ゆういちろうのページ  2007年

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抜け組みの時代(07.12月)

 大豆の収穫も終わり、後片付けを始めた。ようやく忙しい日々とはしばらくお別れできる。と言っても、春から散らかし放題だった道具などが家の回りにいっぱいある。これを少しずつだが片付ける。しかし、収穫や種まきのように時間に追われることはないので気楽である。忘年会も少し入ってきたのでだいぶ生活のリズムや内容が変わってきた。

 それとともに大きな違いは本を読む時間が増えることか。念願の基礎所得保障制度の研究会設立に向けた呼びかけも始めた。今は資料集めの段階である。ここ数年で基礎所得に関する翻訳も少しずつ出てきた。やはりヨーロッパの研究が進んでいるようだ。これがなかなか面白い。基礎所得という考え方は非常に歴史も長い。200年近い歴史や議論があるのだ。様々な立場からの提案や議論がされている。例えば、資本家サイドや労働階級、障害者、フェミニスト、エコロジストなど。基本は年齢、性別、労働、職業、資産などと無関係に誰にでも最低限生活できる現金を支給するというものである。社会主義指令経済とは似ているように見えるが、全く逆のむしろ自由主義に基づくものである。何しろこの制度が実現すれば、経済から開放された人々は自由に自分の好きなことができる。音楽や絵画などの芸術活動、伝統文化の研究や継承、有機農業もやりやすくなる。何よりも地方の中小自営業者にとっては干天の慈雨になるし、すでに何百万人もいると言われている貧困層も救われる。ここ数十年、世界中で活発な議論と研究が湧き上がっている。この背景には色々な問題があるが、一つは世界中で貧富の差が拡大していることであろう。資本主義は自ずと格差を広げ自滅する傾向を持っている。だから、資本家層も資本主義の延命策としてこの制度を何度か実施しようと試みてきた。1930年代の世界恐慌の時やニクソンもこの政策をやろうとしていた。負の所得税という形である。ある一定の所得に達しない人への不足分の補填というものである。戦争と失脚によって実現直前でいずれも頓挫したが、現在は世界規模で実施の必要性が高まってきている。

 すでにブラジルでは法案が成立したが、実現まではまだ少し時間がかかるみたいである。ポルトガルでは一部の都市で社会参加権という形で実施されているらしい。これは貧困により社会から排除される人が出ることを防ぐという意味である。

 日本ではまだ紹介され始めた制度ではあるが、この近辺で所得保障研究会ができればいずれ日本中にも波及するだろう。何しろこの制度の必要性という面では世界中のどこにも劣らないほど日本の社会は疲弊している。以前も書いたが東京一極集中で地方では限界集落や消滅する村が急速に増えているからである。環境面でもこれでは食やエネルギーの自給ができなくなるので、悪化を止めることはできない。現在の経済至上主義ではどうしても勝ち組、負け組みという議論の末、出口のない迷路に入ってしまうが、所得保障政策はそうして議論から抜け出す、抜け組みが主流になる。まさに抜け組みが時代を切り開いてゆくだろう。


名もなき国の悲劇(07.11月)

 主な農作業は後、大豆収穫を残すのみとなった。今年は大豆の葉がなかなか落ちないので、もう一週間くらい待たなくてはいけないだろう。いつまでも暖かい日が続くのも原因である。この冬は一体どんな天気になるやら。

 天気も異常なら政治の世界も異常だ。大連立などという話が出てきた。小沢一郎の政権交代が必要だというのはわかるし、政党など国民のための政策を実行する手段にすぎないというのも理解できる。衆参のねじれで与野党ともに政策実行が難しくなっている現状と政権交代の難しさからの苛立ちもあったのだろう。

