ゆういちろうのページ 2013

トップ  読み物・目次  ←2012

断食(2013年12月)

 初めて本格的な断食をした。11月上旬の金曜から水やお茶だけで日曜の昼まで何も食べなかった。断食後の一週間、肉・魚・甘い物・お酒などの刺激物抜きの食事をした。以前からやりたいと思っていたが、実家ではとても理解しては貰えないので半ば諦めていた。結婚して別に暮らせたから出来た事である。また、尚子さんも信州に来てから何回か断食をしていた。今回も付き合って一緒に行ってくれたし、断食後のメニューも考えて貰った。良き理解者に恵まれたのも幸運であった。
 糖尿病になってから食事に気を使ったり母にも協力してもらったので、一旦はよくなったが冬の間に元に戻ってしまったり血糖値も測らなくなったりでまたかなり上がっていた。断食で胃の大きさや体質を変えなければ治らないのではないかと思ってはいた。本当は糖尿病の人は低血糖になったりして危ないので断食を受け入れて貰えないらしいが、春から食事療法や山登りなどの運動をしたり日曜にはよく一日断食もしていたせいか血糖値はほとんど普通に近かった事もあり受け入れて貰えた。松本では本格的に受け入れてくれる団体があるらしいが、今回は穂高の民宿で毎月泊りがけでやっている所にお願いした。人数は7〜8名でリピーターがほとんどだった。できれば半年くらいの間に三回以上やると効果が出るらしい。農家なので11月からの冬の時期しかできない。
 血糖値の測定器持参で参加させて貰った。また、低血糖になった時のために私だけ特別に酵素ジュースを用意して貰った。なんと初日は血糖値は上がったが、その後次第に下がり日曜の朝には80台にまで下がった。少しフラフラして気分も悪かったので酵素ジュースを飲ませて貰ったらすぐ回復した。二泊したが主に座禅を中心にした規則正しい生活であった。食欲はあまり気にならなかった。だいぶ糖分を体内に溜め込んでいたんじゃなかろうか。しかし、体重も2キロくらい減っただけでほとんど変わらなかった。日曜の昼には大根を煮たものを汁と一緒に梅干を添えて大量に食べる。するとすぐ催して便が一気に出てくる。これがいわゆる宿便と言われているものらしい。皆で一斉にトイレに駆け込むのでトイレが足りなくなりそうだった。
 断食一回目の感想としてはかなり体が軽くなったような気がする。血糖値も10単位は下がってほぼ普通の人のレベルである。お酒を一週間も絶つ事ができるとは思わなかったが意外と平気であった。好きというよりストレス発散だったかも。血糖値もストレスが多い時ほど高いような気もする。もうじき二回目の断食である。いくつかの忘年会も欠席させて貰う事になりそうだ。実家には内緒なので言い訳が大変だ。 
 さて、国会は秘密保護法案とやらで大変な騒ぎになっているようだ。議会制民主主義や選挙など、ほとんど意味のないどころか誰も責任を取らない体制である事が露呈している。原発もそうだし地方の第三セクターの失敗なども首長や議員が責任を取って賠償したという話は聞いた事がない。責任を取らないなら様々な権限や決定権も与えるべきではないだろう。

心の隙間?(2013年11月)

