ゆういちろうのページ 2011年

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悔やむな号(2011年11月)

 主な収穫は後大豆くらいなので、やっと時間にゆとりが出てきた。原発関係の講演会も聞きに行く事ができた。父も退院して家でやけに大人しくしている。一緒に入院していた近所の同級生が亡くなったのがかなりショックだったようだ。

 母の実家では伯母さんと伯父さんが相次いで亡くなって法事が続いた。80代後半で私の親戚は亡くなることが多いようだ。という事は私もうまくいって後30年くらいの寿命だろう。

 法事の席で車関係の仕事をしている従兄弟から軽トラックの安いものがあると聞いた。あまりに安くて年式も新しかったので即買う事にした。研修生が毎年のように来るので軽トラックがもう一台欲しいとは思っていたがなかなか手が出ない。それがわずか10万円ちょっとで買えた。しかもまだ3万キロも乗っていない。どうしてだろうと思っていたが、ナンバーを見て納得した。9944であった。持ち主はきっと縁起を担ぐ人だったに違いない。

 今使っている軽トラックもなかなかのナンバーである。9867(悔やむな)である。悔やむな、という言葉は好きな方であるが、私の性格は結構悔やむ事が多い。だから余計このナンバーは好きだった。しかし、この軽トラックはなかなかの曲者であった。事故車を友人の板金屋さんから30万で買ったのだが、買った時から燃費が悪かった。真っ黒な排気ガスが出て時々バックファイアを起こし爆発音に驚かされる。私はまだ慣れてきたのでいいが、近くにいる通行人は何事が起こったのかと周りを見回している。再三修理を頼んだが中々直らない。三回目の車検の時にはリッター5キロも走らなくなっていた。ようやく気化器を替えて直ったがクラッチ板も擦り切れていたので交換。15万近くの出費になってしまった。この車に何か問題がある度にナンバーを見ると「悔やむな」と読める。「お前がそれを言うのは筋違いだ」とその都度頭に来た。

 軽トラックをもう一台買うと決めた翌朝、研修生がエンジンをかけた瞬間にクラッチワイヤーがプツリと切れた。エンジンはかかるがギヤーが入らない。研修生と「これは捨てられると思ってヘソを曲げているに違いない」「やけに人間臭い車だなあ」と言い合った。しかし、走っている時に切れていたら大変である。大きな事故になっていたかもしれない。早速修理した。軽トラは農家には必要であるし、かなりハードな仕事もする。あまり手入れもいい方ではないので、後どのくらい持つだろうか?かなり修理をして貰ったのでエンジンの調子も良くなったのだが・・・

 「悔やむな」号は名前のいい印象とは逆に問題だらけであったが、9944号は一体どんな車だろうか?今のところ快適である。不吉なナンバーとは逆にいい事が多い車であって欲しいものである。

 今年も残りわずかになったが、大変な年であった。いやまだ進行形である。政府の震災と原発事故に対する対応は遅すぎる。財源など日銀に引き受けさせればいくらでも出てくる。せめて被災者にお金の心配はさせるべきではないと思う。

性格までは治せない(2011年10月)

 父が胆石の手術で入院した。三回目である。最初は対応が遅れたため胆嚢炎と腹膜炎を併発し、とにかく膿を外へ出し炎症を抑えるために腫れた胆嚢へ管を通した。これでだいぶ症状は落ち着いた。二度目は鼻から内視鏡で胆管の石を出し、新たな石が詰まらないように人工の管で補強した。胆管の位置を明確にするためでもあった。三度目は胆嚢の摘出である。4時間前後かかる大変な手術であった。炎症で周りの器官との癒着がひどく脂肪もあるので境目がわからない。肝臓や血管などを傷つける恐れがある。4箇所穴を開け、一つは腹腔鏡、あと三つは手術用である。すべての行程がビデオ撮影されていて後で説明つきで見せてくれた。