しかし、小沢の信奉する二大政党制と議院内閣制が両立するとは思えない。アメリカのような大統領制では使えるかもしれないが、そのアメリカでは共和党も民主党も中身は似たようなもので、少数意見はほとんど反映されない。実際、緑の党は地方ではかなり伸びているのに国政には参加できないので、ラジカルな改革もできない。少数意見や少数政党が尊重されるような制度でなければとても民主主義とは言えない。政権交代可能な選挙制度ということで、小選挙区制が導入されたが、逆に国民の様々な意見は排除され国政に反映されにくくなったようだ。自民党にも民主党にも国民はうんざりしているのではなかろうか。いっそ、大選挙区で完全比例代表制にしたらどうか。そうすれば選挙屋みたいな地域ボスも出にくくなる。様々な少数政党も参加可能な連立を基本とする内閣。それに多数決という制度も見直したらどうか。ベルギーでは、変動制を採用しているらしい。与党が5割を占めていたら6割、6割を占めていたら7割の賛成がないと予算も法案も成立しない。数合わせの連立や党利党略ではない政策論議ができるようにしている。スイスも原則多数決はしないようだ。

世界には色んな政治制度がある。学者はそういう制度を研究して紹介して欲しいものだが、そういう学者がいないのか、それともマスコミが無視しているのか。歴史は科学的理論などではなく、模範を真似ることで動いている。アメリカのような悪しき例を真似るとますます政治は閉塞的になってしまうだろう。

それに憲法問題が輪をかけている。だいたい占領期間中に憲法を制定するのは国際法違反である。しかも国名がない。国名はその国の政体を簡潔に表すものであり、王国とかリパブリック(民国)とか連邦とかどこの国にもついているが、この国にはない。日本というのは地名にすぎない。また政体を表すということはその政体を国民が変えることができるという意味もある。単なる地名では変革のしようもないではないか。さらには明確な外交方針が条項にない。9条は軍事方針を示しただけである。国の政体や外交方針は占領軍では決めることはできないのだ。まだこの国は占領憲法下にある。大連立のごたごた騒ぎも民意によって改革可能な政治システムがそもそも憲法に明示されていないことから来ているのではなかろうか。


藁対策(07.10月)

 急に日が短くなったような気がする。夏の習慣でゆっくり昼寝をしようものなら、すぐに薄暗くなってしまう。なんだか知らないが季節の移り変わりの速さに体がついてゆかない。この感覚も老化の一種なのか。

 米の作柄は平年並みということらしいが、私の回りの有機稲作農家は軒並み5〜6俵という不作である。まあ、私の場合は毎年そんなものである。原因は定かではないが、暖冬で雨も少なかったため藁が腐らず、そのまま土の中に残ったためではないか・・・という意見が多い。有機農業は異常気象には強いと言われているが、今年の例はその反証になってしまった。生の有機物は作物の根に障害を与えるので、藁が腐っていないと稲の生育にも悪影響が出る。普通の年ならば、冬の降雪によってある程度藁を腐らせてくれるが、暖冬で雨量も少ないという異常な状況で藁がほとんど腐らずに残ってしまったのではないか・・・という意見である。そういえば、昔は稲藁をうず高く積んでは水をかけて、その上を踏み歩いたことを思い出した。母と一緒にやったが、あまり好きな作業ではなかったような気がする。しかし、水苗代と同じでかなり重要な仕事だったのかもしれない。池田町の農家はこの藁の堆肥化は稲作の基本だ、と言っていた。今はコンバインで藁を切ってしまうので、それをそのまま鋤きこむ人がほとんどである。集めてから積んで堆肥にすることなど不可能になってしまった。燃やす人はこの辺ではあまりいないが、地方によっては燃やしているところもあるようだ。機械で集めて外へ出す人もけっこういる。不耕起でやれば藁が土の中に入らず、表面にあるので稲の障害にはならない。その場合、硬い地面を切りつける特殊な田植え機か、あるいは冬から田植えの時期までずっと水を張り続けて田面を柔らかくしておく必要になる。自然農をやっている人は地面に棒で穴を開けて手で植えているが、面積は多くできないだろう。現実的には水張りをコマメにやるという選択支が一つ。それから、秋にコヌカを撒いて起こし、水を張る。この作業を何度か繰り返して冬の内に藁を腐らせる。もう一つは輪作を取り入れるという方法。大豆の後に稲を作るとコナギがでないという話を聞く。実際、S君が今年借りた田は大豆の後だったので草はほとんど出なかった。また、田んぼの後にトマトを作ると大変よく出来る。稲→トマト→麦→大豆→稲という輪作体系はほとんど無肥料無農薬でできる。トマトはそれほど増やすことはできないので、トマトを抜く輪作もいいだろう。来年はこの三つの方法で藁対策を考えている。

