの燻製をおまけに付けるという案もきびしくなってきた。

稲刈りが終わったら酒米の注文もそろそろ始めたい。安曇野アイガモ会で注文を取れば代金の何%かは会に寄付してくれると福源酒造からありがたい提案があった。アイガモ農法普及のためには是非とも資金が欲しいので助かる。雛の地域自給のために孵化機も欲しいし、カモ肉を生産するにもかなりな施設と資格も必要である。是非注文をたくさん集めたいものだ。ただ、11月に酒を仕込んでも新酒は寝かせる必要があるので搾れるのは3月から4月になってしまうらしい。日本酒の消費は冬が一番多いというからちょっと残念である。

ところで、農協の総代も今年度で3年の任期が切れる。最後の年には慰労会を兼ねて支所ごとに旅行をするのが通例になっているらしい。景気のいい支所は外国に一週間くらい出かけるようだ。毎月そのために一万円づつ貯金しているが、私はそんな余裕がないのでやっていない。穂高支所でも最初はフランスやカナダなどが候補に上がっていたが、参加者が少なく中止になった。急遽、国内の候補地を探して参加者を再度募った。その中に屋久島というのがあったので、二泊三日くらいなら行ってもいいと思い申し込んだら、10月12日に出発と決まった。てっきり冬だと思っていたのでちょっと驚いた。果たして稲刈りは終わっているだろうか。それに台風が多い年でもあり心配である。屋久島ははじめてで楽しみだが、団体旅行なのでゆっくり見て回るのは難しい。種子島の宇宙センター見学も予定に入っているので駆け足旅行だ。これだから団体旅行は好きになれない。まあ、もっぱら飲み会が目的みたいなものだから、おいしい魚や地酒にありつければ私とすれば満足である。ついでにカラオケ歌い放題なら言うことはない。屋久島まで行ってカラオケとは情けない話ではあるが、いかにも日本人的団体旅行の風景である。 

仲間を増やす

2004年8月

トマトの収穫で忙しがっている内に、酒米が稲熱病(イモチ病)に罹ってしまった。今の所大きな被害はないが、稲の葉はまだ真っ黒でこのまま放って置くと被害が拡大するかもしれない。酒米が稲熱病に罹ると精米の時に粉になってしまうので、注意するように言われていたのが現実になってしまった。肥料は一切やっていないが、二十年間梅林だったこととカモの糞が効いたのだろう。畑の後の稲作は本当に怖い。肥料分がどのくらい残っているのか全くわからないからだ。こんなことになるんだったら、雑草など苦労して取るべきではなかった。雑草が養分を吸ってくれれば稲熱病の心配もほとんどなかっただろうに。

さっそく、動力噴霧器で酢と焼酎と木酢と微量要素を強めに配合して散布した。これで止まってくれればいいが、だめならば粉砕塩を水口から流し込むことも考えなくてはならない。

来年からは肥料分は落ち着いてくれるだろうから、今年だけのことだとは思うが心配である。

加工用のトマトの方は、今年は吉良農法という農法に挑戦している。農法と言っても有機認証を取った資材を投入するだけの話ではあるが、この吉良の有機資材がめちゃくちゃ高価である。一反7~8万円の肥料代がかかる。農法の説明を聞いたが、基本は家畜の糞尿は一切使わないということらしい。現在の畜産は抗生物質を大量に餌に混ぜて使っているので、その糞尿にも大量の化学物質が含まれている。それが作物に悪影響を与えるらしい。いくら発酵させても抗生物質が分解するには数百度の温度が必要なので普通の発酵では無理だというのだ。この辺の理論は頭ではだいたい理解できるが、それから先はさっぱりわからなかった。そこで実際やってみることにした。

いままでは一番安い市販の発酵鶏糞を主に使っていたが失敗も多かった。昨年は玉ねぎの苗がほとんど全滅した。自分でボカシ肥を作るのが一番良い方法であるが、原料のコヌカを安定的に手に入れるのがなかなかむずかしい。自家製の堆肥が理想だが、これからの課題である。今の所、吉良のような高価な資材に頼ることも考えてゆく必要がありそうだ。

効果の方は、味の面ではなかなかいい感じである。糖度が1~2度上がるという説明であったがその通りだと思った。しかし、収量の方は一反4トンいくかいかないかで、ほぼ例年通りで通常栽培の半分であった。加工用のトマトなので味よりは収量が多い方がいい。