 アイガモ解体の真最中である。今年は300羽前後いる。解体施設ができ津村さんが色々機械を揃えたのでかなり効率がよくなった。小さな施設だがちゃんと販売ができるように設計されている。保健所の許可も取ったそうだ。しかし、これからどうやって運営していけばいいのか?はまだ決まっていない。解体費用は一羽1000円くらいだが何羽くらいやれば施設が維持出来るのか?プラスどの位引き受ければ何年で費用を回収できるのか?そのためにはどうすればいいのか?数年やってみないとわからないのかもしれない。一羽だいたい3000円位で販売する予定だがあまり利益がでる訳ではない。雛の購入代金が500円・解体料が1000円。11月まで池で飼う餌代などが500円。狐や鷹にやられたり病死する鴨も結構いるからほとんど原価だろう。しかし農家はアイガモ米が無農薬でできればいいという人も多い。安全な鴨肉が自給できればいいという人もいる。要らなかったり余った鴨を安く買うのか貰うのか?お互いうまく行く方法はあるのだろうか。池で飼う鴨の餌も足りなくなってきている。解体施設という大きな夢はかなったが新たな課題も増えている。鴨肉の売れ行きが良ければ少しずつ問題は解決していくのかもしれない。美味しくて安全だが臭いが強いので鴨料理を知っている人がどのくらいいるのかも気になる。
 収穫は黒豆・大豆・蕎麦が残っている。大麦と小麦の播種も終わった。黒豆の後に鴨の餌用にもう少し麦を撒きたいがかなり遅れそう。日が短くなってあまり仕事も出来ないし。
 有明の家の庭に小さな小屋を建てる計画が始まっている。数人泊まれる程度のささやかな農家民宿をやるのが尚子さんの夢だったので、それがいよいよ始動したのだ。まだ設計の段階だが雪が降る前に庭を片付けて置きたい。ムクゲの垣根を切ってマキ置き場にしたり、スティール製の物置を分解して実家に運んだりする予定である。ホルヘに手伝って貰えばなんとかなると思うが農作業の進展次第という所である。
 尚子さんと出会ってから一年が過ぎた。全く想像もできないくらいに生活環境も激変した。色んな事を一緒にした。低いが山にも何度も登ったし、糸魚川にも旅行に行った。コンサートを聴いたり絵を見たり。皆それなりに楽しい思い出である。性格や考え方もお互い判ってきたようだ。同年代だし価値観も話題もだいたい共通している。私はほぼ満足しているし幸せ者だと思っている。たまには口喧嘩もできるようになった。主な理由は私はなるべくグータラ生きたい方だが、尚子さんはやりたい事が一杯ある。遊ぶ事には貪欲なのだ。それは良いことだし、こちらも楽しませてもらっているが、あまり多過ぎるとついて行けなくなる。ダンスは恥ずかしくて出来ないのだ。
 冬に向かってダブルの布団を買った。二人とも背が大きい方で足が出てしまうし、布団の隙間が冷たいからである。このダブル布団が大変暖かくて快適である。シマちゃんも真ん中に入ってくるので川の字で寝ている。布団の隙間がなくなったからきっと心の隙間もなくなるだろう。

切れた伝承(2013年10月)

  天気が続いたので稲刈りは快調に進んだ。心配していただいたテニス肘は回りに助けて貰いなんとかなった。9月中にコシヒカリとササニシキが刈り終わる。こんなに早くうるち米が終わるのは初めてである。昔は10月から刈り始めていたから半月早くなった。早く刈らないと乾燥しすぎてお米が割れてしまう。温暖化の影響だろうか。
 酒米も刈り終わり籾摺りをして出荷するだけになった。後は自家用の餅米を残すのみである。あまり天気がいいので仕事は順調に進むが体は疲れる。
 気分転換を兼ね東京に行って来た。尚子さんの水彩画が同人の展示会で入選したので上野の都美術館まで見に行ったのだ。絵の事は全くわからないが、うまい絵を書く人が大勢いるらしい事はわかった。あの広い美術館が様々な団体の展示会でほぼ埋まっていた。初日はトマト専門店で、翌日は自然食品店で昼食を食べ一泊で帰ってきた。よく歩いた。尚子さんは地下鉄が嫌いなのでJRを使った。昔は高層マンションに住んでいた事もあったらしいが、ある日突然その高さが不自然に思えて暮らせなくなり田舎志向になったみたいである。地下深く走る電車にも違和感があるようだ。原発もそうだが地震大国には合わない技術が多過ぎる。安曇野でも広域下水道を推進しているが大きな地震がくれば一発で終わってしまう。農村には必要のない技術である。雇用の確保と経済成長のためなら見境なくなんでもやるという事だろう。労使合作の虚構大都市東京はその象徴だ。稼ぐにはいいがとても危険で住みづらい。しかし、一泊したホテルは根津の閑静な住宅街にあった。古い街並みも残っていて落ち着いた雰囲気の町だった。また、夜の繁華街のネオンにはどうしても誘惑されてしまう。お義兄さんに居酒屋に連れて行って貰い楽しく美味しい時間を過ごせた。
 無農薬のお米は毎年少しずつだが良く出来るようになってきた。雑草対策が一番の問題だが、合鴨農法はかなり省力化できるようになった。無肥料無農薬の田も一ヶ月前からの代掻きでだいぶ雑草を減らす事ができた。十日置きくらいで三回代掻きをしたらヒエはほとんど退治できた。除草も一回機械で入っただけでなんとかなった。遅くに発芽した雑草もあったが稲より大きくなるものは少ない。また、サブソイラーという鋤をトラクターで引っ張るようなって数年経つが次第に土が良くなっている気がする。これはトラクターで踏み固められた硬い土の層を砕くためである。根が深くまで張るし水はけも良くなる。まだ様々な小さな工夫を積み重ねてきているが、とても書ききれない。その内時間があれば記録しておきたいものである。何しろ我が家は後継者がいないので失敗を重ねた貴重な体験を伝承する事が出来ない。有機農法の歴史は戦後の工業化の中で一度断絶している。各地域に合った独自に積み上げられた農法が切れてしまった。土壌を分析して足りない肥料を投入して農薬を使えば沢山取れるという発想はまさに工業だ。工業化自体は良い悪いという問題ではないが、その発想を何にでも当てはめるのは悪い事だ。肥料を全くやらなくても作物は毎年出来る。