 それにしても小麦やトウモロコシなどの穀物価格が世界的に上がっているのに、なぜか米だけはこの国では値下がりを続けている。そのため廃業せざるえない農家も少なくないという。消費者にとっては主食の米だけでも安くなってくれれば助かるだろうが、農家にとってはもう採算ラインぎりぎりの値段になってしまった。民主党は農家世帯への直接所得保障を公約にしているが、生活保護世帯が年々増えている現状では、やはり万人に対する基礎所得保障をすべきではなかろうか。


安曇野スッポン会(07.9月)

 いよいよ稲刈りの準備が始まったが、猛暑の中でのトマト取りで疲れが溜まったのか、毎日ぐったりしている。

 「暑いなかでよくやるじゃんか」とよく言われた。「夏だから暑さを楽しんでるよ」と、強がりを言ってみたが、今年の暑さは強がりも通用しない。高齢化の上に炎天下で田畑に出ている人はほとんどいない。日本の農村風景も人影が少なくずいぶん寂しいものになったのではなかろうか。しかも、構造改善された田畑には木陰が全くない。一休みしたくても休む木陰がないのは辛い。日陰と風さえあれば信州の夏もまだまだ凌ぎやすいのだが・・・。

しかし、トマトの味は甘くて大変良かった。どうも夏の暑さに比例してトマトは甘くなるようだ。作業の合間に食べるトマトの味は格別なものである。

蓮華鋤き込みに失敗した田にアイガモを離したが、入れる時期が遅かったためか草だらけになった。半分諦めていた田だが、東京のNPO団体が農業体験の小学生を20人くらい連れてきてくれたので、少しはましになった。昨年は2俵しか取れなかったが今年は5俵くらいは行きそうである。稗対策のため深水にしたので稗はほとんどない。その代わりコナギが大発生した。アイガモを入れればなんとかなると思っていたが、入れた時期が7月中旬だったので遅かった。6月中には入れないとどうもだめみたいである。アイガモの名誉のために言っておくと、コナギは結構食べてくれるが、イネの成長をコナギが抑えてしまうので、入れる時期がやはり大事なのである。深水で稗は抑えられることはわかったが、今度はコナギをどうするのかという難問である。アルプス有機の仲間の圃場を見て回った。うまく行っている人もいた。その人の話だと藁がよく腐っていないとイネの根が障害を受けてコナギが大発生するらしい。秋なるべく早くコヌカなどの肥料と一緒に藁を鋤き込み、春も早めに水を張って藁を腐らせるとイネの障害もなくコナギに勝てるようになるという。藁を出してしまうか焼くのもいいらしいがもったいない。九州の赤峰さんは藁だけで10俵も取るというが一体どういう農法なのだろうか?

ところで会長が死んで飲む機会が減って寂しくなった。二人でよく馬鹿騒ぎをしたものである。某飲み屋では酔っては若いママにセクハラをして怒られた。そのうち二人ともセクハラで訴えられて公職追放になるだろう。その時は安曇野アイガモ会の会長と事務局長は潔く辞めて、亀の除草に挑戦しよう。実際田んぼに亀を入れている人もいると聞く。ただの亀では面白くないので食えるスッポンにしよう。そして安曇野スッポン会を結成して会長と事務局長でまたやろう。こんな冗談を言い合ったこともあったなあ。


会長死す(07.7月)

 安曇野アイガモ会の会長が6月30日、急逝した。まさにポックリと逝ってしまった。9時に田んぼに集合してアイガモ用の網を一緒に張る予定だった。網を張り終わっても来ないのでおかしいとは思っていた。翌日にアイガモを田に放つ場面のビデオ撮影を予定していたので、忘れるはずはなかった。家に帰る途中で奥さんから電話があり、「西条正は今朝亡くなりました」と言われた。とても信じられず、すぐに彼の家に駆けつけた。

 ご家族でさえ呆然とするしかない突然の死だった。朝はまだ意識はあったようだが、救急車が来たときにはすでに息は止まっていたという。急性心不全だった。大きな病気もしたことがなく、医者も保障するいたって健康な体であった。51歳、まだ若い。