 年のせいもあり心臓や肺なども弱っていて難しい手術である事はあらかじめ説明されていたが、当の本人は今ではかなり元気になっている。

 胆嚢からは多くの石が出た。こんなにたくさん出るのはあまり見た事がないと医師にも呆れられた。胆石はかなりの人が持っている。食の欧米化で肉などを多く食べるようになったからだそうだ。父も大好きで野菜はほとんど食べない。買い物も大好きで広告を見ては安い肉をまとめて買ってくる。三人しかいないので結局捨てることも度々で、いつも母と私に批判されるが直らなかった。買い物が一番の楽しみになっている。結局こちらも付き合わざるをえないから私も胆石も抱えているに違いない。

 かなり前から食自体細っていたこともあるが、原因がわかったので本人も肉を食べなくなった。我が家の食卓も多少は改善されるだろう。同じ病棟に近所の同級生も入院していたが、そちらはかなり危険な状況らしいから同級会という訳にはいかない。

 肉に代わって魚の比重が大きくなったが、どうも魚にも放射能の影響が広がってきているらしい。暫定基準値は超えないが、誰も政府の基準など信用しなくなっているのではないか。我が家のような高齢家庭ではあまり影響はないだろうが、子供や若い人がいる家庭にとっては心配である。せめて測定値の表示くらいは義務づけて欲しいものである。これからは否応なく放射線と付き合ってゆくしかないのだから。

 父は最近足も弱くなっていて、秋の楽しみであったキノコ狩りも行けなくなるかもしれない。ただ、この父の趣味にも泣かされた思い出がある。「松茸を取ってきたぞ」と言って見せてくれたが、独特の臭いがほとんどしなかった。変だなと思いながらも食べたら腹が痛くなり一週間も寝込んでしまった。カキシメジだったらしい。本人は松茸だと自慢していたにも関わらず全く食べず黙って母と私が食べるのを見ていたのだ。稲刈りの真っ最中に一週間も寝るはめになるし自分の息子に毒味をさせるとは、全くなんという父を持ってしまったのかと、腹痛に耐えながら思ったものである。しかし、基本的には明るい性格なのであまり憎めないし、今では笑い話になってしまった。賑やかな父が入院して静かな家になったが、毎朝のようにあれやこれやを持って来いと、電話をかけてくるのには閉口する。手術をしても性格までは治せないようだ。

河野太郎(2011年9月)

 稲刈りはなかなか進まない。コンバインが壊れてしまったからだ。直すのに50万円近くかかりそうである。請負った農作業代金はそっくり修理代に回ってしまうだろう。もともと、地域の高齢化などでやり手がいなくなったためボランティアのつもりで請け負った農作業であるが、労賃はほとんど機械の修理代になる。頼んだ農家にしても、作業料金や経費を差し引けばほとんど手元には残らない。米価が安くなっているからである。頼む方も頼まれた方も共に手元にはあまり残らない。もはや農業はボランティアになってしまった。最近は有償ボランティアが増えているそうだから、それ以下である。お金の事を考えると農作業は馬鹿らしくなってしまうので、なるべく考えないようにしている。

 ただ、里親をやっている以上、新規就農者にはあまり夢のない話ばかりはしていられない。バインダーで稲を刈りハザがけすれば経費も少なくかなり良い値段で売れる。自分がやる気になれる値段で売ることが大事である。一反50〜60万円になればやる気も出るだろう。有機でハザがけならばK千円前後で売る人もいるらしいから、やる気になる収入に近づく。問題は買ってくれる人をどう探すかである。

 大勢探す必要はない。一反で600Kくらいしか収穫できないから、十人探せばいいのだ。一人6万円で一年間のお米が手に入る。何がなくてもお米があればなんとか生きてゆける。しかも健康にもいい。これを相場と比較して高いかどうか考える人には売れないだろう。農家がやる気になってくれる価格で納得できるのか、それとも農家にボランティアを期待し続けるのか。それは個々の消費者の判断に委ねられている。若い新規就農者のお米を買い支える事で健康と将来の食糧不安を少なくする事ができると考えればどうか?