パワー・トゥー・ザ・ピープル(2013年9月)

 ホルヘのおかげでトマト取りはほとんど終わった。8月初めいよいよトマトを取ろうとした頃、テニス肘とかいうのになってしまい、重い物が持てなくなってしまった。テニス肘というのは腕の腱を伸ばしたままで重い物を持ったり腕をひねったりするとなるらしい。腕を曲げていれば筋肉が腱を守ってくれるが、テニスで腕を伸ばして打ち返す時などは腱をよく痛める事からそう呼ばれている。おそらく冷凍庫を運んだ時に狭い入口から無理な体勢で入れた時にやったのだろう。20キロのトマトの箱が持てなくなった。時にはコーヒーカップでさえ持つと痛く感じる。トマトの運搬は尚子さんに手伝って貰った。左手だけで持っていたので今度は左手まで痛くなってきた。その内背中や肩まで痛くなった。治すには休ませるしかないようで何ヶ月あるいは数年かかる事もあるらしい。重い物は持たないように気を付けて休ませるしかない。だいぶ良くなってきたが、これから米袋30キロを運ばなくてはいけない。しかもホルヘが他の仕事でいなくなってしまう。こんな時は悪い事が重なるようで、我が家のトラクターが春にダメになったが今度は本家のトラクターが故障してしまった。コンバインを運べない。近所から借りられそうではあるが、トラクターをなんとか手に入れないとこれから何も出来ない。
 今年はいい事・楽しい事も一杯あったが悪い事もかなりあって釣り合いが取れている。まあ人間、中くらいな幸せになるように出来ているのかもしれない。
 そんな状況で稲刈りが始まるが、どうなることやら。幸い稲は近年になく出来がいい。
 それから安曇野市は市長と市議会選挙が今月末からある。私はとても動けないが、純子さんの他に市民派の若者も出るのでなんとか当選して貰いたいものである。市長選はほとんど関心がない。一応選挙にはなるが二人とも古い考え方の候補である。新市庁舎や産廃施設の建設に対してはあまり政策に違いはなくどちらも推進に見える。態度を鮮明せよとか反対せよ、という訳ではない。本当に必要ならば住民投票などで皆で議論して決めればいい。「みんなで決めよう。みんなで創ろう」が民主主義や自治の原点だと言いたいだけである。そういう意味ではもう議会制民主主義や選挙・政党というのは廃止した方がいい。戦争や原発を初め悪い事はほとんどパワーエリートと呼ばれる人や集団がやって来た。政治権力者や集団を作ると必ず悪い事をするというのが近代の悲惨な教訓ではなかろうか。ジョン・レノンの歌に「パワー・トゥー・ザ・ピープル」というのがある。選挙は全く正反対で権力エリートを作ってしまうものではないか?
 その点で参考になるのはやはりスイスである。事、政治に関しては権力エリートや集団を作らないように配慮されている。スイスの首相が誰かなどほとんど知られていない。一応選挙もあるし議会や首長もいるが、最終的な決定は住民投票や国民投票で決める。勿論まれに選択を誤る事もあるがそれはすべて国民や住民自身に跳ね返ってくる。政治学習と成長の機会となりうる。

偉くて悪い奴ほどよく眠る国(2013年8月)