彼とはおそらく保育園から一緒だったと思う。というのは、一度も同じクラスになったことがなかったので、顔はよく知っていたが話したことはなかったからである。それが私の選挙の時に駆けつけてくれて、30年ぶりにほとんど初めて話をした。それ以来、一緒に飲み歩く無二の親友になった。不思議といえば不思議な縁である。アイガモ農法に惚れ込んで、自ら安曇野アイガモ会の会長になってくれた。「安曇野をアイガモ農法の里にしたい」というのが口癖であった。カメラやビデオ、釣りやバイクなどの趣味も交友関係もかなり広かったようだ。

特に安曇野ビデオクラブでは、某放送局の「ふるさとCM大賞」で昨年グランプリを受賞したと言って喜んでいた。他にも「取れたてマイビデオ」という番組にもよく作品を出していた。アイガモ田でたくさんのドジョウが取れた映像は全国に放映され、昨年の優秀作品にも選ばれた・・・と自慢したばかりだった。今年はアイガモの映像を使って「鴨ん(カモン)、安曇野」というCMを作ってふるさとCM大賞に応募する・・・と、張り切っていた。その撮影を翌日に控えての死であった。撮影は7月1日予定通り行った。彼の遺作になってしまった。中止だと思っていたが、その日を逃すともう撮影する機会はないだろう、というビデオクラブの仲間の提言により実現した。しかし、迫力不足になったのはどうしようもない。

彼は、以前いた会社の上司とうまくいかず、かなり重い鬱病に罹ったことがあるという。その原因がなくなった途端に躁に逆転したと自分でもいうほど、明るく社交的な性格になった。同級生は「はしゃぎすぎだ。もっとのんびり生きたらどうだ」と何回も忠告したらしい。転職して夜勤になってからも、ゆっくり寝ていることができないほどやりたいことが一杯あった。夜中に打った最後のメールには、「急ぎますので、これで失礼」と書いてあったそうだ。軽いフットワークとネットワークで様々な人やグループを繋げた貴重な存在を亡くした。安曇野アイガモ会にとっても、会の存続にも関わる出来事である。それにもまして、一番の飲み仲間を亡くした。まだ実感が涌かない。「今夜あたり、飲みに行こうぜ」という電話が今にもかかってきそうな気がするのだ。


思わぬ朗報(07.6月)

 最後までみすぼらしい苗だったがなんとか田植えを終えることができた。今年は無農薬の田んぼは5枚で合計1町2反。2枚が蓮華鋤き込み。2枚がコヌカと木酢。残りの一枚がアイガモ農法の予定である。蓮華とコヌカの田は様子を見て動力除草機を押した。コヌカの田は今のところ順調である。どちらも稗が多くて困っていた田であるが、コヌカと深水でかなり抑えることができた。除草機を早めに押したこともよかった。除草機を押したすぐ後で深水にしながら、2回目のコヌカをミストで撒いた。粒状のコヌカを買っておいたはずだったが、どこで間違ったのか、もち米が入った袋が一つあった。家に取りに行くのも面倒だったので、そのまま撒いたら意外な現象が起こった。もち米を食べに野生の鴨が20羽くらいやってきたのだ。大人の鴨なので除草効果も大きくかなり雑草が減った。なんと天然のアイガモ農法になってしまった。稲まで食べられてしまうのではないかと心配したが、それほどの悪影響はなかったみたいだ。稲がしっかりと根付いていたから良かったのかもしれない。これは面白い発見であった。くず米などがたくさんあればできる野生カモ農法である。網も電気柵もやらなくていいからずいぶん楽である。

 蓮華鋤き込みの田は、ちょっと心配な様子である。昨年の失敗から今年は5月初めには蓮華を鋤き込んで水を入れて代をかいた。農文協の「除草剤をつかわないイネつくり」によると2週間前に代にしておけばいい、とあったからだ。しかし、やはり昨年と同じように田が沸いてきて、イネが根付いてくれない。引っ張るとすぐ抜けてしまう。根は茶色に変色している。白い綺麗な根が少ない。早速、水を切って除草と酸素補給をかねて除草機を押した。酪酸臭をともなうガスがかなり出た。やはりこのガスの影響でイネの根がやられたのだ。当分は水を少なめにしてコマメに除草機を押すしかなさそうである。などと考えていたら、風邪をこじらせて寝込んでしまった。田植えの時期、育苗の失敗もありストレスが溜まったためか、肩から首、歯まで痛くなった。それを10日くらい痛み止めの薬を飲んで抑えていた。田植えが終わったら痛みはなくなったが、風邪を引きそれが胃にきてしまった。おそらく薬の飲みすぎだろう。3日間ほとんど何も食べられなくなった。この忙しい時期にほとんど動けなくなった。仕方なく医者に行って注射と点滴を打ってもらった。翌日からはなんとか動けるようになった。