無農薬の加工トマトを作ってくれる人も今年は4人に増えた。他県から来た若者で農協にも入っていないので自由にできる。地元の人が無農薬に挑戦するにはまだかなりな時間がかかりそうである。そのトマトを使ってジュースを独自ブランドで作った。濃厚でけっこうおいしいジュースである。

トマトケチャップやソースも原料さえ自分達で揃えれば独自に作ってくれる。有機農法の仲間が近隣で十人以上になればかなりなことができそうである。

幻影

2004年7月

田んぼの草取りで腕と肩が痛くて仕方がない。稲はある程度順調に育っているが、今年は除草には失敗した。まず、田植え一ヶ月前の代掻き・コヌカ散布による抑草だが、みごとにコナギだらけの田んぼになってしまった。田植え直後から深水管理をしたので、コビエはそれほどないが、コナギが全面にびっしりと生えた。動力除草機を借りてやってみたが、その後からすぐに生えてくる。仕方がないので手で取っているが、すでにかなり大きくになってしまったので力がいる。それで腕と肩がばりばりに張ってしまったのだ。コヌカ抑草が失敗した理由がよくわからなかったが、先日池田町で行なわれた民間稲作研究所の研修会に出てわかった。生の籾殻を入れるとコナギの発芽を促進する物質が出るというのだ。それを早く教えて欲しかった。秋にたっぷりと籾殻を撒いてしまった。焼いて薫炭にしたり発酵させるとそんな害もなくなり、トロトロ層を作りやすくなるという。

また、酒米の5反の田んぼでも、30羽入れた鴨が何故か20羽に減り、さらにセンダンという雑草が一面に生えてしまった。成長すると稲より大きくなる。この辺では「馬鹿」と呼ばれる雑草である。種がとがっていて、それが服によくつく。子供の頃その種を取っては人の背中に投げつけては遊んだものである。気づかずにいつまでも背中につけている人をさして「馬鹿」といっていたから、そういう名前の草だと思っていた。この草が多いとコンバインに絡まって動かなくなったり故障したりする。鴨は数が少なく、また、面積が大きいせいか平均に回ってくれない。高い所は一面のセンダン畑になってしまった。こちらも手押し除草機と動力除草機を借りてやったが、うね間は浮くが、株間はどうしようもない。草の多い所を中心に鴨の餌(古米・小麦)を撒いたら、その辺はなんとかなったが、なにしろ面積が大きすぎる。手で取ってもいられないので、畑用の三角鍬で削って浮かせているが、しばらくするとまた根が着いてしまう。信大の学生に頼んでやって貰っているが、稲の花が咲いてしまうと田に入れなくなるので7月中が勝負である。どうなることやら秋が楽しみである。

8月初めには鴨を田からあげないと穂を食べられてしまう。鴨を飼っておく場所も今月中には探さなければならない。トマトの収穫も今年はちょっと早くなりそうである。まだ当分忙しい日が続きそうである。

合併の住民投票は惜しくも反対が破れて、法定協議会へと移ることになった。わずか300票差というのは微妙な結果であった。誤差の範囲だという人もいるが、本当にその通りだ。行政と議員の大半が強力に推進したので、実質的には反対の人の方が多いと考えることも充分可能である。真っ二つに割れた意見をどうまとめていくのか、極めて難しい問題だと思う。結局最後まで合併を進める理由は明確にならなかった。財政面では、任意協は国の借金が莫大なので合理化が必要といい、町では合併すると特例処置で財源が増えるといい、矛盾している。少子高齢社会と合併がどう関係するのかもさっぱりわからない。むしろ分町してより身近で小回りの効く行政にする方が少子高齢社会には適していると思う。もう大きな施設などいらないし、高度経済成長などありえない時代なのに、まだ、その幻影にしがみついている人が多いという事なのか?

お祝い事には是非使ってください。

2004年6月

あいがもの雛が野良猫にやられた。田んぼに放した後、一日に一羽づつ死んで6羽、その後、死骸も見つからないのが3羽。全部で9羽やられた。最初原因が不明で、解剖もしてみたがわからなかった。外傷がなかったので病気か寒さか栄養不足と思っていた。家で一週間飼っていた時はなんともなかったので、ますますわからない。死骸も見つからなくなった時点で、何かの外敵にやられたのか・・・という疑問が沸いた。まず思いついたのが鳶かカラスではないかという事。しかし、昼間はなんともないので、これもおかしい。ふくろうのような夜行性の鳥かもしれない。などと悩んでいたら、近所のおばさんが、夕方鴨の小屋に猫がいたよ・・・と教えてくれた。それでようやく原因がわかった。原因がわからないと対策の立てようがない。さっそく、小屋の上にも厳重に網を張ったところ、その後の被害はなくなったが、未だ犯人である野良猫の姿を見ていない。しかし、21羽いた鴨が現在は10羽になって寂しくなってしまった。雑草の方は動力除草機を借りて一回除草をしたので今の所なんとかなりそうである。