 もう一つあまり考えたくない事は、やはり原発の事である。原発事故の超一級戦犯は勿論自民党であるが、その自民党の中でただ一人超まともな政治家がいる。それは河野太郎である。一貫して原発や再処理に反対し続けている。彼のメルマガを読んでいるが、原発マフィアの実態が報告されている。ほとんどの省庁から電力会社に天下っているのは報道でも知られているが、実態はそれだけではない。様々な公益法人に電力会社から多額の資金が寄付され、そこにも大勢の官僚が天下っている。さらには、「天上り」まである。これは民間企業から官庁への出向である。建前は公募で決める事になっているが例外として専門知識を必要としている職種では任意に採用されている。東電の職員も経産省やさらには官邸にまで出向しているらしい。これでは政府内の動向は電力会社に筒抜けである。一方、東電に情報公開を政府が求めても、企業秘密か何かは知らないが、真っ黒に墨塗りされた紙が出てくる。独占企業に企業秘密などあって良いのか。ところで河野太郎には学生の頃西表島で会っている。無口でほとんど話さなかったが、磯マグロをダイビングで採ってきてくれ刺身にして一緒に食べた。マフィアの巣窟で孤軍奮闘する政治家になるとは夢にも思わなかった。

エリートは恥知らず(2011年8月)

 トマトは踏んだり蹴ったりの状況だ。5月の暑さで半分枯れて、その後病気も入った。いよいよ収穫の時期という頃から夕立が続き葉っぱが枯れ、なんとか持ち堪えた物もここ数日の大雨で実が割れてしまった。昨年の1〜2割の収量しかない。新たに始めた4人には最初から厳しい試練になってしまった。米と黒豆が今のところ順調なのが救いである。

 有機農業で有名な埼玉県小川町のトマトもあまり調子は良くないようだ。小川町の桑原さんとの繋がりで始めた無農薬の加工用トマトである。本庄市の高橋ソースに出荷し始めて十数年になる。埼玉県までトラックで運んだり、運送会社に頼んだりした。最近は新潟の津南まで4トン車で運んでいた。今年は豊科にある加工施設に頼んだので大変楽になった。小さな施設なので手作業で選別や洗浄をしている。まだ課題はかなりあるが近くにある事は助かる。

 小川町も放射能の影響をかなり受けているという。桑原さんは自分で測定器を購入したり作物を測って貰ったりしている。測定には一回8000円もかかるという。農地は500ベクレル/Kくらいあるらしい。小麦にも60ベクレル出たという。栃木県宇都宮の民間稲作研究所の農地は1000ベクレル。那須塩原では5000ベクレルも汚染されている。民間稲作研究所は無農薬稲作の研究では最先端と言っていいくらい貢献してきた。小川町も同様に金子さんを中心に有機農業を牽引してきた。そんな所も容赦なく放射能は襲ったのだ。小川町は福島第一原発から250Kの距離である。この辺は300〜350Kくらいか?風向きや降雨の状況によってはかなり汚染されていただろう。実際信濃川から水道水を取水している新潟県の浄水場の汚泥は高度に汚染されているし、県内の焼却場の灰からも当時は高い値が出ていた

 福島の原発は一歩間違えれば国土の大半が人の住めない大惨事になっていただろう。もう格納容器もメルトスルーして建屋のコンクリートも溶かし始めているらしい。桑原さんの検知器は毎日のように変動しているという。例えば窒素を注入したという報道の翌日にはかなり上がったという。量はすくないがもはや垂れ流しとも言える状況である。廃炉にするらしいが今生きている人間は、廃炉にするところを見る事はできないだろう。そのくらい手が付けられない状況になっている。

 こんな福島の現状なのに北海道知事は泊原発の営業運転を再開した。官僚出身の女性知事が汚れ役を押し付けられたのか?電気も不足することなく夏が過ぎ、このままだと原発がなくてもやっていけるとわかってしまう。それを恐れて強行したとすれば推進派も追い詰められている。しかし、それは自分たちの利権が守れなくなるという意味でなんら反省している訳ではない。実際東電の前社長は何億円という退職金を恥ずかしくもなく貰ったし、経産省の高官も表向きは辞めさせられたという形ではあるが1000万円余計に退職金を貰っている。

 この国のエリートは恥知らずばかりのようだ。福島では有機農家や畜産農家が自殺しているというのに・・・

御中元にいかが?(2001年7月)

 トマトと酒米が失敗して大変である。トマトは黒マルチの穴を小さくしたため、5月の32度という記録的な暑さで、その小さな穴から熱風が出てトマトの茎を焼いてしまったようだ。半分近く植え直してもダメな人もいる。焼けた茎から病気が入って広がった所もある。悲惨な光景である。