 燕岳はやめて美ヶ原に登ってきた。
その前に光城山と長峰山に何回か登った。どちらも往復約2時間で標高差300m位である。その結果まだ燕岳に登るには二人とも体力不足だと判断して美ヶ原に変更した。しかし、美ヶ原も三城から登れば往復4時間以上かかるし、標高差も600mくらいはある。長峰山の倍である。しかも、梅雨が明けたのかどうかアヤフヤな天気である。従兄弟に先導してもらってなんとか登る事が出来た。曇っていて見晴らしは良くなかったが、それなりに高山植物の花が咲き蝶が舞っていて山に登った気分には充分なれるいい山であった。二人とも登りより降りがかなりキツく着いて行けなかった。
 登山者はやはり中高年が多いが、美ヶ原は山ガールも結構いた。光城山より初心者が多いような気がする。光城山はどうも登山の訓練コースになっているようで、かなりレベルの高い人が来ているように思う。傾斜もキツイ。70代・80代と思える人も見かけるがかなり早く歩いている。あっという間に抜かれてしまう。登山は年齢に関係ないようだ。アスリート系の若い男女もいて走って昇り降りしていた。最近は山を走る競技もあるという話を従兄弟から聞いた。夕方には会社帰りと思われる男性が慣れた歩調で登っていった。いつか山をすいすいと走るように昇り降りできるようになりたいものである。今のところは休みながらゆっくり楽しんで登れる山を探している。春先高かった血糖値もみるみる下がった、特に登山の後はかなり下がる。尚子さんの野菜中心の食事も美味しくつい食べ過ぎてしまうが健康的な毎日である。最近はラタティーユとかいうトマトを使った煮物が大変美味しい。
 作物も近年になく順調に育っている。一部手が回らずに草だらけになっているのでもう少し面積を減らした方がいいかもしれない。稲は特に順調で網から電気柵に替えて、田植え後すぐにカモを入れられるようになったので草はほとんどない。解体施設も出来たので多めに雛を購入したら草だけでなく稲まで少し無くなるくらいの威力である。無施肥の田んぼも一ヶ月前からの代掻きをやってみた。これもかなり効く。特にヒエはほとんど無くなった。除草機を一回入れただけでなんとか稲になった。品種もコシヒカリを減らしてササニシキを増やした。若干穂が出るのがササニシキの方が早そうで飛び穂が見えてきた。分けつや根張りもコシヒカリよりいい感じである。味はコシよりあっさりしていて寿司などによく使われるらしい。
 トマトもいよいよ収穫が始まった。昨年は青狩れ病で壊滅的だったが、今年も若干出ている。黒と透明マルチを比較してみたら透明の方には青枯れは出なかった。かなり温度が上がるので殺菌効果があるのだろう。雑草も多くはない。豊科の加工業者が倒産してまた新潟の津南まで4トン車で運ぶ事になって大変だが、生産者もお客も増えている。新婚生活も快適であるが、やはりフクシマは気になる。海の汚染はもはや手が付けられないようだ。それにしても権力者ほど責任を取らないこの国のあり方を根本から変えるにはどうしたらいいのか?

遊ぼう(2013年7月)

 山は越えたので山へ登ろうと思う。越えたのは農作業の山である。カモさん達も無事田んぼに放し日々大きくなっている。稲も植え終わりこちらも順調である。トマトも昨年のような大病も今の所なくホルヘのおかげか草もあまりない。麦も収量はあまり多くはないが一日で刈り終わった。後は大豆と黒豆を撒くと一息入れる事が出来る。
 さすがに一番忙しい時期は一週間くらい矢原の実家で過ごした。尚子さんとはメールで連絡を取りあってトマトの土入れなどの手伝いに来て貰った。郷ひろみの古い歌「よろしく哀愁」を口ずさみながらトラクターで代掻きをした。「会えない時間が愛育てるのさ、目を閉じると君がいる♪」
 目を閉じて運転していた訳ではないがトラクターを壊してしまった。オヤジが中古で買った40年物の古い奴である。誰かトラクターくれないかなあ。
 登るのは燕岳の予定である。従兄弟が退職してから毎週のように山に登っている。4月に結婚の挨拶に行った時そんな話になった。尚子さんも登りたい?と聞くと目をキラリと光らせて頷いた。遊ぶ事には貪欲なのである。だんだんと判ってきたが、尚子さんの基本モードは遊びなのだ。何でも遊びの感覚でやってみたいのである。野良仕事も水彩画も陶芸も料理も基本は遊びゴコロでやり始めるみたいなのだ。まあ、私も同じようなもので正直ブラブラ遊んで暮らしたい人間なのである。世間ではなかなか受け入れて貰えないので仕方なく忙しくして見せているだけなのかもしれない。
 そんな夫婦なので野良仕事の山を越えると直ぐ遊びモードに切り替わるのである。栂池や軽井沢・小川村にも行きたい。登山もしたいし、温泉巡りもしたい。次々と遊びのアイデアが出て来るのである。と言っても、微妙に違うのが面白いところである。私の場合はグータラ・だらだら・グビグビしたい保養タイプの遊びなのだが、尚子さんの場合は観光タイプで「行ってみたいな他所の国」みたい乗りで興味のある事が一杯あるみたいなのだ。これは沖縄でもそうだった。私が昼間から酔って寝ている内に尚子さんは島中を探検して生き生きとした顔をして帰って来るのである。
 この微妙な違いが夫婦喧嘩というか論争の種になる事もある。尚子さんの場合は自分が楽しく幸せに生きる事が周りの人々にも伝わって世の中が幸せになる、という考え方である。変革の主体は自分自身なのである。これは全くその通りで異論はないのだが、幸せ感に少し違いがある。尚子さんは幸せは常に追求する積極的なものみたいなのだが、私の場合は人間は本来生まれただけでも幸せなんだと思う。何が幸せかは人それぞれだし年齢によって変わったりする漠然としたもの。追求する物ではなく不幸でなければそれでいいと思う。そして不幸は誰にでもわかり具体的で減らそうと思えば減らす事が出来る。例えば貧困は明らかに不幸であるから最低所得補償制度でほとんど無くす事が出来る。
 まあ他所から見ればメオト漫才程度の論争かもしれない。とにかく新婚一年目は今年しかないのだから遊ぼう。来年も来年で二年目はその時しかないからもっと遊ぼう。