 おかげでアイガモの田が随分遅れてしまった。稗の少ない田を選んだので、少しくらい遅れてもあまり心配ない。コナギなどの葉っぱの大きな草はほとんどカモが食べてくれるからだ。ただ小屋の中に長くカモを入れておくと弱い雛になってしまうので、できるだけ早く出したい。友人に手伝ってもらってなんとか網を張ることができた。

 梅雨の合間に大豆を蒔く準備をして、小麦を刈り、トマトの除草などをこなして二回目の除草機を押す予定である。田んぼの状態次第ではアイガモを放す田を増やすことも考えている。7月中旬ならばもうテグスを張る必要もない。網だけでできるかもしれない。多少キツネにやれてもいいように少し多めに雛も買ってある。多少大きめの草も、その頃のカモならあっという間に食べてくれる。最後の切り札である。当分こんなハードな毎日が続く。体重が2〜3キロ減ったのだけは思わぬ朗報である。


土地の生き方(07.5月)

 どうも苗作りがうまくいかない。毎年のことだが悩みは深い。苗がうまくいかないと今年の稲作りも苦労することになりそうである。苗作りを無農薬に切り替えて7〜8年になる。その前は苗作りに苦労したことはほとんどなかった。近所でも評判のいい苗を作っていた。一体何が違うのだろうか。昨年までは芽出しが終わった時点でビニールを取るのだが、一週間以内に取らなかったので苗が蒸れてしまったからだと思っていた。今年は一週間でビニールを取ったがやはり立ち枯れが出た。これはもう土を入れ替えるか、苗間の場所を変えるしかないかなあ・・・と思っていた。農協の技術員や県の普及員に見てもらって、ようやく少しわかってきた。農薬を使っていた頃は、芽出しが終わったらダコニールという殺菌剤を撒いていた。それを止めてから苗が立ち枯れ状態になって成長が遅れるようになったのだ。立ち枯れの菌は色々あるが、どんなところにもある菌でなくすことは難しい。S君の自然農法の苗にも少し出ていた。苗間の場所を変えても無駄なのだ。ただ、ほとんどが畑状態で発生する菌なので水を張りっ放しにしておくと発生しなくなるらしい。プール育苗というのがはやりであるが、これは立ち枯れ病の菌を抑えるためだったのか!・・・とようやく気づいた次第である。この7〜8年の苦しみは一体なんだったのか。プール育苗がいいという話は聞いていたが、理由がよくわからないのと家の田植え機は乾田育苗を基本としていて苗間の水持ちもあまりよくないのでなかなかやる気になれなかった。これで理由もわかったので来年は試してみよう。しかし、プール育苗とカタカナで言えばなにか新しい育苗方法かと思うが、実際は、昔の農家なら誰でもやっていた水苗代のことである。発芽後は苗代に水を常に張って、苗取りも水の中でやっていた。大きくていい苗だった。今でいう4.5葉以上の成苗である。これらの昔の農家が普通にやっていた技術が近代農法の普及によって忘れられてしまったのだ。種籾の温湯消毒もその一つであろう。有機農法と言っても昔はだれでもやっていた普通の農業のことなのである。こう考えるといかに農薬や化学肥料や機械に頼った近代農法が罪深いものかがわかる。昔の農法に戻るといってもすでにほとんど忘れられている。古い農書などを頼りにするしかないのだろうか。