だいたいマルチの穴は大きく開けるというのが基本であるが、大きいと雑草が出てくるので後が大変である。雑草を取らなくてもトマトはできることはできるが、収量も落ちるし背丈以上になった雑草の畑は無残である。貸している地主にしてみれば、そんな畑を見ると悲しくなってしまうだろう。田畑は農家にとって、ただの資本財ではない。長い間何世代にも亘って雑草と闘い耕し手入れをしてきたものなのである。恨みもあるが愛情もあるという複雑な気持ちを持っている。自然を愛する保護運動など私はあまり信用していない。この国の自然はほとんど農家が苦労して手を入れてきたものである。「愛する前に恨め」とは故・守田志郎さんの名言であるが、田畑の雑草と戦った事のない人に自然を愛するなどと言って貰いたくはない。ただ、今では除草剤で楽に雑草を駆除できるので農家の田畑への愛着も減ってきているのかもしれない。

なるべく雑草を減らしたいという気持ちからマルチの穴を小さくしたのが裏目に出てしまった。面積は倍になったが収量はあまり変わらないかもしれない。

酒米もヒエだらけで大変である。毎朝5〜6時にヒエ取りに行くがあまり減らない。原因は田植え後、深水にするのに時間を掛けすぎたのと、カモを入れるのが遅くなった事だと思う。本当は一ヶ月くらい前に代を掻いて置くと雑草が発芽するので、それを田植え前に練りこんでしまえばいい。生藁の害もかなり少なくなる。昨年、試しにやってみたが、少し遠い田なので水見が大変であった。何回か下の畑に水を流してしまい、こっぴどく怒られてしまったので今年はやめた。

カモは今のところ狐にはやられていない。周りの人も無事である。どうも昨年は狐の餌が少なかったから入ってしまったのではないか。しかし、カモはヒエを食べてくれない。毎朝、私の足元に絡みついてくるのは可愛いがヒエ取りの邪魔にはなる。

トマトと酒米は悲惨であるが、いいニュースもある。胡蝶庵というお菓子屋さんが私達のトマトジュースを使って「生トマトゼリー」を開発して販売を開始してくれた事である。これがなかなか美味しい。さっぱりした大人の味と香りがする。黒豆ゼリーと合わせて安曇野の特産にしたいという心意気も大したものである。ネット会員が結構多いらしくホームページも充実している。なんとそこでは「藤沢さん家のトマト」とある。ゼリーの包装にも二ヶ所も私の名前が載っているではないか。本当は十人位の仲間と作っているのだが。ただ生トマトというのは良く意味が判らない。ジュースは火を入れないと発酵してビンも割れてしまう。世の中放射能と震災で大騒ぎで暗いので、御中元などというご時世ではないかもしれないが、このゼリーは贈り物にしたら喜ばれる事間違いなしである。

張ってくれる人は?(2001年6月)

 田植えが終わりアイガモを少し田に離した。様子を見ながら徐々に増やしていく。昨年は狐にやられほとんど全滅した。おかげで草だらけになり米も不作であった。狐は頭がいいので少し油断するとやられてしまう。しばらく獣害がなかったので油断していたら昨年はやられた。網を飛び越えたとしか考えられない。そこで古野さんの最新のアイガモ農法の本を買って読んだ。網は使わず畦シートと電気柵だけでやっていた。しかも秋や冬の暇な時に設置して、田植えが終わるとすぐカモを入れられるように工夫している。

 網なしというのは驚きであるが、やはり網は飛び越えてしまうらしい。むしろ電線を何本か張っておくだけの方が飛び込む時に電気ショックを受けやすいそうだ。また、網を張る労力も大変なので規模を大きくすることも出来なかった。網なしでしかも農閑期に設置できればある程度の規模をアイガモ農法でやることも可能だ。