ホルヘ(2013年6月)

 今日は合鴨の雛が来る。まだ納屋の準備ができていないが、毎年の事で慣れているので大丈夫だろう。なんとなく仕事は回っている。手作り結婚式やらお祝いの食事会やら色々やって貰いとても楽しかったが、今年は研修生もいないので一人でどこまで出来るのか心配していた。彼女の尚子さんも翻訳の仕事が結構忙しかったし、友人が泊まりに来たり、古厩の家の近くの小さな畑や田んぼにもなかなか手が回らない状態であった。
 不思議なもので午前中だけだが毎日アルバイトに来てくれる人が見つかり大変助かっている。安曇野市在住の外国人の互助・親睦などを目的とした安曇野ハートネットという会があり、やはり小さな畑をやり始めた。その指導というかお手伝いを頼まれた。ジャガイモや里芋やサツマイモなど主になるべく手の掛からない芋類を植えた。そこで出会ったアルゼンチンの日系人ホルヘという40才前の働き者の男性が毎日来てくれるようになったのである。お母さんが子供の頃家族で南米に移住し、アルゼンチンの人と結婚してホルヘや兄弟が生まれたと言う。しかし、お父さんが数年前に亡くなり農場の後継者であるお兄さん以外は皆日本に来ている。勿論、日本語はペラペラだが、スペイン語・ポルトガル語・イタリア語・英語も話せるバイリンガルである。しかも、元プロのサッカー選手で長野パルセイロにもいた事があると言う。現役は引退したが小学生の指導など頼まれてやっている。しかも最近まで矢原の家の近くの蕎麦屋で蕎麦職人をしていたという全く多彩なというか怪しいというか変な外国人なのである。さらにはシルバーのネックレスなどを作って売ってもいる。尚子さんも以前クラフトフェアーで話した事もあるという。意外と有名な外見はほとんど日本人なのだが、実際は生まれも育ちもサッカー大国アルゼンチンという変な奴なのである。
 今は蕎麦屋が閉店したので夕方から豊科の飲み屋で働いている。午前中は私の所に来てくれ、午後はサッカーの指導や外国語の先生やアクセサリー作りなどで忙しい。実はホルヘは離婚して今はとても寂しい生活だという。子供に月一度逢うのが楽しみないいお父さんなのだが、趣味や興味が多過ぎるラテン系の軽い乗りの人間だから真面目な日本人の妻に見放されたのではなかろうか? 今は彼女を探しているが、なるべく優しくてお金のある若い人がいいとラテン系の乗りで言うのである。多趣味である以外はとても働き者で真面目で器用なのできっとその内彼女が見つかるだろう。特に私の周りでは最近結婚ブームである。婚活パーティーの流れもあるが、カップルがかなり増えている。
 婚活パーティー第一号の友人の披露宴が長峰山であった。かなりの雨が降る中、しかも野外でテントを張ってやった。ずぶ濡れになりながらも結構盛り上がり、皆踊り歌っていた。記録より記憶に残る披露宴だった。私達も精神障害を持つ人達を支える会でささやかなお祝いの会を手作りして貰い美味しく嬉しかったが、緊張と恥ずかしさで冷や汗がダラダラ出た。ホルヘとは違いやはりこういうのは苦手なのだ。