21羽の内、2羽は近所に貰われていった。趣味で錦鯉を飼っている家で、その鯉の池で鴨も飼っている。孫が飼いたがっているとかで数年前から頼まれていたが、今年やっと分けてやったのだが、その途端猫にやられてしまったのだ。しかし、その代わりというか、成り行きでニシキゴイの稚魚(めだかぐらいの大きさ)の余ったものを貰うことができた。鯉かドジョウも飼ってみようと思っていたので、ちょうどよかったが、ニシキゴイになるとは思ってもみなかった。「ニシキゴイは食べられるの?」と聞くと、「盆過ぎには15センチぐらいになるから、から揚げにできるよ」という事である。ニシキゴイのから揚げとはあまり食欲がわかないが、紅白の鯉のから揚げならお祝い事にはいいかも知れないなあ・・・などと思った。赤い稚魚が元気に田んぼを泳ぎまわる姿を見て、今年は随分カラフルな田んぼになるなあと思った。数百万もする錦鯉ができれば・・・とも考えたが鯉の価値を見分ける能力はないので、やっぱりから揚げという事になりそうである。つまみが一種類増えたという事である。

酒米の方は32羽入れたが、こちらも猫にやられたのか26羽に減ってしまった。しかし、ずっと畑だった所なのであまり水草の種がないらしくほとんど雑草は出ていない。畦が弱く水漏れが激しいのには困っているが、一年は我慢しなくてはならないだろう。こちらは信大の学生が大勢手伝いに来てくれたので網張りも一日で終り助かった。「昔ながらの田んぼの会」という会が信大にはあって、主に島立の矢口さんの田んぼを一緒に手植え手刈りでやっている。最近は町田家の林檎の手伝いもしている。その会で今回網張りなどあいがも農法の手伝いもしてくれる。林檎隊というりんごの収穫を手伝う会もあるらしいから、その内「あいがも隊」も作ってもらいたいものである。「千鳥足の会」という日本酒の味くらべを目的というか趣味とする会もあるらしく、こちらも是非あいがも農法のお酒のために一肌脱いで貰いたいものである。つまみは鴨に錦鯉にドジョウと豊富である。スッポンにも挑戦してみたいと考えているところである。

カモられる鴨使い

2004年5月

稲の苗作りに失敗してしまった。蒸れて百枚以上が枯れてしまったのだ。毎年苗作りには苦労しているが、主な原因は通常、有機質肥料だけでやるのでどうしても肥切れがして黄色くなり丈が伸びない。そのため田植え機に入らない事が多い。遅くまで置いておくとなんとかなるが、周りにせかされて仕方なく植える。今年は少しでも早く苗を大きくしようと思って、ビニールマルチを外すのを延ばした。夏のような気温の時もあり結局苗が蒸れてしまったのだ。酒米はほとんど被害はなかったが、コシヒカリともち米はかなりやられた。我が家の田植え機は少数派のミノル式なので、苗に失敗するとなかなか集めることが難しい。隣近所に頼み回って、今の所30枚くらい余った苗を貰うことができた。しかし、余分をみているとは言え、100以上枯れてしまったので到底集めることはできないだろう。
最後の手段は、株間を広げることである。

普通の田植え機は株間が15~16センチに設定してある。この設定だとミノル式は一反あたり27~30枚の苗が必要になる。ところがギアーを替えて株間を24センチにすると一反20枚で足りる。さらに30センチにすると15枚で植えることができる。昨年から株間を広げて植える実験をしているので、替えギアーは用意してある。今の苗の状態から考えると24~26センチで植えればなんとか足りそうである。株間を広げても収量が減らないことは昨年も経験している。むしろ株間が広い方が大きな丈夫な稲が育つようだ。田植え機が導入される前は30センチ間隔で一本づつ手植えをする農家もけっこういたようだが、機械に合わせて密植になってしまったのだ。株間を広げるいい機会ともいえるのだが・・・。とにかくまだ他にも苗を頼んでいる人からもう少し貰えるかもしれない。これからの苗の回復状況によっても変る。