 今年はまだ不安だし準備もしていなかったので、一部だけ網でなく畦シートと電気柵で試してみることにした。その網のない所にうまく来てくれればいいのだが・・・

 ところで最近は若い仲間が増えたのはいいが、自分の体力の衰えを感じることが多い。面積も少し減らし手伝いもいるのに。

 久しぶりにぎっくり腰になったが、ちょっと変な感じである。重い物を持ってなったというのではなく、ジワジワと痛くなってある朝起きられないくらいに痛くなった。体もダルくて仕方がなかったので、糖尿病でお世話になった近所の医者に行った。ギックリ腰は痛み止めの注射を打って貰った。鎮痛剤と湿布も貰ってきた。ついでに血液検査もやった。血糖値は若干高めであった。

医師は二代目の若先生である。同じ隣組である程度家庭の事情もわかっている。湿布をだしましょうか?と聞いた時に、「張ってくれる人はいますか?」

 全く余計な事を聞くものである。初代の先生の時も背中に大きな出来物ができて痛かったので見てもらった。

「先生、変な出来物が背中にできて痛いが、癌かいねえ」と聞くと、「何言ってるだい。栄養の摂りすぎせい」と言われた。

そして膿を搾り出してくれたが、とても痛かった。それで治ってしまったので、糖尿病といいやはり飽食の病だったのだ。

 先日NHKで老いを遅らせる遺伝子の特集をやっていた。腹八分目で多少飢えていた方が人間も動物も健康で長生きである事が実験でもわかってきた。この遺伝子はカロリーを2〜3割減らして2ヶ月くらいしないと目覚めないという。糖尿病や骨粗鬆症や認知症にも効くらしい。どうも私の老化現象も飽食によるところが大きいのではなかろうか。

 飽食の時代が病の元とは困ったことではあるが、多分に食わされているという側面もあると思う。ただ、まだ食の問題ならば良いモノを適度に食べる習慣を取り戻せばいい。自分にはできないと諦めても個人の問題だと言うことも可能かもしれない。しかし、エネルギーの飽食で放射能まみれにされるのは願い下げである。エネルギーもその質と使用量が問われる時代になった。

原発マフィア(2011年5月)

 トマトの定植が始まった。今年はなんと6人で1町2反という広大な面積を我が家周辺でやることになった。これは里子3人に加え新たに2人の新人が加わったためである。マルチ張りを始めて3日になるがまだ終わらない。もう2日くらいは掛かるだろう。定植も同時に進めている。田植えはトマトがある程度終わってから始まるが、アイガモを入れ終わる6月半ばまで忙しい日が続く。

 震災復興や原発事故の見通しはあまり明るいとは言えない。気にはなるが農繁期でなんの動きも取れない。原発事故の実態は専門家でさえ「ほとんど内部の様子はわからない。悪化しないよう祈るしかない」と、言っているのを何回か聞いた。専門家が祈るしかないのなら我々一般人はどうしたらいいのだろうか。

 80〜90年代の反・脱原発運動はチェルノブイリという災厄もあり全国に広がった。そして原発を止めることはできなかったが、原発の新規立地はほとんど不可能になった。また、少数意見や反対意見を黙殺しやすいこの国の社会状況の中で、反原発は市民権を獲得しある程度根付いた事は高く評価していいのではなかろうか。

 しかし、やはり限界もあった事は確かである。原子力マフィアの力はかなり強かった。今回の事故でその一端が見えて来ている。例えば、東電の幹部や元電事連役員が日銀の審議委員をやっている。そして暴落しそうになった東電の社債を日銀が買い支えた形跡があるらしい。また、与謝野大臣は中曽根の紹介で日本原子力発電に入社した人間だという。そして今回の原発事故賠償問題では大株主であり債権者でもある大手銀行に賠償案を作らせた。電力会社と一緒に原発を推進してきた金融界は一切責任を取るつもりはないらしい。

 原発のような巨大技術と金融界はほぼ一体でマフィアを形成している。市場が飽和して儲かる投資先がほとんどない時代になったので、どんなアクロバティックな技術であろうと儲かりそうならば融資するようになったようだ。

 こうした社会構造は当時の反原発運動の手に負えるものではなかったのだ。しかし、今はかなり状況が変わってきている。世界恐慌の進行で、金融やマネーの問題が社会問題の根本にあることが明確になってきている。また、なぜ市場が飽和しているにも関わらず経済成長が強調されるのか、物やサービスが溢れる中で貧困が広がる理由もマネーにある事もわかってきている。