黄昏(たそがれ)シマちゃんと楽健な晩婚生活(2013年5月)

 寒い春だがいよいよ忙しくなってきた。果樹農家は霜の被害でかなり打撃を受けたそうだ。昨年は5月12日の霜で加工トマトがかなりやられた。毎年予測出来ない天気に振り回される。加工トマトの苗も寒さのせいかあまり元気そうには見えない。当分天候を心配しながらの育苗になりそうである。
 本当は農作業はほどほどにして晩婚生活を満喫したいところであるが、春から秋は作物や雑草に追われる。農家なので仕方がない。来年の冬には新婚旅行にどこか海外にでも行きたいと思っているので、その旅費をなんとか農作物の収入で捻出したいという気持ちもある。
 朝はパン食が日課になってきた。実はこのパンは私が毎日夕方から夜にかけて仕込んでいる。本家の従姉妹から貰った古い自動パン焼き器を再生して使っているが、実に簡単である。小麦粉やそば粉は沢山あるし、フスマもたまに入れる事もある。バターの替りにオリーブオイル。スキムミルクの替わりに有機無調整豆乳も入れたりする。ほうれん草やヨモギなど季節の野菜も入れる。発酵玄米や残りご飯も使える。
 菌は輸入イーストを使っていたが、最近は楽健法の本を買ったので、楽健寺の酵母を真似て彼女が作ってくれたタネで仕込む。タネ作りは多少手間が掛かるがこれがまた美味しいのだ。普通のパンとは全く違う食感と味わいがある。モチっとした蒸しパンに似た感じであるが、毎日具材が変わるので味も毎日違うのである。見た目も黒豆を入れた時は黒く、葉物を入れた時は青くなり楽しめる。ジャムも毎年かなり作るらしく色々な種類がある。
 楽健法の二人ヨーガも勿論毎日やっている。独身で一番悔しかったのがこの楽健法が出来ないことであった。交代で主に足で踏んで相手のマッサージをするので、一人では絶対できないのである。足や腕・首の付け根を重点的に踏む。家族でもあまりできそうもないので楽健法は夫婦が一番いい。踏まれる方は勿論だが、踏む方もバランスを取りながらかなりの運動になる。足や腕の付け根を踏むのは血行を重視するからである。これはかなり効いた。最初にやってもらった翌日の昼は猛烈な眠気とだるさに襲われた。揺り戻しだろう。糖尿にもいいらしくかなり血糖値も落ち着いて低くなってきた。なんとまあ、一挙に健康的でオーガニックな生活に転換しているのである。農作業に追われてなかなか身近な生活の改善にまで手が回らなかったが、おかげで美味しく健康的な暮らしができるようになった。
 たまに時間を見つけて二人で散歩に行ったりもする。気になる神社とか川辺とかがあると、その近くまで車で行って散策するのでかなり遠くまで行ける。今のところ近い場所でも歩くと意外と面白い発見がある。
 猫のシマちゃんはとても人懐っこい。知らない人が来ると喜んで擦り寄って行く。自分が話題の中心になるのが好きらしく、いつも目立ちたがる。夫婦でいちゃついているとわざと寂しそうな背中を向けて黄昏て見せるのだ。これがシマチャンのお芝居である事がようやく最近わかってきた。

変な猫と怪しい占い師(2013年4月)