今年はこれでなんとか乗り越えるつもりであるが、父からはまた愚痴を当分聞かされることを覚悟しなければならない。苗作りをもう一度検討しなければならないだろう。

鴨の雛もいよいよ明日到着予定である。今年はコシヒカリ2反5畝と酒米5反を合鴨農法でやる予定である。その第一陣の20羽が明日来る。小屋の準備を早急にしなくてはならない。電気柵の碍子用の500mlペットボトルも集めなくてはならない。これから2週間あまりは夜もゆっくり寝られない日が続くだろう。

ところで、忙しい日々の中でも財布を忘れた焼き鳥屋へはけっこう通っている。なんとも不思議な飲み屋で、松川村の山近くの町田亭近所なのだが、赤提灯が向いている方向には町田家しかない。周りにも家はほとんどない。しかし、行くといつも人が一杯いるのだ。一緒に行った人が別世界に迷い込んだようだと言った。「ママのお尻にしっぽが生えていたよ。きっとキツネが化けていて客は狸だよ。藤沢君も騙されているんだよ。」キツネにはいつも鴨を食われて天敵であるが、鴨使いの藤沢君もこの山中のキツネの焼き鳥屋のカモにされているのだろうか。

信州独立

2004年4月

本格的に農作業が始まった。今年は合鴨農法の酒米を契約栽培することになり、さらにその酒造会社の豊科の土地を5反借りて酒米を作る予定である。その5反は梅林だったところなので、梅の木の伐採と伐根をして田にしなければならない。チェーンソーで木を切り、バックホーを借りて根を抜いた。信大の学生にも手伝ってもらい枝を片付け、根を田んぼで燃やした。構造改善が済んだ農地ではあるが、20年近く林だったところなので、畦が弱かったり草が生い茂っているので、近所の土建業者に頼んで畦の修理とブルドーザーでの代掻きを頼むことにした。水口も修理が必要である。

4年間合鴨農法を実施した田は、今年は合鴨なしで無農薬に挑戦する。今から田に水を張ってコヌカを撒いてある。コヌカと深水管理でだいたいの雑草は駆除できる。ただし、中苗以上の丈夫な苗でなければならない。コヌカや大豆くずを撒くと微生物が繁殖して田の表面が柔らかくなる。いわゆるトロトロ層ができる。これができると雑草は発芽しても根を張ることができず枯れてしまう。田植え後にコヌカなどを撒くのが普通であるが、それではコビエには効くがコナギやオモダカといった雑草には効かない。トロトロ層ができるのが遅いからである。また、平均水温17℃以上でコナギは発芽するので、水温が上がる前にトロトロ層を作っておく必要がある。だから田植え一ヶ月前から水を張ってコヌカを撒いておく。これがうまくいけば田んぼはほぼ全面無農薬でできるだろう。

鴨の雛は合計80羽注文した。私を含め3軒の農家で、面積は1町分近い。鴨の処理が今から心配であるが、三郷村の新規就農者は養鶏を専門にやってきた人なので、なんとかなりそうである。家に残しておいた3羽の鴨の屠殺もやってもらったが、あまりに早い手際に感激してしまった。解体は見ていないが、一羽2~3分でやってしまうらしい。頼もしい仲間が増えた。後はどう流通に載せるかが問題ではあるが、3月の古野さんの講演会には鶏肉屋さんも参加してくれたので道は充分開けると思う。商売として成り立たせるにはもっと羽数を増やす必要もあるだろう。つまみとお酒が同時にできる田、おかずとご飯が同時できる田を目指したいと思う。ゆくゆくはドジョウも一緒に増やしたものだ。稲作と畜産と水産の融合である。稲と鴨とドジョウで一反、50万円の売上ができないかが今後の課題である。ドジョウはまだこれからの課題であるが、4年間合鴨農法をやった田ではすでに復活しているので可能性は充分あるだろう。フナや鯉も以前飼ったことがあるので、夢は膨らむばかりである。

ところで、イラク情勢が緊迫している。人質問題も深刻だが、ほとんど戦闘状態といっていいだろう。イラク特措法では戦闘状態の地域には自衛隊は派遣しないことになっているが、国会では議論になっていない。自分達で作った法も守れない国になってしまったようだ。この国では上にいくほど法を簡単に無視してしまう。信州も独立して、こんな国とは縁を切りたいものだ。