 ベーシック・インカムやマネー・金融の公共制度化がまずまず重要になってきている。経済成長を止め、かつ貧困を解消してデフレ不況から脱却できる。さらに資本が全国・万人に分散される事が地域の自然エネルギーの開発・発展に役立つだろう。

 もっとも必要とされているのは震災や放射能で被災・避難せざる得ない方々への基礎所得保障である。復興にはまだまだ長い時間が掛かるからその間の生活をまず保障することが必要であるし、落ち込んだ経済再生の切り札にもなる。東北で成功すればその後全国で実施すればいい。原発マフィアの全貌を明らかにする事も重要だ。

無視と隠蔽(2011年4月)

 若い頃はよく「やってますか?健康法。原発事故ればみんな無駄」と言っていた。大町の東電・高瀬川ダムを見学に行った時、エネルギー資料館に感想を書くノートがあったので、そこにも大きく書いて来た。若さもあったからかあまり健康の事など考えて来なかった。まさか自分が糖尿病になるとは思ってもいなかった。最近はまた元のいい加減な生活に戻りつつあるが、玄米食は続けている。健康も多少は気にしなくてはいけない年になった。

 相変わらずマスコミにはいい加減な御用学者が出ている。1950〜60年代は、世界中で大気圏内核実験をやっていて、通常の千倍から一万倍の放射能の中で皆暮らしていた。それに比べれば今の状況は全く問題がないそうだ。しかし、私が子供の頃は死因の上位は脳卒中とか心臓病であった。その後急速に癌が伸びてきて今ではダントツトップである。また、田中優さんの講演録をネットで見ていると核実験と死産の関係がかなりはっきり見て取れる。私達はよく谷間の世代と言われ戦後のベビーブームの後の出生数が少ない世代である。ちょうど1960年前後である。これは核実験との関係を証明されている訳ではないが、むしろ無関係である事を証明する責任は安全だと主張する学者にあろう。「疑わしきは罰せず」は人間の裁判に於いて言えること。人間が作り出した化学物質においては安全だと完全に証明されない限り疑わしきは罰するべきだ。

 田原総一朗は便利な社会に暮らしているのだからそれなりのリスクもある。例えば車をみんな使っているが交通事故で亡くなるリスクを負っているではないか、と言った。確かに交通事故は減ってはいるようだが毎年万単位で死んでいるし大変な障害を負う人も多い。これはこれで大きな問題ではある。脱車優先社会への移行も重要である。しかし、車と原発を同列に議論するのはおかしい。原発もいつかウランが無くなれば御用済みとなるが、それまでに出来てしまった放射性物質は何万年も生命を脅かす。電気は作れなくなってもリスクだけは半永久的に残る。それとも、プルトニウムの半減期を一分にする技術でもあるというのだろうか。所詮、人間のコントロールできる技術の範囲はニュートン力学の範囲だけである。量子力学をコントロールする事は時間を制御するという事である。これは神の領域である。ここが車と核開発の決定的な違いだろう。

 現地で放射能の恐怖と闘っている人には感謝するしかない。その疲労とストレスは大変なものであろう。全国の原発を一時止めて技術者を福島に集中させるべきではなかろうか。十分な交代要員がいなければこの地獄のような事故処理はできまい。誰にでもできる作業ならば、まだ原発が必要だとのたまっているご高齢の知事などに行って貰うべきで、一日40万円で若い失業者を雇うべきではない。

 少数意見や反対意見を無視して問題を隠蔽する社会はその報いを受けている。マスコミに出る学者もほとんど電力業界から金を貰っている。今、高瀬川ダムは13%しか稼動していないらしい。これも隠蔽。

ボブの歌を聞いている(2011年3月)

 テレビに釘付けになっている。地震と津波の被害も甚大であるが、やはり原発の状況が気になる。11日午後、三日間の味噌作りを終え、自分の部屋で休んでいたら大きな揺れがきた。なかなか止まらない。いつまでもユラユラと揺れ続けている。その時はこんなに大きな被害が出る地震だとは思わなかったが、その後被害が拡大していった。震源地は6〜700キロも離れた東北の太平洋だった。この遠い距離でこの揺れなのだから現地の被害は相当なものになるのは当然だ。その後福島原発での事故が次々と明らかになった。