 季節は急に春めいてきたが、私の生活も急激に変化している。毎日車で10分ほどかけて家に通勤しているのだ。というのも彼女の家が古厩(フルマヤ)という区で穂高の北側にある。我が家は矢原区で南端。3月から古厩で一緒に暮らし始めて入籍もした。彼女は数年前に引っ越して今の家を買って住んでいた。我が家は古くて狭いのでとても同居という訳にはいかないし、お嫁さんというストレスも考えればちょうど良かったと思う。昨年の10月末に知り合って3月末に入籍。5ヶ月の間に色々あり急な展開で周りには驚かれた。しかし、一番驚いているのは当の本人である。結婚できるとは思っていなかったし、その気もほとんどなかったのが今やデレデレ状態である。もっとクールな人間のつもりだったのに情けない。
 結婚は勢いでするものだと聞いた事があるが全くその通りだ。余計な事を考え心配をしていたらできないだろう。しかも二人とも50代半ばなので時間も多いとは言えない。共に知り合いや友人も多いが、あまり大きな事はしたくないので申し訳ないが親戚とご近所の挨拶だけにしたいと思っている。それだけでも結構大変だった。少人数の飲み会などの企画をしてくれる人もいるので、こちらはその内二人でお呼ばれして行きたいと思っている。「その内」というのにはちょっと意味がある。実は糖尿病の再発というか血糖値がまたかなり高くなってしまったからである。大酒飲みという私の正体を知った彼女が心配して、健康診断を受けないと結婚してあげないよ、という話になってしまったので、仕方なくこの際色々診て貰う事にしたら、早速血糖値が高いことが判明したという訳である。もう完全に尻に轢かれているのである。また、母に昔から言われていた睡眠時無呼吸の検査もしてもらった。自宅で簡単に検査できる装置がある。それに父の胆石が異常に多かったので私も超音波で検査して貰う事にした。近くの整体院にも行った。歯医者は9月頃から毎週通っている。暑かった昨年の夏以来、酒浸りで体がボロボロになっていたようだ。長年の不摂生もたたっているのだろう。今年はどうもゆっくりと体を調整する年になりそうである。幸い彼女もオーガニック系なので全く健全な食生活と暮らしぶりである。父は相変わらず肉と魚とお菓子の買い物が大好きなので家では健康な食生活はあまり望めないし、ついつい酒も飲んでしまう。
 婚活パーティーも続いているようだ。オーガニックとスピリチュアル系の女性が多いパーティーなので、そういう男性がモテるのだがあまりいない。また、何故か既婚の男女で参加したいという話をよく聞く。ひょっとしたら既婚者グループというのができるかもしれないが、一体これはどういう事なのか?それぞれ深い事情があるやもしれないが・・・。
 彼女は翻訳の仕事を家でPCを使ってやっている。絵画や陶芸など趣味も多い。時には占い師になる事もある。今年からは農業にも本格的に挑戦したいらしい。様々な顔を持ち、ちょっと怪しげな面もある女性だ。十年飼っている変な猫もいるのだ。

不思議な巡り合わせ(2013年3月)

 白銀の世界がいつまでも続きそうな日々である。25度を超える異常な暑さの八重山の冬から帰ってきた体にはちょっとキツイ。十日間かけて波照間・竹富・石垣島を回ってきた。学生時代から35年以上経っての再訪である。学生の時は西表・黒島・石垣島に行ったが、今回はまだ行っていない波照間と竹富でゆっくりできた。
 話は急展開であった。10月に婚活パーティーで知り合った彼女と蕎麦会の幹事をやった後お付き合いをしていた。何回か食事や映画を見たりして話している内に、冬の暇な時に沖縄に行ってみたい・・・という話になった。かなり行動力がある人で早速計画を立てて貰った。要するに婚前旅行という事なのである。そこから更に話は進んで東京に出る機会はあまりないので、彼女の実家にまで寄って挨拶をしてきた。ついでに夜は官邸前の反原発デモの様子も見てきた。羽田から沖縄経由で石垣に着いたのは翌日の夜だった。石垣港近辺をブラブラして見つけた島料理の店で散々飲んで食べて、その夜の内にしっかり八重山気分になれた。島で飲む泡盛は格別である。十日間でただのアル中である事がバレた。これはいずれバレる訳だから早い方がいい、と深く考えた訳ではない。ただ・ただ・八重山で泡盛を浴びるほど飲みたかったのだ。
 翌日は高速艇で波照間島に行き早速泡盛を一升瓶で買って昼間から飲んだ。幸い海は穏やかでそれ程船は揺れなかった。波照間は石垣から結構遠い外海にある島なので欠航もよくあるそうだ。猫と山羊が幸せそうな一面のサトウキビ畑の島だった。海はちょうど大潮でリーフの切れ目まで歩いて行けた。35年前と変わらぬ底まで見えるような綺麗なサンゴ礁である。泳ぎたかったが、リーフカレントという波に流され毎年何人か死んでいると言われ諦めた。シュノーケリングがしたかったので同宿の人に紹介してもらった竹富島に行くことにした。
 早速一升瓶で泡盛を買ってまた竹富の宿の夕食で飲んだ。同宿のお客も誘って飲みながら色々話した。不思議な縁とは実際あるものだ。出かける前に二人で見に行った「スケッチ・オブ・ミャーク」という宮古島の古民謡を題材にした映画の監督がいたのである。さらには、その宿のオバーは映画にも出てきた神司(カミツカサ)で島は違うが同じような重要な役割を担う人だった。古民謡の練習を見せてもらったり、オバーの72才の誕生祝いの集いにも参加させて貰った。島では97才が特別な年齢で島を挙げて祝うらしい。そのニ回り前の72才も神司にとっては特別の年みたいだ。
 二人とも50代半ばの初婚という事になる。彼女は好きな事だけやってきた人なので回りもかなり驚いたという。一人でやりたい事はほとんどやったので、今度は安曇野で結婚して農的暮らしをしてみたいと思ったという。私も恐ろしく面倒臭がり屋なので結婚などあまり考えていなかった。しかし、母が秋にダイヤモンド婚のお祝いをして死の準備をしてから、さらに私の結婚に向け何十万円もかけて相手を探し始めた。ちょうどその頃、婚活パーティーがあるというので参加した。縁とかタイミングが合うという実に不思議な巡り合わせだった。