 これと似たような話をテレビで見た。モンゴルでは中国の定住化政策によって羊を引き連れた遊牧から柵によって囲いこまれた土地での放牧に変えられた。羊たちは草を食べ尽くすと移動できないので、草の根まで掘り起こして食べてしまうようになった。移動ができれば草はまた伸びてくるが、根まで食べられてはもはや何も生えてはこない。こうしてモンゴルの砂漠化が急激に進行しているという。これは黄砂などで日本にも被害をもたらしている。定住化政策は日本などの羊毛の需要に応えるためでもあるから日本人にも無関係とは言えない。土地には土地にあった農法や生き方があったが、経済のグローバル化によって世界中で破壊されつつある。どうしたらこれを食い止め再生させることができるのだろうか。


幸せってなあに(07.4月)

 味噌作りの真最中である。今年は自家用の醤油にも初挑戦する。豆を煮るところまでは味噌と同じだが、米麹ではなく小麦を炒ったものを加えて麹菌で発酵させる。醤油専用の菌があるというので少し貰った。発酵には味噌と同じで二日半くらいかかる。この期間の温度管理が大変であるが、市の農産物加工所にある発酵機でやるのでなんとかなりそうである。できた諸味を家に持ち帰って塩水を加えてよく混ぜる。時々撹拌して一年から二年管理した後、絞って醤油になる。気の長い話である。

 しかし、その醤油作りが今密かなブームになっているらしい。信州新町で90歳まで醤油絞りをやってきた人が晩年後継者を作るために会を立ち上げたらしい。それがいつの間にか200人を超える会員を抱える組織になったらしい。そこは諸味までは会でやってくれる。それを会員が買って一二年自分で管理する。絞るのは技術班が回ってやってくれるそうだ。私の場合諸味作りから自分でやってみたいということである。もちろん、大豆も小麦も自分で作りたいが、小麦はしばらく休んでいたので今回は友人から買った。

 何でもお金さえ出せば買える時代になぜこれほど手間の掛かる醤油作りがブームになるのだろう。遺伝子組み換え大豆に対する恐怖や抵抗といったものばかりではないと思う。そこにはお金には換算できない達成感や満足感があるような気がする。作る喜び、世話をする喜びみたいなものかも知れない。毎年うまくいくとは限らないし、失敗もあるだろう。それでも自分でやりたいと思うのだろうか。そんな事を考えながら味噌作りをしていると幸せとは一体なんだろう・・・と思ってしまう。自分で食べるものを自分で作る幸せとか安心感なのだろうか。それは地域でまかなえる安心感とは違うものなのだろうか。

しかし、幸せもお金も蜃気楼のようなものではなかろうかとも思う。追えば追うほど遠くへ逃げていってしまう。アメリカンドリームというのは、まさにこの蜃気楼のことではなかろうか。反対に不幸というのはけっこうはっきり見えるものである。以前、菅直人が党首だった頃、民主党は「最小不幸社会の実現」を公約としたことがあったが、これは幸福とは何かという意味においてはけっこう的を得た公約と言えないこともない。自分の不幸はもちろんいやだが、人の不幸も知ってしまえばけっこう気になる。なんとかしてあげたいという思いは誰でも持つのではなかろうか。

そこで、またまた基礎所得保障の話になってしまう。最近はこの事で頭が一杯である。なんとか実現したいが、これは超党派でしかも説得力がないとなかなか難しい。「金は天下の回り物」ということを判って貰えさえすれば誰でも賛成できる政策だと思うが、なかなか議論も出てこない現状である。会を作って学習会を開きたいとも思っているが、自分に超党派的に人を結びつけたり、会を運営してゆく能力や時間があるとは思えないのだ。せいぜい打ち上げ花火の講演会で終わってしまう。それでもやらないよりはまだましか・・・となやんでいるこの頃である。


FEC自給圏(07.3月)

 長野県の新規就農者支援のための里親制度で、私の研修生であるSさんが先日結婚した。手作りの結婚式で何ヶ月も前から用意していた。会場は松本の市民会館でおやおやのすぐそばである。料理は手作りなので会場費と食器の借り賃が主な出費だという。結構安くあがったようである。おやおやでネクタイを締めさせてもらって出かけた。久しぶりのスーツとネクタイである。祝辞を頼まれたが、これは初めての経験である。小諸ですでに何年か自然農の研修をしてきたSさんなので、小諸からの農家も結構いたようだ。