 最近、ネットのユーチューブで内田ボブさんの歌が聞けることがわかったので、毎日のように聞いていた。「チェルノブイリ」や「ヤポネシヤ」など皆好きな歌である。回りにも広げていたのであるが、まさか実際に原発事故がすぐに起こると思っていた訳ではない。あまりにタイミングが合いすぎて怖い。ヤッコさんから貰った祝島での原発用地の埋立反対運動のメールを見ていたらボブさんが祝島でも歌っているのを知った。

 今回の関さんとの共著の本にも、ちょうど原発の事を書いていた。そもそも私が有機農業を始めたきっかけは原発である。広瀬隆の本を読んでショックを受けてから自分にできる事は自分の生き方を変えることしかないような気がしていた。そして、物理学者の槌田敦の「石油文明の次は何か」に出会った。農的な生き方や社会を取り戻す必要性を知った。そして実家で就農したのがもう25年も前の事である。数年後にはチェルノブイリ原発事故が起こり日本にも放射能は降り注いだ。反原発で全国的な運動が巻き起こり信州でも大型バス2台で香川県の高松・四国電力本社まで伊方原発反対を訴えに行った。その頃おやおやが主催して内田ボブさんのコンサートが何回かあった。それを聞いてからすっかり内田ボブの歌にハマってしまったのだ。詩も曲も歌唱力もギターの腕も抜群である。

 ユーチューブでその頃を思い出しながら動画を見ているが、やはり年は取ったが力強い歌は変わっていない。しかし、アクセス数はまだ少ない。これ程の才能なのにメジャーにはなれそうもない。勿論、本人にその気もないだろう。しかも、テーマはチェルノブイリや原発である。

 しかし、福島原発の様子を見ていると最悪の事態も想定しておく必要がありそうである。大規模なメルトダウンも可能性としてはかなり残っている。このまま海水で長期間冷やし続ける事ができるのだろうか。もし、大きな余震が近くで起きたらそれもできなくなる。それに、圧力を下げて海水を注入するために汚染された水蒸気を逃さなくてはならないから、常に放射性物質は海や空に出ているはずである。関東や東北にそれはじわじわと広がっていくしかないではないか。大きな事故になってもならなくても核汚染は確実に広がるのではなかろうか。大人には皆責任があるが、子供や若者は優先的に安全な地域に逃すことも考える必要がある。もちろん、狭い日本に原発は一杯あるのだからエネルギー政策の大転換は言うまでもないのだが・・・

本はなかなか進まない(2011年2月)

 ようやく書き始めた。農文協の本の事である。3月からは農作業が思い切り忙しくなるので、その前になるべく書いておきたい。しかし、時間はあってもあまり進まない。逆に忙しい方が集中できていいのかもしれない。

 ただ、私の場合関曠野さんのように研究者ではないし、現場の声を書いてくれ、と言われているのであまり調べたり分析したりという事はやらなくてもいい。もちろん、やれと言われてもできないだろう。経験とそれに基づいた感想を書けばいいのだ。

 ところが、自分が昔色々なところで書いたものがない。取ってないのだ。最近のものはパソコンにある程度残っているが、それ以前のものはほとんど散逸している。安曇野文芸に書いたものは本という形で残ったが、その本も人にあげてしまって手元にはない。だいたいそういうものを残して置くという考えも習慣もない。整理整頓が苦手という事もある。まさか、憧れの関さんと共著ができるなどとは思ってもいなかったのだ。

そもそも、関さんを知ったのも偶然である。20年近く前に松下竜一さんの草の根通信を読んでいたら、関さんの「野蛮としてのイエ社会」という本を紹介していた。解説を読んですぐ購入した。あまりのスケールの大きさに圧倒された。日本にもこんなにすごい歴史研究者がいることに感激した。それ以来、関さんの熱狂的なファンである。しかし、当時は全く遠い存在であった。本はだいたい手に入れたが、新聞や雑誌に寄稿したものまではなかなか手に入らなかった。今では本もほとんど絶版で古本でも一冊何万円もする。

インターネットをやるようになってからも、関さんの文を探し求めた。そして関さんも参加している「時代塾」というメーリングリストを見つけた。さっそく参加した。当時は時代塾の趣旨にさえ同意していれば誰でも参加できたのだ。それから十年近いお付き合いである。最近の文章ではやはり農文協発行の「TPP反対の大義」に寄稿している。その関係でかなり忙しくなっているようだ。