安曇野愛鴨物語

2004年3月

古野さんの講演会は大盛況であった。当日は雪が積もったにも関わらず、80人近く集まったのではなかろうか。人数も多かったが、熱気もかなりのものがあった。スライドで映写したのもわかりやすくてとても良かった。この日にために、パソコン直結のプロジェクターを西条君が購入してくれたおかげでもある。

古野さんも遠い福岡から忙しい中わざわざ来てくれて本当にありがたかった。講演などに出かける時はいつもご夫妻一緒のようだ。古野さんも元気な人だが奥さんはもっとパワーがありそうに見えた。三郷村の30代の新規就農者も手伝ってくれたし、年代も幅広いものであった。古野さんの田んぼは稲とアイガモとドジョウとナマズが同時に育つとても豊かな田んぼであった。単一作物を大きな面積で作るモノカルチャー農業の対極にある農法であった。田畑輪作と同時作を組み合わせる独自のやり方で、今世紀の飢えや食糧問題、輸入自由化を念頭においた戦略的な農法であることが話の中で理解できた。村役場や商工会を挙げてアイガモ農法に取り組んでいる四賀村からも何人か駆けつけてくれた。クラインガルデンや地域通貨も試みている先進的な村である。合併で松本と一緒になってしまうのがもったいないように感じる。小さな村だからこそできる様々な実験なのだと思う。その四賀村の若い農家が、

「田んぼの生き物を観察する会をやっているが、アイガモを入れると生態系を壊すのではないか?」という質問をした。

もともと田んぼを作り稲を植えるということ事態が生態系を壊している。農業が環境を守っているのではなく、環境に農業が守られている。」と、古野さんが応えていた。

どういう田んぼと作るのかという、その農家の考え方で田んぼに住む生き物が違って当然だろう。どの田んぼが環境にいいとは言えない。古野さんが考えている理想の田んぼは1950年代の魚が住める田んぼだそうだ。オランダ村より日本村を作ろうと訴えていた。 

確かに農業は面積では圧倒的に環境を破壊して行なわれている。工業の環境破壊が質的なものだとすると、農業は面的に充分破壊している。化学肥料や農薬を多投する工業化した農業は両面的に破壊していると言えよう。農業を神聖化しても意味はない。人口と経済の規模を問題にしないかぎり環境問題に解決の道はないだろう。

講演会を受けて各地でアイガモ農法を試したいという人が現れている。2~3人から問い合わせがきた。安曇野でもアイガモ米を使った地酒の製造がほぼ決まった。大町・松川・三郷・豊科そして穂高の私が契約栽培という形で酒米を作る予定である。純米酒の名前は公募して、採用した人には酒とアイガモを進呈するというのもいい。個人的には純米酒「安曇野愛鴨物語」が気に入っている。5升以上買っていただいた方には鴨を一羽まるごとあげてもいい。各地の田んぼには「酒とおつまみが同時にできる田んぼ」という看板を立てたいものである。

アイガモ農法講演会

2004年2月

雪は少なくていいが寒い日が続き体が動かない。やる事はたくさんあるがなかなか進まない。何しろ我が家は古い家なので、風が吹き込んで外気温と室内がほとんど同じなのだ。昔の家は長持ちはするが、あまり人間の事は考えてはいないようだ。今年はウッドボイラーが故障しているので床暖房も効かないし、風呂もあまり焚けない。布団に包まって本を読んでいても震えてしまう。家の中で凍死しそうである。

合併の住民投票条例を要求する署名活動も残りわずかの日数を残すのみとなった。自分の部落はほぼ半分以上は回ったが、有権者が揃って家にいることなどないので、効率は非常に悪い。同じ家に何度も行くがなかなか署名は増えない。

賛成と反対はほぼ同じか、若干反対の人が多いような気もする。なんと言っても、「わからない」「関心がない」という人の方が圧倒的に多い気がする。愛の反意語は無関心である・・・という定義に照らすと、無関心な層が多いというのは困ったものである。

署名自体は賛成も反対も関係ない。自分の意思で決めようと言うことである。アンケートも行政はやっているが、あくまでアンケートにすぎない。意思表示をする機会を作って欲しいということなのだが・・・。

「お父さんに聞いてみないとわからない。」

「お父さんが署名は必要ないと言っているから・・・」

という人もいる。役場に勤めていたり、役場関係の仕事をしている人も、それを理由に態度はあいまいだ。気持ちはわからないでもないが、むしろ一番影響を受ける人達であるし、はっきりした態度をとっていい立場だと思う。