 料理は自分で作ったお米のおにぎりや小麦のパン、友人・知人から提供してもらったアイガモの肉や鹿肉などが出た。鹿は女性猟師と一緒に山に狩りにいったという。アイガモは小諸の農家から貰ったものを我が家で解体した。さすがに美味しいものばかりであった。料理もプロの友人に頼んだというから人脈もかなりありそうである。引き出物も黒米や餅、手作り石鹸、手作り花炭、クッキーなどの心のこもったものばかりであった。式も披露宴もお世話になった人に感謝を込めて自分達がもてなすもの・・・というしっかりした考えを持っていた。大したものである。

 里親といってもしっかり者のSさんに農業面で教えることはほとんどなかった。それに彼は自給が主な目的の自然農であり、私は村の高齢化もあり、多少面積もこなさなくてはならないので、農法も違うものにならざる得ない。朝早くから夕方まで、とてもこまめに働く若者である。二反ほど任せているが、近所の農家の評判もとてもいい。近くの荒地も頼まれて作っている。

彼女は看護師で女優の「かりな」に似た美人である。プロフィールを見ると二人ともチャレンジ精神が強いのか、海外で様々な体験をしている。

 しかし、祝辞とは難しいものである。一晩悩んで考えたがうまくいったとは思えない。時間を気にしながら話すと早口になってしまい、最後は自分でも何を言っているのかわからなくなってしまった。それでも普通の結婚式と違いみんな最後まで静かに聞いてくれた。三時間あまりの披露宴も、そんな感じであっという間に過ぎていった。

要旨は経済評論家・内橋克人さんの「これからはFEC自給圏の時代」から引用させてもらった。Fはfoodで食糧。Eはエネルギー。Cはケアーとコミュニティーを意味している。どれも人間が生きてゆく上で欠かせない基本的なものである。それが市場経済の論理で分断・対立させられてしまった。日本はその最たる例で、食糧もエネルギーも外国まかせ。若者を首都圏に取られた地方は高齢化で、自治体の収入は激減。バタバタと破産するのも時間の問題。東京は東京でコミュニティーがほとんどない社会になった。棄民列島である。能登の地震の様子を見ても、避難所にいるのはほとんどが高齢の人ばかりであった。地震列島・棄民列島を救うには、もはや首都圏を除く人々への所得保障制度によって、人口を分散させるしかあるまい。ここまで話した訳ではないが、後で信大の経済学部教授が挨拶したので、とんだ冷や汗ものであった。


我が家の現実(07.2月)

 毎日コンバインの解体をしている。昨年中古だが新しいものを買ったので、計4台あった。コンバインはよく故障するので、2台以上はあった方がいい。故障すると刈り取りが数日間できなくなってしまう。だから古いものを出さずに取っておいたら4台も溜まってしまった。そのうち2台はほとんど使えなかった。一台は使えないこともないが、バックができないので、稲刈りにはかなり高度な技術を要する。とにかく前進あるのみ・なのである。特に難しいのが角をどう曲がるかである。しょうがないので、角は大きく曲線を描いて回るしかない。もう一台はバックも前進もできるが籾をふるい落とすことができないので、中にどんどん溜まってしまう。溶接も頼んでやってみたが、手の届かない奥なのですぐだめになった。邪魔なので二台とも解体して処分することにしたのだ。幸い今、金属類はただで引き取ってくれる。長野市まで行けば買い取ってくれるところもあるようだ。

 解体といってもけっこう大変なので苦労した。古い小型タイプのコンバインでもおそらく千以上の部品からできていると思われる。ねじだけでバケツ一杯溜まってしまった。解体するのがこれほど大変なのだから設計や組み立てはもっと大変なのだろう。どのくらい大勢の人が関わっているのか想像もできない。一台はエンジンとキャタピラを残して動力噴霧器を載せた。刈り取り部の油圧で上下するところも残した。これは鉄板を付ければ雪かきに使えそうだ。まあ、今年のような天気が続けば雪かきもそう必要ないかもしれない。