その点こちらはまだ農作業も忙しくないので、一日一ページくらいのペースで書いている。昔の事など思い出しながらなので少しずつしか進まない。関さんが多忙なのでこちらもそれ程急がなくても良くなったが、書き始めるとすぐに予定の20ページを越えてしまった。元々1ページの字数はそれほど多くはなかったが、初めてなので書いてみなければわからなかった。しかし、その後はペースはガクっと落ちて一日一ページも進まないこともよくある。

TPPに関しては菅内閣の崩壊とともに頓挫する可能性もかなりある。だいたい消費税もそうだが公約にもない事を何故突然言い出すのかわかない。4年間議論して次の選挙で賛否を問うというのならまだわかる。ただ選挙は個別課題のみでは判断できないから、国民投票で決めるというのが一番いいが、マスコミが大企業の代弁ばかりしているのは困ったものだ。日本がすぐにエジプトのようになるとは思えないが、政治の混迷はさらに深くなるだろう。

さて、何を書こうか?(2011年1月)

 寝正月と読書ザンマイである。テレビのスポーツもよく見ている。速い話が毎日グータラしているのだ。この時期しかできない贅沢だし、何もやる気がしない。小説を読んでいると少しずつ何か元気が溜まってくるような気がする。

 外は寒い。そろそろプールとジムに行きたくなってきたが寒さがもう少しおさまったら・・・とぐずぐずしている。日本海側では大雪らしいが、幸いこの辺は全く雪がない。

 小説は百田尚樹にはまっている。なんだか知らないが元気がでる小説である。長い作品でも1〜2日で読んでしまう。読み始めたら止まらない。難しい本は最近あまり読まなくなった。新聞もざっと目を通すだけであまり読みたいと思う記事はない。

 ドラマは大好きである。松本清張のものはだいたい見ている。正月はこういう特番があるからいい。東野圭吾も好きだがやはり清張はすごいと思う。人間や社会の暗部を描かせれば右に出る者はいない。百田尚樹も社会の暗部をテーマにしてはいるが、結末は希望に繋がっている場合が多いように感じる。それが何だか元気が出る理由かもしれない。

 昨年からの課題であった農文協の「地域の再生」シリーズへの執筆はほとんど進んでいない。2月末にはなんとか形にしなければいけないが、全くと言っていいほど何を書いていいのかわからない。だいたい書く気になるのに時間がかかる性格だし、さらに何を書いてよいやら迷いっぱなしなのだ。そもそも地域の再生などと大上段から考えて生きてきたことなどない。目の前の生活や出来事に振り回されたり憤ったりしてきただけである。ただ農業と自治(政治)にはこだわってきた気がするが、それも地域の再生を意識してきた訳ではない。

 本のテーマは「自治と自給と地域主権」という難しい題目である。暮に打ち合わせをした時、関曠野さんは「こんな硬い題名では売れないだろう」と、おっしゃったが全くその通りである。副題は「グローバリズムの終焉、農の復権」である。こちらの方がまだ少しは受けそうだが、やはり硬い。まあ内容からして仕かたが無い面もあるが、もう少し若者受けする題名はないものだろうか。関さんは若者へのメッセージにしたいという気持ちが強いらしい。実際都会の若者を中心に農業への関心が広がっているという。私の所へ研修にくる人も都会出身の人ばかりである。

 とにかくそんな訳で、と書くと「どんな訳だか言ってみろ」と怒られそうだが、やる気が溜まってくるまで、またある程度の構想が浮かぶまで小説でも読みながらぼけーっとしているのだ。

 しかし、グローバリズムの終焉と農の復権はもはや確実で時間の問題である。世界の通貨が滅茶苦茶になってきた。特にユーロは今年中には破綻する可能性が高い。オイルもジワジワと値上がりしている。円高の日本はまだいいがその他の国では高騰しているらしい。リーマンショック以降世界の貿易額は減る一方だという。穀物の輸出を禁止する国も増えてきた。現実の方が先を行っている。TPPなど悪足掻きなのだ。


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