もちろん、住民投票にも問題はある。しっかりした議論がないままでは人気投票になってしまう可能性もある。

充分な情報提供と議論をした上での投票でなくてはならないが、あまりにも時間が少なすぎる。わずか1~2年で決められる問題ではない。

署名集めと一緒にアイガモ農法の講演会チラシを配っている。今年から国の減反政策が大幅に変る。全国一律の減反助成金制度から、地域ごとの産地作りに交付金を出すことになる。米の生産数量と面積の制限はまだ残るが、減反した田に何を作るかは地域が自主的に決めることができる。それと同時に国内米市場の自由化を進める。売れる米を作らなければならないということである。その点アイガモ米は人気が高く売れ筋である。昨年農水省もようやく環境保全型の農業をこれからの支援の中心にすると言い出した。安曇野産とアイガモ農法が結びつけば有力なブランドになるだろう。

カモ料理をメインにしてもいいというホテルも現れた。昔、養鶏をやっていたという頼もしい若者もいる。雛の孵化や解体もお手のものらしい。資金面での問題は残るが、カモ肉の生産消費の道も若干開けてきた。鳥インフルエンザが気掛かりではあるが、まだ国内ではそれほど影響はなさそうである。3・6の講演会が楽しみである。

酔ってもいられない

2004年1月

飲みすぎて胃がもたれている。新年会もそろそろ終わったので、少し摂生した方がいいだろう。昨年無くした財布も出てきて助かった。やはりカラオケをやりにいった焼き鳥屋に置き忘れていた。そこのママが親切に取っておいてくれたのだ。お礼方々ちょくちょく飲みにいくようになったのも、胃のもたれの原因かもしれない。まあ、家で飲んでいる方がずっと多いから、飲み屋のせいにする訳にはいかない。

酒量が増えている一因は、選挙の会計報告を作っていることもある。訳がわからず、三つも政治団体を作ってしまった関係で、ややこしくなってしまった。一万一円以上寄付していただいた方は所得税の控除の対象となる。私個人への寄付か、資金管理団体に指定した政治団体への寄付のどちらでも可能なのだが、政治団体は控除対象として最初から申請しておかなければならない。ところが、この申請をしておかなかったため、個人への寄付として選挙の会計報告に書き直さなければならなくなった。こちらは人数は大したことはないので、なんとか間に合った。領収書を寄付してもらった人達に送り、控除申請書を一人づつ書いて選管に提出する。領収書は確定申告の際提出すれば、総額から一万円引いた分が所得税から控除されるという仕組みだ。私のように所得税を払っていない人間には縁のない話ではあるが・・・

三つの政治団体の収支報告書も三月一杯までに出さなくてはならない。むしろ、こちらの方が頭が痛い。領収書が三つの名前で書いてあるため、これを種分けして書き出さなくてはならない。どこから手をつけて良いやら悩んでいるばかりで、作業がなかなか進まない。しかし、このくらいの会計報告ができないようでは、行政の予算決算書を読む事など不可能である。事務は苦手だ・・・などとは言ってはいられないのだ。

今年は予算決算書を読む学習会も開きたいので、数字に少しは慣れておかなければならない。まあ、県レベルでは規模が大きすぎて一人ではできない。市町村でも100億円を超える規模だと、やはり数人のグループを作らなければ無理のようだ。地方の議員に一体どのくらい予算決算書を読める人がいるのだろうか。おそらくほとんどいないのではなかろうか。これは無理もない話で、予算決算書を読むという事は選挙の公約と優先順位に基づいて増減されているのかどうかをチェックするという意味だからだ。そもそもに公約も優先順位も今までの地方選挙ではほとんど争点にはならなかった。ようやくマニュフェストという言葉が出てきたがまだ定着しているとは思えない。マスコミと選挙民の責任は大きいが、高校レベルでも必須の学習課題であろう。

もし、合併をしたいならば、最低すべての議員が予算決算書を読める能力を身に付けてからにしてもらいたいものである。でなければ合併が失敗に終わる事は目に見えている。

いよいよ合併の住民投票に向けた署名活動も始まる。3月6日にはアイガモ農法の創始者である福岡の古野隆雄さんも呼んでいる。酔っ払ってばかりはいられないのだ。

Author

ゆういちろう
50代でめでたく結婚。、これからも田畑と町を耕していきます。