 結局、軽トラで6〜7台鉄くずを運ぶことになった。ついでに古い自転車や40年も前の脱穀機も始末した。我が家は親子三人揃って「片付けられない」症候群なので、いらないものが溜まる一方なのだ。十年もの間、溜まりに溜まったトマト用のビニールマルチもようやく昨年の暮に始末した。これも軽トラ山盛り一台あった。処分料金も五千円以上かかった。20年間使ったウッドボイラーから出た灰も山積みになっていたので、少しずつ袋につめて出している。建築廃材をよく燃やしたので、釘がたくさん混じっている。それを取り除きながらなので時間がかかる。モンゴル製の風力発電機も使えなくなってもう五六年になるから始末しなければならない。納屋の片付けもやりたいが当分そこまで手が回らないだろう。

 こんな感じで毎日片付け仕事である。農家の仕事とはだいたいこんなものかもしれない。家の仕事と農作業は繋がっていてはっきりとした境界はない。それにしても、よくこれだけいらいないものばかり溜まったものである。家の中も同じようなものである。本だけも一部屋分はあるだろう。それがだらだら雑然と山積みされているのだ。

 農村はどこの家も高齢化が激しいが、我が家もそうである。農作業が始まると片付けなどやってはいられない。最近は「農業が好きで、整理整頓が得意なお嫁さんいないかなあ」と、愚痴をこぼしている。「そんな夢のない話には誰も乗ってこないよ」と言われるが、それが我が家の現実なのだ。


人はパンのみにて生きるにあらず(07.1月)

 新しい年が始まって一ヶ月が経とうとしているが、今年はどんな年になるのだろう。まず、心配なのがアメリカかイスラエルがイランの核施設を攻撃する可能性が高まっていることだろう。イラクでさえ泥沼に嵌まってベトナム戦争の二の舞になろうとしているのに、何故イランまで攻撃しようとするのかわからない。米国内でももちろん世界的にも反対する意見の方が多い。イスラエルに操られたネオコンにアメリカは乗っ取られたのだという話も頷ける。もしイラン攻撃が現実となれば、中東は全面的に戦争状態になってしまうだろう。原油のほとんどを中東に頼っている日本は大混乱に陥るし、世界中大変なことになるだろう。

 こんな危険を犯してまで何故アメリカとイスラエルは強硬な態度を変えないんだろうか。おそらく、両国ともかなり追い詰められているのだろう。アフガンではすでに米英は敗北したといっていいし、イラクでも米軍はバクダットに閉じ込められたも同然である。イスラエルも移動ゲリラ部隊に敗北している。もはやどちらも勝ち目はなくなっているのに、まだ古い国家間戦争の軍事戦略に固執している。すでに国際法上は国家間の戦争は違法となっているし、それを前提とした軍事戦略も意味がなくなってきた。中東からアフガンの状況はそれを如実に表している。イスラエルとすれば中東が混乱している限り生き延びられるという発想なのかもしれない。アメリカや世界がどうなろうとお構いなしと言ったところか。

 新年からこんな話題を持ち出したくないが、中東危機は即この国の経済の破綻に結びつくので一応最悪の事態も想定しておくことも必要だ。もちろん、こんな事態にならないに越したことはないが、私達は油上の楼閣に住んでいることはいくら強調してもいいだろう。それに温暖化の影響やオイルピークの問題・中国やインド・ロシアの急激な工業化と化石燃料の大量消費を考えるといずれはやってくる危機である。いつまでも目を背けていることはできないだろう。違いは中東戦争のような急激な変化によるものか、それとも世論と民主的政治変革によるソフトランディングかという二つの道しかなさそうである。田中康夫も負けたので、後者の可能性はこの国ではほとんどないと言っていい。それならばなるべく早く石油中毒から目覚めた方が将来の世代にはよほどいい。

 と書いたはいいが、この原稿も石油ファンヒーターで暖房した部屋で書いている。近くの本屋に行くのにも車を使っているのだから矛盾も甚だしい。私も石油中毒患者の一人であることは言うまでもない。農業も機械化されて石油なしではやっていけない。食糧危機も現実味を帯びてくる。戦後の日本は曲りなりにもエネルギーの70%を自給していた。マタイ伝にイエスが40日間の断食をした時、悪魔が囁き「お前が神ならばそこにある石をパンに変えて食べればいい」イエスは「人はパンのみにて生きるにあらず」と答えたという話がある。戦後の日本はまさしくこの悪魔の囁きに答えて石油をパンに変えることで生きてきたのだ。


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