良いニュースと悪いニュース(2013年2月)

 冬と言えば雪であるが、こんなに雪が多い年も久しぶりである。トラクターに付けたダンプで3回も雪かきをした。寒さも相当な物である。雪もなかなか溶けない。いろんな物を雪が隠してくれ、白一色な景色は好きではあるが・・・
 それに大雪と寒さを理由にほとんど一日中ボケーっと過ごせるのが一番いい。春から秋には忙しくて出来なかった仕事を冬の間に色々やりたいと毎年思う。納屋の整理とか機械の整備など。しかしほとんど出来た事がない。無為に毎日をダラダラと過ごす贅沢はこの冬にしかできないのだ。その誘惑にはなかなか勝てない。気が向けば本を読んだり、好きな時に蕎麦を打ったり、温泉に行ったり。後はほとんど何もしない。
 新年になって良い事と悪い事があった。どちらを先に聞きたいか?と映画やTVドラマではよく言われるセリフである。だいたい悪い方が先にくる気がするので、私も悪い方から書こう。
 新年の挨拶にきた昨年までの研修生から離農すると宣告された。そして逃げるように引っ越して行った。半年しか持たなかった。しかも、一切相談されなかった。辞めるかもしれないとは思っていた。収穫がほとんど進まなかったし、麦を撒く様子も全くなかった。稲刈りの真っ最中にも一言も言わずにアルバイトに行って連絡が取れなかった。回りの農家からも心配して聞かれたが何も答えられない。もうやる気がないかもしれないとは思ったが、まさか一年も持たないとは。アルバイトも離農も一切相談されなかった事が一番ショックであった。全く信頼されていなかったという事である。まあ、私の収入とかを知れば宛にできないのはわかる。相談されてもなんの力にもなれないだろう。心配をかけたくなかったのだろうか?しかし、回りの人は皆心配していた。悩みを聞くことぐらいはできるのに。
 その前にも半年で辞めた30才の女性がいた。二人続いた事になる。最初の研修生も昨年5月に九州に行った。もう全く自信がなくなった。相当な覚悟のある人以外はもう研修生を引き受けるのは辞めようと思う。定着して貰えないのなら教えたり農地を探したりする気にはなれない。
 彼は月6万以上のアパートに暮らしていた。ただでもいいと言う家の話もあったのに全く関心を示さなかった。都会と同じ生活レベルを維持したかったのだろうか。やはり家賃は3万以下で生活費も同じくらいで後は自給するくらいの気持ちがなければ就農は無理だろう。また、住む地を自由に選べると考えている若い人が多いように思うが、本来は永住できるかどうかはその地の人達が選ぶものだろう。スイスの村では自治権のある住民になるには審査があるらしい。何語で夢を見るのか聞かれた日本人もいるという。これが本当は当たり前で永住するにはそれなりの覚悟がないと受け入れる方も大変なのだ。今は農業が厳しいので就農したい人には逆にチャンスなのだが、あまり軽い気持ちで来て貰うと困る。
 良いニュースは昨年暮から婚活パーティーに参加してこれが結構楽しい。農業が好きな素敵な女性も結構多い。ピザ会、蕎麦会、新年会と続いた。さて、どうなる?

トップ  読み物・目次  ←2012